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【下積みは苦労ではない】 最近は、“下積み”という言葉を多く聞くことがなくなりました。 昔は、“石の上にも三年”、とよく聞かされましたが、これも今ではすでに死語 となりつつあります。 このような言葉を使うこと自体が、受け入れてくれない雰囲気があります。 ビートたけしさんが、自分の本の中でこんなことを話しています。 「最近の若い人は、ちょっとネタができるとすぐにライブやテレビに出たりで 下積みって経験がない。 それは手っ取り早くていいんだろうけど、何だか芸に「味」みたいなものが ないように感じる。 下積みの頃に、悶々としながら考えたことって、後から効いてくるものだ。 考えようによっては、今のタレント芸人のほうがよっぽどキツイかもしれな い。貧乏でも、救ってくれる師匠や先輩がそばにいるわけではないから。 おいらの若い頃は、特にひもじかったわけでもない。 飲み屋に行けば、なじみの客から「おう、焼酎でも飲ましてやるよ」って 奢ってもらえた。 昔は、豊かだったわけではないが、なんかおおらかだった。 今は便利で、食い物も安いから小銭で腹いっぱいになるけど、なんだか味気 ないな。世の中が全部、ジャンクになってるような気がする。 新聞や週刊誌も、ドンドン売れなくなってくると、どっかで見たようなスキ ャンダルや批判記事に頼りがちで、どの雑誌をみても同じになってしまう。 即効性はなくても「読ませる記事」「味のある記事」が増えないとダメだ」 たけしさんは、下積み時代に悶々とすることは苦しいことではなく、もっと じっくり、下積みの時代を味わうことが大切ではないか、と言っているように 思いますが、みなさんはどうでしょうか。 “下積み”という言葉からは、辛い、苦しいというイメージしか湧かないように 思いがちですが、実際は自分の財産になるものだと考えるべきなのです。 下積みとは、基礎作り、基本づくりです。 見方によっては、厳しい時期かもしれませんが、その時期にしかできない経験 ができる、貴重な財産にもなります。 経験を積むというのは、楽しいことも苦しいことも、すべてを教訓にして成長 の肥やしにするもの、と考えれば前向きな気持ちにもなれます。 下積みの時期の経験は、回り道のように思えても、無駄にはならない経験と なるでしょう。 (by ハートリンクス)
2021年06月30日
【誰かのためだから、頑張れる】 学校の成績も、仕事での成果も、一番になったり周りから認められたときは、 とても嬉しいものです。 それは、自分が認められたいと思って努力したからです。 しかし、人は自分のためではなく、誰かのために頑張ろうと思ったら、自分で 想像した以上の力が生まれます。 新型コロナ感染の影響で、オリンピックの開催について賛否両論の意見がある ようです。 この中でも、オリンピック代表に選ばれていく各競技の選手たちのコメントを 聞くことも多くなりました。 ある選手が代表選手に選ばれてインタビューに答えていました。 「これまで周りの人たちのサポートがなかったら、今の私はなかった」 と、涙を流しながらのコメントには、見ているほうも感動してしまいます。 これは、コロナに感染するかもしれないという危険を背負って、練習に取り組 むには、自分一人の力だけでは無理だったからです。 さらに、みんなのために頑張ろうという気持ちが、結果にあらわれたのです。 東北大震災の後、4ヶ月が過ぎて、ドイツではサッカーの女子ワールドカップ が行われ、「なでしこ」チームが優勝しました。 チームのみんなは、被災地のビデオを見て涙を流し東北で苦しんでいる人たち のために頑張ろう、と誓い合いました。 澤選手は次のように語っています。 「私たちが勝つことにより、何かを失った人、誰かを失った人、怪我をした人 彼らの気持ちが一瞬でも楽になってくれたら、私たちはまさに特別なことを 成し遂げたことになるのです。 こんな辛い時期だからこそ、みんなに少しでも元気や喜びを与えることが できたら、我々の成功となります。多くの人々の生活は困窮しています。 私たちは、その災害の事実を変えることはできませんが、日本は今復興を 頑張っているのだから、そんな日本の代表として、復興を決して諦めない 気持ちをプレイで見せたかったのです」 誰かのために頑張ることは、自分も含めて多くの人たちも元気になれます。 それがさらに、自分の幸せになっていくのだと思います。 (by ハートリンクス)
2021年06月29日
【仕事を通して自分を磨く】 仕事は、生活に必要なお金を得るためのものですが、唯一それだけが目的で はないことは言うまでもありません。 仕事によって、社会に貢献できると同時に、いろんなことを学べるのも仕事 です。 最近では、仕事そのものがないという状況もありますが、それでも仕事に対 する考え方をどのようなものにするかは大切なことではないでしょうか。 靴磨きの名人と呼ばれる、井上源太郎さんという人がいます。 永田町のキャピタルホテルの地下にあったお店で、40年間靴を磨き今では ホテルオークラで仕事を続けています。 かつての総理大臣や、ジャイアント馬場、ビートルズ、マイケルジャクソン も井上さんに磨いてもらったそうです。 どうしてそのような技術が生まれたのでしょうか。 理由の一つは、靴クリームです。井上さん独自で、クリームを調合していて 靴に最適なものを使うため靴が輝くのです。 さらに、研究のために世界の高級ブランドの靴を自分で購入して、その靴に あったクリームを調合し研究します。 さらに、技術だけではなく人柄もあります。 外国人のお客も多いので、英語も話せます。フランス語でも会話できます。 短い時間でも、お客を退屈させないためにコミュニケーションの必要性を 自覚されているのです。 中には、海外から磨いてほしいといって送ってくるお客もいるそうです。 また、井上さん自身が、仕事を通して自分を磨こうという姿勢があるから高額 な海外ブランドの靴を買ってでも研究する熱意が生まれるのでしょう。 世界の賢人の一人である、ブッダは生きていることそのものが仕事である、と 語りました。 さらに、その仕事は自分の命を支えるものでありながら、人の命をも支えて、 他に役に立つものであるとも言います。 誰かの役に立つというのは、喜んでもらうことにもなります。 その結果として、お金という収入を得ることになるのです。 仕事で自分を磨き、生きることに喜びを感じる人生を送りましょう。 (by ハートリンクス)
2021年06月28日
【起きた出来事は、必然必要なもの】 人生には、思いもかけない出来事が突然起きるものです。 よいことも悪いことも、前ぶれなくやってきます。 仏教に「諸行無常」という言葉があるように、世の中にはいろんな出来事が 起きながら変化していきます。 ただ、その出来事が起きるたびに右往左往していては、心は落ち着きません。 多少の動揺はあっても、しっかりした考え方を持っておくべきです。 昔、インドのある国にとても優秀な家臣がいました。 その家臣は、王様から「これについて、おまえはどう思うか?」 と聞きますが、どんな相談にも同じような言葉で返答しました。 それは「起こることは、すべて最高でございます」というものです。 何が起きようが、その返事を聞けば王様も悪い気分にはなりませんでした。 そのため、その家臣は王様からの信頼が強くなり、他の家臣はやきもちを抱く ようになったのです。 優秀な家臣をおとしめようと、他の悪い家臣たちがあることを計画します。 悪い家臣たちが、優秀な家臣に聞いてきました。 「王様がケガをされたが、どう思う?」 この問いに優秀な家臣は、いつものように「起こることはすべて最高」と答え れば、自分が王様のケガを喜んでいると思われる、と思いました。 しかし、彼は「起こることは、最高でございます」と悪い家臣たちに言うので した。 悪い家臣たちは、そのことを王様に告げ口をしました。 「王様、彼は王様のケガのことも最高と言っております」 王は、怒りその優秀な家臣を、牢獄に入れたのです。 ある日、王様は狩りに出かけました。 ところが、王様は人食い部族の一味に捕まってしまいます。 そして、その部族は儀式のときに人を生け贄(にえ)として、火あぶりにする のですが、直前に王の手にケガがあるのを見つけました。 部族には、体に傷があれば生け贄はできないしきたりがあり、「もうお前には 用がない」といって、王様を解放したのです。 無事に戻ってきた王様は、優秀な家臣を牢から出して謝罪しました。 「私がケガをしたのは、おまえが言ったように最高の出来事であった。どう すればこの過ちをつぐなえるだろうか」 優秀な家臣は次のように言いました。 「もし、私を牢獄に入れてくださらなかったら、私はいつも王様から離れない ので、私もいっしょに捕まっていたと思います。そして、ケガをしていない 私が生け贄になっていたことでしょう。 ですから、私は牢獄に入れていただいて最高だったのです」 王は、「人生で起きることは、本当に最高なのだ」と悟ったのです。 どんな出来事であっても、必然で必要なことである。 このような考えを「肯定感謝」と言います。 松下幸之助さんは、体が弱く貧乏だったからよかったのだ、そのおかげで人の 力を借り、会社を大きくできた、と言っています。 京セラを創業した稲盛和夫さんも、若いころ結核になったおかげで、自分の心 の持ち方で人生が変わることを知った、と言っています。 成功者や幸福に生きている人たちに共通するのは、病気や貧乏という、見た目 では不幸な出来事を、必然で必要なものだったという考え方をしています。 物事、出来事はどんな見方、とらえ方をするかで、私たちの生き方も大きく 変わるものなのです。 (by ハートリンクス)
2021年06月27日
【住んでいる環境の良し悪しはその人しだい】 「環境が人をつくる」、ということを言います。 とくに、家庭環境が良くない家で育つ子どもたちの中には、育児放棄や虐待で 取り返しのつかないことになることもあります。 このような場合は、環境が人をつくるということは正しい考え方であるといえ るでしょう。 今、世界中で住む国から追われている難民の人たちは、約8000万人いるそう です。 人類の1パーセント近くが、基本的人権のない生活をしています。 このような恵まれない人々を除いて、話をしたいと思います。 次のような逸話があります。 ある町に旅人がやってきました。町の入り口に一人の老人が座っています。 旅人は、老人に聞きました。「この町は住みやすいところですか?」 老人は言いました。「今まであなたがいた町はどんなところでしたか?」 旅人は答えました。 「その町は、嫌いな人ばっかりでよいところではありませんでした」 老人は言いました。 「そうですか。ここもあなたが今まで住んでいた町と同じですよ」 別の日に、今度は違う旅人がやって来て、老人にたずねました。 「この町は住みやすいところですか?」 老人は言いました。「今まであなたがいた町はどんなところでしたか?」 旅人は答えました。 「ええ、その町はとてもいいところで、みんな親切でした」 老人は言いました。 「そうですか。ここもあなたが今まで住んでいた町と同じですよ」 この物語が意味するのはどんなことでしょう。 それは、住みやすいかどうかは、その人の生き方や考え方で変わるものである ということです。 斎藤一人さんの話ですが、斎藤さんは1948年戦争が終わって3年後に生まれ たそうです。 当時はまだ、日本は焼け野原に近い状態でしたが食べるものだけは、どうにか 確保できていました。 斎藤さんは、満腹になることはなかったにしても食べることができただけでも 幸せだと考えました。 大きくなり、中学校を出てすぐに働いて今では会社を経営しています。 斎藤さんは、当時から「自分は運がいい、恵まれている」と思ったそうです。 着ている服はいつも同じものでも、生きていけるだけで運がいい、ツイている と考えました。 自分の目の前の現象を不幸だとは思わなかったのです。 これは、人が環境を変えたという一つの例です。 人は、環境でつくられることもあれば、人が環境をつくることもあるのです。 もし、環境が人をつくるものであると捉えてしまえば、人間は環境の奴隷で あることになります。 人は環境を変えていける存在です。 あと、数十年後、世界の難民の中から世の中を平和にするような、素晴らしい 指導者が出てくることがあるかもしれません。 そのとき、その指導者は「人間は環境を変えることができる」と語るかもしれ ません。そんな時代が早く来てほしいと願っています。 (by ハートリンクス)
2021年06月26日
【やりたいことには即、行動を】 何かについて、興味や関心が湧きおこった経験の一度や二度は、誰にもある ことでしょう。 多額なお金が必要とかいう場合は、たしかによく考えてから、というのはごく 自然なことです。 しかし、それ以外のことで「やってみようか」と思ったら、行動に移してみる ことです。 そのときがチャンスだと言えるかもしれません。 数年前の話です。 落語家の笑福亭鶴瓶さんは、仲良しの俳優ムロツヨシさんがインスタグラムに 投稿すると、すぐにフォロワーから「いいね」がつくことを聞いて、それを とても羨ましいと思っていました。 しかし、残念ながら鶴瓶さんはスマホの操作にあまり慣れていません。 あるとき、知人と食事をしながら「インスタグラムをやりたい」、云々と話し ていました。 すると、隣の席から知らない人が、「お手伝いしましょうか?」と声をかけて くれたのです。 その人は、インスタグラムに関わる会社の社長さんだったそうで、手伝って もらい開設できたそうです。 その結果、2020年の12月には58万人のフォロワー数になりました。 この出会いは偶然でも、鶴瓶さんはどこに行っても有名人ですから目立った 存在感があるのは当然です。 しかし、「インスタグラムをやりたい」という会話がなければその社長さんと のきっかけは生まれていなかったはずです。 やりたいことがあれば、言葉に出して言う。これも行動です。 「~~をやりたいけど、スキルがないから勉強してからはじめよう」 と思う人もなかにはいるかもしれません。 しかし、やりたいと思ったとき、何かのアクションを起こせばそこから展開 していくものです。 興味や関心があること自体、自分の新たな能力が生まれる兆しだと考えてみ ましょう。世界が広がり、自分自身の視野も人間性も広がっていきます。 (by ハートリンクス)
2021年06月25日
【人生の設計図】 子どもの頃、将来はどんな職業につきたいか、をよく聞かれたことがあると 思います。 そのような時代は、夢に近いあこがれる仕事を思いついたりします。 しかし、だんだん大人に近づくと、現実の厳しさに直面し希望する仕事に就く のも簡単ではないことに気づきます。 本当なら、中学から高校時代に、自分の人生設計をきちんと考えるべきなのか もしれません。 その年齢になると、自我意識や社会性もある程度の理解はできるようになって いるからです。 西暦1100年頃、中国の宋の時代に朱 新仲(しゅしんちゅう)という賢人が いました。 当時の政治が乱れていたこともあり、改革の必要性を説きますがうとまれて、 約20年の間、流浪の生活をした人物です。 この朱 新仲が、「人生の五計」を示しました。 要約しますと、 1、「生計」・・・人として、どのような生き方をするべきか。 2、「身計」・・・人として、どう社会に貢献するか。 3、「家計」・・・どのようにして家庭を営むか。親子、夫婦のあるべき姿。 4、「老計」・・・どのような老い方をするか。いかに老後を過ごすか。 5、「死計」・・・どんな死に方をするか。 ということになります。 この中で私たち日本人が苦手とするのが、4の「老計」つまり、どんな老い方 をするか、いかに老後を過ごすかという分野だと言われています。 その前に、「老いる」ということの意味を少し考える必要があります。 これからの社会は、平気寿命が90歳を超えていく時代になるのは間違いない ようです。 「老いる世代」ではなく、「円熟世代」という考えを持って、どのような社会 参加をするか、社会貢献をするか、を基準に設計していくのが大事なことでも あるのです。 ただ、漫然と時を過ごすのではなく、経験と視野の広さにおいては若年層の人 よりも優れたところを社会に役立てていこう、という意欲を持つことが大事な ことです。 (by ハートリンクス)
2021年06月24日
【心をほぐす言葉を持とう】 マスクをかけながら人との会話をすることが日常の光景になりました。 そのために、人と人との心の交流をする機会が減り、孤独感を感じる人も増え ているそうです。 気軽に話しかけることすらできないことで、これまで何とも思わなかった家族 や、友人、知人との会話がなつかしく思えます。 ある病院では、入院患者さんに食事を配膳するとき、何かひと言やさしい言葉 をかけたときと、何も言わないでただ配膳したときを比べると、やさしい言葉 をかけてあげた患者さんの食べる量が違うそうです。 つまり、やさしい言葉をかけてあげたほうが食欲が増す、ということですね。 これは、やさしい言葉をかけられると、体に中によいホルモンが生まれてくる という証明です。 禅の言葉に、「喫茶去」(きっさこ)というものがあります。 これは、簡単に言いますと、「まあ、お茶でも飲んでいきませんか」と声を かけて、ゆっくりした気持ちになってください、という思いやりの言葉にも なっています。 茶道家の中には、この「喫茶去」の掛塾を好む人が多いようです。 本来の茶道の精神も、心を落ち着かせる、あるいはそのための鍛錬としてお茶 をいただくことにあると思います。 家族でも、日本茶をあえて飲まなくても、ジュースやコーヒーでも飲みながら 会話する、声をかけることで、心が落ち着くことがあります。 この時間は、お金では買うことのできないものです。 そのときに、いろんな会話を通して、お互いの気持ちが通じ合っている確認を するのです。 相手によって、心がくつろぐような言葉にも違いがあると思います。 家族の誰かに限らず、職場の仲間に、もし声をかけるとすればどんな言葉が いいだろうか、と考えるだけで心が豊かになります。 会話することが普通ではない時代だからこそ、人の心の温かさを感じること を大切にしていきましょう。 (by ハートリンクス)
2021年06月23日
【人間に生まれる確率について】 人間の知能はすぐれていますが、人が人の生命をつくることはできません。 生命の存在自体を、ダーウィンの進化論では説明できないのではないかと、 指摘されているのが、筑波大学の名誉教授・村上和雄博士です。 村上博士は日本の分子生物学者で、遺伝子の専門家でノーベル賞の候補とも 評価されていた人です。 その村上博士が、人間に生まれる確率について次のように語っています。 「1億円の宝くじが100万回連続で当たる確率が、人間の細胞1個が生まれ る確率。一人の人間の細胞は、約60兆個。 つまり、1億円の宝くじが100万回連続で当たる確率 × 60兆個が 人間に生まれる確率」だそうです。 また、村上博士は人間の遺伝子は実際に働いているのは全体の5~10%で、 残りは働いていない、とも語っています。 お釈迦様も、人間に生まれる確率について次のようなたとえ話をしています。 有名な「盲亀浮木」(もうきふぼく)の話です。 かいつまんで言いますと、目の見えない亀が海にいた。その亀が100年に 一度海面に顔を出すそうです。その広い海には一本の丸太が漂流していて、 しかも丸太には小さな穴があいている。その丸太の小さな穴に亀が頭を入れ ることがあるか。 常識的にはあり得ないことですが、お釈迦様は、人間がこの世に生まれるのは この亀が海を漂流する丸太の穴に頭を入れるより難しいことだ、と説かれて います。 つまり「有(あ)ることが難(むずかしい」ことを、有り難(がた)しと 言い、これが日本語の「ありがとう」という言葉の語源です。 仏典の一つにある「法句経」(ほっくきょう)にも、 「人の生を受くるは難く、やがて死すべきもの。今、いのちあるは有り難し」 という言葉があります。 人間に生まれてきたこと自体が、あり得ないぐらいの確率なのです。 また、村上博士は、眠っている遺伝子のスイッチをONにするには、私たちは もっと自然とのふれあいを通して感動したり、芸術や文化に感動すること、 毎日笑うことが大切であると言われています。 今ある自分の命は、天文学的な確率をくぐり抜けてきた存在であって、さらに 遺伝子の力をまだ十分に発揮していないことを再認識しましょう。 (by ハートリンクス)
2021年06月22日
【自分を好きな人ほど幸福感がある】 クヨクヨする人や、考えすぎる人に共通しているのは、心の中で自分を嫌い だと思っていることです。 こんな自分ではいけない、もっと頑張らなくては、と自分を励ましているのは よいことです。 しかし、その考えだけで人は頑張り続けるのは無理なのです。 森田療法で有名な精神科医・森田正馬(まさたけ)先生は、神経質な性格の人 がなりやすいといわれる神経症の治療に大きな功績を遺しました。 森田先生は神経質な人の特徴をいくつかあげています。 ・完全主義な傾向が強い ・後悔、反省の気持ちが強い ・執着心が強い ・心配性である つまり、自分は完全でなければならない、という気持ちが強すぎるのです。 これは、自分自身の評価の仕方が減点法であるともいえます。 100点からスタートしているため、自分のよくないところをどんどん減点して いきながら、片方では、100点満点でないと気が済まないのです。 そして、100点に近づこうとして、反省したり、心配したりすることを延々と 行います。 この考え方を改善するために、森田療法では、感情をありのままに感じつつ、 何かの行動をしている自分自身をしっかり認知する、これをくり返すことを 治療としました。 もし、自分は50点でいいという気持ちでスタートしたらどうでしょう。 いわゆる加点主義の生き方になります。 もともと50点ですから、後悔や反省もするかもしれませんが、まあいいか、 という具合に思うことができます。 何かやるにしても、100点でなくても50点取ればいいわけですから、加点 できるようなことができれば、気分がよくなり、「やればできじゃないか」と 自分を肯定できるのです。 自分自身を肯定している人ほど、性格は陽気で幸せそうな雰囲気を感じたり することはありませんか。 この意味では、完全主義は自己否定につながりやすいともいえるでしょう。 自分で自分に点数をつけるなら、50点でもいいという発想で考えることも 大切です。 もちろん、上を目ざしていくことは成長することになりよいことです。 自分を好きになりながら、認めながら、成長する生き方に変えてみましょう。 (by ハートリンクス)
2021年06月21日
【物事は正しく見ていこう】 どんなことにでも、正しい見方をするのは簡単ではありません。 私たちは、どちらかといえば先入観念というものを持って、物事を見ている ことが多いのです。 ニュースでも、タイトルや見出しに興味があればすぐ見てしまいます。 もちろん、発信する側はいかにして、刺激的な言葉で関心を持たせるかをよく 熟知していますので、その仕掛けに乗ってしまうのが私たちです。 今も、これからも私たちは、物事を正しく、ありのままに見ていくということ をよく考える必要がありそうです。 昔、蓮如上人という、とてもすぐれた人物がいました。 蓮如上人は浄土真宗の基礎をつくった親鸞聖人が入滅して、150年後に生まれ ました。 当時は、浄土真宗も勢いがなくなっていましたが、その教えを再び布教し広め たのが蓮如上人です。 その蓮如が町を歩いていると、大きな松の木のまわりに、たくさんの人が集ま りガヤガヤと騒いでいます。 蓮如が何事かと思って近づいていくと、松の木の下に立札がありました。 立札には次のことが書かれています。 「この松を真っすぐに見た者には、金一貫文を与える 大徳寺・一休」 あの、トンチで有名な一休さんが立札を立てていたのでした。 人々は、お金を手にしたいと思い、どうすれば曲がっている松を真っすぐに 見ることができるだろう、と木に登ったり、見る位置を変えたりしえいます。 そのとき、蓮如は言いました。 「なに、簡単なこと。私は真っすぐに見たよ」 蓮如はこの立札の問いに答えたのです。 「曲がった松を、『曲がった松だな』とありのままにみるのが、真っすぐに 見るということです。 白いものは白、黒いものは黒、とありのままに見るのが正しい見方です。 これを正見(しょうけん)と言うのです。 曲がった松を、どうにかして真っすぐに見ようとするのは、曲がった見方 です。それを、邪見(じゃけん)と言うのです」 そこにいた人々は蓮如上人の言葉に、なるほどと思ったと伝えられています。 「正見」というのは、お釈迦様の教えの一つです。 これは、物事を見るときの心がまえであると同時に、心を見るときも同じこと です。 お釈迦様は、悩みや苦しいという気持ちにも、ありのままに見なさい、と教え ています。 そのような感情もありのまま見ることが、悩みや苦しみから抜け出すには必要 だと説いています。 感情をありのままに見るということは、自分に冷静になるということです。 これは感情のコントロールする力にもつながるのです。 この教えは、現代心理学にも通じるところがあります。 すでに、仏教心理学では、現代心理学・精神医学に応用されていることが証明 されています。 ありのままを真っすぐ見る、という心を持っておくと突然の出来事にも取り乱 されなくなるでしょう。 (by ハートリンクス)
2021年06月20日
【心の中に踊り場を持とう】 神社・仏閣などの長い階段には、途中に踊り場があります。 何のためにあるのかといいますと、ひと息つくために作られた場所です。 階段も一気に登れば疲れてしまいます。 疲れが出るちょうどいいタイミングに、踊り場があると再び元気になれます。 禅の言葉に「七走一坐」(しちそういちざ)というものがあります。 意味は、七回走ったら一回は止まって坐りなさい、休息をしなさい、という いうことです。 毎日の仕事で疲れたら、しっかり休むことが必要です。 肉体的な疲れも、心の疲れも、休息すると忙しいときにいろいろ考えていた 問題について解決できるきっかけをつかむこともできます。 階段の踊り場に来たら、自分が登ってきた階段を振り返って眺めることで、 新しい力が生まれるかもしれません。 ベートーヴェンは作曲するとき、疲れて行き詰まったら近くの森に散歩に行き 気持ちを切り替えていました。 それが、新しい曲作りのヒントになったそうです。 「坐」という文字ですが、「土」という文字の上に「人」が二つあります。 もともと「すわる」という意味がありますが、土の上にすわり、自己を見つめ るということです。 人という文字が二つあるのは、目に見えている自分と、本当の自分、のことを さしています。 つまり、坐禅とは本来、自分と自分を対峙するということです。 座禅もおなじですが、坐に广が組み合わさり、屋内などですわる、ということ になります。 アメリカなどで坐禅に人気があるのは、現実の忙しさのために、置き忘れて いる自分を取り戻すためのツールになっているからです。 これが、マインドフルネというものです。 すわって自分を見つめ、本当の自分を取り戻す、という生活のリズムを持つと ストレスもたまり過ぎず、心身健康な日々を送ることができます。 自分を見つめる時間をつくりましょう。 (by ハートリンクス)
2021年06月19日
【完璧主義の落とし穴】 人の性格は千差万別です。 いろんな要素が混じりあっているものです。 陽気さと短気なところを持っている人もいれば、ときによって、陽気な人が 落ちこんでしまうこともあります。 しかし、それでかまわないのです。 几帳面な人でも、たまにズボラになったほうがバランスもとれて、よい刺激に なることもあります。 ある住職の方の経験談です。 この方が、アメリカの大学に留学されていたときの話です。 もともとOCD(強迫性障害)の傾向があったそうです。 どんな感じかと言いますと、テーブルにあるリモコンの位置が、いつも同じ ところじゃないといけない、と思ったり、本棚の本の高さが揃っていないと 気になります。 大学で論文を読んでいたとき、一行読んでみて意味が理解できないと、その次 に進むことができないことがありました。 それを知った先生からは、「論文OCDになってはいけない」とよく注意された そうです。 先生は「論文は全部完全に読もうと思わないで、いい加減に読みなさい」と 指導されたのです。 論文を読むときは、最初と結論を読み、あとは目次の中から興味のあるところ を探して読んでいく。 そうすることで、読むコツが身につくということでした。 この若いときの経験で、住職は意識的に完璧主義を捨てることができるように なったそうです。 私の知人の一人にOCDの方がいました。 子どもさんが二人で、ご主人も大手企業に勤めています。 もともときれい好きで、書道もこなしますが手を何度も洗ってしまうのです。 今の時期は、仕方がありませんが、ただ何度も洗わないと気持ちが落ち着かず すぐに洗面所にいくという状態でした。 性格も完璧主義のタイプです。 とりあえず、しなければならないと思うことの7割ができたらそれで十分だ、 と考えるように習慣づけをしてみては、と伝えしばらくするとだいぶよい感じ になりました。 こうしなければいけない、という考えが続くとできない自分を責めたくなり ストレスもたまっていきます。 自分をどこかで開放することは大切です。 こうしなければいけない、と思う自分のほかに、いい加減な自分もいると考え ることができれば、気持ちがスッと軽くなります。 その感じがわかると、自然に完璧にやらなくてもいいようになれます。 完璧であろう、というこだわりが過ぎると苦しみが生まれます。 完璧でなくとも、楽しく生きていくことはできます。 どうせなら、楽しい人生を送りましょう。 (by ハートリンクス)
2021年06月18日
【サポート役も必要な仕事です】 どんな仕事も自分一人の力だけでは、やり遂げることはできません。 人間社会は、人と人が互いに支えながら成り立つものです。 サポートという仕事は、表面に現れなくても、なくてはならないものです。 スリランカの世界遺産に、「シギリヤロック」と呼ばれる観光地があります。 ここは、「鏡の回廊」(ミラーウォール)といわれています。 この場所には、あるエピソードがあります。 昔、王様が二人の絵描きを呼び、大きな岩に絵を描くように依頼しました。 一人の絵描きは、王様の指示通りに岩に書き続けます。 ところが、もう一人の絵描きは、絵を描かずに岩の壁面を黙々と磨いている のです。 月日が過ぎ、王様は、もう絵が描き上がっているころだと思い、岩場を訪れ ました。 絵を描いていた絵描きの岩は、とても見事な壁画になっています。 王様は、それを見て「よくやった! 素晴らしい絵ではないか!」と満足して います。 しかし、岩を磨いていたもう一人の絵描きの岩には、何も描かれていません。 王様は怒りました。 「何をしていたんだ! なんにも描いていないではないか!」 その絵描きは、ゆっくりと静かな口調で言いました。 「王様、もう少し前に来て、そこの岩を見てください」 すると、彼が磨いていた岩は鏡のようになっていて、向かい側にある絵描きの 壁画が、本物以上に美しく幻想的な光景が映し出されていたのです。 王様は、その美しさに我を忘れるほど感動したというお話です。 岩をひたすら磨いた絵描きは、反対側で描く絵師の技術の高さを見抜き、自分 はその絵のサポート役に徹しよう、それが、その絵のよさをさらに引き出すと と考えたのです。 さらに、絵を描くという同じ仕事をするにしても、同じ目標に向かうことが 大切なことであり、自分がサポート役になっても仕事の価値は同じである、 と思ったのでした。 互いの技術を高めるために、切磋琢磨することも大事ですが、一つの仕事や 目標を成し遂げるには、それぞれの役割を果たすことが重要です。 いつも自分が目立つような仕事をしたい、と考えるのも悪くはありません。 しかし、ときによってはサポートする側にまわることで、人の気持ちを理解し まわりの協力のありがたさに気づくこともできます。 (by ハートリンクス)
2021年06月17日
【現状不満タイプは損をしやすい】 学生の人たちは、自分の能力に満足していないから勉強する、と考える人が 多いと思います。 その考えは十分理解できます。例えば成績が15番なら、10番に上げたい、 さらにトップ10には入りたいと思うでしょう。 つまり15番という成績に不満があるから、上を目ざせるのではないか。 不満は自分を成長させる原動力だ、という考え方は間違っているとは思いま せん。 つまり、一時的に、自分への不満を発奮材料にすることが必要なときもある でしょう。負けん気の強い人ほどそう思いがちです。 しかし、不満を出発点にするより、現状肯定をしっかり行いそこから上を 目ざしていく方がエネルギーはより長く続きます。 とくに、社会に出てみると現状不満型タイプの人より、現状肯定型タイプの人 が、ストレスとうまくつき合えるのです。 日本を代表する経営コンサルタントの船井幸雄さんは、独立する前は現状不満 型タイプだったと、自身を振り返っています。 仕事で失敗が続くと、毎日が不満で、人からさげすまされ、自己卑下になり、 反面背伸びをしすぎては、自己嫌悪に陥ったそうです。 このようなことではいけないと考えた結果次の結論に達したのです。 「現状への不平不満や否定は、活力を生み出すよりも、自己弁護とか逃避に つながり、周辺の人を不愉快にすることが多く、またそれによって活力を 生んだとしても、他の人々からの応援を失うことになり、決して得策では なく、成功への道を自ら閉ざすことになる」 それ以来、現状に満足し、その上で夢や目標に向かって進むことができたと 語っています。 『不満や批判は感謝に勝てない』といいますが、現状肯定するのがなぜいいか というと、肯定すると感謝する思いが目覚めるからです。 十分に恵まれていなくても、肯定することで現在に感謝したくなるような気に なるのです。 恵まれていても不満を持つより、恵まれなくても感謝できる生き方のほうが はるかに得をしていることになります。 人生は長いものです。 今の自分に満足はできなくても、不満に思う必要はありません。 満足できない中に、肯定できるところがあれば素直に認めることが大事なの です。 プラスエネルギーも肯定することから生まれます。 その生き方が、結果的に得をすることになっていきます。 (by ハートリンクス)
2021年06月16日
【幸運はどこから生まれるか】 幸運とは、偶然にあらわれるもののように感じるかもしれませんが、実際は そうではないようです。 運をよくするには、当人の努力が一番の条件です。 つまり、勤勉であるということです。 日本では、勤勉な人と言えば、二宮尊徳(二宮金次郎)という代表的な人物 がいることを学校で教えてもらいました。 数十年前、小学校などには、二宮尊徳の像が建っていましたが、今では見かけ ることはありません。 アメリカでは、勤勉な人と言えば、ベンジャミン・フランクリンです。 政治家・実業家・著述家で、現在でもアメリカの100ドル札の肖像に描かれ ているほど親しまれています。 このベンジャミン・フランクリンが勤勉であるには習慣が大事だと後世に遺し たのが「フランクリンの十三の徳」というものです。 みなさんがよくご存知の、宝塚音楽学校で入学式のときに必ず歌われる歌が あります。 それは、「金剛石・水は器」(金剛石の歌)というものです。 この歌は、フランクリンの十三の徳の教えに感銘を受けられた、明治皇后が 詠まれた歌に曲がつけられたものです。 金剛石の歌 1、金剛石も磨かずば 玉の光はそわざらむ 人も学びてのちにこそ 真の徳はあらわるれ 時計の針のたえまなく めぐるがごとく時のまの ひかげおして励みなば いかなる業かならざらむ 2、水はうつわにしたがいて そのさまざまになりぬなり 人はまじわる友により よきにあしきにうるつなり おのれにまさるよき友を えらびもとめて もろ共に こころの駒にむちうちて まなびの道にすすめかし フランクリンの十三の徳とは、次のものです 節制・沈黙・規律・決断・節約・勤勉・誠実 正義・中庸・清潔・冷静・純潔・謙譲 どれも常識的なこと、道徳的なことです。 幸運というのは、常識と道徳の中から生まれてくるものです。 その中でも最も重要なのが、勤勉であるということでしょう。 年を重ねるにしたがい、常識や道徳から少しぐらいはずれても妥協してしまう こともあります。 それでも、本来のあるべき心がまえとして自分の中に刻み込んでおくことは 大事なことだと思います。 (by ハートリンクス)
2021年06月15日
【どんな境遇でも自分しだいで変わる、と考えよう】 私たちの心は、今いる境遇や環境の影響を受けやすいものです。 自分で恵まれた境遇だなと感じているなら、どちらかというと余裕のある心の 状態だと言えます。そしてその境遇に感謝する人もいれば、もっと恵まれたい と不満を感じる人もいます。 反対に、恵まれていない境遇でも、感謝できる人がいれば、その環境に不満を 持つ人など、さまざまです。 菜根譚の一節に次のような言葉があります。 『逆境のなかにいるときは、身辺におこるすべてが良薬となっていることに 自分では気づいていない。 他方、順境にあって、万事順調であるときは、天が味方をしてくれている ように思うかもしれないが、本当はそんなときほど注意をするべきだ』 つまり、人の心は境遇に左右されやすいものであるから、どんな境遇でも動じ ることのない心を持っておかなければならない、と警鐘を鳴らしています。 この動じない心を、自分しだいで持つことができるのが人間の力です。 最近、日本政府が台湾にコロナワクチンを無償で提供するという報道がありま した。 東北大震災のとき、いち早く物資の援助をしてくれたこともあり、政府として 当時の恩返しを、というものです。 その台湾政府の閣僚に、オードリー・タンという人がいます。 現在40歳ですが、タン氏には生まれつき心臓に病気があります。 心室中隔欠損症といって、心室と心室の壁に穴がある病気です。 ですから、虚弱な体で感情が高ぶると、卒倒してしまうのです。 当然、いじめに遭い幼稚園は3つ、小学校は6つ変わりました。 中学校は、1年だけ通い14歳になると退学しようと考え、自分はこれから どうすればいいか、と悩みました。 そのときに、学校の先生が「すべては君しだい」と言ったのです。 この言葉でタン氏は、自分の人生に責任を持つのは自分である、ことに気づき ました。 当時、インターネットで勉強していて、小中高の科学技術展コンクールで 1位になっていたそうです。 それから多くの研究者との出会いがあり、台湾行政院のデジタル担当の大臣を 務めるまでになりました。 タン氏はトランスジェンダーです。 次のようなメッセージを発信しています。 『欠陥は、あなたが貢献するための招待状』 『すべての物にはひびがある。そして、そこから光が入る』 どんな境遇でも、どんな環境でも、自分の心しだいでどんな生き方もできる。 これが、私たち人間の素晴らしさでもあるのです。 (by ハートリンクス)
2021年06月14日
【根を張る生き方をしよう】 高い樹木は根も深く、長いと言われています。 なぜかと言いますと、上に伸びるには下にしっかりとした根がないと、樹木 は立っていられないからです。 ただ、上に伸びればいいというものでもありません。 たとえば、果実のリンゴやミカンなどの木には、ある時期に間引き剪定という 作業を行います。 私の母方の実家が、ミカンの農家で小さい頃はよくミカン収穫の手伝いをした 記憶があります。収穫するまでには、手入れが大変です。 手入れの一つが剪定です。 「果断」という言葉があります。 「果断」とは、思い切りよく果実を断つという意味です。 よく「勇猛果敢」という言葉を使いますが、「勇猛果断」とも言います。 なぜ剪定が必要かと言うと、一本の木になるミカンが多すぎると、美味しい ミカンが獲れないからです。 一本の木に応じたミカンの数は、いちばんおいしい状態に維持する必要があり ます。 さらに、余分な枝や果実を取り除くことで風通しをよくし、太陽の光を適度に 受けることもできるからです。 さて、私たちの人生にも同じことが言えます。 人生にも「果断」しなければならないときがあります。 果断の「断」は断捨離の断です。 断捨離はヨガの教えで、断は不要なモノを断つ。捨は不要なモノを捨てる。 離はモノからの執着を離す、ということです。 つまり、身の回りにあるよけいな物だけではなく、私たちの心の中にある不要 な心や感情の断捨離をすることが大切です。 老子の言葉に、 「深根固柢、長生久視の道なり」 (しんこんこてい、ちょうせいきゅうしの道なり)というものがあります。 人の心は、根を深く張り底を固くすることだ、そうすれば、物事を長い目で 見ることもでき、長生きできるようになる、という意味です。 そのために必要なのが、「果断」の精神です。 心の風通しをよくして、光を当てれば暗い気持ちも消えてしまいます。 この生き方で快適な人生を送りましょう。 (by ハートリンクス)
2021年06月13日
【いい言葉を使って、気持ちを高めよう】 言葉は人と人とをつないでくれます。 さらに、自分の意思や気持ちを伝えるためには、言葉を使うかメールなどの SNSを使ったりします。 言葉であれ、文字であれ、表現の違いはありますが、発信者の性格もよく表れ ます。 ただ、その言葉も感情にまかせて使い続ければ、受け手を傷つける場合もあり ます。 言葉の使い方で、感情の作用について研究しているある人が、興味のあること を本に書いています。 それは、仕事で取引先にメールを送った内容の比較です。 業務委託費の交渉で、価格見直しのお願いがメールの件名です。 件名 「業務委託費の価格見直しの件」 内容 「予算が削られ、現状の委託費は払えません。 価格を見直していただけませんか。 もう少し、安くなりませんか。とにかく予算がないのです。 私の立場を理解して下さい。 私も頑張っているので、なんとかして下さい。」 この内容を、まとめて、章立ての表現にすると、次のようになるそうです。 件名 「もう無理」 はじめに どうして私ばかり 第1章 あれがない 第2章 これがない 第3章 だからできません 第4章 私を助けて! 終わりに 何もしてくれないなんて となります。次に、まったく逆の思考で違う言葉を使って、章立ての表現に するとこのようになります。 件名 「きっとできる」 はじめに 自分が変わる、自分で変える、自分が変える 第1章 できる 第2章 やれる 第3章 私がやります! 第4章 もう大丈夫 おわりに おかげさまで、私、成長できます! (高山 直著「感じる力の磨き方」より) いかがでしょう。言葉を変えて、文章を変えればこのように違いがあります。 後者は、明るい言葉を使っているために、読む側にも力強さを感じます。 つまり、言葉にはエネルギーを生む力があるということです。 しかも、マイナスエネルギーにもプラスエネルギーにも力があるのです。 言葉は、性格をつくるとも言われています。 私たちは、知らないうちにマイナスエネルギーの言葉で考えているときが あります。 もし、そのような自分に気づいたら、プラスの言葉で上書きをするように 心がけましょう。 言葉は上書き可能です。 現在意識の習慣でなかなかうまくいかないと思いがちですが、何度もくり返す うちに奥深く浸透し、人生も明るい方向に進むはずです。 (by ハートリンクス)
2021年06月12日
【自分を遠くから見つめてみよう】 私たちは、人から自分の欠点を言われると、いい気持ちはしないものです。 その欠点を自分が一番わかっているからこそ、指摘されたくないのかもしれま せん。 ただ、人を育てたりする場合は、なるべくその人の長所を見て伸ばし、欠点は 見ないようにした方が、人間関係はよいかたちで維持できるようです。 しかし、自分自身をもっと成長させたいという前向な考え方があれば、自分の 欠点を、きちんと理解しておくことはむしろよいことなのです。 何かのときに反省するべきことがあったとき、素直に自分の非を認める人は、 自分の欠点に気づいて直すことができます。 松下幸之助さんが、ある講演で次のような話をしました。 「自己観照ということをやることが大切です。 人は自分自身を、自分の中にあって観ています。 それを一度、自分の体から外に出て行って、今の自分を観る。 そうすると、自分の欠点を知り、自分はこんな人間なんだ、欠点を直そう、 という気持ちになります」 自分の欠点を知ったとき、その自分を認めることができるのは、素直さがある からです。 また、自分の欠点を知るというのは、嫌な自分と出会うことです。 嫌な自分と出会うには、それなりの勇気もいるでしょう。 しかし、欠点のある自分を受け入れたのち、欠点を直そうという前向きさが 人間として次のレベルに上がることかもしれません。 絵や花を観賞するとは、絵や花を楽しむことです。 それとは違い、「観照」という言葉は、哲学者のアリストテレスが使った言葉 とも言われているようです。 自分を精神的に充足させるためには、その過程で自分の未熟さ(欠点)を知る ことが必要である、というのがアリストテレスの考え方にあります。 松下幸之助さんは、いろいろな体験から哲学的な考え方に似た言葉をたくさん 遺していると思います。 今の時代は、この自己観照という精神的なエネルギーが必要な作業は、浸透し にくいようです。 子どもも大人も、ゲームを親しむ人が多いと言われていますが、よく考えると 頭脳や感情に、よくも悪くも刺激を与えています。 音と映像の刺激は、人間の原始的な感情を敏感にします。 しかし、自己観照をするには、音のしない静かな時間と環境が必要です。 短くても自己観照する時間をつくることが、人生を豊かなものにする方法の 一つではないかと思います。 (by ハートリンクス)
2021年06月11日
【楽しいことをするより、することを楽しもう】 釣りやゴルフを楽しむ人は、前日の仕事でどんなに疲れていても、翌日の朝は 早く起きて出かけていきます。 楽しいことをやるときは、よいエネルギーが生まれるものです。 しかし、楽しくないことをしなければいけないとき、気持ちは重くやる気も 起きません。 しかし、人間には楽しくなくても、心の持ち方を変えれば嫌いなこと、つらい ことも楽しめることができます。 仏教の言葉に「遊戯三昧」(ゆげざんまい)というのがあります。 仏の境地になれば、なにものにもとらわれずに楽しく感じられる。 嫌なことでも、やることそのものを楽しむこと、という意味です。 先日、全米女子オープンゴルフで、笹生優花さんが優勝しました。 彼女の口グセは『ゴルフを楽しむ』だったそうです。 子どもの頃からゴルフが大好きでしたが、プロの世界では好きだからといって 通用するものでもありません。 小学生のときミスをすると、すぐに機嫌を悪くしていたそうです。 そんなとき、コーチのお父さんから、「そういうのは良くない」と諭されて いたとのことです。 そして、彼女自身、わかったことがありました。 「ゴルフは、ミスのゲーム。 ミスをしてもしなくてもゴルフを楽しむようになった。 うまくいってもいかなくてもそういう時間を楽しみたい」 この境地が、「遊戯三昧」ということでしょう。 ゴルフはメンタルスポーツの代表的なもので、不安定な気持ちが結果を左右 する競技です。 スポーツだけではなく、ビジネスも人生でも楽しいことばかりがあるとは 限らないものです。 楽しいことを楽しむのは誰にでもできる簡単なことです。 しかし、嫌なことの中に、楽しめる何かを見つけ出そうと努力することは できます。 「遊戯三昧」の精神は、年齢に関係なく持つことができるものです。 (by ハートリンクス)
2021年06月10日
【希望をなくしても再起するには】 人は、人生に失敗しても再び起ちあがることができます。 なぜかというと、私たちの心には再起する力が備わっているからです。 成功哲学を体系化した人にナポレオン・ヒルという人物がいます。 ある朝、彼の事務所にホームレスの男性が訪ねて来ました。 みすぼらしい姿でしたが、ヒルは男性の話を聞くことにしました。 「私は、施しをしてもらうために来たのではありません。あなたに人生をやり 直す手助けをしてほしくて来ました。 一年前、妻と仲たがいして離婚し、それからすべてがうまくいかなくなりま した。仕事も失い、今は体調も悪い。 川に飛び込もうとしていたら、警察官に止められて、あなたに会いに行くか 刑務所に入るか選べと言われました」 男の話し方と使う言葉から、教養のある持ち主だとヒルは感じました。 ヒルがいろいろたずねると、男はシカゴでは名のしれたレストランのオーナー で、そのレストランが競売にかけられているとのことでした。 ヒルは言いました。 「私はあなたに感銘を受けました。特にあなたは自分の境遇の責任逃れのため の言い訳をしませんでした。もう一つ、あなたは離婚を奥さんのせいにもし ませんでしたね。賞賛に値します」 さらに続けて言いました。 「あなたは助けてほしいと言ってここへ来ました。でも残念ですが、あなたに お手伝いできることは一つもありません! ただ私は、その気になれば、あなたを助けられる男を知っています。 彼は今このビルにいます。あなたが望むなら紹介しましょう」 そう言って、ヒルは男を事務所の隣の部屋に案内し、長いカーテンの前に立つ ように告げました。 そのカーテンを引いた瞬間、姿見に映る男の姿が現われました。 鏡に映る男に向かって、ヒルはこう言いました。 「彼があなたを助けられるただ一人の人です。この人を熟知し、この人を頼れ るようになるまで、あなたは今の不幸な境遇から逃れる方法を見つけること はできないでしょう」 男は鏡に近づき、自分のみすぼらしい姿をじっくりながめヒルに言いました。 「あなたが言っていることがわかりました。私を甘やかさなかったあなたに 感謝します。ありがとうございました」 男はお辞儀をして部屋を出ていきました。 それから、ほぼ2年間、彼の姿を見ることはありませんでした。 しかし、ある日、もとホームレスの男がヒルの事務所にやって来ました。 あまりに身なりが変わっていたので、最初は気づかなかったそうです。 あの後、社会活動をしている団体の力をかり服を整え、レストランで仕事を して、ボーイ長として働いていました。 そこで、偶然出会った昔の友人が事情を知り、店を出すための資金を貸して くれることになったとのこと。 今は、そのレストランのオーナーとして再起したそうです。 つまづいたり、失敗することは誰にもあることです。 そのときに、自暴自棄になり人生をあきらめるか、もう一度やり直そうと決め るか。 そのような厳しい判断をするとき、大切なのは自分を信じるかどうかではない でしょうか。 自分で自分を見捨てないことが、自分を信じるということかもしれません。 敗北しても、自分を信じることさえできれば、何度でも立ちあがることは可能 だと思います。 (by ハートリンクス)
2021年06月09日
【素直に反省できる人ほど成長する】 よく反省することを、後悔することだと、混同される人がいます。 反省というのは、自分の非を認めて次に活かすことを一番にする考えです。 ですから、一時的に後悔することがあっても、気持ちと意識の切り替えをする ところに反省の本質があると思います。 後悔は、「後悔の念に苛まれる」という言葉があるように、自分の非を責め続け 執着することです。 「菜根譚」の一節に、素直に反省できる人は人生においても、事業においても 伸びていくという言葉があります。 『素直に反省できる人は、どんなことも自分を磨く良薬にできるが、失敗や 過失を責め、責任転嫁をする人は自分を傷つけていることになる』 というものです。 紙おむつのメーカーで有名な、ユニ・チャームを創業した高原慶一郎さんも 菜根譚と同じような言葉を遺しています。 高原さんの言葉に次のようなものがあります。 「人は順調なときに、真理から遠ざかり、 逆風のときにもっとも真理に近づく。 逆境において、他人のせいにしたり、 弱音を吐いたりするのではなく、 やるべきことをやれ」 つまり、反省する意識の強い人は、物事の結果は自分に原因があることを きちんと理解しているという考え方です。 また、高原さんは人には心の傾向として、悪いものが4つあると言います。 それは、『うぬぼれ・おごり・甘え・マンネリ』の心です。 いずれも、素直さという言葉からかけ離れた心の状態です。 過信せず、傲慢にならず、自己責任能力を高くして、変化に対応する。 企業の成長は、社員の仕事に対する意識の持ち方で大きく変わります。 企業がいくらりっぱな経営戦略が立てても、社員という個人個人の力が 組織的に機能しなければ、よい結果は出せないと思います。 企業戦略も、人生設計も根本は同じことではないでしょうか。 素直でありたいという気持ちを忘れずに、一日を過ごしましょう。 (by ハートリンクス)
2021年06月08日
【ストレスは受け入れたほうがいいときもある】 ストレスはあるよりないほうがいいものです。 しかし、ストレスがまったくないというのも現実的なことではありません。 カウンセリングのとき、よくお伝えするのは、 「ストレスをなくそうとするより、減らすことをまず考えましょう」という ことです。 そうでなければ、なぜかストレスを目の敵のようにとらえてしまわれる方が 多いのです。 ストレスを作ったあの人が悪い、あの出来事が悪い、というようなものです。 興味深い調査研究があります。 末期がんと診断された患者さんを対象にした、調査があったそうです。 がんと徹底して闘ったケースと、がんと闘わずに受け入れた場合とで、どちら が長生きされたかというものです。 結果は、「がんと闘った患者さん」より、「がんと闘わない患者さん」のほうが 長生きされていたのでした。意外ですね。 がんと闘うこと自体ストレスになり、医学的にはそのときにストレスホルモン が分泌され、そのホルモンががんの免疫を低下させるのだそうです。 ただ、除去できる原因には、短期間で集中的に戦うのが有効とのこと。 しかし、除去できない原因と徹底して闘えば、ストレスは強くなるそうです。 このことから、変えられないストレスには、「闘う」より「受け入れる」ほう が対処法になるとのことです。 病気を受け入れるというのは、心の態度を変えたということになります。 もっと、ひらたく言えば、「病気とともに生きていく」という姿勢です。 斎藤茂太さんは、「無病息災」よりも「一病息災」の気持ちをもったほうが いい、と言われました。 ある精神科医は、『病気は人生のパートナーと考えられるようになると、自分 が病気であることのストレスは消失する』と語っています。 もちろん、「病気とともに生きていこう」と簡単に思うことができないのも 事実です。 それでも、「そのように思ってみようか」、と考えるだけでもストレス自体は 軽くなるのではないでしょうか。 よく考えれば、ストレスも、病気も、しょせん自分の中に生じたものです。 であれば、医学の力を借りるだけでなく、自分の内面の力も発揮できるように するのも大切なことだと思います。 (by ハートリンクス)
2021年06月07日
【所有の多さが幸せのすべてではありません】 30年前と比べて、今は物が豊富にあります。 世界のどこかの国では、日本の50年ほど前の時代と変わらない生活水準の ところもあります。 物がたくさんあるということは、生活の豊かさの象徴ともいえるでしょう。 本来は、生活の豊かさと心の豊かさは比例して成長するべきものですが、実際 はそうではありません。 心理学では、人の所有欲というものには限りがないと言われています。 インドの昔話に次のようなものがあります。 牛を99頭持つ男と、1頭しか持たない男がいました。 住んでいるところは離れていますが、二人は昔からの友人です。 99頭の牛を持つ男は100頭の牛を持つことを目標にしていました。 あと1頭ですが、なかなか手に入れることができません。 理由は、多くの牛を手に入れるために、あくどいことをしてきたため牛を持つ 他の人から嫌われていて、誰も牛を譲ろうとはしなかったからです。 その男は旧友が、ふと牛を1頭持っていることを思い出します。 1頭しか牛をもたない旧友は、家族を養うためにその牛を飼っていたのです。 あるときその男は、旧友の牛を手に入れようと考えました。 商売に失敗したふりをして、わざとボロボロの服を着て旧友を訪ねたのです。 「悪い奴に騙されて、すべての財産をなくした。牛1頭あれば、何とかなる のだが、君の1頭の牛を譲ってくれないだろうか」と懇願します。 旧友は奥さんに相談しました。すると、奥さんは 「友だちが困っているなら助けてあげなさい。牛がいなくても、私がその分 働くから」と言ってくれました。 旧友は奥さんの気丈な言葉を聞き、自分の妻の素晴らしさにあらためて気づく ことができ、自分は幸せ者だとしみじみ思いました。 そして、旧友は大切な1頭しかいない牛をその男に譲りました。男は、 「ありがとう。この恩は忘れない」。といい残して去りました。 この物語は、最後に「どちらの男が幸せでしょうか」と問いかけています。 所有することだけを求めても、幸福は得られないものです。 物は、ないよりはあるほうがいいかもしれませんが、目に見えないものの中 にも幸せはあるはずです。 物が豊富にあっても、これが欲しいあれも欲しいと追い求めるだけでは、人の 心はいつになっても豊かにはならないと思います。 (by ハートリンクス)
2021年06月06日
【自分の時間を生きていますか】 今、私たちがいる時代は、時間に追われている社会のような気がします。 〇時から〇時まで、という区切りがあり、それにしたがって行動しています。 これは、それなりの効率性があり深く考える必要もなく、時間通りにすすんで いきますから、とくに問題があるとも言えません。 しかし、そのような生き方に慣れてしまうと、時間に支配されているような 生き方をしている自分に物足りなさを感じてしまいそうです。 相田みつをさんが、自分の時間を生きることについて次のように語りました。 少し長い文章ですが紹介します。 「松も時なり竹も時なり ― いのちと時間 すこし理屈っぽいことをいいますが、ごめんなさいね。 道元禅師のことばに、『松も時なり、竹も時なり』というのがあります。 松は松の時間を生きる、竹は竹の時間を生きる 山口さんは山口さんの時を生き、 田中さんは田中さんの時を生きる、ということです。 人間がね、便宜上作った一日二十四時間とう時間にですねえ ある場合は拘束されたり、ある場合は追いまわされたりしながら 毎日を夢中で生きているわけですが 道元禅師の言われる時間はそういうものではないんです。 山口さんは山口さんの時間を作りながら生きる 田中さんは田中さんの時間を作りながら生きる だから山口さんの時間と、田中さんの時間はまったく別 それが道元禅師のいう時間です。 生きるいのちがそのまま時間 生きた時間がそのままいのち 自己のいのちと時間はいつでもひとつ それが道元禅師の考え方です。 恋人を待つ間の一時間は、とても長いのに 恋人と一緒にいる時間は大変短い アッという間に過ぎてしまう 同じ一時間でも生きた中味によって 時間の長さと密度がまったく違う。 ぐちと泣きごとばかり言っている人は ぐちと泣きごとの時間を作りながら生きている人 言いわけと弁解ばかりしている人は 言いわけと弁解の時間を作りながら生きている人 そして 明るくさわやかに充実したいのちを生きている人は 明るくさわやかに充実した時間を作りながら生きている人です。 どういう時間を作りながら生きるか。 それを決めるのは、誰でもない 『いつでもこの自分!』」 (相田みつを著「じぶんの花を」より) どんな時間を作っていますか? と聞かれて胸を張って答えることができない ものです。 道元禅師の教えに支えられていたスティーブ・ジョブズが、よく語っていた そうです。 「今日で自分の命が終わるとしたら、どのように過ごすかを考えて、 今日という一日を大切にして生きるべきだ」 時間は生きている間しか使うことができないものです。 時間というものを、どのようにして生かしていくかが自分の命を生きるという ことだと思います。 そして、どのような時間を作りながら生きるかは、私たちの心しだいである ことも忘れてはいけないと思います。 (by ハートリンクス)
2021年06月05日
【運をよくする生き方】 世の中は、よく、幸運な人、不運な人という言葉で人を区別したがります。 そのこと自体、よいか悪いかの判断は別にして、自分のことは幸運な人の グループに入りたいと思うものです。 それは人として、自然のことかもしれません。 その人が幸運であるには、つまり、運をよくするにはその人の生き方で決まる ものです。 100年ほど前、日本にロータリークラブという組織がつくられました。 もともと世界的な規模での組織でしたが、日本にもつくられました。 今では、クラブを運営する人材やクラブ数、会員数も減っているようです。 そのロータリークラブでは「六つの心」というのがあります。 ロータリー精神と呼ばれています。 1、「おはようございます」という明るい心 2、「はい」という素直な心 3、「すみません」という反省の心 4、「私がします」という積極的な心 5、「ありがとう」という感謝の心 6、「おかげさまで」という謙虚な心 と、いう内容です。 当たり前のことですが、これが実際なかなか実行できません。 これらの六つの心は仏教や、キリスト教や、イスラム教や日本の神道などの 教えに共通しています。 昭和の時代、芹沢光治良(せりざわこうじろう)という小説家がいました。 芹沢さんは、若い頃は小学校の教師でした。 あるとき、芹沢先生が子どもたちに将来の夢を聞いたそうです。 博士になりたい、大きな家に住みたい、社長になりたいという子もいました。 その中の一人の子が「八百屋になる。うちは八百屋だから」というと、他の 子どもたちはあまりに小さい夢だと言って笑いました。 それでも芹沢先生は笑わないで言いました。 「おお、いいな。町一番の八百屋になれ」とその子の夢を認めたのです。 何十年かたち、芹沢先生は小説家になっていましたが、その子は現実に町一番 の八百屋になっていました。 先生の言葉に励まされて家の商売を継ぎ大きくできましたと、感謝の言葉を 芹沢さんに伝えたそうです。 その子は先生の励ましの言葉に感謝する心があったと思います。 芹沢さんも、誉め言葉で子どもの心に積極さを導きだしたと言えるでしょう。 励ましの言葉、感謝の言葉、誉め言葉で積極性が生まれる。 これはロータリー精神に由来するものです。 人の運とは、その人がつくるもので、その人の心の態度、心の持ち方、考え方 しだいです。 運がよくなるには、そのための心づくりが必要です。 現代は、どんな心を持てばよいかの情報はたくさんあり、選ぶのも自由です。 自分に合った学び方で、自分のペースで幸運な人生を築いていきましょう。 (by ハートリンクス)
2021年06月04日
【思いやりという心を贈ろう】 仏教にはいろいろな教えがあります。 その中に、庶民が悟りの世界に近づけるようにと定められた教えがあります。 六波羅蜜といって、悟りを得るために行いなさいという六つのことです。 (六つの修行と考えてみてください) 最初に「布施」というものがあります。 その布施にもいくつかあり、その一つが「和顔施」で、笑顔を贈ることです。 お金や食料や物を贈る、与えるのも布施ですが、それ以外の心や気持ちなど、 目に見えないものも布施といいます。 こんな話があります。 昔、ブッダがある町に説法に来られることになり、人々はブッダの徳にあやか りたいと先を争って、油を買い求め、道を明るくしました。 ただ、一人の老女は貧しく油を買うお金もありません。 そこで老女は自分の髪をバッサリと切り、油屋に持っていきました。 「少しで結構です。どうかこの髪で油を分けて下さい」と言います。 店主は「こんな白髪混じりの髪では、一滴分の価値もないよ」と断ります。 「何とかお願いします。お釈迦さまのために灯火を供養させてください」 とさらに頼みました。「そこまでの気持ちなら、特別に分けてあげよう」と 店主は言い、老女は、皿にわずかの油を手にすることができました。 夜になり、ブッダと弟子たちが町に入りかけたとき、突風が吹き灯りが消えて しまいます。町は暗闇の状態です。 それでも、進んでいくと一つだけ光っている灯りがありました。 それは、老女が灯したものでした。 不思議な出来事に、弟子の一人がブッダに尋ねます。 「町中の灯りが消えるほどの強い風が吹きましたが、なぜあの小さな灯りは 消えないのでしょうか」 ブッダは答えました。 「見栄や功名心は、自分を照らすかもしれないが、そのようなものは一瞬で 消えてしまうほど弱いものだ。一方、貧しくても仏の恩に素直に報いたい たいと願う人には、生命の灯りが道を照らすのです」 これを貧者の一灯ともいいます。 これは布施の中にある「無畏施」(むいせ)というものです。 「畏」とはおそれるということですが、「無畏」とはおそれない素直な心、 感謝の心という意味です。 老女の髪は、価値としてはないものかもしれませんが、老女の一途で素直な 感謝の心には尊い価値がありました。 物やお金を贈るのも大切ですが、それがすべての価値に勝るということでも ありません。 思いやりという心を贈るのも、悟りを得ること、つまり幸せになるための道に つながるのです。 (by ハートリンクス)
2021年06月03日
【自分を信じる力の鍛え方】 7年ほど前ですが、NHKの番組で「自分を信じる力がある人の共通点」に ついて放送されました。 一つ目は、「逆境でも状況のせい」と思い、自分の責任だと考えないこと。 これは、責任転嫁ではないかと、意外に思えますが次のように考えることが 必要です。 「失敗したのは、自分じゃなく状況が悪かった。このまま努力を続ければ 何とかなるだろう」と、楽天的なとらえ方をしていることです。 二つ目は、つらいときは人を頼ること。 つらいことがあると、つい我慢してしまいがちですが、自分を追い詰めては いけません。 「誰か、助けて」という気持ちを持っておくのも大切なことです。 三つ目は、成功しようが、失敗しようが一喜一憂しないこと。 結果が出ればそれなりの感情が生まれますが、喜びすぎ・悲しみすぎは心の 疲労につながります。 とくに、悲しみのような負の感情は体力も消耗するのです。 つまり、自分を信じる力を強くするには、楽天的な考えを持ち、人に協力を 頼むことに気を使わず、感情に振り回されないことが大切である、という内容 でした。 感情の起伏が激しいほど、エネルギーは消耗します。 感情を使う、使いこなす、と考えれば一喜一憂することも減るでしょう。 こんな話があります。仏教のお話です。 雨が降らないため、水も干上がっている池に一匹の亀がいました。 もう少しで死にそうな状態です。それを空から見ていた鳥が、亀を救おうと 一本の木の枝をくわえて、亀のそばに舞い降りてきて言いました。 「この枝に嚙みついていなさい。そうすれば水のある池まで連れていって あげよう」 亀は言われた通りにすると、鳥は枝をくわえた亀を持ち上げて、飛んでいき ました。 すると、その姿を地上から見ていた人たちが、 「あれは何をしているんだ、おかしなことをしているものだ」と笑いました。 亀は、自分が笑い者にされていると怒りだし、文句を言おうと思わず口を開い てしまいました。そして、亀は地上に落ちて死んでしまいました。 亀は、笑われようがそんなことは気にせず、ジッとそのまま鳥がくわえている 木の枝に噛みついていればよかったのです。 これは、他人の目を気にしてはいけない、一喜一憂してはいけないということ を教えてくれる話です。 今の自分がやるべきことは何か。 それがわかれば、回りからどう思われても貫くことができます。 自分を信じる力は、目標の大きい小さいに関係なく、最後までやり抜くことで 強くなるのです。 (by ハートリンクス)
2021年06月02日
【子どもの教育で大人も学ぶ】 子ども教育というのは、子どものために行うものですが、ただそれだけでは ないという一面があります。 子どもを教育する大人自身が、子どものころ受けた教育の影響を大きく受け ているからです。 日野原重明さんは、クリスチャン医師でしたが、そのお父様も牧師でした。 その日野原さんが88歳のときに、次のようなことを述懐されています。 「子どものころ、父(日野原善輔)から、よく諭されていました。 重明、人生には三つのVを持たないといかんよ。 第一はビジョンを持たないとだめだよ。できれば大きいビジョンをね。 理解されない場合があるかもしれない。 それでも、自分の目標に勇気をもって行動する第二のV、ベンチャーが 必要だ。そうすればいつの日か死んだ後かもしれないが、必ず第三のV、 ヴィクトリーが実現する。先の二つのVに専念しろよ」 そして、88歳の歳になっても、この父親の教えは心の支えになっている、と 語っています。 ビジョン(VISON)とは夢や目標のこと、ベンチャー(VENTURE)とは 新しい何かに取り組むこと、ヴィクトリー(VICTORY)とは勝利です。 子どものころに教えられたことは、大人になってもずっと教訓や心の支えにも なり、人間形成に大きな影響を与えてくれます。 アメリカでは、子どもから酒、たばこ、薬物の乱用から守るためにどのような 子ども教育を行ったかの調査報告があります。 まず、親と子の関係ですが友達のように接する父母よりも、子どもには最低の 威厳を持って接し、しかもルール・約束を守るようにしている家庭のほうが、 酒、たばこ、薬物乱用から守られている可能性が高いという結果が出ました。 家庭でのルール・約束ごとですが、つぎのようなものです。 子どもが見るテレビ番組を選択する。 インターネットで何をするかチェックをする。 購入するCDを規制する。 門限時間を決めている。 子どもに薬物の被害をはっきりと教える。 週に6~7回は子どもたちと食事をする。 食事のときは、テレビを消して会話する。 家の中で、子どもにお手伝いを割り当てる。 これが厳しいかどうかは別として、少なくとも子どもたちにとって将来のため に役立つ内容であることは間違いありません。 子ども教育は、大人自身のためでもあるということです。 (by ハートリンクス)
2021年06月01日
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