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今年も残すところあと2時間となりました。(長島時刻)今年はHPを開設し、沢山の方々にお世話になりました。皆様 どうもありがとうございました。さて、今日は明日のおせちの準備で私は昼から夜8時まで お勝手に立ちっぱなし。こ、腰がものすごく痛い。。。なんでこんなに時間がかかるんだろ、私。栗の甘露煮が高くて買えなかったので生栗を買ってきて皮むいて自分で甘露煮なんかしたからでしょうか。しかし、やっててほんの数ドルをケチった自分がアホらしくなりました。この手間代のほうがず~っとお高いような気がするぅ(涙)。おせちの用意がなんとか終わったので先程 夫と年越しそばを食べました。「今年一年お世話様」とお互い頭を下げました。ソウルと東京の家族にも電話。あちらはもう年が明けてます。皆元気そうで何より。病気をする事もなく、今年もいい一年でした。ありがたい、ありがたい。2005年も良い年でありますように。と締めくくろうと思ったら。。。夫が台所でマンドゥ マンドゥルギ(餃子作り)を始めました。(韓国は新年に餃子を食べます)去年は100個以上作ったけど、もしや今年も?ううう。。。まだ一仕事 残っていたか。。。
2004/12/31

実は12/25の夜、月暈(つきかさ)を見ました。月暈(つきかさ)とは、冷たい空気が上空の水蒸気を氷の結晶にし薄い雲(巻層雲)を作った時、その氷の粒で出来た薄い雲に反射した月の光が月の周りに大きな光の輪を作る現象です。私は月食や、日食、矢のように降る流れ星は勿論、二重の虹や、円形の虹も見たことあるんですよ~。いつもぼけ~っと口あけて、上向いて歩いてるのがコツです!さて、こんなに はっきりした月暈ならうちのへっぽこデジカメでも写真に写るだろうと思って夫に撮影させましたが残念。。。月の直径×7位の位置にうっすら白いリングが見えますか?(大きすぎて全体像は撮れず)肉眼だと白い光の輪がぼやっと、だけどしっかり見えたんだけどなぁ。夫は「スゴイ!クリスマスの夜だからかな?」と都合のいい時だけロマンチックにクリスマス気分に浸りながらも「これは何かありそうだね」と言っていたら翌日「津波」のニュースでした。ちなみに月暈と津波には何の地質学、天体学上の関係は無いと思います。私はミクロネシアのポンペイに「マリアねーさん」という大学時代の友人がいます。卒業以来、連絡を取っていないけど。ミクロネシアは東側だから被害は無いのかな?でも心配。ミクロネシアは戦時中日本兵が上陸していたため「マリアねーさん」の祖母は日本語が出来るらしくマリアねーさん自信も「I am one year older than you,so call me “Mariaねーさん”」と言ってた位の日本語を知っていました。同じ留学生同士で、同じ教育学部で、しかも学費の補助を受けてる者同士(お恥ずかしい話、日本人留学生で学費補助を 受けてたのは私だけ~)妙に連帯感があったんです。卒業後ポンペイに帰って地元の学校の先生になったマリアねーさん。やせっぽっちのマリアねーさん。11人家族のマリアねーさん。うううう、心配~。。。今年一年を振り返ってみますと(←ちょっと皇室の人っぽいですが)日本では、夏の猛暑、集中豪雨、台風、浅間山の噴火、新潟の地震、アメリカでは巨大ハリケーンが猛威を振るいました。もう終わりだろうと思った矢先、今年も残り一週間という時にスマトラ島でこの地震と津波。自分や身内の者が直接被害を受けなかったのでこんな事が言えるのかもしれませんが、つくづく大自然の脅威を思い知らされた年だったような気がします。今日 実家の父親から夫宛てにきたメールで知ったのですが日本では 毎年その一年間を漢字一字であらわすのが近年習慣化してきたそうで、 今年の漢字はズバリ「災」の字だそうです。う~ん、納得。
2004/12/29
夫の誕生日でした。といっても、12/26が誕生日な訳ではありません。夫の誕生日は旧暦の11月15日で今日(西暦12/26)がその日だったのでお祝いしました。でも、夫本人はすっかり忘れており夫が仕事から帰るコールをした時に 私が「あ、そういえばセンイル チュッカ~!」と言ったら「えええ?!今日 僕の誕生日なの?ちょっと、カレンダーに☆印とかつけておいてよ~」と怒られました。。。(なんでよ~?)本人すら忘れてしまう旧暦の誕生日ですが韓国ではまだお正月やお盆も旧暦で日取られ実生活は西暦で過ごしてと、西暦(陽暦)と旧暦(陰暦)が共存しているのです。食事は一応、韓国のお誕生日では定番の「ミヨックク(わかめスープ)」をこれはMustだと思って作りました。私は日本で誕生日の時は「ちらし寿司」が定番だったので、夫にも「鮭寿司」を作ってあげました。以上です。。。あ、ケーキも焼いてあげました。せっかく写真撮ったのに、「ろうそくの数で年がバレるから載せないで」と言われました。。。ちなみに年齢は「数え年」でお祝いします。プレゼントは、夫の破れたズボンの生地でカメラケースを縫ってあげました。なんだかうちって貧しいなぁ。丁度 日曜日だったので、韓国のシオモニ(義母)に電話をしました(うちは週末が安否電話の日)。実は去年夫の誕生日に私がミヨッククを作らなかったらシオモニに「アイグ。。。」と言われたので「今年はミヨックク作りましたよ~。 でもって鮭寿司も作って、それから ケーキも焼いたんですよ~」とアピールしておきました。ふふふ、安心してくれたかな?
2004/12/26

夫が10年以上お世話になっている日本人ファミリーのお宅へパーティに呼ばれて行って来ました。実はこのお宅、このHPに書き込んで下さる「日本通サルバドリアンの妻さん」のご実家です。このお宅のパーティーは、口で説明しても説明しきれないので、百聞は一見にしかずまずは写真をご覧下さい。注)空腹時のご観覧には十分ご注意下さい。満腹の皆さんこんにちは。それでは参ります。↓ガーリックブレッド↓ビール各種↓バー↓おつまみ&スナックコーナ↓クランベリージュースのサングリア↓チコリのイクラとカテージチーズのせ↓生ハム&メロン↓テリーヌ2種 ↓ウィンナー↓ウィンナー↓スモークドサーモン↓シーフードマリネ↓イカのサラダ↓チキン、リンゴ、じゃがいも、ニンジン、 タマネギの オーブン焼き↓ザリガニのケイジュン風味↓ラム肉の オリーブ&アプリコットソース↓グリルドサーモン↓七面鳥の燻製↓ミートローフ↓ポークヒレのデミグラ、リンゴ、プルーン煮↓サラダライス↓前菜の乗ったテーブルアップの写真は無いけど↑の写真にオリーブ、パテ、シュリンプカクテル、サラダホワイトフィッシュの燻製も見えますか?前菜の後は、ウナギや、山菜炊き込みご飯も戴きました。満腹過ぎて写真撮れませんでした。写真に撮れなかったお料理は他にもあるはず。デザートには、ケーキ、シュークリーム、コーヒー、和菓子各種もありましたが私は、もう一口も入りませんでした。。。招待客は毎回40人くらい、これだけの品をどうやって料理するんだろ。次は前々日位から密着取材したいです。いつも本当にご馳走様です!あ~、とっても幸せだった。。。
2004/12/25

朝、日本からお届け物が届きました。おうじさん からのキリプレ(←この単語使うのとっても抵抗あるわ~、ワタシも年だわ。。。)でした。プレゼント プラス「シーチキンとろ」という缶詰を頂いたのですが、これ、マグロのとろ身なんです。期間限定品なんですって。それを2缶も。ううう~、勿体無くて食べられない。。。。おうじさん、貴重な品をありがとうございます!うちも大家や階下のお宅へ お歳暮を(あくまでもクリスマスプレゼントと言わない夫)渡しに行きました。 夫よ、「メリークリスマス」位言ってもバチ当たらないと思うよ。。。私もキリスト教徒じゃないけど、アメリカの「年中行事」として割り切ってるけどね。。。お昼ごはんは、もらい物の「レストランGift Certificate」で外食しました。うちが韓国食堂以外で外食するのは非常に稀なんです。アイリッシュ・アメリカン・レストランに行ったら、店内がガランとしてる。おお、そうか 今日は世間はクリスマスイブなんだ!日本の正月同様、皆 家族と家で過ごしているのよね。食べた料理は↓じゃがいものクリームスープ↓キャサデラ(手前)鶏の唐揚げ(奥)タダでこんなにご馳走食べていいのかしら。。。夜は、うちの近所の「金持ち村」に家々のイルミネーションを見に行きました。が、「金持ち村」にはギンギラギンに光ってる家はありませんでした、がっかり。。。数件だけ、上品に家の中のツリーが外から見えるように、カーテンを引いてない家があっただけ。あとは全く飾り付けてない家がほとんど。「寂しいねぇ」「やっぱり金持ちは違うね」と夫と話していましたが、よく考えたらこの「金持ち村」は「ジューイッシュ(ユダヤ人)村」でした。そりゃ飾らないはずだわ。全く何しに行ったんだか。。。やっぱりうちの近所の家々がスゴイ。。。あ~、全体像をお見せできないのがホント残念!しかし この光ってるお人形さん達、オフシーズンの間は何処にしまっておくんだろ?今テレビで サンピエトロ寺院にてローマ法王のヨハネ・パウロ2世によるクリスマスミサの様子が中継されています。もうすっかりおじいちゃんで、よぼよぼモゴモゴと一生懸命聖典を読んでいます。ローマ法王頑張って!テレビでは同時通訳氏が 英語に訳してますが聞き取るの大変そう。。。通訳さんも頑張って~!
2004/12/24

うちのはす向かいのお宅がものすごい事になってます。全体像をカメラに収められないのが残念。全体像をご覧になりたい方是非、長島までお越し下さい。写真にもチラッと写ってますけど長島は今、雪が積もってるんですよ。日曜日(12/19)の夜に降った雪がまだ残ってます。ちなみに長島の初雪は先月11/13でした。********************先日 陶芸作品の写真を載せたら嬉しいコメントを沢山戴いたので調子に乗って今日もまた小出しにお披露目します。ご笑覧下さいませ。捨てる決心も鈍り、結局破棄出来たのは1作品だけ。。。濃茶入 1997年(高さ6センチ)蓋付小鉢 1997年(高さ8センチ)一輪挿し 1997年(高さ9センチ)水差 1997年(高さ14センチ)
2004/12/22

野口英世を何故か夏目漱石と書いていたので訂正しました(恥)。。。それじゃ新札じゃないじゃん!通りすがりのbooさんご指摘本当にありがとうです!遅ればせながら「新札」を見ました。実家から送られてきて、はじめ「お小遣い」かと思った。なんで1万6千円なんて半端な金額なのよ?と思ったら、千円札と五千円札が新札でした。 夏目漱石 野口英世と樋口一葉、なんだか「子供銀行」みたいでかわいい。昔、4年振りに日本に帰国した時があって久々に見る日本のお金を「おもちゃみたいでダサいよ~」と感じたのを思い出しました。当時は「やや日本嫌い」だった私。今はこの「子供銀行」みたいなお札が可愛い。1年振りの実家からの荷物は夫と私が贈ったお歳暮のお礼だそうです。去年はお金が無くて夫の職場からもらったチョコレートを「船便」で送ったのですが今年はそれらしいものが「航空便」で送れたのでお礼の品も豪華な気がする。なんてったって「新札」入りだし。今日はクリスマスプレゼントの梱包をしました。うちは夫婦揃って買い物が苦手なのでクリスマスショッピングをせず日本や韓国に帰省の際に細々したものを買い溜めておきプレゼントしています。これが結構 喜ばれます。手前がout-going(あげる)presentsで向こう側がin-coming(もらった)presents。 ちなみに、このプレゼントの山は「第2弾目」です。今月頭に、遠方のホストファミリーや大学時代にお世話になった人々には既に送付済みなので、よく考えたら毎年毎年、たいそうな量を贈り合ってます。24日と25日にはまた「第3段目」のプレゼントの山ができるはず。ところで、「なんでツリーの下にプレゼントを置かないの?」と思いました?ふっふっふ。。。何を隠そう、うちにはツリーが無いんですわ。夫も私もツリーの無い家庭に育ったため特に買おうと思ったことがないんです。夫はお父さんが「キリスト教徒じゃないからクリスマスプレゼントも無かった」らしい。私の実家はただ単に余裕が無かった(涙)。うちの両親がカレンダーを6枚張り合わせて裏の白紙面に絵の具でツリーの絵を描いてふすまに貼ってました(爆)。そこに折り紙で作ったオーナメントを貼り付けてその絵の前で毎年写真とってたもんね、ははは。。。
2004/12/21

昨日載せた陶芸作品「捨てるの勿体無い、欲しい」と言って下さった皆さん、どうもありがとうございます~。でもね、写真に写ると立派に見えるんですけどね実際は本当にショボイんですよ~(涙)。陶芸されたことのある方ならご存知かと思いますがヘタクソ素人の作品って、底が厚くて重いんですわ。私のがまさにソレ、ははは。。。重いし、実用性も無いしで人様に差し上げられた代物じゃないんですけど皆さんの書き込みと~っても嬉しかったです~(感涙)。メール下さった方々もありがとうございます~。後日また写真をUPしますのでご笑覧下さい。************************さて、本日はまたいつものパン先生宅へお邪魔して来ました。今日は基本の生地で「クリスマスパン」を教わりました。左のリース形は一緒に行った Cicciさん作で右のツリー形は私作。あ~、かわいい~!!!(自分で言うのもなんですが。。)ツリーの丸いパンは夫の好物「あんぱん」にしました。あとから「ひとつだけハズレを作れば良かったね」と先生。それ面白い!次回は是非「ハズレ付き」で作ろう。ハズレはやっぱり「からし入り」がいいね。毎回ご好意で教えて頂いて(材料費すらもらってくれないよ!)豪華ランチもご馳走してくれて本当に本当にありがとうです!日本のパンってやっぱりいいわ~とうっとりしていたら、学校から帰宅した先生んちの坊主が、私のツリーパンを見てニコニコしながら「コレ亀?」って言った。ムッ。。。。ツリーなんですけど。。。亀に見えるか、おい!?うちの夫も「亀の集合体に見える」と言った。食べさせてやらないぞ。。。************************過去のパン作りおかずパンお好み焼きパン&あんぱん中華まんアップルロール
2004/12/20

ちょっとづつ写真を載せます。濃茶入 1998年(高さ6センチ)濃茶入 1998年(高さ7センチ)ティーポット 1996年(高さ16センチ)ペアマグ 1997年(高さ7センチ)
2004/12/19

学生時代に作った陶芸作品を引越しの度に持ち歩いているのですがプチプチのバブルラップに巻かれたまま箱から出した試しがなく太平洋を何度も横断しているだけなので思い切って捨ててしまおう!と決めました。物置の一番奥から陶芸作品の入ったダンボールを出しました。「捨てる前に写真撮って」と夫に頼んで開かずのダンボールだった箱を開けました。が~ん。。。いきなり割れてるよぉ~(涙)。へったくそな素人の作品でお恥ずかしいけど捨てられる前に一枚載せます。ま、割れてるおかげで潔く捨てられるけれど。。。かろうじて割れていない作品たちも夫は写真撮りながら「捨てなくていいよ、飾ろうよ、ね、ね」と優しい言葉をかけてくれるのはいいんですけどどこに飾るのよ、ん?うちに飾るスペースなんてあるの?!あなたの 自称骨董品な分銅式体重計とか釣り道具とか、開いたところを一度も見たこと無い分厚い生物学の本たちをどうにかしてよ~。陶芸作品、私は造型の才能がお世辞にもあるとは言えないので、本当にショボイのばっかりなのですが、思い出の品々なので 近々HPのどこかに写真公開します。決めた!ものすごい自己満足サイトになりますがそのうち油絵も日本から送り返して作品公開します!
2004/12/18
数週間前、このHPの私書箱に日本の某テレビ局ディレクターを名乗る方から大変丁寧なお手紙が来ました。ドキュメント番組の取材依頼もしくは取材対象になる人の紹介依頼がとっても礼儀正しい言葉遣いで書かれていました。でも 返信しませんでした、ごめんなさい。だって。。。なんでメジャーテレビ局、メジャー番組のディレクターさんが「hotmailアカウント」でメールをくれたのでしょうか?そして、言葉遣いはとても丁寧で 好感度抜群なんですけど、所々おかしな文章のミスが。 例えば、「もし取材者様をご紹介いただき、取材可能の 運びとなりましたら薄謝も考えております。」(引用)これって「被取材者様」の間違いですよね?「取材者」はあなた自身でしょうよ~(笑)!ドキュメンタリー番組のディレクターさんが間違えるなんてヘンですよ、ヘン!おまけに「薄謝も考えております」。。。う~ん。。。。「薄礼」を「考えて」いるんですね。その番組のHPを探して見てみたら番組ディレクターの名前も出ていたのですが別の方のお名前でした。でも、いたずらじゃなくてもし本当のディレクターさんだったらゴメンナサイ。もし、これを読んで下さったらちゃんと会社のドメインのメールアドレスでメールを頂けますか?そうしたら、すごいストーリを持つ人をご紹介できますよ~!宜しくお願いします~!
2004/12/15
昔の仕事仲間に会って来ました。専業主婦になった私に彼女は「kangちゃんって、毎日何してるの?」私:「う~ん 別に何も。」でも「毎日楽しく主婦してるよ」って答えれば良かった!私は仕事を辞めてもう1年9ヶ月経つのですが未だに「kangが専業主婦してるなんて信じられない!」という人が沢山います。ちなみに主婦になってから知り合った人達は「kangちゃんが社会人だったなんて想像できない」らしい(笑)。私も仕事をしていた頃は、自分が専業主婦になるなんて絶対に想像出来なかったけど、実際なってしまうと全~然、問題無し。毎日とっても楽しい。何があんなに不安だったのか思い出せない位。本当に何でだろう。。。私って順応性があるんだろうな。アメリカに住み始める前、西海岸にばかり遊びに行っていた私は「住むなら絶対、温暖な西海岸。 寒い東海岸なんて絶対考えられな~い」と思っていました。が、大学は東海岸のヴァージニア州に入学し冬は太ももまで積もる雪と、美しい季節の移り変わりを肌で感じワクワクしながらアッという間に4年間が過ぎてしまった。あ~、本当に美しい所だった~!ヴァージニア州は山脈地帯で、高い山々に囲まれたそれはそれは美しい州でした。オレンジ色の夕陽と、青いアパラチア山脈に鳥の群れが越えてゆく雄大な景色を毎日見て過ごしていた頃「あ~、山の無い土地になんて絶対に住めないわ。 絶対ヴァージニアが一番」と強く思っていました。が、現在住んでいる「長島」には山がありません。しかし「長島便り」ってHPを作ってしまった位私は長島が大好き。長島以外の土地に住むなんて考えられな~い。四方を海に囲まれて、日本の食材も簡単に手に入って都心にも日帰りで行かれて、親切な隣人達にも恵まれて。あ~、ホントいい所だわ。そして、最近思うようになったんですけど確かに子供は欲しいけど、もしかしたら子供の居ない人生も実はそれなりに楽しくやっていけるのかも。もし、このまま赤ちゃんが出来なくても私の周りには可愛い子持ちの知人が沢~山いるしあの子たちの成長を一緒に見守らせてもらえればそれで十分かも。まだまだ望みは捨てていないけどそういう道もありえるなぁ、あっても私別に大丈夫だなぁと思える今日この頃です。良く言えば「順応性がある」んでしょうがつまりは「向上心が無い」んだろうなぁ、ワタシ。。。ある知人は「現状に満足してしまっているようでは 人生の可能性を諦めているも同じ。 向上したいから、常にそれ以上のものを追いかけてる」と言っていました。彼女に読まれたら叱られそうな日記だなぁ。。。又まいくさんには「ポリアンナ」って言われるかなぁ(笑)。
2004/12/14

先日、実に1年振りにマンハッタンへ行って来ました。そう、実は私「ニューヨーク」に住んでいたんですわ。このHPはニューヨークチックな記述が皆無なんですけど実は皆さん、ここ「長島」はニューヨークの郊外なんですよ~。さて、マンハッタンへは永住権の手続きのために行って来たのですが、お役所の入り口でお約束のセキュリティー・チェックを受けました。しかし、あの係員達は どうしてあんなに無礼で横柄なんでしょうね。もぉ~、ホントひどかった!前の人に続いて金属探知機をくぐろうとした男性に対して「Step back !(さがれ!)」手荷物検査を終えて脱いだコートを再び羽織るためほんの一瞬 歩みが止まった女性に対して「No standing, Move ! (立ち止まるな、進め!)」手に持って使う金属探知機(スキャナー)を持って「両足を開いて」という英語が分からなかった男性に対して「Do as I said!(言った通りにしろ!)」はい?ここはミリタリーの訓練所ですか?あなた達はそんなに偉いの?「あらあら、You forgot a magic word~♪(魔法の言葉(please)を忘れてるわよ~♪)」とよっぽど言ってあげようかと思いました。ちなみに同じく横柄で名高い米国の各国際空港入国審査前で「次、5番カウンターへ!」「外国人はあっち!」と言っている係員達、彼らもかなり おごり高ぶってますよねぇ。上記の彼らに共通して言える事はHigh school のdegree を持っている条件とドラッグ検査(尿検査)にパスした条件のみで「Officer」と名のつく職業についてしまってなんだか急に自分が偉くなったような気がして身の程を履き違えてしまっている事でしょう。実際、本当の意味でEducatedな人は、おごらずとも相手が自然に言う事を聞く術を心得ています。相手の心に響く言葉使いを知っているのです。そしてなにより言動に余裕があります。もう、あの哀れな「横柄くん達」を見ていると気の毒で、気の毒で。おごった態度を取ることで「自分はお前達より立場が上でエライんだ」とアピールしているつもりが、実際は「自分はUneducatedです」と恥をさらして逆効果になっているのを気付いていないんでしょうねぇ。あ~、お気の毒。昔、銀行であまりにもケンカ腰な行員がいて私、何かあなたに悪いことでもしたかしら?と思ったのですが、他のお客に対しても同じ態度なので思わず私「Are you having a bad day?(今日は何か悪いことでもありました?)」って聞いてしまいました。「what?(はっ?)」って聞き返されたので「I’m just so sorry for you(いやぁ、あまりにもあなたがお気の毒でねぇ)」と言って帰って来ました。ここで無視できないところが私も未熟者です。。。そういえば、私の前職の肩書きも日本語にすると「○○公使付 秘書官」でした。この場合も同様、公人であるMinisterの秘書というだけでなぜか肩書きに「官(officer)」がついていたのです。名刺だけ見ると妙に立派なのですが、実際の私は田舎の女子大を出た、いわゆる普通の「会社員」でした。いかに肩書きにふさわしい人格者に見られるか何を一番努力したかって、それはやっぱりおごらず、礼儀正しく、言動に余裕をもって振舞う事でした。努力しちゃう位ですから私もまだまだ半人前で小心者です。しかし、真に教養のある人というのは努力せずとも、腰が低く、礼儀正しく、常に言動に余裕があるんですよねぇ。「成るほどに頭(こうべ)を垂れる稲穂かな」こんな歌がありました。「能ある鷹は爪を隠す」こんな格言もありました。久々のマンハッタンで、いい反面教師に遭遇できてちょっとラッキー。そして「マニュアル通り」と批判されがちだけどやっぱり日本の接客態度のレベルの高さに改めて誇りを感じてしまった一日でした。ま、日本のお役所にも、真の教養とLifeが無い気の毒な「横柄くん」はいるのでしょうが。おまけついでにメトロポリタン美術館へ行って来ました。ここのメインフロアのarmorコーナーに畏れ多くも わが国 室町幕府初代将軍「足利尊氏公」の鎧兜が「ポツン」と常設展示されているのをご存知ですか? これ↓です。暗くてピンボケですみません。しかもこの日は「かぶと」が定期点検のため展示されておらず「よろい」だけ。。。西暦1300年代、日本列島が県境ではなく国境で区分されていた時代に、馬を走らせ刀を挿したあの足利尊氏の身につけた鎧が、あの人の返り血もそしてあの人の返り血も、浴びているであろう、本来なら国外持ち出し禁止の国宝級の鎧兜がこんな所にぽつねんと。。。ま、こんな事言ってたら、館内の全作品に同じ事が言えてしまうのですが、日本人としてはつい厳かな気分になって、毎回拝んでしまう展示物なのであります。
2004/12/12
子供の頃から、何をするにも人の3倍時間のかかる子でした。人の3倍努力して、やっと人並みに出来る子でした。今日やっと HPのデザインを一新できました。達成感に感涙です。。。
2004/12/11

うちの夫、実は休暇の消化中で9日間家にいます。経済的な事情でどこにも出掛けないのですが(涙)この休暇中ひとつプロジェクトがあるそうです。それは「チョッパル作りをモノにする」こと。チョッパルとは「豚足」の事です。近所の親しい友人が懐妊したため彼女が出産したらいい乳が沢山でる(という効果があるらしい)チョッパルを食べさせるんだ、と張り切ってます。ちなみに彼女曰く「豚足はちょっと苦手」でも、そんなのお構いなし。これぞ韓国流「親切の押し売り」です。↓ブタさんの足を買って来ます。色白です。 塩水に一晩つけておきます。↓ネギ、生姜、醤油ベースの調味料と一緒に煮込みます。↓グツグツ、グツグツ、ひたすら煮続けます。↓これ位に縮んだら出来上がり。 煮汁を切って冷やします。↓セウジョッ(桜海老の塩漬け)と一緒に戴きます。日本の白いヒヅメの形した「いかにも豚足」とはちょっと違いますが、これが韓国式の豚足です。コラーゲンたっぷり、美味しいですよ~。これを夜中に作り出して、明け方3時過ぎに出来上がりました。あ~、家中ブタ臭かったわ~。練習第一回目の結果は、大成功だそうです。
2004/12/08

今日のランチはすごかったです。↓ウナギ、きのこ、ズッキーニ、トマト、 レッドペッパーのバルサミコソース和え↓生ハム、ブルーベリー、ストロベリーのサラダ↓カボチャのムース状ポタージュ と 北海道産たらこのスパゲッティ↓ガトーショコラ と チョコムースケーキ 紅茶には韓国の柚子茶を入れてシトラスティーに。食器もと~ってもお洒落でしょう?「洒落たイタリアンレストランに行って来ました」と書いても誰も疑わないでしょう?でも本当はこのHPに来て下さる方のお宅です。ランチに招待して頂いたのです。miu miuさん、写真勝手に載せてごめんね。でも、ダメと言われても私は載せるかも。。。センスあふれるお部屋の写真も載せたいところをぐっと我慢します。モデルにスカウトされちゃう位美しいお嬢ちゃんの写真も見せたいけど我慢~。特にこの日はサンタの衣装でお出迎えしてくれたんだけどね~、くぅ~!前日のお鍋に引き続き2日連続 身に余るおもてなしを受けて私ってつくづく幸せだなぁと思いました。あ、いえいえ、ただの自慢です。くっくっくっ(笑)!
2004/12/06

秋口から、方々の日韓カップルサイトで「生サツマイモを食べた」やら「生栗を食べた」という話をよく目にするので私も韓国人の妻の一員として経験しておくべきだと思い食べてみる事にしました。生栗は結婚式の後ぺペクでシオモニに無理矢理口に入れられて経験済みでしたが、サツマイモはあの強いアクが心配でやはり躊躇。。。本当に食べても大丈夫なのか?あ、そうだ!うちにいる韓国人で試してみよ~っと。丁度、夫がソファで口開けて寝ていたので生サツマイモをひとかけ口に入れてみました。そうしたら、ガリッ、ゴリッ、モグモグ、ごっくん。「美味しい。。。もっと頂戴。ムニャムニャ。。。」寝ながら生サツマイモを美味しそうに食べてるよ!へぇ~、本当に食べられるんだ~。だから私も食べてみました。1センチ厚の輪切りを一枚だけ。あ、イケルねぇ、結構。アクも「こういうもんだ」と思えば気にならないわ。ちなみにアメリカでは、ブロッコリーやほうれん草や、マッシュルームも生で食べるしね。(あれ。。。日本もそうでしたっけ?)結構イケルかも、と思っていたけどやっぱりお腹の調子が変になりました。忘れてたけど、私は胃腸が弱かったんだった。。。夕方、友人Cicciさん宅に夕飯に呼ばれて行きました。お宅にお邪魔した途端、お腹はかなり不調になりましたがこの家の食事は犯罪的に美味しいので控え目に戴くなんてことは出来ませんでした。だって、こんなに心と体が温まる「ほんわか鶏つくね鍋」だったんですもの~!ん~、ご馳走様でした~!夫は全然平気らしかった。「え?サツマイモのせいだったの?」と言っていた。あんた、ニンニクはダメなくせにこういう所は韓国人なんだねぇ。生サツマイモでお腹壊した日本人妻って絶対に私だけじゃないはず。。。
2004/12/05
ミカンでお手玉をしていてふと思ったこと。私がお手玉をしながら歌う数え唄は「日露戦争」のあの唄なんですがうろ覚えなまま、ちょっとここに書きます。 ♪いちれつらんぱん 破裂して日露戦争はじまったサッサと逃げるはロシアの兵死んでも尽くすは日本の兵五万の兵を引き連れて六人残して皆殺し七月十日の戦いに(七月八日?)ハルピンまでも攻め入ってクロポトキンの首を取り東郷元帥 ばんばざ一回、ばんばざ二回、ばんばざ三回、♪(とお手玉を高く上げるんです)十一、十二、十三、と続いていたのですが♪十二は二宮金次郎~♪しか覚えてません。。。しかしこの唄、残酷~。。。「六人残して皆殺し」ですと?!「クロポトキンの首を取り」ですと?!今だったら絶対に、ちょっと民主的な先生や父兄たち、少年犯罪評論家たちが「子供の倫理教育上よろしくない」「残虐な少年犯罪はこの唄のせい」なんて言いかねないんじゃないでしょうか。わらべ唄に限らず、おとぎ話もそうだけどやっぱり昔の日本って、恐ろしいわ~。でも不思議なことに、昔はこんな残酷な唄を子供に歌わせておいて、物騒な少年犯罪なんて存在しなかったんですよねぇ。こんな残虐極まりない唄をうたって育った私も未だ犯罪には手を染めていません。変わってしまったにっぽん、原因は何なんでしょ?******** 追記 ***********この手玉唄を知らない方ばかりで、思わず不安になってネットで調べてしまいました。歌詞の違いはあれど、よかった、存在してました。ほっ。。。うちの祖母の創作だったらどうしようかと思った(汗)。ところで、皆さんはお手玉する時、何を歌うんでしょう?興味深々~!もしや、無言お手玉?! そんな~っ!
2004/12/02
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