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今夜、マリー・アントワネットの最晩年の様子が「ふしぎ発見」で取り上げられるようです。「ふしぎ発見」アントワネットと石の心臓 知られざる母と子の物語 2013年7月20日(土) 夜9時~心とらえて離さない悲劇の王妃のものがたり、拝見したいと思います。「アントワネットの文机の日記」
July 20, 2013
マリー・アントワネットを描いた宮廷画家、ヴィジェ・ルブランの作品を現在、名古屋の二つの美術館で観ることができます。ひとつめは名古屋ボストン美術館 「アートに生きた女たち」展にて「若い女の肖像(ウォロンソフ伯爵夫人?)」1797年こちらは9月29日までの企画展ですので、お早目に。ふたつめはヤマザキマザック美術館 常設展にて「リラを弾く女性」1804年「エカチェリーナ・フェオドロヴナ・ドルゴロウキー皇女」1797年大好きなヤマザキマザック美術館、最近、展示替えがあったとのことでロココ絵画はどうなっているのかしらと思いつつ足を運んだところ、常設展でルブランの絵は同じ場所にあって、ほっと安心。おかげさまで、ボストン美術館との梯子をして、一日に3点のルブランの絵を地元で観ることができました。輝く女性たちが一堂に会しているうちに、また足を運んでみようと思っています。「ヤマザキ マザック美術館 公式HP」☆ 名古屋駅から地下鉄で7分、新栄駅の直通エスカレーターで美術館内に入れます。「名古屋ボストン美術館 公式HP」☆ 名古屋駅からJRで4分、金山総合駅南側の目の前です。☆☆☆ 名古屋駅から2つの美術館のハシゴをされる場合は、地下鉄で新栄へ乗り換えなしでヤマザキマザック美術館へ、再び地下鉄で新栄駅から金山総合駅へ乗り換え1回で名古屋ボストン美術館へ。帰りは金山総合駅から地下鉄、JR、名鉄どれでも名古屋駅へ行けます。土・日・休日は「ドニチエコきっぷ」を使えば、600円で地下鉄が乗り放題の上、双方の美術館の入館料が割引になるようです。☆☆☆「アントワネットの文机の日記」
June 6, 2013
ガレの晩年のガラス作品群にルーブル美術館の方も感嘆したというコレクション展示室へ。*** (マリー・アントワネットの時代、ロココ絵画を堪能できる ヤマザキ・マザック美術館が当地にオープンしたのは2010年。 絵画のみならず、ガレなど花器や家具のコレクションも充実、 美しい館内で満たされたときを過ごせるのを愉しみに、今年も企画展・ 「エマイユの煌き」を鑑賞、その余韻覚めやらぬうちにヤマザキマザック美術館さんより「ブロガー募集」のメールを拝受。 「コンスタントにブログを更新している、美術館で開催されるブロガーデーに参加後、 一週間以内に展覧会の紹介をするブログをアップできる」などの応募要件のもと、 昨年に続いて幸運にも、閉館後の静かな美術館でスタッフの方のお話を聞きながら鑑賞、 一定の条件を守りつつ、館内の撮影をさせていただくことができました。ブログ用の0.3Mの朧な画像とメモ書きと記憶に頼った拙文ではございますけれども、 麗しい美術館の魅力を少しでもお伝えできれば幸甚に存じます。) ***ひとつひとつの作品を全方位から眺めることのできる展示室は静かなアクアリウムのよう。ガレ作「蜻蛉文脚付杯」は、死を前に友人たちに贈られた作品のひとつで、他はベージュに蜻蛉が映し出されているのに対し、この作品のみが青いのだそうで、さらに蜻蛉の姿は2体、実体と、その幻影がまるで飛翔するようにあしらわれています。機械技術が飛躍的に発達し、外観がすべて、人間さえも物質のひとつであり、生の終了をもって全ては無に帰すという考えが蔓延するなかで、死に際した芸術家は、ありふれた花や虫や鳥さえも美にしてしまう研ぎ澄まされた異国の手業と感性に触れて心なぐさめられ、己の内なるファントムを昇華する指針にしたのでしょうか。ガレ作「松文花器」ガレ作ペン皿「緑色の善良な小市民」赤と青に見える器は7つの色が重ねらているそう。繊細にカットされたガラスの色の層を数え確かめることも。ガレ作「海藻文花器」鮮やかな色合いと華麗なカットというイメージもあるアールヌーヴォーのガラスですがヤマザキマザック美術館のコレクションは落ち着いた雰囲気のものが多数。特に「海藻文花器」は「死を意識して」作られたのだそうで画像ではこの色合いですが展示室では様々な角度からライトがあてられ観る場所によって雰囲気がどんどん変わるガレの生と死に対する臨み方が刻々と変化してゆくのを現すような興味深い作品です。死を前にした作品といえば、学生時代に行った確かカナダで、ピカソの最晩年の、黒一色の人物の線描展を鑑賞したことがあるのですが、ギリギリと締め付けるごとく生への執着が全面に押し出された作品群に圧倒され、やや辟易した記憶があって。同じく死を前にした作品に囲まれていても、なぜかこのガレのコレクションの空間では心やすらぐのです。ガレのほかにドームやティファニーの作品も。不安定にみえるガラスの器ですが、建物そのものが耐震構造なことと、展示ケースにも最新の耐震技術が施されているのだそうです。夢のように楽しい時間は、ヤマザキマザック美術館の心意気を最初に感じた大通りの路上のロダンにご挨拶して、終了。皆さまも素敵な時間が過ごせますように。ご覧いただきありがとうございました。「ヤマザキ マザック美術館 公式HP」☆ 名古屋駅から地下鉄で7分、新栄駅の直通エスカレーターで美術館内に入れます。「アントワネットの文机の日記」「オペラ座の怪人の日記」
October 31, 2012
花鳥風月をモチーフにした美しい家具やガラスを堪能できるアールヌーヴォーの空間は美術館の4階にあります。*** (マリー・アントワネットの時代、ロココ絵画を堪能できる ヤマザキ・マザック美術館が当地にオープンしたのは2010年。 絵画のみならず、ガレなど花器や家具のコレクションも充実、 美しい館内で満たされたときを過ごせるのを愉しみに、今年も企画展・ 「エマイユの煌き」を鑑賞、その余韻覚めやらぬうちにヤマザキマザック美術館さんより「ブロガー募集」のメールを拝受。 「コンスタントにブログを更新している、美術館で開催されるブロガーデーに参加後、 一週間以内に展覧会の紹介をするブログをアップできる」などの応募要件のもと、 昨年に続いて幸運にも、閉館後の静かな美術館でスタッフの方のお話を聞きながら鑑賞、 一定の条件を守りつつ、館内の撮影をさせていただくことができました。ブログ用の0.3Mの朧な画像とメモ書きと記憶に頼った拙文ではございますけれども、 麗しい美術館の魅力を少しでもお伝えできれば幸甚に存じます。) ***最初に案内される5階で18世紀から20世紀まで、ロココの華麗さからエコール・ド・パリまでフランス絵画をたっぷり味わったあとに、さらにアールヌーヴォーの美術工芸の珠玉を愉しめるヤマザキマザック美術館。展示室ひとつひとつが充実している上に、とても居心地よい空間ばかりなので素敵なサロンにお邪魔させていただいたように一日中でも過ごせるところ。10サンチームを入れて特別に動かしていただいた円盤ディスク型オルゴール。定期的に演奏会も開かれているとのこと。バカラのシャンデリアに照らされるビーダーマイヤーの食器100ピース。♪鳥の学校の先生は~♪可愛いらしいガレの箪笥。ガレ作「トンボのテーブル」ガレの庭にはシーボルトから購入した種から育てたものなど、422種類もの日本の植物があったそう。植物の育つ過程、葉や花に集まる鳥や虫などから、画や工芸品に現された手法がいかに生まれたのかというところまでイメージし深い眼差しを向けていたのでしょう。マジョレル作のテーブル普段は閉まっているトップを開けていただきました。マジョレル作の寝室用家具。ファブリックの色や柄も家具のモチーフになっている藤に合わせて作られているそう。次はガレのガラスの空間へ。「ヤマザキ マザック美術館 公式HP」☆ 名古屋駅から地下鉄で7分、新栄駅の直通エスカレーターで美術館内に入れます。「アントワネットの文机の日記」「オペラ座の怪人の日記」
October 30, 2012
「当方の技術者がシャンデリアに電気の配線を施したことで当時の形が蘇ったのです。」天井に掲げられたアールヌーヴォーの美術品を見上げつつ同時代を舞台にした大好きな映画「オペラ座の怪人」の冒頭の台詞さながらの学芸員さんの説明に、心のなかで秘かに拍手喝采しつつ、あの壮麗なミュージカルナンバーを響かせていたいち見学者のわたくし☆*** (マリー・アントワネットの時代、ロココ絵画を堪能できる ヤマザキ・マザック美術館が当地にオープンしたのは2010年。 絵画のみならず、ガレなど花器や家具のコレクションも充実、 美しい館内で満たされたときを過ごせるのを愉しみに、今年も企画展・ 「エマイユの煌き」を鑑賞、その余韻覚めやらぬうちにヤマザキマザック美術館さんより「ブロガー募集」のメールを拝受。 「コンスタントにブログを更新している、美術館で開催されるブロガーデーに参加後、 一週間以内に展覧会の紹介をするブログをアップできる」などの応募要件のもと、 昨年に続いて幸運にも、閉館後の静かな美術館でスタッフの方のお話を聞きながら鑑賞、 一定の条件を守りつつ、館内の撮影をさせていただくことができました。ブログ用の0.3Mの朧な画像とメモ書きと記憶に頼った拙文ではございますけれども、 麗しい美術館の魅力を少しでもお伝えできれば幸甚に存じます。) ***美しくアールを描いたシャンデリアは、どこにも修理を引き受けてもらえなかったためヤマザキマザックの社員さんの一人が配線をしたのだそう。非常に細く、一度途切れたら取り返しのつかない当時の電気配線を辿り、美術品の繊細さに恐れることなく果敢に挑まれた結果、四階エレベーターを降りた途端、ガス灯さながらの陰影ふかい光に包まれ、アールヌーヴォーの世界に浸れるのです。ドーム作のシャンデリアはホタテ貝や巻貝がモチーフに、デュマ作の食卓用家具を水底に届く陽のようにやわらかく照らしていて。ナナカマドがあしらわれた家具一式は海を渡る際、材質が木ゆえに繊細なアールが伸びきってしまったのを、宮大工さんが修復されたのだそう。潮風さえ想定していなかった家具たちが、いまは海底にあるごとく静かに佇んでいる…などと来歴を知って愉しむことも。グリュベール作の衝立木目を生かした花鳥風月を愉しめる優美な家具の空間、さらに続きます。「ヤマザキ マザック美術館 公式HP」☆ 名古屋駅から地下鉄で7分、新栄駅の直通エスカレーターで美術館内に入れます。「アントワネットの文机の日記」「オペラ座の怪人の日記」
October 27, 2012
ピカソ、モディリアーニ、ユトリロ、シャガールといった最もなじみ深い人気芸術家の作品を鑑賞することができるのが明るい青の部屋。*** (マリー・アントワネットの時代、ロココ絵画を堪能できる ヤマザキ・マザック美術館が当地にオープンしたのは2010年。 絵画のみならず、ガレなど花器や家具のコレクションも充実、 美しい館内で満たされたときを過ごせるのを愉しみに、今年も企画展・ 「エマイユの煌き」を鑑賞、その余韻覚めやらぬうちにヤマザキマザック美術館さんより「ブロガー募集」のメールを拝受。 「コンスタントにブログを更新している、美術館で開催されるブロガーデーに参加後、 一週間以内に展覧会の紹介をするブログをアップできる」などの応募要件のもと、 昨年に続いて幸運にも、閉館後の静かな美術館でスタッフの方のお話を聞きながら鑑賞、 一定の条件を守りつつ、館内の撮影をさせていただくことができました。ブログ用の0.3Mの朧な画像とメモ書きと記憶に頼った拙文ではございますけれども、 麗しい美術館の魅力を少しでもお伝えできれば幸甚に存じます。) ***モディリアーニ作「ポール・アレクサンドル博士の肖像」は最も存在感があるように。 青の部屋にある作品には、ドアの装飾に使われていたものも。よくよく見れば、形も大き目のドアサイズ、丸いドアノブの痕も残っていますので興味のある方は是非、お確かめください。同じ部屋の中央にある色鮮やかなピカソ作「マタドール」はマイケル・ダグラス主演の「ウォール街」にも登場する絵。学生時代に観に行った映画のあのゴージャスな雰囲気を高めていた絵が身近に掲げられていたとは!嬉しい驚きでした。スーティンの作品をまとまって観られるのも大きな愉しみ。次は4階のアールヌーヴォー時代の家具と花器の展示室へ。「ヤマザキ マザック美術館 公式HP」☆ 名古屋駅から地下鉄で7分、新栄駅の直通エスカレーターで美術館内に入れます。「アントワネットの文机の日記」
October 26, 2012
展示室ごとに壁紙の色や照明で完全に印象が変わり、まるで5つの美術館を一度に訪れたような濃厚な時間を味わえるのも繰り返しヤマザキマザック美術館を訪れてしまう理由のひとつ。年代ごとに作品を分けて展示することはあっても、絵の印象が薄まらないようにするためか、白など、壁の色は単一、ましてやどんな照明が使われていたかということは、ほとんど記憶に残っていないのが、通常の美術館&博物館ではないかと。面白いなと思ったのが、2011年秋に改装の終わったオルセー美術館も以前は床や壁や天井にはベージュといった単色の色合いと明るい間接照明が使われていたのが、床は落ち着いた色合いのフローリングに、壁は展示室ごとに、どちらかというと暗めの色を採用したということ。ヤマザキマザック美術館が開館したのは、オルセーの改装工事真っ最中のときのこと。オルセーの壁や床の色が変わり、展示された絵の印象がさらに深くなったという分析をした美術番組をたびたび目にするのですが、それを先取りするような、そのさらに上を行くような思いをかけた素敵な美術館が名古屋に誕生していたのです。*** (マリー・アントワネットの時代、ロココ絵画を堪能できる ヤマザキ・マザック美術館が当地にオープンしたのは2010年。 絵画のみならず、ガレなど花器や家具のコレクションも充実、 美しい館内で満たされたときを過ごせるのを愉しみに、今年も企画展・ 「エマイユの煌き」を鑑賞、その余韻覚めやらぬうちにヤマザキマザック美術館さんより「ブロガー募集」のメールを拝受。 「コンスタントにブログを更新している、美術館で開催されるブロガーデーに参加後、 一週間以内に展覧会の紹介をするブログをアップできる」などの応募要件のもと、 昨年に続いて幸運にも、閉館後の静かな美術館でスタッフの方のお話を聞きながら鑑賞、 一定の条件を守りつつ、館内の撮影をさせていただくことができました。ブログ用の0.3Mの朧な画像とメモ書きと記憶に頼った拙文ではございますけれども、 麗しい美術館の魅力を少しでもお伝えできれば幸甚に存じます。) ***ロココの大作が並ぶ紅の大広間に続くのは、ロダンやルノアールの彫刻や自然主義、印象主義、野獣派といわれる芸術家の絵が集められた黄金色の回廊。マリアテレジアモデルのシャンデリアの灯りが紅の壁を照らすロココの大広間から、本当にガラリと印象が変わる、やさしい照明に空気が柔らかく輝く光りの空間で、風景画や女性の肌合いも佳く映えます。大々的に広められてはいないそうなのですが、実はこちらのロダンの彫刻は、手で触れてもOKとのこと。実際に触られたという目の不自由な方は、体の形、筋肉のひとつ一つを辿ってみることができて、とても喜んでおられたそう。初めてこの美術館を訪れたとき、建物の外の、名古屋の街なかの大通りに面した歩道の、目の高さで完全に触れられる場所にロダンの彫刻が置かれているのを、なんと豪気なことよと感嘆していたのですが、全ての絵画がガラス板でガードされていないのと同様、直に作品を愉しんでもらいたいという心意気が、この部屋にも満ちていました。次はピカソ、モディリアーになどの並ぶ青の部屋へ。「ヤマザキ マザック美術館 公式HP」☆ 名古屋駅から地下鉄で7分、新栄駅の直通エスカレーターで美術館内に入れます。「アントワネットの文机の日記」
October 25, 2012
マホガニーの床、ハプスブルグ家御用達バックハウゼン社のロココ文様の壁、ベルサイユ宮殿のシャンデリアと同型のマリア・テレジアモデルのシャンデリアと、内装そのものが豪華な作品にもなっているロココの大作を中心とした広間へ。*** (マリー・アントワネットの時代、ロココ絵画を堪能できる ヤマザキ・マザック美術館が当地にオープンしたのは2010年。 絵画のみならず、ガレなど花器や家具のコレクションも充実、 美しい館内で満たされたときを過ごせるのを愉しみに、今年も企画展・ 「エマイユの煌き」を鑑賞、その余韻覚めやらぬうちにヤマザキマザック美術館さんより「ブロガー募集」のメールを拝受。 「コンスタントにブログを更新している、美術館で開催されるブロガーデーに参加後、 一週間以内に展覧会の紹介をするブログをアップできる」などの応募要件のもと、 昨年に続いて幸運にも、閉館後の静かな美術館でスタッフの方のお話を聞きながら鑑賞、 一定の条件を守りつつ、館内の撮影をさせていただくことができました。ブログ用の0.3Mの朧な画像とメモ書きと記憶に頼った拙文ではございますけれども、 麗しい美術館の魅力を少しでもお伝えできれば幸甚に存じます。) ***この大広間の作品は普段の鑑賞のときでもフラッシュなしなら撮影OKなのだそう。欧州の美術館では写生や撮影OKのところが多いのに、日本の美術館&博物館ではほとんどカメラも筆記用具もNGなのを長年、残念に思っていたところ。絵葉書でもあまり見られないロココ時代の作品が撮影OK、しかもヤマザキマザック美術館の絵画にはガラスのガードはなく、芸術家の筆致や細かい配色まで直に味わうことができるのです。ブーシェ作「アウロラとケファロス」は、美術館内で最も大きく、この作品に合わせて天井の高さが決められたのだそう。ポンパドール夫人が所蔵していたといわれるこのパステルカラーの大作を撮影してクリスマスカードにする方もいらっしゃるとか。ルブラン作「エカチェリーナ・フェオドロヴナ・ドルゴロウキー皇女」は大好きな絵で、自伝に目を通したりフランス語をかじるきっかけも頂きました。緑と赤の衣装が素敵で、アントワネットの肖像画家だったルブランが革命後にフランスを逃れてロシアに滞在中に描いた、異国情緒も感じられる作品です。ドラクロア作「シュビラと黄金の小枝」。あの大家の絵がここで観られるなんて…と驚く方もいらした、1845年のサロン出品作。こちらは少し時代を下ったロマン主義のもの。ブーシェ作「恋文」壁の色に合わせた結界のワイヤー。こちらはヤマザキマザック社製とのこと。すべての絵と視線を合わせながら座ることのできる紅のソファでマホガニーの床を足下にしつつ過ごせる贅沢。次は黄金色の部屋に移動します。「ヤマザキ マザック美術館 公式HP」☆ 名古屋駅から地下鉄で7分、新栄駅の直通エスカレーターで美術館内に入れます。「アントワネットの文机の日記」
October 24, 2012
名古屋の誇る美の殿堂・ヤマザキマザック美術館のブロガーデーに今年も参加させていただきました。*** (マリー・アントワネットの時代、ロココ絵画を堪能できる ヤマザキ・マザック美術館が当地にオープンしたのは2010年。 絵画のみならず、ガレなど花器や家具のコレクションも充実、 美しい館内で満たされたときを過ごせるのを愉しみに、今年も企画展・ 「エマイユの煌き」を鑑賞、その余韻覚めやらぬうちにヤマザキマザック美術館さんより「ブロガー募集」のメールを拝受。 「コンスタントにブログを更新している、美術館で開催されるブロガーデーに参加後、 一週間以内に展覧会の紹介をするブログをアップできる」などの応募要件のもと、 昨年に続いて幸運にも、閉館後の静かな美術館でスタッフの方のお話を聞きながら鑑賞、 一定の条件を守りつつ、館内の撮影をさせていただくことができました。ブログ用の0.3Mの朧な画像とメモ書きと記憶に頼った拙文ではございますけれども、 麗しい美術館の魅力を少しでもお伝えできれば幸甚に存じます。) ***陽が傾き街の灯りが点りはじめた頃、流線形のスポーツカーが展示されたウィンドーに迎えらてすでにクローズの札が立てられた美術館のドアを潜り、魅惑の時間がスタート。日本の技術に裏打ちされた勢いは、まだまだ健在であると思わせてくれる企業の内に、かくも良質のコレクションが秘められていたというコントラストをも愉しく感じながらエレベーターで5階の展示室に運ばれると、まず目に入るのはボナールの絵画。「薔薇色のローブを着た女」は、美術館の完成を見届けたかのように惜しくも昨年亡くなられた山崎照幸館長の最初のコレクションとなった作品。日本の企業の中で、いち早く欧州へ進出、自社の工作機械を広めるために赴いていた際、休日には美術館の鑑賞を愉しみにされていたのだそう。本当に絵の好きな方が最高のタイミングで出会い、コレクションを醸成し、それを広く一般に鑑賞できるようになったという幸運をもたらしてくれた記念碑となる淡いピンクの作品のための一室を通って、いよいよ日本随一のロココ絵画の空間へ。正面にあるのは、若くして亡くなった寡作の芸術家の絵が日本にあることそのものが驚きともいわれるヴァトーの「夏の木陰」。ボタンで動く巨大なレンズを設置してまでも、ゆっくりと細かいところまで観てほしいという思いの込められた作品。プチ・トリアノンあたりの自然をイメージしながら絵のなかに入り込めば当時の恋の語らいが聴こえてきそうな、奥行きのある絵画です。パテル作「行軍(野営とペア)」ランクレ作「からかい」パテル作「野営(行軍とペア)」グルーズ作「犬と遊ぶ子供」次は大作の並ぶ紅の大広間へ。「ヤマザキ マザック美術館 公式HP」☆ 名古屋駅から地下鉄で7分、新栄駅の直通エスカレーターで美術館内に入れます。「アントワネットの文机の日記」
October 23, 2012
早くからペアチケットを手に入れていたマリー・アントワネット展を鑑賞したのは夏休みに入ったばかりの頃、会場の名古屋市博物館は、まだそれほど混んでいなかったため、友人とゆっくり楽しむことができました。悲劇の王妃の物語は、小学生のときに出会った名作コミックでもう何度も何度も、ひとつひとつの場面から台詞まで思い出せるのは同行した友人も同じ。(おそらく会場にいた全ての女性も)。ハプスブルグ展でも、フランス展でも、ヴェルサイユ展でもなく、王妃の名前そのものを冠した展覧会に出かけるのは初めてのこと。昔日、同じタイトルの展覧会に親の保護下にある小学生のとき泣いて頼んでも行かせてもらえなかったほろ苦い思い出も蘇りつつ美しい展示品の数々を拝見。まず目に入ったのは、小さな頭部をもつ胸像。学生のときに訪れたマダム・タッソーの蝋人形館の、ルイ16世とアントワネットの頭部が並んでいるという衝撃的なコーナーが彷彿として。王妃のそれのあまりの小ささに、小顔などと当時は耳にしたことがなかったにも関わらずまさにその言葉そのものの印象が今だに残っているのですけれど、展覧会にあった胸像も結い上げた高い髪に埋もれるようで。マダム・タッソーが実際にフランス革命時の、断頭台の光景を目にしたと知るまではつい最近まで、想像で王夫妻の姿を作ったと思い込んでいたのですけれど、今回、この胸像をみて改めて王妃の、ファッションリーダーたる重要な要素を感じたのでした。次に目に入ったのが、チケットにもなっているルブラン作の肖像画。王妃の肖像画に携わった画家は何人もいたようですが、ルブランの肖像画は画家本人が可愛らしい路線の美人だったこともあるのでしょう、どう描けば最大限に美しく見えるか、知り尽くしているといった印象を受けます。1778年に最初に描いた全身像を元に制作されたという若い王妃の絵は、ぷっくりと紅い唇やふわっとした髪が白い肌にかかる様子、一番綺麗に見える視線の向きや頬のライン、可愛らしいのに知的にさえ見えるという顎や額の角度に加えて内面の輝きまで現したよう。「そう、私の姿は本当はこうなの、こう描いて欲しかったの!!!」という王妃の圧倒的な支持がうかがえる素敵な作品で、革命後、国外に逃れたルブランに描いて欲しいという女性が後を絶たなかったというのも肯けます。興味深かったのは、クリスタルで再現された例の「首飾り」。展示されたものを見ると、二つのパーツに分かれていて、アントワネットブルーと思われるリボンで結んで首まわりを飾るようになっているようでした。そのほか、錠前作りが趣味だっというルイ16世の手による「マリー・アントワネットの時計のねじ」、昨年、ヤマザキマザック美術館でも拝見した当時の衣装や軍艦を載せたヘアスタイル、王妃のサインを入れて物議をかもしたという侍女任命状などが印象深く。アートショップでは、図録を購入。嬉しいことに、あの素敵な肖像画が大きな帯になっていてさらに同じ絵の栞にピンクかブルーのリボンがついたものを選ぶことができましたので、当然のことながら、アントワネットブルーの方を頂いたのでした。静かに鑑賞した後は、アントワネットに関する話題を存分におしゃべりしながらランチ。日本中に遍く浸透している一大文化を今後も楽しめますように。「アントワネットの文机の日記」
October 9, 2012
パリに3週間滞在してきたという友人がオペラ座の情報誌などを持ち帰ってくれました。舞台や衣装は、白塗り&着物の日本テイストのものからロミオ&ジュリエットなどの名作もあったのですけれど、やはり惹かれるのは、典雅なスタイル☆ロココの時代に浸れるヤマザキ・マザック美術館にもまた行きたくなってきました。
May 29, 2012
黄の回廊から続く第一の青い部屋を、もう一度見渡してみると、特に風景画のスタイルの変化を愉しむことができました。***(マリー・アントワネットの時代、ロココ絵画を堪能できるヤマザキ・マザック美術館が当地にオープンしたのは昨年。絵画のみならず、ガレなどガラスや家具のコレクションも充実、美しい館内で満たされたときを過ごせるのを愉しみに、今年の企画展・「ロココの雅」について調べようと公式HPを訪問したところ、ちょうどその日にアップされた新着情報に「ブロガー募集」の文字を発見。「コンスタントにブログを更新している、美術館で開催されるブロガーデーに参加後、一週間以内に展覧会の紹介をするブログをアップできる」などの応募用件のもと、幸運にも、閉館後の静かな美術館でスタッフの方のお話を聞きながら鑑賞、一定の条件を守りつつ、館内の撮影をさせていただくことができました。いつものようにモバイルの画像、メモ書きと記憶に頼った拙文ではございますけれども、麗しい美術館の魅力を少しでもお伝えできれば幸甚に存じます。)*** ロココからエコール・ド・パリまで、風景画、肖像画、静物画、宗教画などの変遷を辿ってみても面白いと思います。 残念ながら、時間がきてしまいましたので、ピカソ、ローランサン、キスリングなどエコール・ド・パリ以降の作品と、ロダンの彫刻が展示されていたと記憶している第二の青い部屋は、さっと全景を写すのみに。醒めない夢のような場所で、作品について心置きなく話しながら鑑賞、撮影もできるという貴重な機会をいただいたことに感謝します。大好きな美術館について書くことができて本当に愉しく幸せでした。館内のカフェも、地階のレストランも素敵なので、ランチ、ティータイムも兼ねて近々、友人と伺う予定です。皆さまも是非、この美の殿堂に足をお運びくださいね。ご覧いただきありがとうございました。「ヤマザキ マザック美術館 ロココの雅 公式HP」☆ 名古屋駅から地下鉄で7分、新栄駅の直通エスカレーターで美術館内に入れます。「アントワネットの文机の日記」
July 2, 2011
エコール・ド・パリ以降にも、艶なるロココの香りは息づいているでしょうか。***(マリー・アントワネットの時代、ロココ絵画を堪能できるヤマザキ・マザック美術館が当地にオープンしたのは昨年。絵画のみならず、ガレなどガラスや家具のコレクションも充実、美しい館内で満たされたときを過ごせるのを愉しみに、今年の企画展・「ロココの雅」について調べようと公式HPを訪問したところ、ちょうどその日にアップされた新着情報に「ブロガー募集」の文字を発見。「コンスタントにブログを更新している、美術館で開催されるブロガーデーに参加後、一週間以内に展覧会の紹介をするブログをアップできる」などの応募用件のもと、幸運にも、閉館後の静かな美術館でスタッフの方のお話を聞きながら鑑賞、一定の条件を守りつつ、館内の撮影をさせていただくことができました。いつものようにモバイルの画像、メモ書きと記憶に頼った拙文ではございますけれども、麗しい美術館の魅力を少しでもお伝えできれば幸甚に存じます。)***モディリアーニ作「ポール・アレクサンドル博士の肖像(1909年)」。パトロンだった博士は、三枚もの肖像画を描かせたのだそうで、この作品は「褐色の背景のポール・アレクサンドルの肖像」とも呼ばれるのだそう。モディリアーニといえば、カリアティードという彫刻的な作品群がありますけれど、その源となるプリミティブ美術も博士を通じて知ったのだそうです。 スーチン作「緑の木々(1923-24年)」と「ふしのある木(1920-21年)」 ユトリロ作「マルカデ通り(1911年)」と「サンノワの風車(1910年)」ここまでが、エコール・ド・パリの作品。 マルケ作「パリ、ルーブル河岸(1906年)」は、フォーヴィズムに分類されているよう。 同じくフォーヴのヴラマンク作「水車小屋」と、美術館の所蔵作品検索でナビ派に分類されていたルオー作「キリストと漁師(1939年)」。時代や様式などで分類が同じとされていても、ひとつひとつの作品は独立していて、あまり共通点が感じられないこともあるのですけれど、個人的な感想として、この2作品はどこか雰囲気が似ているような気がします。続きます。「ヤマザキ マザック美術館 ロココの雅 公式HP」☆ 名古屋駅から地下鉄で7分、新栄駅の直通エスカレーターで美術館内に入れます。「アントワネットの文机の日記」
July 1, 2011
2つの青い部屋は、新古典主義からエコール・ド・パリまでフランス絵画の変遷を辿ることができます。***(マリー・アントワネットの時代、ロココ絵画を堪能できるヤマザキ・マザック美術館が当地にオープンしたのは昨年。絵画のみならず、ガレなどガラスや家具のコレクションも充実、美しい館内で満たされたときを過ごせるのを愉しみに、今年の企画展・「ロココの雅」について調べようと公式HPを訪問したところ、ちょうどその日にアップされた新着情報に「ブロガー募集」の文字を発見。「コンスタントにブログを更新している、美術館で開催されるブロガーデーに参加後、一週間以内に展覧会の紹介をするブログをアップできる」などの応募用件のもと、幸運にも、閉館後の静かな美術館でスタッフの方のお話を聞きながら鑑賞、一定の条件を守りつつ、館内の撮影をさせていただくことができました。いつものようにモバイルの画像、メモ書きと記憶に頼った拙文ではございますけれども、麗しい美術館の魅力を少しでもお伝えできれば幸甚に存じます。)***ロココの雅が、大革命を経てどのように立ち上がってくるのか、新しい時代の手法を得ても、どこか艶なティストのあるフランス絵画の源流を鑑賞してから、日本では馴染み深い19世紀以降の作品群を愉しめる、おそらく世界でも稀な美術館ではないかなと思います。 アングル作「ルイ14世の食卓のモリエ-ル(1860年)」とジェリコー作「突撃する近衛猟騎兵の士官(1810-12年)」は新古典主義、以前は、紅い大広間にあったかと記憶しています。太陽王の絵は、向かって右端の正面を向いているのがアングルなのだそう。ジェリコーの作品は、近衛兵という言葉と、馬上で剣をとるスタイルが印象深く。 パンフレットにも載っているのが、ロマン主義のドラクロワ作・「シュビラと黄金の小枝(1838年)」。1855年のパリ万博にも出品されのだそう。 自然主義のクールベ作「波、夕暮れにうねる海(1869年)」と印象主義のピサロ作「ル-アンの波止場・夕日(1896年)」。風景画の描き方を比べることもできますね。 モネ作「アムステルダムの港(1874年)」とシスレー作「サン=マメのロワン運河(1885年)」も印象主義。 ルノワール作の「母の愛、あるいは息子ピエールに授乳するルノワール夫人」と「果物皿」。立体的になっても、なんとも優しく愛ある風情のルノワールの珍しい彫刻は、当初、彼の妻・アリーヌの墓碑銘として使うために制作されたのだそう。テラコッタの温かみのある地肌に、芸術家の手跡を感じられる素敵な作品です。続きます。「ヤマザキ マザック美術館 ロココの雅 公式HP」☆ 名古屋駅から地下鉄で7分、新栄駅の直通エスカレーターで美術館内に入れます。「アントワネットの文机の日記」
June 30, 2011
黄色いお部屋は、以前は近代とフォーヴィズムの作品が展示されていたように記憶しているのですけれど、いまにも踊りだしそうなロココの装束に彩られて、また佳き趣きに。***(マリー・アントワネットの時代、ロココ絵画を堪能できるヤマザキ・マザック美術館が当地にオープンしたのは昨年。絵画のみならず、ガレなどガラスや家具のコレクションも充実、美しい館内で満たされたときを過ごせるのを愉しみに、今年の企画展・「ロココの雅」について調べようと公式HPを訪問したところ、ちょうどその日にアップされた新着情報に「ブロガー募集」の文字を発見。「コンスタントにブログを更新している、美術館で開催されるブロガーデーに参加後、一週間以内に展覧会の紹介をするブログをアップできる」などの応募用件のもと、幸運にも、閉館後の静かな美術館でスタッフの方のお話を聞きながら鑑賞、一定の条件を守りつつ、館内の撮影をさせていただくことができました。いつものようにモバイルの画像、メモ書きと記憶に頼った拙文ではございますけれども、麗しい美術館の魅力を少しでもお伝えできれば幸甚に存じます。)*** よくよく見れば、淡い地色と花の上に、本物と見紛う褐色の御器齧り☆ガレなどにも蝉や蟷螂や蜻蛉などを配した作品があって、小花をたくさん散らしたドレスのデザイン同様、後年になっても斬新なスタイルとして自然の風物を捉える源流のひとつのように思えるのですけれども、それにしても、花に添えるモチーフとしては、このかたちはあまりにリアル。 ウードリー作の「果物と野菜の静物」、何が描かれているかを眺めつつ、4階にあるガレの素晴らしいコレクションについて学芸員の方にお尋ねしてみると、砂漠の地下倉庫に集められていたガレ後期の作品で、所有者が亡くなったことにより、まとめてこちらへ所蔵されるようになったそう。ある意思をもって集まった作品群が、コレクターなき後は散逸することも多いなか、内包する霊感に相応しい美の殿堂に迎えられたことは、まことに幸運なこと。ポンパドゥール夫人の所蔵だった大作をはじめ、作品ひとつひとつが晴れて衆目を集めるに至るまでの経緯は、ドラマティックな物語を秘めているようです。 確か以前は、紅い大広間にあったように記憶しているロココの三点。左より、グルーズ作「少女の頭部像」、同じく「犬と遊ぶ子供」、そしてその作品がミュージカルの題材にもなったことのあるフラゴナールの「キューピットのささやき 」。 紅い大広間と、青い部屋をつなぐ黄の回廊、黄金のような輝きのために、さらに朧に撮れてしまっているのが残念ですけれども、是非、本物を観ていただきたいなと思います。次は常設の青い部屋を拝見します。「ヤマザキ マザック美術館 ロココの雅 公式HP」☆ 名古屋駅から地下鉄で7分、新栄駅の直通エスカレーターで美術館内に入れます。「アントワネットの文机の日記」
June 29, 2011
紅の大広間に続く黄色いお部屋にも、ロココ時代の衣装並びに扇や靴などが展示されていました。***(マリー・アントワネットの時代、ロココ絵画を堪能できるヤマザキ・マザック美術館が当地にオープンしたのは昨年。絵画のみならず、ガレなどガラスや家具のコレクションも充実、美しい館内で満たされたときを過ごせるのを愉しみに、今年の企画展・「ロココの雅」について調べようと公式HPを訪問したところ、ちょうどその日にアップされた新着情報に「ブロガー募集」の文字を発見。「コンスタントにブログを更新している、美術館で開催されるブロガーデーに参加後、一週間以内に展覧会の紹介をするブログをアップできる」などの応募用件のもと、幸運にも、閉館後の静かな美術館でスタッフの方のお話を聞きながら鑑賞、一定の条件を守りつつ、館内の撮影をさせていただくことができました。いつものようにモバイルの画像、メモ書きと記憶に頼った拙文ではございますけれども、麗しい美術館の魅力を少しでもお伝えできれば幸甚に存じます。)***これに仮面があれば。 バレリーナのように見えるのは、コルセットとパニエを装着したかたち。美しくふんわりと広がるドレスの下は、鎧のような鳥かごのなかに納められていたようです。続きます。「ヤマザキ マザック美術館 ロココの雅 公式HP」☆ 名古屋駅から地下鉄で7分、新栄駅の直通エスカレーターで美術館内に入れます。「アントワネットの文机の日記」
June 28, 2011
ルブランなど、ロココ絵画の充実している紅い大広間には、つい長居してしまいます。***(マリー・アントワネットの時代、ロココ絵画を堪能できるヤマザキ・マザック美術館が当地にオープンしたのは昨年。絵画のみならず、ガレなどガラスや家具のコレクションも充実、美しい館内で満たされたときを過ごせるのを愉しみに、今年の企画展・「ロココの雅」について調べようと公式HPを訪問したところ、ちょうどその日にアップされた新着情報に「ブロガー募集」の文字を発見。「コンスタントにブログを更新している、美術館で開催されるブロガーデーに参加後、一週間以内に展覧会の紹介をするブログをアップできる」などの応募用件のもと、幸運にも、閉館後の静かな美術館でスタッフの方のお話を聞きながら鑑賞、一定の条件を守りつつ、館内の撮影をさせていただくことができました。いつものようにモバイルの画像、メモ書きと記憶に頼った拙文ではございますけれども、麗しい美術館の魅力を少しでもお伝えできれば幸甚に存じます。)***入館してから、かなり時間が経っていましたけれども、いま一度、夢のように美しい紅い大広間をぐるっと見渡してみました。 右手から眺めて。華奢なガラス棚の一番下の段中央にあるのは、ルイ16世の肖像画だそう。 ポンパドール夫人が所蔵していた大作を眺められる紅い長椅子と、絵の周りで舞うロココ装束の貴族たち。 ルブランの肖像画ふたつと、ルイ16世様式のシリンダー型書き物机。 シャンデリアの照らす室内、マホガニーの床、朧な画像ですけれども等身大のマネキンから推して、絵画の迫力に押されぬ天井の高さが、少しお伝えできたかなと思います。次は、黄色の間へ移動します。「ヤマザキ マザック美術館 ロココの雅 公式HP」☆ 名古屋駅から地下鉄で7分、新栄駅の直通エスカレーターで美術館内に入れます。「アントワネットの文机の日記」
June 23, 2011
18世紀の絵画や衣装の鮮やかさを目の当たりにできるのは、ものみな移りやすき日本にあっては、奇跡のように思えます。***(マリー・アントワネットの時代、ロココ絵画を堪能できるヤマザキ・マザック美術館が当地にオープンしたのは昨年。絵画のみならず、ガレなどガラスや家具のコレクションも充実、美しい館内で満たされたときを過ごせるのを愉しみに、今年の企画展・「ロココの雅」について調べようと公式HPを訪問したところ、ちょうどその日にアップされた新着情報に「ブロガー募集」の文字を発見。「コンスタントにブログを更新している、美術館で開催されるブロガーデーに参加後、一週間以内に展覧会の紹介をするブログをアップできる」などの応募用件のもと、幸運にも、閉館後の静かな美術館でスタッフの方のお話を聞きながら鑑賞、一定の条件を守りつつ、館内の撮影をさせていただくことができました。いつものようにモバイルの画像、メモ書きと記憶に頼った拙文ではございますけれども、麗しい美術館の魅力を少しでもお伝えできれば幸甚に存じます。)***紅い大広間に入ってすぐ左側は、ナティエ作「狩りの衣を着たマイイ伯爵夫人」、そしてひときわ目を引く日本ではなかなか観られないような大きなサイズの絵画は、パンフレットにも使われているブーシェ作・「アウロラとケファロス」。 天上界の出来事を描いたようなこの大作は、ルイ15世の愛妾・ポンパドール侯爵夫人が所有していたそう。 公式HPの作品解説によると、複雑な悲恋の物語が描かれているようで、愛妾としての役目を終えた後も、酸いも甘いもかみわけた相談役として若い女性を王に引き合わせてもいたという夫人が、どのような思いでこの絵を眺めていたのかしら…ちょうど、この大作の前には座り心地の良い椅子がありますので、そんなことも考えながら、もしかするとかの貴婦人と同じ位置から鑑賞しているのかも・・・などとイメージは広がります。 ランクレ作「からかい」と、アントワネットのお気に入りの画家であったルブラン作「エカチェリーナ・フェオドロヴナ・ドルゴロウキー皇女」。大革命以後、ルブランは各国を旅していたそうで、作品はロシアに滞在していたときに描かれたようです。 右側はもう一枚、ブーシェ作「恋文」。艶なるモチーフが好きな方のようですね。 薔薇のアレンジの隣には、ラルジエール作「ジャッソ夫人とふたりの子供」。 透き通るような肌の女性像は、再びルブラン作「リラを弾く女性」。こちらはイギリスに滞在していたときの作品だそう。ロココの衣装と、ギリシア風のドレス、偶然に撮っていたものですけれども、紅い大広間に入ってすぐ左側、このあたりに立って眺めれば、革命以前、革命以後、どちらも前時代から開放された反動のような風俗ながら、表現方法はデコラティブとシンプル、見比べることもできますね。同じく右肩を美しく見せる角度から描かれた薔薇を持つアントワネットの肖像とイメージを重ね合わせるのも面白いかなと思います。続きます。「ヤマザキ マザック美術館 ロココの雅 公式HP」☆ 名古屋駅から地下鉄で7分、新栄駅の直通エスカレーターで美術館内に入れます。「アントワネットの文机の日記」
June 22, 2011
「一般的に『ロココ』とは、18世紀フランスを中心に花開いた、遊び心に満ちた宴の時代」と美術館発行のガイドブックにある言葉。***(マリー・アントワネットの時代、ロココ絵画を堪能できるヤマザキ・マザック美術館が当地にオープンしたのは昨年。絵画のみならず、ガレなどガラスや家具のコレクションも充実、美しい館内で満たされたときを過ごせるのを愉しみに、今年の企画展・「ロココの雅」について調べようと公式HPを訪問したところ、ちょうどその日にアップされた新着情報に「ブロガー募集」の文字を発見。「コンスタントにブログを更新している、美術館で開催されるブロガーデーに参加後、一週間以内に展覧会の紹介をするブログをアップできる」などの応募用件のもと、幸運にも、閉館後の静かな美術館でスタッフの方のお話を聞きながら鑑賞、一定の条件を守りつつ、館内の撮影をさせていただくことができました。いつものようにモバイルの画像、メモ書きと記憶に頼った拙文ではございますけれども、麗しい美術館の魅力を少しでもお伝えできれば幸甚に存じます。)***「流行のファッションを身につけた男女が、人工的に作られた自然の中で恋の駆け引きを優雅に語らう様子を描いた『雅宴画』を生み出した(ガイドブックより)」というヴァトーの作品を、解説をお聞きしながら粒さに拝見させていただくと、木陰で戯れる人々の纏う衣装や髪型は当時のファッションの過度期をも現し、扇で隠語を使い、背景の明るい陽射しのなかには貴族お抱えの農民をおいているとのこと。この美術館を訪れる多くの方が愛好していると思われる名作・「ベルサイユのばら」や、映画「マリー・アントワネット」でも、プチ・トリアノンでアントワネットが農村スタイルを愉しんでいる場面がありましたけれども、「自然」なるものは貴族社会ではファッションとして理解されていたのでしょう。「枕草子」にも、清少納言がホトトギスの声を探しに宮中から外へ遊びに行くお許しをお后からいただき、ある貴族の屋敷で稲こきをする様子を面白い風趣として見る、といった場面が出てきますので、東西の貴なる方々の共通の好みも伺えるような、興味深い絵になっているように思えました。ヴァトーの一枚が鎮座する部屋から、まるで宮廷音楽が聴こえてくるような紅い大広間へ。この時代を愛する方々には垂涎の作品が溢れています。今回の企画展の白眉のひとつが、18世紀に実際に貴族が身にまとっていた衣装と、当時のヘアスタイルを再現した展示。 小柄な体躯に盛りに盛った髪の上に当時の最新技術を象徴した船などを載せた絵でみると珍奇にも思っていたスタイルは、実際の大きさで再現されてみると、大きく裾を広げた衣装には、髪を結った方、ドレスを着付けた方のセンスも大いに貢献しているのでしょう、実にしっくり似合って見えます。 結界のそばまで近づいてみると、ドレスには草花の刺繍が一面に施されていて、無数の手数を踏んだ上に生まれる淡い色合いは本当の豪奢、当時、貴族は衣装を一回着用するのみだったことと、大革命などの変遷を潜り抜け、大切に保管されてきたことが幸いしたそう。これらがほぼ、当時のままで目の前にあるのは奇跡のようなことなのでしょう。メヌエットの聴こえてきそうな空間に相応しく、「ロココの雅」展 展示室では、毎週火、木、土曜日の午前11時~、午後1時~に、ヴァイオリン、チェロ、ハープなどの定期演奏会が行われているそう。名画のある空間での音楽鑑賞、ロココの時代に浸れそうですね。続きます。「ヤマザキ マザック美術館 ロココの雅 公式HP」☆ 名古屋駅から地下鉄で7分、新栄駅の直通エスカレーターで美術館内に入れます。「アントワネットの文机の日記」
June 21, 2011
マリー・アントワネットの時代、ロココ絵画を堪能できるヤマザキ マザック美術館が当地にオープンしたのは昨年。絵画のみならず、ガレなどガラスや家具のコレクションも充実、美しい館内で満たされたときを過ごせるのを愉しみに、今年の企画展・「ロココの雅」について調べようと公式HPを訪問したところ、ちょうどその日にアップされた新着情報に「ブロガー募集」の文字を発見。「コンスタントにブログを更新している、美術館で開催されるブロガーデーに参加後、一週間以内に展覧会の紹介をするブログをアップできる」などの応募用件のもと、幸運にも、閉館後の静かな美術館でスタッフの方のお話を聞きながら鑑賞、一定の条件を守りつつ、館内の撮影をさせていただくことができました。いつものようにモバイルの画像、メモ書きと記憶に頼った拙文ではございますけれども、麗しい美術館の魅力を少しでもお伝えできれば幸甚に存じます。***当日は雨。「ぷれサタ」という番組で、美術館所蔵のヴァトー作「夏の木陰」が紹介されていたのを観てから出発し、30分ほど前に到着。名古屋駅から地下鉄で7分、新栄駅の直通エスカレーターで館内に入り、鑑賞するときは一階で受付、スタッフの方に案内されて進み、音声ガイドのサービス(無料)を受けるかどうかを決めてから館内エレベーターで五階の展示室へと運ばれます。今回のブロガーデーでは、まず、ロココ展担当学芸員の方と、美術館広報の方と、参加される方々と一階でお顔合わせしてから、ご一緒に展示室へ。エスカレーターのドアが開いた途端、迎えてくれたのが薔薇のアーチと馥郁たる香り。ルブラン作の肖像画でマリー・アントワネットが携えていた薔薇を使った贅沢な演出で、アプローチからロココの世界に引きこまれます。 薔薇の香りに包まれながら、美術館の成り立ちなどをご説明いただいてから、作品の前へ。しっとりと落ち着いた色合いのフロアはマホガニーの床材で、空調も床から、従来ならば白一色で覆われることの多い美術館の壁は、18世紀の赤、黄、青、緑を用い、ワイヤーやキャプションまでも同色を使っているのだそう。 薔薇のアーチから右手へ進むと、正面に展示されているのが番組でも紹介されていたヴァトーの「夏の木陰」。 天井の高いフロアに対して、ただ一枚、小さくも見える絵が展示されているのは、ロココを代表するヴァトーの作品だから。昨年、訪れたときには、この部屋には他にも幾つか、小さなサイズの作品が展示されていたように記憶していましたので、お尋ねしてみると、「フランス絵画の父」と呼ばれ「ルーヴル美術館が火事になったら、最初に持ち出すのはヴァトーの絵」とされるほどフランス国民に愛され、数も非常に少ない芸術家の作品をもっとよく鑑賞していただきたいとの思いで、展示を一つにされたのだそう。さらには、ボタン一つで特製の巨大レンズが現れる装置も備えられ、名品をより詳しく鑑賞できるようになったそうです。続きます。「ヤマザキ マザック美術館 ロココの雅 公式HP」「アントワネットの文机の日記」
June 20, 2011
アントワネットとフェルゼンが交わした指輪に刻まれた言葉、「臆病者よ 彼女を見捨てるものは」「一切が私を御身がもとへ導く」 という言葉についての解釈や、解説についてご訪問者さまから質問をいただきましたので、拙いながらも手元の資料などを再見して、以下のようにお返事させていただき、すこし加筆してみました。寡聞の身ゆえ、錯誤も沢山あるかと思いますが、どうぞご容赦いただいて、ご興味のある方はよろしかったら、ご覧ください。*****はじめまして、お言葉いただきありがとうございます。ご質問にあった「アントワネットとフェルゼンが交わした指輪に刻まれた言葉」とは池田理代子さんがベルサイユのばらで描かれていたシーンの台詞のことですね。「臆病者よ 彼女を見捨てるものは」「一切が私を御身がもとへ導く」前の台詞は、フェルゼンが受け取ったアントワネットの手紙に同封された指輪に、後の台詞は、2人の逢瀬が叶った際、フェルゼンからアントワネットに贈られた指輪に刻まれていたと、コミックでは描かれています。コミックは、シュテファン・ツワイク著「マリー・アントワネット」という伝記も元になっているようですので、手持ちの岩波文庫を久しぶりに開いてみたところ、訳は違いますけれども、アントワネットの手紙に同封されていた指輪のくだりと、その言葉に対する解釈が載っていました。「『意気地なしよ、彼女を見捨つる者は』という文字が、いっさいをこの女性のために敢えてせよという、日ごと彼の良心に呼びかける励ましの言葉となる。」(マリー・アントワネット ツワイク著 高橋禎二・秋山英夫訳)アントワネットの手紙は、逃亡を手助けしたフェルゼンと再び逢うことは絶望的な状況のなかで届くかどうか分からないままに書かれたもの。この手紙と指輪を受け取った後、フェルゼンがアントワネットのもとに実際に赴いたのは、彼の日記にも、スウェーデン国王への報告にも残されている史実のようですが、本来ならば、それは有り得ないこと。実際に会うことが絶望的だったからこそ、アントワネットは本当の胸の内を現した言葉を刻んだ指輪を同封するに至ったのではないかと思われます。さて、後の台詞のことですが、ツワイクの伝記には、フェルゼンがアントワネットに指輪を渡したというシーンは、私が読んだところでは見当たりませんでした。コミックでも、その指輪は、ジャルジェ将軍経由でアントワネットからフェルゼンに返されることになっていますので(もし、愛人と取り沙汰されているフェルゼンからの指輪を手元に置いていたら、裁判の際など困りますものね)、もしかすると、この辺りは創作なのではないかなと思いながら念のため、ベルばらよりも後に書かれていますけれども遠藤周作さんの「王妃・マリー・アントワネット」も開いてみましたら、同じ台詞と思われる言葉が違う場面、それも再び、アントワネットのフェルゼン宛の手紙に出てきました。「『…ああ、わたくしがもし、王妃でなかったならば。ただの貴族の出身だったならば…さまざまな美しい追憶がわたくしのまぶたに浮かびます-時間がありません。筆を置きます。Tutto a te me guida……』この最後の行を読み終わった時、フェルセンの手はふるえた。そこに書かれた伊太利(イタリー)語の言葉が鋭い矢のように彼の心をつらぬいたのだ。『なべては我をおん身にみちびく』という言葉が。その短い言葉に王妃の彼に対する最後の愛の告白が奔(ほとばし)る血のように彩られていた。」 (遠藤周作著 王妃マリー・アントワネット)フェルゼンの指輪が存在していたかは、分からないのですけれども「一切が私を御身がもとへ導く」と言う言葉が、全てを賭けた愛の言葉であることは確かではないかと思われます。フェルゼンの指輪が創作だったとしてのことですけれども、愛するもの同士は思いも等しくなってゆくものですから、本来はアントワネットが手紙に書いた言葉が、フェルゼンの言葉としても相応しいと稀代の作家が感じ、有名なシーンのアイテムとして使われたとしても、不思議はないのかもしれません。***と、ここまではコメント欄に書かせていただいたものですが、この後、いま一度、ツワイクの伝記を調べてみましたら、以下のような内容がありました。すなわち、・王妃を救出するためにジャルジェがタンプル獄に忍び込んだ際、アントワネットはルイ十六世の遺品である指輪と頭髪を王弟たちに届けるように預けたこと。・アントワネットは、恋人に贈った百合花のしるしの(「臆病者よ 彼女を見捨てるものは」と刻印された)指輪とは別に、フェルセンの紋章を刻した指輪を作っていたこと。・アントワネットが作ったフェルセンの紋章の指輪には「Tutto a te me guida」と銘が入っていて、彼女は刻銘のついた紋章を熱い蝋に押し付けて、その写しをジャルジェを通じてフェルセンに送っていること。「『ここに添えました写しは』と、彼女はジャルジェに書いている。『昨年の冬ブリュッセルから私を訪れましたあのご承知の人にお渡し下さいませ。そしてこの格言がいまほどぴったり当てはまったことはない旨、その方にお伝え下さいませ。』」 (マリー・アントワネット ツワイク著 高橋禎二・秋山英夫訳)ツワイクが伝記にまとめた記述から推測してみると、「夫の指輪+蝋の刻印→フェルゼンがアントワネットに贈った指輪に刻まれた言葉」へ転じた、ということになるのでしょうか。2つの指輪は双方、実はアントワネットが作らせたもの、それでも物語としては、片方はフェルゼンが作って贈ったとしたほうがシンプルでロマンティック…作家さんたちの創作過程もうかがえるようで、興味深く思いました。*****読んでいただいてありがとうございました。ちなみに小学生以来、ジェローデルと、それからダーヴィトのファンです☆「アントワネットの文机 の日記」
September 25, 2010
友人宅でランチをご馳走になりつつ、フランス旅行のお話などを。彼女とは、映画「オペラ座の怪人」を何度も観た仲でもあって。あちこちの劇場を探してオペラ座ジプシーと化していたときから「いつかパリ・オペラ座に」と話していたのですけれども、一足先にガルニエの傑作を体験された様子、写真を沢山見せてもらいました。マスカレードの、あの有名なシーンに登場するセットそのままのアーチを描いた華麗な大階段や、シャガールの天井画、五番ボックス席、彫刻の施された扉や窓、金紗で縁取られたベルベットの幕が織り成す陰影、たしかにファントムが棲んでいると思わせる雰囲気に溢れています。オペラ座の次に重要な場所といえば、もちろんヴェルサイユ宮殿☆ソフィア・コッポラ監督の映画「マリー・アントワネット」で登場した華やかな様式美は修復が行われたばかりのようで、さらに金箔の部分が煌いていて。幸運にも、友人はある映画の撮影現場にも居合わせたそう。18世紀前後と思われる服装の俳優さんたちがたくさんいて一年半後あたりに公開される作品とのこと。どんな映画になるのでしょうね。そのほか、モネの大作を擁する美術館や数々の美しい教会、季節の野菜やとりどりのチーズがどっさり並んだマルシェ、ほんの10秒だけライトアップされるというエッフェル塔の光をとらえた瞬間など。さらにヴェルサイユのお土産、これからの季節にぴったりの素敵な扇をいただきました。フランス王室カラーと思われるブルーにマリー・アントワネットの頭文字と紋章が入った日本扇子。(M,Aは麗人と同じ頭文字だったりします☆)煽いでみると、ほのかに佳い香りもして優雅な気分にもなれる扇、いつでもバッグに入れて使えるように、ポジャギで袋を作ってみました。母・マリア・テレジアと同じく、アントワネットも東洋趣味があったそうですからこの取り合わせを喜んでくれるかもしれません。ロココの女王の様々なスタイルがプリントされたスケールも。ポジャギ作りにちょうどよいサイズで、お裁縫セットに仲間入り、実り多い旅のおすそ分けに感謝です☆「アントワネットの文机」「欧州鉄道の旅」「オペラ座の怪人の日記」
June 28, 2009
【映画の内容に触れますので、お読みになりたくない方はどうぞスキップなさって下さいね】ルイ16世との関係を、現代の普通の夫婦のように様々な危機を乗り越えながらだんだんと和してゆく過程を丁寧に描いているのも好感が持て、ラストがとても説得力のあるものになりました。 家族をテーマとしてみると、子育てに突入した母親として、小さな館に居を移したアントワネットの行動は理にかなっていたなと。農家の真似事をすることさえ、大変な浪費と批判された向きもあったようですが、ハーバルな生活はもともと大菜園を持っていたヴェルサイユのしきたりの一環でもある上に故国オーストリアで自らがゆったりと育ったものと同じやり方が規則にぎりぎりと押し込められた宮廷生活よりも子供の情操教育、健康にとってよいのは明らか。 古の日本の皇室でも、御所で育つ皇子たちがほとんど成人しなかったため農家や武家に里子に出して、丈夫に育てたという経緯があるのだそう。第一皇子が病弱だった故に、余計にその思いは強かったのではないかと。(宮廷での菜園や花々の育成の伝統は、その後のフランスの女主であるナポレオンの妻・ジョゼフィーヌにも受け継がれ、種目収集、品種改良などを経て「薔薇図鑑」に結実します。世界に名だたる農業国、ハーバリストも多数擁するフランスの礎つくりにも貢献していますね。) タンプル塔に幽閉されたときも、世話役になった人々は、実際に会った彼女を好きにならずにはいられなかったとのこと。身に纏うものすべてを失い、国の、時代のスケープゴートになって散り行く間際にも、本当の輝きは色褪せないもの。ラストは真の王妃への階段を昇るさまを観客自身に描かせる、余韻あるものでした。読んでいただいてありがとうございました。「世界一の薔薇園が満開・薔薇の皇后」「マリー・アントワネット公開前夜」「マリー・アントワネット観賞1・幸せの色」「マリー・アントワネット観賞2・セレブリティの条件」「ロココ三様・まずは本物を」「ロココ三様・女王の作り方」「ロココ三様・源流から前衛まで」「エリザベスタウンを観賞」「欧州鉄道の旅・ヴェルサイユ」「フランスの薔薇・マリー・アントワネット」「オペラ座の怪人・ベルばらとの共通項」「マリー・アントワネットHP」
January 24, 2007
【映画の内容に触れますので、お読みになりたくない方はどうぞスキップなさって下さいね】「教科書に出てくるアントワネットを撮る意味はない」とのソフィア・コッポラ監督の言葉、かなり意味合いが深いのではないかと思います。教科書とは、教育機関で正規に学ばれている史実はもとよりアントワネットの革命を招いたヴァンプという印象を深める、当時のプロパガンダ(民衆側だけでなく、「オーストリア女」にすべてを押し付ける貴族側の思惑も含め)をそのまま受け継いでいるテキスト、映画を含めた作品群を指しているのではないかなと。三部会の開催、バスティーユ攻撃、革命広場での復讐劇といった政治向きな出来事から「パンがなければ・・・」といった傲慢さが一人歩きしたセリフもそしてあの有名な事件のエピソードにもほとんど触れずにこの時代を描くことはかなり勇気のいること。その分、かえってアントワネットの真の姿を過たずに表現できたのではないかなと。あまりにも有名な160万リーブル(192億円)の首飾りを巡る事件は、王室の贅沢の果てに起きた出来事でマリー・アントワネットの浪費の象徴ともされていますけれど、確かフランスが抱えていた借金の総額は45億リーブルで約3000倍。首飾りはもともと舅のルイ15世が愛妾デュ・バリー夫人に用意したもの、王妃はその値段を聞いて購入を断念したそう。アントワネットの民衆とはかけ離れた経済観念をもってしても160万リーブルは大金で日々重ねられたファッションなどの経費が国家を揺るがすほどに昇ることは、実はなかったようです。 一方、国にとってもっともお金のかかる大事業が戦争。アメリカ独立という対イギリスという面子が主目的の戦争に加担しても金銭的にはほとんど見返りはなかったでしょう。増してアントワネットのおかげでオーストリアと同盟を結ぶに至るまでは欧州各地で戦争に戦争を重ねていたフランス、累積赤字は、首飾りのひとつやふたつ、個人の出来る派手な贅沢が影響するような小さなものではなかったはず。また、ぽんと愛妾に160万リーブルを出そうという御仁が積み重ねていた借金のみならずさらにその前王・ルイ14世が建築したヴェルサイユ宮殿そのものの建築費用から始まり各王族に何百人もの世話係がいる格式の高さを維持するための経費から生まれる浪費体質も若干18歳で王権を担った二人が後戻りさせようとしても、無理なこと。(ちょうど同時代の日本で、国家予算の四分の一を消費する大奥を将軍も御台所も改革などできなかったように。そういえばヴェルサイユでのしきたり、新参者の扱いから子なき妃に対するいじめまで大奥にそっくりです。)また、当時の貴族達の領有民に対する傲慢さ、過酷さは熾烈を極めていたようでその不満の矛先がすべて、目立ちやすく、外国人であるアントワネットに向いてしまう、もしくは、向くように仕向けられていたのでしょう。 もともと借金大国であった敵国・フランスに嫁ぎ、戦争を終わらせ、借金とそれまでの王族への不満のかたとして、国家のために身を犠牲にしたアントワネットこそ、真のセレブリティ。彼女が人々の心を打ってやまないのも道理。先日放送された「世界・ふしぎ発見」でのパリの街の声をひろっても「責任を取るのはルイだけでよかった」という意見が子供にも浸透しているようで権力者の民衆への搾取が弾劾された時代と違って現代のフランスではアントワネットに対する見方は、かなり同情的。なにしろ壮大な無駄と断じられた遺産の数々が、悲劇の王妃の物語を纏ってこの先1000年も文化的財産となってかの国を潤してゆくのですから。ソフィア・コッポラが、あえて革命を象徴するシーンを取り上げなかったのは、あまりにも有名かつ派手な出来事が物事の本質を見えなくしてしまっていたからでは。さらりと流して見せつつ、オーストリアからきた少女の本当のセレブリティが背負わなければならない立場に、巨匠の名を冠して進む運命の女性が、深く共感しているからでしょうか。続きはまた。「マリー・アントワネット公開前夜」「マリー・アントワネット観賞1・幸せの色」「マリー・アントワネット観賞3」「ロココ三様・まずは本物を」「ロココ三様・女王の作り方」「ロココ三様・源流から前衛まで」「エリザベスタウンを観賞」「欧州鉄道の旅・ヴェルサイユ」「フランスの薔薇・マリー・アントワネット」「オペラ座の怪人・ベルばらとの共通項」「マリー・アントワネットHP」
January 23, 2007
【映画の内容に触れますので、お読みになりたくない方はどうぞスキップなさって下さいね】二年越しに待って初日に。全編キャンディカラーのとてもポップで可愛らしい画像。筋金入りのベルばらファンとしては、つい求めてしまうセリフやシーンもあるのですけれどカンヌで喝采とブーイングが同時に起きたということを聞き、ある程度心のキャパシティを広げて観賞に臨んだところ、なかなかの佳品と。愉しむ部分はとことん愉しむという視点でご覧になると、また見えてくるものがある作品ではないかなと思います。マカロンや生クリームを使ったお菓子たちは、当時のフランスにはなかったものだそうですがアントワネットが纏うピンクや水色やクリーム色の生地にふんわりとしたリボンやレースをあしらったドレスや靴と映えてとても似合っていました。(あの素敵な靴、カルロッタがシャンパンを入れて飲ませたものとそっくりです☆) 色彩についてのソフィア・コッポラ監督のこだわりは徹底していて「茶色やベージュを使用しないこと」=「あなた(観客)は今、違う時代にいると思わせるセピア色にしないこと」という決め事をしたそう。王室御用達ともいうべきロイヤル・ブルー(濃紺)やバーガンディ(暗紅色)さえ使わず、ミント・グリーン、カナリア・イエローなどを基調にした、まさにマカロンカラーな作品。 使われる音楽も当時風のものもあり、1970、80年代カルチャーのものもあり。また、フランス革命を象徴するシーンもほとんどなく。 このあたりが賛否両論分かれるところなのでしょうけれど、わたしは好き。当時のままの再現では、現代の味覚や聴覚にうったえない部分も出てくるでしょうし(冷蔵庫が発達していなかったので、お菓子は焼き菓子が主で、そのうえ相当量の砂糖が使われていたようですよ)綺麗でポップな表現の方が観ていて幸せになれますし、現代のフィルターの方がアントワネットの感性により近いような気がしますもの☆また、こういった明るいパステルカラーは、幸運を呼び込むものだそう。作品は場所と時代の性格上、ラジカルでセクシャルな色合いも多分にあるのですけれど、リアルに暗鬱にブラッディに描く直接的な表現よりも、観るものの五感に働きかけて想像力を湧き立たせる手法、(同じくオペラ座をモチーフに使っている作品に比しても☆)かなり巧みだなと思います。 もちろん、ただ蝶よ花よといった作品ではなく、巨匠の系譜に見合った硬質な哲学も感じます。「教科書に出てくるアントワネットを撮る意味はない」との言葉通り、これまでの映画では当然のように描かれ、ソフィア・コッポラが取り上げなかったのが、フランスの当時の状況を物語るとされる有名な出来事。その代わり、アメリカ独立戦争に加担した経緯を織り交ぜてアントワネットを浪費家で革命発端の張本人というイメージを和らげ悲劇を招いたフランス財政の破綻の過程についてよりわかりやすくスポットを当てているのですから。続きはまた。「マリー・アントワネット公開前夜」「マリー・アントワネット観賞2・セレブリティの条件」「ロココ三様・まずは本物を」「ロココ三様・女王の作り方」「ロココ三様・源流から前衛まで」「エリザベスタウンを観賞」「欧州鉄道の旅・ヴェルサイユ」「フランスの薔薇・マリー・アントワネット」「オペラ座の怪人・ベルばらとの共通項」「マリー・アントワネットHP」
January 22, 2007
待ちに待った映画「マリー・アントワネット」公開☆「エリザベス・タウン」を観賞した一昨年の11月にキルスティン・ダンスト主演、ソフィア・コッポラ監督の映画製作を知って幼少の頃から愛してやまないロココの女王の姿を愉しみに。初日に足を運ぶかどうか迷っていたのですが、やはり観たいと先ほど、前売り鑑賞券を購入してきました☆ 日本にかの王妃の名を深く深く知らしめたのは、もちろんかの名作「ベルサイユのばら」に負うところが多分にあるでしょう。公開が近づいたので、書店でも特集コーナーなどがあればと探してみましたが映画雑誌に載っている程度。 ヴェルサイユに憧れて、フランスまで足を運ぶ人々がどれほどいたことか。アントワネット生誕250周年で演劇やコミックや塗絵などもお目見えしているもののもう少し、映画のほうも取り上げていただけるといいなと思います。 とてもうれしかったのは、世界・ふしぎ発見の「マリー・アントワネット」特集。映画の映像を取り入れつつ、ヴェルサイユの貴重な姿を見せてくれました。感謝☆以前もこの番組は、映画「オペラ座の怪人」公開中に「パリ・オペラ座」を取り上げて地下水路や舞台裏まで、隅ずみを取材してくれました。とってもわかっている関係者さまがいるに違いありません☆ 映画も、ヴェルサイユ宮殿やプチトリアノンの一般未公開の空間をふんだんに使って撮影されたとのこと。キャンディカラーのファッションやお菓子と同じく、愉しめそうです☆☆ 追記 観賞して参りました。感想はまた☆「エリザベスタウンを観賞」「欧州鉄道の旅・ヴェルサイユ」「フランスの薔薇・マリー・アントワネット」「オペラ座の怪人・ベルばらとの共通項」「マリー・アントワネットHP」
January 19, 2007
ハプスブルグの財宝には古伊万里に銀を細工したテーブルウェアもあり、目録には「宮廷銀器コレクション」とあります。いわゆる丼茶碗のような深めの食器や、醤油ポットの、蓋や縁や底の部分にエレガントな植物モチーフやクロスの銀装飾が施され、優雅に伸びる腕部と軸足付きの金銀細工の食器籠に載せられているという趣向。【白磁製サービストレー】同じく古伊万里を銀で縁取った宝石箱や、富士山の図柄の漆の長持やチェストも。マリア・テレジアは東アジアの工芸品に傾倒していたそうで手に入れるためには財貨に糸目はつけなかったとか。マリー・アントワネットのお嫁入り道具には母・マリア・テレジアが持たせた源氏物語の蒔絵もあったとか。彼女のオリエンタル趣味の深さが伺えますね。かの物語の内容も知っていたとしたら、朝夕目にする工芸品に、悲劇の王妃が自分を重ね合わせる場面もあったのかもしれません。ブルボン王家との贈り物合戦にも陶磁器はよく使われたとみえ、ルイ15世が贈った「ウィーン宮廷のための限定セット」も。185点あったセットの、今日まで45点伝えられているうち、展示品は3点で、「ゴンドラの形をしたスープ鉢」、「ボトルクーラー」、「貝の形をしたコンポート皿」。フランス王立磁器製作所の絵付師が描いたモチーフは番いの鳥が「愛のテーマ」を暗示しているそう。源氏が娘・明石の姫の輿入れに用意した道具の中にも描かれそうな図柄です。【アウガルテン「マリアテレジア」 ティーカップ&ソーサー】展覧会に出かけたあとは、子供に何が気に入ったか、印象に残ったかを聞くようにしています。今回、子供が選んだのは「金羊毛騎士団員の正装」。ワインレッドのビロードのコートに、白いサテンの裏地と裾飾り、騎士団のシンボル、金の羊皮・火打ち金・火打ち石を表わす金糸の刺繍。同じ素材の垂れ頭巾も金糸の刺繍が施され、165センチのビロードの帯が左肩に掛かる・・・という豪華なもの。1429年に創設、現在も存続する王家を守る騎士団員は、「カトリック貴族で、由緒正しき者のみが、オーストリア・ハプスブルグ家の宗主によって任命」されているそう。【ヘレンドプティットローズ】王家を守るといえば、「聖フランシスコ・ザビエルの胸像」も。真ん中のハート型にくり貫かれたガラスケースには、日本にキリスト教を伝えた聖人の「聖遺物」が収納されているのがよく見えます。こちらは他4体の「胸像型聖遺物箱」と一緒にマリア・テレジアの私室に置かれていたとか。【マリアテレジア】私が印象に残ったのは、「マリー・アントワネットのライティングデスク」。ローズウッド製、セーブルの素焼き陶製の浮き彫り、金メッキのブロンズのアプリケ飾りなどで覆われ、折りたたみ式の書見台は装飾を見せるためか、畳まれた状態、ターコイズブルーに見えるその装飾は、皮革とか。足を載せるあたりには、古伊万里の装飾に似た小さな金の籠。彼女のサイズに合わせて作られたと思われる机は、ロココの女王にふさわしく、とてもコンパクトでした。ここで書かれたことでしょう【マリー・アントワネットとマリア・テレジア秘密の往復書簡】さてさて、ロココ三様のうち、あと二つのロココ体験のひとつが子供の念願だった「BABY,THE STARS SHINE BRIGHT」を筆頭としたお洋服のあるフロア訪問。本物を見たあとに、レースとフリルとリボンの実物に触れて満足したのか、気圧されたのか。いずれにしても、次のお年玉の行く先は決まったようです。いまひとつは、その日芸術センター横の広場で行われていた「世界コスチュームプレイサミット」観覧☆幻魔大戦のキャンペーンで当地にいらしていた東丈役の古谷徹さんに、ちょうど子供と同じ年代のときにサインをいただいているのですがその彼が地球連邦軍の青い制服に身を包んで、司会をしておられてかなりデジャブな感傷を覚えました☆黒山のように各国から人々が集まる中に絶好の鑑賞ポイントを見つけ子供達を監督できる位置から少し離れて読書。黄昏時のビル街の空の下で「カフェー小品集」を読み終えようとする頃、耳に入ってきたのが懐かしき「ベルサイユのばら」のテーマソング。もちろん、♪愛、それは~♪ではなく、♪薔薇は 薔薇は♪の方☆9カ国参加した中で、このベルばらのパフォーマンスをしたのはやはりというべきか、日本チーム。エッフェル塔を模したTVタワーの近くの広場での受賞式で、彼らが二位になったのを確認し、人波を逃れて早めに家路につきました。ロココの源流から前衛までの体験、将来いかに花開きますことやら。「ロココ三様・まずは本物を」「ロココ三様・女王の作り方」
August 31, 2006
展覧会は、暑い日にもかかわらずかなりたくさんの人出。強い日差しを避けて、百貨店などのビル街を縫うように進んで到着。マリア・テレジアの遺産に浴します。以前、ミュシャの展示を訪れたときは、子供たちの方はかなり早く観終っていたのですが今回は、興味対象のルーツゆえか、ゆっくり細部まで観ているよう。私といえば、ハプスブルグ家の家系図や集合写真ともいえる初公開の皇帝一家の肖像画の中にも、ついつい悲劇の女王の姿を探してしまいます。(末娘のアントワネットは、一番小さく描かれ、紅い薔薇を手にしていました。)【マリー・アントワネットとマリア・テレジア 秘密の往復書簡】「ファミリア・アウグスタ」は、16人もの子沢山のテレジア一家ひとりひとりの金彫刻。真ん中に大きく彫られたのは皇帝夫妻、夭逝した子供達は小さく。生い立った11人の子女たちは、髪型から男女の区別はつくものの特に皇女には大抵「マリア」の名前が冠せられていて、横顔からは違いが判然としません。そこで役立ったのが、小学生のときに仕入れた知識。「マリー・アントワネット」のオーストリア読みが「マリア・アントニア」ということを思い出したおかげで、めでたく、かなり隅に彫られた彼女を見つけることができたのでした。【マリアがいっぱい】フランス革命の端緒となり、悲劇の結末を迎えたフランス・オーストリア同盟のためのアントワネットの政略結婚でしたが、たくさんの子女たちを政治的に敵国に向かわせるのは、当時の、特にハプスブルグ家の常套手段。一介の地方領主でしかなかった一家が勢力を強め、皇帝に任命される貴族達のリストの末席に名を連ねられるようになったのも、この手法のおかげ。きっと代々、美形が生まれる家系だったのでしょうね。皇帝となったあとは、広大な領土をなるべく戦火を潜らずに維持するために、この手法は使われ続けます。日本においては藤原一族が美しい娘たちを使った同じ手法のおかげで、平安から明治まで、さらに長い御代を生き延びましたね。マリア・テレジアの11歳の頃の肖像画をみると、やはり美しく、知的な印象。フランス王妃としてアントワネットがふさわしいということをプロパガンダするために夥しい彼女の肖像画をばら撒いた、という史実とちょうど同じ頃の年齢。アントワネットも、きっと同じように初々しく美しかったことでしょう。【ハプスブルク家史話新装】面白いことに、マリア・テレジア本人は恋愛結婚をしています。テレジアの両親には皇子が生まれず、ふたりいた皇女のうちのひとりが女帝となるわけで、そのパートナーとして認められたのが幼馴染でもあるロートリンゲン公・フランツ・シュテファン。(彼の15歳頃の肖像画もあり、やはり女性と見紛うばかりの美少年☆)さらに、何人もの皇女のうち、もっともお気に入りの娘だけは恋愛結婚を許しているのだそうです。宮廷社交界の礼節を学ぶために出入りしていた貴公子と恋仲になった皇女はやがて女性と侮る周辺諸国との紛争をおさめ、教育・医療制度を整備し、三権分立を推し進め、近代国家の礎に。夫であるロードリンゲン公は政治的には出すぎることなく身を処す一方、経済観念にも長けた人物で、交易等でできた莫大な私有財産で、妻と同じく文化振興に貢献。マリア・テレジアの名が大女帝として歴史に残っているのも、幸せな家庭を築き上げ、魂の根幹をしっかりと支えられていた故でしょう。【ハプスブルク家の女たち】そんな両親の姿を目の当たりにしていたアントワネットが、愛なき婚礼に物足りなさを感じたのも道理。スウェーデンの貴公子には、母を支え続ける父の姿を見ていたのかもしれませんね。続きはまた。「ロココ三様・まずは本物を」
August 10, 2006
「マリア・テレジアとシェーンブルン宮殿展」にロココの末裔のお洋服に興味を持ち始めた子供と共に参りました。幼いときから自分で服のコーディネイトをするのが好きで、すっかり短くなってしまったワンピースも、細身を生かして手持ちのものとあわせてシャツドレスにして着こなしているような子なのでフリルをふんだんにあしらったファッションのことを口にし始めたあたりでTV放映された映画・「下妻物語」を一緒に見たのが運のつき。 【下妻物語】 【うろこ姫】夏休みの宿題を傍らでしていても、気がつくとレースとリボン使いでドレスのイラストを、桃子が刺繍を刺すごとく一心不乱に描いていたり。活字ワールドからこんにちは、ならばアプローチができる母は嶽本野ばら氏の本を一通り読み進めてみるとそこにはかつて自分も分け入ったこともある道が随所にございました。 【デウスの 【ねむり姫】 棄て児】可愛い子には旅をさせよ、小説家の毒のなんたるかも齧るべしと繰り返し氏の文章の中に登場する「メゾン」達の名を告げました。案の定、子供はすっかり一連の嶽本野ばら氏御用達店に魅入られ、HPのお洋服を飽きずに眺めるように。DCブランド全盛のころから名を馳せているファッションビルがワンフロアまるごと「ロココ」な「メゾン」に占められていると知ってからは趣味対象を同じくする友人と行ってみたいと、つかれたように申します。 【それいぬ】【人魚姫】そんなとき、ちょうどそのビルの目と鼻の先にあるデパートの美術館で、上記のロココの女王の母に関する展覧会が催されるとのこと。これは佳き機会、ファッションを愉しむにも、まずはルーツ、本物を見せてからと(しっかり宿題を終えたら「Baby」、というニンジンをぶら下げ☆)子供の友人ともども引き連れて、今年一番暑い日に(ああ楼子さんに叱られそう)足を運んだ次第です。続きはまた。「下妻物語・鑑賞」「野ばらさん家庭画報に」************************************************8月9日、19時54分より、満月が始まりますね。メールマガジン第36号をお届けいたしますので、ご登録いただいている皆さま、よろしくお願いいたします。「『恋でキレイに~源氏物語で恋愛セミナー~ 』源氏物語を題材にした現代に通じる恋愛セミナーを中心に、ヨガ・心理学・手作り石鹸・自然療法・文化などを交え、楽しくキレイになる方法を。新月と満月の日に、あなたも生まれ変わってみませんか? 」毎月、満月と新月の始まる時間に発行予定。ご興味をお持ちいただいた方は、よろしかったらバックナンバーをご覧下さいませ。『恋でキレイに~源氏物語で恋愛セミナー~ 』
August 9, 2006
家庭画報国際版の定期購入更新のお知らせが届きました。先日受け取った最新号は、ヨガの試験が終わってからとそのままにしてあったのですが心惹かれるものがあれば更新しようと封を開けたところ、「この人を見よ」とばかりに飛び込んできたのが、紅薔薇を持ち、NANA的スタイルでたたずむ嶽本野ばらさん。 【家庭画報】 【エミリー】 【カフェー小品集】 2006summer】先日TV放映された「下妻物語」のショットをトップに、コミック市場をはじめとした日本サブカルチャーの国内外での隆盛を取り上げた特集記事の中で、乙女ブームの先陣を切った異彩を放つ方として、ロココ、ロリータ、Sを初めとした少女の美学について語っていらっしゃいます。 西島秀俊さん☆主演【世界の終わりという名の雑貨店 】他にも今年上演される宝塚の「ファントム」、岡本太郎さんの記事もありやはりこれは必要と、更新の電話を。 またバックナンバーも売り切れのものが出ているそうなので、海老蔵さん、亜門さんの表紙の号を押さえました。今号には禅をブッディズムの文化潮流、創造力の源としてとらえた記事もあり茶の湯、盆栽、活け花、焼き物、精進料理などが美しい画像で紹介されています。世界文化社さんで直接、定期購入をお申し込みになると、素敵な和文具のプレゼントも。香を焚き染めた和紙のレターセット。心が豊かになりますね。
June 6, 2006
☆嶽本野ばら 「エミリー・コルセット・レディメイド」リンクさまにご紹介いただきました。美に対して、己の欲するところに対して、一身を賭けるということ。その先に何があるかはわからなくとも、たとえ待っているものが空虚に見えるものだとしても、捧げ尽くすことそのものが目的であり崇高。ブランドや美術品や肉体をこれでもかと並べ立ててあってもその内包する精神性が浮かび上がる、そんな短編集です。【エミリー】☆三島由紀夫 「音楽」豊穣の海・四部作を読み終わったあと、映画・「春の雪」の主題歌を作った宇多田ヒカルさんが読んでいらっしゃるとのことで、手にとりました。日常の音は聴こえても、音楽だけが聴こえなくなるという女性と彼女をカウンセリングする精神分析医との物語。フロイト、ロジャース、エーリッヒ・フロムなどの本を下敷きに音楽を入口として、女性の内面にどんどんと入り込んでゆく迷宮はどこか探偵小説のようでもあり、精神分析のガイドブックのようでもあり。そういえば、豊穣の海もサンスクリット哲学にこだわる本多というキャラクターが出てきます。「新聞の三面記事の中からでも自由に素材を拾い出してきて、これを一篇の巧緻なロマネスクに仕立て上げる達者な三島氏。」などと澁澤龍彦氏の解説があるのも一興。【音楽改版】☆平野啓一郎 「日蝕」映画・「みやび」を拝見してから読了。錬金術師や魔女裁判の暗黒の中世を舞台にした物語。二十歳にしてこれだけの語彙を自在に操ったこの作品が、三島由紀夫氏の再来と言われるのも道理なのでしょうし、火刑さえも淡々と描写するさまは、澁澤龍彦氏も彷彿とさせるものがあります。平野さんとの対談で美輪明宏さんが澁澤氏・三島氏について言及されていたことがさらに興味深く蘇えりました。「澁澤さんの面白いところはね。世の中のあらゆるものが全部同じ線にならんでいるのよ。『それを説明したら』と言ったら『そういう説明はするものじゃありませんよ。理屈や注釈や弁解が要るようなものは本物の芸術じゃない。』『三島さんと同じね』って申し上げたんですけれども。あの人も耽美派でしょう。男も女も古代も現代も中世期も全部同じところにある。同じ空間で同じ次元で同じ価値で。」(「黒蜥蜴(2003年版)」パンフレットより)【日蝕】「三島由紀夫・みやび 鑑賞」☆「川端康成 三島由紀夫 往復書簡集」デビュー前からの師弟の様子が明らかに。☆藤原正彦「国家の品格」国の言葉を大切に ☆オスカー・ワイルド 「サロメ・ウィンダミア卿夫人の扇・まじめが肝心」(新潮文庫)幸福の王子の作者の、もっとも輝いていた時代の戯曲三篇サロメ改版(岩波文庫)************************************************1月14日、18:48より満月が始まりますね。メールマガジンをお届けいたしますので、ご登録いただいている皆さま、よろしくお願いいたします。「『恋でキレイに~源氏物語で恋愛セミナー~ 』源氏物語を題材にした現代に通じる恋愛セミナーを中心に、ヨガ・心理学・手作り石鹸・自然療法・文化などを交え、楽しくキレイになる方法を。新月と満月の日に、あなたも生まれ変わってみませんか? 」毎月、満月と新月の始まる時間に発行予定。ご興味をお持ちいただいた方は、よろしかったらバックナンバーをご覧下さいませ。『恋でキレイに~源氏物語で恋愛セミナー~ 』
January 11, 2006
小3のころ、「ベルサイユのばら」を、全巻持っている友だちから少しずつ借りて読み始めました。「悲しみの王妃」というマリー・アントワネットの伝記も学校図書館で大人気でした。なかなか順番が廻ってこないので、代わりに「フランス革命史」などを読んだり。宝塚でも上演され、バルばらブームが起きていたのですね。友人の一人が「連れて行ってもらったの。」と言うのを聞いたときは、どんなにうらやましかったことか。そのエネルギーは、読書感想文の発表などに向けられていました。「パンがなければお菓子を食べたらよいのに。」という言葉に代表される、当時の貧しい人々の現状を把握できなかった王妃のことを、「尊敬する」「感動する」という言葉で表現すると「あなたは間違っている。」と言われたことも。「権力者でもたくさんの人が集まれば勝てない。」という父の言葉に「インカ帝国は200人のドイツ人に(本当はスペイン人です)滅ぼされたでしょう。」と応酬したり。植民地主義の凄惨さは小学生の私でも少しは知っていましたが、そのときはどうしても父を言い負かしたかったのですね。ブームに乗って開催されていた「フランス革命展」に連れて行ってもらえなかったのは、この論争に負けたため。泣いて眠りました。(相当悔しかったのですねえ、いまでも覚えているところをみると。)学生になって、欧州旅行の最後にヴェルサイユ宮殿に行ったときに、ようやく溜飲を下げることができました。宝塚でベルばら観劇もでき、よい舞台を観る習慣もいまに続いています。何故これほどまでに、惹かれたか。絢爛豪華な宮廷生活の模様、優美な物腰と言葉使い。マドレーヌやブリオッシュなどのお菓子。様ざまな事件や凋落の人生、断頭台へ消えた命。手放すこと、身を引くことで現す愛の形と気高い心。繰り返し演劇や映画、小説にも取り上げられる題材なのも、多くの方に、心響くものがあるのでしょう。「マリー・アントワネットの首飾り」「ベルサイユのばら・実写版」「赤い館の騎士…マリー・アントワネットを救え」デュマ著歴史にも興味をもてる「ベルばら」を、そのうち娘にも読んで欲しいと、本部屋のよく見える位置に並べてあります。
January 12, 2005
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