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相変わらずの、ひっきりなしの仕事依頼。4社を掛け持ちしているからかも知れないけれど、コロナショックが吹き荒れていた3年前には考えられない状況だわ。打診された案件をすべて受ければ経済的には大いに潤うんだけれど、コロナで休んでいた年月に重ねた加齢と、それに伴う体力低下と、何より昨年に大病をした夫のケアで、以前のような回数では現場に立てないのが本音。それでも、年金だけでは生活出来ないから、やはりある程度は働かないと。この「ある程度」の「程度」が、今のところ掴めないから、悩んでいる。プラス、今後の医療費のことも予測し、費用をプールしておかねばならない。と言うのは、がんを患ってダブルオストメイトになった夫は、現在かけている医療保険が満期になったあと、新たな医療保険に入ることは難しいだろうから。確かに、高額医療費その他の補助はあるので、再び病気になっても預金でカバー出来るのかも知れないが、ああ! 病気にかかるお金って、入院手術だけではないのよねえ、、、。入院手術の前にたくさんの検査を受けないとならず、これの費用がバカにならない。しかも、それに付随する細々とした出費もある。やはり、一定額の医療費は確保しておかねばならない。ワークバランス。もう若い頃のようには働かないし働けないけれど、生きるために必要なお金は、今後もついてまわる(我が家の場合)。そのバランス。早くつかみたいものだ。写真は、先だって旦那とピクニックに来た、京都御苑にて。ここでは、植物ばかりでなく、昆虫や鳥も観察できるし、例えばカラス1つとっても、その動作をあらためて見ていると、いろいろ気付けるものがある。
2023.05.31
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(注)5月11日に書いた記事。ごくたまに、商品を宣伝販売するにあたって必要な試食のレシピを、デモンストレーターである我々に丸投げするメーカーがある。「各調味料の量は適当に」「あなたの好みの味付けで」などなど。困るんだよね、こういうの。家庭で食べるんじゃないんだから!試食するお客さんに説明しないといけないんだから!それでも、試食品が作り慣れたメニューなら許容するが、フランス語だかイタリア語だかスペイン語だか、とにかく聞いたことのない、舌を噛みそうなネーミングのメニューならお手上げ。もっとも立場上そんなわけにいかないから、似たような感じのメニューをネット検索し、それを参考にこちらで何度も試作を重ね、数値(分量はもちろん、煮込み時間や火加減その他)を弾き出すんだが、これが思いのほか手間がかかる。本来ならメーカーが取り組むべきレシピ作成をこちらに押し付けたぶん、ギャラアップして欲しいと、強く思う。レシピ作成料なる特別手当が欲しいのだ(本音を述べたら材料費も)。とは言え、田舎者で芋の煮ころがしとか菜っぱの煮浸しとか、そういう泥くさいものを食べて育ち、外食も滅多にしない(胃袋の大きさの関係で。カレーライスにしろラーメンにしろピラフにしろ、私にとっては量が多すぎるのよ、外食は)私みたいな者でも、探求したら、あちらの、少なくとも一般料理は作れるし美味しいとも感じるのだから、国や地域を問わず、家庭料理ってどこかで共通点があるのだろうね。
2023.05.17
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今日は、昨年の10月に大腸がんの入院手術を受けた夫の検診結果を聞く日。幸いなるかな。リンパにすら転移は全くしていなかったし、他の血液その他の機能結果も上々。ただ、当の夫はねえ、、、。複雑な気持ちを、まだぬぐえないらしい。なぜなら、ずっとずっと、ややもすれば対症療法に偏ってしまう傾向がなきにしもあらずの西洋医学に反発し、病をおこした身体を、その人の生活習慣から思考の癖までを考慮に入れた根本から見直す自然療法に傾倒していたこともあり、、、。結局は、がん特有の痛みとだるさに耐え切れず、西洋医学の外科手術を受け、現在があるわけだけれどね。ぶっちゃけ。術後に執刀された先生から手術で除去したがんを見せられた私は、「こんなに大きいのが(患部に)居座っていたのか」と驚くと同時に「手術はギリギリのタイミングだったな」と思った。大袈裟ではなく、あと2週間(手術が)遅かったら、夫は腸閉塞になり、激痛でのたうちまわりながら、逆流した糞尿とともに違う世界に行っていた可能性を否定できない。でもねえ、がんでどんどん痩せ、声も弱々しくなっていっている夫が、「生きていること自体が辛くなるほど痛い」(がんの痛みである。特有の痛み)。とこぼすようになった時、妻の私は、自然療法であろうが西洋医学であろうがアーユルヴェーダであろうが漢方であろうが、どんな療法でもいい、とにかくこの痛みから解放させてあげたいと、強く思ったものだ。ダブル・オストメイト、すなわち障がい者になって、ざっと半年。その間には、ストーマトラブルも幾度となくあり、私も含む周囲も振り回された(先の娘一家との旅行でも)。それでも、時間は前にしか流れていかないように、人も未来、最低限で現在にしか、目を向けるしかない。過去は変えられないのだからね。
2023.05.08
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繰り返しになるけれど、今月3日の仕事は、奈良市郊外にある某スーパーで青果関連の宣伝販売。「試食なんて、何年振りかねえ」と、懐かしさと共に歓迎して下さるお客様が多く、担当商品自体もほぼ完売だった。お買い上げ下さった皆様、ありがとうございます。売上のみならず宣伝販売を受け入れる店舗側の協力度もよく、本来ならシアワセな気持ちが続いている中で翌日を迎えることが出来るのに、そうらならなかったのは、理由(わけ)がある。現場までの交通の便の悪さだ。京都市内にある自宅から奈良市の学園前まで電車、という行路そのものは、距離的にも時間的にも特に問題となるほどではない。ところが、そこから先をバスで、となると、違ってくるんだな。仕事をした店に1番近い停留所に止まる路線のバス。1時間に1本しかないのよ。しかも、電車との乗り継ぎが非常に悪い。結果、無駄に待つ時間が増え、この待ち時間が確実に体力を奪う。当日、行きは片道2時間ですんだけれど、帰りは2時間半。夕食後に入った風呂では、疲れのあまりウトウトして、危うく沈みかかった。疲れは、翌日の午前中いっぱい、心身に張り付いていた。身体がだるく、頭に鍋か何かかぶっているようで、気分も冴えない。とは言え、仕事当日のバスの乗客数(行き4人、帰り2人)を見れば、その1時間に1本のバスですら、バス会社は、恐らくは公の援助を受けた上で半分ボランティア精神で走らせているとわかる。それにしても、仮にバスが1時間に1本しかない地に住んだら、交通弱者(自動車の運転免許を持たない、あるいは待てないため、移動手段を公共の交通機関に頼るしかない人のこと。私もその部類に入る)と呼ばれる人たちは、通勤通学や買い物、病院通いなどに、大いに不自由するのではないかしら。タクシーも、今ではドライバー不足でなかなか来てくれないし。万が一、手術が必要な病を患ったら、その前には設備の整った大きな病院まで行って、あちらこちら何度も検査をする。交通網が発達している都会にいても検査は時間をとられ、それゆえ心が折れることが多いのに、、、。プラス、車の運転が出来る人でも、やがては出来なくなる日が誰しもくるわけで。それを考えたら、やはり年をとったら都会に住んでいる方が何かと暮らしやすいのではないかな、と思ったりもするのだ。写真は、1番下の孫。車が大好きで、もちろん将来の希望職はドライバー。
2023.05.06
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