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落語に学ぶ老い方
稲田 和浩(大衆芸能脚本家)
皆に好かれるご隠居さん
現代では、分からないこと、困ったことがあれば、手軽にネットで検索することができます。しかし、ここまでネットが普及する前には、もっと身近にいて人生経験豊かな人のみ権を参考にしていました。落語で描かれている「ご隠居さん」と「八五郎(八っつぁん)」「熊五郎(熊さん)」のような関係です。
この二人、何かというとご隠居さんを訪ねてきます。生活で困ったことを解決するために相談しに来ることもあれば、とくに用事もなくあそびにくることも。二人に対してご隠居さんは、茶や菓子を振る舞い、時には酒を飲ませたりしながら、相談に応じたり、無駄話をしたりするわけです。
例えば、「子ぼめ」では、酒をご馳走になりにきた八五郎に、人の誉め方、世辞の言い方を。「松竹梅」では婚礼の席での祝儀の付け方を教えることに。隠居は謡の師匠ではないけれども、こうした余経も一般常識の一つとして身に付けていたのです。同じような噺に長屋の男が婚礼の仲人に頼まれる「高砂や」がありますが、いずれも教わったことを真似て失敗するパターンです。
このように、街中では何かと頼りにされる御隠居さんですが、ちょっと田舎の方に隠居すると、途端に寂しい生活になってしまいます。
「茶の湯」では、蔵前の米問屋の主人が根岸の里に隠居します。今でこそにぎわった場所ですが、当時の根岸は、田んぼと畑ばかりの寂しい場所。そこで、ご隠居さんは、退屈を紛らわそうと茶の湯を始めることにしたのですが、商売ばかりやってきたため、趣味のことに関してはとんと疎く、よく分かりません。しかし自分は知らないとは言えず、とんでもない茶の湯に。一方、訪ねてきた方も、違うことが分かっていても、ご隠居さんに恥をかかせてはいけないと、我慢して付き合うのです。
中には「小言幸兵衛」のように、のべつ幕無しに小言を繰り返す困りものもいますが、それでも笑いが起きる程度。本当の嫌われ者は落語には出てきません。ただ、皆に好かれる御隠居さんの姿は、いつまでの社会とつながっていたいという、当時の人々の切なる思いがあるように思います。
大切にしたいつながり
生涯現役で社会の役に
セカンドキャリアで偉業
現実では、隠居できる町人は、そうそういなかったようです。ご隠居さんというと、大抵は、若い頃に働いてためたお金で生活していたり、自子からの支援があったり。でも、そんな生活ができるのはほんの一握り。多くの人は、生涯現役で頑張っていました。
歴史上の人物を見てみると、 60 , 70 歳まで生きた長生きの人物でも、皆、生涯現役を貫いています。しかも、ギリギリまで働いて病気をしてつらいから仕方なく隠居する、というケースが多かったようです。
老後を充実したものにするため、隠居後のセカンドキャリアで実績を残した人もいます。その代表格は伊能忠敬。日本地図を作ったことで知られていますが、日本全国の測量を始めたのが 55 歳でした。
17 50 歳で隠居するまで名主を勤め上げます。そして隠居してから測量の勉強をし直し、偉業を成し遂げることになるのです。
「東海道五十三次」の浮世絵で知られる歌川広重もまた、セカンドキャリアで絵師として名をなしました。貧乏道心だった広重は 34 歳で隠居し、そこから本格的に絵の道に進みます。殿さまの友で旅した東海道の絵は、当時の旅行ブームの追い風もあって評判になり、絵師として人気を博したのです。
いずれもなくなる直前まで仕事をしたと考えると、セカンドキャリアを積んで迄生涯現役を貫いたと言えるのかもしれません。
根岸の隠居じゃないですが、いくら健康だったとしても、孤立して人が離れてしまうと、寂しくて元気がなくなります。長生きしようという意欲さえなくなってしまうのです。
人生 50 年、庶民はそれほど長生きできなかった時代です。それでも長生きしたいと思い、生きている限り社会の役に立ちたいと思っていたのではないでしょうか。
ご隠居さんのところに若い衆がやって来て、さまざまな相談に乗る。それが社会に役立っているわけです。そんなコミュニティーのあり方が、理想的な老い方なのかもしれません。=談
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