PR
Keyword Search
Calendar
Category
Comments
小岩から立石へ自転車で移動すると、奥戸小学校の前に『古代東海道』についての説明看板があった。
鐘ヶ淵の墨田の渡しから、国府台へと古代東海道は続いていたらしい。
説明だと、771年に古代東海道が葛飾区を東西に横断していたとある。
そして、立石の地名の由来は古代東海道の道しるべだった立石様という。
その立石様を目指すつもりが、熊野神社になってしまった。
そうなったのは、説明看板の地図を読み間違えたせいだ。
地図の赤い古代東海道と、現在の小岩から立石へ行く道路は、中川にかかる奥戸橋を渡ると、右へカーブをする。
だが、古代東海道は違った。そのまま、まっすぐ進む。
その住宅地の中を進む道の先に立石様はある。
だけど、自分の頭の中で、道の右側で、古そうなところ=神社となり、熊野神社へ行ってしまった。
その熊野神社が痺れるほど面白かった。
まず、神社のマークが五角形でカラスがデザインされている。
しかも、安倍晴明が建立し、寺社の立つ土地が五角形である。
寺社の掲示板には、荒俣宏さんの解説があり、そこには、カラスや、安倍晴明が、邪霊や水害をはねつける五角形の結界を張っているなどの説明がある。
そして、熊野神社の本殿の脇にはクスノキが2本立っている。
巨木を見ることが少ない江戸川区、葛飾区で、このサイズの樹木は、土地の安定を物語っている。
樹齢は約350年だそうだ。
安倍晴明の結界効果のせいだろうか。
気になってその五角形の周りをめぐりたくなったが、土地の周りに家屋などがあり、道路沿いに五角形があるのではないことがわかる。
おそらく安倍晴明が引いた五角形の結界は今のところ曖昧になっている。
その熊野神社の南側に、真言宗豊山派寺院の南蔵院、別称五方山立石寺がある。
熊野神社の別当寺として長保年間(999-1004)に創建したと伝えられている。
安倍晴明の五角形の意が寺の山号に含まれている。
なんか、日本版ダ・ヴィンチ・コードが目の前に提示されたかのようだ。
この五角形の南方向にはなにがあるのだろうか。
江戸時代は、周りは水田だったはずだ。
そして、巨石信仰が伺われ、古墳などの痕跡がある。
縄文海進後の葛飾が陸地となり、東海道も海路から陸路に切り替わった頃の安倍晴明の仕掛けた謎解きがありそうだ。
そんな自分はカラスに見守られている。
第143回「夏こそ、かき氷、小岩極上『広島… 2019.07.25
第142回「バングラデシュ家庭料理と小岩で… 2019.06.24
第140回「小岩のビリヤニハウスは高級ホテ… 2019.04.23