・・旅のあとさき・・
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ONE OK ROCKの TAKAが YAOというコラボ名で 日本のラップやメタルのミュージシャンとコラボ曲を 発表しているYAOという名は 八百万(やおよろず)からきているのだそうだ今 この時代 キリスト教 カトリック プロテスタントを含めた数えきれない宗派 ユダヤ教 イスラム教 仏教 ・・・くっきりはっきりとは分けられないくらい 救いを求めて神を信仰する宗教がある誰もが 自身の心の拠り所を必死に求めていて 信じるならあなたを救うよ と手を差し伸べる神々がいる世界では 違う宗教との間に違和感と嫌悪感とときには蔑視感も 互いに合って境界線で戦いにも達している肌の色も含めると あの人とは違う 我らこそ正しい 上に立つべき人種であると他を 足蹴にして 見下して 優越したいという感情がある日本は 大きな自然災害が ずっと昔からとても多くて島国だから 他国の人間よりも自然の驚異が大きかったろう天に祈る 雨ごいをする 地域で特色ある祭りがたくさんあるのは そんなやおよろずの自然を畏れひたすら祈る山にも川にも海にも田にも畑にも あそこにもここにも 祈ってきたただの宗教者が教えを広めたくらいでは 太刀打ちできない自然を 日本人は知っている祈り 感謝し お天道様が見ているからと 自分を律してきただから一神教の多い外国人からすると 無宗教に見える日本人が ただの教養のない未開の人種にも見えたろうそれを不思議がる外国人が 多く日本で宗教戦争が起きないのはなぜ?という権力者によって弾圧があったりしたこともあるが それは宗教感ではなく権力維持のためのものだったそれでも日本でもこの神を信じれば救われると いろいろな宗教がある悪かった例でいえば 旧統一教会 とかが頭に浮かぶがそれも ただ宗教というのではなく 権力欲 支配欲にかられたたぶらかし 搾取であり 宗教と呼べるかどうかはわからない で話が 戻るが・・・TAKAの腕のいろいろなタトゥーの中に イルミナティのシンボルイラストもあったと 問題視する一部の人がいて 私もどうなんだろうか・・・と不思議で気にはなっていたが そういう世界市民として国に縛られない世界になればいいな という気持で描かれているらしい ということなんだって・・今は また宗教がらみの戦争が起きていて いつのまにか当事者になったアメリカの中でも 議論がたかまったり 分断が起きたりしているそんな中 ロックバンドでもある ONE OK ROCK だから 反体制なわけで 日和見な事も言えないし かといって 純粋に音楽性に共感している世界中のファンの 政治的 宗教的な バックグランドにまで線引きはできないから 悩ましいところなのだろうただ 日本人だから という基本に戻り ”やおよろず” YAO という概念が やはりしっくりしてそれをコラボバンドの 名前にしたのが 合点がいく本当は 日本は世界に類を見ない 自然神という漠然とした統一感 を共有している国なのだろうその感じは 人の心を縛ったりしないただ お天道様に見られているという不思議な自分を律する力だで本当に ときどき 見ることのあるNHKの「こころの時代~宗教・人生」で 遠藤周作「深い河」の考察があった手かざしの宗教にどっぷりつかって 実家の親や私や末妹までも なんとか救ってやりたい?と必死な次妹が 遠藤周作の「沈黙」を読んだ? と良く言っていた家族はその暴走する思いに ずいぶん振り回され苦しんだだって 信じなければいけない と突き進むからだ一神教って 他を排除する 他とは違う それではだめ と頑ななのだ彼女にとっては 彼女の価値を認めて(おだてて)くれる居場所であり 拠り所なので それはそれでいいけれど 他人を引きずり込まないでと言いたいのだ「沈黙」は ずいぶん昔に読んだことはあるが ほとんど覚えていないきっと 次妹の理論を正当化する部分が あったというのだろう と 再度読もうとは思っていなかったが 番組で「深い河」について とあって 少し番組を見てみたあらすじについては書かないがこの回は「宗教の壁を超える「玉ねぎ」」というものだった大津という青年と 彼の信仰を否定する美津子 美津子は くりかえし宗教を否定して 神 という言葉もいやだというので大津は わかってほしくて神という名前はいらない「玉ねぎ」とする というのだお互いが長い時間を葛藤し インドのガンジス川に至るフランスで修業をする大津が 命の中に序列があるというところの違和感を感じながら日本人にとってのキリスト教について語る部分に心が動いたぼくは 玉ねぎを信頼しています 信仰じゃないんです 玉ねぎがヨーロッパのキリスト教だけでなく ヒンズー教の中にも 仏教の中にも 生きておられると思うからです玉ねぎという愛の河(ガンジス川)はどんな醜い人間も どんな汚れた人間もすべて拒まず 受け入れて流れます行き倒れだろうが 金持ちだろうが 同じように愛の河に流れていく(現代では知らないけど)宗教は 信ずるものだけお布施をするものだけ教えを忠実に学ぶものだけではなく教えを知らない者にさえ 慈しみを与えるもので 差別もない教養も無く 生産性も無く ただ醜くて役に立たない者でも欲が強く成功したけれど苦しんだものでも生きることが 宗教だという事だろうでも 私なんかは 神ではないから 人を差別し区別し 理解しようとも思わなかったりするそれでも 玉ねぎの心を時々思い出して 見守るくらいはしてみよう
2026.10.01