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今日は夫の散髪をした。うちは夫婦で散髪し合って床屋代を浮かしている。って、そこまで貧乏ではないのですが、私達夫婦は「衣食住」の中で「食」を最も重要視しているため、床屋代に$20も$30も使うくらいなら、そのお金で何か美味しいものを食べに行こうと思っているだけです。でも、あくまでも「B級グルメ派」なので、エンゲル係数の高さは「中の上」くらいだと自負しています(笑)。今日も夫婦愛用の「床屋さんセット」で夫の髪を切った。まず頭のてっぺんの髪でちょんまげを作って、横と後ろの毛をバリカンで切り揃える。ちょんまげを下ろして、てっぺんの髪をハサミで切り揃える。もみ上げをバリカンで短くすくって、終わり。ああ、なんて手際が良いんだろう。仕上がりも惚れ惚れするくらい上手。私って器用だなぁ。もしかしたら天才かも。と毎回思う。今日は特に上手くいったような気がする。大学時代、同じ寮の友人と二人で「ビダル」と「サスーン」と呼ばれていて(私はサスーン)日本人学生の散髪をしてあげていた経験もある。夫も毎回「うん、上手い。ありがとう。」と言って満足している様子。しかし、翌日仕事から帰ってくる夫にいつも私が、「職場で、髪の毛の事なにか言われた? 切ったの気付いてもらえた?」と聞くと、夫:「うん、気付いてもらえた。」私:「何て言われた?」夫:「What happen to your hair ?! って言われた。」私:「で、なんて答えた。。?」夫:「Don't ask me...って答えた」どうしてだ?どうしてだ?変なのかな?おかしいのかな?一度だけ「Nice job」って言われたらしいけど、あとはだいたい「気付かない振り」をされている様な感じ。夫の散髪は2ヶ月に1度の頻度でしているので、結構な長さを毎回切っている。気付かないはずが無い!女性だらけの職場で紅中黒一点の夫が、髪型が変わって彼女達が気付かないはずが無いのに!散髪担当としては、本当の事が知りたい。皆、本人の前で言えないのかな?夫が帰った後の職場で「王様の耳はロバの耳~!」なんて言われているのだろうか。。。(それは床屋の台詞なのに。。。)私的には絶対に「イケてる散髪」だと思っているのだけど、知らぬは本人だけで、笑われてるのかな。。。。夫の本心はどうなのかな。。。ああ、不安だ。。。悩める床屋の独り言でした。
2004/02/28
一昨日の晩から偏頭痛が始まって、ちょっと寝込んでいました。コンピュータのスクリーンを見ると酔ってしまうので、書き込みをして下さった方への返信が遅れてしまってすみませんでした。私は「偏頭痛持ち」。最初の偏頭痛は15歳の時。割れるような頭の痛みと吐き気で「脳内出血してると思う。死ぬかも。」と家族に訴えて心配させた。。。中学時代、成績がイマイチだった私は、せめて「無遅刻、無欠席、無早退」で卒業するのだけを目標に頑張っていましたが、この偏頭痛でその目標も達成できず悔しい思いをした。以来、ず~とこの偏頭痛を引きずっている。一度頭痛が始まると、最低24時間は続く。20代の頭位までは偏頭痛が始まる度にパニックになっていたけど、今ではすっかり上手く病気と付き合っています。今回の頭痛はtension headachといういわゆる緊張型偏頭痛で、左のクビの後ろから左後頭部、そして左こめかみと左顔面までが、ビーンと張って、座っていても横になっても、とにかく痛い、だるい、息苦しい。夫にクビをもんでもらうけど、「肩こり」を知らない夫はツボが分からないので、あまり効かない。視界がぼやけて食べ物の匂いが気持ち悪いので、何も食べられないから、2日でお腹がぺったんこになって、これはちょっとラッキー。何故だか分からないけど、まぶしい明かりを見ると痛さが増す。緊張型偏頭痛も辛いけど、頭の血管が破裂しそうなズキンズキンいう頭痛もとっても辛いです。脈打つ度に痛みで身体がビクンと反り返る位痛いのです。耳の後ろのリンパ腺がパンパンに張っているのが、触って分かったりすると、ちょっと恐ろしかったりします。偏頭痛は早めに鎮痛剤を飲むのが良いらしいのですが、私はなるべく化学薬品を身体に入れたくないので、薬を飲まずに「寝て治す派」です。今回も氷枕と蒸しタオルを交互に当てて、後はひたすら寝て治しました。緑茶や紅茶の香りをかぐと、症状が緩和したりします。不思議です。風邪の時も、私は「生姜湯」と「柚子茶」を飲んで、後はひたすら寝て治します。生姜は殺菌効果と身体を温め発汗させるそうで、柚子茶のビタミンCは免疫、抵抗力をつけるらしいです。民間療法は馬鹿にできません。こうして薬から離れた生活をしていると、どうしても薬を飲んですぐ回復しなきゃならないシチュエーションの時、例えば外出先や、臨時講師で学校に教えに行く時等、普通の半分の量でばっちり効く。昔はとにかく痛みと吐き気から早く解放されたくて、むやみに頭痛薬を飲んで、かえって耳鳴りと胃痛という副作用に苦しんだ事も。これは私が「アスピリン系」の薬にアレルギーがある事が原因だったようです。社会人になってから、しばらく「偏頭痛日記」なるものをつけていました。偏頭痛の度に症状を記録して、頭痛の始まる前にどんな事をしたか、又どんな物を食べたか、を毎回思い出せる限り、書き留めるようにしました。すると、見えてきた。緊張型偏頭痛の前には、高い枕で寝たり、無理な姿勢で長時間いたり、本を読み過ぎたり、コンピュータ画面を長時間見過ぎたり、重たい荷物を片側の手もしくは肩で持っていたり。ズキンズキン脈打つ偏頭痛の前には、香水のきつい人と長時間一緒にいたり、タバコの煙の中に長時間いたり、安いチャイニーズフードを大量に食べたり(MSGを摂取)、チョコレートを大量に食べたり、髪の毛の分け目を変えたり、ポニーテールをしていたり。これが分かって来ると、頭痛を未然に防ぐことも出来るようになり、防ぐことが無理でも、頭痛が始まった時にあまりパニックにならず落ち着いて対処出来るようになりました。それでもやっぱり「偏頭痛持ち」から卒業したい。だって、偏頭痛で苦しんだおかげで、気力も体力も使い果たして、面白い話が書けないんですもの。。。こんな日記つまらない~!!
2004/02/27
「ねぇねぇ、デジ(豚)は韓国語でなんて鳴くの~?」昨日アニマル・チャンネル(一日中動物関連の番組をやっているアメリカのケーブル・チャンネルのひとつ)で「ブヒブヒ」言ってる「黒い野ブタ」を見てたら思ったので夫に聞いてみた。夫の答えは「クルクル、クルクル、クルクルだよ」。私:「またぁ~、騙そうとしてるでしょ?」夫:「ほ、本当だよ~、コレは本当に本当です。」豚が「クルクル」言うわけ無いだろ、と怪訝そうに見つめる私。だって今までさんざん騙されてきたから、容易には信じられないのだ。結婚する前に、「今度韓国に行ったら補身湯(犬鍋)食べに行こうね」と夫に言われて、「そうね、食べた後”ワン”って鳴いちゃうかもね~、うふふふ。ところで韓国語で犬は何て鳴くの?」と聞いたら、夫:「韓国の犬はねぇ。。。”ミャ~ゴ、ミャ~ゴ”って鳴くんだよ!」と言って私を笑わせてくれた夫。私:「じゃ、猫は?」→夫:「ウ~、ガォ~!」私:「馬は?」→夫:「コォケコッコォ~!」私:「それじゃ、キリンは?」夫:→「ん~。。。"ガーガー"」私:「お~い、本当のことを教えておくれ~」だから未だに犬が「モンモン」と鳴くの以外、本当の動物の鳴き声in韓国語を知らない私。。。動物の鳴き声に限らず、私は韓国語をほとんど喋れない。むかし独学で覚えたハングルだけは、かろうじて読み書き出来るけど、会話はほとんど出来ない。結婚する前に7ヶ月だけ「韓国語教室」に通ったけど、7ヶ月じゃ喋れるようにはなれない。アメリカに住んでいるから仕方ないけど、韓国人と結婚したんだから、やっぱり言葉くらいは話せたい。でも使う機会が無い。周りに韓国語を話す人がいない。私が韓国語を使うときは、毎週末オモニム(夫の母)と電話で話す時、韓国スーパーで買い物する時、韓国食堂で「伝票下さ~い」という時だけ、怪しい韓国語と日本語と英語を混ぜてなんとか意志疎通をさせている。韓国に行く時もこれで何とかしのいでいる。自分でも「私ってすごい」と思ってる。「旦那さんに教えてもらえば?」って言われるけど、うちの夫は日本語が出来ちゃうから日本人の私の前で韓国語を喋るのが恥かしいらしく、喋ってくれない。ちなみに夫は大学で日本語の授業を取って、後は渡米後に日本人のルームメートがいたり、日系の飲み屋でアルバイトしたり、それだけで今の日本語を身につけたらしい。また夫の父上は生前日本に住んでいたことがあり、日本語が出来たらしい、その影響もある。夫は今では「寝言」も「独り言」も日本語で言うくらい日本語を普通に話す(時に失言はあるが。2/15日記参照)。寝ながら「僕の布団とらないで、ムニャムニャ」と言ったり、夜中トイレに起きた夫が電気のコードに足を取られて「イテテテ、痛いナ。。。。」と言うのを聞いたことがある。プレイステーションをしながら「あ~、惜しい~、もうちょっとで1位だったのにぃ。」と一人でブツブツ言っているのもよく聞く。お風呂場から「あっちぃ~!熱っいなぁ、もう。。。」という声が聞こえることもある。動物の鳴き声もそうだけど、夫は擬態語なんかもちゃんと使えてる。「もみもみ」とか「にやにや」とか「ぴかぴか」とか、こういうの韓国語ではいったい何て言うんだろう。私は英語でも上手く言えないかも。いつもスゴイなぁと思う。でも、こんな事もある、運転中「次、"ペクろくじゅうイーstreet"で曲がるからね、教えてね」はい?"ペクろくじゅうイーstreet"ですと?(="162番通り"の事だったらしい)韓日英が混ざってる。。。韓国の家族は、オモニムは日本語がちょっと出来る。夫の兄家族は、イギリスに駐在経験があり、皆英語が出来る。だから私は韓国で夫の家族の誰かと「二人っきり」に取り残されてたとしても「場がもたない」という事は絶対にない。非常に助かる。だから私の韓国語が上達するわけがない!ニワトリはたしか「コッキオ~」と鳴くんだったかな。これは非常に納得できたから覚えている。アメリカの「クック・ドゥードゥルドゥー」は絶対に変だ。私は日本人なので、やはりジャパンのニワトリが一番正しく(?)鳴いてるように思える。それからくしゃみをする時の「はっくしょん」という音は韓国語で何ていうんだろう。夫に聞いたら又ヘンテコな答えだったから、これもすごい気になっている。それにしても一番気になる「豚の鳴き声」。そして他の動物も。。。多分「クルクル」は本当なんだろうけど。。。違ってたら、お気付きの方、笑ってないで私に本当の事を教えて下さい!*追記(余談)*夫の職場のアメリカ人達に「二人はいつも何語で話してるの?」とよく聞かれるのですが、いつも「French, of course!」(フランス語ですよ、勿論!)と答えている。相手に「おお本当?じゃ、ちょっと二人で喋ってみてよ!」と言われると、夫:「タコノアシハポ~ン?」(タコの足8本)私:「Non!イカノアシジュポ~ン」(イカの足10本)夫:「ジュトジュde二ジュ?」(10と10で20)私:「ジュタシテサンジュ?」(10足して30)夫:「Oui,アザブジュバ~ン!」(麻布十番)って言ってるんです。
2004/02/25
こちらにHPを開設させて頂いて、いつの間にか1ヶ月が過ぎていました。サービスを提供して下さっている楽天さん、そして訪問して下さる皆さん、ありがとうございます!それから、ちょっと家事を手抜きするようになった私を咎めること無く、暖かく見守ってくれる夫よありがとう。週末、夫の職場の人の息子クリストファー(5歳)の誕生日会に招かれて行って来た。場所はボーリング場。クリストファーと私達夫婦はとても仲良し。この日はクリストファーの友達にも会えるので、夫婦そろって楽しみにしていた。チビッ子が沢山来るんだろうな~、と思ってちょっとワクワクしながら出掛けた。案の定、チビッ子、チビッ子、チビッ子だらけ!母親や父親に連れられたチビッコ達、みんな7歳以下。騒がしいこと、騒がしいこと!子煩悩な夫は子供達にちょっかいを出したり、カメラのシャッターを押しまくっていたり、ちょっと怪しいオジサン状態になっていた(汗)。子供はどこの国の子も可愛いけど、アメリカ人の子供達は格別に可愛い!カメラを向けると母親の後ろに隠れてしまうなどということはまず無い。写真を撮られ慣れているせいか、必ず満面のスマイルでカメラ目線!君はアイドルか~!ものすごくカワイイぞ~!私は日本で子供相手の仕事をしたことが無いので、あまり比較は出来ないのですが、もしかするとアメリカの子供は日本の子供より「シャイな子が少ない」かな、と思います。こちらで、ベビーシッターや、託児所のアルバイト、幼稚園・小学校の実習をして思ったのは、こちらの子供達は「craving for attention」、「こっちを見て~!」という欲求をとてもストレートに表現するように思うのです。「せんせ~、私の横に座って~!」とか「聞いて、聞いて~、せんせ~聞いて~!」とみ~んなに同時に言われたりすると、私はもう顔がにんまり。みんなが私のアテンションを欲しがってる~!可愛いぞ、可愛いぞ!みんな食べてしまおうか位の勢いで可愛いいぞ~!昨日まで出来なかった事が、出来るようになった子供が、「見て見て~」と言って、嬉しくて私に抱きついて来たりすると、もうジ~ンときます。この子が成長していくステージを、私はこの目で見た!と思うと、ただただ感激。その子が「せんせ~、教えてくれてアリガト~」なんて言った日には「おお、おお、そうかい、そうかい。それじゃ、うちに来て私の子になるかい?」と思わず誘拐未遂もどきなことを言ってしまいます。(←人に聞かれたらマズイので日本語でね。)クリストファーの誕生会も、誘拐しそうな衝動に幾度もかられましたがグッとこらえて、気を紛らわす為にひたすら食べ物に手を伸ばしていました。チビッ子達を見て、顔がゆがみまくっている夫に「うちだけ子連れじゃないね」と言ってみたら、夫は「じゃ、この中のどれか連れて帰る?」と返事が。。。夫よ、危険発言をありがとう。しかし夫婦して同じ事を考えていたとはね。。。。(汗)そうなのです、うちは子供がなかなか出来ない夫婦なのです。あまり深く考えると「落ち込みモード」になるので、公開日記に書くのは今日が初めてです。実は先日、楽天の「Pineちゃん」さんの日記を拝見して、私もここに書く気になりました。うちは夫があまり若くない事と、私が20代のうちに一人目を産んでおきたかったので、割と早めに計画を立てました。ちなみに夫は不妊治療関係の仕事をしており、普通の男性よりかは知識があります。だから私も初めは「すぐに出来る」と思っていました。が、出来ない。。。何故だか なかなか授からない。毎月毎月、わくわく→がっかり→イライラ の繰り返し。「20代のうちに一人目出産」が無理だと分かった時は、正直非常に落ちこんだ。丁度その時タイミング良く(悪く?)出産した友人と、第2子を妊娠した友人がいて、私は嬉しいのだけど、ますます落ち込み「なんでうちにだけコウノトリが来ないんだぁ~?!」と叫んだ。オモニム(夫の母)は毎週電話で「赤ちゃん出来た?」と聞く。夫は「もう聞くな、出来たらちゃんと言うから」と言ってもやっぱり次の週には「出来た?」と聞く。もうちょっと待っておくれ、オモニム。私も早くオンマになりたいのよ!皆、時に無責任に聞こえてしまう事もあるけど、励ましや、慰めの言葉を掛けてくれる。その気持ちにも応えたい。が、出来ない。。。今月もだめだった。。。「いざとなったら妊娠のプロ(夫)がついてるでしょ!次はきっと妊娠するよ!」と言ってくれた友人。ありがとう、でもだめだったよ、うちの夫は「人工授精のプロ」だけど「普通の妊娠のプロ」ではないのだ~。夫の精子にも問題無かったし、私もちゃんと排卵してるのに。どうして?理由が分からないともっと不安で、もっとイライラする。イライラしてたら余計に授からないのも分かっているので、長期戦覚悟でゆっくり待とうと思ってる。でもやっぱり、この週末みたいに子供達と接したりすると、その日の夜は眠れなくなってしまう位「喉から手が出る程、子供が欲しい~!」になる。あとはタイミングの問題だと思うのだけど、望まない妊娠をする女性が結構多い中で、こんなに望んでる私達にはなんで出来ない?!私もこの1年ほど色々勉強した。前述の通り、夫の精子も問題無い、私もちゃんと排卵している。ということは、タイミングか、もしくは受精していても着床していないか。着床しづらい体質(子宮)の人は受精の後、なるべく安静にしていたほうが良いらしい。重たいものを持ったり、運動したりはご法度。ということは、私にこれ以上ぐうたらな生活をしろというのか。。。ふふふ。。。次の排卵日が楽しみだ♪あとは、女性ホルモンを分泌しやすい食生活をする。「マカ」とか色んな食べ物が紹介されている。カフェインを控えるとか。私はもう何ヶ月も大好きな緑茶もコーヒーも飲んでない。もちろんコーラも紅茶も。。。。神様や占いを信じない私が「子宝の神様」なるものをインターネットで見つけてプリントアウトして、枕もとの壁に貼って寝ている。排卵日には夫とふたり枕元に正座して、子宝の神様に手を合わせている。しかし「にわか信者」の私達にご利益はまだ無い。。。さて、クリストファーへの誕生日プレゼントは前から欲しがっていた「パワーレンジャー」を買ってあげた。誕生会の翌日、クリストファーのママから「奴はプレゼントを開けるやいなや、ひっくり返って喜んだ」と聞いて私達夫婦も嬉しかった。私達も早くひっくり返って喜びたい!来月こそは、授かりますように~~!!
2004/02/24
ここまで読んでこられた方、「この話はフィクションなんじゃないか?」と思われているかも知れませんが、これは本当にあった怖~い話で全て実話なのですよ。本当に恐ろしかったです、彼女のウソを知ったときは。さて、コンチネンタル航空スタッフの皆さんの迅速な対応のおかげで、無事にその日中に、最終目的地「メキシコのモントレー」に到着することが出来ました。当初の到着予定時刻より大幅に遅れて(フライト自体が違うから当たり前)メキシコに着き、とってもアッサリした入国審査を終えると、そこにはおじさんが出迎えに来てくれていました。「到着が遅れてすみません、実はかくかくしかじか。。。」と事情を話そうとすると。「おじさんが空港に電話しなかったら、今頃どうなっていただろうね」と言うおじさん。実は、このBIG MESSの第一発見者は、ハ○ガワさんではなくて、このオジサンだったのです!おじさんはこの日、私達が乗る飛行機が時間通りに到着するか否かを確認するために、モントレー空港に電話をしてみたそうです。「コンチネンタル航空の○○便は○時○分到着で変更はありませんか?」と聞くと、案内の人は「おかしいですね。そんな便はこの空港に乗り入れていませんねぇ。」と言われたそうです。「そんなことは無い、子供に何度も確認したけどこの便に間違いなかった。今手元に旅程のFAXコピーもあるのです。」とおじさんが言うと、その案内の人は親切に○○便を調べてくれたそうです。そしてその結果、○○便は、メキシコでは無く、カリフォルニアのモントレーに飛ぶ飛行機だと判明。 おじさんは慌てて旅程の書かれた紙のH○○という旅行会社に国際電話をいれました。担当のハ○ガワさんに、「あなたはうちの子にカリフォルニア・モントレー行きの航空券を間違えて売りませんでしたか?あの子達は今日、メキシコの私の所へ来る予定なのですが。」と言ったそうです。すると、すると、すると~、ハ○ガワさん、何て言ったと思います~?!彼女、なんと、「はぁ?△△さん(友人の名)達は、確かカリフォルニアのモントレーから車でメキシコに行く、みたいな事おっしゃってましたよ。」と言ったらしいので~~~~す!!!!!どういうことだ~?!どういうことだ~?言った覚えないぞ~!! ハ○ガワさん!説明してくれ~!信じられます?信じられます?私達が空港を「メキシコの」と言わなかったのなら「カリフォルニア」のモントレー空港と間違えても仕方が無い、でも私達はしつこいくらいに「メキシコ」と言っており、あれだけ「この旅程、メキシコの時間が変です。時差は2時間のはずです」って言ったのに。現にハ○ガワさんも「メキシコのビザ取られました?」と私達に聞き、そして「ビザ不要」と言う私達を小馬鹿にしたように笑っていたのです。私達がメキシコの空港に降りたいことは承知だったはずだ~!「カリフォルニアのモントレーから車でメキシコに行きたいんです」なんていつ言った?そんなこと一っ言も言った覚えないぞ~!あなたが勝手にカリフォルニアのモントレーと間違えてたんでしょ~?それを何を今更、「カリフォルニアから車で?」おじさんはびっくりして「カリフォルニアから車でですか?」と聞きなおしたらしい。「ええ、たしか。レンタカーでもされるんじゃないでしょうか?」と返事が返ってきたそうな。おじさんは「あんな所からレンタカーで?何時間、いや何日かかると思ってるんですか?」と言うと彼女は「(鼻で笑いながら)そんなこと、私に聞かれても。」と言ったそうです。その時点でおじさんは、彼女がウソを言っていると察知(さすが年の功!)そしてこの人とはこれ以上話しをしても無駄と判断(さすが人生経験豊富!)。「分かりました」と電話を切って、今度はコンチネンタル航空に電話をしてくれて、事情を説明してくれたそうです。それが丁度、私達がカリフォルニアで、飛行機を乗り継ごうとした時だったのです。連絡があと5分でも遅かったら、私達はあのままカリフォルニア・モントレー行きの飛行機に乗ったまま飛び立ち、それこそ本当にレンタカーで国境を越える羽目になっていたかもしれません。おじさんのとっさの判断と行動力、そしてコンチネンタル航空の皆さんとのチームワークで私達は無事にメキシコのモントレーに到着できたのです。皆さん本当にありがとう!!さて、問題のハ○ガワさんなのですが、私と友人は「見下した態度でバカにされた」ことに大変憤慨しており、おじさんも「いい加減な仕事ぶりと、ウソをついてミスを認めようとしない態度」に立腹されていましたが、結局、クレームをしていないのです。本当に、あの時分は「お人好し」で、私もバカでした。どうしてクレームしなかったんだろう。。。彼女は一度お灸を据えなければ、また同じミスをして同じようにウソで取り繕う事があるかもしれない。次の犠牲者を出さないためにもあの時クレームするべきだった。それ以来、旅行会社H○○のニューヨーク支店は利用していないのですが、あれから8年、長~い黒髪をすだれのように顔に垂らしたあの彼女は、まだあのオフィスでお客を小馬鹿にしながら働いているのでしょうか。。。本当にあった怖~いお話でした。<完>
2004/02/23
チーフパーサに「降りて下さい」と言われた私達は、とにかく食べかけのミカンをカバンにしまって、他の乗客の皆さんの熱~い視線を感じながら、たった今搭乗したばかりの飛行機を降り、私達だけのためにつけられたジェットウェイに出ました。そしてラジオをもったコンチネンタル航空の地上職員さん2人にエスコートされてゲートに逆戻り。後ろを振り向くと、カリフォルニア・モントレー行きというその飛行機は大急ぎでゲートを離れ、あっという間にいなくなっていた。。。地上職員さんはラジオで「了解、了解。今から乗客をゲートへ案内します、以上!」とやり取りをしている。「あの、どういうことでしょう?」と私と友人。「時間が無いので、走りながら聞いて下さい」と言うが速いか、その地上職員さん2人は、私達のカバンを抱えて猛ダッシュで走り出した!「ま、待ってぇ~!」と必死で後を追う私とう友人。空港内を走りながらコンチネンタル航空の地上職員さんが説明してくれるには、「誰かからコンチネンタル空港に連絡があって、私達二人をメキシコ・モントレー行きの飛行機に乗せるように」と言われたらしい。「詳しいことは自分達も良く分からないのです」と言う地上職員さん。走って着いた先は同じくコンチネンタル航空の「モントレー行き」と書かれたゲート。そこで地上職員さんは、私達の持っている復路の航空券を見て、「こちらをどうぞ」と別の航空券を渡してくれた。「パスポートを見せて」と言われ、I-94(出入国カード)を取られた。そして新しい搭乗券をくれて「モントレー行き」の飛行機に乗せてくれた。「走らせてごめんなさい。良いフライトを」と言って見送ってくれた。座席に座った私達はやっと事情が飲み込めてきた。どうして先ほどの飛行機を降りて、この飛行機に乗せてもらったのか。念のために言っておきますが、私と友人が搭乗口を間違えて別の飛行機に乗ってしまい、降ろされたわけではありません。私達は搭乗券に書かれた通りのゲートから、航空券に書かれた通りの飛行機に搭乗したのです。そう、もうお気づきの方もいると思いますが、私達は「ハ○ガワさんによって、間違った航空券を購入させられてしまった」のです。航空券自体が「間違えて」いたのです。「モントレー」という地名が、メキシコにも、そしてアメリカのカリフォルニア州にも存在するのです。これは私もこの時初めて知りました。旅行会社勤務のハ○ガワさんも知らなかったのでしょう。つまり、H○○のハ○ガワさんという女性は、メキシコ・モントレー行きの航空券を発券せずに、カリフォルニア・モントレー行きの航空券を発券し、私達に販売したのでした。空港には必ず3文字のコード名がつけられています。成田空港ならNRT,ケネディー空港ならJFKといった具合です。そして、メキシコのモントレー(Montereey)空港のコードは「MTY」カリフォルニアのモントレー(Monterey)空港のコードは「MRY」なのです。ハ○ガワさんはメキシコのモントレー(Montereey)のスペルを知らず、おそらくカリフォルニアのモントレー(Monterey)のスペルを入力し空港コードの検索をしたのでしょう。そして出てきたコード「MRY」をそのままメキシコと思い込み、私達の最終目的地として入力し、航空券を発券したとしか思えません。しかし、これは発券前に都市名をしっかり確認すれば簡単に避けられるミスなのです。彼女はその基本的な確認を怠ったのです。ニューヨークの空港で、メキシコつまり国外へ出る私達に「パスポート」ではなく「ID」を見せろと言って搭乗手続きをしたのも、これで納得がいきます。カリフォルニア行きの航空券を持った乗客に、パスポートを見せろとは言いません。ニューヨークから最終目的地のカリフォルニアに行くのは無論、国内線なのですから。メキシコ・モントレー行きの機内で、私達が考えていたのは、ハ○ガワさんの余りにいい加減な仕事ぶりと、その傲慢な態度。あれだけ「時差もおかしいです」って言ったのに。さんざんバカにして(怒)!でもきっと彼女は、自分の売った航空券の間違いに気付いて、今日あわててコンチネンタル空港に電話してきたのだろう。と思っていました。ところが、メキシコに着いてみて、事の全貌が明らかになったのです。それはそれは信じられない、聞くに堪えないハ○ガワさんの嘘の数々がここで明かされます!お楽しみに!続きはまた明日。明日は最終章です。
2004/02/22
航空券を受け取り、吹雪の中をまた必死の思いで帰宅。ビザのことが気になったので、さっそくメキシコの領事館に電話をした。そうしたら、受付時間は午前中2時間と、午後2時間くらいしか無くて、電話をしたその時も受付時間外。さすがメキシカンタイム!仕方が無いのでまたガイドブックなどで調べる。調べれば調べるほど「日本パスポート所持者は○ヶ月以内の滞在の場合ビザは不要」だと確信を持つ。また電話してバカにした態度を取られるのが嫌だったので、ハ○ガワさんには確認せず、自分達のリサーチの結果を信じることに。次にハ○ガワさんのくれた旅程におかしな点を発見。飛行機の発着時間から計算すると、メキシコモントレーの時間がどうしても変。メキシコモントレーとニューヨークの時差は2時間のはずなのに、この旅程を見る限りでは3時間という計算になる、おかしい。もう本当は声を聞きたくなかったけど、仕方が無いのでまたハ○ガワさんに電話をした。友人:「メキシコとニューヨークは、2時間の時差のはずなんですけど」ハ○ガワ:「はぁ?メキシコはカリフォルニアの下にあるんですよ。え~と、モントレーでしたよね?3時間ってここ(多分コンピュータスクリーン)にも出てますけど。っていうかコレ常識。。。」と大変失礼な態度(怒!)おかしい、資料を見たって、地図を見たって、どう考えても時差は2時間なんだけど。。。でも旅行会社のコンピュータスクリーンが「3時間」って言ってるなら3時間なのかも。所詮私達は素人で、むこうはプロなのだし、と自分達をむりやり納得させた。ハ○ガワさんよ、プロならプロらしい仕事して欲しかったね。お客をバカにしおいて、しかも後で分かることなのですが、その情報が間違ってるってのは良くないですね!出発日はすぐやってきた。私達はニューヨークの空港で、「航空券とIDを」と言われ、航空券とパスポートを提示し、搭乗手続きを済ませた。この時、なぜ「航空券とパスポートを」と聞かれなかったのか?その理由が分かったのは、乗り継ぎ地のカリフォルニアへ着いてからだった。まずは、ニューヨークからコンチネンタル航空で、カリフォルニアへ飛んだ。フライトは快適だった。寝ているうちにカリフォルニアに着いた。西部の暖かい空気に身体がリラックスすると、今朝までムカ~ッといていたハ○ガワさんへの怒りもすっかりどこかへ行っていた。次のフライトの後はもうメキシコ・モントレーだ!「メキシカンロック」なんかを歌う余裕もあった。搭乗券を見て、空港設置のスクリーンで乗り継ぎ便の搭乗口を確認した。乗り継ぎ便のゲートへ行き、「モントレー行き」の機内に搭乗する。もうすぐメキシコ、もうすぐメキシコ!と胸は高まる。「メキシカンロック」のビートも高まる。座席に座りしばらくすると、私達の乗った飛行機はゲートを離れ滑走路へ向かうために向きを変え始めた。私達はニューヨークから持ってきたミカンをむいて食べ始めた。すると、突然飛行機が止まった。しばらくそのまま動かない。機内の前方でキャビンアテンダント達が「What?!」と言うのが聞こえたが、引き続きミカンを食べる私達。そして機内放送が入る。なんだか「メキシコ・モントレー」と言っている。そうそう、私達モントレーに行くのよね♪と心はずっかりメキシコに飛んでいる私と友人は、ミカンをほおばっている。そうしたら、チーフパーサーらしき人が私達の座席へ来て、「失礼ですが、メキシコのモントレーへ行かれる方ですか?」と聞いてきた。「オフコース、オフコース。だからここに乗ってるんで~す♪」と答える私達。「いた、いた、ここよ!この二人よ!」と他のクルーに声を掛けるチーフパーサー。機内がざわめく。何が起こったのが全く分からない私達。「今すぐメキシコ・モントレー行きの飛行機へご案内しますから、今すぐ当機を降りて下さい。さ、さ、さ、早くこちらへ!」とチーフパーサー。「今すぐ降りろ?!」すると、いつの間にか飛行機は、今離れたばかりのゲートへ機体を戻し、ジェットウェイが機体につけられているようだ。「何?何?何ですか?!」と聞く私達に。チーフパーサーのこの一言、「当機は、カリフォルニア・モントレー行きの飛行機なんです。」「カリフォルニア?!」ナンですとぉ~~!!!!!!?????「カリフォルニアにもモントレーがあるんですか?私達メキシコに行きたいんですけど~!」急なことでパニック状態の私達。「なにか手違いがあったようですが、地上職員が説明するそうです。」とチーフパーサー。どういうことだ?どういうことだ?本当に頭の中が大混乱でした。「メキシカンロック」はもうすっかり吹っ飛んだ。今乗ったばかりの飛行機、なんで降りなきゃいけないの?!カリフォルニア・モントレーってどういう事?!はたして、私達はメキシコにたどり着けるのでしょうか?!続きはまた明日。
2004/02/21
8年位前、メキシコ旅行のために、航空券の手配を依頼したある旅行会社の女性担当者のお話です。私と友人は年末年始をメキシコのモントレーで過ごすため旅行の計画を立てました。滞在先は、一緒に行く友人の父上(以下おじさん)の家。おじさんは日本から単身赴任でメキシコ・モントレーに駐在していました。当時学生だった私達は、格安航空券で有名な日系旅行会社H○○で航空券を購入しました。そこの担当者ハ○ガワさんという女性の作ってくれた旅程は「ニューヨーク→カリフォルニア→メキシコ・モントレー」というもの。私達は旅先の予習も万端で、出発日も迫ってきた。しかし待てど暮らせど航空券は送られてこない。出発日が間近なので、確認の電話を入れると、「航空券はマンハッタンにある支店まで取に来て下さい」とのことでした。え?いつもは郵送してくれるのに?無知だった私達は「格安だから仕方ないか。」と航空券を受け取りにマンハッタンへ出かけることに。指定された日のニューヨークは大雪注意報が出され、ものすごい吹雪。外を歩くと顔が切れるように痛い。バスを待つ間に手も足も感覚がなくなる。私達はナッソー郡というニューヨークの郊外から、天候不順でなかなか来ないバスと電車と地下鉄を乗り継ぎ、必死の思いでマンハッタンの支店へたどり着きました。担当のハ○ガワさんは、長い黒髪を顔の前にだらりと垂らした人でした。何かを食べていたらしく、口をもぐもぐさせながらカウンターの方へやって来た。友人が「この度はお世話になってます。約束どおり航空券を受け取りに来ました」と言うと、彼女は雪まみれの私達を見てまず一笑。私達も、途中何度も滑ったり転んだり口の中に雪が入ってきたりで、もう笑っちゃうしか無い状態だったので、一緒に笑った。すると彼女の口から信じられない一言が、「航空券?それはもう郵送したはずですけど」その尻上がりの口調が、いかにも相手をバカにしていた。一瞬「ムッ」とする私。でも友人が「購入後も郵送されてこないので、先日電話をしたら取りに来るように言われたのでこうして出向いた」旨を伝えると、ハ○ガワさんは「ん~おかしいな~」と言ってから「少々お待ち下さい」といってオフィスの奥へ。1分後オフィスの奥から笑い声。ハ○ガワさんと別の女性がしゃべっている声。そしてその数分後、「どうも、どうも、お待たせしちゃってスイマセン。航空券うちにありました。」といって航空券を手渡たされた。当たり前だ、だから取りに着たんだ~!と言いたかったが「格安だから」そこは我慢。航空券を受け取り、そこで改めて書面を見ながら旅程の確認。そしてハ○ガワさんは「ところでメキシコのビザはもう取られました?」と聞いてきた。友人:「ガイドブックで調べましたけど、私達の滞在期間ではビザ不要だと思いましたが。」ハ○ガワ:「はぁ?不要?それってぇ(鼻でふふっと笑う)。。。」友人:「ビザ要るんですか?」ハ○ガワ:「メキシコですよねぇ、要ると思いますよぉ(また鼻でクスッと笑う)。一応メキシコ領事館の電話番号差し上げますんで、電話してみて下さい」電話番号をくれたのは親切だけど、何か態度がすごく悪い!と憤慨しながら、また吹雪の中を何時間もかけて、凍えそうになりながらマンハッタンからナッソー郡まで帰る。今考えると、ハ○ガワさんはナッソー郡はマンハッタンの中にあると思っていたに違いない。たとえ航空券が有価証券であっても、チケット2枚だけの為にナッソーからマンハッタンまで取りに来させるなんて考えられない。そして今思うと、本当は彼女は航空券の「発券」をし忘れていたのではないか?「また送られて来ない」と電話した時、今から発券して郵送していたら出発日に間に合わないから取りに来させよう、と思ったのでは無いでしょうか?そして「取りに来ました」とオフィスを訪れた時も、実はまだ発券しておらず、オフィスの奥でそれに気付き、“あわてて”発券したのではないか。なぜならその航空券には、旅行会社の社員が犯すとは普通考えられないような、信じられない大きなミスが“出発後”に発覚したからです。(当時の私は航空券のIssued dateの書かれている場所を知らなかった)そのことにまだ気付かない私達、この後めちゃくちゃな出来事が待っています。さて、そのBIG MESSとは?!続きはまた明日。
2004/02/20
今日は初めて自分のことを書きます。今までの日記に輪を掛けて低俗で、そして若干コワイかもしれません。「寝笑い」というのをご存知でしょうか?簡単に言ってしまえば、「寝ながら笑ってしまう」ことなのですが、私は「いびき・寝相・寝言」に加えてこの「寝笑い」というちょっとやっかいな睡眠障害に悩まされていました。過去形なのは、ここ3~4年激しい「寝笑い」に襲われていないからです。が、それまでは年に1~2度目が覚めてしまうほどの激しい「寝笑い」で睡眠を妨げられていたのです。「寝笑い」の特徴は、まず起きている時の笑いと違って、「わっはっは!」と腹筋を使った笑い方が出来ないことです。睡眠時は脱力しているので、おなかにも口元にも力が入っていません。その状態で笑うと「うへへへ、うへへへ、うへへへへへへぇ~~~。。。」という低音のちょっと怖い笑い声が、シンと静まり返った夜の空気の中に響き渡るのです。そして、「寝笑い」をしたその時、見ていた夢をだいたい覚えていて今でも忘れていない事。(私は普段は目覚めた瞬間に夢を忘れてしまう性格です)このふたつが私の「寝笑い」大きな特徴だと思います。一番最後の激しい「寝笑い」は、4年位前にラスベガスの空港でありました。そうです、公衆の面前で「寝笑い」の発作が出てしまったのでした。その時は飛行機が何時間も遅れて、私はゲートの前の椅子に座って搭乗案内を待っている間にウトウトして眠ってしまったのでした。その時見た夢というのが、「商売の景気を良くするために、ブランコを高くこがなくちゃ」という本当に支離滅裂な内容の夢でした。当時私は企業に雇われていたし、実家も自営業ではないのですけれど、とにかく「景気を良くしなきゃ、ブランコを高く高くこいで、景気を上げなきゃ」と必死でブランコをこいでいる夢でした。どうしてブランコをこぐと景気が上がるのかは全く不明。とにかく必死に、ビュ~ン、ビュ~ンと気持ちよく高々とブランコをこいでいたのですが、次の瞬間、勢い余ってお尻がつるっと滑り落ちてしまったのです。眠っていて、石にけ躓いた夢なんかで「びくっ」として目覚めたことありませんか?その時の私もまさにその状態で、しかも高々とこぎ上げたブランコの上からつるっ滑り落ちたので、かなり激しいアクションで暴れてしまったようです。一緒にいた友人の証言によると、眠っていた私は突然、足元に置いていた自分のカバンを、自分の両足で3mくらい一気に蹴飛ばしたかと思うと、薄目を開けて別人のような大変低い不気味な声で「うへっ。うふふ。。。うふふふふ。。。うへへへ。。。うへへへへへ。。。」とインベーダーゲームみたいな音を出し始めたらしいのです。友人は丁度時間つぶしにSF小説を読んでいたため、私が何かに取り付かれてしまったのかと思い、怖くて怖くて逃げようかと思ったけれど、勇気を振り絞り私を揺さぶり起してくれました。でも実は、私は「寝笑い」をしている時意識があるのです。自分が笑っていることに気づいているのです。ブランコから落ちる夢を見て間違えてカバンを蹴り飛ばしちゃった自分がおかしくて笑っているのです。でも、身体が起きていないので、しっかり目を開けて、おなかに力を入れて「わっはっは!」と笑えないだけなのです。友人に揺さぶられながらも「うへへへへ。。。」という不気味な笑いが止まらない薄目を開けた私。「しっかり!しっかり!」と私に声を掛けながら、怪訝そうに様子を見ている周りのアメリカ人達に「She’s okay, she’s okay」と言っている友人。そして一通り笑い収まると「いやぁ、ごめんごめん。笑っちゃったみたいで」と取り繕う私。怯えたようにこちらを見ているちびっ子と、その子をしっかり抱きしめて目を見開いているお母さん。これが最後に経験した私の「寝笑い」発作です。そのひとつ前の「寝笑い」も手短に書きたいと思います。それは、大学時代に友達の部屋(寮)で夜テレビを見ていたらウトウト眠ってしまった時に起こりました。その時の夢もまた支離滅裂で、私が浴衣を着て温泉宿の御茶屋さんに入ろうとすると、昔「うる星やつら」というアニメに出てきた多分「チェリー」という小さくて助平な爺さんが現れて、彼は私の浴衣の裾からもぐりこんで来て、私の太ももに両手両足で抱っこちゃん人形のごとくしがみついて来たのです。(なんかこんな夢を見た私は変態なのかも。。。)夢の中で私は「ぎゃぁ~」と言ってチェリーを振り払おうと足をブンブン振りました。チェリーが着いたままお茶屋さんに入ったら、他のお客に迷惑がかかる、ここで落とさなきゃ!そしてチェリーをキックした!と思った瞬間、私は寮の薄い壁を力任せにバキーンと蹴ってしまったのです。ちなみに、この時寮はquiet hour。そして次の瞬間例のごとく、チェリーを蹴ったつもりが、寮の壁を強蹴してしまった自分が可笑しくて、私は笑いました、低い怖い不気味な声で「うへへへへへ。。。。うへへへへへ。。。。うへ。。うへ。。うへ。。」もちろん薄目を開けながら。この時も友人は、寝ていた人間が突然壁を激しくキックし、変な音を出し始めたので、きっと私に何かが乗り移ってしまったのかと思い、大変怖い思いをしながら、「大丈夫?大丈夫?」と揺さぶり起してくれました。そして私はムニャムニャと、ろれつの回らない口で一生懸命「チェリーが、チェリーが、うへへへへ。。。」と今見た夢の内容を説明しようとしていました。友人曰く「完全にイカレちゃったかと思って本当に怖かった」そうです。「寝笑い」の発作が定期的にあった頃、「そのうち治る」と思ってあまり気にせずにいたのですが、最近すっかり激しい「寝笑い」が無くなった所を見ると(軽度の物は時々まだある)やっぱり治ったのでしょうか。他の睡眠障害も早く克服したいと願ってやまない今日この頃であります。こんな話を最後まで読んで下さって本当に有難うございました。
2004/02/19
今日は夫が臨時でお休みだったので、朝から「トッポッキ」を作ってもらしました。(朝と言っても10時過ぎでしたが)。夫の料理上手は、おそらくオモニム(夫の母)の料理の味をしっかり覚えている所にあると思うのです。だからこのトッポッキも「お袋の味」なのかな?と思って「オモニムも家でトッポッキ作ってくれてたの?」と聞いてみたら、「僕が子供の頃は作ったことなかったなぁ。甥っ子が出来てからかな」だそうだ。そういえば、夫の子供の頃の話でひとつ、まるで日本の戦中戦後の食糧難時代の話を思い出してしまうようなエピソードがあるのです。なんでも、夫が子供の頃、バナナが一本千円だったそうな。比較的裕福な家の子だった夫は、オモニムに闇市でそのバナナを買ってもらって食べた。「あの時食べたバナナの味は一生忘れない」って言っている。確かに夫と私は10歳半年が離れているし、育った国も違うけれど、つくづく世代の差を感じますわ。このバナナの話聞くたびに。かくいう私も、子供の頃のおやつに、「煮干」を食べていた覚えがある。。。。(ちょっと恥かしい)母に「何か食べたい~」と言ったら煮干を手渡され、それをかじりながら、ままごとをしていた記憶がある。祖父か祖母に言えば「お芋」くらい蒸かしてくれたかもなぁと思いながら。それを夫に話したら、「僕はさすがに煮干をおやつに食べたことはないよ、ふふっ。」と勝ち誇ったように薄ら笑いを浮かべていた。私は他にも「おこげ」「焼きおにぎり」「とうもろこし」など、いわゆる砂糖やミルクやバターを使っていないおやつを食べていた。そして圧倒的に炭水化物が多かった。父方の祖母の家に行くと、お餅を揚げて塩味やしょうゆ味の「揚げ煎餅」を食べさせてくれた。「枝豆をゆでたの」もそこで良く食べた。我が家では、庭の畑にナスやきゅうりがなると、「塩もみ」にしたのを”お三時に”食べたし、きゅうりにお味噌をつけて「もろきゅう」も”お三時”に食べたりもした。母方の祖父母はよく私の家に来ていて、祖母はおやつにいつも果物をむいてくれていた。祖母が”手で”熟れた桃の皮を上手にむく姿はよく覚えている。面倒くさがりの私の為にスイカの種を取ってくれたりもした。夏はビワの木に登って「ビワの実」を食べた。桑の木にも登って「桑の実」も食べた。冬のおやつは「みかん」が定番だった。私が子供の頃は焚き火が合法だったので、秋口は庭で焚き火をすると「焼き芋」や、パチンと破裂する「焼き栗」を食べた。こうやって思い出すと、私が市販のお菓子を買って食べるようになったのは、小学3~4年生位からかなぁ。よそのお宅に遊びに良くと、手作りクッキーと紅茶等を出してくれて「洒落てるなぁ」と思ったりもした。「果物」は好しとして、うちはどうして子供のおやつに「塩辛いもの」を食べさせていたのでしょう。。。。私はまだかろうじて20代で、東京育ちなのです。これは両親の影響なのか?母は18歳の時に熊本の田舎から集団就職で東京に出てきて、東京の人になりました。父は生まれも育ちも東京の下町で、戦後4人兄弟+従兄弟と育ちました。たとえ私が、70年代に生まれた東京育ちでも、両親のバックグラウンドがそのまま育児に反映され、「おやつ」ひとつをとって見ても上記のような「ちょと古めかしい」ものになってしまうようだ。でも、そのおかげで10歳半年上の夫と、子供の頃の話をしても「闇市の千円バナナ」以外は、差ほどギャップを感じずに話が出来るなぁ。うちにも子供が生まれたら、どんなおやつを食べさせることになるんだろう。アメリカの怖い色のお菓子だけは食べさせたくないなぁ。。。でも、煮干だけは「子供のおやつ」に与えないようにしよう。だって煮干って結構高いからね。まだ見ぬわが子よ、贅沢は敵だ!
2004/02/18
今日はちょっと嫌な思いをしたので、その愚痴です。愚痴のお嫌いな方はご遠慮下さいね。我が家は洗濯機置き場が無いので洗濯はコインランドリへ行く。今日も布団カバーやらシーツやらを抱えてコインランドリーへ行きました。大物洗い用の大きな洗濯機に洗い物を放り込んで、$4ドル分の硬貨を入れ始動させる。やっぱり大物洗いはお金かかるなぁ。。。と思いながら椅子に座ってグルングルン回る洗濯物を眺めていると、あれ?泡立ちが悪い。落ちてくるお湯と一緒にちょっと泡が混ざってるだけ。いつもはモコモコ泡立つのに。そんなに汚れてるのか?うちの布団カバー?そこで洗剤をちょっと足してみた。それからまた椅子に座って持ってきた本を読み始めました。しばらくして又顔を上げると、洗濯機は「すすぎサイクル」になっていました。それなのにさっきと同じように、お湯と一緒にちょっとづつ泡が立っている。おかしいなと思って、洗剤挿入口のふたを開けて見てみると、水流で「洗いサイクル」の時にお湯と一緒に流れ落ちていなきゃならないはずの洗剤がそこに残っていた。それが、すすぎ湯に混ざって今も洗濯機の中に流れ出て泡を立てていたのです。これじゃ、洗いも足りなかっただろうし、すすぎも洗剤が残っちゃう。と思い、コインランドリーのカウンターで働いている女性の所へ行きました。私:丁寧に「すいませんが、洗濯機の調子が悪いみたいなので、見て頂けます?」女性:鼻にしわを寄せて「What’s the problem?」私:「いや、だからそれを見てもらいたいんですけど」女性:なんと私を無視してテレビを見てる(!!)私:普通に「洗剤が挿入口に残っちゃってるんですが」女性:億劫そうに「Wha? Then, put some water. bucket is in the bathroom.」と言ってトイレの鍵をくれた。私:まだ普通に「いや、でも、もうね It’s already on a rinsing cycle なんですけど」女性:「Oh, then it’s too late!」私:頑張って普通に「それってどういう意味です?!」女性:「I said it’s too late! I can’t help no more!」私:一生懸命普通に「あ、そうですか。Fine, それじゃお金返してもらえます?」女性:「I ain’t giving you no money!」私:「なんで?!」女性:「You should’ve told me earlier」私「なんでよ?!また洗いなおさなきゃならないんですよ」女性:「So what?! Do another load then. Put your money in.」私:「なんで機械の故障を、客の私が責任取らなならんのですか?洗剤も無駄になったってゆーのに。」女性:「But I can’t give you money back.」なんですとぉ~?!筋が通ってないぞ!怒ったぞ~!怒ったぞ~!さすがの私も怒ったぞ~!でもここで大きな声出したら負けだ。私:「分かりました。それじゃ、あなたのマネージャーの電話番号教えてください。」女性:「For what? I said put some water, but you were too late!」なんでこの人はプロフェッショナルな仕事が出来ないんでしょう。まずは一言「申し訳ありません」と客に迷惑を掛けたお詫びを言うのが道理でしょ?それを始めからこの調子でお話にならないので、とにかくここのオーナーと話をしたかったのです。私:「そんなことはどうでもいい、マネージャーの電話番号を、」と言いかけたら女性:「I can’t give you her nunber! if you wanna tolk to her, give me your cell phone. I’ll let you talk to her!」私:「店の問題を解決するのに、なんでお客の携帯電話を使うんですか?ここに公衆電話があるのに?それに私は携帯電話は持ってないんですけどね」これだけでも彼女は大概失礼な事を言い並べていると思うのですが、この後カウンター越しに益々失礼な態度で失礼な物言いをするので、私もついに怒り爆発しました。カウンターを手のひらで思い切り”バン”と叩いて、「If you work here and earn money by this job, be as you suppose to be! I’m ASKING you to call the manager NOW!」と大声をあげました。彼女は今まで温和だった中国人(だと思っていただろう)が突然えらい恐ろしい態度に急変したのに大変怯えて、「Wha, what is it? why you do that to me?! I was tolking nicely!」と声を裏返して、おまけに涙目になって訴えだしました。私:「あなたと私のどちらがnicelyに話をしていたかは、ここにいる皆が見てましたよ。あなたの言ってることは全く理に叶っていない。マネージャーに電話できない納得できる理由をひとつでも言ってみて下さい」すると彼女は私の剣幕に大変怯えて公衆電話からマネージャーのところへ電話をし始めました。どうしてこれをするのに、こんなに時間がかかるんだ。。。やれやれと思っていると、横で洗濯物をたたんでいた男性が私に、男性:「Miss, I just wasted my money on this machene and got no money back,too. I can tolk to the manager if you want me to.」と言ってくれた。有難うオジサン~!頼もしい~!私はもう彼のその一言で怒りは吹っ飛んだ。どうやらマネージャーは電話に出ないらしい。私:「もう結構。ここの経営者の連絡先は自分で調べます。時間の無駄でした。」と怒りの収まった私は、おじさんにお礼を言って、洗濯をし直しに戻りました。あ~、時間もお金も洗剤も余計に掛かっちゃったな~。と思ってまた洗濯をやり直し、乾燥機で乾かし、洗濯物をたたんでいると、カウンターの女性が「Hello~!」とどうやら私を呼んでいるらしい。彼女のところへ行き「私の事呼びました?」と聞いたら、彼女はいきなり私に$4をくれた。そして受け取りのサインをしろとノートを指差している。この女性の名前も知らないのに、私の名前と電話番号を書かなきゃいけないの? 私は仮名と架空電話番号を書きながら、私:「マネージャーに電話したのね?お金を返すように言われたんでしょ?最初っから that’s all what I asked だったのよ」と言った。すると女性:「No! I didn’t talk to her! She ain’t home! I have no choice!」とのこと。とりあえず私は「サ~ンキュ~」と言って店を出ましたが、No choiceって?いったいどういう意味なんでしょ?私はもうお金の事はどうでも良かった。私は道理にかなった正論を言ったつもりなのですが、彼女はそれを理解したのでしょうか?彼女がここで働いてお金を貰っているのなら、もっとプロ意識を持って仕事をして欲しいのです。アメリカに限らず、どの国に住んでいても、こういう事は良くあるのでしょうが、私はこの国でプロフェッショナルに仕事をしていない人を見ることが多いと思うのです。私は自分は職業差別をしない人間だと思ってます。どんな仕事でも、その仕事に誇りを持ってプロフェッショナルに仕事をしている人は、本当にカッコイイと思うのです。時にこのような態度の労働者を見るにつけ、「Be professional!」と言いたくなってしまうのです。それにしても、私って怒ると怖いな~。彼女、涙目だったな~。悪かったかな~。
2004/02/17
週末、ご近所の日本人ファミリーのお宅へ夕飯をご馳走になりに行った時のこと。その家のご主人とうちの夫が、共通の趣味「釣り」の話題で盛り上がっていました。魚の種類を、韓・日・英、3ヶ国語でなんでも知っている夫は「やれ語学に堪能だ」「やれ頭がいい」などとおだてられ、しまいにあちらのご主人も「ちょっと俺も韓国語習おうかな~」なんて言い出す始末。まぁ、確かに夫は魚の名前はよく知ってますよ。何てったって「釣り」と「寿司屋」が大好きなんだから。日本語も英語も耳で聞いてるだけじゃとっても上手ですよ。家では100%日本語、職場では100%英語なんですから。韓国語はもちろん母国語なんだから話せるんです。しかしですねぇ、「頭がいい」のとは違います。うちの夫は「耳がいい」のです。聞こえた言葉をそのまま覚えて使ってるんです。だから時には「失言」もあるし、応用の仕方を全く間違えてる時だってあるのです。この間だって、私の両親にe-mailを書いていた夫が「ねぇねぇ、”ナーバリ”って日本語で何て言うの?」と私に聞いてきました。私:「ナーバリ。。。??知らん。スペルは?b?v?」夫:「スペルは僕も分からない」私:「意味は?」夫:「テリトリーって意味だよ、言うでしょ?ナーバリって」私:「。。。。言わない、 それを言うなら”縄張り”だ」夫:「そうそう!だからその”ナーバリ”だよぉ」私:「。。。」夫は「縄張り」は日本人独特の英語使い(エアコン・リモコン等と同じの)だと思っていたらしいのです。「だっていつもカタカナで書くでしょ?」と自信たっぷりに言っているのですが、私はカタカナで「ナーバリ」と書かれた日本の文章なんて見たことないぞ。どんな本を読んでいるんだ、あなたは?バラエティー番組のテロップだって「ナーバリ」とは書かないでしょう。と、こんなあんばいで、言葉を覚えていたりするのです。そしてこの話には続きがあるのです。夫のe-mailには「うちの庭にナーバリを持つリスが、大変太った」という内容だったのですが、何を血迷ったか今度は「ねぇねぇ、リスって日本語でなんて言うの?」と聞いてきた。私は、夫よ、あなた今日は何をそんなにトチ狂ったことばっかり言ってるの?リスはリスでしょうが!しっかりして~!と思ったのですが、当の本人は真顔で質問してるのです。すると、夫:「あ~、この”くりねずみ”ってのが”りす”の事か~!ふ~ん。」とスクリーンを指差して納得している。そこを覗きに行くと、確かに「りす」→(変換)「栗鼠」になった。私も漢字は知らなかった。でも、これは「くりねずみ」と書いて「りす」と読ませるもので、日本語で「”りす”は”りす”」。でも、夫は「りす」も日本人独特の外来語だと思っていたそうな。。。こんなあんばいで日本語を使っているので、時々、聞いていてハラハラする事もある。夫が10年来お世話になっている恩人のお宅へお邪魔した時、大変立派なお住まいを惚れ惚れ眺める私に、そちらの初老のご主人が謙遜しておっしゃいました。「この家ももうガタがきちゃってね、この壁もなんだか見苦しいな」すると、すかさず夫が一言「いえ!、そうでもないですよ!」私:「お~い!”そんなこと無いですよ”の間違いでしょ~!」(大汗)ホントこういう時、寿命の縮まる思いをするんですけど。。。週末の夕飯のお呼ばれの時も、実はひとつ夫の失言があった。釣りの話が終わって、今度はコンピュータの話をしているご主人と夫。するといきなり夫が「いや~、最近うちに”エロサイト”がね~、バイルスで入ってきちゃってね~。閉じても閉じても”エロサイト”、メールを見ててもエロサイト、云々云々」エ、エロサイトって。。。こういう時は「アダルトサイト」って言ってくださ~い!奥様もお年頃の男の子もいるんだから~!あなたはもう”エロサイト”って言葉を使う年じゃないんだから。。。それから「バイルスはウィルスって言ってくださ~い!」夫は私の忠告後も散々「エロサイト」を連呼し、私は硬直状態のまま、季節はずれの大汗を全身に感じていました。
2004/02/15

「補身湯」結婚前に、アジュボニム(主人の兄)に連れて行ってもらった「補身湯」のお店です。いわゆる「犬鍋」です。「補身湯」は韓国の伝統的なスタミナ食ですが、ソウルオリンピック以降、外国の干渉を理由に影を潜めてしまった食文化のひとつです。私はこの時が初体験でした。基本的に何でも美味しく戴く主義なので、特に抵抗無く戴きました。薬味をふんだんに取り入れた料理のせいか、非常に体が温まり、冷え性の私には二度美味しいお料理でした。↓コチュジャンにごま油↓さらにすりゴマを加えます。↓そこにからしを加えます。↓最後に酢を加えます。これで「つけダレ」の出来上がりです。↓あいにく「肉」がよく見えませんが、これが「補身湯」です。 羊の肉が苦手な夫がパクパク食べられるのですから、臭みもそんなに 強くは無いと思います。肉質も羊に似ている気がしました。↓具を食べ終わった鍋にアジュンマがご飯を入れてくれます。 この「おじや」が最高に美味しいのです!。 せっかく珍しいものを食べてきたのに、あまり味についての感想がなくてごめんなさい。実は、アジュボニムの他に、主人の甥っ子二人(大学生の男の子)という食べ盛りと、未だに食べ盛りの私の夫が一緒だったため、私も負けじと箸を伸ばして食べていました。鍋はアッという間に空になり、最後のおじやも、まるで戦争のように無くなってしまいました。次に食べるときはもっとゆっくり味わって戴きたいと思います。
2004/02/14
「夫のビザ更新(カナダオタワ編)」 それは寒い寒い2月の出来事でした。日本の米国大使館で労働ビザの更新が出来なかった夫は、カナダの米国領事館へ行くことに。5月に結婚式で長期の休暇を取る為、今仕事を休むわけにはいかず、強行の日帰りで予定を組んだそうです。しかしあまりに急な決断で飛行機は既に満席。仕方が無いので、夜行バスを使ってカナダのオタワへ。当初の予定では、オタワに朝着いて米国領事館へ行き、その日の午後にはビザを更新してもらって、また夜行バスで米国へ戻ることになっていました。が、しかし・・・夜行バスに揺られてオタワに着いた夫は、まずオタワの寒さにやられたそうです。ニューヨークの冬も零下になるのですが、オタワの気温はさらに低く-20℃。凍えながら米国領事館へ向かい、早速ビザ更新の手続きをしたそうです。ビザのことでは今までさんざんな目に会っている夫は、書類に不備が無いよう念には念を入れて用意してきた様々な用紙を添えて提出。「今日の午後に出来あがります。取りに来て下さい」と言われ、夫は寒さをしのぐ為に近くのショッピングモールで時間をつぶしたそうです。そして待ちに待った約束の時間、領事館に戻ると、今朝ビザ申請をしていた他の外国人達の姿もそこに。名前を呼ばれそれぞれが新しいビザのついたパスポートを手にして領事館を後にします。そして最後にひとり取り残された夫。窓口:「あなたは領事と面接をしてもらいます」夫:「??????」夫は、不足書類があって又「出直し」等にならないように、とにかく思い当たる書類を何から何まで全て提出したはず、弁護士と何度もReviewをして。だから不備なんて絶対に無いはず。提出書類の中には大学院時代の履修科目一覧表も入れた。アメリカで労働ビザを取ったことがある方ならご存知でしょうが、アメリカではアメリカ市民の職を外国人が取ってしまわないように、外国人は自分でなければ出来ない専門職に就くという「証し」を提出しなければならないのです。履修科目表というのは良く用いられるその「証し」のひとつです。が、そこには大きな落とし穴が。。。履修科目一覧表の最後に小さな小さな文字で、夫の修士論文のタイトルが記されていました。そしてそこには小さく小さく「Anthrax(炭そ菌)」の文字が。。。。そう、この前の年、アメリカでは同時多発テロと炭素菌騒ぎがあったばかり、「炭そ菌」の文字には非常に敏感になっていた領事館。夫が大学院で炭素菌の研究をしていたのは7年以上も前のこと。それでも「どうして、どうして僕はこんな論文を書いちゃったんだ~!」と思ったらしい。ホント、他にも色々あっただろうに、納豆菌とか、ビフィズス菌とかさ。とにかく、オタワの領事は「自分では判断しかねる、Washington,DCに送ってみるので、取りあえずその論文を見せて。結果はまた明日」と言われたらしい。日帰りの予定できている夫は真っ青。それに、さすがに修士論文まではオタワに持って来ていない。ニューヨークに取りに帰るにも肝腎のパスポートはオタワの領事館が持っていて帰れない。さぁ、どうする夫!?その頃私は日本に住んでいました。夫がオタワに行っていることはメールで聞いていました。今頃ビザを更新できてニューヨークへ帰る頃かな?と思っていました。すると、電話が鳴った。それも深夜過ぎ。夫は夜中に電話をしてくることは絶対になかったから誰?と思ったらなんと夫だった。もうNYに着いたのかな?と思ったら。夫「まだオタワ。。。大変なことになったよ。。。。」いつもの夫なら電話で冗談を言って私を笑わせるのに、この日は冗談のひとつを言う余裕も無いらしかった。寒さと不安でちょっぴり涙声。でも大丈夫。夫は私に修士論文のコンテンツが書かれたページをオタワの領事館へファックスしてもらうために電話をしてきたのでした。これは本当に運が良かったとしか言い様がないのですが、実はこの2ヶ月前、私は入籍の為にニューヨークの夫を訪ねており、その時本当にたまたま、夫の論文のコピーを1冊もらっていたのでした。「昔のだけど、暇な時に読んでみる?」と言われてもらっていた論文がまだそのまま私のスーツケースに入っていたのでした。こんな所で役に立つとは!私は言われた通り、日本から必要ページをオタワの領事館にファックスで送り、夫は滞在を伸ばしオタワのB&Bに宿を取ったそうです。翌日、再びオタワの領事と面接。WashingtonDCも夫がテロとは無関係だと分かってくれたようでビザは無事更新されました。しかしWashingtonDCのどの管轄が夫を調べたのかは不明。。。国防省かな。。?その日の夜行バスで夫はニューヨークへ戻りました。日帰りの予定が、1泊3日のオタワの旅となりました。炭そ菌の恐ろしさをつくづく実感したカナダの旅だったそうです。
2004/02/13
昨日に引き続き、悩んでいます、知人宅のお呼ばれに持って行く料理に。しかも今週は、明日の夕飯と明後日のお昼に連続で別のお宅に呼ばれているため、特に頭が痛い。前回と同じもの持って行ったら芸の無いやつと思われるかな。。。こんな朝っから食べ物のことばっかり考えてる主婦は、長島広し言えども私だけなんじゃないのかと思う位悩んでます。問題は、いかんせん私が「日本人」であるために、注目を集めやすいことにあるのです。他の人なら買ってきたケーキでも特に話題にあがることはないのでしょうけど。。。うちは毎日夫にお弁当を持たせているのですが、夫の職場の女性達曰く「今日の彼の弁当を見るのだけが楽しみで通勤してる」そうで、ランチの時間は夫の弁当箱に黒山の人だかりができるらしいのです。(←ちょっと誇張してますが)手を抜いてレンジでチンするだけのTVディナーを持たせようものなら、「Kangと何かあったのか~?!」と職場中の人に心配されて、余計に恥ずかしい思いをするそうです。どこの国の女性もゴシップが好きなのね。女性の多い職場で夫が「紅中黒一点」で、かつ韓国人なせいもあるのでしょうが、皆の興味が夫に集中しやすく、とにかくちょっぴり目立ってしまうのです。そして、いわゆる「弁当箱に入ったお弁当」を持ってくる人は、夫の職場には他にいないそうで、それだけでもう珍しい。「ご飯とおかず2品」だけで、ギャラリーからはもう「キャ~、可愛い~!」の黄色い悲鳴が上がるそうなのです(笑)前の晩の残り物なんですけど。。。弁当箱を包むハンカチがまた珍しいらしく、「あの可愛い結び方教えて~!」と言われた時は「は?」という顔をしてしまいました。ただの「片結び」なんですけど。。。「料理雑誌に載ってるやつみたい~!」と言ってくれた彼女はいったいどんな料理雑誌読んでるんでしょうか。。。?はっきり言って、夫の弁当はおかずの汁がご飯にしみてたりして、いかにも不味そうなんですけど。。。(よく文句言わずに食べてくれてます、夫よ有難う)暮れは11月のサンクスギビングから新年にかけて、連日連夜のようにパーティーがありました。出不精の私にはちょっとしんどかったのですが、もっとしんどかったのが「持っていく料理」でした。アメリカ人も食べられて、そしてアジアっぽいものを考えて、ホント、あの2ヶ月でレパートリーは完全に底をついたのです。皆さんのご期待にはもう応えられないのです。もともと私は「食べる専門」なのに。。。でもさすがに夫婦で呼ばれて行って、家にいるだけの私が「夫が作ったキムチチゲで~す」なんて鍋かかえて行く訳にはいかないし。。。もう本当に困った。。。
2004/02/12
こちらに住んでいると、パーティーやお呼ばれは「夫婦で出席」が原則ですねぇ。出不精の私も夫の職場のパーティーにはちゃんと顔を出しています。服を持ってない私はいつも「着て行く服」にとても困るのですが、もうひとつとっても困っていることを、今日は書こうと思います。今月はどういう訳か毎週末「お呼ばれ」予定が入っています。どれも夫の職場の方ご夫婦との食事なのですが、当然のごとく皆さんアメリカ人。私は毎回アメリカ人宅へお呼ばれの度に頭を悩ませるのが「持っていく料理」。幸い夫が一番親しくしている職場の方は、梅干でもキムチでも何でも食べられる、アメリカ人にしては大変めずらしいタイプの人なのですが、その他の人々は、やはり大変偏食です。私が思うに、一般的にアメリカ人は「自分の食べたことのないものは食べない」主義の人が多いように思います。極端な話、チキンとターキーとステーキとハンバーグとホットドッグとサラダ以外は知らないから食べられない、という人もいるのです。またDr.Atkinsという人の開発した炭水化物抜きダイエットを実行している女性が意外に多く、そういう人が我が家に来たり、一緒に食事に行ったりする時も、とっても気を使います。食料品の買い物をしていて、最近よく目に付くのがこの「Low Carb.」の文字。商品を売るためにはこう書かざるを得ないのでしょうかねぇ?元々、アメリカは開拓時代に料理や食事などに時間をとっている暇がなかったためか、未だにサンドイッチやピザで簡単に食事を済ますアメリカ人の味気なさに私はがっかりすることがしばしば。アメリカ人宅のBBQに呼ばれて行くと「え?食材これだけ?」とトホホな気分になったり、日本のファミリーレストランの感覚でこちらのそれに入ってメニューを見て泣きそうになったり。。。逆に我が家のBBQグリルに並んだ食材をアメリカ人が見ると、「WOW!」の連発です。こちらの小学校で教育実習をしていた頃、ランチタイムにカフェテリアの食事を見て、毎日絶句していました。並ぶメニューと言えば、マカロニ&チーズ、チキンナゲット、フレンチフライ、野菜スティック、ピザ、毒々しい色のJello、等々。Dr.Seussの誕生日には「Green Eggs & Ham」にちなんで、緑色に着色されたスクランブルドエッグがありました。あれにはさすがにギョッとしました。育ち盛りの子供達にこんな毒みたいなもの食べさせて大丈夫なのかと気を揉んでしまいました。ランチを持参する子供の中には、スナックとチーズがパックになって売っている物それだけを、をそのまま持ってきていたり。(TVのコマーシャルでも「Yes! Thank you, mom!」なんてやってましたね、アレです。)それから余談ですが、赤くて細長いタイヤみたいな歯ざわりのお菓子があるのですが、あれは本当に食べても大丈夫なのかな。。。大学時代、寮のルームメイトだったアメリカ人は「ダイエット中」と言いながらアイスクリームを食べ、夜中にケーキを食べていたので「ダイエットは?」と聞いてみた。するとケーキの箱に書かれた文字を指差しながら「It’s fat free, you know~」と言っていた。。。「Fat freeでもカロリーはあるでしょ。。。」と思ったけど分かってもらえそうに無いのでやめました。そして、ある日私が食べている海苔を見て「Eeeeew, You’re eating a plastic ?!おえ~。」と顔をしかめていた。「海藻はミネラルたっぷりで、あなたの好きなFat freeでcalorie もfreeよ」と言ってみたけど、彼女は私のアツアツご飯の上でうごめく「おかか」を見て顔を引きつらせていたのでそれ以上何も言えませんでした。ここでひとつ提案なのは、海苔・わかめ・昆布などの海藻類を英語で「Seaweed」=「海の雑草」というのを廃止させて、代わりに「sea salad」=「海のサラダ」と言う様にしたらどうでしょう?アメリカ人はサラダの信者が多く、サラダを食べれば痩せる&身体に良いと信じている人が少なくないので。10代の頃、ペンシルバニア州の田舎に行った時、「日本人は生の魚を食べるんでしょ?おえ~」と言われた。当時の彼らは、四角くきれいに切りそろえられた新鮮な刺身を知らなかった。日本人は生臭いウロコのついた魚をそのままムシャムシャ食べていると思っていたのかも。その話を今は他界した祖父に話したら、祖父は好物の魚を食べる度にいつも「アメリカ人は可愛そうたいね~。うほほほほ~。」を連発していた。たまに「私は日本食が大好きで毎週食べてる」というアメリカ人がいたりして、何を食べてるのか聞いたら「ショッピングモールのフードコートで、毎週チキンテリヤキを食べてる」そうでした。それって日本のそれとは随分味が違うんですけど。「私は寿司が大好物」という人は「カリフォルニアロールとスパイシーツナ」しか食べたことないと判明、やっぱり。「日本食を家でも料理する」と得意になっているアメリカ人に「すき焼き」をご馳走になった時は、すき焼きにズッキーニとジャガイモが入っていた。それはそれでとても美味しかったけど、味付けも「すき焼き」とはちょっと違った。お礼に私も「すき焼き」を作ってご馳走したらエノキとシラタキを気持ち悪がって食べてくれなかった。でも「チャイニーズとジャパニーズの違い」を分かってくれているだけでもありがたいと思っていたあの頃。。。今は移民の多いニューヨークに住んでいるので、比較的周りのアメリカ人も「日本食」を知っているけれど、10年ちょっと前の片田舎では、私の周りの「日本食」の知名度なんて、上に記したようなものでとても低かったのです。「食べたことの無い美味しいものを食べてみたい」って気持ちは無いのでしょうか、アメリカ人の皆さん。それから日本の伝統的食文化に対して「eeeeew」や「eyaaaak」みたいな反応をされる方は、どうかと思うのですがねぇ、そういうアメリカ人の皆さん。かく言う私も、ベーカリーで「紫や青や赤のクリーム」でデコレートされた毒々しいケーキを見るにつけ「おえ~っ」という顔をしてしまうのですが。。。ごめんねケーキ職人。傲慢な言い方になりますが、多くのアメリカ人の味覚って、とっても保守的で、乏しいと思いませんか?前述の何でも食べてくれるアメリカ人の知人は、とにかくチャレンジ精神が旺盛で、知らないものは知りたいと貪欲に思っている人。みんなが彼女みたいだと助かるんですけどね。ああ、週末のお呼ばれは何を作って行こうかな。。。
2004/02/11
Bookmarkに「コリアうめーや!!」と「New York Kitchen」をUPしました。★「コリアうめーや!!」★ 「イキのいい韓国語あります。」の著者であり、眞露から奨学金をもらい韓国に「食の留学」までされた八田靖史氏の韓国食好きによる韓国食好き(そうじゃない人も)のためのHPです。八田氏の文章は大変面白いです。★「New York Kitchen」★長島生活の魅力が満載のCicciさんのHPです。駐在奥さまならではの羨まし~いおしゃれなライフスタイルと、アクティブなCicciさんがお届けするNY情報も満載です。
2004/02/10
さっき(NYの夜8時)からテレビで「グラミー賞」が始まりました。歌好きの夫はもうテレビに釘付け。いつもは夕飯の後片付けを一緒にしてくれるのに、今日はさっさとテレビの前に行ってしまわれた。夫まっしぐらのグラミー賞。「おお、プリンスがオープニングで歌ってるよ~」なんて興奮気味に言われても、私は最近の歌は知らないし、興味ないし。。。「あ、そう、殿下によろしくね、フン」と交わした。「ダカールラリー」の時もそうだけど(1/26の日記参照)、私はテレビに夫を取られるとちょっと機嫌が悪い。隣で一緒に見ればいいんだけど、一緒に楽しめない分野だともう一人でコンピュータに向かってしまう。----- 10分後です -----と、夫の気に入らないところを書こうかなと思っていたら、今夫に「ほら、ヨーコ・オノがプレゼンテーターででるからこっちおいで~」と呼ばれて行ってきました。ちょっと私の機嫌が直ったので、内容を変えます。(なんて単純なんだ私は。。。要は相手にしてもらいたいだけなのか。。。)うちの夫は歌が大好き。カラオケなんて1小節目を歌っただけで「上手いっ!」と思えるくらい本当に上手。結婚前、夫がギターを弾きながら色んなラブソングを歌ってくれて「さむぅ~」と思ったけどあまりにも上手で最後はうっとりしてしまった位。私の妹がうちに遊びに来た時、「ヒョンブ~(お義兄さん)、サザンの歌聞きたいんだけど、CDある?」の一言を聞くなり夫は早速ギターを持ち出して「いとしのエリー」を歌いだして、我が妹は顔に縦線が入っていた。。。。でも、面白がって色々リクエストしていた妹、最後には「ヒョンブよ、歌うまいよ!カッコイイよ!」まで言わせたつわもの。夫と妹は17歳の年齢差がある。17歳年下の女の子に「カッコイイ」を言わせた夫は調子に乗っていた。近所の知人(日本人)宅にお呼ばれで出かけると、だいたい夕飯の後はカラオケ大会になる、(そういえばうちの近所の日本人ファミリーの家はどこもカラオケセットがあるなぁ。。。)夫はまず一人で1時間はマイクを放さないでひたすら歌い続ける。おお、恥ずかしいぞ夫!でも上手いぞ!「♪ウ~ララ うぢゅ~の 風にぃ乗るぅ~♪」なんてなんで私の知らない日本の歌を知ってるの?そうかと思えば「♪お~いかけてぇ~雪ぐぅに~♪」なんてどこでそんな曲覚えたの?!渋いぞ夫!でもやっぱりとっても歌が上手だよ!そして、時々読めない漢字が画面にでてくると「これ何?」と聞いてくるのもちょっと可愛い。韓国人は国民総歌手って聞いたことがあるけど、これって本当なのかな?私は夫以外の韓国人男性が歌っている所を見たことがないから何とも言えないけど、やっぱり上手いんだろうな皆。そこでちょっと思ったことがある。夫は時々、韓国人経営のレンタルビデオ屋さんで、「人気歌謡」(韓国の歌番組)を借りてきて見ている。これは去年の8月までユミンちゃんが司会をしていたので、私は彼女が可愛いから一緒に見ていた。そこでいつも気になっていたのが、韓国人は歌が好きで上手なくせに、どういうわけか出場歌手の半分は「くちパク」なのはなぜ?どうしてライブで歌えないの?あなた上手いんでしょ、歌?と聞きたくなってしまうのは私だけでしょうか?そして「くちパク」だと分かっているのに、歌手が歌いだすと「Hoo~!」と歓声をあげる観客の皆さんは、いったい。。。「裸の王様」を見ているみたいでなんだかこそばゆいのは、これも私だけ?そしてこれは関係ないけど、バックダンサーがちと多すぎるんじゃないの?と思うのも私だけでしょうか。。。?
2004/02/09
大学を卒業してから少しの間、臨時講師としてヴァージニア州の学校で美術の先生をしていました。ある時、卒業した大学のすぐ近くの私立女子高校で臨時講師を頼まれて、2週間だけ教えに行くことに。その高校は学生時代に実習で教えに行ってたこともあり、生徒達とも皆顔見知りになっていました。つかの間の代理先生でしたが、「本物の先生」になって戻ってきた私に、先生や生徒達の暖かい声がとっても嬉しかったのを覚えています。大学生だった私と高校生の彼女達は、年もたいして違わないことも手伝ってか、私の実習中にちょっと仲良くなり過ぎてしまったところがありました。韓国人の留学生達なんぞは、教師である私を「Ms.Kang(Kang先生)」と呼ばずに「オンニ~(お姉さ~ん)」と呼ぶ始末。。。親しみを込めて呼んでくれているのか、完全にナメられちゃっているのか。。。こんな事ではいけません、effective teacherになるには授業の充実だけでなくclassroom managementができなくちゃいけないのです。とこの時は私もちょっと心を入れ替えて先生らしく振舞うように心がけていました。そして臨時講師も残り数日というある日の授業中、作品製作中の生徒達の私語が目立ち、しかも「ねぇねぇ、Kang先生も知ってるでしょ~?この話ぃ~」なんて教師である私にまで雑談を振ってくる。これは締めなおさねばと思った私は、ちょっとだけ怖い口調で「みんな、手を休めないで話を聞いてね。このプロジェクトのゴールは云々、云々、云々、だったでしょう。自分の作品がそれにきちんと沿っているのか良~く見直して。作品への取り組み態度も採点項目に入っていることを忘れないように。」すると成績に関わることなので生徒達も真剣に以前配布された手順などの書かれたシラバスを見直したりして。そんな姿を見ると私も、やっぱり可愛いな~、この娘たち。なんて思えてしまってついついいつもの調子で「Ms.Davies(本来の先生)が戻ってきたら彼女が私に嫉妬する位の作品に仕上げてよね~」などと戯れを言ってしまったり。。。生徒達も「jealous for what?!(何に対して嫉妬するわけ?)」と冷たく言い切るやつがいたり。。。(なんて子なんだ)。そして私が「それから、この作品の提出日は始めに言った通り、今度の金曜日です。忘れないでね。」の一言を言った直後。。。私の真横に座っていた生徒がボソッと一言言いました、日本語で。「マジ?」おいおい、それはタイミングが良すぎる~!これは前の年に私が教えた「日本語のスラング」ではないですか!覚えていてくれたんだね~!想像してみて下さい。アメリカ人の私立高校で、良い所のお嬢さんが、先生に対して「マジ?」と言ってその時の唇はチューをするときみたいに突き出したまま止まっているんですよ。可愛いでしょ~?しかも、もう1年も前に教えた「日本語スラング」をピッタリのシチュエーションで使えてる~。思わず吹き出してしまいましたが、私は実習中もうふたつスラングも教えていたことを思い出しました。「タメ(=同学年という意味であってますかね?)」と「ヤバイ」。「マジ」も含めて高校生が良く使いそうなスラングでしょ?この生徒が「マジ?」って言った後、他の誰かが「ヤバイ。。。」って言ってくれたら、このオンニはきっと「A+」の成績をあげちゃっていたことでしょうね~。ふふふ。みんなどうしているのかな?懐かしい教員時代の話でした。
2004/02/07
こちらにHPを開設させて頂いて2週間と少しが経ちました。まだまだ未完成ながらも日々形になりつつある自分のHPに愛着も沸いてきました。でも最近改めて自分のページを見るにつけ、どうもカテゴリーが「旅行・海外」にはふさわしくないのではないかと思えてならないのです。むしろ「料理・食べ物」に移行した方が適切かも。。。とつくづく思うのです。私は食べることが好きですが、このHPは食べ物中心のサイトにするつもりは全く無かったにも関わらず、どうも「食べ物関係」のコンテンツが充実し過ぎているような気がしてなりません。「旅行・海外」カテゴリーでHPを持っていらっしゃる方々の所へお邪魔すると、「あ、これ見習わなきゃ」と思うコンテンツが沢山なのですが、何故か「食べ物」にかたよってしまう私のページ。もうしばらく、このまま更新してゆき、あまりにも現状から抜け出せないようだったら、カテゴリーの変更を考えようと思います。ああ、困ったな。。。
2004/02/06
ある年のバレンタインデーの出来事を書きます。当時、地球の裏側で遠距離夫婦をしていた私と夫。ある日私の職場に夫から、真っ赤なバラの花束が届いたこっぱずかしいお話です。当時私は東京にある、某国の大使館に勤務していました。どこの国の大使館もみなそうですが、私の勤めていた大使館は警備の硬さはピカイチでした。郵便物は、全て事前に送り主から「○月○日○時に○○便で○○が○個○○に入って届きます」という通知が無ければ郵便やさんがせっかく配達に来てくれても、門前払いで郵便局にお持ち帰り頂き、返送という厳しいシステムでした。そんな厳しい警備の職場に、その年のバレンタインデーにお花屋さんが、両手に抱えきれぬくらいの真っ赤なバラの花束を持って現れてしまったのです。差出人の住所はニューヨーク。これはとっても怪しい。花束受け取ったら爆発するかもしれない。大使館の警備はさぞや警戒したことでしょう。そして、ますます怪しい事に、受取人の名は私Kang。私はその頃、夫と入籍したばかりで結婚したことを知っている人は限られており、それ以前にも交際している人がいるという話を職場でしたことがありませんでした。だからその私にバラの花束が届くというのは非常に不自然なことだったのです。私のオフィスに警備から電話が入りました。警備の人:「あの、お仕事中すいませんが、今日花束なんて受け取る予定ありましたっけ?」私:「はい?花束ですか?ありませんね。」警備:「そうですか。じゃ、△△△さん(夫の名前)って方ご存知です?」私:ウソでしょ。。。「。。。ハイ、私の夫です。」もう本当に恥ずかしかった~。とにかく大使館の決まりなので、まずは送り主に確認の電話を入れて、「送りましたか?」と聞きました。送り主の夫はこれまた照れくさそうに「はい、送りましたよ、ハッピー・バレンタインヂュデー。うふふふ~」と笑っている。。。あなたね~、嬉しいんだけど困るのよ~。と言いたかったけど、やっぱり嬉しい気持ちが勝ってしまって言えませんでした。仕事中でしたがボスに断りを入れて、大使館の外に出ると門の前で花屋の配達の方が寒そうに待たされていました。お詫びを言って受け取りのサインをして館内に戻ります。本来ならここで警備に金属探知機やX線のチェックを受けるのでしょうが、警備の人も事情を飲み込んで下さって「いいですね~。僕ら日本の男はこんなこと絶対にしないですよ、わっはっは」と笑って通してくれました。かたじけないです。こんなに大きな花束を持ってオフィスに戻るのが気恥ずかしくてしばらく警備の人と立ち話をしてから意を決して階上の自分のオフィスへ戻ったのですが、道すがらすれ違う外交官達の冷やかしに、私の顔も真っ赤だったと思います。日本ではバレンタインデーといったら「女性が男性に」物を送るのが一般的なので、職場の日本人の女性達からは「いいわね~」の嵐。花束に添えられたカードにも、これまた顔から火が出そうな文句(ここにはとても書けません)が書かれており、私はつくづくこう思った。ああ夫よ、あなたもやっぱり「東洋のラテン人」”韓国人”だったのね~!と。どんなに流暢な日本語を話しても、こんなこっぱずかしい事が出来ちゃうなんて、あなたも立派な韓国人だわ。夫と初めてカラオケに行った時に歌ってくれた「SAY YES」も、もしかしたらもっとシリアスに聞いてあげたほうが良かったのかしら? 私も国際結婚したんだなぁ、と実感しました。そして、その日は丁度、仕事の帰りに週に一度の「韓国語教室」に行く日でした。そこでもまたクラスメート達からの「スゴイですね~」「いいわね~」「羨ましいわ~」「素敵ね~」のお言葉にもう顔が上げられないくらい照れくさい思いをしました。韓国語のキム先生二ムも、私の巨大花束を見るなり事を察して、韓国の男性がいかに「男らしくかつ情熱的」であるかを延々と講義してくれました。なにしろ韓国の男性は「初雪」が降ると彼女に電話をかけるのが常識だそうです。「初雪が降ったからデートしようか」と。お~、ロマンチックだよ、韓国男児!韓国人の彼がいる方で他にも「初雪コール」をもらったことがある方は本当にいるのでしょうか?その日の家路は、電車の中で、チョコレートが入っているらしい紙袋を持つ男性達の横で、なぜか巨大な花束を両手に抱えて揺られる私。ブーケを包むフィルムは誰がどう見てもバレンタイン模様なので、女性にモテちゃう女性だと思われたら嫌だな。。。なんて思いながら帰路に着きました。今年もバレンタインデーが近づいています。先日ちょっと早めの贈り物で、私がずっと欲しがっていたイーゼルを買ってもらいました。イベント事にはめっぽううとい私。今まで夫に何もしてあげなかったけど、今年はどうしようかな。。。
2004/02/05
うちの夫は大抵の男性がそうなように「車好き」です。簡単な修理やメンテナンスは全部自分でしてくれる。私も夫と知り合ってからというもの、車のメンテナンスにかけていたお金がすっかり減りました。私はワイパーの交換すら自分で出来なかったので、初めはボンネットを開けて、エアフィルターやバッテリーの交換をしてくれたり、ヘッドライトを付け替えたりする夫の姿を尊敬の眼差しで見ていました。最近はこれくらいのメンテナンスや修理は自分でするのが普通だという事に気付いたのですが、それでもまだ、「うち夫はスゴイ」と思うことがあるのです。何がすごいのかというと、真夜中真っ暗なハイウェイ(アメリカの郊外のハイウェイは、東京の高速道路のように街燈で明るくなっていません)を走っていて、バックミラーに映る後続車のヘッドライトの形だけで車種を見分けるところ。運転していて「あ、○○○が来た、カッコいいね~。ほら。」と言われて追い越して行く車を見ると、確かに○○○が追い越して行く。これはスゴイ~!どうして分かるんだろう。本当にスゴイ!そして前を走る車のドライバーの性別や年齢を当ててしまうところ。「あ、このオバサン、携帯電話で話しながら運転してるよ絶対、ほら!」と言われて追い越しざまにその車を覗くと、確かにオバサンが電話してる。どうして分かるの?それから、路上に駐車している車を見るだけで「このお姉ちゃん若いのにいい車乗って~」という夫。どうして駐車のしかたを見ただけで若いお姉ちゃんだって分かるんだ?夫は学生時代アルバイトで新車を工場から車屋さんや顧客に運転して届ける仕事をしていたこともあるらしい。いの一番に色んな新車を運転できるのが嬉しくてやっていたそうな。若い頃はオートバイのオフロードが好きだったらしい。そして何故か小型バスの運転免許も持っている。いったい何のために?そしてマニュアル車しか買ったことが無いらしい。これは彼なりのポリシーなのか?そして毎日かかさず寝る前に「ちょっとドライブしてから寝るから、先寝てて」と言い、プレイステーションで車の追いかけっこをしている。。。大人のくせにテレビゲーム。。。「このゲームソフトに入ってる車は全部実在するんだよ、これはこうでね、あれはああでね」と熱心に話してくれるけど、私はぜんぜん興味なし。テレビゲームもなんか好きになれない。先日夫の車の調子が悪くて、その日夫は私の車で出勤した。そろそろ車の寿命なので買い換えようと、先日一緒にディーラーの所へ。私は夫にはセダンに乗って欲しい。これから家族が増えるかもしれないし。なのに夫はあくまでもスポーツカーに乗りたいらしい。おいおい、夫よ、あなたはもうウン十歳なのよ。。。私が「この車いいね」とファミリーカーを薦めると、「それ、ドアの数が多い。」と言われた。え?車って4ドアが普通じゃないの。。。?夫よ、あなたはやっぱりスゴイ。。。
2004/02/04
これは私が初めて韓国でアボニム(夫のお父さん)のお墓参りに行った時のこと。この日はアジュボニム(夫の兄)、ヒョンニム(夫の兄の妻)、夫と私の4人でお墓のある山へ出かけました。韓国のお墓は山ひとつに親族が並んで葬られているのが一般的です。山の片面の木を削って、傾斜に更にこんもりと土を盛って、そこに一人が眠る。そのこんもり小山が、ひとつの山の1/3位の面積に幾つも幾つも連なって、ひとつの家族のお墓が形成されています。あの小さな国土でこれからもこの形式のお墓が増え続けたら、韓国の土地はとんでもないことになってしまうのではないかといつも心配でなりません。お墓参りにはまず、敷物、お酒、果物、魚の干物、うちのアボニムの場合はタバコ等、一瞬「ピクニック?」と思ってしまうようなアイテムを必須で持って出かけます。そしてお墓に着くと、持ってきた敷物を広げ、食べ物を並べるのです。日本人の私には、見た目もまさにピクニックなのです。お参りの仕方も、日本のそれとは異なって儒教の国ならではの大変丁寧なお辞儀をしてお参りをします。膝まづいて両手を地に着き「ははぁー」とひれ伏す様な礼を繰り返します。持って来た敷物はこの時大活躍です。あまりの恭しさに私は思わず面食らってしまったのを覚えています。アボニムは私が夫と知り合う前に亡くなっているので、会ったことが無いのですが、私はアボニムの話を夫からよく聞かされており、アボニムが日本に長く暮らしていた事や、私の最愛の祖父ととても似ている事などから、なんだか非常に親近感があり、私はアボニムの墓石に手を置いたり、彼の眠るこんもり小山をしみじみ眺めたりしていました。アボニムのお墓からもう少し上へ登った所に樹を植えようと、この日はここへ来る途中2本の木を買ってきました。アジュボニムと夫が植林をするので、私も一緒に山の上の辺りへ行き手伝いました。その時ふと、ふもとのアボニムのお墓に目をやると、ヒョンニムが敷物をたたみながら、なんと、足でアボニムの眠るこんもり小山をエイッ、エイッと踏んづけているではありませんか!私のとっさの反応は「やばっ。。。」と思って見ない振り。。。。目をそらしてから、またそ~っと下を見ると、踏みっ、踏みっ、踏みっ!とまだやっている。。。お~い、お義姉さんよ、それはまずいでしょう、いくら何でも!さっきの恭しいお参りの態度とは裏腹に、そんな~!幸い夫もアジュボニムも彼女の行動にまだ気づいていない様子。「ヒョンニム、早くやめれ~、早くやめれ~」と心のなかで私は叫んでいました。すると、無事植林を終えた夫とアジュボニムが「さ、下へ降りようか」と言ってスコップを担いで、ヒョンニムのいる方へ向かって山を下り始めたのです。あ~、知らないよ~、知らないよ~、あたしは知らないよ~!そんな二人に気づかずヒョンニムはまだ一生懸命に、踏みっ、踏みっを続けている。夫とアジュボニムはヒョンニムが見えているのに、何も言わない。ただ足元に気をつけながら無言で山を下っている。今目にしている光景が信じられなくて言葉も出ないのか?! あ~、クワバラ、クワバラ。。。という気持ちで私も下山。ヒョンニム:「樹は上手く植えられたの?」踏みっ!踏みっ!アジュボニム:「ああ、植えたよ」担いでいたスコップを下ろす。(韓国語が分からなかったけど、たぶんこんな感じの会話だったと思う)私:へっ。。。。??踏んでるのに、踏んでるのに?義父さんの顔の上とか踏んづけてるのに?いいの?いいわけ?と一瞬頭の中が「?」マークだらけの私の前で、今度はなんと夫とアジュボニムまでが、敬愛なる父上の眠るこんもり小山の上によじ登り、てっぺんのほうをエイッ、エイッと踏んづけだしたではありませんか。もうびっくりで、びっくりで、私は唖然。私:恐る恐る「お義父さん、この真下に入ってるんでしょ?」夫:「そう、だから芝生がはがれないように、こうして踏んであげるの。」芝生か~、そうかそうか!芝生ね~!そうなのです、このこんもり小山には芝生を生やしてあり、ヒョンニムはそれが剥がれない様に根を固めていた訳だったのです。でも、私の目にはその芝生は写らなかった。。。小山の下のアボニムの姿を想像していたのです。日本は火葬の文化が一般的なので、アメリカや韓国の土葬の墓地に来ると、私はどうしても「ここにナマの○○さんが埋まってるわけね」と考えてしまう悪い癖があるのです。。。。はぁ、それにしても良かった。。。私は初めてっきりヒョンニムはアボニムに恨みでもあるのかと思っちゃって本当に怖かった。。。。だって、ナマのアボニムの顔の上かも知れぬ所を、あんなに美人で優しいヒョンニムが一生懸命踏んづけているのだもの。。。とってもカルチャーショックな「初めての韓国のお墓参り」でした。
2004/02/03
日本最大手の航空会社に名指しで脅迫されてしまった私は、その日は背筋が寒くなったまま家へ帰り、食事ものどを通らず一睡もできず翌朝を迎えた記憶があります。考えれば考えるほど、理不尽でなりませんでした。いったい私たちが会社に対して何をしたというのでしょう?あれほど懇親的に業務をこなしてきた私たちに対してこの仕打ちは何なのでしょう?「感謝しています」と言った所長の言葉にふさわしい態度は総務課長には微塵もなく、突然敵意丸出しのあの態度はいったい何が起きたというのでしょうか?のちに分かったことなのですが、裁判を起こさせまいと私を名指しで脅したその総務課長は、1時間$600だか$800だかで雇った弁護士に言われるがままに動いていたようです。大きな会社が自分のバックについているのです。私のような小娘ひとり脅すのは何も怖いものは無いはずです。私達には弁護士を雇うお金も時間も心の余裕もありませんでした。確かに、もし米国の移民局に「違法なビザで働いている日本人がいないか○月○日までに社内へ調査に来る」などど言われたら、その日までに「違法と思われかねない」私たちを処分しておく必要があったのでしょう。臭いものには蓋をすれば済むと思ったのでしょうか。もし、そこで「肩書きとちがう業務内容をしている社員がいる」だとか、「アメリカ人に対して人種差別をしている」などという事になた場合、やはりその総務の人間が処分を受けることになるでしょう。なぜなら人事の採用をしていたのは彼ら自身でしたから。彼らはそれだけは未然に防ぎたかったのです。自分のくびを守らねばならなかったのです。確かに、ああいう大企業で上にのし上がっていくには、それはそれは胃の痛くなるような苦労があったのだと思います。若くしてあの地位を築くには彼なりの犠牲もあったと思います。しかし、自分地位を守るために、ここまで人の生活を軽視してもよいのでしょうか?その決断でいったい何人の人生を狂わせたのか彼は分かっているのでしょうか。なぜ、その怪文書の主を探し出して、誤解を解くことができなかったのでしょうか?なぜここで、まったく問題と無関係な私たちが火の粉を全てかぶらなければならなかったのでしょうか?考えれば考えるほど分からないことだらけでした。私は旅客部門に勤務していましたが、総務から頼まれて旅客の仕事の合間を縫って総務での仕事の手伝いをしていました。ある決済を任されていた為、毎月末には残業の毎日でしたが、私は文句を言うことなく仕事をしていました。「怪文書が送られてきた」という話も私が総務で働いていたから知りえた情報で、実際、所長や総務課長の口から聞いた話ではありません。私達には終始一貫して「理由は言えません。とにかくクビです。今後の保障もできません。裁判なんて考えたらタダではおきません。」という姿勢でした。実は派遣会社から解雇通達を受けた前日も、旅客の仕事が終わった後に総務のオフィスで仕事をしていました。たまたま総務課長もおり、確か翌月予定されているあるイレギュラーについて何か話をしたのを覚えています。そして総務課長は「じゃ、その時はこういう風にお願いします」と普段と変わらぬ様子で”来月の”仕事の話を私としていたのです。その翌日には私を解雇するのを知っていながら。。。。その神経、ちょっと怖いです。。。。ありがたいことに総務の人々に大変気に入られていたため、そこで仕事の手伝いをさせてもらえるのならと思い、接客部門のスーパーバイザーに焼きもちで嫌がらせをされようとも、残業の文句も言わぬようにしていたのに。。。この豹変振りはいったいどういうことでしょう。こんな風に裏切られるとは、恐ろしい限りです。。。
2004/02/02
私達が解雇されるに至った事の発端は実はこうなのです。私達が勤務していた部署には、アメリカ人のEという女性がマネージャーとして働いていました。しかし彼女の本当の肩書きは「マネージャー補佐」。本物のマネージャーはこの支部の所長も兼任していたため、Eが事実上、接客部門のマネージャーとして仕事をしていました。ところが、社内異動の際に、日本に本社のあるこの企業は、日本からの正社員をこの支部の接客部門のマネージャーに就任させる決定をしました。その正社員が来れば、今まで事実上マネージャーとしてマネージャーのデスクで仕事をしてきたEは本来の「マネージャー補佐」へ戻ります。彼女としてはこのまま正式にマネージャーに昇格できるものだと思っていたらしいのです。現に旅客部門で起きた事は彼女の判断で実行され必要であれば彼女がマネージャーとして責任を取ってきたのですから。Eとしては30年献身的に勤めてきた会社に裏切られたような気持ちになったようです。(アメリカ人が30年同じ会社に勤続し、その会社に骨を埋めようとするのは非常に稀なことです)そして自分がアメリカ人だからこのような待遇をうけ日本企業のこの会社に人種差別をされたとも思ったようです。そしてその屈辱感から体調を崩しパッタリと職場に来なくなってしまいました。それから予定通り日本から日本人のマネージャーが新しく就任し、病欠のEが居ないままに、私達も日常の業務がこなしていました。Eが職場に来なくなってから1ヶ月ほどして、この会社にある連邦の機関が査察に入ったそうです。この会社はアメリカ人に対して差別的な待遇をし、不当な手段を使って日本人スタッフに労働ビザをサポートし雇っている。というような内容の怪文書が移民局へ送られてきたとの事。不当な手段というのはビザタイトル(肩書き)と実際に行っている業務内容が異なるということです。つまりは、アメリカで外国人が職を得るにはアメリカ市民の職を奪ってしまう事がないよう、建前上よっぽどの専門的技術のある人間のみが仕事に就けることになっています。不当な手段で雇っている日本人とは私達のことになります。私達の仕事は接客業です。日本人の利用客が多いこの会社には日本語が話せて、日本的なサービスを提供出来る私達が必要でした。しかし「接客」は専門職とみなされません。そこで私達は自分の大学時代の専攻や過去の履歴に沿った仮の肩書きで、それぞれの移民法専門弁護士がビザ申請をしていたのです。それはもちろん会社側が頼んでしたことであり、会社側も承知のことです。これでなんとなくお分かりいただけたと思いますが、私達はこの「会社」VS. 「Eというアメリカ人女性」とのトラブルに巻き込まれ、結果的に一番の被害者となってしまったのでした。ところが、会社側はこの期におよんで「あなた方は不法なビザで働いていました。それは○○○(会社の名前)の知らないところで勝手に行われていました。これ以上不法な皆さんを働かせるわけにはいきません」という姿勢でした。ちょっと待ってください。私達は会社の指示通りビザを申請しました。私達が「接客」のプロフェッショナルだと思ってビザサポートをし雇っていたのでしょうか?それならなぜ所長自ら面接したのでしょう?あの時手に持って見ていた履歴書は覚えていないとでもいうのでしょうか?その後の会社の対応はまた次の機会に書きます。
2004/02/01
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