ラッコの映画生活

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2007.01.11
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AMATOR
Krzysztof Kieslowski

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キェシロフスキの初の長編劇映画『傷跡』(1976)から3年後1979年の長編劇映画第2作。と言っても『傷跡』の前年の『スタッフ』が(残念ながらまだ見たことありません)彼の長編劇映画第1作だし、『傷跡』と同じ年に『平穏』という44分の中編劇映画等も作っています(これも未見)。『傷跡』が監督本人が言うように失敗作だとしても、この『アマチュア』は堂々とした立派な長編劇映画だと思います。

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首尾一貫とした流れがあり、その意味で曖昧な所はない作品です。各役者の演技も良いし、編集も優れています。ときどき入る叙情的な映像と音楽が美しく、監督が後にフランスで撮った4本の作品につながります。しかしその中に描かれていること、作者が提示したかったことは多岐に渡っていると思います。主人公フィリップは娘の誕生を期に8ミリ映画カメラを買って娘の成長記録を撮ろうとします。孤児院出身で、まともな仕事、相思相愛の妻、念願の娘、そして住宅難の中でのアパートへの入居、そうしたものはすべて手に入れたはずなのに、それでは飽き足らずに、工場長の依頼で工場の式典の記録を撮ったことから、カメラの目を通して現実の真実を捉えようと映画制作にはまっていき、周囲からも反発も招き始める。ポーランドの体制の中では描いてはいけないことも多々ある。一方妻との関係では映画熱で家庭を顧みなくなり・・・、といった物語。キェシロフスキの自伝的要素(事実関係というより映画作りというものに関して)が多分に含まれていると思います。

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工場長に祝典の記録映画を撮るように依頼されるわけですが、フィリップの関心は舞台裏に向かう。これはキェシロフスキのドキュメンタリーのあり方と同じですね。表に隠れた裏がある。象徴として描かれていたのが奇麗に改装された表と汚いままの銀行の裏ですか。裏はすべての表を生じさせているものでもあり、何かを問えばいちばん重要なこと。そしてこの部分にこそキェシロフスキの関心は強い。しかしこれは個人生活であれ、国家といった体制であれ、多くの場合当事者はあからさまに晒されたくないもの。個人の場合には映画作家がそこに踏み込んでよいのかという倫理の問題があり、体制について言えば共産体制のポーランドではもともと不自由が多い。そうすると中途半端に現実・真実を写したドキュメンタリーよりも、その裏の本質を巧みにフィクション化して描く方が表現力は強いのではないか。そう考えてキェシロフスキはフィクションに転向したのだと思う。そしてこの作品はその過程を描いているだと感じました。

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演出が良い、と言ってしまえばそれまでだけれど、ポーランドの役者さんたちは本当にいい演技しますね。役者であるという以前に実存的に生きるって根本があるからなのでしょう。役作りがしっかりとしている。一人の同じ役者が別の映画で色々な役を演じるわけですが、我々が映画を見ているとき、たとえばイェジ・シュトゥールなら、ここではフィリップに、別の映画ではユレクに、別の映画ではアルトゥルの兄に見えなければならない。これは役者の演技(役づくり)だけの問題ではなく、映画全体の出来にも関係することですが、俳優イェジ・シュトゥールに見えていたらダメなんですね。観客はフィリップを見ていてそのフィリップをシュトゥールが演じていのであって、シュトゥールを見ていてそのシュトゥールがフィリップを演じているんではないんですね。あくまで普通の映画の場合は、ですが。そういう意味で各役者の演技に安心して身を任せていられる。

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『カムフラージュ』の上映会と監督との語らいの会が描かれ、クシシュトフ・ザヌーシ監督が本人役で登場。評論家のタデウシュ・ソボレフスキも。ザヌーシに関しては、実際に色々所に行って上演・講演・討論などをやっていた本人を本人として登場させることでドキュメンタリー的にリアリティーを持たせるためなのでしょうか。ソボレフスキに関しては業界人的雰囲気を出せるので役者よりやはり真実味がある。この2人や映画コンクールの様子などから当時のポーランドのこの種の世界がどんなであったかがかいま見られるのも面白かった。あと作中フィリップが見ている映画の本のページが写る。ケネス・ローチの『Kes』とか。キェシロフスキは他の作品の中でも他の映画からの引用やオマージュを何気なく入れているけれど、こういうのもキェシロフスキ・ファンにとっては興味深いですね。

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Last updated  2007.01.11 17:44:02
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