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2017年08月25日
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カテゴリ: 本に親しむ
以下、目次

序 章 あの日に何が見えたのか
   日航123便墜落事故に関する略年表

第一章 1985年8月12日の記録

 1 スチュワーデスの視点から
 2 政治家の視点から
   ・中曽根康弘総理大臣の場合
   ・山下徳夫運輸大臣の場合
 3 日本航空の視点から



 1 遺族となった吉備素子氏の体験と記憶
 2 山下徳夫運輸大臣の記憶
 3 目撃者たちの証言
   ・ファントム二機と赤い物体の目撃者

第三章 「小さな目は見た」というもう一つの記録

 1 上野村小学校、中学校の文章が語る235名の目撃証言
 2 横田基地への取材ノートから
 3 ガソリンとタールの臭いが物語る炭化遺体と遺品
   ・検視に関わった医師たちの証言
   ・山口悠介検事正による異例の説明会
   ・上野村に眠る遺骨と尾根に残る残骸から見えてくるもの


   ~目撃証言からの検証~

 1 事故原因を意図的に漏洩したのは米国政府と言う記事
   ・ガソリンとタールの異臭について
   ・墜落現場不明という誤報とファントム二機の追尾
   ・人命救助よりも大切だったのは赤い物体か?


終 章 未来の目を見た
   ・事実関係時系列表

目次の項目から見ても、記録や証言をベースにしての事実を中心にした組み立てになっている。

以下、本文から””部抜粋引用

 "当時を知る広報や航務、社長秘書室などで働いていた複数の日航社員に、吉備さんの話をもとに確認をしたが、いろいろと思い当たるようであった。さらに事故原因についてはこんな返事が返ってきた。
「そういうことはねえ、今、言っちゃいけないんだよ。私たちが死んだあと、ずっとずっと後にいつかわかることだから。米軍が絡んでいるんでしょ?たぶんね」
 ‥‥
 いずれにしても、当時の社内関係者の間では、すでに事故の原因を後部圧力隔壁説と考えてはいないようだ。当時、社内の関係部署に対する運輸省や政府の様々な圧力や言動から、事故原因が公式発表とは異なることについて思い当たることがある、ということなのだろう。
ただし、「自分たちが死んだずっと後」という表現は、当事者や遺族の視点が無視された実に不透明で無責任な言動だと感じる。関係者の中には「今は無理だが退職して年金をもらったら話す」という人もいて、結局のところこれが今、日本中を覆っている「忖度」という本来の意味より歪んで用いられている言葉に表象された現象なのではないかと考える。
それは見えない何かを恐れながら、単に自分の利益と保身を優先して生きていることに過ぎない。
 何を信念として日々生きているのか、それは己や世間に対して正直な生き方なのか、その答えは今日の日本人一人一人が考えなければならないことである。”

"そこで湧いてきた疑問は、仮に事故原因は別にあるとして、それを山下氏はいつ知ったのだろうか、ということである。何か不穏なものをうすうすは感じていたかもしれないが、例えば運輸省の官僚、自衛隊、米軍、首相などを介するうちに、どこかで事実がゆがめられていたかもしれないという疑念もあっただろう。大臣という地位にあっても、すべてを正確に把握できる環境になかったのかもしれない、そう強く感じたのは、山下氏の別れ際の一言だった。
「あのね、日本はなんでもアメリカの言いなりだからね。遺族が再調査を望むのであれば、ぜひすべきだと思う」
 ここでもアメリカが出てきた。これがどういうことを意味するのかわからないが、この言葉は山下氏の良心から出た520名へのメッセージだったと確信する。”

"この32年間、墜落に関する新聞記事等の膨大な資料を、現在から墜落時まで時系列にさかのぼって読み込んでいくと、そこに見えてきたものは、これは未解決事件であるということだ。後から次々と重要なことが判明しても再調査はしない、無視をする、という方針を持ち続ける運輸安全委員会の姿勢もさることながら、日本人の特質なのか、何かを隠し通すことが美徳であるという勘違いによって、嘘をつき通すことに慣れてしまっているずるさが関係者の中に蔓延しているのではないだろうか。”

"どうすれば、間違ったことを正して勇気を持って公にできるのだろうか。
 故意か過失か、組織の指示か否か、いずれを問わず人命よりも優先されるものなどこの世の中にはない。戦争でもない「平時」に、人名を最優先するという当たり前のことが行われず、もし何かの隠蔽工作が行われたとするなら、それを正当化する理由などどこにもない。
 それでは、情報を知り得た人がそれを隠し続けているならば、どのような仕組みを作れば情報を公開することが可能になるのだろうか。
 情報の開示を全国民共通の利益となって、今後様々な物事を判断する上で貴重な材料となるが、今の世の中はまったく逆の状況で、話しにくい環境になってきている。”

 "今の日本において都合の悪いことをなかったことにし、後世に残すべき重要書類を捨て去ることがまかり通っているとすれば、そのような悪しき日本を見ながら育った子どもの行く末はどうなるのだろうか。”


 最後に、"これは事故ではなく、520名が亡くなるという事件であった可能性が非常に高い”と締めている。


 最初は、事故当日の報道当初の乱れと発見の遅さは、少し心に引っかかっていたけど、、でも、そんなことはちょっと考えられない、あり得ない、と放置していた情報だった、けど、なんかつながりだしてきた。

著者の公式ブログ「日航123便あの日の記憶 天空の星たちへ」

以下はこの本で紹介されている水島教授のHP

日航123便墜落事件から25年―『天空の星たちへ』のこと 2010年4月12日

日航123便はなぜ墜落したのか    2010年8月9日

「日航123便墜落事件」から30年   2015年8月10日




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最終更新日  2018年02月03日 22時44分16秒
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