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教育が開く世界精神のコスモス
マカオ東亜大学 ( 現・マカオ大学 )1991 年 1 月 30 日
新しき人類意識を求めて
時代背景と講演の意義
1991 年 1 月 30 日、マカオ東亜大学 ( 現・マカオ大学 ) から、池田先生に同大学初となる名誉教授の称号が授与。それに続き、先生の講演が行われた。
89 年にベルリンの壁が崩壊。東西冷戦が終結し一時、世界に平和の曙光が差したかに見えた。しかし、講演直前の 91 年 1 月 17 日に中東で湾岸戦争が勃発。世界に再び暗雲が立ち込め、〝ポスト冷戦〟の新たな国際秩序が模索され始めた。
そうした中、池田先生は講演で、民族主義による世界の混沌から新しき秩序を生み出すためには、人間の無意識僧に根差す「民族意識」を、教育や哲学、宗教などによって陶冶し、「人類意識」へと鍛え上げるべきだと訴えた。
さらに、中国文明の基底部にある〝自律〟の個人主義・自由主義の思想には、西欧型の極端な個人主義と異なり、「他者」と関わっていく視点が存在すると論及。池田先生はそれを「中国伝統の優れて現実的なコスモス感覚」と表現し、現代の行き詰まりを打破しゆく突破口があると主張した。
同大学からはその後、池田先生に「日本研究センター名誉所長 (93 年 ) 」「名誉社会科学博士 (95 年 ) 」「報戸軽・アジア研究センター名誉所長 (99 年 ) 」との栄誉が贈られている。それらに対して周学長 (99 年当時 ) は「未曽有の功績を象徴するもの」と賞賛している。
本日、栄えある東亜大学の、初の名誉教授という最大の栄誉を賜り、まことにありがとうございました。ランジェル博士、薛寿生学長をはじめ、すべての関係者の皆様に心より御礼申し上げます。また、このように大勢の若き英知の方々の前で記念講演をさせていただくことは、大変にうれしいことであり、重ねて深謝申し上げます。
さて、ここマカオは、十六世紀以来、ポルトガルの東洋貿易の拠点となり、東西を結ぶ交流の要衝となってまいりました。日本との関わりも深く、日中貿易の中継地として重要な役割を担い、いわば日本にとっては、西洋文明の新風を送ってくれた大切な〝窓〟であったといえましょう。
今回、私は初めてマカオを訪れました。中国の昔をしのばせるたたずまいポルトガルの文化の雰囲気を伝える多くの建築物が見事に調和し、マカオ独自の景観をつくりだしていることに、深い感銘をおぼえております。
それは東洋と西洋の異なる文明・文化が共存し、調和できることを明確に示しております。昨年四月、ランジェル博士も、創価大学での記念講演で述べられておりますとおり、まさにマカオは、四百五十年間にわたって、〝東西文化の融合が可能である〟ことを世界に証明するという〝文明史的意義〟を担ってきたのであります。国際文化を迎えた今、このマカオの存在は、異なる文明・文化の共存は、ひいては人類の調和を考える貴重な先例として、ますます大きな光彩を放っていると思えてなりません。
そのマカオ唯一の総合大学として、間もなく開学十周年を迎える貴大学の特色も、豊かな国際性にあるとうかがっております。教授陣も、中国、イギリス、ポルトガル、フランス、アメリカ、カナダ、ドイツ、オーストラリア、ニュージーランド、日本から招聘されており、さらに私ども創価大学も学術交流協定を結ばせていただいておりますが、世界各地の大学、研究機関と積極的な交流を推進しておられる。また、貴大学設立の式典には、世界二十六の学長が出席していることも、国際化時代を担いゆかれる大学関係者の貴い熱意の賜物であり、同時に貴大学への世界の諸大学の大いなる期待の表れでありましょう。東亜大学こそ、東洋におけるボーダーレス時代の担い手にふさわしい大学であり、その前途に思いをはせるとき、二十世紀の世界を照らす希望の旭日が、このマカオの地から昇りゆくのを仰ぎ見る日のことが待望されてなりません。
◇
ご承知のとおり、世今、湾岸戦争という重大な事態に直面しております。これまでの米ソ二極体制に代わって人類融合の道を開く新たなコスモス ( 秩序 ) は未だ形成されず、秩序感覚の失われたカオス ( 混沌 ) の時代の様相を呈しているといっても過言ではありません。それは、イデオロギーが終焉を告げたあと、世界各地で噴出している民族主義に象徴されております。確かに民族というものは、人間が人間であろうとするとき、立ち返るべき一つの原典ではありますが、それが、そのままグローバルな秩序形成に繋がっていくとはとうてい言えない。
昨年亡くなった私の友人、アメリカのノーマン・カズンズ教授は、人間に「部族意識」ではなく「人類意識」を教えることこそ、教育の要諦であると力説されておりました(『世界市民の対話』毎日新聞社。『池田大作全集』第 14 巻収録 ) 。すなわち、半ば人間の無意識僧に根差している民族意識を、教育や哲学、宗教などによって陶冶し、より開放的にして普遍的な人類意識へと鍛え上げていかねば、新たな世界秩序など、とうてい望むことはできないと私は思います。
こうした課題を前にして、私は、中国三千年の文明を地下水脈のように流れている伝統のコスモス感覚ともいうべきものに、注目せざるを得ません。おそらく、それは仁・義・礼・智・信の「五常」をモットーに掲げた東亜大学の建学の精神にも通じていくであろう、と私は思っております。最近、日本や、韓国、台湾、香港など NIES (ニーズ=新興工業経済地域 ) 諸国のめざましい経済発展に触発されてか、中国を含むそれらの地域を〝アジア文化圏〟〝漢字文化圏〟等と括る試みだがしばしばなされているようですが、確かにこの問題は、経済次元を超えて、文明史的意義をはらんでいるといってよい。
ところで、アメリカ中国学会の重鎮であるコロンビア大学のウイリアム・ T ・ドバリー教授は、十年近く前、香港の中文大学で、一連の記念講演を行い、それを『朱子学と自由の伝統』(山口和久訳、平凡社)と題して上梓いたしております。
その中でドバリー教授は、「為己之学(いこしがく)〈自分自身のための学問〉、「克己復礼(こっきふくれい)」〈自己の抑制と礼節への復帰〉、「自任」〈自らに道徳責任を負うこと〉、「自得」〈自分の力で何かを得ること〉などのキー・ワードを分析しながら、封建主義イデオロギーの典型とされてきた朱子学のなかにも、よく検討すれば、ヨーロッパの近代思想にも相通ずるような自由主義、個人主義の脈絡がたどれる、としております。
詳細は略させていただきますが、お気づきのように、そこには「自」という言葉が頻出しております。「自」とは「自由」に通じ、また、「自分」や「自己」をも形成する言葉です。その基調をなすトーンは、個人の自律性といってよい。更に「為己之学」とは、学問は科挙のための受験勉強のように、他から言われてやるようなものではなく、まず自分自身に立ち返ること、つまり自己認識、自己理解を第一義としており、きわめて内向的、内省的なトーンに貫かれております。先ほどのランジェル博士のスピーチにもあったとおりであります。
ドバリー教授は触れておりませんが、一見して明らかなように、この内省的個人の自律性という概念は、極めてデカルト的といってよい。かのデカルトも、中世スコラ哲学の崩壊の寄る辺なき混沌のなかにあって、徹底した自己省察を行い、ついに、有名な〝コギト〟(我思う、故に我あり)にたどりつき、そこを足場にして、一切の哲学的営為を成し遂げました。自らを律しつつ、独り、さっそうと我が道を征く彼の雄姿は、まことにヨーロッパ近代哲学の父の名にふさわしいものでした。
と同時に、デカルト哲学にあっては、徹底した個の自律性の貫徹はあっても「他者」というものが、ほとんどといってよいほど顔を出していない。そこが、中国思想にはらまれている自由主義や個人主義と徹底的に異なるところです。先に触れた「克己復礼」に見るごとく、そこでは、内省的自己が、転じて「礼」という社会の約束事を通じて「他者」と関わっていくという視点が、明確に打ち出されております。自由主義や個人主義といっても、中国のそれは、現実の一個の人間が、生き、活動している有機的な〝場〟としての社会が常に想定されている点において、ヨーロッパ思想と明確な一線を画している。
私は、そこに中国伝統の優れて現実的なコスモス感覚、更に言えば人間及び社会がどうあるべきかという点への責任感覚、義務感覚といったものを見いだす一人であります。
そうした点を踏まえ、ドバリー教授は〝ここには極端な個人主義は排除され、それに代わって、他者と最も親密に交わっているときの自己の姿こそ、真正の自己であるとする人格主義がその場所を占めている〟ことに論及しております。
ここに言う「極端な個人主義」とは、いうまでもなく、社会の進展とともにその歪みを露に拡大してきたヨーロッパ個人主義をさしております。ちなみにこの点は、北東アジアの興隆に関心を寄せる欧米の識者たちが、等しく着目するところのようであります。『アジア文化圏の時代』を著した、フランスの中国学会の碩学L・ヴァンデルメールシュ博士も「西欧社会の超個人主義の含んでいる有害な偏向を摘発することにより、西欧人の自覚と反省を求めることを目的としています」(福鎌忠恕訳、大修館書店)と、著述の意図を語っております。
もとより、ヨーロッパ的個人主義が、大きな歴史的意義をもち、相応の成果をあげてきたと言う流れは、決して否定されたり過小評価されてはならない。人権という極めて今日的な課題ひとつ取り上げてみても、二百年前のフランスの人権宣言以来、強大な国家権力からいかに個人の尊厳を守るかという人権思想と、それを支える個人主義なくして考えられないのでありマシ。こと、こうした人権感覚という点に関しては、日本人などは、欧米の人々に比べて、まだ遅れていることを認めざるを得ません。
そのうえで、ヨーロッパ的個人主義のデメリットの側面に目をやれば「極端な個人主義」や「超個人主義」の欠陥は、国家と裸形の個人を対置し、個人の権利を強調するあまり、人間が生き、活動する有機的な〝場〟を、非常に不安定なものにしてしまう点にあります。フランス革命に典型的にみられるように、国家と個人との際立ちすぎる対置は、その中間の小規模、中規模の共同体を抹消する方向に作用する。国家権力の中央集権化と肥大化につれ、事実、社会はそのような経過をたどってきました。
しかし、実際の生活にあっては、国家と個人が直に向き合う、いわゆる〝大状況〟などごくわずかであり、大部分の時間は家庭や職場、地域共同体などの〝小状況〟で営まれているわけです。
他者の顔が見え、本当の交わりが成り立つのは、そうした〝小状況〟であり、従って、そこにあってこそ、我々は生きる喜びや実感を、心底味わっている本当の自分を発見できるのであります。
その肝心の足場がぐらついているなかで、国家と対峙させられた個人は、ある場合は無力感でアノミー現象に陥ったり、ある場合はその反動で、全体主義のアジテーションの格好の餌食になってしまう。このことは、今世紀、我々が何度も目にしてきたことであります。
◇
中国の小伝説的名君・堯帝にまつわる〝鼓腹撃壌〟の故事は、おそらく現代の政治状況とは正反対のものであります。皆さま方がよくご存じのように、〝鼓腹〟とは腹をうつこと、〝撃壌〟とは木ごま遊びをすることであり、この世の楽しみ、謳歌する様を言う。
自らの為政がうまくいっているかどうか不安になった堯帝が、ある日おしのびで町へ出、町の外れに来ると、白髪の老農婦が、〝鼓腹撃壌〟しながら歌っていた。
日出でて作(はたら)き
日入りて息う
井を 鑿(ほ)りて
田を耕して食う
帝力我に何かあらんや ! (後藤基巳・駒田信二・常石茂編『中国孤児物語』河出書房新社)
権力者の力など、私になんの関係があろうか —— 。
何と健康でおおらかな現実肯定でありましょうか。私には、この素朴な言い伝えが、くだって欧米の真摯な知性が発掘した、優れて中国的な自由主義、個人主義を育んだ原基であるように思えてならない。
もとよりそれは、文字どおり掘り起こされたもので、現実には、歴史の流れに埋没してきました。多くのリベラルな要因をはらんでいた思想が、なぜ開花しなかったのは、別角度からの解明を要する課題でありましょう。とはいえ、思想的遺産はあくまで遺産であります。中国三千年の歴史を貫くコスモス感覚、精神の位階秩序を形成しつつ、世界精神へと昇華しゆく原感覚ともいうべきものは、中国仏教や日本の大乗仏教に見られる円教的側面、つまり〝大いなる肯定〟にも通じるものであります。
わたしはそこに、ドバリー教授やヴァンデルメールシュ博士が示唆するように、ヨーロッパ主導型文明の行き詰まりを打破しゆく、貴重な突破口が見いだせると信じております。
かつて、マカオで青年時代の一時期を送った孫文は「民族と国家の永遠の地位を維持するとなると、道徳の問題になってくる。よい道徳があってこそ、国家は永遠におさまるのである」(『三民主義』上、安藤彦太郎訳、岩波文庫)と述べました。いうところの道徳とは、中国文明の「儀礼」的、「教礼」的側面ではなく、より深い原感覚に掉さしてこそ、可能となるでありましょう。
同じように、貴大学の掲げる「五常」すなわち仁・義・礼・智・信のモットーもまた、こうした良き伝統の光が当てられたとき、二十一世紀への新たな指標として、更に装いもみずみずしく蘇ってくるのではないでしょうか。なお、この「五常」については、仏法のうえからも種々、意義づけております。
そうした伝統に立って、僭越ではありますが、「五常」の現代的意味を考えるならば、まず「仁」とは、ヒューマニズム・人道への目覚めであり、広くは人類愛への目覚めといってもいいでしょう。
「義」とは、エゴイズムの克服であります。世界は、互いの主権を尊重しつつも、自国中心主義を乗り越えて、「人類益」「人類主権」を指向していかねばならない転換期を迎えている。その意味で、世界市民の条件は、まさにこのエゴイズムの克服にある。
また「礼」とは、他者の存在を認め、敬意を払うことであります。世界はさまざまな民族・国家の集合体であり、それぞれが独自の文化を保ち、アイデンティティーの核を形成している。それを認め、異なる文化を理解し、尊重することは平和共存の基本であります。
そして「智」。知恵こそ想像の泉といってもいい。今、世界には国際紛争が多発し、環境問題等の地球的問題群が山積しています。その解決には硬直化した発想を打開し、柔軟で見ず三栖椎知恵を湧現し、それを結集していく以外にない。
最後に「真」すなわち、〝誠実さ〟であります。不信を信へ、反目を理解へ、憎悪を慈愛へと転じていく根本は、〝誠実さ〟であることは論をまたない。策や方法では、信頼という友誼の大地を耕すことはできない。世界が互いに心を開きあうためには「信」こそ絶対の要請となるのであります。
唐突のように思われるかもしれませんが、この「五常」という目徳を、巧まずして体現していた人物として、私は周恩来総理を思い起こします。
私は、宗総理とは逝去の一年前、一九七四年十二月、第二次訪中の折にお会いし、また夫人の 鄧穎超女史とは今に至るまで深い友誼を結んでおりますが、宗総理の振る舞い、言動は、自らを厳しく律する精神の風格に満ちておりました。
当時、周総理は、病気療養されていたため、北京市内の病院での会見でありましたが、病気にもかかわらず、わざわざ玄関まで出迎え、帰りには見送ってくださった。私はその礼節に心打たれたことを今でも鮮明に覚えております。会見の部屋も質素でした。
また「いまの中国は経済的に豊かではありません」と率直に心情を吐露されながら、平等互恵にして世々代々にわたる人民の有効を展望されていた。私は、そこに和を重んじ、自らを抑制する謙虚の美と、信念に徹する強靭な意志力を垣間見た思いでした。その思いを込めて、創価大学には「周桜」と「周夫婦さくら」を植え、亡き総理を偲んでおります。
さて、皆さまもよくご存じのように、中国南宋の宰相・文天祥は、このマカオに広がる海を詠った、有名な『零丁洋を過ぐ』の詩を残しております。文天祥は、科挙の首席合格者であり、知勇兼備の若き闘将であった。彼は侵攻してきたモンゴル王朝の元と果敢に戦い、最後まで抵抗するが、ついに捉えられる。元は、その力量、人柄を評価し、懐柔し帰順を迫る。そのとき彼が詠んだのがこの詩であります。
皇恐灘頭 皇恐を説き、
零丁洋裏 零丁を歎ず。
人生 古より 誰か死無からん、
丹心を留取して 汗青を照さん。
――あの江西の皇恐灘の急流のあたりで元軍に敗れたときは、あわて恐れたことを語るばかりで、この零丁洋にあっては、一人おちぶれ、捕らわれの身となったことを嘆くばかりである。しかし、人生にあって昔から死なない者があるだろうか。どうせ死ぬのであれば、せめて赤誠の真心を、この世にとどめて、歴史に輝かせていきたい――。(盧田孝昭『中国詩集』 4 、社会思想社、引用・参照)
文天祥はこの詩をもって、死を覚悟で懐柔の誘いを断り、やがて、刑場の露と消えていきます。しかし、最後まで、節を曲げることなく、真偽に生きた文天祥の名は、英雄として今なおひときわ歴史に輝きを放っております。このエピソードが、今日なお私たちの胸を打つのは、立場を超えて、その人間としての心情が普遍であるからであります。
文天祥がその魂をとして我が道を生きることを歌った大海を望み、若き孫文が封建中国の改革のための運動に身を投じたこのマカオは、大いなる理想に向かう青年の立志の天地にふさわしい地であります。
最後に、東亜大学に学ぶ皆さまが、この新しき英知の港から、新しき世界精神、人類意識の開道者として、二十一世紀の平和の大海原へ船出されゆく姿を思い描きつつ、私の記念講演とさせていただきます。ありがとうございました。
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