ラッコの映画生活

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2007.01.18
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カテゴリ: アメリカ映画
DEAD POETS SOCIETY


寸評:感動の名作、でも普通のアメリカ映画としてはこれが限界か。

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アメリカ映画はあまり見ないのですが、テーマもいいし、演技もいいし、映像も美しいし、アメリカ映画だけの中の評価としては90点くらい。この作品は300億円とかの興行収入を得ているのだから良い映画だし、成功作なのでしょう。正直に言って、ただ身を任せて見ていたら涙まで誘われる作品です。でも結局のところボクが映画に期待するものとはやっぱり違うということです。映画全体の中で採点したら良くて60点程度です。多くの方が好きなこの作品、ではどこがどう気に入らないか、ってことを書いてみます。そのためにストーリーをネタバレしない程度に簡単に紹介すると、1959年、アメリカ・ニューイングランドの伝統ある有名寄宿制進学校。ただただ名門大学に進学させ、末は博士、医者、弁護士にすることを、アメリカ社会の最高のエリートに子供をするために親はこの学校に子供を預けている。勉学も規律も厳しい。そこにこの学校のOBのキーティング(ロビン・ウィリアムズ)が国語教師として赴任してくる。彼は生徒たちに言う。「Carpe Diem」。今の瞬間をつかみとれ、=いまを生きろ、と。やがて死すべき人として、人生を悔いのないように、自由にやりたいことをやって、自己実現をし、今を大切にしろ、というのが彼が言う意味です。学校や親の価値観に縛られて、いい生徒やいい子供を演じていた生徒たちが、やがて彼の授業を通して自分たち自身を語るようになり、自由な生き方を模索し始めます。しかしこれが親や学校の意向と衝突しないわけにはいきません。

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このように映画のテーマ自体はものすごくいいんです。感動的です。でも問題はその描き方なわけです。まず登場人物の描かれ方がまったくのステレオタイプなわけです。だから映画としては実にわかりやすい。でも人物にリアリティーがない。例えば厳格な校長にしても、問答無用で息子を自分の言いなりにしようとする親にしても、その人間的背景には、どうして今そうなのか、という歴史があるはずなわけです。それが子供の価値観とは違っていても、現にそういう価値観を持った親がいる以上、子供にもその親の歴史の理解、つまり一人の人間としての親への理解があるはずです。だからこそその親と自分の葛藤に悩むわけです。親のそれが何も描かれないし、感じられない。ただ厳格な規則を押し付ける学校の体制や校長があり、ただ子供を医者なら医者に是が非でもしようという親があるだけなのです。これでも物語は当然成立はします。

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(以下ネタバレ)
例えば役者になりたかったニール。「医者にすることだけを求め、役者になることを認めない父親を持った息子がいて、でも良い子で父親の権威に逆らえないニールは絶望して自殺をしてしまいました。」この2行の説明以上の何が映画の中で描かれていたでしょうか。正直言って映画に入って見ていれば、その場では感動もするし、この息子なり父なり母なりの悲しさらしきを感じる、かも知れない。でも見終わって30分もすると、このエピソードにしてもまったく悲しく思い返されはしない。この映画を見てちょうど30時間ぐらいたっているんですが、ストーリーとか散文的なことを除けば、感情的なものはもうほとんど記憶に残っていません。その程度に薄っぺらいんですね。いうなれば一人のキャラクターとして現実感に乏しいということです。映画はこの2行を言葉で語る以上の何ものももたらしてはくれない。

ではそのような単純化された人物と物語ではなぜいけないか。それはこの映画を見る前と見た後で、何ら観客の考えは進展しないからです。父親はこういう人生を送ってきていて、だから子供に対しても権威的だし、そしてたとえ親のエゴであっても息子はどうしても医者にしたい。そしてそれが自分にとっても子供にとってもいちばん幸せなんだ。子供は小さい頃からこんな風に育ってきて、だから親の権威に逆らえないし、でもこうこうこういう理由で役者になりたいと思っている。そして父親や母親の歴史の結果の今の両親はこうなのだということにも理解できなくはない。そういうリアリティーを持った人間が描かれてこそ、直接描かれなくとも感じさせてくれてこそ、子供の心の葛藤が理解され、自殺までいたる心理もわかる。そしてそれがあってこそ観客はそれを見て色々とものを考えさせられるわけです。

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女優の岸恵子さんのお嬢さんが20歳くらいで日本に来たとき、日本のテレビのある時代劇を見て、それを子供番組だと思ったらしい。ボク自身はステレオタイプ化された人物設定のお決まりストーリーのドラマを否定はしません。特にある種の喜劇とかアクションものならそれもいいのではないかと思います。でもこの種のテーマの映画ではテーマの主張ということに何の大きな実りももたらさないと思います。たとえは悪いんですが、こういう映画のあり方っていうのは、とりたてて独自のストーリーがないポルノに似ていると思います。ファックシーンを見てその場で興奮はしても、後には何も残りません。フランス映画はわかりにくい、という人が多いけれど、そしてフランス映画のすべてが名作なわけではないけれど、登場人物の性格や思いなどが深く描かれてこそ人物の行動を理解できる、あるいは解らなくとも考えさせられることで人間理解が深まるわけで、これがドラマなわけです。



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Last updated  2007.01.18 03:00:08
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