全197件 (197件中 1-50件目)
日記は今日で終了します。文章を書くのが好きで、日々感じたこととかを忘れないようにしたくて、友達となかなか会えないぶん、「元気でやってる」ってのを伝えたくて、とか、そんな思いで1年半くらい前から、ふとはじめた日記ですが、「もういいかな」と思ったので、やめます。日々感じたことはちゃんと残るものは残ってるし、調子のいいときもそうじゃないときもあるけど、なんだかんだで僕は元気にやってます。なので、日記は今日で終わりです。ではではまた。
2005年08月02日
コメント(1)
あまりのいそがしさから解放された今週。だいぶと気が抜けた。毎日のようにアポイントが入り、資料作成とプレゼンと締め切りモノに追われ、過ごしているうちは、ある意味何も考えなくても日々は過ぎていく。だけど、真っ白な一日になると、急に足が止まってしまう。走っている間は、休みたい、足を止めて考えたい、そうずっと思ってきたのに、一度止まってみると、何をしていいのかわからなくなる。「時間があれば~したい」と考えていたこと。いざ時間が生まれてみても、結局やろうという気が起きなかったりする。何をするにも、「時間があれば」というのは、体のいい言い訳なのかも知れない。____________________________________________________________________ドラゴン桜を読んでみた。マンガ自体、久しぶりに読んだが、これは面白い。いっぱい共感した。学校という場所の特性、子どもに対する姿勢、入試の捉え方。共感する考え方がたくさんあって、一気に読めた。おもしろい。難しいことはよくわからないが、日本という国は資本主義社会であるからして、生きていくためには、「競争」しなければならない。今の日本という国は、豊かで、モノがあふれていて、そんな時代を育ってきた僕らの世代は、何もしなくても生きていけるような、そんな幻想を持っている。幸いにも何不自由なく育ててもらったからこそ、そんな幻想を持っていた。だけど。社会人になってみて、少しずつ感じてきた。受験勉強みたいに、「見えやすい」競争ではなく、「見えにくい」競争だけど、生きていくためには、必ず競争がある。それをちゃんと意識すること。ちゃんと世の中の仕組みを知ること。まだまだ知らないことがたくさんある。これからの何十年という時間を、生き抜いていくために、もっともっと知らなければならない。もっと勉強しなければならない。学力であったり、知識であったり、生きていくために不可欠なそういうものを、いつの間にか僕らは軽く見るようになったのではないか、そんなことを改めて感じさせるマンガだった。早く続きが読みたい。____________________________________________________________________マンガ喫茶に行ってみた。ずいぶんと久しぶり。最近のマンガ喫茶は、えらい充実ぶりだ。学生時代にこんなところができていたら、きっと一日中こもってしまっただろう。久しぶりに、プレステに没頭したりする。何も生産しない、こんな時間も必要だな。当たり前だけど、スイッチの切り替えは必要だ。何もしない時間があって、何かをする時間がある。生産性がどうこうというよりも、人間の自然な感情とか欲求とかなんだかよくわからないけど、とにかくバランスというものがある。仕事は好きだけど、毎日16時間も働こうとは思わないし、海にいったり、ドライブしたり、だらだらしたりも好きだけど、毎日したいとは思わないし。今、なんだか無気力な感じになってきてるのは、この3ヶ月、自分なりにいっぱいいっぱいになりながら走ってきたからかも知れない。_____________________________________________________________________そんなこんなで思い出した。サイバーの藤田さんの離婚。「なんかキレイ事言ってるなぁ、この人。」というのが正直な感想。戦略的に、マーケティングして、ロジカルにシンキングして、そうやってこの人は、人と付き合ったり、結婚したりしてるんだろうか。「渋谷ではたらく社長の告白」は前に読んだ。まぁ、面白かったけど、感情移入はできなかったし、共感はできなかった。「あ、そう。すごいですね。」という感じ。なんだか単なる自慢話なんだよなぁ。だから面白くない。面白いと言ってる人は、本当に心の底から「共感」してるんだろうか。そうじゃなくて、いわゆる「流行」として「かっこいい」といわれている部分を、うらやんでいるだけなんじゃなかろうかと思う。_____________________________________________________________________「明日の記憶」という小説を読んだ。広告代理店の営業部長である主人公が若年性アルツハイマーになる話。人生について考えさせられる本だった。いろんな小説を読んだが、自分が50歳になったときをイメージして本を読んだのは初めてだったように思う。何もかもが自分の記憶から消えていくとしたら、それはどんなに苦しいだろう。そんな中で生きていく意味って何だろう。すごくリアルだった。映画なんかよりもずっとずっとリアルだった。何気ない日常が、少しずつ遠く離れていく。楽しい記憶も、辛い記憶も、自分の周りにいた人も、ひとつずつその記憶が消えていくとしたら。。。この本は「記憶」という切り口で、「夫婦愛」を描いた作品なのではないか、個人的にはそう感じた。とにかく、いい本だった。お薦め。でも、50歳以上の人にとっては辛くて読めないだろうな。今、自分が50歳だったら、きっと途中で読めなくなる。
2005年07月27日
コメント(0)
役員をはじめ、カンパニーの幹部がたくさん来る日。普段はなかなか話す機会のない人と話せた。そんな中、現場からの発表でマネージャーが僕を指名してくれた。活躍の場を与えてくれたことに感謝。このマネージャーがいるからこそ、今の部署は「褒めあう」文化、「尊重しあう」文化があるんだなぁと思う。前の会社との文化は全く違う。僕は今の方が好きだ。それに、こういう文化の方がうまくいくとも思う。仕事はひとりでするわけじゃないんだから。_______________________________________________________________________優れたプレゼンには笑いがある。ユーモアがある。どんな流れるようなプレゼンよりも、笑いのあるプレゼンの方が心に残る。今回はしっかり「仕込んだ」。そしてうまくいった。みんな「仕込んで」いた。マジメな部分と、笑いの部分。どちらも必要。飲みながら事業部長と話した。いつ聞いてもプレゼンのうまい人。「必ず笑いは入れる。共感を生むからな。どんなにうまくプレゼンしても そこに笑いがなかったら、必ず叱るからな(笑)」と聞いて、確かに共感した。こういうのってセンスだな。自分のキャラクターにあった笑いと、その場にあった笑いがある。関西で育った分、人よりは鍛えられているハズ。_____________________________________________________________________先は長い。新しい視点とか、新しい考えを自分なりに出してみたりして、ちょっといい気になってたけど、上の人から話を聞いてみたら、もうすでに考えていたことばかり。何歩もその先を行っている。まぁ、そりゃあそうじゃないと会社としてはダメなんだろうけど、なんかちょっと悔しかったというか、残念だったというか。いいこと思いついた気でいたらまだまだでした。ごめんなさい。って感じ。新しい何かを生み出したいと思ってたけど、まだまだ修行が必要みたい。そりゃあ何十倍も経験積んでいて、視野も広いから到底及ばんよね。むぅ。だけど、現場べったりなのは、上の人には負けない。だからこそ、現場ならではのアイデアは貴重なハズ。引き続き、新しい価値を求めていこう。
2005年07月12日
コメント(1)
校内研修会で学校へ。こちらからの情報提供で50分話したあと、データの分析でさらに30分。その後、データを見ながらあれこれと議論する。いっぱい意見を求められ、質問される。答えてみると、納得いくこと、納得いかないこと、それぞれハッキリ話してくれる。まるで学校の一員になったように、話ができた。同じ目線に立ってみる。本音で話をする。これが「信頼関係」なんだと思う。「ぶしつけな質問になっちゃうけど、、、」「こんなこと、自分で調べろって話かも知れないけど、、、」「~くんだから、言っちゃうけど、、、」と言われて、話しかけられると嬉しい。信頼関係が少しは築けているということだから。そんなことを感じているうちに、ふと思った。結局のところ、先生と生徒との関係って、1対1になったとき、どれだけお互い本音で話せるか、に尽きるんじゃないかと。システムをいくら整えようが、何だろうが、お互いどれだけ本音を口にできるか、そこが基本なんじゃなかろうかと。____________________________________________________________________「キミは高校生の頃はいい成績とってたからわからないだろうけど、頭のいい子とは違って、学力の低い子は簡単にはいかないんだよ。」といいつつ、話を聞いてみると、あまり工夫もしてない先生がいたりする。「あいつらは、こんな簡単なこともできないんだよなぁ。困ったもんだ。」「努力とか粘りが足りないんだな。僕らの頃に比べて。」なんて言っている。ちょっとむかっとくる。そりゃあ「教える」ということに関して、あなたにキャリアは及びませんよ。だけど、僕だって大学に通っていた4年間、塾講師のバイトを一生懸命やって、毎日高校生を教えてたんです。塾だから、年が近いから、ということもあって、わからないことは「そんなん言われてもわからんもん!!」ってハッキリと言われるし、どうやったらわかるようになるんやろう、いつも考えて教えてました。そうするとね、いろんなこと試しているうちに、学力の低い子には、そういう子に通じやすい言葉だったり、例えだったりがあって、それを工夫してるうちに、子どもの視点も変わってくるんです。「同じやり方でダメなら、やり方を変えてみる」ということを、子どもにも教えたかったし、自分もそうするようにしてました。そうしていくうちに、だんだんわかってくる、だんだん楽しくなってくる。そういうことが「学びの喜び」であり、それを教えるのが、教師の仕事なんじゃないですか?子どものせいにするんじゃなくて、自分の教え方を振り返ってみたらどうですか。と、本音が言いたい。だけど言えないときもある。愛情とか、思い入れがないと、本音もなかなか言えないもんだ。_______________________________________________________________________教育に携わる仕事をはじめてから、よく思い出す。「私な、英語めっちゃ嫌いやったけど、先生のお陰でちょっと好きになった」半年間、つきっきりで教えた子から言われた言葉。その子にとっては、何気ない一言だったんだと思うけど、僕にとっては、その電話口の声がずっと残っている。すごい大事なこと教えてもらったなと思う。「教える」仕事をすることで、「教えてもらう」。やっぱり教育の仕事好きやなぁと思う。
2005年07月04日
コメント(0)
これから2週間は、校内研修会ラッシュ。この日は大好きな英語の先生がいる学校へ。事前に何度も電話で打ち合わせ。夜遅くにも、当日朝にも電話で話す。転勤でこの学校に来られた1年前は、いつもいつも不満を口にされていた。「教員の意識が低すぎる」「素質のある子どもが入ってきているのに、ちゃんと伸ばせていない」「学校としての責任を果たしていない」1時間も、2時間も、ずっとそんな話をしていた。だけど、不満を言うだけの人ではなかった。不満を言いつつも、ちゃんとやるべきことはやっていた。他の教科は成績が上がらなくても、英語だけは上がり続けていたし、先生が担任をしているクラスは一番成績が伸びていた。そうするうちに、ひとりふたりと味方が現れ、1年たつと味方の方が多くなっていた。一人の情熱で、少しずつでも学校は変わっていくんだと思った。校長を巻き込み、教頭を巻き込み、学年主任を巻き込み、いろんな人を動かして、少しずつ学校が変わっていく。それを目の前で見せてもらった。「自分ひとりの力では如何ともしがたいから。」と言っているうちは絶対に変わらない。どれだけ強い意志を持っているか。ひとりの強い意志さえあれば、組織は変わっていくのだと思った。___________________________________________________________________結果は数字に表れる。本当にわかりやすく表れる。ちゃんと行動した人には、それに報いる数字が、何もしなかった人にも、それに報いる数字が、残酷なほどにわかりやすく現れる。データを分析すればするほどそう思った。数字を見て、その背景を聞けば聞くほど、納得した。文法問題の数字が低くて、読解問題の数字が高い。前回の結果で文法が悪かったわけではないから、ひょっとして時間配分を先生から指示したのかなと思って聞いてみたら、やっぱりその通り。「大問1と2は9分以内が目標。2分オーバーしたら飛ばして次に進むこと。」その指示通り、生徒は解いた。結果もその通りに出た。ある熱心な先生が、「こういうデータは、あくまで単なる数字でしかないし、これだけで学校を語ろうとするのは間違っている。ただ、数字は本当に正直に表れる。だからこそ、自分たちがやってきたことの振り返りを、数字をもとにして行うことは、とても重要なことなんだ。」と言っていた。ちゃんと子どもの学力を伸ばせていない教員ほど、数字をちゃんと見ようとしない。「数字だけで何がわかる」と言い訳がましく言う。果ては、「この数字は信頼できるものなのか?」と数字にいちゃもんをつける。売れない営業マンも数字をちゃんと見ようとしない。「数字以外の部分も評価して欲しい」と言う。何故数字が出ないのか、行動と重ね合わせることもせずに、そう言う。学校も企業も本質は同じだ。数字そのものは、意味を持たない。数字を行動に重ね合わせて理解することで、初めて意味を持つのだと思った。___________________________________________________________________研修会が終わって、校長先生と話をした。そこで教えてもらった言葉。「子どもは泣いてもいい。だけど、親は泣いてはいけない。」大学入試は、自分の意志を貫き、高みを目指そうとすればするほど過酷だ。それに結果は○か×かしかない。だから、どんなにがんばっても結果が×になることもある。そうして、子どもがショックを受けて、泣くこともある。だけど、それは子どもにとってはいい経験だ。一生懸命やっても、うまくいかないことがある。自分が精一杯努力しても、まだ上がいる。泣くことで、そういうことをひとつひとつ理解していく。でも、最近は「親の方が先に泣いてしまう」と言う。「つらい経験をさせたくない」とか「見てられない」と言って、子どものチャレンジする気持ちを止めてしまう。そうして、結局子どもは「泣かないまま」大人になる。だから、社会人になって、いろんな壁を乗り越えられないで逃げてしまうのではなかろうか。自分が子どもを持つのはまだ先だろうけど、この言葉はちゃんと覚えておこうと思う。___________________________________________________________________研修会は無事に終わった。今までこの先生から依頼された研修会の中では、もっともうまくいった。何より自分がそういう感触をもてたし、先生もそう言ってくれた。今まで、なかなか思い通りいかなくて、もどかしい思いだったけど、今回は少しは今までの恩返しができた気がした。以前、顧問の先生に教えてもらった「子どもは闇の中を歩いている。その先に光を当てて、未来を見せてあげるのが教員の仕事だ。」という言葉を思い出し、先生方にも「未来を見せる」話ができたと思う。「いつも、汚れ役ばかりお願いしてごめんね。本来は校内でやるべきことなのに。でも、ありがとう。後は私たちの仕事だから。」そう言って送っていただいた。渡された紙袋の中には、バーバリーのハンカチと、チョコレートが入っていた。僕のハードワークを気遣ってのチョコレート。チョコレートの袋には『ストレス社会で戦うあなたに』と書いてあって笑えた。「数あるチョコレートの中から、あえてこれを選んだんだな」と思った。確かに疲れたけど、チョコレートではなく、この気遣いとユーモアで元気になった。
2005年07月01日
コメント(2)
今日は久しぶりに強烈な一日だった。ちゃんと記録に残しておこう。今日は研究部門の特別顧問の先生に来ていただいての講演会だった。今までは、その先生が書いた論文は読むものの、なかなか理解できなかった。でも、今日はじめて生の話を聞いてみて感動した。緻密な研究に裏打ちされた明快なお話だった。この1年半、自分なりに学校をまわって感じていることが、目の前で論理的かつ明確に整理されていくような気がした。今日の学びは強烈だった。「目標のない学びは存在しない」という言葉がものすごく印象的だった。本当に面白いと感じた。言葉ではいい表せないような感動だった。これからの自分にとって、大きな転機となる一日だった。********************************講演会が終わって、一緒に食事をした。聞きたかったこと、日々疑問に思っていること、全部ぶつけてみた。返ってくる言葉のひとつひとつが納得できて、感動して、鳥肌がたった。自分の考えていることが間違いではないんだと自信を持てた。********************************先生の人間性に感動した。「君と話していて、僕も今日は勉強になった。ありがとう。」別れ際にそう言われた。現場の教壇に立ち、何千人という子どもを教え、データに裏打ちされた研究を行い、日本中からひっぱりだこになっている先生が、そんなことを言うなんて、信じられなかった。本当に謙虚な姿勢、本当に人から学ぶという姿勢とは、まさにこういうことなんだと思った。常に、ひとりひとりの人間から、学んでいく。きっと先生は、教師という立場であっても、子どもからたくさんのことを学んでこられたんだろうと思った。常に学ぶ姿勢。70を過ぎた人の態度とは思えない。こういう大人になりたいと思った。******************************その一方で、もうひとつ感じたこと。それは今日の講演会に参加していた教員の質だ。今日ほど教員の質の低さを感じた日は今までなかった。私語、居眠りを平気でする。考えられない。ハッキリ言ってレベルが低すぎる。頭が悪すぎる。底辺校の生徒、落ちこぼれの生徒と何ら変わりはない。ただ、腹立ちと同時にふと思った。哀れだと。この人たちがそのままのさばるような学校に未来はない。少子化の今、高校は完全に生き残りをかけた戦いに入っていく。このままこの人たちを雇い続けるのであれば、この学校はおそらく真っ先に淘汰されるだろう。そうなったとき、この人たちは職を失う。職を失うだけではない。何の危機感も持たず、何の信念も持たず、何のスキルも身につけてこなかったこの人たちは、もはや教師という職どころか、何の職にもつけず、路頭に迷うことになるだろう。そういう未来が、この人たちには見えていない。「子どもに未来を見せることが、教員の仕事だ」顧問が発したこの言葉の価値、重み。これが理解できない人に未来はない。*******************************続けて思った。こういう人を見ていると、「自分が親だったら、学校は絶対に良く見て選ぶ」と。ハッキリ言って、この学校の生徒は不幸だ。少なくともいい人材が生まれる土壌が全くない。この学校に行かせるくらいなら、学校にいかせない方がマシだ。自分の子どもがいたら、間違いなくそう思うだろう。そう考えると、保護者が学校に対して何を思うのか、その視点に気づけた気がする。*******************************
2005年06月07日
コメント(0)
ようやく、腕時計を買った。1年前に止まって以来、そろそろ新しい時計を、と思っていた。だけど、今日の今日まで買わなかった。というより、買う理由を見つけられなかった。まあもう大人なんだし、ちょっとはカッコつけていい時計を買おうかと思ったりもした。友達がオメガ買ってたなぁとか、ウチの兄貴はホイヤーだったなぁとか、親からロレックスを譲りうけて、「これなら自分の子にまで渡せる」と言ってたヤツがいたなぁとか、そんなことを聞いて、高い時計を買ってもいいかなと思ってたけど、やっぱり買えなかった。30万とか50万とか、そんな値段の時計を買う気がどうもおこらない。だんだん買った人の神経までわからなくなる。これだけのお金出すなら、他にしたいことが山ほどある。こんなこと言っちゃおしまいだが、そもそも僕は腕時計が嫌いだ。中学生の時、文字盤が木でできていて、味のある時計をプレゼントされ、お気に入りでしばらくつけていたが、それ以来は汗っかきの腕にぺたっとくっつく腕時計が嫌いだった。だから、仕事でスーツを着るときにしぶしぶつける以外は、ほとんどつけたことがない。だから、そんな腕時計嫌いの自分が、何であえて高い時計を買わにゃならんのだ、と思うようになった。それに営業マンがそんな偉そうな時計つけてちゃ、ちょっとマズイだろう、営業先は学校なんだしと考えて、どうも高い時計には反応しなかった。とはいえ、2~3万くらいの時計を見ても、何だかデザインとか、雰囲気とかが高い時計と比べると落ちるような気もした。単なる見栄にすぎないが、さらっとオメガをつけてるくらいにカッコつけたい欲があったりして、安い時計にも手を出せなかった。結局そんなこんなで、いつまでたっても決定打が出ずに、今日まで買わずじまいで過ごしていた。それが今日。ふとしたきっかけで、ものの5分でアッサリと買うことになった。今まで何度かうろついていた高島屋の売り場。前までは、「どうもしっくりこんなぁ」と見ていた時計たち。その中から、きっと前にも見ていたであろう時計を、特に迷うことなく取り出し、特にためらいもなくそれに決めた。値段は全然高くない。取り立てて有名なブランドでもない。誰かが丁寧に営業してくれたわけでもない。ただ、今日の僕には明確にこの時計を買う理由があった。とてもシンプルに、とてもハッキリと。珍しくもなんともない、シンプルな理由があった。買った時計をつけてみて満足した。いや、きっと買う前から僕は満足していた。そんなに高級な時計じゃないから、いつかこわれてしまうことがあるかも知れないけど、ずっと僕のお気に入りになるだろう。私服に腕時計。何年ぶり、いや十何年ぶりくらいの格好で、家に帰った。
2005年05月15日
コメント(0)
出始めた。何でもかんでもだんだんと後回し。当然ながら悪循環。わかってはいるけど、なかなか直せないから苦労する。去年1年で経験ずみのハズが、今年も今になって出始めた。まあ、アタマでわかっていても、直ることじゃないし。
2005年05月13日
コメント(1)
4日間くたくたになって、3日間しっかり休む。3連休とはいいもんだ。労働があるから、休めることを幸せに感じる。しっかり休むから、働くことに面白味を感じる。______________________________________________________________大きなミスがあった。自分とは全然違うところで起きたけど、何かおかしいと気づかなかったのは、自分のミス。翌日、朝イチでお詫びに行った。事情はいろいろ聞かれたけど、思いのほかお怒りではなく、許していただけた。これはきっと、去年1年間ビジネスだけでのやり取りではなく、勉強合宿についていったり、何度も講演を引き受けたり、一緒に指導案を考えたり、イベントの発表をお願いしたり、そんな風に、単にビジネスとしての付き合いをしなかったからだと思う。当たり前のことだけど、学校のためを考えて、この学年のためを考えて、時間とかコストとかは二の次にして、一緒に子どものことを考えてきたからだと思う。ちゃんとお客さまのためを思って、仕事をしてきたかどうかが、こういうときにハッキリする。同時に、こういうミスに気づけなかったことが、今のタイミングでお客さまのためを思えていなかったからだ。自分が得をしようとか、楽をしようとか、そんなことは二の次にして本当に「相手のため」を思って仕事ができるか。理想だと言われるかも知れない。大企業だからできることと言われるかも知れない。でも、やっぱりそうじゃなくて、お金は後からついてくるものだと思う。本当にいいものを提供していれば。そして、本当に相手のためになっていれば。
2005年05月01日
コメント(0)
1週間ぶりに帰宅。やっぱり我が家は落ち着く。1週間、激しく疲れて、しっかり休む。やっぱり1日でもちゃんと休めると、明日もがんばろうって思える。休みの日までだらだらと仕事して、うまくいかなかった日もあったけど、どんだけ忙しくても、どんだけ仕事が多くても休みはやっぱり必要。きっと社会人4年目になってみて、休み方がうまくなった。家で寝てるだけとか、ぱあっと飲んだり遊んだりするとか、単にそういうことじゃなくて、自分の心が素直に休まるような休み方をすれば、たとえ短い時間でも疲れが消えていくことがわかった。スケジュールが如何にハードだとか、どれだけ寝てないだとか、そんなことは別にどうでもよくて、そんな中でどれだけちゃんとうまく休んでいい状態で仕事に向かえているかが大事。やりたくない仕事も山ほどあるけれど、ちょっとは月曜から仕事するのが楽しみでもある、と素直に言える。__________________________________________________________________やっぱりすごい先生はすごい。ホントにちゃんと人を見てるんだなぁと思う。こういう先生のもとで修行できるなら、今すぐにでも先生になりたい、と思うくらい。ホントに子どもに真剣に向き合う先生には、卒業した後にいろんな世界で活躍する教え子がいて、そういった教え子から、先生もまた新しい価値観を得たり、新しい考え方を学んだりして、新たな教育観で子どもに向かっていく。学校という場で、目の前の子どもに一生懸命になっている先生ほど、ちゃんと広い視野も自然と持ちあわせている。目の前の子どものために、と思えば思うほど、自然とそうなるんだと思った。_________________________________________________________________先手先手でやれば、何でも楽しい、ということが、改めてよくわかった。そして、やりたくないことでも、全く別の視点でやり方を変えてみると、面白くなることもわかった。やりたくないことの内容は無視してしまって、そのタスクが完了するまでのプロセスをゲームにしてしまう。これができれば、何でもやっていけそうだ。
2005年04月24日
コメント(0)
東京に行くたびに思う。何だろう、この東京という街は。きっと単に自分が意識しすぎなんだと思うけど、東京という街の感じが好きじゃない。なんか受けつけない。好きになりたいんだけど、どうも好きになれない。自然が恋しくなる。木とか、緑とか、そういう自然じゃなくて、人間として自然な、そんな感じ。全くもってうまく表現できないけど、そんな感じ。う~ん。何というか、東京って情報がやっぱり多すぎるんじゃなかろうか。そういう場所だと、僕みたいに心がしっかりしていない人間は、どーでもいい情報にたくさん振り回されて、いつの間にか自分の心がどっかにいってしまって。。。みたいな。そしてそういう人が東京にはたくさんいて、またどーでもいい情報やモノがたくさん生まれては消えていく。すごい自分勝手で悪い印象だけど。とまあ、こんな風に思ったり感じたりしながらも、どーでもいいモノをほったらかして過ごしていれば、東京でも心豊かに過ごせることもわかった。よくわからんが、そんなことを思ってみた。
2005年04月23日
コメント(2)
光陰矢のごとし。あっという間に一週間が終わる。こうやって、人生はあっという間に終わってしまうんじゃないかと思ってみたり。新しい可能性を感じると、わくわくする。人と違うことをやりたい。人と違うことができる環境はある。あとは自分次第やな。自覚しているが、どうやら褒められると調子に乗るらしい。まあそれで好調なら全然問題ないんだけど。気持ちが強すぎると、ヘンに空回りするのかも知れない。要は伝え方の問題のはず。できるだけシンプルに。
2005年04月14日
コメント(2)
よーく話が通じるようになって、すんごく共感することもあれば、1年たっても全然話が通じない相手もいる。まあ当たり前のことなんだけど、そんなことで喜んだりぐちったり。喜びが大きくなるぶん、腹立ちも大きくなる。きっと去年の今頃よりも喜怒哀楽が激しいはず。「楽しい」という感覚ではないけれど、「なんかこれはおもろいな」という感覚は増えてきた。「楽しもう」とヘンに意識するわけじゃなくて、「こうなったらおもろい」と自然に感じる。知識とか経験が積み重なったからなんだろうなと思う。なんだかんだで積み上げる土台がないと無理なんだな。英語の成績がめちゃくちゃ伸びたときも、さんざんガマンしながら単語と文法をやりまくっていた。そしたら半年たってやっと長文を読むのが面白くなった。仕事もそれと同じはず。一足跳びに大きなことをやりたいとか思ったりするけど、結局は下積みがないと、いつまでたってもできないってことだ。あと2年はまだまだ下積み。下積みでも、少しずつできることが増える喜びは変わらない。できることを増やしつつ、おもろい仕事を増やしつつ、やりたい仕事に自分を近づけていく。
2005年04月13日
コメント(0)
久しぶりに電子ピアノを開けた。といっても練習ではなく、クラシック鑑賞。夏のボーナスで買ったはいいが、結局練習はほとんどやらず。平日いないから休日だけ練習してもなかなかね、、、という言い訳に見事に負けてしまっている自分。そのうち、もう10年以上も前の感覚が少しずつでも戻って何曲かひけるようになれればいいやと思ってるから、まあ仕方ないと思いつつ。それにしても、あらかじめプログラムされている曲を聴いてみると、純粋に感動する。子犬のワルツなんて、よくもまぁこんだけ弾けるもんだとあきれる。でもって、クラシック音楽の良さも感じてみたりして、いい気分になれた。う~む。練習、、、再開する??
2005年04月10日
コメント(0)
昨年退職された先輩の結婚式2次会に参加した。お気に入りのスーツを着て出席した。いつものメンバーがみんな着飾っていて、ちょっと新鮮だった。たまにはいいもんだ。いい服を着ると、気分もよくなる。また新しい服でも買いにいこう。さくらが咲いていた。ウチのすぐそばの公園にある10本ほどのさくらの木が全部満開だった。遊んでいるのは、子どもたちだけ。絶好のお花見スポット。人ごみを気にしたり、帰りの電車を気にしたり、なぁ~んにも障害なく、のんきにお花見ができた。最高。それにしても、さくらって見れば見るほど、ホントに花がたくさんつくんだなぁと感動。枝という枝に、びっしりと花が鈴なり状態。よくよく見ると綺麗なもんだと感心した。近くの畑の菜の花も満開。薄着で花見。春を感じた一日でした。
2005年04月09日
コメント(0)
去年1年お世話になった顧問の先生に年度始めのご挨拶。軽くご挨拶の予定が、話が盛り上がってしまい、晩御飯に誘われた。教え子が経営するフランス料理の店へ。こちらが口を挟む間もなく、フルコースを注文され、何だかとっても申し訳ない気分。おいしい料理をいただきながら、たくさん話を伺った。前から他の人に聞いてはいたが、話を聞くうちに、あまりの趣味の広さにビックリした。進路部長としてある学校を生まれ変わらせたり、国語教師として指導のノウハウを県下に大きく広めたり、という「高校教師」としての仕事だけでなく、県でも指折りの規模の保育園の園長で英語教育をしていたり、フルートの奏者だったり、日本画で個展を開いたり、舞台の脚本を書いたり。。。それも、単なる趣味レベルでは全くないのがすごい。そのひとつひとつが、それだけで一人のプロとしてやっていけるだけのレベルに達している。一体この人は何なんだろう。話を聞くうちに、一人の人間がこれだけのことができるようになる、というのが、本当に信じられなくなった。しかも65歳という年齢を一切感じさせない振る舞いぶり。帰りの新幹線の中で、何度も思い出し、改めて尊敬の念を抱いた。僕らにとって「若さ」というのは大きな武器ではあるけれど、その「若さ」をおごってはいけないことを痛感した。単に年齢だけではないけれど、平たく言うと「人生経験」の圧倒的な差を強烈に感じた。ひとつひとつの瞬間を、本当に一生懸命だったり、楽しみながらだったりして全力で過ごしていくと、こういう人になれるんだろうか。いや、でもそれだけしてもなれないかも知れない。そんなことをあれこれと考えた。この1年半、幸運なことにいろんな場所で、本当に尊敬できる人にたくさん出会った。前の仕事をしていたら出会わなかったであろう、40代、50代、60代の人生の先輩。そして、自分よりも、2倍も3倍も生きている人に会って思ったこと。それは「生きる」ことによって、その人が得てきた経験とか、その人の主張とかは、自分たちよりもずっとずっと奥の深いもののはず。だからこそ、そういう人の話をもっとたくさん聞くべきなんだと思う。特に教育という分野はそうだ。「学校の教師は世間を知らなくて。。。」なんて簡単に言うけれど、確かにそういう部分はあったとしても、何十年という時間をかけて、何百人、何千人の子どもと接してきているという時点で、自分たちとは違う経験をたくさん持っていることは確かだ。子どもと接した時間・経験=教育のプロというわけではもちろんないけれど、それでも、それだけの時間・経験からくる主義主張は、一人のプロの言葉として、尊敬の念を持って耳を傾けるべきことのはずだ。教育は誰もが論じられる領域であるが故に、プロである「現場の教員」の言葉が軽んじられすぎるのだと思う。だけど、やはりそれは間違っている。たとえ退職した先生でも、時代は違えども、教育の根本にあるものはきっと現代に通じるものがあって、たくさん学ぶべきものがある。有名な先生でなく、一教師として定年まで過ごしてきた人でも、それは共通して言えることのはず。昔、三国志を読んでいてこんな場面があった。曹操が行軍の途中、長寿の村を訪ねたときに、「余は老人を尊敬する。これだけの激動の時代に、70年、80年という年月を生きてきたというだけで、それは何よりもすごいことで尊敬すべきことなのだ」と言ったという。小学生の頃に読んだことだけど、今でもその場面をなぜか覚えている。そう。まさにそうなんだと思った。今生きている80代、90代の人たちは、みな戦争を経験し、想像を絶するような苦労を通りぬけて、ここまで生きているはず。そう考えると、ひとりひとり尊敬できる人たちなんだと思う。自分も含め、最近の若い人間には、こういう年上の人を尊敬する気持ちが薄すぎるように思う。それは、年上の人から学ぶべきことを学ぼうとしていないということ。それは、結局自分にとって、一番もったいないことだ。今年も日々の仕事、生活の中で、たくさんの先輩に出会う。どれだけすごい先輩に出会えるか。これで自分の人生は大きく変わると思う。だからこそ、ひとつひとつの出会いを逃さぬように、ひとつひとつの出会いを無駄にしないように、この1年を過ごしていこうと思う。
2005年04月08日
コメント(0)
久しぶりに風邪で会社を休んだ。風邪ひくなんていつ以来だろう。仕事終わって、先輩と飲みにいって、ちょっとくしゃみが出てたけど、そんなに気にしてなくって、いや~春やのに冷えるねぇなんて思いつつ家に帰って、長電話してたらちょっと鼻がつまってきて、ゆっくりお風呂入るかぁって湯船につかって、ぐびぐび伊右衛門飲んで、布団に入って、すぐにぐっすり。で、朝起きてみたら、いきなり38度プラス頭痛。。。こんなにあっさり風邪をひいたのははじめてのような気がする。でもまぁ、この時期は学校行っても先生いないし、社内で次年度の計画じっくり立てようと思ってたトコだから、ちょうどこのタイミングでよかった。というか、1週間遅れてたら大変だった。来週から怒涛の2ヶ月がスタートするのに、休んでなんかいられない。1年の疲れが出たということにして、ゆっくり休めてよかった。小林よしのりがゴーマニズム宣言で、「わしは1年に1度は風邪をひく。そういうタイミングしか休めないから、ここぞとばかりに普段寝れない分まで思いっきり寝て、思いっきり休む。」なんて言ってたけど、同感。小さい頃から風邪ひいても食欲旺盛で、納豆と梅干でごはん食べられたし、イチゴでビタミンも補給したし。たまに仕事の電話もかかってきたけど、こういうときは必要最低限のことだけ済まそうと思うからか、どれもこれもアッサリと終わったし。たまには風邪ひくのもいいもんだ。インフルエンザだったら嫌だなと思って病院行ったけど、やっぱりただの風邪。ただの風邪なら薬はいらない。いっぱい水飲んで、ひたすらあったかくして思いっきり汗かいて寝るだけ。9時間寝たら、熱もだいぶ下がってた。はて。今日は午後から会社行ってがんばろか。
2005年03月30日
コメント(0)
出張で東京に行った。東京という街はいつきてもビックリする。まさに大都会やなーと思う。前に来た時よりも、ずっと圧倒された。地方での生活にすっかり慣れたのかも。東京ビッグサイトで文部科学省主催のフォーラムに参加。東京ビッグサイトってのも、すごい建物でまたまたビックリ。さすが。やっぱ東京はスケールが違うんやなぁと思ってみたりして。フォーラム自体は面白かった。英語の研究指定校の、3年間の指導成果の発表。表面的な発表にとどまるものが多くって、そのへんはちょっと残念だったけど、いろんな学校事例が知れてよかった。やっぱりたまにはこういうトコで新鮮なネタを仕入れにゃいかんと思った。学校にいって話すことが増えてよかった。夜は前職の同期と再会。転職して1年半、もう前の会社にいたのと同じ時間が過ぎた。早いもんで。満員電車にゆられてホテルに帰る。これが東京の好きじゃないトコなんよなぁと思いつつ。
2005年03月25日
コメント(0)
年度末の評価の面談。まずまずいい評価をもらえた。ただ、いい評価をもらえたことよりも、こっちから言いたいことを言えたことに満足した。自分が1年間仕事をしてきて感じたことだとか、次年度に向けてやりたいこと、変えていきたいこと、問題になってくるであろうこと、などなど、たくさん話ができた。リーダーもちゃんと話を聞いてくれた。これから一緒に考えて、しっかり相談しながら仕事を進めていける感触があった。誰にも頼れない次年度に向けて、いい振り返りの機会になった。中途とはいえ、新卒なら4年目。新卒4年目に仕事で負けていては、会社から見て僕をとった意味がない。勝負の年として、いい1年にしよう。
2005年03月10日
コメント(0)
やっと、長かった1年が終わろうとしている。何だかわからないままに過ぎていったけど、新しくできることもたくさん増えたし、新しくやりたいこともたくさん増えた。次はもっと自分のやりたいようにやる。やっと、ちょっとは社会人になれた気がする。まだまだたくさん甘いところはあるけど、ちょっとはなれた気がする。
2005年03月07日
コメント(0)
久しぶりに自炊した。肉じゃがとか、明太子とか、納豆とか、ハムエッグとか。洒落たイタメシ屋に行くより、よっぽどかゆったりと落ち着いて食べるおいしいゴハンだった。肉じゃがって、結構簡単にできるもんだなと思った。肉とたまねぎいためて、ジャガイモいれて煮るだけ。「得意料理は肉じゃがです!」なんて言う女の子は料理なんてしてないね。きっと。そんな見えすいたうそつくなら、「たまに茶碗蒸しとか作ったりします」くらいに言った方が、リアルっぽくていい。クリーニング屋のお母さんとしゃべった。いつもあれこれ話しかけてくれる。日々の生活の中で、こういう温かみがあるとほっとする。自分が名古屋を出て行くのは、あと何年後になるかわからないけど、ひとつの思い出になるんだろうなと思ってみたり。「永遠に生きるがごとく夢を見ろ。 明日死んでしまうがごとく生きろ。」身近なものに置き換えてみて、よくわかった。いい言葉だ。
2005年03月06日
コメント(0)
年が明けてから、あっという間に日々が過ぎていく。原因はなんとなくわかる。仕事にしても、休みにしても、すんごくシンプルに過ごしているから。別に悪い意味じゃなくて、いろんなものをシャットダウンした感じ。藤原和博が言っていた5つのリストラ。付き合いや、慣性でやっていたことから「逃げる」なんとなくの関係を「避ける」できないことは「断る」本当に好きなこと以外は「減らす」周囲を気にして、もっと~したいということを「止める」ずいぶんシンプルになった。とても楽で、幸せだ。____________________________________________________________異動の季節。自分は予想通り何もなかったけど、今回の異動を見ていて思った。自分の立ち位置を、自分でうまくコントロールするのが、如何に難しいか。優秀な人は、上の力で引っ張られる。そうでない人は、穴埋めにまわされる。そんな気がした。如何に「自分だけ」の能力をアピールするか。如何に「会社にとっても一番いい」と理解してもらうか。別に希望しないところに行くのはかまわない。希望したわけじゃない名古屋も、今はどこよりも好きだ。人にも環境にも、これ以上ないくらい恵まれていると思ってる。だけど、自分が2年後にひとつの仕事が終わるとき、その先の道は、できれば自分の希望通りに動きたい。部署も、勤務地も。そのために、今すべきことは何か。今できることは何か。この1年はきっと勝負の年だ。何を誰にどう印象づけるか。仕事で成果を出しながらも、そんなことを考えてやりたい。
2005年03月02日
コメント(0)
26歳になりました。メッセージをいただいたたくさんの方々、ありがとうございました。覚えていていただいただけでも嬉しいです。25歳は仕事に打ち込む年にしようと思ってスタートしました。振り返ってみると、仕事のみならず、いろんなことがあって、今までで一番何もかもがいそがしかった年のような気がします。26歳は勝負の年にしようと思います。これからもよろしくお願いします。
2005年02月22日
コメント(0)
合格発表。今日は高校入試の合格発表。いつも通る学校への道は、いつもと違って中学生でいっぱい。発表を待つ姿が初々しくて微笑ましかった。ほとんどの子にとっては、初めての合格発表だったんだろうなと思う。○か×かしかないという、初めてのシビアな試練。喜ぶ子と、しばし掲示板を見続けてからゆっくりと帰る子と。どちらも経験したことがあるから、昔のことを思い出した。何だか鳥肌が立った。学校という場での光景と心情とを、またひとつ心と身体と思い出した。こういうときは営業なんていいから、学校という場での日常を感じて帰ろうと思った。_______________________________________________________慣れ。1年たって随分慣れてきた。うまくできるようになると、何でも楽しい。学校で話すネタも増えたし、会話もだんだん深くなってきた。ふとそんなことを感じて、嬉しかった。_______________________________________________________露天風呂。急遽、伊東に宿泊することに。せっかくの温泉地なので、露天風呂に入ることにした。やっぱり露天風呂は冬に入るのが気持ちいい。身体はあったまりながらも、顔にはひんやりした空気が触れて、気持ちいい。風呂はいいな。風呂は。_______________________________________________________イルカと干物。伊東のスーパーに寄ってみた。ついに発見。イルカの切り身。高知で食べたクジラの身に似ていた。赤身と脂と皮。全部クジラみたいだった。それにしても、普通にスーパーで売っていることがすごい。しかも結構安いし。思わず写メールにおさめてみた。次は食べてみよう。続いて干物屋さんへ。アジ、金目鯛、サンマ、フグ、結構珍しいものも並ぶ。そんな中、ひときわ珍しいもの発見。伊勢エビの干物。せっかくの伊勢エビをわざわざ干物にする理由がよくわからないが、しっかり乾いているところがまた面白い。ここと下田の2軒でしか買えないらしい。うーむ、食べてみたい。すぐに名古屋に帰れるなら買って帰ったんだけど。これも次の楽しみにとっておこう。_______________________________________________________日本料理の奥深さ。深夜に「トリセツ」という番組を見た。取り上げられていたのは、日本料理のトリセツ。先付けにはじまり、お椀、お造り、煮物、焼物、ご飯、甘味。それぞれの料理における細やかさにいちいち感心しながら見てしまった。最後に料理人が言っていたのは、「一番気をつけているのが、全体の流れ。全体を通して、すべて食べ終わって、ちょうど美味しかったなと感じてもらえるように。」と言っていた。なるほど。確かにコースの日本料理は、食べ終わってちょうど美味しかったと満足する。幸いにも、この1年でたくさん美味しいものを食べる機会があった。高級な肉料理も、中華も、海鮮も。でも、やっぱりそんな中でこうして、会話を妨げないように少しずつ美味しいものが運ばれてきて、穏やかな中にも、最後に「ちょうど美味しかった」と思わせるのは、やはり日本料理なんだと思う。いつかこういう一流のお店で、美味しいものを食べてみたい。
2005年02月17日
コメント(1)
これまでの営業の成果が出る年度末。いいニュースも、悪いニュースもあった。ふと愚痴をこぼしてみると、何だか結構出てくる。話してみて、いろいろ不満あったんやなーと思った。でも話してみてスッキリした。こーゆーのは無理してためるもんじゃないな。話を聞いてくれる人がいることに何より感謝。______________________________________________________「ええことは、ほっといても広まる。悪いことはほっといても、何にも解決せん。だから、『はよ悪いニュースから言え。』いつもそう言うとった。」久しぶりに会った営業本部長がそう言ってた。なるほどなぁって思った。知らず知らずのうちに、今週から自分でもそうしてた。自然と人の行動を変えるってのは、やっぱカリスマ性なんかなぁと。すごい人です。全く。
2005年02月16日
コメント(0)
今日は天気が良かったので、岐阜へドライブ。近くのトヨタでイストを借りたけど、すいすい快適だった。いつも車に乗ってるから、休みの日まで乗ろうとは思わなかったけど、こういうときはふと車が欲しくなる。こだわりは特にないから、こういうちっちゃい車でいい。金華山の頂上は風が強くて寒かったけど、空気が澄んでて、遠くまで綺麗な景色が見えて、気持ちよかった。家に帰って久しぶりに自炊した。スーパーで買い物して、鮭を焼いて、ハムエッグ作って、納豆かきまぜて、腹いっぱい食べた。そんな一日。明日からまた仕事。ちゃんと休んで、ちゃんと働く。ちゃんと働いて、ちゃんと休む。その繰り返し。
2005年01月30日
コメント(0)
最近、毎日がはやく過ぎていく気がする。仕事があれこれとたてこんでいるからかも知れないけど。でも、それはそれで毎日が充実しているから、ということで、いいことなんだと思う。仕事は、ひとつのヤマ終わっても相変わらず忙しくて、バタバタしているうちに、毎日が過ぎる。休日は、心地よい音楽を聴いて、読みたい本を読んで、何をするわけじゃないけど、ゆっくり過ごす。そんな風にして毎日が過ぎていく。でも、そんな毎日が、そんな日常が好きだ。
2005年01月29日
コメント(2)
歯医者に行った。正月に歯が欠けて、治療しにいったら、虫歯が原因だった。自分では気づいていなかったが、どうやら2~3年前から虫歯になっていたらしい。結局、虫歯を削って、そこに人工の歯を詰めることになった。小学校の時以来の麻酔注射を打ち、ウィ~ンという音をたてながら歯を削られる。でも、小学生の乳歯と違って、今回は永久歯を削られるというのがショックだった。小学校の時は、どうせ削られても今度はまた新しい歯がはえてくるし、なんて思ってたけど、今回はそうはいかない。一生この人工の歯をつけたままなんだなぁと思うと、「健康が失われていく」ってのは、こういう感覚なのかと思った。歯だけじゃなくって、身体ももっと大切に。
2005年01月28日
コメント(0)
最近、本が好きだ。よく本を読むようになった。高橋歩 「人生の地図」を読んだ。「必要なのは勇気ではなく、覚悟。 決めてしまえばすべては動き始める。」「あなたにとって大切な人は誰ですか? 大切な人を大切に。」「自分の旗を掲げるとしたら、大きな文字で何と書く?」「愚人は過去を、賢人は現在を、狂人は未来を語る。」
2005年01月27日
コメント(0)
先手先手で働きかけると仕事は楽しい。会議だらけの一日でも、合間合間でうまく仕事が進んだ。ちゃんと計画立てて、ひとつひとつキッチリつぶしていく。当たり前だけど、これができると気持ちいいんだな~と思った。そして、普段いかに無計画に仕事してるかよくわかった。今年はちゃんとやろう。ちょっとはスピードが出てきた感じ。よ~し、がんばるか。またあした。
2005年01月11日
コメント(0)
Saying 'I love you' is not the words I want to hear from youIt's not that I want you not to say But if you only knew How easy it would be to show me how you feel more than words is all you have to do to make it realthen you wouldn't have to say that you love me'cause I'd already know What would you do?If my heart was torn in twomore than words to show you feel that your love for me is realwhat would you sayIf I took those words awaythen you couldn't make things new, just by saying 'i love you' more than words now that i've tried to talk to youand make you understandall you have to do is close your eyes and just reach out your handsand touch mehold me close, don't ever let me go more than wordsIs all I ever needed you to showthen you wouldn't have to saythat you love me 'cause i'd already know
2005年01月09日
コメント(0)
客は買う理由を求めている。新しい服を買うべく、バーゲンに出かけた。ハッキリ言って、僕はオシャレにはあまり自信がない。背が高いから、細身のスーツなんかはそこそこ似合うけれど、残念ながら外見的にイケメンではないので、えらくカッコつけた服なんかは、さすがに気がひけてしまう。そんなコンプレックスもあってか、服を買いにいくのがあまり好きじゃない。たまにポールスミスなんかで、少しは似合うようになったんかしらと試着してみたりするが、やっぱりどうも違う。そこで店員に無理やり褒められたりすると、一気に買う気がうせる。「似合ってないな~と思いながら、心にもない褒め言葉を言ってるんだな、この人。」なんて、嫌な事を思ってしまうくらい、ひねくれてしまう。そんな自分の心の狭さを感じてしまうから、さらに服を買いに行くのが嫌いだ。でも。それでも、やっぱり新しい服が欲しくなるときもある。それなりにいい服を着ていたいし、それなりにカッコもつけたい。それに、気にいらなくなった服をずっと着るのは、服を買いにいくことよりももっと嫌いだ。そんなわけで、気が進まないながらも久しぶりに服を買いにいった。JR高島屋をふらふらと歩きながら、あれこれ考える。服を買いに行くのが嫌いだけど、買わなければならない僕が、求めているものとは何か。きっとそれは「買う理由」だ。よほど奇抜なものでなければ、僕は買う。好みだってあるし、気にいるものもたくさんあるはず。そんな中で、今日選ばれる服は、今日僕がもっとも納得した妥当な理由をつけられた服のはずだ。僕は服ではなく、理由を求めてフロアをまわった。初めに目についたのは、セオリーだった。セオリーの服は好きだ。素人目に見ても仕立てが良い感じだし、デザインもとてもシンプルなのがいい。でも、僕がセオリーに求めているのは、きっと「ブランド」だ。社会人になった頃、その時付き合っていた彼女に教えてもらった。「セオリーはちょっと高いけど、育ちのいい上品な人が着るようなブランドだね」と。実際に、一緒に行った表参道の路面店では、大学生くらいのいい歳をした男が、両親と妹とおぼしき上品そうな家族と談笑しながら、服を選んでいた。「大学生になったら服くらい自分で稼いで買えばいいのに。いい歳して、両親と服を買いに来るなんて恥ずかしい。」と思ったから、よく覚えている。でも、何故かそれ以来、セオリーというのはそういう「上品なブランド」として、僕の頭には認識されていた。そして去年の冬、ふとした拍子にマフラーを買い、それが気にいってから、スーツも買ったし、シャツも買った。いつの間にか、その「ブランド」を求めるようになっていたらしい。いつの間にか、その「ブランド」から発せられる「上品さ」のようなものを求めていたのかも知れない。セオリーの次はボスに入った。まあまだボスの服を着るような歳ではないだろうけど、ものは試しとあれこれ試着してみた。まあ悪くはないし、似合わないでもない。ふと値段を見ると、何てことのないパンツが3万円もした。バーゲンで安くなってこの値段。へぇ、やっぱりこれくらいするんだ。そう思った。そこでふと、買ってみようかという気になっている自分に気づいた。こんな普通のパンツを3万円で?買ってもいい?そう自問自答しながら考えた。何故これを買おうと思ったんだろう、と。きっとそれは値段の高さだ。何てことのない普通のパンツだけど、3万円もするからだ。「普通に見えるけど、そうじゃないんだ。3万円もするんだぞ。3万円もするから、買ったんだ。」と言って、それを着ている自分をふと想像した。服を買う理由は「ブランド」だけではない。セオリーの服は自慢したくなるけど、ボスの服はあんまり自慢する気にはなれない。そう考えると、やはり今このパンツを買おうとした理由は「ブランド」ではなく、「値段」なんだ。そう気づいた。でも、そう気づいた瞬間、一気に買う気がなくなった。鏡に映るこのパンツには、値段が高いということしか価値がない。そうわかった今、わざわざ3万円をここにおいていくのは、バカらしい気がした。金は持っているかも知れないけど、あまりにセンスのないおっさんが何人も店内をウロウロしていたのが、その気持ちに輪をかけた。「この人たちもきっと『値段』にだけ価値をおいてるんだろうな」と。そして最後に。前にも何度か服を買ったことのある「JOSEPH」というブランドの店に立ち寄った。僕はこのブランドのことをよく知らない。どういう人が着るのか、どういうイメージなのか知らない。それどころか、いまだに読み方すら定かではない。ジョセフ?ジョゼフ?それともひょっとしてヨゼフ?でもまあ、そんなことはあまり気にしたことがない。知らないから友達に自慢したこともないし、誰かに話したこともない。でも、いくつもここの服は持っているし、今気にいってよく着ているセーターもそうだ。読み方も知らないブランドの服を買う理由。それは「人」だ。ここには決まってひとり男の店員がいる。別にカッコいいわけではないし、背も高くない。とびきりオシャレなわけではないし、かといってカッコ悪くもない。あまり特徴はないけれど、雰囲気はまずまずいい。そんな、どこにでもいるような人。初めてこの人に声をかけられたときは、ちょっとノリが軽すぎて嫌だった。でも、話してみると結構ちゃんとしている。商品についてはしっかり説明してくれるし、自分の意見だってちゃんと言う。動きは早いし、押しも引きもテンポがいい。そうして話しているうちに、不思議と本音が言える感じがした。「う~ん。正直、何か違うような気がするんですけど」なんて言っても、「あらららら。。」なんて言いつつ、「何が違うんですかねぇ。色目は合うと思うんですけど。ま、でも何か違うと思われるってことは、どっか違うんでしょうねぇ。」なんていいながら、そんなに強引には薦めてこない。でも、こっちが「おっ。これならいいかも。」という顔をすると、あれこれ似合ってるポイントをさらっと言ってくれる。そうすると、「あら。やっぱり?」なんて思いつつ、思わずニヤけてしまう。するとどんどん畳み掛けられ、じゃあこれ買います、なんて言ってしまう。自分でも「単純な客だ」と思いつつ、でもそうやってお金を払う。去年の夏、初めて買って以来、僕に「買う理由」を与えてくれるこの人を求めて、この店に来るようになった。僕は、彼が与えてくれる「理由」ではなく、理由を与えてくれる彼自身を「買う理由」として求めているのだ。ブランドでも値段でもなく、「人」が理由だったのだ。そんなことを感じながら、彼が似合うと薦めてくれたスーツを買って、バーゲンでにぎわう高島屋を後にした。
2005年01月08日
コメント(6)
研修会を行った学校の先生方と飲みにいった。1年前は担当が変わったから僕に連絡をくださいと言っても、全然相手にしてもらえなくて、前任の先輩ばかりに連絡をとっていた先生だったのに、この日は前もって誘ってくれた。1年で少しは信頼してもらえるようになったんかな。そんな気がして嬉しかった。
2005年01月06日
コメント(0)
仕事始め。ずいぶんと休んだお陰で、頭も身体もついていかず。クリスマスイブに研修会をした学校の校長先生の言葉を思い出した。「夏休みなんてもんは、教員は休みすぎなんだ。来年からは8月の最後の週は午前中だけ授業にするぞ。子どもだって教員だって、9月からいきなりはじめても頭も身体もついていかん。だから、休みが明ける前に助走期間を作るんだ。そうすればきっと9月からうまくスタートできる。」そうそう。その通り。と思って聞いていたことを、自ら体感。また仕事に頭と身体を慣らしていかねば。
2005年01月05日
コメント(0)
ネガティブな感情は、なるべく出さない。言いたくないことは、ぐっとこらえる。気になっていても、無関心を装う。カッコ悪いことは、できるだけしない。という性格。でも、マイナスの感情を少しずつ出してみると、それがプラスの感情に跳ね返ることがわかった。本当に出したくないけど、言ってみたら、そんなマイナスの感情が出てくる分の何かが自分の中にあることがわかった。当たり前なんだけど、ちゃんと気づいていなかった感情の表裏。
2005年01月04日
コメント(0)
怒涛の正月休みを終え、名古屋に戻る。今年はさほど予定を入れていなかったつもりが、終わってみると、やはりたくさんの人に会っていた。自分でも驚いたが、人と会って『疲れた』という感覚を初めておぼえた。今までいくら人と会っても、疲れることはなかったのに。でも、たくさん自分の話もできたので、だいぶとスッキリした。僕のために時間をとってくれた人に感謝。夕方頃、名古屋に戻り、久しぶりにひとりの夜ごはん。昼に「マクドに入ろうか?ジャンクフォード初め!」なんて言いながら、結局入らなかったことを思い出し、ココイチでロースカツカレーの予定を急遽変更し、マクドへ向かった。今日までという限定に惹かれ、ビックマックのセットを購入。ものすごい匂いを漂わせながら、家でビックマックをほおばった。、、、と、ここまでは良かった。ナゲットとポテトをつまみながら、ジャンキーな晩餐が終わろうとしたその時、信じられないことがおこった。ガキッ!!と、急に不快な食感。「こらこら。一体何が入っとんねん。砂噛んだあさりみたいな音がしたな。。」ペッペッと口の中のものを出した後、残りをほおばってアイスティーを飲んだ瞬間、右の奥歯におかしな感覚。。あわててさわってみると、何と歯が欠けていた。右の上あごの奥から3番目の歯。結構頑丈なハズの歯がすっぽりと欠けていた。まいった。身体のどの部分よりも健康な歯が、ビックマックで欠けるとは。小さい頃から歯だけは丈夫で、小学校3年生以来、歯医者に行ったことは、一度もない。中学では3年連続、学年でもっとも歯並びが綺麗で表彰されたくらいなのに。そんな歯が何故欠けたのか?何が起こってもさほどショックを受けない性格なのに、これには参った。しかも、小学生の乳歯が抜けるのとは違って、こっちは永久歯。しかも、何よりも健康に自信のあった歯が欠けるということは、身体の他の部分にも、何かよくないことが起こることを連想させた。歯に負った傷より、心に負った傷の方が大きい。明らかに。久しぶりに本格的に落ち込んでしまった。ショック。あいにく歯医者は4日まで休み。仕方なく土曜まで待つことにした。はて、どんな診断結果が出ることやら。
2005年01月03日
コメント(0)
もっと素直になればいいのに。無意識のうちに、ええかっこしいだから困りもの。この一年でどれだけ素直になれるんやろう。もっと自分の感情に素直に生きたい。素直に自分を表現できるようになりたい。______________________________________________________大学時代の友達と会った。中学の同窓会にも行った。自分と同じタイプの人は、すぐわかる。「あ、この人、オレと同じ。もっと素直になればいいのに。」人のことはよくわかる。自分のことは全然わからん。
2005年01月01日
コメント(0)
名古屋の大忘年会。ものすごくありきたりだけど、マツケンサンバを踊った。派手なステージの中、100人の聴衆の前で歌い、踊った。なかなか気持ちよかった。やっぱり主役が気持ちいい。自分が主役だと、ヤル気が全然違う。主役の時と、脇役の時では、モチベーションが天と地ほども違う。少なくとも自分の性格はそうだとハッキリわかった。何だか今年は宴会芸ばかりしてたような気がする。来年はちゃんと仕事の本業をがんばるようにしよう。主役の自覚を仕事にも。
2004年12月29日
コメント(0)
半年ぶりに東京へ。おのぼりさん的な感想。「東京って、やっぱ都会やなぁ。」丸ビル勤務の頃は、何とも思わなかったけど、1年離れてみると、すごいところで働いてたんやなぁと思う。とはいえ、会社のビルがたいしたことなかろうが、仕事が地方をまわる仕事であろうが、今の方がいいと言い切れるけど。前職の同期とランチ。相変わらず大変そうだ。時間の流れ方が違う。やっぱりベンチャー気質が残る会社だけあって、ひたすら高い目標を要求させられ続けるんだなと思った。就職した時から退職した時まで、ずっと思っていたことだけど、社員がみんな疲れてる。「苦しいながらも楽しい」とか、「苦しいながらもやりがいがある」という感覚ではないように見える。日曜出勤していた別の同期に会った時も、笑顔が硬かった。立派なビルに入っていても、それは仕事のやりがいにはつながらない。ビルの賃料よりも先に、社員に還元するべきなんじゃないの?プライドとかカッコではなく、社員の幸せをもっと優先すべきなんじゃないの?そんな感想。自分は早くにやめてしまった人間だから、偉そうなことはいえないけど、相変わらずな会社を見ていて、ちょっと悲しくなった。そこでがんばる同期は好きだけど。_______________________________________________________NPOのミーティングに参加。先に進まない理由がわかった。外から新しい血を入れていないからだ。外から新しいメンバーを入れないと、血のめぐりが悪くなる。内部だけの盛り上がりになって、余計に外から人が入りにくくなる。もっともっと外から新しい刺激を受けていかないと。「何する?」って、言っていることが既に停滞している証拠では?外から人を呼べば、「やりたいこと」の案なんていくらでも出てくる気がする。中のメンバーはすでに一度やったイベントでも、外からの人を加えれば、また違ったテイストで面白くなると思う。外向けに情報発信をしていなくって、外から人を取り入れていないなら、外から見て存在感がないのは当たり前。存在感がない組織が、何も期待されないのは当たり前。あとは、一番上に立つ人間が、ちゃんと腹をくくること。それこそがリーダーに求められる資質。_______________________________________________________一生の友達ふたりが結婚を発表した。心からおめでとうと言いたい。本当に、心からおめでとう。言葉であれこれ言っても、言い尽くせません。もう何も言いません。末永くお幸せに。何年後になるかわからんけど、お互い子どもができたら、一緒に遊ばせたいね。
2004年12月26日
コメント(4)
心温まるプレゼントをもらった。午前の研修会の後にも、午後の講演の後にも。「これなら手帳に入るかなと思って。」と言って、バーバリーのペンをもらった。いつも安っぽいボールペンを手帳にはさんでたの、見られてたみたい。「せっかくのイブの日だから。」と、かわいらしいケーキをもらった。会社に帰って、残業してた先輩と同期と3人で食べた。「年末は実家帰るんでしょ?お母さんに。」と特上の静岡茶をもらった。前に、お茶を持って帰ると母が喜ぶと話していたのを覚えてくれていたらしい。わざわざ忙しい中を、時間とお金を使って、プレゼントを用意してもらえただけで、それだけで嬉しい。_______________________________________________________ふたりの先生に共通して言えること。それは「人を信じること」なんだと思う。何もわからない僕を、初めから信頼してくれたし、初めからほめてくれた。自信があるとか、ないとかにかかわらず、これだけ信頼してまかせてもらって、うまくいかなかったときも、できたところに目を向けて、ほめてもらえると、自然と「次は本当に喜んでもらえるように!」とがんばる気持ちになる。こうやって子どもにも接してるんやろうな。気持ちが通じる子もいれば、そうでない子もいるだろうし、信じて伸びる子もいれば、裏切られる子もいるだろうけど、こんな風に「子どもを信じて」、日々仕事してるんだろうなって思った。そして、自分も育ててもらってるんやな。まだまだ出来は悪いけど、早く成長します。心から感謝。_______________________________________________________別にクリスマスというイベント自体はそんなに好きじゃないけど、こういうタイミングで感謝の気持ちを伝えたり、伝えられたりするのは、とても素敵なことだなと。いいクリスマスイブになりました。感謝感謝。
2004年12月24日
コメント(0)
うん。振り返ってみると、なかなかよくがんばったもんだ。バタバタしてたけど、何とかなるもんだ。ここ3ヶ月を振り返ってそう思った。でも、もっともっとできるはず。次はこうしたい。こうしたらうまくいくだろう。そんなことをあれこれ考えられた。_______________________________________________________久しぶりにCDを買った。ねぇ そんな事を隣でキミも思ったりするのかなぁ思いが重なるその前に 強く手を握ろう切なくなるけど、ええ曲やなぁ。
2004年12月23日
コメント(1)
思っていることを言ってしまうと、心が軽くなる。「言わなければならない」と自分を追い込むのではなく、純粋に「思っていることを、そのまま伝える」ことで、心が軽くなった。人と共感するというのは、何かとても嬉しいものが、身体の中からじわ~っと湧いてくるような、そんな幸せな感覚だと思った。瞬間的な喜びではなく、継続的に盛り上がっていくような、そんな喜び。一時の刺激ではなく、とてもいい空気をまとっているような、そんな嬉しさ。心についた余計なものが、ぽろぽろととれていく。酔ってもいないのに、いい気分。
2004年12月18日
コメント(0)
研修にて大阪へ。京都から大阪に向かう新幹線から景色を見ていると、学生時代を思い出す。毎日大阪まで通ってたよなぁ。R社のSTAR研修。周りの友達からも話を聞いていたので、楽しみにしていた。上司やお客さんにお願いしたサーベイ結果によると、、、「エミアブル」に分類されていた。「人の意見を聞く・意見を主張する」というx軸と、「感情を抑える・感情を表す」というy軸の座標をとって、大きく4つに分類するというもの。「エミアブル」は「人の意見を聞く」「感情を表す」の象限にあたる。ふむふむ。診断結果を読んでいると、とても納得した。仕事の進め方における長所:・形式ばらない態度は周囲の人と早くうちとけるのに役立つ。・自分の商品や提案を信じ込むと、仕事に自信と説得力が増す。・人のために意見やアドバイスを提供できる。・自分の仕事成果をあげることと、相手のニーズに応えることを両立させることができる。短所:・よい関係を壊したくないため、周囲の人との対立を避けることもある。・いろいろと手伝おうとするあまり、結局すべてが中途半端に終わることがある。・仕事が順調に進まず、相手に決断を迫らなければならない場合、 最後まで粘りとおすことができないこともある。・人と競い合うことが多少苦手である。ふむ。当たってる。というか、そう見られているということであり、実際にそうだと思う。人間関係に頼りすぎずに、ちゃんと知識をつけましょうともあった。事実、データにもとづいて決断を迫れば、もっと信頼される、ともあった。確かに。有意義な研修だった。ちゃんと学んだことを日々の営業に生かそう。エクスプレッシブな相手には、「相手のペースで共感しながら」「細かい話はしない」「ユニークな提案を」「熱心に」アナリティカルな相手には、「具体的な質問」「リスクをつぶし」「形に残し」「時間と情報を与える」ドライビングな相手には、「ビジネスライクに」「簡潔に質問し」「複数の提案をして」「相手に決めさせる」エミアブルな相手には、「じっくり聞き出し」「人の意見やエピソードで」「リスクを減らし」「サポートする」さてさて、明日からできるかな?______________________________________________________別の事業所のメンバーと仲良くなった。彼はドライビング。僕とは対極の象限にいるけど、こういった相手の方がやりやすい。僕は「対応性」が高いと診断されたが、だからかもしれない。いい人脈がまた広がった。人とのつながりは財産だ。今この瞬間に価値があるものではなく、時間とともに大きな価値を生むことがある。この先、きっと協力しあえることもあるだろう。研修の中身とは別の意味でも、収穫のある研修だった。感謝。
2004年12月16日
コメント(3)
って言葉を前に聞いたけど、こういう状況なんかな。ふと思った。だけど、楽しいっちゅうよりは、やっぱ苦しいけど。_______________________________________________________研修会でほめてもらった。内容のある話ができた気がする。ようやく、自分の言葉でしゃべれるようになってきたという実感。それとともに、相手の反応もやっぱり変わってきた。こういう充実感、もっと増やしていきたいな。_______________________________________________________今日この頃の教訓。「できないことはできないと早めに言おう。」_______________________________________________________脳ミソは使わないと腐っていく。すぐに思考停止してしまう自分に反省。_______________________________________________________意識するとうまくいかない。無意識だとうまくいく。物事、一生懸命がんばってうまくいくものと、一生懸命がんばって、必ずしもうまくいかないものがある。自然体でうまくいくときもあれば、自然体を意識しすぎてうまくいかないときもある。まー何でもいいや。適当にキッチリやろう。したたかに、しなやかに生きるというのは、できそうで難しいことなんやな。
2004年12月15日
コメント(0)
仕事がどんどんたまっていく。。。予想はしていたことだけど、次々と仕事のヤマ。いや~。笑いに変えるなんて書いてたけど、ホンマに変えられるんかしら。この仕事量。こういうときこそ優先順位つけんとね。ま、仕事がなくてヒマなのよりは幸せだと思うし。
2004年12月12日
コメント(0)
化学室に入るなり、笑顔でそう言われた。ちょっとビックリした。年度当初は5分も話してくれなかった先生がそういってくれた。「だって、君は関西人だからねぇ。やっぱこれでしょ。」「仕事なんて、いやなことだとか、つらいことだとか、苦しいことばっかりなんや。だから、幸せのハードルを下げるってことが大事なんや。お客さんが笑ってくれた、それで仕事してて良かったって思えるように。」って、就職したての頃、そんな話を聞いた。まさにこの日の一言が、そうなんやなーって思った。仕事をしていて良かったと感じる瞬間。お客さんに救われるんやな。そう思った。
2004年12月10日
コメント(0)
仕事を終えて家へ帰ると、一通の手紙。結婚した友達とお嫁さんから。スピーチほめてもらった。素直に嬉しい。「思いのほかよかった」なんて書きやがって。一応、しゃべりが仕事やっちゅうねん。当たり前や。「ホンマええヤツやろぉ~」って、お嫁さんに話してくれていたらしい。なんだか照れくさいけど、嬉しい。最近、純粋に「嬉しい」と思えることが多い。今日の手紙にせよ、何にせよ。素敵なことです。うんうん。______________________________________________________なんて言いながら、今日仕事で腹が立ったのを思い出してしまった。「そんなん無理やっちゅうねん、あほ。」って思ってしまった。あれもこれも、抱えきれないほどの仕事がある中で、はよ帰れなんて言われても、帰れるわけないやんけ。まあ、みんな自分以上に仕事してるんやし、なんだかんだ言ってまだまだわからんことばっかりで迷惑かけてるから、そんな偉そうなこといえる立場ちゃうけど。でも、腹立った状態で仕事した方が集中できた。明日もがんばりますか。
2004年12月06日
コメント(0)
何でも笑いに変えられる。ふとそう思った。そうなんよね。何でも、どんなことでも、笑いに変えられる。笑ってしまえるというのは、強いことだ。自分には、きっと人よりその能力があるという自信もある。だから笑っていよう。これからも。______________________________________________________人を思いやるというのは、「自分だったらどうするか考える」ということだと思っていた。でも、ちょっと違う。相手は、自分とは感じ方が違うのだ。だから、これまでの相手の言動とか行動とか、いろんな要素から、「この人だったらどうするか」を考えることが、「思いやり」なんだと思う。だから難しい。「自分だったら」なら、まだそれよりは簡単なんだけど。
2004年12月05日
コメント(2)
営業しまくった今週。帰る前に最後に一校立ち寄った。仲のいい先生がちょうど進路室にて面談中。「おう!お前もこい。コイツにアドバイスしてやってくれ。」と気軽に中に引き入れてくれた。話を聞いていると、医学部志望だったが成績がなかなか上がらず、浪人もするなと親から言われてしまっているため、志望を変えざるを得なくなったとのこと。志望を法学部に変えて、志望校を再度決めなおしているところだった。今の成績で法学部でこれから受験できるところ、前期と後期の出願の組み合わせを、先生と一緒になって3人で探した。1時間かかって、いくつかに絞りこみ、あとは家に帰って親と相談するとのこと。終わった時には19時だった。そこで感じたことがふたつ。ひとつは先生の熱心さ。さすがベテラン。行動が早い。生徒の得意な教科、大学の特徴、入試問題の特性などなど、調べるべきことをすぐに調べて、生徒と相談する。さすが、と思った。もうひとつは、生徒の表情。医学部をあきらめないといけない状況ということもあって、表情が沈んでいた。まあ当然といえば当然なんだけど。でも、自分の将来がかかっていることなんだから、もっと「自分がどうしたい」という話をしてもいいものなのにな、と思った。「もう、自分のことなんやで。大学って、人に決めてもらうところじゃない。大学にいくってのは、もう大人になるってことなんやから。」そう思ってみていた。
2004年12月03日
コメント(0)
長らく営業に行けていなかった3校3人の先生のもとへ。1校目。とっても僕を信頼してくれる先生。はじめはだいぶと頼りなかったはずなのに、一番初めからずっと僕に意見を求めてくれたし、ずっと話を聞いてくれた。これだけ信頼してくれているからには、いい加減なことはいえない、と本気で思うから、自分にできる限りしっかり対応しようと思った。そうして接していくうちに、どんどん信頼関係が築けていった。まずは、相手を信じることで信頼関係を築いて、WINWINの関係を築いていく人なんだと思った。一人でがんばっていた先生に、もう一人大きな味方ができ、そして今度は僕が力になる。何としても、成功させたい。今日の打ち合わせは、ワクワクした。がんばろ。2校目。相変わらずのすごいキャラクター。前回は、もうこの世の終わりだ~くらいにグチりまくってたのに、今日はものすごくご機嫌。久しぶりにあんなビッグスマイルをみた。めちゃ嬉しそう。ご自身の考えた指導がちゃんと実を結んだからこそ、嬉しいんだろうなと、こっちまで嬉しくなった。ここまで目の前のことにのめりこめる人、めったにいないハズ。とにかく、心も身体も全部目の前のことに一喜一憂。でも、さんざん目の前の話をした後は、先々のことを徹底的に話をする。すごいなぁ。ちゃんとこの先生のスピードについていかないと。置いていかれる。国語の教科指導の話も納得した。やっぱりプロだなって思った。自分が国語の先生になるのなら、この人に鍛えてもらいたいな。3校目。もう何が、とはいえないが、とにかく尊敬している先生。何と言うか、こんなに物事の本質を理解している先生はいないんじゃないかと思う。話すたびに、如何に自分の考えが浅いかを感じてしまう。子どもにとって、本質的に何が必要なのか、そこに対して、本当にしっかりとした自分の考えを持っているように感じる。今日聞いたこと。「無駄なことはしたくない、嫌いなことはやらなくていい。そういう思考が世の中に蔓延している。」「今の子どもは、ストレスを避けるように育てられてるから、ストレスに弱くなる。」そう。そう思う。自分自身も含めて。言っていることにすごく納得した。しかも、この先生、自分はちゃんとできているからこそ、尊敬できるんだよなぁ。でも、ちょっぴり羽目はずした人間くさいところがあるから、また魅力あるんだよなぁ。40代でなら、こういう人になりたい。この先生に、年末に4人で飲みに行こうと誘われた。今日久しぶりに会った大好きな3人の先生と一緒に話す。こんなところにまぜてもらえるなんて、すんごい幸せなことだと思う。ホンマに恵まれてる。やっぱ先生と接する時間が一番おもろいな。
2004年12月02日
コメント(0)
全197件 (197件中 1-50件目)