ラッコの映画生活

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2007.01.16
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カテゴリ: フランス映画
MON HOMME
Bertrand Blier

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簡単コメント:微妙なバランス、思わぬ佳作、グランベールが美しく好演。

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ベルトラン・ブリエ監督、名前はよく目にするのだけれど、これまで作品を見た記憶がありません。忘れてるだけか?。この映画は、監督の感覚的なところと理性的なところの両方が見える気がします。加えてシリアスに描けば重くもなるテーマを半ばコミカルにも描いていて、安っぽさと崇高さが共存したような、微妙にバランスを保ったなかなかの作品だと思います。テンポもいい感じです。フィルムはヨーロッパ映画ではコダックの方が好きなのですが、奇麗ではあるけれど品の少しないフジの色彩が妙にこの映画にはマッチしていたとも感じました。VHSで見たのですが、ビデオジャケットには映画冒頭部分の主人公カップルのラブシーンだけ捉えて「忍耐のあとに訪れる暴力的なまでのエクスタシー」とか「淫靡な言葉を耳に囁きかければ、手の中で小鳥が起き上がる」だとか「究極のエロティシズム」とか扇情的なコピーが羅列されていて、嘘ではないけれど、作品のほんの一部でしかありません。

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自ら好んで、天命をも感じて、男に喜びを与え、金も稼ぎ、自らも楽しむという娼婦の充実した毎日を送るマリー(アヌーク・グランベール)が、寒い冬の夜自分の住むアパートのゴミ捨場で寝ている浮浪者ジャノ(ジェラール・ランヴァン)に出会い、彼を部屋に招き食事を与え、暖房の横で寝させる。彼女はこの男に何かを感じ、彼を招いて抱き合い、無上のエクスタシーを感じる。そして彼に自分の「優しいヒモ」になることを求め、娼婦とヒモの日々が始まる。しかし・・・。

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(以下ネタバレ)
この監督のひとつの単なる安易なやり口とも考えられないこともないのだけれど、そうでもない何かこの監督の感覚的なものをもボクは感じるのが、宗教性。ゴミ捨場の浮浪者を見て放ってはおけない。浮浪者が「明日食べるための小銭をくれ」と言うと彼女は尋ねる、「今日は何食べたの?」と。「サンドイッチ」「じゃあ昨日は?」「サンドイッチ」。それで彼女は暖かい料理したものを食べさせてあげたいと思う。作りおきの仔牛のシチューか何かが家にはあるんですね。で階段昇らせて、部屋に招いてシチューとワインを食べさせる。で彼は帰ろうとするんですが、今度は「外は寒いでしょ。部屋の暖房の横で寝てもいいわよ。」とまた部屋に招き入れる。なんかこの辺を見ていると 聖書ルカ伝の善きサマリア人の逸話 を思い出してしまう。浮浪者の風貌はなんとなくキリストを思わせもするし、フランスでは平凡な名前だとはいえ彼女の名はマリー(=聖母マリア)だし、ジャノに見切りをつけたマリーとサンギーヌが行く先は教会で、そこで「孤独がいちばん恐ろしい」と言う老婆に優しくされるし、出所したジャノにまとわりつく女ベランジェール(ドミニク・ヴァラディエ)の家は遠目にちょっと教会風の建物で、室内の十字架がちょっと強調もされてるし、最初のラブシーンのバックには荘重な宗教音楽風の曲が流れ、ジャノを与えてくれたことをマリーは手を合わせて神に感謝する。

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最初のセックスシーン。これまで彼女が本当に誰かを愛したってことがあるかどうかはわからない。少なくもこれまでは、もちろん本当に感じるセックスになることはあったとしても、主に男に与える、男を喜ばせる性だったんでしょうね。でもジャノと出会って本当に愛し、エクスタシーにも達する。肉欲だけって見えそうだけれど、ほんとに純粋な純愛というか。ジャノに食べさせようと朝焼き立てのクロワッサン買いにいくのなんていじらしい。彼女は神に感謝し、ジャノにヒモになってくれ、って求める。この辺の男女観は男性中心的で男に都合が良過ぎるとフェミニストからは批判されそうですが、教会の老婆が言うように、人は孤独では生きていけないから、愛を求めるって理解で、男女観云々には深入りしないでおきましょう。

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この辺からフラッシュバックならぬフラッシュフォーワードというか、ジャノが警察の一室で取り調べを受けていて、そこにマリーとサンギーヌがいる(未来の)映像がチラチラ所々に挿入されて、「上手くいってたのに」なんてジャノのモノローグが入る。この映画作り、テンポも良くて、監督の力を感じます。

ジャノは何を思ったのか。マリーのような女をさらに作ればもっとお金が入るといい気になったのか、もっと本物のジゴロらしくなろうとしたのか、サンギーヌの自分への惚れ具合を確認したかったのか、それともマリーのヒモとして自分自身何もしないことに飽いて、何か自分からの行動をしたいと思ったのか、サンギーヌにも売春させてそのヒモになろうとする。ボクの印象としては色んな理由すべてでしょうか。でもサンギーヌにはどうしても売春ができない。それで囮捜査に引っかかって、売春強要罪でジャノは捕まる。これが先ほどのフラッシュフォワードだったんですね。マリーはジャノのやっていたことを知る。自分の渡した大金で車を買って、サンギーヌにプレゼントしていたとか・・・。

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この一件でジャノは刑務所に。マリーとサンギーヌは知り合う。マリーは最初はジャノに弁護士つけて刑を軽くするとか考えていて、サンギーヌにも冷たいんですが、バーで一緒に飲みながら二人はいい友達になっていく。そしてマリーが思ったのは平凡な夫と子供2人という家庭生活はどうだろうかということ。彼女のこの発想の急変はちょっと唐突とも感じられますが、監督としてはその先に言いたいことがあった。

マリーは今まで常識的・世間的普通の考え方からは外れた生活をしてきた。それにつまづいて、じゃあ世間的な生き方ってどうだろう。でも結果から先に言うと夫が失業でこの生活もなかなか上手くいかない。夫ジャン=フランソワは職安で冷たくあしらわれて職を得られず、道で物乞いをしようとするけれど誰も振り向いてくれない。身なりのいい通行人に事情話すと「こうするんだよ」って帽子をとると、通行人がみんなお札とか入れてくれる。「貧乏人が物乞いしたって誰も恵んではくれないよ」ってわけで、ジャン=フランソワはその男に「少し分けてよ」って言うけれど「自分で稼がないと」って一銭もくれない。職安で追い返されたのにしても、貧乏人で何の資格ももってないから仕事がなかった。こうしたことを見ていると、監督の社会に対する痛烈な批判が感じられる。映画の冒頭にマリーが普通の主婦捕まえて売春に誘うシーンがあって、主婦が「男からいくら貰えばいいの」って訊いたのに対して、「相手を喜ばせる前から金、金、金って、金貰うことばかり考えている」って批判する。浮浪者との出会いでマリーは善きサマリア人のように隣人愛を持っていて、あるいは教会で会った孤独を恐れる老婆はマリーとサンギーヌが寒そうにしているので自分のショールか何かを掛けてくれる。

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途中が抜けたけれど、ジャン=フランソワは刑期を終えて出所。正面のベンチに女が座っていて、マリーと思って近付くけれど、出所してくる人を見ているだけという別人。彼は刑務所に戻ろうとする。娑婆が上に書いたような冷たく不条理な世界であることに勘付いている。何も考えずに生きていられる人生の休暇は終わりで、また人生に出ていかなければならない。もちろん「君の居場所はもうない」と言われ、追い返される。刑務所というシステム自体はそういう社会の一部なんですね。で再び外に出ると先のベンチの女が付きまとってくる。「暖かいコーヒーはどう?。」彼女はちょっと無気味にも描かれるけれど、要するにやはり孤独で、愛を分かち合える男性を求めている。

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一方マリーはカフェで見かけた失業中のジャン=フランソワと結婚して子供が二人。でも夫は失業中でお金がない。やむなく昔の衣装をカバンから取り出して娼婦の装いを身につける。箪笥の上のカバンを取るマリーを見てると、やるせなく、悲しいですね。しかし街に出たものの誰も彼女を買ってはくれない。金だけが目的で、かつてのように喜びを持って溌溂と娼婦をやっていた頃の魅力はない、とでも解するべきなのでしょうか。サンギーヌが通りかかり、「娼婦をバカにするのは許さないわよ」と、マリーをバカにした男になぐりかかる。サンギーヌは妊婦でお腹が大きい。マリーがサンギーヌを連れて家に戻ると腑抜けになったようなジャノが来ている。サンギーヌが産気づき、マリーに促されてジャン=フランソワは産院に連れていくけれど、ここの部分がボクにはよく解らなかった。マリーはジャン=フランソワに言う。フランス語セリフの直訳で「セックスするのはあなたなんだから」って。これがどういう意味なのか。サンギーヌのお腹の子も彼の子なんでしょうか?。ともかく2人が出ていってマリーとジャノが残る。ジャノは「マリー、すまなかった。女性たちみんな、すまなかった。」と。

感想や解釈を交えてストーリーらしきを中心のレビューを書いてきたけれど、なんとなく作品の持つテーマが解っていただけると幸いなんですが、このテーマを深刻に描いたら実に実に重く暗い。なんとなくコミカルに、ユーモア入れて、軽めに描いているのがいい。最後の終わり方だけが少し意味不明で、弱い感じはありますが。アヌーク・グランベールはたぶん当時ブリエ監督の愛人だったと思いますが、そういう彼女だから監督は美しく撮ってます。ベルリン映画祭で主演女優賞をとった。いい感じに美しく好演。魅力的。マリーの客役で出演のミッシェル・ガラブリュ、ジャン=ピエール・レオ、取調べ警察官のジャン=フィリップ・エコフェ等の名優が脇を固め、助演のジェラール・ランヴァンや特にサンギーヌ役のヴァレリア・ブルーニ・テデスキも好演です。



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Last updated  2007.01.16 05:03:06
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