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生きることの原点に還る
詩人・評論家 鈴木 比佐雄
『極限状況を刻む俳句
ソ連抑留者・満州引揚げ者の証言に学ぶ』 大関博美著
本書『極限状況を刻む俳句 ソ連抑留者・満州引揚げ者の証言に学ぶ』(コールサック社)を執筆した大関博美氏にとって、ソ連抑留者であった父は子供のころから大きな謎であった。
その謎を聞いてみたいと願っていたところ、六十二歳で亡くなってしまった。父の背負っていた極限状況の一端でも認識し、父の重荷を娘として理解したいという秘めていた課題を直接聞く機会を、大関氏は失ってしまった。しかしその代わりに、まだ存命中の父母の世代のソ連抑留者・満州ひきがげしゃたちに取材を試みその人物像と接してその著書を読むことによって、最もアジア・太平洋戦争で傷ついた世代の思いに肉薄し、その証言を後世に残すことを構想した。そのことに位置図にまい進しようとする純粋さ、熱い志を私は感じ取った。
亡父の背負ったものに肉薄
大関博美氏は一九五九年に千葉県袖ケ浦市に生まれ、今は隣接する市原市に暮らす現役の看護師であり、俳句結社『春燈』に所属する俳人だ。
序章「父の語りえぬソ連(シベリア)抑留体験」はほんの成立過程を率直に語っていて、その中で紹介されている次の三句は、大関氏が父という存在者の内面に次第に肉薄していく道筋を指示しているかのようだ。「シベリアの父を語らぬ防寒服/抑留兵の子である私鳳仙花/三尺寝父の背の傷ただ黙す」。
表現行為が自他救済と癒しに
第一章「日清・日露戦争からアジア・太平洋戦争の歴史を踏まえて」では、アジア・太平洋戦争の前に、日本が遅れた帝国主義国家になった日清・日露戦争とは何であったのか、そのことが結果としてアジア・太平洋戦争を引き起こしてしまったのであり、その発端となった一八九四年の日清戦争から歴史を問うている。
第二章「ソ連(シベリア)抑留者の体験談」では、山田治男、中島裕の二人から大関氏は直接取材をして、ソ連との戦闘、降伏後の経緯、シベリアの収容所での出来事、抑留者の尊厳などを記し、また日本兵を強制労働させるソ連の国際法違反を伝えている。
第三章「ソ連(シベリア)抑留俳句を読む」では、小田保、石丸信義、黒谷星音、庄子真青海、高木一郎、長谷川宇一、川島炬士、鎌田翠山の八名の経歴や俳句を、第四章「戦後七十年を経てのソ連(シベリア)抑留俳句」では、名護の件塩尻市に暮らす百瀬石涛子に取材し、そのシベリア抑留体験の証言や句集『俘虜語り』を、第五章「満蒙引き上げの俳句を読む」では、井筒紀久枝『大陸の花嫁』と天川悦子句文集『遠きふるさと』を紹介している。
大関氏は、読み取ってきた「抑留詠(戦争詠)」・引揚げ詠・震災詠など、特殊な境涯」である極限状況の俳句を創作し読解し共有することは、「ストレス緩衝効果や独特の環境の中で承認されることにより、安心感や仲間との信頼関係を回復する、失われた命への鎮魂による自他救済などの働きがあった」とその効用を結論づけている。
大関氏が看護師で他者を癒すことを職業としていることもあり、俳句・散文などの表現行為が、存在の危機を感ずる人々にとって生きることの原点に立ち返る有力な方法であることを再認識したのであろう。
(すずき・ひさお)
【文化】公明新聞 2023.7.21
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