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2002.12.25
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カテゴリ: 岡本綺堂




 歌舞伎作家でもある岡本綺堂の思い出話。
 子供の時から歌舞伎に慣れ親しみ、役者との交流があったことがよくわかる。
 こうでなくては歌舞伎は書けまい。
 歌舞伎のことはさっぱり分からないのだが、何かに愛情を持ち、それに精通するというのはこういうことかと思わせる。
 岡本綺堂の文章が読めるだけで楽しい。
 半七捕物帖でもそうだが、時代小説で、着物の柄や素材の描写があってもよくわからなことが多い。しかし、それを着て生活していた人にとっては、特別なことではないのだ。
 子供の時に、新富座見物に出かけたときの服装を、「鳶八丈《とびはちじょう》の綿入れに黒紋付の紬《つむぎ》の羽織を着せられて、地質はなんだか知らないが、鶯茶のような地に黒い太い竪縞《たてじま》のある袴《はかま》を穿《は》いていた。」(p25)という具合だ。
 新知識も得られた。
 「手をたたく者は一人もなかった。その頃には、劇場で拍手の習慣はなかったのである。」(p28)

 言葉遣いでは、「見そぼらしくも感じられて」(p85)《『広辞苑』第四版には「ミスボラシイの転」とある》、「雁《かり》が飛べば蠅《はえ》が飛ぶ。昔からの諺《ことわざ》でやむをえなかも知れない。」(p125》などが目にとまった。
 「劇場の運動場《うんどうば》」(p217)というのは、ロビーであろうか。
 また、父親との会話で、父親が。「むむ。今度からここの相談役になったそうだ。」(p236)の「むむ」など、半七捕物帖そのままである。
 三遊亭圓朝の落語にある「文七元結」は「ぶんしちもとゆい」だと思っていたが、この本では「ぶんしちもっとい」とルビがつけてある。(p299)
 自分の人生については、新聞社に勤務したことでさらに歌舞伎との接点が増えたわけではあるが、自分ではそれでよかったとは思っていないようだ。「満十七歳二カ月にして新聞社に籍を置いたという事は、いろいろの意味においてわたしの不幸であった。今に至ってその感がいよいよ深い。」(p156)という。
 どのように不幸だったのか、岡本綺堂自身の自伝を読みたいものだ。





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Last updated  2005.04.01 21:32:06
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