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2008.05.24
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映画の見えない本質。『カサブランカ』『300 スリーハンドレッド』等。



色々な方の映画レビューを読ませていただいていて、いつも気になることがある。それは映画の持つ世論形成、思想操作的ことに無関心な方が多いということだ。誤解のないように言っておくと、「明らかに何かを批判した」映画、たとえば戦争を批判した反戦的内容などについてはみなさん真面目に観ておられる。そうではなく、ここでは表面に描かれているのではない、見えにくい部分のことだ。

小難しいこととと敬遠されそうなので、少々軽い例(実は軽くもないけれど)で例えよう。メインの物語は何でもよい。宝探しの冒険物語でも、戦時期の人々の生死を描いた反戦映画でも何でもよい。そこに軽い挿話として、あるいは仄めかし程度でも、ティーンの性関係を気安いものとして(好意的に)登場させたとする。実際のラブシーンをはっきりと描くことはなくてもよい。しかしこういう内容を含む映画がたくさん上映されると、観ている人々の社会で性の低年齢化が結果されるということだ。

こういう効果は監督などの製作者にとって意識的場合も、無意識的場合もある。しかしもし製作者が低年齢のセックスに反対の思想を持っていたとしたら、こういうシーンは無いか、あるいは批判的テイストで描くはずなのだ。だから全体の結果としては、「製作者の思想」を「社会に広める」ことになる。もちろんやり過ぎれば観客の批判を招いて逆思想の普及となってしまう場合もあるだろう。しかしだからこそ、あまり観る者の強い注意を喚起しない控え目な描写の反復こそ結果の効果は大でもある。

アメリカのアクション映画を観ていると、例えば黒人相棒警官の殉職が描かれる。主人公の白人警官の方は生き残って、任務を達成して英雄となる。これは白人アメリカ人の黒人軽視の意識の現れ以外の何ものでもない。逆に黒人がヒーローで、周囲の白人がどんどん無駄死にしていく映画を作ったとしたら、白人観客の不興を買ってしまう。つまり先に挙げたような映画は、黒人差別の積極的表明ではなくても、既にある黒人差別意識の更新としての効果があるのだ。こうしてアメリカ映画が悪者として描いてきたのは、インディアンであり、ナチドイツであり、ソ連であり、そして今はイスラム人だ。

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歴史を捩じ曲げてイランを悪く描いたハリウッド映画『300 スリーハンドレッド』について、CGIを使った斬新な映像は良いから、史実的でない架空の設定にすれば良いのに、という感想がある。あるいは製作者側は「この映画は、単に、イラン人とスパルタ人の戦争物語を、真実とは異なる形で語っているもので、歴史を正確に伝えるものではない。」と言っている。しかし実際には意識的であれ無意識的であれ、黒人差別の場合と同じで、このような映画を作ろうとしたことの心理的背景にはイラン人差別が確実にあるのだ。ハリウッドはこのイラン人になぞらえて白人アメリカ人を描くことは決してしない。そして古代史など良く知らない大衆は、イラン人はこういうものだとすり込まれる。たとえ最初と最後に「歴史的事実とは無関係です」というお断りを入れたとしても、その効果はこういう大衆にとってはほとんど皆無だ。

名作映画の代表格のような『カサブランカ』(1942年マイケル・カーティス監督)という映画がある。ハンフリー・ボガードとイングリッド・バーグマンの名演で今も人気の恋愛メロドラマ映画だ。しかし実はこの作品、アメリカがヨーロッパ大戦に参戦してナチドイツと戦うことを国民に納得させるための国策映画だったらしい。製作には戦時情報局(OWI)が関係している。つまり意図的な世論操作を目的とした映画なのだ。現在ナチドイツは存在しないし、ナチやヒットラーと言えば、そのユダヤ人ショア等のために、最初から誰しもが認める悪だ(このことも実は問題を含む)。だからドイツ人を悪く描いていると言って批判する人はいない。

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さっき「CGIを使った斬新な映像は良いから、史実的でない架空の設定にすれば良いのに」という感想をご紹介したけれど、これは2つの意味で無理は注文なのだ。それは製作者側が何と釈明しようと、意識的であれ無意識的であれ、「イラン悪者」という意図が必ず心理的背景にあるのだから、何処の話か解らない架空の物語にしては意味を失ってしまう。もう一つは、映画のある一面だけを評価 and/or 批判することは実は無益でもある。ある作品のすべての面は不可分の全体として捉えるべきなのだ。




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Last updated  2008.06.02 00:03:30
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