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実家のコンピュータからも楽天の日記が書けるんだなぁ~。当たり前のことなんだけど、いつもと違う環境だからなんだか変な感じです。先日、韓国から日本へやって来ました。今、東京の実家にいます。夫は仕事があるので、ソウルから一足先にニューヨークの長島へ帰りました。夫、見てますか?電話してなくてごめんなさいね。一人でもしっかり食べて下さい。私の留守中にもご訪問して下さったり、書き込みをして下さった皆さん、どうもありがとうございます!結局私はソウルのPCバンに2度しか行く機会が無かったのですが、ちゃんと常連の皆さんのHPへはお邪魔させて頂きました、ふふふ。。。普段見かけないアクセスにお心当たりのある方、それはソウルのPCバンからお邪魔したkangが正体です(笑)。3週間の休暇中、楽天はお休みするつもりで、日記の更新は長島に帰っておちついてからと思っていたのですが、皆さんの書き込みを見たり、NEYANさんにメールを頂いたりしていたら、ちょっと楽天が恋しくなってしまったので今日はログインして一言書きました。皆さん~、ご訪問ありがとうございます~!kangは元気に休暇を楽しんでおります~。書き込みのお返事はもう少しお待ち下さい、勝手ですみません~!韓国帰省中、日記のネタが雪だるま方式に膨れ上がりもう何から書いていいのか分かりません。特に夫ネタ。長島に帰るまで、この膨大なネタを全て覚えていられるのかちょっと不安です。。。
2004/04/28
明日(NY時間15日)ソウルへ出発します。ソウルの家族へあまり気の利いたお土産が用意できなかったのがちょっと心残りなのですが、荷造りや家の掃除、冷蔵庫の中の片付けは無事終わりました。後は寝るだけなので、明日の出発前にご挨拶を兼ねて最後の日記を書いてます。明日は午後2時過ぎのフライトなので、2時間前に搭乗手続きを済ませるにしても、10時半過ぎに家を出れば余裕かなと思っていた私は、夫の「9時半出発」の声にそうだ、この人は韓国人のくせに15分前精神だったんだということを思い出しました。飛行機に乗る時は更に余裕を持って「3時間前精神」になるようです。付き合ってらんないよ~。誰か助けて~。。。ソウルに10日滞在した後、夫は仕事があるため長島へ戻って来ますが、私はその後更に10日間東京の実家に里帰りします。戻ってくるのは5/6(ニューヨーク時間)になります。いつも訪問して下さる皆さん、帰省中は日記の更新は出来ませんが、PCバンから皆さんのHPにアクセスしたいと思ってます。書き込み出来ないと思いますがお許し下さい。また、ここ数日の間に日記リンクをして下さった皆さん、せっかくリンクをして下さったばかりなのに、しばらく更新が出来なくなってしまって申し訳ないです。過去の下らない日記でもご覧になって笑ってて下さい。それではしばらくお休みしますが、帰ってきたらまたよろしくお願いします~!
2004/04/15
明日(NY時間15日)ソウルに出発します。ちょっとだけ心配なことがあるので書いておきます。ソウルは今日(ソウル時間15日)選挙日でお休みだと思います。私がソウルに到着する日(16日)は選挙日の翌日できっと又、いたる所で「デモ」がやってるんだろうな。実は私は結婚式の日も「デモ」に巻き込まれそうになって結構怖い思いをしてます。式の後、タクシーを何台かに乗り分けて友人達とソウルプラザホテルのラウンジで待ち合わせをしました。ところが、ホテルの周りが黒山の人だかりで交通規制もされており、タクシーが近寄れない。仕方が無いので車を降りて、歩いてホテルへ向かう羽目に。しかし、ホテルの前はデモ隊と警察が激しくぶつかり合っており、群集がいきなりワ~ッと二手に分かれてその一方がこちらに押し寄せてきたりで、こちらも走って逃げては又ホテルへ近づき、ホテルへ近づいてはまた走ってデモ隊から逃げる、といった具合で結局ホテルのラウンジに入れたのは約束の時間をかなり過ぎてからでした。夫は昔ただ街を歩いていただけで デモに巻き込まれ、デモ隊の一人と間違われ、「僕違います~」と叫んでいるのに警察の車に無理やり乗せられて、とこか遠~くへ連れて行かれて知らない土地でぽつねんと車を降ろされ「帰っていいぞ」と言われた時には外はもう真っ暗。その日一日の予定がすべてパーになり、一人電車に揺られて納得いかないまま家に帰ったそうです。私も戦争してる国の大使館に勤務していた事があるので、日本で何度か「デモ」にあっています、「あなたはこんな○○国の為に働くことを恥かしいと思わないのですか!」と拡声器で怒鳴られたこともあります。でも「私にだって生活があるのだ~!、なんならあなた、私を雇ってくれるのか~?」そして「世の中、善と悪だけで成り立ってるわけではないのだ~!なんで第3者のあなたがそんなに親の敵のように怒り狂っているのだ~!あなたに○○国の何が分かるというのだ~!私にだってさっぱり分からないというのに~!」と言いませんでしたけど、言いたかったです(笑)。でもさすがに日本のデモしてる人の周りをうろうろと見物して「そうだ、そうだ~!ピース・オン・ジ・アース!」なんて一緒に声をそろえて「にわかデモ隊」になってるただの通行人も沢山いましたが、彼らが「間違って」警察に連れて行かれるってのは見た事ないです。すごい国です、韓国!今回の訪韓は、「デモ」に巻き込まれることなく無事に過ごせるといいな。
2004/04/14
そういえば、預かっていたミニチュア・ダックスフンドの「チョコ」が飼い主さんの所へ帰りました。チョコの帰る日が近づくにつれ夫は「いたづらもされたけど、お前がいなくなると寂しくなるだろうね。。。」とボソッと犬に話しかけ、まるで娘を嫁に出す直前の父親状態になっていました。テレビを見ていると思ったら、突然「チョコを連れて3人でどこか遠くへ逃げよう!」といきなり言い出した時には、あまりの症状の重さに私は慌てました。飼い主さんが迎えに来る日の昼間、何を思ったか突然大きな三脚を物置から出して来て、オマケに自分だけよそ行きの服に着替えて、「最後だから3人で記念撮影しよう」と部屋着姿の私を椅子に座らせ、チョコを抱かせて自分はなんと髪までセットして、3ポーズ位を30分以上かけて何枚も何枚も撮っていました。ちなみにチョコの滞在中、撮った写真は500枚位あります。私がチョコにあげる最後のご飯を用意していた時は、「今日は最後だから、この汁をちょっと入れてやって」と、何を思ったかその日の夕飯のメニューだった「豚キムチ」の真っ赤な汁をスプーンですくって私に差し出しました。そ、そんなの食べさせたらチョコ、死ぬぞ。。。。飼い主さんが「長いことお世話になりました~」と言って迎えに来た時、チョコはトチ狂ったように大興奮してちぎれんばかりにシッポを振って大喜び。その姿をみて、私も夫も「やっぱり喜び方が違うね。。」と複雑な気持ちでした。チョコが帰った次の日の夜「静かだね。。」と言いながら夫婦でお茶をすする姿は、まるで本当に娘を嫁に出した老夫婦みたいな感じでした。チョコが帰った翌日、私はチョコの忘れ物を届けに行きました。飼い主さんは「うちが取りに行きますよ」と言ってくれましたが、それじゃ意味が無い!私はチョコに会いたくて行くのだ!「お前に会いに来たんだよ~」とナデナデすると大喜びで顔をなめてくれた。あ~、胸がくるしいよ~!可愛い過ぎるよ~!夫は今日も、メールを書いている私の横でいきなり両腕を交差させてボソッと「抱っこしたい。。。」「え?」と聞く私に「チョコを抱っこしたいなぁ~」と夫。なんだ。。。私を抱っこしたいのかと思った。。。。まさかね。。。
2004/04/13
以前、日本にある某国の大使館に勤務していたことがありました。仮にA国大使館とします。ある時、A国からの留学生B君がビザが切れているのに日本に延長滞在し、その上喧嘩をして日本の警察に逮捕されてしまいました。A国から彼の両親が別々の便ですっ飛んできました。その頃A国は紛争が起こっており、自爆テロのニュースがひっきりなしに報道されていました。又、その数ヶ月前にはアメリカで航空機を使ったテロがあったばかりでした。だから夫婦一緒に飛行機に乗って、もしもの事があった時のことを考え、どちらかが必ず息子を助けに行けるようにと、彼らは別々のフライトを取って来日したそうです。きっと相当の覚悟で飛行機に乗ったのでしょう。こういうケースは領事部という部署が管轄しており、私は部署が違ったので詳しい話は知らないのですが、両親は、息子を釈放するために親戚に頭を下げて借金をしてきたそうです。親戚には息子の不祥事を何と説明したのでしょうか。勇気のいることだったでしょう。日本に着くと直ぐ、息子の身元引受人になるため大使館にお願いして通訳を雇ってもらい、留置所、裁判所へ出向き保釈金を払ったりしたそうです。手続きには公的機関発行の書類が必要です。これも大使館の仕事のひとつらしいのですが、その両親は領事部の外交官に「公務の邪魔をして非常に申し訳ないのですが」と頭を下げて書類政策を頼んだそうです。急な訪日で、きっと高い航空券を購入してきたことでしょう。東京での滞在にもお金が掛かった事でしょう。父親は息子の為に何週間も仕事を休む羽目になったことでしょう。B君は当然の事ながらA国へ強制送還。両親もまた別々のフライトでA国へ帰って行きました。この一軒を、「家族愛」と賞賛した人もいれば、「成人した息子に対して過保護過ぎる、自己責任で、本人に刑期を終えさせるべきだった。子離れ出来ていない親だ」と批判する人もありました。実は私も「ちょっと甘やかし過ぎなのでは」と思ったくちでした。ただB君がA国に帰ってから、お父さんお母さんに感謝してくれるといいな。心配かけた友人、お金を貸してくれた親戚にお礼とお詫びが言えるといいな。そして激務の合間に留置所を訪問してくれたり、釈放のために全力を尽くしてくれた大使館の外交官達に礼状のカードでも一通出してくれればいいなと思いました。間違っても「A国政府は対応が遅かった」なんて批判はして欲しくないな、と思いました。そして、B君の周りの人が「おまえみたいな恥さらし、日本で喧嘩した時に殴り殺されれば良かったんだ」なんて恐ろしい事を言わないでくれればいいなと。。。そして今、イラクのこの一連の報道を、同じく大切な家族の身を案じる北朝鮮拉致被害者のご家族はどんな気持ちで見ていらっしゃるのだろうと非常に複雑な気持ちです。
2004/04/12
今日は「こんな事書いたら誤解されちゃうかな」と思いながら、それを覚悟の上でやわらかめに書きます。まずはこの度、イラクの邦人人質の解放が決まって私は日本人として本当に、本当に、ほっとしました。うちは経済的に余裕が無いので、日本の番組が見られるケーブルを引いておらず、日本の新聞もインターネットでのみ観覧しているだけです。だから知らないことが一杯なので、どなたかご存知の方がいたら、教えて欲しいことがあるのです。「奉仕活動」でイラクへ行ったあのお三方は、具体的にどのような奉仕活動を行うために渡航されたのでしょうか?医療や、灌漑や、建築など、復興に直接携わることの出来る特殊技術の専門知識を持っている方たちなのでしょうか?「自衛隊撤退」を目的に渡航したのであれば、実際現地で具体的にどのような活動で「撤退」を促していたのでしょうか?結果的に迷惑をかけてしまったにしろ、日本政府が勧告を出している国へ、身の危険も顧みずに出掛けていった彼らは勇敢だと思います。ただ、もっと身近なところに、もっと直接的に奉仕活動のできる対象はなかったのかな?グローバルな視点で活動を行うのは大変立派な事だと思います。でも、日本国籍を持つ者だったら、まずは日本国内に目を向けて、三宅島の復興や、被爆者への奉仕だって気になったはず。もっともっと身近に、親族のお年寄りの介護や、近くの障害者施設のお手伝いなど、すぐに力になれる、そんな奉仕活動もあったはず。メディアはイラクの事ばかり報道していますが、身近な国内にも沢山「手助け」が必要な人はいるのです。イラクに関しては日本は第三者です。アメリカとの外交や、国益のために、援助をせざるを得ない立場なのです。そこは、専門家や技術者に任せたほうが良かったのかもしれません。日本人だからこそ、日本が好きで、日本政府に期待して不満があって、だから政府を批判したい気持ちは分かります。でも、日本人なら、日本が好きなら、まずは自分の国内を満たして、それからその充実した日本を諸外国へアピールするというのはどうでしょう。自分が直接的に判断や力を下せる立場の人になるのも良いでしょう。そうすれば、日本の支援も受け入れられ易くなるかもしれません。外交もしやすくなるかもしれません。自分の手の届くところから、少しずつ、自分の国を自慢の国にしていきましょう。なんてことを長島なんかにいる私が言っても全く説得力に欠けます。。。ただ、これ以上、向こう見ずな行動をして危険な目に遭う日本人や、その家族を見たくない気持ちで一杯です。
2004/04/11
私には妹がいるのですが、その妹があまりにも「おバカ」いえ「大バカ」なので今日の日記のネタにします。身内の恥をさらします。。。妹は今ヴァージニア州の田舎町で介護師として働いています。性格は大っ変マイペースです。私と歳が離れており、去年までそのヴァージニア州の田舎町で大学生をしていました。在学中、福祉専攻で実習へ行くために車を所持していた妹のアパートへはいつも、同じ大学の日本人留学生たちからこんな留守番電話のメッセージが、「もしもし、まるこちゃん(妹の名)、ちょっとRideをお願いしたいので、帰ったら電話下さ~い」妹が、帰宅後電話を返すと「酒屋さんに連れて行って欲しいんだけど、今から迎えに来てもらえる?」迎えに行くと、女の子が4人待っているそうです。妹:「あ、まるこの車は4人乗りなんだよ」皆:「平気、平気。後ろに3人乗れるから」そして定員オーバーの車を運転し、酒屋さんへ連れて行くと、次はスーパーへ行って欲しいとのこと。スーパーへ連れて行くと、次は更にレンタルビデオ屋に連れて行って欲しいとのこと。そうして2時間ほど時間を拘束された後、皆を寮へ送り届けるらしいのです。で、皆はその夜、寮で「飲み会」があったそうです。私はその話を電話で聞いた時、妹に問いました、私:「で、あんたは飲み会には行ったわけ?」妹:「行かないよ、だって呼ばれて無いもん。 まるこはお酒も飲めないし」それって、それって、俗に言う「アッシー」じゃないの~?!妹:「それでね、まるこはペーパーが終わらなかったんだ」私:「はい?!だったら“ペーパーで忙しいから”って断れ~!」妹:「あ、そうか。。。じゃ次から断る。。。」こんなやり取りを、妹の在学中4年間、私は耳から煙を出しながらイライラと聞いていました。昨年からは、介護師の実習生のような形で働き出した妹なのですが、状況は全く変わらず。相変わらず留学生達の運転手をしているようです。往復6時間の空港までの送り迎えなども。あの田舎町で留学生が誰も車を買わないなんて、それはうちの妹が運転手をしているからに違いない、と私はにらんでいます。長期の休み中は、妹は自分のアパートを留学生の荷物置き場として提供していました。「まるこちゃん、ちょっと荷物置かせて」が一人だけなら別に問題はない、のですが。。。。夏に妹のアパートに行ったら、所狭しと、布団やらハンガーが詰まった紙袋やら、「冬服」とか書かれた段ボール箱やらが積み上げられており、私の寝る場所がな~い!私:「これ、あんた、倉庫代とか管理費とかはもらってるわけ?」妹:「あ、もらってない。。。」なんで、なんで、なんで、あんたはいつも都合のいいように使われてるんだ~!(耳から煙!耳から煙!耳から煙!)そんな妹が、来月でビザが切れるため帰国の準備を始めました。帰国にあたって荷物を処分しはじめた妹。すると、5月に卒業していく学生達から「まるこちゃん、今までお世話になったからこれ、もらって」と古本、衣類、フライパン、本棚、インスタント食品、布団、文房具、などなどの「お礼の品」が届けられ始めたそうです。。。あ、あんたの家は「廃品回収所」か~~!!「いらん!」と言え、いらんと!(耳から煙~~!!)先日も妹から電話が来ました。「メールしようとしたんだけど、コンピュータが使えなくなったから電話した」との事。「なんで壊れた?」と聞くと、以前、妹と同じ大学を卒業したお友達が「まるこちゃんも、もう帰国だから、その前に遊びに行ってもいい?」と連絡がきたそうです。妹:「もちろんいいよ、おいで」と言うと、友達:「お父さんと、友達も一緒なんだけど」とのこと。ガラクタであふれかえる妹のアパートに、妹の友達、その子の父上、そしてその子の友達の3人が泊まりに来たそうです。そして3人はその田舎町にある骨董品屋を巡り、彼らが近々オープンするお店の商品の買い付けをしに来たそうです。それは、それは、それは、もしかして、旅館として利用されたんじゃないのか~~!!(耳からすっごい煙~!)お友達は、泊めてくれたお礼にフリーズを繰り返す妹のコンピュータを直してくれようとしたのですが、なぜか起動すらできない状態になってしまったらしい。。。私:「べ、弁償してもらいなさい~!」妹:「あ、そうか。。。」GRRRRRRRRRRRRR!!!耳から煙出るぞ~!!!なんであんたはそんなにバカなんだ~!いい加減に学んでくれ~!もう姉は脳みそが沸騰して壊れそうだぞ~!学べ、学べ、いい加減に学べ~!
2004/04/10
先週末から預かっているミニチュア・ダックスフンドの「チョコ」、この子がいるおかげで、朝インターネットを見る時間が無くなった。インターネットも見たいんだけど、チョコも見ていたい。この子を見ていると本当に飽きない。出不精の私が、朝夕2回の散歩が楽しくて仕方ない。夕方の散歩では、近所の子供達も「Can I walk her?」と寄ってきてくれるのが嬉しい。短時間のお出掛けには、チョコも車に乗せて連れて行く。犬を助手席に乗せて運転するのが夢だった!チョコは、相手にされると千切れんばかりにシッポを振って喜ぶ姿がもう可愛くて仕方ない。顔を撫でると「ここもナデナデして~」とお腹を見せる姿はもう補身湯にして食べちゃいたい位可愛い。うちの夫は完全にヤラレちゃっていて、「帰るコール」の時、私が出掛けていたりすると、留守番電話に「もちもち~。チョコ~?チョ~コちゃんっ? 聞こえまちゅか~?今から帰りまちゅよ~」と寒~いメッセージが残っていたりする。。。「ただいま~」の後は、妻の私には目もくれず、「お~う、よちよち、いい子にしてまちたか~?」と帰宅するやいなや、床に寝っ転がってチョコのお腹をナデナデさする。。。チョコも大興奮で寝っ転がってシッポを振っている。飼い主さんに「出掛けるときはケージに入れて出掛けて下さい」と言われているので、「買い物行くから、チョコ、ハウス!」というと、ちゃ~んと自分からハウスに入る。なんでそんなにお利口さんなの~?!帰ってくると、鼻を「クークー」鳴らして待っている。ハウスから出してあげると、大興奮して一通りじゃれ付いた後、「実はワタシ我慢してたの。。。」と言いたげにおトイレでオシッコとウンチ。なんて健気なんでしょう~!「お~、いっぱい出たね、いい子ちゃんだね~」と私が片付けていると、夫は「お尻フキフキしようね~。ほら、フキフキ」と言って、紙でチョコのお尻をフキフキしている。。。夫はコンピュータを見るときも、「足がしびれちゃうなぁ」と言いながらも、チョコをひざの上に抱いて見ている。昼寝する時も、チョコをお腹の上に乗せて一緒に寝ている。今朝「チョコもあと3日で帰っちゃうね」と言ったら、夫は「だめ、返すのやめよう。お前、うちの子になるんだよ、ん?」と言って抱っこして顔をスリスリしていた。そのくせ、チョコを呼ぶ時、10回に1回は「おい、チャング!」と全然ちがう名前を呼ぶ。。。。「チャング(窓狗)」とは、夫が子供の頃、韓国で飼っていた犬の名前だそうだ。夫、ボケるにはまだちょっと早いぞ。。。
2004/04/08

今日はユダヤ教の「ペサハ」(英語ではpassover)という祭日です。日本語では「過ぎ越し祭」と呼ばれているものです。春のペサハ(過ぎ越し祭)は、夏のシャブオット(七週の祭り)、秋のスコット(仮庵祭)と並んで旧約聖書の3大祭りのひとつで、ユダヤ教の中では最も歴史のあるお祭りです。源は、ユダヤ人の奴隷時代の苦しみを思い出し、出エジプトを果たした記念に、神に感謝を捧げる日だそうです。なんで私がユダヤ教に詳しいのかと言うと。。。実は、夫の勤務している病院はユダヤ系の病院です。そして私は、独身時代ニューヨークのKewGardensというユダヤ人街に2年程住んでおり、アパートはシナゴーグ(ユダヤ教会)の裏。階上に住む同い年のユダヤ人奥さんと仲良しでした。おまけに、東京ではユダヤ人のボスの下で1年数ヶ月働いており、私達夫婦は何かとユダヤとは縁があるのです。そして今日、私達は夫の仕事仲間のアメリカ系ユダヤ人、マイク&バーバラ宅へpassover dinnerに招かれて行ってきました。実は私は、東京のJewish Comunity Centerにあるシナゴーグでユダヤ人の赤ちゃんの割礼式に招待されて行った事もあり、そこでは、日本のシンドラーと呼ばれている杉浦千畝氏の奥様ともお会いしています。ユダヤ人友人宅や、ボスの家でコーシャー(ユダヤ教の戒律に沿った食事)もご馳走になったこともあります。が、しかし、ペサハに招待されるのは夫も私も始めて。ペサハは家庭で祝うお祭りで、家族が集い、大切な来賓だけを招くのがしきたりだそうで、これに招待されるというのは、大変、大変、名誉なことなのです。二人共、いつもよりちょっと良い服を着て、キャンドルのお土産を用意して、出掛けました。マイク&バーバラの家では、彼らの家族と来賓、全員で10人がテーブルを囲みました。 去年の独立記念日にもこの家に招待されているので、顔見知りばかりが集まりました。ペサハの夕食は、ユダヤ教の伝統的な形式に則って、「ハガダー」という式次第(台本)に沿って進められます。テーブルの上には、「Seder Plate」と呼ばれるペサハ用の皿に乗せられた6つの食品が置かれています。ここからは、式次第にそって簡単に説明します。[ ]内は英語ではなく、ヘブライ語をアルファベットで表したものです。1.[Kaddesh・聖別]まず始めにマイクが式次第を読み、祈りの言葉「BAW-RUCH A-TAW A-DO-NOI ELO-HAY-NY ME-LECH HAW-O-LAWM BO-RAY P'REE HA-GAW-FEN」を皆が声をそろえて唱え、皆がワインを一口飲みます。2.[Urechatz・手を洗う]バーバラが式次第の続きを読み、それに従い皆がボウルの水を廻し、それぞれが手を洗います。3.[Karpas・野菜]来賓の一人が式次第を読み、皆が祈りの言葉を唱え、それぞれがパセリを塩水に浸して食べます。このパセリ(苦い野菜)は奴隷時代の苦しみの象徴で、塩水は奴隷だったユダヤ人の涙を象徴しています。4.[Yachatz・パンを割く]ここで、私が式次第を読みました。内容は「テーブルに置かれた3つのMatzo(ペサハで食べるコーシャーの種無しパンと呼ばれるもの)の内ひとつを割り、片割れを元に戻し、もう片方をseder plateの横に置く」というものでした。5.[Maggid・物語]バーバラの息子(37歳)が式次第を読みます。ここは物語です。そのお話の中には4つの質問が問われています。ここで、その場にいる最年少の者がこの質問に答える(といっても答えも式次第に書かれています)のですが、今日はあいにく私が最年少だったので、ここでも私の出番でした。物語の後には又、皆で祈りの言葉を唱えます。6.[Rachtzah・手を洗う]うちの夫が式次第を読みました。2度目の手を洗う儀式について書かれていました。そして皆で又先程同様に手を洗い、祈りの言葉を唱えます。7.[Motzi・パンへの祈り]バーバラの息子の妻が式次第を読みます。皆でmatzo(種無しパン)を二つ手に取り、祈りの言葉を唱えます。8.[Motzi・パンへの祈り]来賓の一人(今日、彼はここで唯一のクリスチャンでした)が式次第を読みます。皆で手に持ったmatzoを食べ、祈りの言葉を唱えます。9.[Maror・パンへの祈り]来賓の一人が式次第を読み、ここでSeder Plateに置かれた6つの食品の中のひとつ「苦いハーブ」(ここではホースラディッシュ)を皆で食べます。そして祈りの言葉を唱えます。10.[Korech・間に挟む]来賓の一人が式次第を読みます。皆でmatzo 2枚の間にホースラディッシュを挟んで食べます。11.[Shulchan Orech]マイクが式次第を読みます。ここでやっと食事らしい食事が始まります。matzoを練り固めたボールが入ったスープに始まり、神の手を意味する骨付きの肉、奴隷時代のレンガ作りを意味するリンゴとくるみとシナモンとワインの和え物等を食べます。 食事の後も12.[Tzafun・隠された物]13.[Barech・食後の感謝の祈り]14.[Hallel・賛美]15.[Nirtzah・最後の祈り]と儀式は続くのですが、文字制限があるので、今日はこの辺までにしておきます。
2004/04/06
ソウルにいる夫の兄からメールが来ました。私の読みが正しければ、4月5日は「한식(ハンシク)」という「식목일植樹祭」があって、親族が大勢お墓に集まったよ。という内容が書いてありました。へぇ~、そんなイベントもあるんだ、韓国って。これが夫の言っていた「お墓に樹を植える儀式」ってやつだろうか。ホント、私は知らないことばっかりだ。しかし、韓国のご先祖様は幸せ者だ。年に何度もこういう先祖供養のイベントがあって。4代だか5代前までご先祖の誕生日を、毎年祝う。→祖先崇拝儀式(祭祀=チェサ)というらしい。旧正月と秋夕にもご先祖を祀る。→先祖供養儀式(茶礼=チャレ)というらしい。そんでもってこんな「植樹祭」なんて物もあったなんて。祭祀や茶礼では、3日位前から家の女衆はお供え物の準備で、てんてこ舞いだそうです。「女の人は、祭祀や茶礼の度に病気になる」と夫は言ってました。それくらいの重労働だそうです。私が韓国語を習っていた韓国人の金某先生二ムは、「韓国人は"死んだ人のために生きている"ようなもんですよ、わっはっは。」とおっしゃっていた。この「植樹祭」でもオモニム(義母)やヒョン二ム(義兄嫁)は3日前からお供え物をこしらえたりしたのかな。こういう時、私みたいな海外に住む嫁は、何をしたらいいのかな?ソウルへの里帰りまであと10日、言葉も習慣も分からないこんな嫁を夫の家族は、また暖かく迎えてくれるんだろうな。。。っていうか、ソウルの私の家族~、お土産は何がいいの~?!
2004/04/05
夕べからDaylight Saving Time、いわゆる夏時間が始まって時計が1時間進んだ。楽天の中で「夏時間」の事を書いている人が多いので私はとても安心しました。なぜかって?だって、普通の生活の中で「夏時間」ってあまり話題に上らないと思いませんか?職場でも、大学でも、ご近所同士でも、テレビやラジオでも、カレンダーにも書かれていない!もしかして、Daylight Saving Time の話をするのはアメリカでは「野暮」なことなのでしょうか?ニュース番組なんかで、もっともっと頻繁に話題にしてもいいんじゃないか、というかするべきなんじゃないかと思うのですが、だいたい どのキャスターを見ても、サラッと最後に一言「明日から夏時間ですね、それでは」と言うのしか聞いたことがない。おかげで私は一度、すっかり夏時間の事を忘れていて仕事に1時間遅刻したことがある。。。だって、誰もそんな話してなかった!(←人のせい)前日一緒に働いていた皆は、誰一人として「時計の針を進める」なんて話をしていなかったのに皆は翌日ちゃんと「シレ~」っと夏時間で出勤していて、これはスゴイ!と思った。皆、口には出さなくても、夏時間のこと考えていたでしょう?前の日はちょっとドキドキしてたでしょう?体内時計のリズムが狂うでしょ?本当は夏時間について語りたいんでしょう?スーパーなんかでも「夏時間始まる!」って大きな垂れ幕下げたりしてもいい位なのに。上空からヘリコプターで「夏時間開始です~!」と呼びかけてもいいと思うのに。どうして皆「夏時間」の話題を避けているの~?!もっと「夏時間」を話題にしようよ、アメリカ!恥ずかしくないよ、アメリカ!「明日から1時間損しちゃうね、時計直すの忘れないようにしようね」って声を掛け合おうよ、アメリカ!
2004/04/04

今日から10日間ほど、ご近所のミニチュア・ダックスフンドのチョコちゃんをドギーシッターします。↑あまりの可愛さに、夫は自分のそばから離そうとしません。チョコはもうすぐ5歳という人間の歳ならば「熟女」なのですが、夫がチョコに話しかける口調は「どうちまちたか~?」状態で、すっかりヤラレちゃってます。「吠えたらちゃんと叱って下さい」と飼い主さんから言いつかっているので、チョコが「ワン」と言うたびに「ワンはダメ!ニャーでしょっ!」と言い聞かせています。ご飯を出しても「ヨシ」と言われるまでじ~っとお座りして、唾を飲みながら待ってます。試しに「待て、待て、待て~。。。。そして"ヨシ"と言ったら食べてもいいけど、まだ待て!」とフェイントをかけてみたら、一瞬、前につんのめっていましたが、ちゃんと待ってました。本当に可愛いです。今は夫と一緒にカウチでお昼寝しています。「おい、イタズラしたら犬鍋にして食べるじょ。お前のサイズじゃ、一人前ランチってところだな、ふふ。」と夫に脅されているので、とてもいい子に隣で寝んねしています。夫が本当に犬を食べる人種だという事をよ~く分かっているようです。(補身湯の写真を見る)本当にお利口さんです。今日一日で、早くも100枚近くチョコの写真を撮っていました。これから10日間、チョコのいる生活、夫を観察するのが楽しみです。
2004/04/03
今日は朝一番で婦人科にチェックアップに行って来た。待合室でバッタリ会ったのは、ここの先生を紹介してくれた、家の階下に住んでる奥さん。「おお~、偶然~!」とお互い言って一緒に書類に書き込みをしながら喋ってました。ああ、退屈せずにすんで良かった!それにしても、同じ時間に、同じ先生の予約を取って同じ家からここまで来たなんて、本当に偶然~。彼女と私は誕生日も2週間違い。でも、彼女は1歳の息子がいる。私にはまだいない。前にも一度書きましたが、うちはなかなか授からない夫婦なのです。(前の日記はこちら)そして彼女は、なんと、二人目が出来たらしい!まだ4週間目だって。いいな~!早くもつわりで「Oh~、気持ちワル~。。」と言ってゲップをしているので、あわてて飴玉をあげた。彼女は二人目が出来たのに、なんで私は出来ないんだろ~、とちょっと又落ち込みモードに入っていたけれど、診察が終わる頃には、ドクターの優しい言葉に勇気付けられて元気になって帰ってきました。頑張るぞ~、頑張るぞ~!ちなみに、ドクターはうちの夫が働いているIVFのドクターのお友達だということが発覚。(夫は不妊治療科で働いてます)偶然が重なる日だわ。。。そして「今度HSG(卵管が詰まってないか検査)の時はここがいいよ」とそのIVFのドクターを紹介されてしまいました。彼がこの辺で一番の不妊治療ドクターなのは良く知っているけれど、夫と同じ職場の既に顔見知りの先生に掛かるのはちょっと気恥ずかしくて、わざわざ階下の奥さんにここを紹介してもらって来たのに。。。う~ん。。。困ってしまいました。今日は、非公開日記に書くような内容だったのですが、今日は階下の奥さんの二人目妊娠が発覚して私のモティベーションもさらに高まったのでちょっとこっちに書いてみました。
2004/04/01
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