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9月30日(水)川柳で主張するユリオプスデージーこの花は年中少しの花をつけている感じがあるが、今からの季節が本来の花時。「夏の暑さに負けず、冬の寒風にも負けず私はそういう花になりたい」なんて言っているようだ。葉っぱは銀色になって、こまかい毛が付いている。島で育てていた時は何年もたつと中心の幹は硬い木の枝のようになった。ユリオプスは属名、デージーは菊の仲間を指す英名デージーを組み合わせたもの。ユリオプスはギリシャ語で「大きな目を持つ」という意味がある。他の名前に」木立性デージー」とかアフリカンイエローデージーなどとも呼ばれる。花言葉は円満円満に一年を越し花盛り 春苗のやさしさいつか堅い木にああせめて心は苗の日のようにあるがまま電線を入れてなぜ悪い夕焼けに電線3本アクセントウインク天然のグラデーション赤とんぼスマイル稲佐山頂上から北の方へ下ったところに野外音楽堂と広場がある。そこから往復できる小さな電車があり、鉄骨が左端の頂上に見えている。春頃だったか好奇心で乗車して紹介した。稲佐山頂上にある展望所の下にも何か新しい施設ができているというがまだ行っていない。バスで160円でコンサート会場までは行けるが、登山電車はいくらだったか忘れた。下の神社からのゴンドラの値段とt比べてどうなんだろう。頂上に辿る道筋 Up to you クール一歩ずつ努力しかない英語かな泣き笑い勉強をたのしみとして老い深むうっしし努力とは己にあげる褒美なりオーケイ死ぬるまで学ぶ幸あり夕焼けやスマイルさわやかに鮮やかに吾もなりゆかんぷぅー(下の写真を見て)教皇フランシスコの言葉Smallness is freedom.One who is smoll,in the Gospel sense, is unencumbered and free from any urge to show off,and from any clim to success.自由は、つつましさの中にこそ宿ります。謙虚に自分の小ささを自覚すれば、余計なことで悩むことはなくなり、見栄を張ることから逃れられ、成功だけにこだわる必要もなくなります。
September 30, 2020
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9月28日(月)本1冊リュックに入れて伊王島日曜日天気上々。気温よし。バス代は無料。温泉にも入れる。日帰りできる。その日の朝勉強のあと窓を開けると素晴らしいお天気が誘う。長崎港の入り口のちょっと先にある島まで行こうと思い立つ。まあこれも本当はブログに乗せる目的があっての事。8時30分のバスが駅前から毎日出る。もちろん予約もいるのだが、もしダメならダメでもその時は映画でも見るかという気持ちで下りて行く。予約してないのだけど乗れますかと聞くと後9席あいていると。ラッキー!次の便はうまっていると・・・。今日の目的はこのビーチへ一度行ってみたかった。今まで姉や従妹・義妹と最初に行って、その後次男の家族と、でもこのビーチに行ったことがなかった。折角ののいい天気なのに、写真の設定がどこか触ったのかこんな設定になって居たのに気が付かないで・・もう仕方なくこれで通した。バスは50分近くかかる。長崎市から南へ南へ。そして島への長い橋を渡る。昔は橋がなく大波止から定期船が動いていた。波音の優しき響き聞きながら島の道行く秋の初めよ長崎市内の街は、突き出た半島の影になって見えない。白い砂浜に2,3人。さすが泳ぐ人は居なかったが、海遊び、モーターボートでナイロンの乗り物を急速で引っ張り、時々歓声があがっていた。せっかくのいいお天気、いい気候なのにこの写真の設定で台無し。またいつか来る事にしょうと決める。白い教会へも行かなかったし。新しい施設もできていた。若い人向けでバスが付いたときはそこは行列ができて居たのでその施設には入らなかった。バスを下りてゆっくりと写真を取りながら緩いカーブを曲がるとすぐに美しい砂浜が目に飛び込んできた。私は人が少ないホテル付のかけ流し温泉に入ってきた。料金は千円もしなかった。長崎市内のあるショッピングのカードを持っている人は半額らしい。その後風呂上りにコーヒー牛乳を飲みソフトクリームを食べて11時半のバスで帰ってきた。若い人たちのグループが多かったがみんな車でやってきていた。もっとゆっくりできるのに貧乏性だなあと自分でも思いつつ。橋を渡ってすぐのところにある教会。バスの中から写した。ここの見学はまた来た時の楽しみにする。持って行った本は友人から借りたもの。浜辺で残りのページを読んで、風景をたのしみ温泉も楽しんで早々と11時半のバスで帰ってきた。島の施設は1か所ではなく海辺に少し離れつつあるが、そこを繋ぐミニバスも休みなく動いていて、何よりよかったのは、案内をする運転手さんや初老の男性たちのマナーがとっても感じよかった。初めての人が一人で来ても何の心配もいらない。そして自転車もいろんな種類が取り揃えてあって(有料)自転車をこぐ若者たちや家族連れも多かった。私も今度来た時は自転車に乗ろうかなあ。昔は「安らぎ伊王島」今は [ i +Land nagasaki]ネットより。新しいスパ。私が入ったのは古い方。でも趣があってよかった。ここは途中の入り江を写す。海水浴場にはなっていない。ここは海水浴場。少し大きな施設も付属していたのだが写真に入れなかった。
September 28, 2020
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9月25日(金)故郷へ 口之津へ。新しくできたフェリー乗り場。奥は食堂レストラン。以前は昔の税関の建物を利用した小さな博物館が今は、この新しい建物の2階に移されて、映像を使ったこの港町の歴史が昔にスリップするがに見える動画や写真になった展示もあって、とっても充実していた。この建物の周辺も広い駐車場や見張らせる待合室など充実していてなんか寂しいうらびれた口之津が一気に元気を吹き返している感じがした。古い赤い桟橋。ここからもうずいぶん前に夫の親戚のおばさんが娘さんの住む天草にいって入院している病院へ行ったことがある。その時初めて海の向こうに見える天草へ渡った。その時の出会いが最後となった。明るくて元気なおばさんで私も大好きだった。今度来た時はここから姪も連れて天草に渡ろうかと友と話し合った。口之津町は加津佐町の隣町だけど、私には故郷と同じように懐かしい町である。母が3歳の時なくなって、先ず預けられたのが一人で洋裁をしてくらしていた父の姉の家に預けられ、そこは製糸工場のある叔母の家の一部だったところで過ごした。口之津の映画館に叔母たちが洋画や、チャンバラ映画を見に連れて行ってもらったが、チャンバラは大きらいだった、自分だ刀で切られるような気がして体がしてズンズンした。今も鮮明に残る映画は「赤い風船」音楽だけで台詞がない映画だった。赤い風船が命をもった生き物のように動いて小さな男の子がそれを追う・・・。あのころ4歳になっていたのか?・・・。小学時代、そのころバスも頻繁にあったがバスなど使わず休みの日は口之津の入り口近くにある栄おばさんの家へ。「ふけんたん」という急な坂を下ると、製糸工場を営むいくつもの棟があるおばさんの家が見えた。転げるように走り下って、先ずは細い田んぼの道で大きな荷物用の自転車で三角のりをして自転車の練習をした。練習に厭くと、製紙工場見学。たくさんの女工さんたちが一心に絹糸を繰っていた。そして後ろには美しく光る絹糸をまいたものが並び見ているだけでも楽しかった。でもあの蛹の匂いはあまり好きではなかった。残念ながらこの資料館の写真は撮影できなかったが、パンレットをスキャンした。パンフレットはよくて直接の写真撮影はなぜダメなんだろう。広く皆さんに見ていただければ行って見たいと思う人もいるだろうに・・・。口之津港の歴史を改めて詳しく知って、いままで、あまりそんな価値を知らなかった私は大いに恥じた。こんな素晴らしい役目を持った歴史、「唐ゆきさん」などの悲しい歴史を見て改めて口之津のすごさを知った。そして以前26聖人のミュージアムでもらったパンフレットのこの人、中浦ジュリアンも口之津に住んでいたのだ。口之津にはもう一人父の姉の叔母さんが住んでいた。このひとは金おばちゃんとよんだが彼女は若い頃、長崎の平和祈念像を作った北村西望さんが東京で芸大の教授の頃お手伝いさん兼弟子見習いとしてはるばる加津佐から出て行ったというからすごいものだ。私も東京へ出たかったけど、とてもそんなことも誰にも言えなかった。そうだ戦後小包を送ってくれたアラスカのクリーニング工場を営む親戚のところへも行きたいと思ったがそれも誰にも言わなかった。案外私は引っ込み思案だった・・・。ああ。その金おばちゃんは、確か戦争が激しくなり、故郷へ呼びもどされたそうだが、その後大きな家、我が家の20倍もあるような大きな婚家先の家の中二階に、自分の工房を持って粘土をこね作品を作っていたらしい。私は見たことがないが姉がそう言っている。そして姉の子供の頃のかわいい頭像が長年我が家にあった。胸には確か椿の花が添えてあった。そこには3人の従妹がいて今でも妹、弟として、名前も呼び捨てである。港の中ほどくらいの地域の集落にその家があったので、そこまでも必ず足を延ばし、従妹たちと遊んだ。そうだこの港の端っこでも泳いで遊んだ。そこは大きな大きな石の幅広い階段が港に入り込むようにあったので、きっと何か荷物を上げ、その大きな家を一時、倉庫として使っていたのかもしれない。部屋自体も15畳もあるような部屋が何室もあった。きっと船の乗組員もそこに留まったのでは?中庭には石灯篭などもあった。港だから浅くはなく、大きな石の階段から2,3m泳いでは怖くて犬かきで引き返していた。想い出は故郷加津佐町よりもっともっと口之津にあった。お正月には栄おばちゃんの家に姉弟の3家族が集まり餅をついた。従妹たちとあの頃の楽しかったこと。まだ私のばーちゃんも生きていて、その人に食べさせると、芋を入れた柔らかい餅を作り黄な粉をまぶして「もろぶた」に一杯並べていた。あの餅も甘くてとっても美味しかったなあ。あっそうそう、私はそのもち米を蒸す大きな平鍋に大木の丸太がくべられていて、その大きな木にまたがっていた記憶はある。そのうちにその木にお湯が流れ出て、私がその平ガマの底をほがした(つきやぶったと)犯人にされたけど誰からも叱られなかったが、私にはあまりそんな思いはなくえええ?と思った。単にその平釜が何年も使って古くなってたんじゃない?と大人になってから思った。けどやはり犯人は私のままのようだ。現場検証が物語るか・・・・。もう、はるか遠い話だ。昔語りにお付き合いくださいましてありがとうございました。
September 25, 2020
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9月23日(水)ふるさと賛歌わが青春の岩戸山。そして夏休みの宿題の絵は必ずこの海に突き出た岩からなる岩戸山を描いた。昔は形の良い大きな松が山上あたりにもたくさん生えていて、それは美しい姿だった。登ってよし、眺めて良し。一度だけ上級生とデートしたこともあったなあ~。海水のいりくる川をプールとし引き潮のあと磯遊びせり育ちたる小さき家は川の傍 家の明かりにサヨリ舞いけり雨後の濁流に我落ちたりて流されゆくを助けられたと私の町加津佐と隣の町口之津町の接点に「口加高校」という県立高校が建っていた。そこへ島原以西の町からと小浜以南のまちから生徒たちが通学していた。汽車通学とバス通学の学生、そして近くの私たちは歩いたり、自転車通学したりしていた。長崎市内に住む高校時代の友人を誘って、故郷のお墓参りと久しぶりの故郷名所めぐりなどしてきた。懐かしくも新しく生まれ変わった街の姿など嬉しく眺めまわしてきた。この岩戸山の海側に大きな洞穴があって、島原一揆のとき隠れていたキリスト教の信者が、夕餉の煙を出したために、捜索を終えて帰っていた江戸幕府の役人の目につき捕らえられたという話がある。そこにあったお地蔵様の頭はなく、キリスト教信者がそれを投げて抵抗したと聞いたことがある。写真の小さな波止場や左側の墓地辺りは私たち近所の子供の遊び場所だった。石垣の石も古びて小さくて子供の頃の遊びの場所かなこの川で父は投網を趣味とせり 我らは育つその小魚でアヒル飼い小カニ食べさせその卵我らの栄養すくすく育つアヒル小屋毎朝集める卵には糞のつきたるものもありしよ野菜やイモそしてハチミツは隣町へ嫁いだ叔母さんの家からたくさん届いていた。そしてその叔母さんの家の近くにあった屠殺場から牛のレバーを安く手に入れそれも私たちの栄養となった。何もない戦後をかなりお腹いっぱい美味しいものを食べて育った記憶がある。着るものやチョコレートなども戦前にアメリカアンカアラスカに移住していた親戚から何とも言えないいい香りと共に大きな小包が届き、その中に私にちょうどいい洋服も入っていて、私はウールのワンピースなどを着ていた。荷物には靴やサンダルまで。小学生のころ本物のコーヒーの味を知った。18歳の頃ネスカフェのインスタントが出たが本物とはちょっと違うなあと思った記憶がある。昔は大きな幹だったがその松はもう枯れたのだろう。その後に植えられた松がたくさんのかわいい松かさを落としていた。2個だけ拾ってきた。潮が引くのを待ってここで泳いだ。毎日。木製のタライに日向水を作ってから泳ぎに出かけた。唇が青くなってブルブル震えるほどまで遊んだ。また桜貝などの貝殻を拾ったり、そのころからの楽しみだった。今回の貝殻は、この3個。これは姪が拾ったものをもらった。姪は今回とってもいい役割を果たしてくれた。私たちを小浜まで迎えに来て私たちの行きたいところなど車で連れまわしてくれ、本当にありがたかった。実家の庭の様子。釣るしてあるのはエアープランツ。私も持ってはいるが、一種類がこんなに増殖しているのはとっても珍しい。弟の嫁さんが少し切り取ってくれたものを一部上のワイングラスに飾ってみた。うーんなかなかいい(⋈◍>◡<◍)。✧♡そんなに広くもないがでも草を取り管理するのはかなり手がいるだろう。大きな株となったゴクラクチョウみたいな花が咲く・・・ストレリチア。たくさんの蕾が付いていてこれが満開になったらどんなに見事だろう。義妹はお花が盛りの時にお姉さんにみせたいとしきりに言っていた。大きな株が4.5か所にあった。そして紫色の花が咲くジャガランタの木も大きくなって今年は剪定されていた。この花も見に来たいものだが・・・。ハナキリンの花も可愛いなあ。座敷の広縁の前の庭の植え込みに、昔、父がこの家を建てた時すぐに買っておいた狸も元気だった。少々白髪が混じっているようだが、のんびりと寝そべって私を迎えてくれた。おおよくきたね!あらメス狸 悩ましいポーズ !人生は短く狸の置物は長く笑顔で寝転んでいるカリンの実よき姿して秋の庭いまは亡き父母の姿や秋の庭川柳三人の家族で三台カーポート弟よああ弟よ なご生きよ感謝するこの嫁ありて姪ありて両親をこよなく世話す姪優し故郷の山海うれしただ眺む心地よき秋の旅路よふるさとよトラウマの消えたる旅と友言ひぬその悲しみを共に歩めば金曜日のブログには隣町口之津の様子を紹介。そして姪の蒐集多肉植物も。
September 23, 2020
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9月21日(月)彼岸には彼岸花さき故郷へオーチンプリヤーズナムーチャス グラシアス20日曜日は故郷の島原半島へお墓参りに行く予定。もう長く行っていない。小浜までバスで行くと、弟の娘、姪が迎えに来て、お墓・懐かしき前浜、そして岩戸山の姿を仰ぎつつ、砂浜を少々散歩してみたい。貝殻一つでも落ちているといいなあ。それから雲仙普賢岳の火砕流のその後の復興もまた見てみたい。デマシュの舞台の途中、「戦争反対」「平和」などの漢字の字幕が出た。もちろん外国語でもロシア語でも。NO WAR”No more 長崎”を思い出す。国連での山口さんの演説を。浜町で買い物をして中央橋で信号を待つ間、新しくできたビルの非常階段に植栽がしてあった。新しくできた時はいいが、これを是非永続してほしいと思う。乾燥に強いものばかりが集められ植えられているのだろう。街の中でこう言ったものは人の心に潤いを与え、生活のゆとりを与える。今日よく見てみると中島川の川岸の柳も大きな幹が折れているのがあった。ホテルの中にいて気が付かなったが、やはりかなりな風速だったようである。もう部屋の飾りも簡素になどと思いつつ、今日はポトスを買ってきた。黒いビニールポットの二株。そして残っていた2,3個の鉢の一つに二株一緒に植えこんだ。この間から模様替えがおきていたが、まだ余波は続いてこんなぐわいに変更。いつだって今度こそ最高なんて思う。いまのところこれでしばらく行きたいと思う。仰ぐ本棚の中には、父母の結婚写真、祖父祖母の洋装の結婚写真。ターシャさんの写真、遠きふるさと岩戸山でのおさな日の記念写真。ブログのお友達が贈ってくださった、かわいい小鳥のエナガの冬の姿。3匹はブログでつながっていつまでも勉強を楽しむお友達トリオ。勉強に厭いたとき仰ぐとまた力が出る。いつも左側の窓を開け放って風を入れていたが、今度は机を置いた方を開けることにして籐の棚もよく風を通して、勉強しながら自然の風を楽しむ。左を向けばわが長崎港。そして一人呟く・・・The Port of Nagasaki gaind particular prominence during Japan's period of natinal isdolation , Sakoku. During this time it was the only place in all of Japan which was open for comunication withvisitors from Europe and wider world.長崎を誇りとするこのセンテンスは私の十八番になってしまった。
September 21, 2020
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9月18日(金)棒きれを咥え喜び今すぐに駆けだすごとし瞳輝き(冠山へ登る途中で出会った)我に向き何か問う事あるような子犬の瞳にどぎまぎとするパソコンとディマシャ~並べ明日の記事ブログアップを用意してをり(タブレットでその妙なる歌を聴きつつ生まれ出で来る短歌を書きとめる)ピアノ弾く指導者なるかその視線ディマシュ離れず一心同体ロシア語の言葉の意味は知らずとも心に響く歌唱力かなロシア語のかくも優しく切なくて叫んでも良し囁きて良し苔むしし石の年月とふなかれ語れば長き時の重みよクロアゲハ真っ赤なネクタイ締めており紫のはなデュランタへの恋岩石の苔の衣を纏うまでな時の流れは無言でありぬディマーシュの歌声にありカザフスタン遠き歴史と長き時間がディマーシュの歌う姿とその声の千変万化ああ顔も良きああ我は年を忘れてディマーシュの歌に容姿に惚れこみにけりわが好むクサギの花よ秋初め香りは立たず鍋冠山時々は外を気にするまた雨が降り出しそうな夕まぐれかな
September 18, 2020
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9月16日(水)鍋冠山へ(その2)なぜこの名前が付いたのだろうと思った。丁度鍋をひっくり返して伏せたような形に見えるのは確か。全然高くもないし山のようにとんがってもいない。噴火をしたようにも見えない。この山のもっと南の方の半島辺りは恐竜が闊歩していららしい。以前その化石が出土したことがある。ここいら辺にも恐竜はうろうろとしていたことだろう。大昔の事はさておいて現在の360度の風景。旭大橋・県庁・九州商船の赤い球体・右端県警との間の奥に新長崎駅の屋根が見える。九州商船の円形の塔を斜めに切ったような建物の周囲は五島通いのゼットフォイルやその他の船が停泊しまた乗客が乗り降りする桟橋がいくつもある場所。右横の大きな建物は複合の大型ショップ、夢彩都。細くしか見えないがおくんちの時はお神輿のお下りはここに仮の社が作られる。そしてもちろんその前には桟敷が組まれ踊り町の出し物が奉納される。道沿いには露店が並ぶ。そして緑の人口の小さな森。私は昔ここが埋め立てられるところから見てきた。そのころは五島に住んでいたので、長崎に出るたびにどんなものができるのだろうと楽しみだった。それが今は水辺の森となり、大型帆船がこのあたりに停泊し、たくさんの出店やステージが組み立てられ、他県からの観光客もここに集まる。でも今年はおくんちも、帆船祭りもない。ああさみしいなあ~。カメラを180度左へ戻す。女神大橋の向こうにも造船するドックがありここの桟橋で、あのコロナの集団感染があった船着き場があり。香焼の造船所などが左の森の向こうにある。五島通いはこの橋を抜けて右側への航路を進む。この山の麓はグラバー邸やいろいろな洋館が並ぶ。向こうは三菱造船のドック。海は先日の大雨で少し濁っている。高速船が帰ってきた。ドックに焦点を絞って撮影。港の反対側・南東の方向へ。電波塔がたくさん立つ。我が部屋からも左手前方に見える。この山が征服される日が来るのかなあ。もう今は人口は減り始めているので・・。更に南東。土地が少ないので苦心して作られた運動場。赤い屋根は活水大学。メディカルセンターやらマンションなど大きな建物が並ぶ繁華街の方向。我が家の裏山には右端のいつも日の出の頃を写すホテルやら山上まで建物が建つホテルなど。小さな古いコンドの窓に私が干してきた、タオルケットが見えた。太田 蜀山人1740-1809長崎奉行支配勘定かたとして派遣された「太田南畝」狂歌三大家の一人。山並みの中央よりの山の姿に美しい三角の一番高い山は、きっとあの蜀山人が詠んだ英彦山。長崎弁で詠まれている。わいたちも みんな出てみろ 今夜こそ英彦山やまの月のよかばい英彦山の上から出づる 月はよか こんげん月は えっとなかばいこの鍋冠山から眺めたらさぞかしよか月だろう!皆さんも想像してみてください。蜀山人は諏訪神社から眺めて詠んだらしい。
September 16, 2020
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9月14日(月)スパッシーバーほとんど毎日ディマシュさんの力強い素晴らしい歌声が中毒のようにわが耳に刻まれて朝ドラで聞くドラマの中の育三郎さんの歌声もなんと迫力もないと感じるほどである。そしてロシア語のありがとう「スパッシーバ」も耳に聞きなれて語りの中のロシア語も慣れ親しんできた。山路行く日陰に咲けるつゆ草の藍の深さに心つかまれ鍋冠山の頂上に立つ展望台。9月13日、朝からいいお天気。ふっと鍋冠山に登ろうと思い立った。最近外の写真がない、しょうもない私の遊びの模様替えに付き合っていただいてきたが風景を撮影したくなった。登って上れないほどの高い山でもなく、裏山というより低めの丘と見える「冠山」ここからの写真はよく夜景に登場する。一度行ってみたかった。我が部屋からも街を挟んで長崎港の入り口左側にある低い丘に何か展望台らしきものも肉眼でも見える。誰もいないで怖い目に会ったらどうしようとか、先日の10号台風その後の大雨で道は大丈夫かなあといろいろ思ったが、まあとにかく行ってみようと家族にも言って一人で出かける。そこからの眺めは素晴らしかった。360度の願望。そこへ行くためには先ず、このエレベータが使える。これは観光客と地域住民のために作られた斜めに上がるエレベータ、だれでも無料。何回でも無料。そして一度下りて、今度は垂直のエレベータに乗り換えるとグラバー園の裏の入り口につく。この青年も一度目のエレベーターで降りたところでうろうろしていたので声をかけてみた「鍋冠山に登られるのですか」と。すると昨日の夕方実は上ったんだと今日はグラバー園の見物をする予定との事。登りは階段だから大丈夫ですけど、下りは変なところに入り込むとやばいかもしれないと・・。でも地元で地理感はあるのだから、私は青年の心配をよそに一人登り始めた。この写真の青年は東京からの旅人。九州一円を旅するのだという。気さくでとっても感じのいい人だった。途中は先日の大雨や台風で確かに石段には葉っぱが積み重なり、木も2か所ほど階段い倒れ込んでいた。でも私を追い越して男女二人が登って行ったので、行けないことはない。途中でまっ黄色の小型の蝶や、クロアゲハなどがたくさん飛んでいたがなかなか撮影が難しかった。右端っこを通れた。行ってみるとなんだー駐車場もあって車でやってくる人もいたし、蝶をとる網を持った人も。今週は冠山からの風景やら植物やらの写真を3回連続でアップしたいと思う。
September 14, 2020
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9月11日(金)木曜日は夫のMRIの検査で朝早くからバタバタ。そして昼近く帰ったので、なんだかとても疲れて、とうとう花架拳を休んだ。明日のブログの題材も写真もいいものがない。そこで身近なものを撮影する。まだまだ片づけは半分も行かないけれど、もうゆっくりとぼちぼちやって行こうと思う。机の横には手に近く英語の辞書を置いている。先生は機械を使うなとおっしゃる。それでも重いとか、時間がかかるからとか言い訳して私は機械を使ってきた。でもやはり確かに辞書にはかなわない。そこですぐそばに辞典をおいといて、さっと手にできるように考えた。究極には英英辞典を使ってみたいので、それには普通の辞書も使えないで英英辞典など・・・と言われそう、先ずは白い表紙の和英と茶色の表紙の英和を使いこなそうと思う。私の辞書は新品同然。英語勉強はたまた遊び。今日は取り立てて記事の内容を考えつかないので、「英語de ことわざ笑い辞典」から拝借して・・・見知らんジャパン研究室・・・飯塚クニオ著より【 政治は奇妙な仲間を作る 】Politics makes strange bedfellows.最近の野党のくっついたり離れたり、は私ローズコーンにはどこがどうなってどうするの?という感じでさっぱり分かりません。昔はそのころ若かった私にでもよく分かる野党の体制でしたが・・・。それも崩れてれて行きましたね。「呉越同舟」と「薩長同盟」「呉越同舟」は孫子の兵法から来た言葉。そもそも、呉の国の人と越の国の人はたがいににくしみあっている。しかし、もし両国の人が花時船に乗り合わせ、嵐に出会うようなことがあれば船を救わんと、互いに助け合うさまは、ひとりの人間の左右の手のようであろうと書かれている。日本でも犬猿の仲にあった薩長藩と長州藩の間を、坂本龍馬が取り持って同盟を結ばせた。これも利害が一致したから叶った同盟。「馬の耳に念仏」の意味を持つ世界のことわざWhistle psalms to a dead horse.死んだ馬に讃美歌を聞かせる。鼠にはコーランもプラーナも同じこと(ベンガル語)コーランはイスラム教の聖典、プラーナはヒンドゥー教の聖典。牛に経を読む(朝鮮語)片方の耳から入り他方の耳から出ていく(ドイツ)ロバに歌いかければ屁が帰って来る(フランス)お後がよろしいようで・・・。
September 11, 2020
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9月10日(木)気温変化と共に、己自身も緑の幼さより成熟の紫へと変身する。コムラサキを見ていると、そんな女性でありたいと思う。コムラサキ恥じらいつつも染まりゆく台風に耐えて染まるやコムラサキ台風のために大事なものは箱にしまってあらかたすっきりした部屋も、また模様替えのためにモノの移動を始めたら。もうぐちゃぐちゃ。再構成は不可能と思うほどになったがとにかく如何に勉強がはかどるかを考え、より使いやすく、またきれいで美的にとこまかい微調整。南向きだった机を西向きにして本箱へ向かい、椅子の位置が変わり布団を敷く場所にもゆとりが出た。この作業は脳を勉強以上に使うと思う。そして、その後は幸せ感、充足感が湧いて、人生楽しくなる。安上がりだなあ~。渦巻ける靄の様なるわが宇宙整理のあとの星月夜かなわが天体摂理の如く動き行け出会いも別れもたまゆらの時英語の勉強仏教の言葉を英語で読む。良寛「良寛全集」より君観よ双眼の色語らざれば憂い無きに似たりこの二つの瞳をごらんなさい。何も語らなければ、何の苦しみ悲しみも無いように見えるでしょう。しかし、人はみな誰にも語れない苦しみや悲しみをもっているのですよ。The "color" that attracts thine eyes,wordless, sorrow, see it as worthless.至道無難「至道無難禅師法語」何事も修行と思いする人は、身の苦しみは消え果つるなりどんな苦しいことも、どんなに嫌なことも、これが修行だと思えば、苦しみもいやなことも無くなる。No matter what happens, it is all part of our "practice,"wiping away karmic suffering.
September 10, 2020
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9月9日(水)今日の分のブログは、明日木曜日にアップします。昨日火曜日は、午前中病院へと、午後部屋の片づけ兼模様替えをDIMASH 君の歌を延々と聞きながらやっていたら、すっかり今日のアップを忘れていました。
September 9, 2020
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9月7日(月)報告1.台風避難4日から今日までの長かった事。もう1週間以上たってしまったような気がするがまだたった3日しかたっていない。最悪を想定しての準備をし、できるだけのことをやった。娘も男並みに早くから針金やガラスに貼るフィルムやテープなどを使い準備万端やってくれた。私も部屋の中を小物全てを箱に入れて、ついでの事にすこし部屋の装飾も変えようと思っている。ホテルは見晴らしもいらないし、ただ風が当たらず安眠できればいいと思っていたがその通りのビズネスホテルで窓にはしっかりとした木製の引き戸が付いていて、雷の光りさえ入らないようにできていた。シングル1部屋、ツイン1部屋予約して、1万円からおつりが来た。この時間を勉強しようとたくさんのプリントやタブレットなども持ち込んだが・・・。結局今朝3時から7時までの4時間しかしなかった。他にもたくさんの避難客らしいグループもいた。きっとブログのお友達も心配してくださっていることだろうとおもい、10時前にはチェックアウトしてホテルを出た。ところがまだ風は傘をさせない位に吹き雨も降り、でもやっとこさタクシーで帰ってきた。片付けたままの部屋が待っていてくれて嬉しかった報告2.驚異の歌声に遭遇。25歳のカザフスタンの青年。私はこれまで全然知らなかった歌い手を見つけた。もう世界では有名で、すでに来日されていた。私はなんでも時代遅れだ。「ユーレイズミ―アップ」のマーテインさんの時もそうだったが・・・。偶然タブレットでYouTuve の英語ページを開けた時・その驚異的な歌手を見つけ(*_*;。そしてそのまま釘付け。4時過ぎに夕食を部屋で簡単にとり、その後延々とその青年の曲を聞いた。もう聞けば聞くほどのめり込んで、西洋人でもない、言葉はロシア語、そして品のあるすてきなアジア系の眼差し。もうすっかり虜になってしまった。こんな歌を今まで聞いたことがない。カザフスタンの遊牧民の歌の香もする。4時間ほどいろいろこの人のアップされたものを見続けた。感動を短歌でディマシュを詠む自由自在6オクターブ変化させ切々と歌うカザフの青年余りにもその歌唱力凄すぎて笑うしかない女性審査員もうすでに世界のスター宇宙1ブラックホールへ引きこまれゆく曲構成自由自在に変化させ遊牧民の風も吹きくる感情の底なし沼を表現す細き体の太きその声渾身の叫び妙なる音樂に変化をしつつこころ貫くある時は伸びあがりまたかがみ込み表現の歌 人を狂わす爆発の命の炎歌声は聞く人々を巻き込んでいくどうやらユーチューブの貼付けはできないようだ。検索して一度聞いてみてください。短歌は私の感じたことを文字として並べただけですのでお許しください。台風でホテルへ避難しなければまだ出会わなかったかもしれない。思う存分その時間を楽しめた。忙しい日々の暮らしの中で与えられた貴重で贅沢な時間だった。
September 7, 2020
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9月4日(金)9号台風は、これまでになく、時間がとても長く感じた。木曜日夕方から吹き始めて、夕方6,7時にはかなり風の音が強くなった。我が家は西坂の丘にあるので、いつも台風はひどく、それだけがこの住居の欠点。でも夏の風は涼しく、クーラーもいらないほどで感謝しているのだが。9時10時頃はもうこれで収まるかなあと思っていたらますますひどい風になって怖いくらい。しばらくはコロンボ刑事の映画で気を紛らしていた。やはりこんな時はもう英語勉強などする気にならない。時々目覚めながらも風の音におびえていたが、4時ごろ起きだして1時間ほど勉強、次第に風が静かになってきた。そして被害もなく朝を迎えることができた。さて次。コロンボを見ながらも次はホテルにに避難しようと、娘と私の結論でさっそく予約を娘が入れて決定。まだその時点まで、今までにない被害が出るという文字は目に入れていたが、まだ実際の行動を思いつかなかった。でも今。ブログを書く前に、台風情報を検索してみると、大変なことがおきそう。想像以上のことが。それで想像以上の想像をして見ると、我が家の雨戸は吹っ飛び、サッシの窓ガラスは割られ強風と雨が部屋をぐちゃぐちゃに巻き上げて反対側の台所の窓を破り、もう住めないほど家の中は水浸し。ああ、そうなったら・・・どうする?先ずは避難もタダ身一つで行くのではなく、3日分くらいの下着や衣類、重要書類病院関連保険証、二人分。そうだ英語クラスのプリント、教室の事務書類、これも一抱えある。これは先生宅へおきに行こう。あそこは風当たりもひどくはないし水も大丈夫だと思う。その時まで、2日はあるのがありがたい。ベランダも鉢など一切なしにしておかないと。ただ一つクモの糸のようなありがたい情報。米海軍の進路予報では、九州から離れて西へ西へと修正されているという。でもできるだけの準備をしよう。そして後は祈ろう、皆さんの被害も最小限で済みますように。今回まではしじみさんのところも家も水も大丈夫だったようで一安心。次のブログは7日になるけど・・・。その時まで、どんな運命が待っているのか。皆様もお気を付けてお過ごしください。
September 4, 2020
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9月2日(水)9月1日の朝の空。昨日は防災の日だった。パソコンに向かいながらアナウンサーの質問に答える学者の言葉が聞こえてきた。アモイの巨石像が立っているあの島の住人のように世界は最後の木を切り倒している最後の土壌を汚染している。最後の漁場の魚を取りつくしている最後の資源全てを・・・・水を空気を。持続可能な資源の保存のやり方を知っているのに。コロナより怖いコロナに世界中の人間が感染しても死ぬ人が多くなっても人類は生き残るだがこの地球からすべての資源が枯渇したら人類は生き延びられない全世界が一丸となって二酸化炭素の排出を減らしメタンの排出を抑えることをしないとこれらはみな人類がやっていることその結果はこれまでにない雨が降り、気候温暖化で氷河の氷は消え異常気象の狂暴の中で日々を暮らさなければならない。70メートルもの風速で台風も今そこにやってきている。コロナ危機は大自然を壊し地球で生きられないようにする人間への恐怖の子守唄にも似た警告かもしれない。人類は一つになって、責任をもって行動することを求められている。英語の勉強。今朝は1時に起きたけど、なんだか勉強に身が入らなかった。何が原因だろう。いつもは時間が足りないように集中してやれるのに。けさは意欲がもう一つ盛り上がらず、これではいけないと焦せるがどうにもならなかった。相田みつを いまここにしかないわたしの命あなたの命here and nowhere and now is all that truly existsthe future cannot be touchedand the past is alredy gonethe life inside youthe life inside me
September 2, 2020
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