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すこし日記をさぼってしまいました。忙しくしていました。またゆっくり書きますね。*今日はこれからひとドラマありそうです。どきどき。ひとつひとつのことを、積み重ねたり、整えたり、選んだりする、そんな時期なのかな~と思います。そうそう、ドラマ、私テレビでは見ないです。実際の生活のほうがドラマティックだったりするので。。今から彼の家のポストに借りていたものを返しに行きます。何度もイメージだけは、彼の家に行っていました。きっと、ことんと置いた途端に何かが落ち着くのだと思う。ことん、と。そのあとに、、海外に行ってしまうお友達とお食事です。何を喋ろう??*先日はたくさんの方からあたたかいメッセージを頂きましてありがとうございました。しみじみしました。納得しました。幸せについて、考えること。それも具体的に。なんだか、そういうことって大事なんですよね。
2004/04/30
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朝N君からメールが入っていた。要約すると『これでサヨナラにしよう。幸せになれよ。』ということだった。私は最後に会った日にサヨナラしたつもりだった。だからそのメールを見たとき、今更?と思ったりした。けれどこうして、文字にされると私の中の細胞がいっせいに立ち上がって騒ぎ始めてしまった。朝は何ともなかったのに、昼前から仕事が手につかなかった。幸せになれよ、と前の前の彼氏も最後のメールで私に言ってきた。たぶん、N君は私を幸せにしたかったのだと思う。でもできなかった。自分では無理だった。人を幸せにするのは難しいことなのだろうか?特に、お互いに幸せであるということは。人それぞれの幸せはちがう。自分が選んだ選択をかみ締めた。最後のしめくくりは『幸せになれよ』。幸せ。それは私自身が決めることなのだなぁと思う。相手ありきではなく。私が幸せだと思わなければ意味がない。幸せになれよ、というのは激励の言葉なのだと思う。それと同時に祈りがこもっている言葉。相手を思いながらも相手のことを思うからこそ突き放す、言葉。私が幸せになっていこうと思わなければN君もよろこばないはず。日曜日の占い師に引き続き、自分へのメッセージだなぁと思う。”能動的に幸せを掴んでいこう”ということなのだとひしひしと感じる。雨降りも手伝って、私はまた別の世界に行っていた。素直になれなくて、今日は何だかとがってしまっている。素直になると涙が出そうで、とがっている。やわらかい心がむきだしになっていて、覆うものがなくて。・・・しかしながらサヨナラっていう言葉って、もう十分にわかっていても衝撃的なんだなぁと実感する。でも今日は雨降りでよかった。太陽の下では、私は溶けていたかもしれない。何となくそう思う。
2004/04/27
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「そこに居なさい」とだれかに言われている気がして、週末は大人しく家にいました。お誘いもあったけれどお断りした。4月は殆ど家にいなかった。自分の部屋のものが殆ど移動していなくて、一ヶ月くらい同じ場所にあったりする。自分だけが移動していたのだと不思議に思う。家にいると、空気がすっと自分に溶けていくような瞬間がある。珈琲に入れた角砂糖がとろとろ溶けるみたい。時間と空気をいっぱい食べたような気分になる。お昼寝も一杯した。G.Wは恐らくまた忙しくしているはずだから、心と体の充電。考えるモードをオフにして、何か考えそうになると寝ることにした。しっかり充電して、しっかり計画を立てて具体的な道筋をイメージする。さっと飛び出したら怪我をするかもしれない。あせらずそこに居なさい。*出会う人は自分に必要な人だということらしい。一人ずつ、頭に浮かべてみる。あの人は私にどういう影響を与えているのか?と。刺激になる人安らぐ人落ち着かない人私からすると落ち着かない人だと思っていても相手から見たら”ほっとする”と言われることが多かったりする。ほっとする、と言われてもそうなの?って感じである。私がマイペースだからなのかなと思う。私のマイペースって独特なので、合う合わないがあるみたい。個性的な人との方が合うみたいで、見渡すとどこか飛んでいるような人が多い。疎遠になった、もしくは疎遠になりつつある人を考える時最後に会った時の顔ではなくて横顔だったりする。相手が繕って笑った顔ではなくて、不意に違うところを見ていたときの顔だったりする。顔というのは不用意な時に心の内のものが現れるのかもしれない。
2004/04/26
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あの人からメールが来た。5月に海外に行ってしまう、一歳年上のお友達。映画を見たり御飯を食べたりする関係の人。一週間前に「海外に転勤する事になった」メールをもらった。「7月にスパイダーマンを一緒に見ようと言っていたのに、見れないかもしれないね?」と言うと「きっと7月はまた日本に帰ってくるかもしれないから、行こうよ」と言ってくれた。うれしかった。メールの内容はようやく御飯を食べる日にちが決まったようで、連絡のメールだった。ほっとする。何を話そうかな?二度と会えなくなるわけではないけれど、何と言ったらいいのだろう。色々と昔の事を思い出す。一番最初に彼と会ったのは会社のロビーだった。彼は目立つ感じの人だった。私のお決まりの一目ぼれで、「こんなに格好がいい人がこの世の中にいるのだろうか」と驚く。(←私っていつもこう思うんです。)しばらく余韻に浸ったりしていた。その人は一歳年上だったので、自然と知り合うことになる。初めて話をした日は眠れないほど興奮していた。2年前、とても親しくなりかけたのに私は何だかその気ではなかった。彼は繊細な人だったので、それ以上迫ってくることもなく。お友達という関係がちょうどよかった。毎年彼のお誕生日にメールをすると、彼から近況報告が来る。そんな感じでつながっている。遠くに行ってしまうと思うと残念に考えてしまう。彼に彼女が出来たときも特に悲しくなかったし、むしろ良かったねと思えたのに。何でだろう。近くにいなくなるかもしれない、と思うとずっと離れてしまいそうな気がしてしまうのかもしれないね。*アキコ・グレースの影響もあり、私はピアノが急にしたくなった。それで久しぶりにピアノの前に座って、鍵盤に手を触れた。練習曲を少しする。バーナーとかいう人の練習曲集が素人にはいいのだとか。それで最初の方のページをひいてみる。始めは音にばらつきがあったのだけれど、だんだんしっかりとした音になってくる。すぐに高度な曲は無理だけれど、ちょっとづつならいいかも。今年はなぜか音に触れたい気持ちで一杯である。ヴォーカルもしたいけれど、ピアノもしたい。音楽って気持ちが無になる。ひいているときは頭の中、真っ白で他のものがいっさい入り込まなくてすごく気持ちがいい。なんだろう、プールを泳ぎきったような爽快感に溢れる。小学校でやめたピアノだったけれど、また大人になって始めると違った味わいがある。同じものでもその年齢やその時の心境によって違った感触なのかもしれない。一度読み終えた小説をまた読むとき、あらたな発見をしたりするあれに似ている。*暇だったので近くの本屋に行くと、何と占い師が出張で占いの館を開いていた。本屋が客寄せのために占い師を呼んでいたらしかった。私が興味深そうな目で通り過ぎようとするとお兄さんにつかまった。ごく自然に、気が付いたら占い師の人の前に座っていた。手相を見てくれる。「二重人格ですね。すごく大胆、人がおどろくようなこともさらりとしてしまう。けれどすごく繊細。」と言われる。「思われることは多いけれど、あなたは全然好きになれない。」私は何を考えているのか、つかめないのでそれが魅力になっているらしい。確かに両極端なので、ふとしたときに違う顔が現われたりするとつかめないのかもしれない。左手には相手からの気持ち、右手には自分の気持ちが出るらしい。左手にはよこ線がいっぱいあるのに右手には線が少ない。私は惚れにくい性質である。いいな、と思うだけでそれ以上のめりこまない。残念ながら。赤い糸の話をされる。ふつう人は赤い糸というのはたくさん持っているのだという。それでその中で縁があった人と出会うらしい。相手は自分と同じ波長の人。経済状況とか心理状況とか。だから自分を高めて、一番いい赤い糸の人と出会いなさいと言われた。興味深いなと思った。なんでも具体的に思う事が具体的な結果として出てくるのだという。毎日念じていたらその通りになる。私ももっと具体的に念じてみようと思う。占いの鑑定料はない代わりに、占いの本を二冊買う事になっているとのことだった。予定外に占いの本を買う事になる。これも縁かもしれない?「恋愛運をあげる」と「大幸運」と派手に書かれた本をレジに持っていくのが恥ずかしくて、結局2時間くらい本屋をさまよってしまった。それも予定外のことだった。
2004/04/25
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昨日は会社の帰りにずっと気になっていた靴屋に行く。船場にあるそのお店はいつも半額のセールをしていた。履きやすそうな靴がショーウィンドウに並んでいた。時間があったので何となく吸い込まれるように入る。パンチパーマのおじさんが「いらっしゃい」と迎えてくれた。私の足を見ると「24か24.5かな」と言われた。「え、わかるんですか」と目が点になる。それから「パンプスをお探しかな?君の足に合う靴は、これかな?」と言って靴を出してくれた。ベージュの靴だったのだが、まさに私が探していたものだった。履いてみるとぴたりとはまった。「君が今履いている靴は痛いでしょう?靴に指の跡がいっているよ。君の靴は足のサイズは24.5なのに幅が狭くて23くらなんだよ。」と言う。自分に合う靴というのは決まっているみたい。最近の流行とか、好きなデザインで靴を選びがちだけれど本当は自分の足に合った靴をはかないと足を駄目にするみたい。「合わない靴を履いている人を見ると、無残だ。見るのもおぞましい」とおじさんは言っていた。そういうおじさんは、若い頃に足を駄目にしておしゃれな靴を履けなくなってしまった。デザインで選んで無理して履いて、マメができてしまって足が変形してしまった。だからこそ、靴を選びに来る人にはきちんとアドバイスをしてあげたいのだという。私に合う靴を一緒に探してもらったら、余り多くなかった。サンダルは残念ながらあまり私の足には合わないみたい。「君はサンダルをはかないほうがいいね」なんて言われた。足の甲が薄いので足が前にいってしまう。すると足の指がちぢんでしまう。確かに足のつま先の方を見るとほっそりと小さい足みたいに見える。「何で私は足が大きいのでしょうか。」と悲し気に聞いたら「身長からするとそんなものでしょ。」と言われた。そうですか、って感じである。私はおじさんのすすめてくれた靴を買う。色々と考えながら帰る。自分に合った靴が少ないという事実。そして多くの人は自分に合った靴を履いていないのだということ。靴は環境であったり、人やものだったりするのではないだろうか?自分が合っていると思い込んでいてもそうではない場合もあるのではないだろうか。きちんとしたアドバイザーに出会わなければ、間違い続けてしまうのかもしれない。やはり自分に合うものがあるのだ。自分に合ったものであれば無理をしないで、楽に歩く事ができる。楽しく歩く事ができる。何だか腑に落ちたかんじがしてうれしかった。*「靴選びは意外と大事よ」と笑顔で言ったおじさん。私の足に合った靴をすぐに見つけてくれたりして。神様みたいだったな。
2004/04/24
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今日は朝から小雨が降っている。昨日はいいお天気だったので、天気が崩れるという予感もなかった。窓の外を見て驚いた。雨の日は雨の音を味わう日にしたいと思う。バスの中から山の景色を見る。(私は山の中に住んでいます)少し霧が出ていた。山の緑のコントラストが美しかった。色々な緑色がある。うすく消えかかっている部分と鮮やかな部分があり水墨画の世界のように優しい。色を味わうことって大事だなと思う。私は以前絵を描いていたのに今は描いていなくて、色に対して無頓着になっているように思う。でもよく見てみると色々な色に囲まれていることに気付く。絵筆を持つことはなくても、自分の心のキャンバスにそれらをさっと描くことはできる。自分の観点で、スケッチしていく。”記憶”というものは、スケッチされたものの集まりなのかもしれない。*N君とのごたごたがあった先週とはうってかわって、今週はそれ程の圧力も感じない1週間になった。ありがたいことに、悩み事もなくなくマイペースに過ごすことが出来た。時間が空くと、一人反省会をしたりしている。きゃらめるさんが言うように、ひとつの恋の後には反省会が必要なのだと思う。その期間を大事にし、次の恋に向けて準備する。考え事をするのに適した場所がある。それは路上。会社の帰り道に淀屋橋まで歩く。夕焼けの空を見たり、お店を通り抜けたりしていくうちに自分の中で色々な発見や気付きをしたりする。恐らくそれはワインが熟成するのに似ている。そのままにしておくだけで、何かが熟成されていく感じである。熟成の中身は自分へのゆるしだったりする。私は自分を責めてしまうくせがある。何でもこれはこうだろうか?と突き詰めないで、ぼんやりと薄めておく癖を身につけたいと思う。ぼんやりも大事なのだと思う。*大阪駅の本屋で立ち読みをしていると同期から召集がかかる。本町に戻り、一緒に飲むことになる。東京に行ったY君が来ていた。どうやら仕事の関係でまたしばらく大阪にいることになるらしい。私は送別会の日に、別れの気持ちが高まりすぎてY君にハグしてしまったのであった。けれど大阪に戻ってくるなんて。なーーんだ、って感じである。つい私は「えーそうなんだ、いらんことしてしまったわ。あの時は、もう会えないかもしれないと思ったんやで。」なんて言ってしまう。本当に恥かしくて、こういうのって本当に恥かしい。話をするのにも、お互いに意識してしまったりしてしまうのだ。(自意識過剰か?)ハグなんて、日常的にするものではないので記憶に残ってしまって簡単には取消せない。あの日はお酒、全然飲んでいなかったのに。単なる思いつきというわけでもなかったのだけれど。それでも突然だったら、ビックリするかもしれない。
2004/04/23
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昨日はお酒を飲んだので、朝のお味噌汁がおいしかった。普段飲むお味噌汁とはまた違った感じがする。自分の体が欲していることが感覚的にわかる。お酒で内蔵が冷えるからなのだろうか。温かい飲み物を飲むと、飲んだ先から食道とか胃腸に染み込んでいくのがわかる。白ネギとお豆腐が入った、私の好きなお味噌汁だった。私は普段外食が多くて、前の日の晩のメニューを次の日に見ることになる。サランラップをかけられたお皿をあたためる。そういうことが3日くらい続くことがあると、何だかホームステイみたいな雰囲気になってしまう。1人暮らしみたいな感じ。帰ってきたら、誰かがソファーでうたたねをしていたりするのだが話をするわけではない。寝顔を見ていると余計に寂しくなってしまう。昨晩はみんな何を話していたのだろう?会話をしなければ、一緒に暮らしていてもどこか潤っていない感じがする。人間関係というのは、潤いが必要なのだと思う。そして私は潤いを欲しているのだと思う。たまに時間がとれて家族と話をする時、私は自分の喉が渇いていることに気付く。お酒の後のお味噌汁みたいに、自分の体が”会話”を欲しているのだと気付く。*朝の地下鉄で格好がいい人と一緒になった。目が合ったとき、星が飛んだ。たぶん一般的なハンサムではないけれど、ユニークな顔である。目と目が離れている草食動物系で、鼻が高くて。いいなと思ってしまった。私はときめきが好きである。知り合うはずもない、どこのなにがしなのか知らない通りすがりの人に何となくときめいたりする。偶然同じ駅で降りた。どこかで会うかも?ちょっと嬉しい朝だった。以前、入社したばかりのころやはり地下鉄で素敵な男の人と一緒になった。格好が良くて、やはりその人も目と目の間が広い草食動物系の顔だった。(目と目が近い人は肉食動物系らしい。)偶然朝一緒になって、なんと会社まで一緒になった。しばらくして、それが同期であることを知る。今となっては見慣れてしまったので、格好がいいとか思わなくなったけれど、同期だったという偶然は嬉しかった。
2004/04/22
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この間きゃらめるさん達とお会いした帰りにナラカミーチェのブラウスを買った。袖にレースがついたブラウスと、ノースリーブのレースのカットソー(ブラウスと同じ生地)。下着も透けないように、とブラウスと一緒にベージュのTシャツブラを購入した。今日初めて袖を通した。ブラウスのボタンを下ふたつだけ留めて、ノースリーブのレースが見えるように着る。何だかちょっとセクシーな感じ。私はこんな着こなしをしたことがなかったので、着ていながらも何だか落ち着かなかった。けれど、何となく悪くないって感じである。シースルーみたいな感じ。肌が見えそうで見えないけれど、でも見せている感じである。ノースリーブのシャツを着るよりもセクシーに見えるのは、チラリズム効果なのかもしれない。年々着る洋服を変えていっている。選ぶものは長く着ることができそうなもの。最近は子供っぽいデザインのものよりも、少し落ち着いたものを選びたくなる。心境の変化かもしれない。
2004/04/21
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今日はアキコ・グレースのCDを流しながら一日が始まる。アキコ・グレースというのはジャズ・ピアニストなのだが、私は最近彼女の曲をとても気に入っている。アキコ・グレースのピアノを聴いていると、私はピアノを弾きたくなる。情熱的だけれどそれでいて、神経をしずめてくれるような音。ニューヨーク三部作というシリーズ(活動の拠点はニューヨークだった。)を出してその後、今回のアルバムは『東京』という日本的な音に挑戦している。高くて軽やかな音。朝から、しっとりとした気持ちになる。いいなぁと思う。昔はジャズを聴くことができなかった。リズムや雰囲気みたいなものが食べなれない珍味、もしくは飲みなれないお酒みたいな感じがした。自分にはまだ早すぎるような気がしていた。去年は『綾戸智絵』にはまり、すこしづつジャズに傾倒してきた。ジャズがわかるようになってきたということは、自分の中で変化があったからなのかもしれない。やっと”お酒の味”がわかってきたみたい。色々な気持ちを落ち着かせる時、子守唄がひつようなのだと思う。年によって子守唄が違うのかも?私にとって今はジャズなのかな。まだ全然わからないけれど、ジャズを知りたくなった。やはり生演奏で聴くのがいいのだと思う。アーチストがどんな表情で演奏しているのか、背中の筋肉がどんな動きをしているのか、その場の雰囲気などすべてを味わえる。CDとは違った臨場感もある。私は小さい時から冷静だとか冷めていてクールだと言われたりした。人形のようだとも言われた。表現力が乏しいのかもしれない。私のことを理解しがたいように思うのかもしれない。たぶん、人並みかそれ以上の情熱はあるのだと思う。ただそれらがうまく出すことができない。出し惜しみをしているみたい。そして熱の伝導が遅いのだとも思う。内側にふつふつと湧いた情熱が表面化しないので(表情や行動に現れるのが遅いので)わかりにくい。情熱的な人と関わったり、音楽を聴くと刺激になり情熱に火がつく。私には情熱を引き出すものが必要なのだと思う。無意識にそういうものを選んでいたりする。刺激的なもの。周りの友達もアーチストも彼氏も。食べ物も。(辛いもの、苦いものが好きである。)*毎年自分に与えられた何かテーマがあるのだと思う。課題もしくは方向性があるのだと。もう一年の1/3が過ぎたので今年のテーマがそれとなしにわかってきた。恐らくそれは”反応”を身に付けることなのだと思う。テニスをした時に、自分にかけているものを感じた。飛んできたボールを打ち返す。ラケットのど真中に当てると真っ直ぐ相手のほうに飛ぶのだとか。前からやってきたものに対して、反応する。打ち返す。打ち返す。ああ、そうだ。そうなのだと思う。打ち返すことって大事なのだと思う。対話でも態度でも。私は打ち返さずにいつも見送っていた気がする。その方が楽だから。私は打ち返すだけの基礎体力がまだ不十分なのだと思う。テニスの後は手がずっとしびれていた。体力をつけて、真っ直ぐに打ち返せるようにしよう。
2004/04/20
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昨日は楽天の日記を書いている人達とのぷちオフ会でした。私はきゃらめるぶろんどさんに声をかけて頂いた。きゃらめるさんのH.Pに登場する画家さんは、楽天の華昇さんの娘さんである。先週から大阪のギャラリーで個展を開かれていて、娘さんも華昇さんも大阪にいらっしゃっている。オフ会というのはわかっていたけれど、誰が来るのか詳しく知らなかった。待ち合わせの場所に行く前に、ギャラリーに行ってみた。椅子に座っていらっしゃる人たちの中に楽天の誰かがいるのかな?と思いながら絵を眺める。どれもすごく素敵な絵で、観ていると色々なことを考えてしまう。恐らく絵の具とともに様々な気持ちが入っているのだと思った。なんとなく耳に入ってくる内容が、やはり…と思う内容だった。やはり、楽天の人たち?1人でうろうろとした後、何気なく声を掛けた。すると私が名乗る前に華昇さんが「mamikoroさん?」と聞いてくださった。なんだかその間がものすごく面白かった。他の人はその状況をかたずをのんで見守っている感じ。「そうです。」と言った途端、皆さんが名乗り始めた。なんとギャラリーに居合わせた人全てが楽天関係だったのだ。驚いて腰がぬけそうになった。(冷静なふりをしていましたけれど)その場の雰囲気は、長年の知り合いって感じの雰囲気だった。けれど初対面同士だったりするのだ。意識と感覚がみょうな感じになる。待ち合わせ場所できゃらめるさんと娘さんと落ち合って『梅の花』で昼食会。娘さんは大きくなられていて、以前よりも女っぽくなっていた。笑顔がとてもかわいかった。笑顔を見ていると、こちらまでつられて笑ってしまう。ばっちゃんさんは、ユニークな方だと思った。H.Pの雰囲気にピタリとはまる。一緒にいると楽しい気持ちになっていく。小雨さんはおっとりとしていて、優しい雰囲気の人だった。お隣にいるとほっとする感じだった。華昇さんはしっかりとされていて、色々なことに精通している人だった。すごいなぁと関心する。ワインを頂いた。お気遣いがとても素晴らしくて、エレガントだと思った。お食事会の後、きゃらめるさんとお茶をした。すごくお洒落なカフェに連れて行っていただいた。ケーキが美味しいのだとか。でもおなかが一杯で食べられなかった。きゃらめるさんと色々なお話が出来て楽しかった。とても共感ができることが多かった。何度話をしても決して相容れない人、交わることが出来ない人がいるけれど、きゃらめるさんの場合は少しの話でも納得する。多分どこか根っこの部分で似ているのだと思う。話をして、わかってもらえるのだと思うと嬉しくて長話になる。お茶を堪能していると娘さんが突然むくっと起き上がった。本当にむくっというかんじ。「ここどこ?」ときょろきょろしていて、その様子が可愛かった。ちょうどいい切れ目だったので、お開きにする。*すごく有意義な一日だった。色々な人にお会いでき、しかもお土産まで頂いた。オフ会、また名古屋や長崎でもしたいなぁと思う。色々な人とつながることは楽しい。人生の幅が広がる感じがする。楽天をしていて良かったと思う。ばっちゃんさん、小雨さん> おせんべい有難うございました。頂きます。華昇さん> ワイン美味しく頂きます。きゃらめるさん> 楽しいお誘い、有難うございました。 又、お声かけしてくださいね。
2004/04/19
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お風呂上りに新着メールが入っていた。以前親しくしていた人からだった。映画やお食事に行く関係で、けれどそれ以上の進展はなく今年に入り一度だけご飯に行った。メールの内容は、転勤するということだった。しかも外国である。彼自身が一番ショックで、驚いていたようだった。いつも私はその人とメールでやりとりするだけだった。それ以上踏み込まない関係だった。お互いになんとなくその方が居心地がよいのかもしれない。けれど私は電話で話をしたいと思った。電話をかけた。すぐに彼が出た。低くてお坊さんみたいな、私の好きな声がした。20分くらい話をした。久しぶりに話をしたので、お互いにうれしかった。初めて本音で話ができたような気がした。恋人関係になるわけでもなく、誕生日にメールをする。思い出した頃に連絡を取るという関係だった。色々相談をするというわけでもないけれど、久しぶりに会うと刺激を感じたりした。新鮮だった。というのは、私とは違うタイプだったから。けれど来月に行ってしまうなんて。電話、勇気だしてしてよかった。忙しい人だからタイミングを逃したら、つかまえられない。出発までにご飯を食べようね、と言って電話を切った。
2004/04/18
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昨日N君と御飯を食べた。「大切な話があるの。私、やっぱり戻らない」と伝えた。自分でも何となくその方がいいのだと思ったから。何度か彼の事を思い直したけれど、その気持ちは不安定だった。残念ながら彼では満足できない自分がいた。好きになろうとするのと、好きになるのは違うのだと思う。好きになるというのは、なろうとしてなるものではないのだ。そんなことに気付いてしまった。すごくご機嫌で話をしていた後だったけれど、言ってみた。N君は「もう一度チャンスをくれ」と言う。でも私は思うのだ。こうして、私を苦しめるのって愛情なのだろうか?自分の元を去ろうとする者を止めるなんて私だったらしないのに。彼はきっと私があれこれ考えて、結論を出すことが大変だったとは思っていないのだろうな。あれこれ考えるくらいなら、もう一度やり直そうよって言われた。帰り道は手をつながれたりした。私は微妙、って言った。帰りの地下鉄が長く感じた。N君はそういう人なんだ、とまた思った。帰りの電車もバスも熟睡だった。爽快感さえ感じる。すがすがしいと思う私は冷たいのだろうか。玄関で靴を脱ぐと家に着いたのだ、と嬉しかった。悩みぬいた結果、やはり答えは出なかった。出ないものはしょうがない。それが答えなのだ。N君はまた私をおいかけてくるのだと思う。そして私は振り返らないことにしようと思う。今度こそ。*N君と会う前にTちゃんと話をした。Tちゃんは私に「もう会わないほうがいいかもしれへんで。」と言った。限界まで悩んでいる私を見ていたからこそだろう。「最近元気ないもん。もう渦の中から出てごらん。きっと悪いサイクルの中におるねんで。きっと出たらいいサイクルがやってくるねんで。」彼女は私の気持ちを汲み取ってくれる。Tちゃんは私の弱さをすべて受け止めてくれる。さっ、ここに吐き出してごらん…って手を広げてくれる。唯一私が甘えられる人である。私はそういう人に生まれて初めて会った。Tちゃんに「いい女にはいい男との出会いがある。がんばれ」とメールをもらった。いい言葉だなと思った。いい女っぷりをあげるためにも、N君とのこと決着つけるようにと言われた。きついことを言ってくれる友達、本当に感謝である。人を好きになるのは、難しくない。目が合えば好きになることもある。でも何となく違うと思いながら一緒にいるのは、体によくないのだ。私はやはり自分のための人生を生きたいと思う。相手の気持ちを優先していては、自分の人生ではないのだと思う。お別れは哀しいかもしれない。でもまた誰かに出会うから、さびしくないよね。今までも、何度も別れは経験してきた。平気だ。慣れてる。とりあえずしばらく休養しよう。と思った。
2004/04/17
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かつてお付き合いをしていた人に、名字で呼ばれる。仲が良かった頃は名前だったのに、いつの頃か急に変わっている。しかもEメールの文面で、ですます調だったりとよそよそしい。隔たりが出来たようで、冷たい感触を感じる。恐らく、相手は相手なりに考えてのことだろうと思う。下の名前で呼ぶと、お付き合いをしていた気持ちの延長になるのかもしれない。線を引くという決意があるのかもしれない。付き合いはじめの頃は「下の名前で呼んでもいい?」って恐る恐る聞くのに、なぜ「名字で呼んでもいい?」と断らないのだろう。暗黙の了解のように、気が付いたら呼び名が名字になっていた。呼び名。関係を示すのにこれ程著明なものはないだろう。親しくなるほどに短く、家族と同じような呼び方になる。知り合ってから時間もたっていないのに、たいして親しくないのに名前で呼びたがる人がいる。その人は平気かもしれないが、私は違和感を感じてしまう。下の名前はきっと何かがない限り、変わらないもの。両親が心を込めてつけたもの。きっと名前は魂が宿っているのに違いない。名前の取扱いにご用心。*メイクアップ・アーチストの藤原美智子さんがある雑誌で気分転換のコツについて書いていた。それはスケジュール帳を2つもつこと。仕事用とプライベート用。そうすると気分が変わるのだという。確かに手帳を変えると、気持ちも切り替わるのだと思う。同じように過ごしていても全然違うと思う。*昨日は仕事の後、北浜まで歩いた。歩ける所まで歩きたいと思って、欲望にまかせて歩いた。北浜にはバラ園がある。胸をときめかせてバラ園に行ったのだが、お目当てのバラは咲いていなかった。今の時期はお休みしているみたい。きれいな花を咲かせるべく、仕込んでいる時期のようだ。その代わり、様々な種類のチューリップや春の花が咲いていた。来てよかった、と思った。花を見ていると、私は姿勢が伸びるような気分になる。凛としていて、清潔感とともに緊張感さえ感じる。だらしない、怠惰感を感じる花なんてなかった。どの花もしっとりと潤っていて、完璧な美しさだった。上を向いていた。笑っているように見えた。微笑んでいるように見えた。18時を過ぎると日が落ちて暗くなる。お花に陰翳が出来て、ワントーン暗い色になる。暗がりの中にいると段々危機感を感じ、自分の中でも納得を得たので帰る。自分とデートをする日って大事だなって思う。家に着くと、犬小屋に寄った。いつも私が家に帰るとたいがいトトは寝ている。私は甘えたい気分だった。手を伸ばして、体をなでていると体をのばして小屋から出てきてくれた。私の手の甲とか手のひらをなめてくれる。私の気持ちを汲み取ったのか、何だか優しかった。犬に顔をなめられると何ともいえない気分になる。いつもはやめて、と思うのだがそのままにさせてみた。背中をなでて、というのでなでる。頭を私の足元におしつける。安心しきっていて、くつろいでいる。何の計算もなかった。それでいいんだ、といつも納得させられる。しばらくその場にいると、うるんでしまった。私はきっとこういう男性と一緒にいたいんだなと思った。変かもしれないけれど?何も言わないで側にいてくれるトトの存在がありがたい夜だった。自然のものとか、動物というのは邪念がない。なんというのか、強いものを感じる。私は自分の中の波長がおかしいと思うときは自然のものと触れることにしている。土の上を歩いていると気持ちが落ち着いたりする。自然にかえると安心するのかもしれない。
2004/04/16
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私は大学生の頃、年上の男性とお付き合いをしていた。その人との出会いは、路上だった。道を歩いていたら前から道を尋ねられた。私は親切にも紙に地図を書いて説明をした。すると妙に感動されて、そのままお茶をしてその後ご飯を食べたりして、運命を感じてお付き合いをするようになった。今よりも若かったし、今よりももう少し純粋だったから。道で出会うなんて、運命だと信じていた。けれどお付き合いが進むにつれて彼には色々な不思議があり、不信感がつのっていった。大学の先生とお話をする機会があり、「その人が言っていることが正しいかどうかって、どうしたらわかりますか?」と聞いた。すると「一緒にいたらわかりますよ。」と言われた。その言葉を聞いてから、次に会った時私は彼が何に嘘をついていたのか、何を隠していたのか、彼が私に対して罪悪感をもっていることなども感じ取ってしまった。それは私の許容量を超えていた。自分でなんとなく、もういいやと思った。最後に会った時は、ラブラブだった。「また、会おうね」と言っていつも通り別れた。しかしそれからどんなに電話がなっても取らなかった。何ヶ月か、時々忘れた頃に電話がなったけれど取らなかった。自然消滅ってこういうことなのだと思った。そんな別れ方をしたから、やはり今でも思い出してしまう。きれいな別れ方なんてないのかもしれない。その当時の私にはそういう別れ方しかできなかった。責めたくなかったのだと思う。自然消滅はその時は楽だけれど、ひきづる。…そもそも、何でそんな話になったのかと言うと、大人には大人の恋愛のやり方があるのだと思ったから。火曜日、お友達と造幣局の通り抜けをした後お食事をした。その時色々な話をしていて、もっぱら話題は恋愛だった。私は彼のことを相談した。するとお友達は「お誕生日は、笑顔でお誕生日おめでとーっていう日にしたほうがいいよ。何事もなかったように。それから笑顔でいつも通りバイバーイってした方がいいよ。」とアドバイスを受けた。「もし復縁について聞かれて、それでも無理って思ったら”ごめんねやっぱ無理”って笑顔で答えたらいいから」って言われた。そうか、そうだよね。と思った。絶対に責めたり、色々複雑にさせてはいけないのだと思った。昨日の夜、約束どおり彼に会った。私は彼に不必要なことを言ってしまいそうだったので、極力無口に近かった。無口だけれど、微笑むみたいな感じ。お友達の助言どおり満面の笑顔は無理だったけれど。N君、私が企てたことに素直に喜んでいた。企てたことというのは、あるライブハウスでお食事をするということ。直前まで待ち合わせ場所を言わなかった。お酒を呑まないでソフトドリンクにしたりしたので、心配された。体調が悪いことにされてしまった。実際お酒を飲む気がしなかったのだけれど。ジャズライブ、かなり良くて私は感動してずっと泣いていた。迫力満点だった。激しくてピアノが折れるのではないのかと思うほど鍵盤を強くたたく曲もあれば、優しく優しく語り掛けるかのような曲もあった。私は彼女の音楽を聞いていると、今の自分の波長とぴったりで、よけいに涙をさそわれた。やはりお誕生日の日だったし、私は彼には何ひとつ言わなかった。言葉を出し惜しみする。彼は「何か言いたいのに我慢している顔をしている。」と言われた。この人は私のことをお見通しである。落ち着いて話が出来そうな時自分の気持ちがまとまってもう動かなくなった時に自分の気持ちを話すことにしようと思う。大人には大人の恋愛の仕方があるのだと思う。大騒ぎをして、わぁわぁとわけもなくかき混ぜるようではいけないのかと冷静に思った。色々思うこともあるけれどそれがN君なんだなぁ、それが彼らしさなのかも?って思った。それでもいいのか?それは私が決めることなんだろうな。いろいろなことを通して、やっとわかることとかある。失敗が成功の元っていうけれど、あれは本当にその通りだと思う。「一緒にいたらわかりますよ」と言ってくれた先生の言葉を時々思い出す。言った先生はもうとっくに忘れているのだろうけれど。誰かのことを知りたい、わかりたいと思ったらやはり時間をともにすることだろうかと思う。一緒にいたらわかるのだと思う。彼のこと。そして、自分がどうしたいのか。そんな気がする。
2004/04/15
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私はいつもメールをすぐに削除する。確かにEメールって、嬉しいものであるし後になってから余韻に浸ったりできるもの。あの時はそうだったなぁと思い返したりできる。けれどそれと同時に過去の時間がしっかりと残ってしまうもの。あの時はそうだったなぁ・・・と過去を見てしまうと、思い出してしまうことがある。思い出さないでいいの。何となく後ろを振り向かずに生きていきたい。最近そう思うようになって私はメールは読んだらすぐに削除している。嬉しいメールも削除している。もったいないけれど。言葉のひとつひとつが大事なのではなくて、その時のこころの状態が大事なのだと思う。大切なことに形はないのだと思う。過ぎ去ったものはそのときに過ぎ去っていいのだと思う。過ぎ去ったからといっても、何も失っていないと思う。地層みたいに、こころのなかに層ができてちゃんと積み重なっていくんだって思う。1秒後は過去。メールを読んでいる時は、相手への感謝の気持ちをこめて読む。そして感謝の気持ちをこめて削除する。いつからか、手放すことが恐くなくなった。私はいつも人とつながっているという確信がある。きっと大丈夫なのだとわかっている。不思議だけれど受信メールが空っぽの状態の方が安心する。これからもどんどん受け入れられる状態って感じがして。余分なものは置いておかない。シンプルでいい。必要なものは自分の気持ち。潔い気分になって、気持ちがいい。*さっき、新着メールが入った。なんとS君からメールだった。朝ぼんやり彼のことを考えていたので、通じてしまったのかな?*N君と会う時間が近づく。当然のことながら、今日もいつも通り。時計の針は一秒一秒を刻んでいて、地球も自転している。私はいつも通り地球の上にいる。今日は今日をがんばろう。今日は今日、明日は明日。日日是吉日。毎日ちがうから楽しい。大変なことがあるから、私は生きいて楽しいのだと思う。*昨日はいっぱいメールを頂きまして、ありがとうございました。勇気づけられました。夜、友達と造幣局の桜をみて心が晴れました。
2004/04/14
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朝入れたジャスミンティーはいつもよりも美味しく淹れられた。渋くておいしい。朝のジャスミンティーは私にやさしい。ちょっと自分を責めてしまいそうなとき、私は自分の塩分調整のために甘い食べ物を体に投入する。チョコレートをひとくちだけ食べて心を落ち着ける。私、多分今大嵐の渦のなかにいる。何だかごたごたしていて、、自分でも笑ってしまう。小学校時代の親友に会った次の日、競馬を観に行って、その次の日にテニスのレッスンを受けて、そしてクライマックスに昨日の電話だ。。明日はどうなってしまうのだろう。明日はN君の誕生日だ。私は一緒にお祝いをする。昨日はN君のお友達から電話があり、私の気持ちを聞きたいのだという。耳をそばだてると、そのお友達の電話の向こうにも誰かがいるみたいだった。「戻る気あるの?」なんて言われた。私は、面と向かってそんなことを言われると思わなくて心臓がばくばくいっていた。「気持ちはあるけれど迷っている」と言う。「適当な気持ちで、誕生日を一緒に過ごさないで」と言われる。「もし、きちんと言えるなら言ってほしい」みたいなことを言われた。3発くらい心臓に命中して、私は床に倒れた。彼の友達は私のこと、イライラしているんだろうな。私は男の敵なのかもしれない。…しれない、じゃなくてそうなのだと思う。いっそ落ちてみようか、mamikoroさん。と天使がささやく。大嵐の渦のなか、ぺたりと座りこんでいる。微笑みながらジャスミンティーを飲んでみる。私はたばこを吸わないけれど、何となく気持ちが落ち着かない時はたばこを吸っているようなイメージでお茶を飲んだりする。ふーっと吐き出すと、何か黒いものが出てきそう。*昨日は昨日の風が吹く今日は今日の風が吹く明日は明日の風が吹く最近私のまわりを爆風が吹いてくる風が多いなんでなんで?って思うのだが色々なことが立てつづけにどどどどとやってくる。競馬の馬みたいに。競馬を観に行く日、私はめずらしくドタドタしていた。父はそんな私を見て「mamikoroはドタドタするようなやつじゃないのに、めずらしくドタドタしていたんだ。」と言っていたらしい。珍しいね、何かあったの?って姉にも言われた。ほんと、何かあったの?である。*男の友情ってなんだろう?思えば、私が最初に彼とつきあう前に彼のお友達からメールがあり私の気持ちを聞いてきた。どう思っているのかって。その時も私は迷っていたので、そういう返し方をした。男の友情ってなんだろうか。私は集団が苦手である。集団で向かってこられると怖い。そしてこの手の友情が苦手である。
2004/04/13
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土曜日はある人のお誘いで、私は生まれてはじめて競馬を観に行った。競馬はなんとなく行きにくいイメージがあったのだが、行って見ると競馬場はとてもきれいだった。改装したみたいで、空港かアミューズメント・パークみたい。競馬の新聞を持ったおじさんがたくさんいた。私とその人の組合せはどう見ても不思議だと思われるのか、視線を感じたりした。私はその人と出かけることに関してずいぶんと考えたりした。けれど、その人から学ぶことが多いので、最小限の注意を払うという前提でお会いすることにしている。彼氏らしき人がいるのか?と聞かれた。私は「友達がいます。」と答えた。「今は距離をはかっているのか。よかったね。では心配することはないな。」と言われた。なんとなく残念そうにされた。「僕は君のことが不安で、そしてファンなんだよ」そういうことを言われた。ファンですか。馬が走るところを見るのは初めてだったので新鮮だった。ゲームが始まる前にお披露目がある。ゆっくりと散歩をするのを上から見る。自分が賭けた馬の調子を、チェックする人たち。まるで受験生の父のようだった。私が賭けた馬は落ち着きがなかった。何となく浮ついていた。1頭、すごく暴れまわっていた馬がいた。「あの馬、うまく走れないだろうな。ゲームまでに力を消耗してしまうよね」と話していた。ゲームを見ていると、面白い結果になった。私が賭けた馬、最初は3位だったのに途中からどんどんスピードが落ちて最後はドベになってしまった。暴れまわっていた馬は、みごと1位になった。「そうか、あの暴れ方は闘志がみなぎっていたからか」と合点した。そのゲームはとても印象に残って、その後のお茶の時の話題になった。人生でも同じで、どこの地点を見るかで全然違って見えてくるのだ。最初の時点の走り方を見ていてもわからない。最終的には余力を残して上位にあがってくる馬もいる。でも上位に上がることが、いいことなのかはわからないね、と言っていた。結婚相手を選ぶというのは、競馬と同じで賭けなのだ、という。未来予想をして賭けをするのだ。色々と私が気付かないことを気付いていらっしゃって、私はとても勉強になる。でもその人は私と関わることで、いい刺激になるのだと言う。一方的になにかを教えるとかではなく、教えあう、刺激しあう関係になりたいと言われた。距離のとりかた、どうしたらいいのかと思ったりもする。相手は相手で、私の成長を見守りたいのだという姿勢である。競馬場に連れて行きたかったというのも、私に知らない世界を教えてあげたかったからみたい。私も65歳という年齢になると、わかるかもしれない。彼の言いたいことが。彼は言っていた。「今までは、したいこととできることというのは同義語だった。でもそうではなくなってきた」。私はそれに対して、どう答えたらいいのかわからなかった。だからただ黙って話を聞いた。
2004/04/12
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普通の生活をしていたら出会わない男女で集う会がある。二ヶ月に一度くらいのペースでお料理を習っている。そのメンバーの共通点はテニス。私のほかはテニス仲間である。私はテニスをしたことが殆どなかった。苦手というか、コツがわからない。私に、テニスを教えてあげると言う話になった。いつもはお料理をする会なのに、今日は違っていた。親切にもコートも取って頂いて、しかも2時間みっちり特訓をしていただいた。今までのは何?目からうろこがぽろぽろ。上達した。自分でも驚くほどに、玉がきちんと飛んでいく。テニスの面白さを初めて知る。フォームが大事なのだという。フォームが悪かったら、上達しないのだという。「テニスは大河ドラマ。段階を踏んで、徐々に上達していく過程が楽しい」と言われた。テニスネタで、夜の10時まで話が弾む。体を動かすのは久しぶりだった。元運動部だったので、血が騒いだ。自分ができないだろうと決めていたものが出来た時、感動に近いものがある。お料理の先生は言う。「何故なのかわからないけれど、テニスが上手な人はお料理も上手なのよ。」「もしかすると、包丁の切り方とテニスの技って似ているのかもしれませんね。」と私は答えた。テニスが上達すると、私は瞬発力が身に付けられるかもしれない。習い事がいっぱいで、かなり忙しいのだが多分今しかできないのだろうと思う。自分を育てる時期なのかもしれない。今いっきに空に向かって伸びてみよう。ぐんぐん、成長できそうな気がする。
2004/04/11
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金曜日の夜、仕事の後小学校時代の親友と7年ぶりに再会した。7年前に一度だけ会った時は、殆ど余り話が出来なかった。プチ同窓会で、その子1人とじっくりと話をすることが出来なかった。だから実際に話をするのは10年ぶりということになる。待ち合わせの場所に行くと、彼女がいた。お化粧をして、大人びていたけれどまぎれもなく彼女だった。出会ってすぐに彼女は私の顔を見て、「変わってない~。よかった~。」と言われた。変わっていたらどうしよう?と思っていたみたい。二人とも久しぶりの再会に興奮していた。「うわぁ、泣きそうやなぁ。」「ほんまにぃ~。」声が震える。彼女の車で移動する間、色々な話を聞く。私が知らない彼女の中学校からの人生。同じように彼女の知らない私の人生。どこから話をしたらいいのか、わからない状態だった。とりあえず近況、そして過去にさかのぼっていった。仕事について。意外にもやり手だった。ずっと夢を追いかけているようだ。したいこと、それを思いつづけて自分で何とか形にしようと頑張っていること。そんな彼女の話を聞いて、自分はどうだろう?と思ったりした。お互いの恋愛のことも少し話をした。小学校の時私はませた子供だった。好きな人がよく変わったりする移り気なところは今と変わらない。彼女もませた子供だった。同じ人のファンだったりした。小学校の時の恋愛というのは、好きだと思う時点で完了していた、というのだろうか。想う時点で、満足していたように想う。同じ人を好きだとしても、健全で全然嫌味がなかった。恋愛の話をするという意味では小学校のころと何ら変わらないな、と思う。でもやはりお互いに大人になったということを実感するのだった。「私、いつも付き合う人は年上やねん」とつぶやく彼女は”女の顔”をしていた。どこか哀愁が漂うというのか、色気があった。それに対して「そうなんや。同いどしもいいもんやで」と答える私も又”女の顔”をしていた。10年の月日がたっても、変わらないものというのは変わらないのだと思う。彼女の声、表情、パーツ、そしてそこに流れる空気。興奮して話をして、ふっと間が出来た。私ははっとした。小学校の頃に隣り合って座っていたときの時間がそこにあった。あの時の続きみたいだった。小学校の教室で、放課後一緒にだらだら話しをしていた情景が浮かんできて、またもとの世界に戻った。私はずっとずっと彼女に会いたかった。いつも何か遣り残したような気持ちですごしていた。いつも、いつも。どこかでそんな気持ちが残っていた。彼女も私に会いたかったのだと思う。そうでなければ毎年、年賀状を書きつづけるなんてしなかったと思う。私は彼女と再会して、色々な話をして自分の中の何かが解放されたような気がした。それは”安心”に似たもの。たぶん、鍼灸とかオーラソーマとかヒーリング効果のあるものは色々ある。でもこれほどの解放は得られないのではないだろうか?と思う。また、会社の後にごはんを食べようね、と言って別れた。10年前も同じような別れ方をしたような気がした。私は記憶の中を旅行して、何度か昔の思い出があらわれる。今と昔が交錯して不思議な気持ちになったりする。本当に会えてよかったと思う。そしてこれからも会えると思う。最初の一歩を踏み出したのだから、これは二人の”はじまり”なのだと思う。
2004/04/10
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ドラマには舞台裏があり、色々な小細工があったり裏の細工や準備なんかがあったりする。舞台裏には、たくさんの小道具や色々な人が控えていたりする。メイクをする人もいたりする。恋愛にも舞台裏があるのだと思う。例えば、彼女との待ち合わせをしていて、その待ち合わせに遅れてしまった。実はお店を下調べしたりして遅れたとか、彼女にプレゼントを買っていたために遅れてしまったとか。でもその彼女はそういう事情も何も知らなくて、遅れてしまった彼に怒りをぶつけてしまう。「何で遅れるのよ、信じられない」なんて言う彼女。「うるせぇな」と、苦虫をかんだような顔をして文句を言う彼。そして内心、おまえのために時間をさいてやってんだよと思う。俺の苦労をわかってくれよと思う。テレビドラマだったら、その舞台裏みたいなものもちゃんと放送される。視聴者はうなずいたり、その裏の苦労みたいなものを見たりする。応援したりしながら、主人公を見守ったりする。しかも最終的にはきちんとその苦労が相手にわかるように出来ていたりする。それはやはり、ドラマだからなんだろうけれど。でも現実の舞台裏っていうのは、相手にはわかりにくかったりする。舞台裏って、わざわざ言ってしまったらチープになってしまう。ネタを明かしたら俺がしてやったんだ、みたいなことを言いかねないし。これだけの苦労をしていた、とかってことは全て見せない方が素敵だと思う。もしも相手に舞台裏も知って欲しいならば、苦労がイメージできるようなことをすればいいのかもしれない。例えばお店を予約していた、とか手作り料理を作ってもてなす、とか。外で何時間も待っていて、でも相手が来なくて帰ってしまったとか。そういうことは、実際に言わなければ相手にはわからないことだと思う。着信履歴を見ればわかることかもしれないけれど。舞台裏にいるのは自分ひとりで、すこし孤独だったりするかもしれない。でも舞台裏を楽しんでみるのも、いいのだと思う。ばれるような舞台裏は実はニセモノなのかもしれない。相手が実は自分のために何か色々とやってくれているのだと、イメージすることも大事なのだとも思う。イメージは大事。見えないものって、たくさんあるのだと思う。実は色々と調べてくれていたとか、そういうことに気付いたら丁寧にお礼を言えばいいと思う。やはり、お礼って大事だと思う。愛情って、与えるのも受ける方も、緊張感みたいなものって必要なのかも?あまりにも当たり前になってしまうのも何か、緩みすぎててダメなのかもって思う。だからいつもアンテナを立てて、楽しい工夫をしたり相手を気遣ったり出来るようでありたいと思う。それ以前に、相手に見返りを求めず、愛情はかけっぱなしでいいのだと思えるようになれば本物なのかな?*今日は夜、7年ぶりに小学校のお友達と再会する。すごく楽しみ。
2004/04/09
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今日はすごくいいお天気。何故か前日よりも風が冷たく、家を出た瞬間にあれ?と思った。昨日までラピス・ラズリの石を身につけていたけれど、今日はローズ・クオーツにしてみる。ローズ・クオーツは愛の石で、つけていると気持ちが安らぐ。やさしい気持ちになる。つける石によって気持ちが変わるような気がする。天然石はちゃんと仕事をしているそう。気休め?とかおまじない?とか、そんな気もするけれど石は持ち主のために力を発揮してくれるらしい。実はいつも見守ってくれているのかもしれない。近々お友達のお誕生日なので、プレゼントはどうしよう?と考える。あれこれ、どうしたら喜ばれるかな?とずっと思考回路を働かせる。すると内蔵の働きが活発になっておなかがグルグルいう。やさしい気持ちになると、体の調子が良くなる。これから先に、どうしたい。とわくわくと考えたり人に何かをして喜ばせたいと思うとすごく楽しい。きっと気の流れもいいのだろうなと思う。この気持ち、この感覚、忘れないようにしたい。何でも癖にしちゃえばいいのだろ思う。去年仕事の関係で出会ったOさんはすごく素敵な笑顔の人だった。テンションが高くてかなり前向き。「秘訣は?」と聞いたら「前向きの癖をつけることです。」と笑顔で返された。そうか、癖をつけることなのね、と思った。いつも楽しい気持ちでいられる癖を身につければ、人生はずっと楽しいのだと思う。*人には臭いってあるのかな?N君は赤ちゃんみたいな匂いがする。私はN君の匂いが好きで、何かいいきもちになる。私にも私の匂いがあるみたいで、私の匂いだって言ってくれたりする。この間、N君に「いい匂いする。何の匂いかな?もしかしてmamikoro?」さらに近寄られて匂いをかがれた。「シャンプーかな?何だろう?」でも私が使っているシャンプー無臭である。自分では自分の匂いなんてわからない。たばこを吸う人はそれがその人の匂いになってしまう。たばこを吸わない人というのはその人独自の匂いがしていいなと思う。私は匂いフェチである。なんとなく、匂いに敏感になってしまう。その人独自の匂いをかいで、その人を探ろうとしてしまう。
2004/04/08
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昨日は書道のお稽古だった。先生と色々とお話をして、なるほどと思うことがいくつかあった。先生はとてもよく誉めてくれる。こんな誉め方があったのか、と驚いてメモしたくなるようなこともある。この間生徒さんに「先生みたいに誉めてくれる人は、生まれてから初めてお会いしました。」と言われたのだそう。私もそう思っていた。「たった一枚でぐんと上達しましたね。」とか「みんな上達して、先生うれしいわ。」とか「ずいぶんと頑張られたでしょう。」とか何か素直な言葉で、ふんわりと言われるので言われると、そっかぁそうなんだぁとその気になってしまう。誉められて上達する。上達した、と言われるうちに上達していく。花も誉めたらきれいな花を咲かすのだとか。やはり誉めると言うことはすごく大事なことなのだと思う。先生が誉め上手になるのは、お父様が先生を誉めて育てたからなのだそうだ。「おまえは、そのままでいいから。自信を持っても大丈夫だ」と言ってくれていたのだそう。恥かしくなるくらいに誉められたて育ったのだそう。子供というのは自信を持たせるのがいいのだろうと思う。また、こういうことも言われた。「朝腹が立ったら、夜まで待ちなさい。夜腹が立ったら、朝まで待ちなさい。そしたら腹が立つようなことではなかったのだと気付くから。怒らないですむようなことだと気付くから。」確かにそうかもしれない。じっと考えてみると、些細なことかもしれない。怒るという感情にエネルギーを使わないで、立ち止まって時間がたつのを待ってみると気持ちが落ち着いたりするのかも。急いだら早とちりをして、間違った判断をしかねない。先生は旦那さまにも一度も怒ったりしなかったのだそう。言われた言葉をいつもそのまま受け取っていたそうである。例えばそれが戸惑うような言葉であっても。そう思ったのだ、ということを一度どんと受け止めるのだそう。それに対して、反論をしたりしなかったのだという。素直というかなんというか。けれど、それはすごいことではないかと思う。相手が言ったことを全て肯定で受け取る。なかなか出来ないことだと思ったりする。ご主人の意見を尊重しているということなのだと思う。何だか、学ばせてもらった感じである。*夫婦円満の秘訣というのを聞いたことがある。それは肯定の数が増えると言う事。これはだめ、こんなのはいや、気に入らない、理解できない。そういう言葉とかが増えるのは危険。そうだね、そのとおりだと言っていることの方がいいのだとか。行動であれ、言葉であれ、相手のことを肯定することが大事なのだなぁと思う。
2004/04/07
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ブラジルから海外出張から帰ってきたWさんからチョコレートを頂いた。珈琲の味のチョコレートだった。銀ホイルの包み紙をゆっくりと広げるとシャリシャリと音がする。ブラジルの香りがはるばる日本で開封される。こっそり食べる。甘くて苦い珈琲の味が口の中で意地悪く広がる。海外のチョコレートは意地悪いような甘い味がする。食べていると、ブラジルの珈琲農園の風景が目に浮かんだ。こっそり食べていると、昔のこっそりと食べた記憶が蘇ってきた。昔マンションに住んでいた頃、二軒隣にRちゃんというお友達が住んでいた。Rちゃんは私の1歳年下だった。Rちゃんのお母さんは厳しい人で、一日に食べさせるお菓子の量を決めている人だった。こっそりお菓子を食べて、見つかるとげんこつで叩くというのだ。虫歯にならないようにとのことだと思う。お菓子は体に悪いと思っているのかもしれない。だからRちゃんはその決まりに従って、お菓子の量を気を付けなければならなかった。私はRちゃんと遊ぶ時、家からチョコレートを持ってきてRちゃんにあげた。「お母さんに怒られるから」とRちゃんは言いながらもドキドキしながら、チョコレートの包みを解いて急いで食べた。「お母さん、帰ってくるかもしれへん」と言って、急いで歯磨きをしていた。歯磨きをしてミントの息にしてアリバイを消さなければならない。何と言うけなげさだろう。私も悪い気がして、一緒に水でぶくぶくうがいをした。悪いことをしたような気がしながらも、秘密を共有したようで嬉しかった。私の小学生の従姉妹も同じように、家でお菓子禁止令が出ていた。両親が歯医者なので、お菓子に対して悪い考え方になるみたい。やはりこっそり食べているのかもしれない。Rちゃんと同じように。従姉妹にはいつもクリスマスにお菓子が一杯入った、ブーツを送っている。いつもすごく喜ばれた。従姉妹は今年の4月で中学生になる。もう1人でお菓子を買って、何気なく食べるようになったかな?*姉の友達が結婚式場に下見をしにいった。サンプルの写真を見せてもらったらしいのだが、旦那様の反応があまりにも尋常ではなかったとのこと。どうやらサンプルの写真、昔の彼女だったらしい。「○○」とつぶやいて、耳までまっかになったので、お友達はこれはおかしいと直感で気付いたとのこと。同じ話は他にも聞いたことがある。サンプル写真を撮るということは、値段が安くなるのだろうか?それにしても本当に動揺すると思う。昔の彼氏や彼女の結婚式の写真なんて、本当に見てはいけないもののひとつではないだろうか??*昔付き合っていた人に別れ際に言われたことがあり、それは『俺に話さなくてもいい話をするよね』と言われたことだった。その言葉が残り、私は自分が話す話はどういう話だろう?と考えながら話すことがある。恋人だから話す話というのがあるのだと思う。夫婦だから話す話があるのだと思う。恋人だからこそ話したほうがいいこと。例えば照れさせるような話とか。その頃の私は当時の彼を会話で気持ちよくさせることができなかった。会話の技術がなかったというか、相手を喜ばせようという気持ちも足らなかったのかもしれない。異性に言われたことってやはり的を得ているので、私はすごく勉強になる。素直に受けとって、自分の中のこやしにする。やはり話というのは、相手が求めるものであるほうがいいと思ったり。反応を見つつ、相手が欲する話ができるようになりたいと思う。恋人だから話す話。心の中に忍び込む話。そんな話ができるようになろう。
2004/04/06
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昨日N君とお花見に行った。朝のお天気は微妙な強さの雨だったのだが、午後になりすこしずつ雨が上がっていった。しばらくお店でお茶をしたりして時間を稼いでから、外に出た。傘をさしてお花見をするのも粋だった。桜がしっとりと濡れていて、色気があった。携帯で二人で写真を撮ったので、家に帰ってから見てみるとあれ?と思った。二人の表情が違うかもしれない。こんな感じだったっけ?去年の終わりごろ、彼と二人で撮った写真があった。私は毎日といってもいいくらい彼の写真を見ている。趣味みたいなもの。ちょうど手を伸ばしたら届く場所にアルバムを置いているので、何となく写真を見るのが日課になっていた。去年の写真は私の方がお姉さんに映っていて、やはりその頃は彼のほうが依存しているような感じだった。昨日携帯で撮った写真は彼のほうが大人に映っていた。逆に私の方が子供みたいに映っていた。最近の彼は大人になった感じがしていた。彼も周りの人にそう言われたらしい。表情が変わったね、大人になったねって言われたと言っていた。この間、彼に「なんか、家族みたい。私達ってきょうだいみたいだね。」と言ったら「そうだね、おまえが妹だね」と言われた。その時私は心の中で驚いていた。結んだ唇がふっと緩んでしまった。実は内心、私は自分の方が姉ではないかと思っていた。彼をリードしていたつもりだった。でも彼は私をそんな風に見ていたのだと知った。その言葉を聞いてから、私はすごく安心した。締めていた糸が解けたみたいな感じ。彼を子ども扱いしていたのに、その必要はないのだと思った。私は本当はそうしたかったのだと思う。彼を男性として頼りたかったのだと。私よりも上にたってほしいのだと思っていた。写真に写った顔って、日によって違うもの。二人で撮った写真に写った表情で、その時の関係やら心の動きがシャッターに納められている。私は時々わからないことがあると過去の写真を出してきて、過去の私に聞いてみる。過去に戻ってみると現在が見えてくる。あの時は頑張っていたんだなとか、ゆとりがある表情をしているとあの人が側にいてくれたからだ、と思い出して懐かしい思いにひたる。表情の変化は心の変化。彼は彼なりに考えて、成長をしてくれたのだと思う。人間は変わるのだ、と写真に気付かされた感じだった。いいえ、もしかすると彼が変化をしたのではなくて実は私も変化をしたのかもしれない。彼の男らしさを気付くことが出来るようになったのかも?気付くアンテナというのは大事である。アンテナを立てていなければ、相手のよいところを気付いてあげられなかったりする。本当は素晴らしい可能性を秘めていても、気付いてあげられなかったら、本当にもったいないと思う。アンテナが変わると、世界が違って見えたりする。
2004/04/05
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こうであり続けたい、と思うことがある。恐らく皆何か考えながら、こうであり続けたいと思うのだと思う。私は少女でありつづけたいと思う。いくつになっても少女みたいな人がいる。それは私のおばである。精神的に少女なので、小さなことにも驚いたり繊細に傷ついたりする。私が小さい時、よくその人に似ていると言われた。声がかわいい。驚き方がかわいい。少女のよう。私の父方の親戚は、女性はみんな若々しい感じの人が多い。素敵な女性になりたいと思う。そして少女のような感性でいたいと思う。目標というのはいい言葉である。ふと目標を立てたくなった。そうなるようにと思っていれば到達するのだろうか。子供や少女のような感性というのは、大人になったらわからなくなったりするもの。私は何かにもがいたり、何かに染まってしまいそうになると児童文学を読んでみたりする。白でもなく黒でもなく、そして赤でもなく何色でもない私でいたいと思う。*思ったこと*よく、恋愛で『押してだめなら引いてみるとうまくいく』という法則がある。何故それが上手く行くのだろうか?私は考えていた。実際に私もその法則にひっかかったりする。もしかすると、引くという行為は待つという行為に似ているのではないだろうか?相手のテンポに合わせてみる。気持ちを伝えるだけ伝える、そして後は待つ。花の蕾が開くのを待つように。気長にのんびり。
2004/04/04
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今日は一ヶ月ぶりのお茶のお稽古だった。いつもお稽古の前にお茶の本を読んでから行く。ちょっとした手順とかを確認してからした方がうまくいくのだ。でも今日は本を読まなかった。感覚に頼ってみた方がいいのだと思う。お茶のお手前って、頭で考えてすることじゃないみたいで手が覚えるもの。体で覚える事だから本を読んだりするのは邪道なのである。何度間違えてもいいから、と先生に言われた。今日は自分の記憶や感覚を信じてみる事にした。記憶を辿りながら、やはり何度も間違えたけれど何となく試行錯誤しながら自分の動作を辿っていく。自転車の後ろの車を外したような感覚。ゆらゆらしてて、後ろで誰かもってくれないと走れないけれどでも前をずっと見ていたら走れそうな感じ。緊張をしたけれど気持ちよかった。やはりお茶は緊張と緩和で、リラックスできる。今日は先生がいつもと違っていて、落ち着かなかった。おかしい。何かがちぐはぐな感じで。生徒さんの欠席者が多かった。お花見なのかも?「お花見どころじゃないわ」などとつぶやいていらっしゃっていて、何でだろう?と思った。するとどうやら先生のお姉さんが危篤なのだとか。新潟なのだそうだけれど、先生は一度も一人で電車に乗った事がなくてチケットさえ買った事がないのだという。「姉はね、好きな人がいたのだけれど その人が戦争にいってしまってね、2年ほど帰ってこなかったの。死んでしまったのか、音通不通で。でも昔は年をとると女の人は結婚できなくなるから、姉は結婚をしてしまった。すると、姉の好きな人が戦場から戻ってきたのね。結局縁があったのは、今の旦那さんだったってことなんだろうけれどね。」と話をしてくれた。好きな人が戦場から戻ってきた時、どんな気持ちだったのだろう。胸が締め付けられるような気持ちになった。先生はお姉さんのことが心配で、また一人で電車に乗るのが恐いので昨日は全然眠る事ができなかったのだという。きっと、眠れない夜は長く感じられたのだと思う。先生、いつもと違って当然だった。「師範がこんなんで、本当にすみませんね」なんて言っていた。でも、気持ちがふさがる日は仕方が無いと思う。いつも穏やかに笑っている先生が、今日はバランスが崩れてしまっていた。いつもニコニコしている人がそうでない時、心配になる。そうか、いつも笑顔でいるのはいい緊張をしていらっしゃるのだと思った。お年を聞いてびっくりした。80歳を越えているなんて。ええっ?やはりお茶をしているからか、お肌つるつるである。全然80歳には見えない。本当に驚かされた。お茶の帰りに南京町を一人で散歩した。石のお店に入った。石を選んでアクセサリーを作ってくれるお店だった。私は今まで一度も選ばなかった石を選んだ。それはラピス・ラズリ。何となく今日は最初からラピスが気になった。紺色になんとなく惹かれた。「厄除けの石はなんですか?」と何となく聞いた。ついていないわけでもないけれど、でも私は誘惑に弱いから。守ってくれる石が欲しかった。すると店員さんがラピスと言う。それじゃ、今日必要なのはラピスってことかな??と思う。ラピス・ラズリは厄除け、運気を上げるらしい。その他、リラックスの効果もあるみたい。ペンダント・トップにして、ネックレスを作ってもらう。いつもは選ばない石を選んだ。自分の中で何か変化があったのかもしれない。*金曜日、亡くなった犬の事故現場に行きました。姉とYちゃんと夜お花をお供えした。お花屋で「天国にいけそうな花を作って下さい」と言うとカモミールとか白いガーベラとか、やさしそうなお花を使ってくれた。一緒にドッグフードも供えた。黙とうをしたら、何だか気持ちがすっきりした。3人で来た道を帰るとき、来た時とは気分が違っていた。やはり3人とも事故の次の日はブルーだったみたい。でも、そういう気持ちだったこと、お互いに話をしたら楽になった。自分だけじゃなかったのだと思ったのだろう。後になって、思ったのだがもしかするとこれは何かの兆候なのかもしれない。車に気をつけなさい、という暗示なのかも。もしくは家の犬のことを気をつけなさいということなのかも?悪い事の後は、気を引き締めようと思う。
2004/04/03
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昨日は衝撃的なことがありました。日記にはかいつまんでで書かせて頂きます。恐がりの人は読まないで下さいね。◆昨日は仕事の後何となく姉に電話をした。姉は今日から新しい仕事を始めることになって、初日の日は心がざわざわしているだろうと思った。家にまっすぐ帰ると、気持ちを切り替えられないのではないだろうか?私はそう思って彼女をお茶に誘った。案の定初日は色々な不安と期待の渦中にいた様子だった。私の誘いはとても喜ばれた。話を聞いて、落ち着いてバスに乗る。バスに乗ってから、私と姉のお友達Yちゃんが乗っているのに気付いた。席が離れているので降りてから声をかけよう、ということになる。私は偶然Yちゃんに会うことが多くて、週に一度くらい会っているのだが姉は久しぶりだった。Yちゃんが降りるバス停は私達の降りるバス停の前であるが、彼女と話をしたいので一緒に降りた。彼女はバス停に降りた途端突然走り出した。すると前から犬が全速力で走ってきて飛び出してきた。犬は反射的に車道に飛び出してしまい、前から来た全速力で走る車に跳ねられてしまった。Yちゃんの後ろに姉、その後を私が追う形だった。「かわいそう~」駆け寄ってみる。痙攣を起こしていて、でもしばらくして死んでしまった。Yちゃんは自分のせいだと言ってしくしく泣いていて、私と姉はそれに対して「わんちゃん、楽しそうに走っていたよね。走っていたから仕方がないよ」と声を掛けた。姉と私の他に気を使ってその場に留まってくれた男の子が二人いて、その二人がいてくれたので心強かった。しばらくその犬に関しての話をしていた。首輪がついていたので飼い犬のようだった。鎖がしっかりとつながれていなかったのか、嬉しくて出てきてしまったのだと思う。動物病院と警察に電話をした。しばらくして白バイに乗った警官が駆けつけてくれた。30分くらいしてパトカーも到着した。犬を引き取ってくれた。犬とか野生動物の死体を引き取る仕事もまれではないらしい。飼い主の人は探しているだろうけれど、死んだことを知るよりも、行方不明のほうが精神的にはいいはずだと言われた。私は犬を飼っているので、自分の犬の死をイメージするとやはり想像するのも哀しいことである。通りがかりの車が私達の側を徐行していく。白バイに怒られているという図に見られたらしかった。Yちゃんは自分が走らなければよかったのだと言って、姉は自分がバスの中でYちゃんに話し掛けていたらよかったのだと言っていた。私はどうしたらよかったのだとは言わなかった。言っても仕方がないことだと思った。残念な気持ちでいたら、犬も気になって天国にいけないのだと思った。犬はきっと誰のことも恨んでいないと思う。私がもし姉をお茶に誘っていなかったら、Yちゃんは1人だった。もっと孤独でもっと自分を責めていたかもしれなかった。だからよかったのだと言った。そう言うと、姉が「救われるね」と言った。家に帰ると全然食事をする気がしなかった。直後はすこしも涙が出なかったのに、お風呂に入ると涙が一筋出て来た。二筋出て来た。雨が降ってきて、どんどん強くなっていった。アスファルトの上を強い雨がうつ音がする。きっとあの犬の遺体があった場所も洗い清められているのだと思う。そして土に還っていくのだとイメージする。雨が降ってよかった。私は気持ちが切り替えられないのではないかと思ったけれど、雨の音を聞いていたらそんな気持ちも流せた。ざーという強い雨音以外には何も聞こえなかった。私はその音の中で夢に落ちていった。金縛りにあったらどうしよう?と思っていたがあわなかった。*今日は何事もなかったように青空が見えている。家の庭にある犬小屋で、自宅の犬と目があう。何かをいいたげな顔だった。言いたいことがあるけれど、何を言ったらいいのかわからないという顔をしていた。(実際言う事は不可能なのだけれど)そう、昨日の夜家についたときすごく吠えられた。感じ取っていたのかもしれない。
2004/04/02
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昨日はフラワーアレンジメントでした。一緒にお稽古をしている友達はなんと、小学校からの友達と中学からの友達。昨日のお稽古はブリザーブ・フラワーという凍らしたお花を使ったものだった。ピンクと黄緑色の薔薇と、水色のあじさいを白い藤のかごに貼り付けていく。繊細な材料なので、ワイヤーを差し込むときにしかめつらになる。その顔を見られて、大笑いされた。全体的にメルヘンな雰囲気に仕上がった。春らしい感じ。お稽古の後、ご飯を食べることになる。阪急グランドビルの上に上がる。学生時代の話に花が咲いて、盛り上がった。心からたくさん笑った。「mamikoro、かわいいね。一生懸命だね。mamikoroみたいな子供が欲しい」と言われた。「純粋やね。変わらないでいてね」とも言われた。純粋、と言われると嬉しい。ずっと言われ続けられるようでありたいと思う。私は彼女達といると何故か祖母といるような感覚になる。自分が子供に戻れるようだ。働き始めてから、よけいに彼女達との時間がとても貴重に思えるようになった。学生時代には気づかなかった、魅力を改めて気付いたりする。何気ない気遣いができるのは素晴らしい。心の中にずかずかと入り込んで来ないで、空間にノックをしてから入ってきてくれる。タイミングがわかっているというのか。私の距離の取り方を熟知している。交わり過ぎないけれど、遠くから見守ってくれている。私が”子供のような私”でいることを応援してくれる。Tちゃんが誕生日だったので抱負を聞いた。「自分がやりたいことを見つける」だそう。何となく働いているのではなく、何かの勉強をするとか。あまりにも真剣で、気合が感じられた。素敵なことだと思った。私は新しいことに目を向けつつ、今の状況も維持する。そんな心境だろうか。終バスに間に合うにはギリギリという時間になったけれど、私は言い出さなかった。その場を白けさせたくなかった。それでも何とか、間に合う電車に乗る。停車駅の度に、電車を降りてプラットホームを移動して又乗る。二つ目の移動後、携帯にメールを打っていたら携帯電話を目の前にかざされた。顔を上げると、Hさんがいた。「え~、まさか。どうしていらっしゃるのですか??」「いや~、mamikoroさんに似た人だなと思っていたんだ」と言われた。彼は私の上司だった人で、本当に尊敬している人である。東京に異動してからは滅多にお会いする事がない。一駅だけしか話が出来なかったけれど、元気をもらえた。相変わらず、びっくりするようなしびれる笑顔だった。友達と楽しい時間を過ごした上、大好きな上司に会えるなんて本当にラッキーだった。これは”神様からのご褒美”かもしれないと感じた。あまりに物事がうまく行く時、神様のご褒美だと思う。自分を取り巻く空気がふわっと暖かくなる感じがして、見守られているような安心感を感じる。頑張っていると何かの後押しを感じることがあり、そういうことを気付くことがやはり大事なんだろうなと思う。
2004/04/01
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