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人間はいつもそれぞれに会社人として家庭人として地域人として友人として などそれぞれの立場を生きていますから言ってみればいつも『期待をされている』状況にあるように思います。意識する・しないに関わらず。そうするとですね、無意識であることが多いですがその期待に応えようという気持ちが働いてどうしても頑張ってしまったり無理をしてしまったりうそをつかざるを得なかったり心の底から発している『本音』ではない気持ちに突き動かされていることって多いのでしょう。いや、それがいけないなんてコトはなくてですね、むしろそれは至極当然のことだと思うんです。だって、生活するということは人とともに過ごすことだから、いつでもどこでも本音でいられるなんてことはない。当然です(^-^)特にそれがビジネスシーンだったりしたら建前が前面に出ちゃって当たり前。私生活のシーンでも、特にご近所づきあいなんかは建前の宝庫でしょ。うん、それでいいんです。ただね、たださ、だからこそ『本音になれる場面』ってとっても必要だなって思います。誰かに話すのでもいい鏡に向かって語りかけてもいい自分の中でつぶやくだけでもいい『本当は全然頑張りたくないんだよね』『いや、今はもう少しここにとどまっていたいのよ』『どうしてもあの人の発言は許せないんだ!』『あーぁ、こんなはずじゃなかったのになぁ』それが次に頑張るエネルギーになるわけです。コーチングセッションの場面でもね、起こりうる『建前』なんだけど、それはまた今度。。あなたはどんなシーンで『本音』に身をゆだねているでしょうか?
March 29, 2008
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思わぬ収穫朝から超新塾のネタが見れました。得した気分@@
March 27, 2008
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昨日なんですが、元教え子たちと飲みに行ってました。。その子たちももう20歳。立派に大人になっちゃいまして・・・なんせ5年ぶりくらいに会う子もいるわけで、「お~!お前変わったなぁ」なんてのもあるんですが、まぁまぁそんなのは逢って分くらいなモンでね、話し始めたら昔のマンマ。なんだかとっても癒される時間でした♪で、ですね昨日きたうちの何人かは通ってた塾や別の塾で先生をしてましてね、「先生あの時はどんな意味があったの?」とかね指導の裏にあって、そのときは彼らに見えなかった部分なんかも話してたんですが、こう、ホントちょっとしたことなんだけど、こまか~く考えてたことって多いんだなぁって説明しながらいろいろ棚卸しができちゃいました@@結構びっくりされたのは怒ったときのフォローの話で、生徒から思い出を聞くと、必ず最初に出てくるのは「いやぁ、先生恐かったよ」っていうくらいよく怒ってたわけなんですが、生徒を叱ったときにはもちろんね、きちんと話が完結して、今後どうするか?まで具体的に話し合ってから帰してたんだけど、生徒が帰ったあと、家につきまでの時間に保護者(大抵はお母さん)に電話を入れてコトの顛末を報告してたんです。でも、怒られてきたことを親に知られたってわかったら生徒だってちょっとプライドが傷つくでしょ?だから、保護者の方には必ず「電話があったことは本人には伏せておいてくださいね」ってお願いをしていたわけなんですね。だから、生徒たちは知らなくても当たり前なんですが、「へぇ~。そんなことまでしてたんだ?」なんて特に今先生をしている子なんかはびっくりしてましたね。。コーチングセッションなんかもそうなんですが、やっぱり話をすることで確実に知識や考えの棚卸しができるんだなぁ。。。なんて、楽しさの余韻に浸りながらも思っちゃいました♪そうそう、つい先日、別の生徒とそんな(怒られた思い出)話をしていた後ね、メールで「先生にはいっぱい怒られたけど、そうじゃない思い出もちゃんとあるから安心してね」なんて慰められてしまいました@@@ホント、皆いい子たちですww
March 25, 2008
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すっごいくだらない話なんですが、うちね、ヤクルトとってたんです。今はちょっとお休み中なんだけどね。で、ヤクルトって、玄関先に水色のボックス置いておいて決まった日にその中に入れてくれるのね。そのボックスは発砲スチロールでできてて軽いから中にウェイトが入ってるんだけど、先月の突風が吹いた日そのボックスがなくなってたのね。以前にもうちの庭先からバケツが飛んで言っちゃったことなんかがあったから今回もご近所さんのうちに迷い込んじゃったかなぁって思って探したんだけど、いくら探しても出てこない@@う~ん、今回はどっか遠くまで飛んで行っちゃったかなぁなんて思っていたのね。何せ軽いもんだから。。ちなみに、中に入っていたウェイトは玄関先に転がってましたのでね。。で、まぁ、今はちょっとお休みしてるから別になくてもいっかぁ。またとる時に持ってきてもらおう・・・なんて思ってたんだけど、つい先日のまた突風が吹いた日なんとっ!玄関先に転がってましたわ@@見慣れた水色のボックス・・・う~ん。。何があったんだろう?この1ヶ月の間に・・・5年ま~うぇの ハリケーンでとば~されて2年ま~うぇのハリーケーンで帰ってきた。。って感じでした@@あ、↑チュートリアルのネタ、ご存知?
March 24, 2008
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今ね、実家にきてるんですがひょんなことからこんな会話に・・・僕「そう、最近の子たちはカマドウマ知らないんだよ」父「カマドウマ?」僕「おばあちゃんちのボイラーのトコにいたじゃん」父「え?どんなの?」僕「バッタの丸いような奴。後ろ足がごっつくてさ」父「知らなーい」僕「・・・」おばあちゃんちで一緒に見てたハズなのに。うーんヽ(´ー`)ノ今までダレと話しても『知らない』と言われてしまったカマドウマ。父にまで知らないと言われてしまうとは。。知りません??カマドウマくん。**追記**ヤフーやグーグルで『カマドウマ』と検索すると普通にヒットしますが、正直、結構キモチワルイので昆虫系が苦手な方はご注意くださいね@@
March 23, 2008
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その1はこちらその2はこちら<続き>「いじめられている側は何も悪くないんだから、気にすることはない。 ただ胸を張って生きていればいい!」という方々には、そうすればもういじめられて悲しい想いをしなくてすむワケではないとわかって欲しい。いじめっ子が悪いんだから、行動や発想を是正するのはいじめっ子だけでいいでは解決していないとわかって欲しい。そもそも、どうしてこの世からいじめをなくさなければならないのか?いじめが悪だからとか、そういうことではないですよね?いじめをなくさなければならないのは、『いじめれることによって傷つく人がいてはならないから』ですよね。解決したいのは、『つらい思いをしてしまうこと』ですよね。だったら、同じような環境でもいじめられる人といじめられない人がいて、いじめられる側にその原因の一端でもあるのであれば、そこを是正することがいじめ問題解決のひとつの道だとも言えるはず、だと思うんです。「悪いから変える」のではなく「原因になるから変える」のです。たとえば、さっきの僕のケース。僕はただ目立ちたいだけですから、人を傷つけるつもりも不快にさせるつもりもありません。でも、結果として不快に思う人が出て、その結果僕自身がつらい思いをしました。当然僕は今後、そんなつらい思いをしたくはないんです。であれば、僕はコミュニケーションそのものについて考え、行動を見直していく必要があるわけです。だって、同じようにしていたらまた同じことが起こるかも知れないんだから。コーチングの世界で「アサーティブ」という視点があります。もともとは”自己主張”という意味ですが、単純に自己主張をするのではなく、「相手を否定したり傷つけたりするのではなく、 関係を前進させるための自己観点の主張」といった意味で使われています。小学生の僕に足りなかったのはまさにこの視点。自分が主張することが間違っているのではなく、それをどう捉え・受け入れられるかということに意識を払えなかったことが失点だったわけです。少なくとも僕は、自分の主張によって人を不快させたいのではなく、できれば認めてもらった上で仲良くしたかったんですもの。となれば、行動を変えるべき点はそこ。主張をやめるのではなく、「極力とげのない・角の立たない形でのコミュニケーションを意識する」こと。これができていれば、少なくとも僕がいじめに合うことはなかった気がします。もちろん、そんな論点が通用しないいじめも存在するでしょう。ただただ理不尽ないじめも多々起こっていることでしょう。あるいは、原因は明確なものの、それが自分に起因しないというケースも多いと思います。東野圭吾さんの小説『手紙』にあるような、家族に犯罪者がいるといったケースもここにあたると思います。ですから、すべてについて前述したような論点が当てはまるとは言いませんが、「いじめ被害者は何も悪くないんだから、気にしなくていいんだ」って言う考え方に僕は疑問符がつきます。悪くなくたって、自分に原因があるケースも多いんだから、そこは見つめてみるべき・見直してみるべき・努力をしてみるべきだと思うんです。悪いって言われたら受け入れがたくなる気持ちはわかるけど、単純に『原因』であれば客観的に受け入れられると思うんですが、どうでしょう?だって、少なくとも今とこれからの近い未来には、世の中にいじめは確実に存在するんですもの。(僕も含めた)元いじめられっ子がもう一度いじめの被害者になる可能性は大いにあるんですもの。そして、それを我々はいじめられっ子に伝えてあげるべきだと思います。「いいよいいよ、君一切悪くないんだから何も気にしないでいいよ。 僕が守ってあげるから、そのまま何も変えなくていいよ」後ろ盾は確かに必要だし、自分がそれになってあげることは大切です。「僕がついているから大丈夫だよ」と伝えてあげる・知ってもらうことは絶対に必要なんですが、それだけで終わってしまったら自分で立っていかれなくなってしまう。”僕”がついていてあげられるうちは救われるけど、いなくなったら途端に逆もどり、ではダメなんです。そのためには、必要である改善点はしっかりと伝えてあげないといけない。それこそが真の愛情だと思うんです。「お前はこういうところがあるから、それは直したほうがいいのかも知れないぞ」って。そりゃぁ、言われたときはちょっと痛いかも知れないけど、相手のためにしっかりと伝えてあげなければ本人だけでは気づけないんです。もちろん、タイミングは重要ですね。本人がひどく傷ついているまさにそのときに、さらに塩を塗るようなことになってしまっては『守る』という言葉すら届かなくなってしまいますから。でもですね、決してそれは加害者の非を軽減するモノではなく、全くもって切り離して考えなければならないところだと思います。加害者は、被害者の気持ちを考えるべきだし、相応の罰を受ける、償いをするべきです。ちょっと危険な思想かも知れませんが、加害者になりたくないと思わせるような、過剰な制裁すらあっても構わないと思っています。それくらい、加害者は悪いんです。一分の言い訳も成り立たないほどに。近い将来、この世からいじめがなくなっていることを強く願います。そのために、この世が愛情あふれる豊かな世界になっていることを強く願います。そして、それまでの間に発生してしまう悲しいいじめの被害者が、一人でも少なくなることを強く願います。いじめの被害に合ったすべての人が、もう一度同じ目に合わずに笑顔で生きていけることを強く願います。そして僕は、僕の願う世の中になってくれるために、小さいかもしれないけど自分の力を使っていこうと思います。ここまでお付き合いいただいた方、最後まで読んでくださってありがとうございました。以上が現時点でのいじめ問題に対する僕のスタンス・考え方です。
March 21, 2008
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その1はこちらです<続き>僕はいじめられっ子でした。でした、というのは、今ではそういう状況にないからです。僕はかつて、いじめられっ子でした。僕の状況をお話します。いじめが始まったころ、僕は学校でも目立つタイプの児童でした。人から注目されることが好きで、面倒見もよく兄貴面。常に大きな声でしゃべり、大げさに笑い・振る舞い、学級委員や児童会長などの役職をこなし、塾通いもしていましたから勉強も結構できたほうです。それでいて、「悪いこと」にも手をつけて、そしてそれを自慢げに話すといった有様。二つ上には兄もいて、兄の友人とも仲良くしてもらっていました。そんな僕にまず目をつけたのは同級生たちでした。ともに悪さをして楽しんでいた友人たちが突然僕の敵に回りました。と、言っても暴力行為に及んだわけではなく、もっと陰湿な無視や仲間はずれ。いたずら書き、モノを盗む・隠すといった行為。その後、僕をいじめていたのは上級生です。ひとつ上の学年の、ちょっと悪いといわれているグループの数人。嫌がらせの域を超えたいじめ行為は、小学校5年生から中学2年まで続きます。近所の文化センターに遊びに行けば、個室に連れて行かれ殴られる。蹴られる。その学年の卒業式には、どうやら大塚はリンチにあうという噂まで流れ、学校にすら行けない始末。さすがにこんな状況でしたから、登校拒否にだってなりました。きっと、僕の態度・振る舞いに原因があったのでしょう。自分ではそんなつもりはなかったにしろ、「相手を見下している」態度や「有頂天になっている」様子に映ってしまった相手がいたのでしょう。僕の振る舞いにムカついた人がいたのでしょう。じゃぁ、僕は悪いのでしょうか?自分で気づかずにそんな行動をとっていた僕は、いじめられるほど悪いことをしたのでしょうか?いや、今でもそうは思いません。行き過ぎたところはあったかも知れませんが、悪くはないはず。どんなに行き過ぎていたって、いじめられていいほどの振る舞いなんてあるわけがありません。でもですね、やはり僕の振る舞いがいじめにあった『原因』なのだと思います。だって仮に、僕をいじめていた連中が同じようにそこにいたとしても、僕がそんな振る舞いをしていなかったら?と考えたらきっといじめにはあっていないと思うんです。であれば、やはり原因の一端は僕にあると考えることができる。そう捉えられたのは、恥ずかしくも中学2年生の僕でした。上級生の卒業式、ものすごく恐ろしい思いをした中でようやくたどり着いた発想。「僕は悪くないのに・・・」では、解決できないんだという答えでした。僕の言っていることは、「いじめられている人はひっそりと生きなければいけない」とか、「いじめっ子の目に付かないように行動すべきだ」とか、「いじめっ子に屈しろ」とか、そういうことではありません。何度も言いますが、いじめる側が100%悪いんです。単純なことです。だって、いじめなんてしてはいけないんだから。でも、そうは言っても、たくさんの方々がいじめ撲滅のために尽力したとしても、この世からすぐにいじめがなくなるとは思えない。学生の社会だけじゃない、大人の社会にまではびこっているいじめの芽は、そう簡単に絶滅できるものではないんです。だからね、だから、「いじめ問題は誰が悪いか?」って言う論点だけでは救われない人たちがいるんです。たとえば、今から20年後にこの世の中からいじめがなくなったとしますね。当たり前の状態だけど、すばらしい世の中になっていることと思います。でも、逆に言えばそれまでの間いじめは存在するわけです。いじめの被害者がいるわけです。「いじめはよくない!」「いじめる側が悪いんだ!」「いじめ被害者の気持ちを考えろ!」と叫んでみたところで、実際にそこにいじめられっ子は存在する。<続きます>
March 20, 2008
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とある方のブログにて、いじめ問題についてのご意見が記されていました。その文面を読んでいて、なんだかしっくりとこない。いや別に、強く「そんなことない!」って思うほどのことではないんだけど、読み終わってどうもすっきりしない。しっくりこない。コレはなんだろうということで、いじめ問題に関する自分の意見をまとめてみることにしました。勝手を言いますが、興味のある方のみご覧ください。(長くなってしまったので、数日間に分けて掲載することにしました。)まず、わたしは小学校・中学校といじめられっ子でした。別にそのことを卑下しているわけでも、哀れんで欲しいわけでもありません。むしろ、非常に貴重な経験をしたと思っています。そしてわたしは、学習塾の先生として、あるいはその後、教育に関わる身として少なくはないいじめられっ子・いじめっ子と接してきました。その経験の中から生まれた考え方である。ことを、先に断っておきます。【いじめ問題の問題と対策】いじめ問題が話題に取り上げられると、必ずと言っていいほど「いじめっ子が全面的に悪い」「いや、いじめられるほうにも問題がある」「そんなことはない!いじめられる側は何も悪くない」なんて論戦が繰り広げられませんか?僕の視点からすると、「悪いのはいじめている方」です。コレはもう、疑いようもない事実でしょう。誰だって、どんな理由があったって他の誰かを傷つけていい理由なんてどこにもない。確かに、いじめる側だって何かしらの問題を抱えていることもあります。いじめている側だって被害者なんだって言うような発想もありえますよね。多いのが、家庭に問題があるケース。十分な愛情を受けずに育ってしまい、その鬱憤や欲求不満を他者にぶつけてしまうという話は聞いたこともあると思います。ここで言う『十分な愛情』とは、その人(いじめっ子)本人にとって十分なという意味です。だからここで「足りている」「いない」という判断は不要です。でもね、そんな理由があったとしたって、ましてや愛情不足どころか虐待を受けていたとしたって、そのことは他人を傷つけていい理由にはなりません。どんな場合にも、どんな事情があっても他人を傷つけてはいけない。あるいは、いじめられる方にだって問題があるでしょ?なんていうケース。コレでもやっぱり悪いのはいじめっ子でしょう。理由は同じ。対等な二人の人間の間で、あるいは二つの集団の間で起こっているけんかとはワケが違いますから、”一方的な攻撃=いじめ”はやっぱり許されません。だから、いじめという現象に関しては、『悪いのは100%いじめている側』だと思います。ただね、だからいじめられている側は何も気にしなくていい。何も反省する必要もない。俯かず、胸を張っていればいい!とは思いません。前述したように、悪いのはすべていじめている側です。糾弾されるべきはいじめている側ですし、世の中からいじめという行為そのものをなくしていかなければならない。それはその通りだと思います。でも、でもです。いじめている側だって、何らかの方法でいじめる相手を選んでいるわけでしょう?同じような境遇にいる中でも、いじめられる人とそうでない人がいるわけでしょう?もちろん、「ただ運が悪くて」なんていうことも多々あるとは思いますが、起こった物事には必ず『原因』があります。何度も言うように、”悪い”のはもうそれは絶対的にいじめている方であって、いじめられる側にはなんら悪いところはないんだけど、選別が行われている以上はいじめられる側にも『原因』があると思ったほうがいい。そう捉えたほうが、解決に近づいていくと思うんです。<続きます>
March 17, 2008
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今さっき、ジムから帰ってきたんですが、実は最近サボリ気味でして@@久しぶりのトレーニングで腹筋をしたところ・・・お腹がツリました(T△T) もう、イテェのなんのってwwはぁっ@@
March 12, 2008
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どうもです(^-^)先週末は結婚式のダブルヘッダーこなしてきました。横浜→広尾→横浜となかなかの移動距離でしたが、一日に二組の幸せを分けてもらえるなんて、ステキでしょ♪以前一緒に先生をしていた友人の式には、教え子が寄せ書きと花束を持って出てくるなんてサプライズも用意してみまして、結構喜んでもらえました。その後はしっかり教え子たちとも飲みに行けちゃってそれも含めて楽しんじゃいました。さて今日は僕の教え子の大学生がね、サークルでポータルサイトを運営してましてね、そこで年に2回、フリーペーパーを発行しているらしいんです。まだ一年生なんだけど、すっごいしっかりしてるでしょ(^_^)その子が広告を出して欲しい!って言うものだからその打ち合わせに行ってきました。。その、サイトってのがコチラです。METRONAVI自分の大学をもっと知って自分の大学をもっと好きになって楽しく、前向きにキャンパスライフを過ごそうよ!って趣旨らしいです。。コレまでに刊行したものも見せてもらったんだけど、阿藤快さんのインタビューなんかも載ってたりして、かなり本格的な仕上がりでした。。うーん、すごいデスねぇ。ホントに。僕なんか、大学時代はバイトと遊びに明け暮れてて勉強したり考えたりする暇なんかなかったもんなぁ・・・わが教え子ながら、ホントにエライなぁってしみじみ思っちゃいましたもの。。次は11月に発行らしいのとサイトの広告主も探しているらしいので、どなたか協力してあげてもらえませんか??
March 10, 2008
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ども(*^-^)ノウィンタースポーツを愛する者には悲しいくらいに暖かい日です。もうすっかり春ですねぇ。さて、一昨日なんですが藤田潮さんという方のセミナーに行ってきました。この方、以前に別のセミナーでお見かけして「すっごい元気なコーチがいるなぁ!」ってとっても印象的だったんです。我々コーチって仕事はとにかく聴くことがメイン。それなのに、とにかく話好きが多いこと多いこと。なかでもこの藤田さんは、自他ともに認めるお話好きです。もうね、超元気です。そんな彼女が敢えて自費出版したのが、『聴くの本』相手の話を聴くことって、すごくすごく難しくて、人はみな聴くことが苦手。だから、みんな少しずつ意識をして少しずつ訓練をして、自分から話を聴きましょう!そして、話を聴いてもらいましょう!って言う本です。書いてあるのはホントに普通のことかもしれないけど、はっ、と考えさせられてしまうタメになるステキな本です。僕はこの本、去年結婚した友人にプレゼントしようと思います。興味のある方は是非お手にとってみてください♪きっと、毎日がまた少し豊かになりますから。
March 7, 2008
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ども(*^-^)ノ なんだか今日はさぶいですねぇ。 昨日かな?森田さん(お天気のね)が言ってましたが、今年の冬は終わってみれば『例年通り』だったらしいですね。 前半暖かくて後半がさぶかったから、平均取ったら普通ってことらしいです。 さっきね、爪を切ったんですが、切ってからヤスリで整えてたらね、爪磨きを見つけてしまいまして。 こいつがまた、かなり優秀でして 気づいたらちとやりすぎてました( ´艸`) まぁ、週末には友達の結婚式があるし、 いっかぁ。。
March 5, 2008
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どうもです(^-^)実は僕、近所の子どもたちとかなりの仲良しでして、うちの前ってどん詰まりの私道なんで子どもたちは基本的に道路で遊んでるんだけど、僕が家の前でなんかしてたり、ベランダに出てたりするとね、「と~もく~ん」って声かけてくれます(^-^)3歳児と2歳児たちが・・・こんな子どもたちとのやり取りの中からとっても大切だなと気づかされることが多いんですが、昨日改めて考えさせられたのがね、『人は自分に関心を持ってくれる相手に関心を持つ』ってこと。そんなの当たり前でしょ?うん、そうなんです。超当たり前のこと。。子どもってとっても純粋で正直だから、興味を持ったら近づいてくるし、なければ離れていくしね。簡単な話、「自分が話したいことを聞いてくれる人に近づく」ワケですよ。。どんぐり拾ってきたり、石を集めてたり、ジャンパーがリバーシブルであることを自慢したり、今日は「見えないタコ」あげてたしさ。そういう、伝えてくれたことをまずは”受け入れる”ってコトをすれば、子どもはとっても満足するでしょ?「ほら、どんぐりひろってきたのぉ~」「お、どんぐり拾ってきたのねぇ。すごいじゃーん」「あのね、このいしがおかあさんでこっちがおにいさんでしょぉ~」「そっかぁ、それがお母さんだったのネェ。お父さんはどこ?」なんて、ど~でもいいことなんだけど、反応することがやっぱり大事なワケでしょ?じゃあコレって大人の世界、会社の中でどれだけ見られるかなって考えてみたら・・・どうでしょう?本当に当たり前のことなんですが、『人は自分に関心を持つ人に関心を持つ』んデスよね♪
March 2, 2008
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ども(^-^)昨日なんですが、33歳にして初めてSTANSってクラブイベントに行ってきちゃいました@@はい。完全に浮いておりましたがそんなことは気に・・・しませんww何でってね、友達のイベンターたちが立ち上げて4年になるイベントがあってそれにね、これまた友達のレゲエDJが出るっていうんで誘ってもらったんですわ。クラブイベントなんて行ったことがないからよくわかりませんが、この人はすっごいカッコよかったし、何よりあんイベント運営してること自体すんごいナと感動しちゃいましたデス。。車で行くしかなかったんで、僕は飲めませんでしたがかな~り盛り上がってましたよぉ♪隔月でやってるイベントなんでよかったら行ってみて下さいな。⇒STANSのHP
March 1, 2008
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