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きゃらめるぶろんどさんの日記で、観葉植物のことが書いてありました。風水で南西に観葉植物を置くといいのだということだけれど、私は南に置いています。このホーム・ページを作ってからまもないころに買った、ガジュマル。ずっと死にそうになっていた。今年に入ってからはぐったりと葉っぱを下に下げて、うなだれているみたいだった。植物が枯れるのは持ち主の代わりに、悪い気を受けてくれているからだとか。きっと私がいろいろと考えたり、疲れたりしていたからかな?N君のこととかいろいろとあったから。。。その樹が先週に入ってから急にげんきになった。本当に嘘みたいに!!枝がぴんと上に伸びていて、葉っぱは生き生きとしていて見ているとドキドキするほど。しわしわだった幹が、嘘みたいにぷくっと太っている。実は二週間ほど前に樹の枝に、神社のお守りをつけていた。だからそれが樹を守ってくれたのかもしれない。こんなに元気になってくれるなんて本当にうれしい。私も元気になったから樹も元気になったのかな?元気になった樹を見ると、なんとなく”お帰りなさい”と言いたくなった。ずっと元気がなくて、どこかに行ってしまったみたいだった。もしかするとどこかに行ってしまうのでは?と思って心配していた。枯れていくものを見るのは本当にせつなかった。戻ってきてくれてありがとう。。
2004/05/31
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昨日はさちこと、大阪大丸で開催されている『はらぺこあおむし』展に行った。絵本作家のエリック・カールという人の展覧会である。私はエリック・カールの大胆で鮮やかな色彩が好きで、見ていると童心にかえる。見ているうちにあれこれ遊び心が湧いてくる。昔にこういうことを考えたな~と思ったりする。彼の絵は、ティッシュペーパーに色をつけたものを切り取って貼っていくというコラージュの作品。『はらぺこあおむし』とか『パパ、おつきさまとって』とか色々、動物や虫が主人公の作品を出している。絵もストーリーも素直で、まっすぐなのだ。シンプルな話。なんか、全然屈折していなくて。するする心の中の垢を洗い流してくれる。『パパ、おつきさまとって』のストーリー展開が好きだ。おつきさまを取ろうとするお父さんの、真剣な感じがすきだ。長いはしごを空にひっかけて。娘のために真剣に上に上にのぼっていくのだ。すっかり癒された後、うどんを食べることにする。『美々卯』のうどんはこしがあって、美味しい。幸運にも空いていて、大阪の夜景がみえる特等席だった。さちこと色々な話をする。夜景のひとつひとつを見ながら。「N君とはもう会わないの?」なんて聞いてくる。そんな一言が心にささったりする。別れた相手に会う、そんなアイディアを浮かべてはいけないのだ。きっとさちこには何の気負いもなく言っているのだろうな。別れてしまったら、徐々に相手を忘れるようにするというもの。それが恋愛というものだ、ということ。一度恋愛したふたりというのは、もう純粋な友達にはなれない。N君とバイバイしてから一ヶ月以上がたつ。N君からもらったものがたくさんまだ家にある。アクセサリーとかMDという、日常的なかんじのもの。そしてお酒。もらったお酒、飲めないで置いてある。お酒が好きな私にと、お酒を2回ほど買ってきてくれた。福井に行った時のお土産だったと思う。そのうちの1つが 『心伝(しんでん)』というお酒だ。それはまだ彼と付き合う前にもらったもの。心を伝える、と書いてあるお酒をもらった時、私はその名前を見て心臓がおおきく1つうった。彼とは映画を見て、ご飯を食べる仲のよい友達だと思っていた頃のことだった。けれど、お酒をもらってからN君の気持ちがわかった。家に持って帰ると父に「なんか、気持ちを伝えたいみたいやな」と言われた。そうなのかな?とドキドキした。それからまもなく、彼から告白をされてお付き合いをすることになった。お酒好きな私は、お酒を飲むときに色々な気持ちもいっしょに味わったりする。N君からもらったお酒、もらってすぐに飲めばよかったかもしれない。もしかすると、お酒に込められたN君の気持ちも一緒に飲み干すこともできたかも?今の私は『心伝』は飲むには勇気がいるし捨てるにはもったいないし飲んだとしても、空になったビンを見るとせつなくなるかもしれないし、、人にあげる気にはなれない。なんだか扱いに困るものである。
2004/05/28
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私は普段凛としている。それは母の接し方がそうであったからなのだと思う。小さい時から、母は私が「疲れた」と言えば、「そんなに疲れるならば、やめなさい」と言った。私はそのことをやめたくないから、もう二度と言わないことにする。だから私は疲れた時も疲れた、と言わない癖がついてしまった。私は家でもすこしの緊張感をもって、自分のリズムを刻むように生活をしている。ごくたまに私がだらだらしていると喜ばれる。「それでいいのよ」と姉が嬉しそうにする。姉は私を甘やかそうとする。甘えて欲しそうにする。不思議なことである。最近私には疲れた、ということをさせなかった母が「疲れた」と毎日言っている。今日は○○をして○○をして疲れた、と言う。私はそれをうんうん、と聞いている。話をするよりも聞くことが主になっている。私はいつも凛としていて、たんたんとしていて、そしておっとりとしているように見えるみたい。何事があっても動じないように見えるみたい。母は私に甘えることができると思っているみたい。母と子が逆転しているみたい。そういう私も、母が「疲れた」というのを聞くと私はいらだつことがある。以前は疲れた、疲れた、なんて言わなかった母が最近は毎日言う。母が変わっていくことが哀しいのかもしれない。もしくは私は心が狭いのかもしれない。私も「疲れた」と言いたい、と思うからなのかもしれない。なんとなくそういう葛藤をしてしまうことがある。父には疲れた、と言うことができる。腹が立った時は腹が立った、と言う事ができる。たぶん私は父には甘えれているのだと思う。父は父で、甘えられるのが嬉しそうである。(たぶん)私の心のバランスは両親との接し方が原点にあるのだと思う。母には凛とするようにと育てられ父には自由さみたいなものを与えられ姉には甘えることを教えられているやはり縁あっての家族だ。そんな気がする。母の立場になれば全く違う風になるのだろう。父の立場になればまた、違った感じだろう。立場によって、全く違う存在になりえる。人というのは多くの面をもっているからこの人はこういう人だとは言い切れない。それが面白いところだろう。*昨日に引き続き、内向的な日記です。外に向かう時と内側に向かう時があるのだと思います。外と内側を行ったりきたりしながら、視野を広げたり狭めたり。それに平行して日々の生活をしているように思います。
2004/05/27
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昨日はとめどもなく、突然涙が出ました。泣き終えると気持ちがしゃんとしていました。突然の夕立の後の晴れ間みたいに。*泣くという行為は私にとって、ごく日常のことである。私はきっと普通の人よりも泣くことが多い。泣く、ということはとても原始的なことなのかもしれない。赤ちゃんはよく泣く。それは言葉にすることが出来ないからなのだろうか?泣く、その瞬間にすべてを放出しているのかもしれない。感情も体の中のモヤモヤも。感情を表に出すことが苦手な私にとって、泣くという行為は浄化作用があるのだと思う。昨日みたいに、予告なしに突如として赤ちゃんみたいに泣いてしまうことは滅多にない。年に数回くらいだ。家で泣く時は意図的に、しみじみした気分になった時とかお風呂の中で、深夜に物思いにふけりながらとかベッドの中で、何となく気持ちが高ぶった時とか。泣いたら、すっきりする。泣くことで解放することができる。目に見えないしがらみとか、鎖を断ち切ることができる。私は物事を難しく考える性質である。過ぎ去ったこと、未来に起こるかもしれないことの両方を難しく、考えてしまうことがある。けれど今を生きていれば、そういうことは必要ないのだと思う。テニスのコーチが言っていた。自分が打ったボールは目で追わなくていい。それはもう相手のボールだから。目の前に飛び込んでくるボールを追えばいい。それは何となく、私へのメッセージみたいだと思った。自分の感情とつきあうこと。それは大切なことだと思う。きゃらめるさん、イエペさんの言うように泣きたい時に涙を流せばいいのだと思う。赤ちゃんのように。言葉に出来ない時もある。そういうときのために、泣くという行為があるのだと思う。*私は時々ひどく女らしい格好がしたくなる時がある。今日はノースリーブのレースのブラウスにピンクのカーディガンを羽織った。女性らしい洋服を着ると自分の中の男の部分が中和される。私は外見は女っぽいけれど、実際は男っぽい。最近ひどく心がサバサバしそうになると、その反動で女性らしい洋服を着たくなる。かわいい下着を身に付けると、何だかホッとする。女性らしさを取り戻すのかもしれない。髪は鎖骨を越えて、ロングヘアーを目指して伸ばしている最中。長い髪の毛が落ち着く。ショートカットの時期もあるけれど、その時はもしかすると気持ちが女っぽい時なのかもしれないと思う。思えば彼氏がいるときに限って、ショートカットだったように思う。
2004/05/26
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昨日、姉が生徒さんから「手をだして」と言われて手を出したら飴が2つ手の中にあった。その飴の包装紙にはスヌーピーの絵が書いてあり1つは『ひとりじゃないよ』2つ目は『ずっと友達』と書かれていた。姉は図書館で働いている。たった一人で図書館で働いている。本に囲まれていることが好き、図書館が好き、人が好き、で司書の仕事をすることが楽しい姉でも一日中一人でいるということ。それは孤独なのだということ。そのことを生徒さんが気付いて、それで飴を渡すことで姉にたいしてメッセージを送りたかったのだと思う。そうひとりじゃないよそう言ってくれる人がいること。それだけで心があたたかくなる。わかるよ、あなたの気持ち。そう言ってくれる人がいるということが力になる。*さっき仕事で失敗をしてしまって、階段で泣いてしまった。涙は勝手に出た。ひさしぶりに、蛇口をきったように涙、涙。会社で。きっと、ひとりじゃないよそう思う。相手の人も、『わからなかったら、相談してね』と言っていた。なぜ人は泣くのだろう?きっと溢れたのだと思う。気持ちのお水がいっぱいになったときに涙がでるのだと思う。
2004/05/25
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水道水はお肌にどんな影響を与えているか?水道のお水は塩素が含まれていて実はお肌には良くないのだそう。塩素がどれくらい肌に影響を与えているのかわからないけれど、特に都会では影響が大きいようだ。以前私はエステに通っていた。その時にエステシャンの人が言っていた。お水ってすごく大事であること。ずっと田舎に住んでいたから感じなかったのに、都会に出てから同じ化粧品でも肌荒れをしてしまったのだとか。それはやはり都会のお水には塩素がたくさん含まれているからなのだとか。私は色々とそういう情報は頭の中にはあったけれど、水道の蛇口に塩素を除去する装置をつけてはいなかった。美容室によっては軟水にしているところもある。やはり髪の毛も塩素入りのお水よりは、塩素がないお水のほうがいいのだと思う。塩素対策として、洗顔の後アベンヌのお水を顔にたくさんたくさん振り掛けるといいのだとか。アベンヌの変わりに、精製水を使ってもいいらしい。今月号のCLASSYの美容特集でも、精製水を顔に振りかけてから化粧水をつけているという人がいたりした。私もなんだか気になって、アベンヌを振りかけ、タオルでふき取ってから化粧水をつけた。アベンヌがもったいないように思えたので、精製水にしてみた。3日ほど試してみたのだけれど、何だか本当に肌の調子が良いのである。あれ??って感じである。肌の表面にあったぶつぶつが消えた。乾燥肌がぷるぷるになっている。肌の透明感が増している。おお、と思った。精製水の効果はすごいのか、塩素が肌に悪いのか。普段のささいなことが、大きなことだったりする。精製水なんて薬局でお安いから、まとめ買いをしておこう。お水をなめてはいけません。
2004/05/24
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一ヶ月ぶりのテニスだった。二週間前は予定していたけれど雨で延期になってしまった。気持ちを引き締めてウェアーに着替える。日常からきりはなされて、自分がまるでさもテニスを長年している人のような気分になる。料理をする前にエプロンを身につけるとその気になるように、その用途に合った服装に着替えるとその気分になる。*私と姉は二ヶ月ほど前から、知り合いの人のつてでテニスが上手な人からテニスを教えてもらっている。20年以上もしているという。だから、テニスをしている時はコーチと呼んでいる。今日はAコーチが家に迎えに来てくれた。降りるときは、自分が降りたあとで私のドアを外側から開けてくれた。紳士である。『今日の予定表』といって、分刻みに予定が書かれている。本気だ。知らない間にどんどん事が大事になっていっているのがわかる。もはやお遊びではない。練習をして、ゆくゆくは半年後くらいに試合に出ることになっているようである。コーチは、コーチという自覚のもと初心者に教えるための本を二ヶ月間読んでいたのだという。そのお陰で自分のテニスも改めて見直すことが出来て、ありがたいと言っていた。そのことを聞いて、私達はあらためて気付くのだった。向こうは”本気”である。いや、本気にさせてしまった?もしかすると、彼の中にくすぶっていたものに火をつけてしまったのかもしれない。最初はAコーチは一番クールそうに見えた。けれど一番乗り気になっていた。何故そうなったのかはわからない。私も姉も本気になってテニスをしなければ、危機感を感じた。追い詰められたうさぎみたいな気分である。おっとりとテニスを楽しむ、なんて感じではなくなっていた。ボールになれることが大事だということで、初心者がまず最初にするというラケットにボールを乗せて上にトントンとあげるやつをする。最初はうまく出来なかったけれどボールがラケットに当った瞬間の振動をじっくりと感じる。そしてボールの気持ちになって、ラケットは動かさずにボールがラケットの上にきた瞬間だけ力を入れる。コーチは、ボールになれることが一番大事だという。何だかすごく新鮮だった。ボールになれることが大切なのか、そうなのか。と腑に落ちるのだった。なるほどそうかもしれない。まずは敵(相手?)のことを知ることが大事なのである。いろいろと基本的な練習をみっちりとする。右手の親指の付け根のあたりがまっかになる。「手が痛いのはわかるし、疲れてきたのもわかるけれど、もうちょっと頑張ろうね。」と言って、結局3時間くらいうちっぱなしだった。ちょっと鬼コーチになっていた。水を飲む間もなかった。たくさん汗をかいた。日頃かいていない分、体の奥のほうから汗がにじみ出ているかのような気分になる。心も汗をかいたのかもしれない。さいごには試合をしてみた。とっさに変なうち方をしてしまう。テニスはメンタル面がもろに出てしまうとか。そうなのかもしれない。宿題を言い渡された。ラケットの上でボールをのせて、上げる練習をするようにとのこと。もう後戻りが出来ないほどの雰囲気が出来ている。最近、これほど本気に何かをすることがなかったのでいい刺激だなと思う。いつも最後にお茶を飲む。ついついケーキセットを頼んでしまう。運動の後はおなかがすいてしまうのだ。なぜか半分くらいの人がケーキを頼む。ビールを飲む人もいる。自分が何故この中にいるのか、という不思議はある。けれど気が付いたら居座っていて、手取り足取りテニスを教わっていて、もうウェアーも買った。新しいことに向かう時、新しい自分になっていく感じがする。もしかすると、人生というのは洋服を着替えていくこと、そしてその連続なのかもしれない。洋服というのは環境であり、社会である。自分が知らないもの、敬遠していたようなもののなかにもしかすると宝物がひそんでいるのかもしれない。そう思えるのはテニスをして気持ちが軽くなった証拠なのか。私はテニスなんて本当に無縁なことだと思っていたし日曜日の夕方に年上の人たちとテニスや日常のあれこれについて話をするなんて予想もつかないことだった。けれど本当はそういうことに憧れていたのだとも思う。きっと自分で引き寄せてきたことなのかもしれないとも思う。
2004/05/23
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上司から借りた本をずっと読んでいる。『男というもの』 渡辺潤一会社と家の道中。夜寝る直前まで。男の人の考えていることをまざまざと書かれている本。上司がいうには、まさにその通り!らしい。朝読んでいると、内容が怪しすぎて朝には不似合いである。*私は以前お付き合いした人たちのことを思い出さずにはいられなかった。また、私の周りのお友達が悩んでいることなども思い出した。その本を読んでいると、全ての謎が解けていく。やはり男と女の考え方の違いというのがあるのだ、と知る。すべては男性の”性”の問題なのだと、この本でも言い切っている。恋愛の感覚の違い。男性は恋愛と結婚は別のものだと考えていること。いつもどこか、女性を抱きたいと考えていること。女性とデートをしているときは、いかにして口説くのかと考えていると言うこと。また、そのことが気になってデート中も上の空ということもある。恋愛に対する男性と女性の感覚のちがい。男性はゲームやスポーツの感覚に近いということ。セックスも深めていくという感じではなく。愛情とは関係がないということ。それに対して女性は恋愛中は恋愛が一番、ということになる。セックスは愛があることだと信じている。男性は女性の昔の男に執着する。やきもちをやく。昔の男に負けているのではないかとあせる。友情を大切にする。恋人かそれ以上に大切な場合もある。それは社会の群れから外れないようにするため。*なんか他にもいろいろと書いていて、すべては書くことができないけれど。本当に興味深い。恋愛をするとトコトンはまってしまうのが女性。女性は全てをすててしまうほどの情熱をかけることがあるとか。
2004/05/21
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今日のお昼ご飯はいつもとは違うことをした。地下鉄で一駅乗って、ずっと行きたかったお店に行く。ケーキとサンドウィッチが有名で、英国紅茶が美味しくいただけるお店。友達には誰かと食べると言っておいたけれど、実際は誰かと約束をしていなかった。一人で食べに行くつもりだった。そういう時もある。たまにはひとりでお昼ご飯を食べるのも、いいかもしれない。グループで一緒にいるときは大勢でいる時の楽しさがあるけれど、気楽でぼんやりとしたいと思う時もある。お昼に地下鉄で遠出をするのは新鮮だった。地下鉄を待っている間、本を読んでいた。なんとなく大学生の気分になった。地下鉄に乗ると、どこかもっと遠くに行ってしまいたくなった。一駅で降りて、目指すお店へ。オムライスを頼む。イギリス風の店内にはサラリーマンや、私と同じように一人で来ている女性もちらほらいた。もしかするとこのお店に来る人は、一人でぼんやりしたいからなのかもしれない。食べ終わり、お店を出ようとすると最初にオーダーを通してくれた人がお店の前で「ありがとうございました」と言ってくれた。まさか隣の駅から来た、なんて知らないだろうな?でも何となくその「ありがとうございました」が嬉しかった。帰りは地下鉄ではなくて徒歩で会社に帰った。商店街の中を通り、まっすぐに会社の方に向かう。いつもとは違うことを思い切って、したいことをしたら気分転換になるのだとか。いつか見たテレビの番組で、そんなことを報じていた。普段の生活の中でいつもとは違うことをする。ドラマは自分で作るもの。そんな風に思う。
2004/05/20
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昨日は書道のお稽古でした。書道の先生と色々な話をした。先生は書道のほかに夢中になるものを見つけないようにしようと思っていたのだという。なぜなら書道に集中したかったから。それでも、絵や俳句をするのは好きで習ったことがあるようだ。でもやめてしまったのだという。なぜか?というと上には上がいて、才能がある人がいっぱいいるので自分はいいやと思ったのだという。同じ事を私の父も言っていた。私もそう思ったことがある。けれど、上には上がいるのは当然ではないだろうか?と思う。才能がある人はある人で置いておけばいいのではないだろうか?きっと芸術の世界では、それはそれは色々なアイディアが出来る人がいるのに違いない。けれど彼らだって同じ条件なのではないだろうか。彼らだって、自らの才能のあるなしに悩んだのではないだろうか。上手な人がいっぱいいるから、やめてしまった…そういう人は結構いるかもしれない。でもやはり辞めないことが上達の秘訣なのだろうな?と思う。一番になれなくてもいいのではないだろうか。才能を見極めてしまう人が周りにいると、もったいないと思う。何となく自分の値踏みをしているようで。きっと可能性は少しはあるはずなのだと思う。*楽天以外にも日記を書けるものがあるのだと知る。へぇ、こんなサイトもあるのだ、と感心する。日記を書いている人の数は意外に多いのではないだろうか?平凡な私が書いているくらいなのだから。恋愛に関することを日記に書いている人がいて、何だか読み出したら止まらなくなった…。その人はふたりの人を好きになったという人だった。第三者の視点から見ると、きっとこっちの彼の方がいいぞと内心思ったりして。日記、気が着くと500件も書いていた。こんなに続くとは思わなかった。読んでくれる人がいるから続くのだと思う。自分がしたこと、考えたことを表現したいのかもしれない。生きているということを記録したいのかもしれない。誰かと話をしたいのかもしれない。
2004/05/19
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昨夜は上司と居酒屋に行った。43度の泡盛と有名な芋焼酎を一杯ずつ飲む。ストレートで。芋焼酎は”佐藤”という焼酎で、日経新聞の日曜日版で読者の美味しい焼酎ランキングで上位にあったもの。香りが芳醇で美味しかった。甘くて美味しい焼酎だと思った。泡盛はしびれるような快楽を感じた。ストレートはさすがに強かった。唇をしめらすようにして飲んでいたのだが酔いが早い。一緒に冷水と飲んだ。ちょうど口の中でちょうどいい濃度になる。お酒を飲むとき、一緒にいる人と一緒のものを飲む。同じ匂いになれるし、酔い方もシェアできるように思う。それ以前に、上司は私が頼む前に一緒のものを勝手に頼むので私が選択する余地などないのだけれど。私に色々なことを教えたがる。反応が面白いのかもしれない。何も知らないから、自分の色に染めたくなるのかもしれない。教えることが楽しいらしい。面白い本を貸してくれた。渡辺潤一の『男というもの』(中公文庫)である。男性の心理をするどく言い当てたもので、この本は本当に凄いのだという。少し読んだだけでも面白い。男心がわかりすぎる。女性には言わない本音が満載である。私は知らず知らずに地雷を踏んでいたかもしれないと思った。*「君は魚を食べるのがじょうずだね」といわれた。私は魚の食べ方をよく誉められる。「そうですか?でもよく言われるんですよ」と答える。「大したものだよ」と感心される。食べ方で、その人を好きになったり嫌いになったりするということを言われた。例えば、魚の真中の部分だけを食べて後は残してしまうのを見れば、どんなに美人でも嫌になるのだそう。食べ方をみて、その人の見えない部分を想像するのだという。雑に食べる人は、生活のあらゆる場面でもそうなのではないだろうか?と思えてしまうのだとか。そういえば、私の知り合いも彼女が魚をきれいに食べるのをみて、好きになったから結婚したという人がいた。他のどの部分が良くても、自分にとってのポイントになるところが○なのか×なのか。それによって、急に好きになったり嫌いになったりするのだという。食べ方とか。私にとってのポイントは何だろう?その部分があるかないかで、他の部分が悪くてもその部分があるから好きになるというポイントは何だろう?ちょっと考えてみたくなった。.......昨日例の人が中国に飛び立った。単身で、知らない土地。大変だろうな?ちょっと飛び出してしまいそうな人なので、飛び出した方が良かったのかもしれないと思ったりする。最近気付いたことなのだけれど、私はどこか”変わっている”と思う人に惹かれてしまうらしい。何となく気になってしまう。応援したくなる、そんな感じである。
2004/05/18
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金曜日はお友達カップルとお食事だった。かねてより3人でお食事をしよう?と言っていたのになかなか日程が合わなかった。お互いの日程が合ったのでやっと実現する。友達の彼氏が「こいつがなかなかmamikoroちゃんに会わせてくれへんねん」と言う。真相はどうなんだろう?彼は頭の回転が良く、アドバイスが適確である。電話で恋愛の相談をしてもらったりしたことがある。若しくは友達経由でアドバイスをもらったりした。しかしながらカップルを外から観察するのは面白いものである。友達は、私といるときよりも好き勝手なことを言っていたりする。おいおい、と思うようなこともさらりと。いつもよりも可愛らしい感じのことを言ったりする。会話の中の興味深いもののひとつに、プレゼントされたものを使うかどうかということだった。例えばタオルをプレゼントされたとする。そのタオルがとても可愛くて、せっかくもらったけれど使うのがもったいないと思ってしまうかもしれない。でもプレゼントをした方は絶対に使って欲しいと思う。具体的にいうと、彼が友達にプレゼントをしたのだったのだが友達はもったいなくて使っていなくて、飾っているだけだと言う。彼は「何で使わへんの?あげた意味ないやん」と言う。私も何となくその気持ちがわかってしまう。「そうやな。多分Y君は使って欲しいんでしょうね。もうボロボロになるくらいに使ってくれた方が嬉しいんでしょう?」と私が一緒になって言った。Y君は「そうやねん。使ってくれた方が嬉しいねん。ようわかってるなぁ」と言う。私の周りでも似たような話を聞く。やはりプレゼントされたものは、使ってこそなのだと思う。使うことが、物を大切にすることなのだと思う。飾っているだけではそのものを駄目にしてしまう。男性が女性に(もしくは逆の場合も)物をプレゼントするとき、物を介在して相手の空間に自分が取り込まれるのかもしれない。物は贈り手の分身なのかもしれない。使って、使って、使うことで物を愛する。しかし、もしプレゼントが気に入らないものだったら?その場合はやはり言った方がいいのかもしれない。もちろん、言葉を選んでね。
2004/05/17
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お昼にさちこと会う約束をしていた。それまで午前中時間が空いていたので、県立近代美術館に行く。4月から東山魁夷展を開催しているのだが、来週の日曜日が最終日である。外に出ると雨だった。ごうごうと音がするくらいの雨。何の音だろう?傘をさしていても後ろから横なぐりの雨つぶが降り注ぐ。雨の日は雨の日の良さがある。私は気持ちがすこしモヤモヤしていたので、その雨が私を清めているような気分がして気持ちがよかった。海をひっくり返したみたいに気持ち良いくらいの降り方だった。お天気が悪かったとはいえ、東山魁夷展である。大込みだった。目が覚めるような発色。氏らしい色づかいと構図だった。構図を平凡なものにすることにより、より一層自分の気持ちを素直に出せるのだとか。北欧にしばらく行った後に描いた、大晦日の京都の絵が印象的だった。上から見たような絵で、家のやねが画面一杯にたくさん描かれている。あらためて日本を描こうとしたという氏の気持ちがあらわれている作品だった。氏は自身を風景画家だけれど、人を描きたいと言っている。人にこだわりたいから風景を描くのだと。確かに風景の中に人の生活だったり、人の足跡が見えるような気がしてしまう。温かい感じがするのだ。絵と一緒に氏の言葉が添えられていて、その文章がまた素晴らしい。しずかなしずかな、穏やかな絵が多かった。日頃のサビがとれて気持ちが穏やかになっていくのを感じた。最後の方に唐招提寺の襖絵(ふすまえ)の展示があった。その迫力に驚いた。ひとつのテーマが”海”、もう1つのテーマが”森”だった。それぞれ思いを込めて描かれたものだった。海を描く為に、山を描く為に日本全国をスケッチして模索したというエピソード。私は絵の前に立っているだけで、ちょっとした危機感さえかんじた。ざざざと波の音が聞こえてきそうだった。本当にまるでその場所に海が、森があるかのよう。来週はもう一度、姉と一緒に見に行こうと思う。何度見てもいいと思える。それは氏の人柄かもしれないと思う。*さちことお昼を一緒にするのは久しぶりだった。色々と私の周辺の話をする。N君とバッタリ会った話、海外に行くことになった人の話。一緒に考えてくれたり、怒ってくれたり、納得してくれたり。さちこに話すと気持ちがすごく落ち着く。きっと私の還る場所なんだろうと思う。いつも平穏な気分にさせてくれる彼女。私は彼女に会うと、世界がどうなっても大丈夫だろうな?と思う。しばらく自分がずっと遠くに旅をしていて、ただいま、と彼女の前に帰ってくる感じがする。
2004/05/16
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一ヶ月ぶりのお茶のお稽古でした。久しぶりだったので、気持ちがいつもより高揚してソワソワしていた。いつもよりも15分早く到着する。久しぶりのお稽古なのでまずは、体をその場所に馴染ませることが必要。また、早めに行くとそれだけで自分のやる気も自然と満ちてくる気がする。今日はなぜか休みの人が多かった。私はいつものメンバーではない人と一緒に割り稽古をした。私よりも半年くらい後に入ってきた人達だった。大学生と高校生で、2人とも何だか真剣だった。高校生の子は制服を着ていて、初々しかった。野球部のマネージャーをしている、と言っていた。今日は試合の後に来たので制服なのだとか。私がお稽古をしているとそれを見ながら一緒に袱紗をさばいたり、真似をしたりしている。お稽古をしているときの表情は真剣、というか無表情だった。先生が注意したことを素直に聞いている。何と言うのか、注意やアドバイスを聞く姿勢がすごくいいのだ。体で聞いている感じなのである。目に力が入っていた。お茶が好きなのだなぁと思う。覚えるのも早そうだ。やはり好きこそものの上手なれということだろう。「2人ともお茶がすきそうだね?」と私が大学生の子に聞くと「極めたいんです。」と言われた。私はすごくびっくりした。極めたい??極めたい、という言葉は何とも懐かしい響きだった。かつて私が洋弓をしていた時によく「極めたい」とかみんなで言っていた。極める、と決めた時はぐんぐん上達できた。トレーニングも頑張っていた。ああそうなのだ、と思いだす。どちらかなのだ。極めたいと思うかどうか。それが上達するのかどうかの分かれ道。私はやめないこと。続けることで力をつけたいと思っていた。けれど”極めたい”とは根本的に気合が違うのである。極められるのかどうかは、本人の努力次第だけれど”極めたい”と口にすることでがぁぁと発熱する。気持ちの中にも体の細胞にもその言葉が響き渡る気がする。いい刺激を受けることができた。そう。極める以上には道はない。それくらいの気持ちが必要。
2004/05/15
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昨日ふいに姉が「何か慣れてきたわ」と言われた。「何に?」と聞くと私がパワーストーンを信じて、首から下げていることとか言いたいことがあるくせに「う~ん」と言葉が出てこないこととか、なのだという。昔はいらいらしたらしい。でも今は何か別に何とも思わなくなったらしい。*私は石の力を信じていて、ベッドの枕もとに3種類の石をおいている。スモーキークオーツと、シトロンと、ブラックトルマリン。どれもそんなに大きなものではない。いつも助けられている気がする。 …とか例えばそういう話、そういえば姉からはしてこないなぁと思う。自分の中では何か神秘的な感覚が当たり前だったから人もそうなのかと思っていたりする。でも実際はそうではないみたい。一緒に暮らしていても、確かに相手のどこか気に入らないところはある。私も言葉にはしなくても、やはり何となく我慢しているところはある。言ってしまうほどのことでもないけれど、何となく居心地が悪いこととか。でも確かに”慣れる”というのはある。”許す”とか”我慢ができるようになる”というのも同じようなニュアンスかもしれない。その人だから。その人らしさみたいなもの。どうしようもないもの。そういうものってあるわけだから、わざわざ気に入らないなんて言い出しても仕方がなかったりする。家族だし。しかしながら、姉が私に対して日々思っていることが実はあったのだというのは面白いことだった。実は葛藤があり、私の中の不思議に慣れていった、そして今はそれらが愛嬌でもあるように思う段階まできている…という。一緒に暮らしているということは、本当は本当にすごいことなのかもしれないと思うことがある。きっと一生に何人か、数えるくらいの人数としか一緒に暮らさないだろう。縁があって、家族である。私の家はみんな個性があり、みんなマイペースである。お互いに干渉することなく、お互いにお互いの自由を尊重すること(若しくは自由を許すこと)が大切みたい。
2004/05/14
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一昨日『日経WOMAN』を買った。特集は”夢を育てる方法”という。私はこの雑誌がとても好きで、時々立ち読みをしている。特に女性にとって関心ごと、仕事のこととか生活のことなどが満載である。かなりおすすめの雑誌だ。今回の特集はすごく興味深かった。”夢”について。私は最近、”自分の夢”は何だろう?と考えることがある。ただ何となく、何かしたいこと。目標を持ちたいと感じている。それが5年後だったり10年後だったりするかもしれないけれど。色々な人の体験談を読んでいると、自分に重ねて考えてそうだなと頷いたり励まされたりした。お風呂上り、すぐにベッドに入ろうとせずに『日経WOMAN』を読んだり、英語で書かれた読み物を読んだりしていると12時がくる。私はしばらくずっと頭の中が恋愛モードだったから、あまり仕事のこととか自分のためのことを考えていなかったように思う。ずっと誰かのことを考えているとそれだけで時間を消費してしまう。今は特別な人がいないので、この時期は自分の将来についての勉強とかをしてみるための時間だと思う。好きな人ができると私はその人のことで頭が一杯になるから。なにも出来なくなるから。今はどういう時期なのかと考える。たぶん今しかできないこと、あると思う。そういうことを考えると一日が短くて、あっという間である。一日が短い、と思う。そう思えるのは幸せなことなのかもしれない。
2004/05/13
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たんなる偶然なのか、ある食べ物を食べた後に同じような状況になることがあった。それは中華料理。以前お付き合いをしていた人とデートをする時は決まって和食を食べていた。しかしある時、彼が中華料理を食べたいと言った。私はどちらでも良かったけれど、彼の意見に従った。その食事の後に別れ話をした。(別れ話をしたのは私である)また同じように、中華を食べた後に別れ話をしたことがあった。同じようなシチュエーションである。私ではなく彼が中華料理を選んでいた。本当に偶然なのかもしれないけれど、なぜか中華料理なのである。中華料理を食べたくなるときは、気持ちが中華料理の辛さを求めているのだろうか?それとは別に、甘いものを食べた後に恋愛が進展することがあった。甘いケーキとか。お酒のおつまみを選ぶ時に「チョコレート」を頼んだりしたあとは、告白されたりした。気持ちと食べ物って関係あるのかな?なんだか気になってしまう。他の人はどうなんだろう?
2004/05/12
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朝地下鉄の定期が切れていて、ぴーと音がなってしまった。いつもは切符を買うことがないのだけれど、切符を買う。私の隣にいたおじいさんが、私の顔をじっと見て急に話し掛けてきた。「淀屋橋は本町の隣かいな?」しかし今乗ろうとしている四つ橋線には淀屋橋はなかった。淀屋橋は遠回りだった。私は「淀屋橋は御堂筋線です」と答える。「昨日は本町で乗り換えをして、阿波座におりてしまった。」おじいさんは本町の近くの駅に行きたいらしい。最初、彼が言っていることがちんぷんかんぷんでわからなかった。というのも、おじいさんは困ったことに自分が降りたい駅がわからないみたいである。どうやら●●眼科に行きたいそうである。一緒の方向だったので、一緒の電車に乗る。昨日は違う駅で降りてしまったらしい。どうやら四つ橋線を利用することと、本町まで行くことは、決まっているのだとわかる。電車の中にある路線案内を見ながら話をする。「本町の次の駅はどこかいな?」と言われた。「四ツ橋です」と答える。診察券を見せてもらうと四ツ橋駅から上がってすぐにあるらしい。私は「眼科は四ツ橋ですね。四ツ橋で降りてください。」と言う。おじいさん、不安そうに「四ツ橋か、そうだたっかな。」と言って何となく納得したような顔をしていた。そんなことを言っているうちに私が降りる予定の本町に電車が到着する。「私はここで降ります。すみません。では、次の駅で降りてくださいね。」と言うと「どうもすみません、いろいろとご丁寧に」とお礼を言われた。*多分彼は不安だったのだと思う。電車の中で一緒に路線案内を見ていたのだけれど、多分ぼやけてよく見えていなかったのだと思う。どこの駅に降りたらいいのかもわからないなんて不安だったろうな?もし教えてくれる人がいなかったら、どうなっていただろう?私はたまに見知らぬ人から道を聞かれる。聞きやすい顔をしているのだろうか。私も私で何となく説明を一生懸命してしまう。今日は興奮して大きな声になってしまった。
2004/05/11
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お昼、友達にお昼一緒に食べよう?と誘われた。「すこし早めに出ようね」と言われ、早めに会社を出た。お友達は何も言わずにぐんぐん歩いていく。どこに行くのだろう?と思いきや急に道路のまんなかに出て行ってタクシーをひろった。私はおどろきながらも、一緒にタクシーに乗り込む。私に何も言わずに「北浜に」と運転手に行先を告げた。どこに連れて行かれるのだろう?と思った。少しして北浜に到着した。場所は中央公会堂の前の当たりにある『EL PONIENTE』というスペイン料理屋だった。友達は「予約のものです」と告げた。小奇麗で自然光の入る明るいお店だった。私は驚いて何も言う事ができなかった。「お昼からとても豪華やね。」と席についてやっと口を開いた。胸がいっぱいで何も言えなかった。出てきたお料理はとても美味しくて、工夫がされたものだった。私は少し元気がなかったから気にされたのかもしれない。お昼にタクシーに乗ってすこし遠出をするというアイディアは本当に感動した。お食事をし始めると雨がふりはじめた。「一雨きたね」ざー雨が地面をたたく音がする。川の水面にいくつもの波ができていた。デザートはタルトのアソートにアイスがついていた。小さいエスプレッソが苦くてちょうど良かった。食べ終わる頃には雨がやんだ。帰りはタクシーではなく地下鉄に乗る。お昼間の地下鉄は人がまばらだった。突然粋な演出をされると泣きそうになった。会社に着いた頃、私の気持ちは明るくなっていた。嘘みたいに、ぱぁっと明るくなっていた。*人それぞれ、優しさがあるのだと思う。粋な演出ができるひとは優しさに一工夫が出来る人なのだと思う。粋な演出はきっと、企てている段階で企てる本人自身が楽しんでいるのだと思う。何の記念日でもない、お昼間のスペシャルなサプライズ。タクシーに乗っているとき、到着するまで私は拉致されたような気分だった。行先は何も告げられなかったから。それがシンデレラのかぼちゃの馬車だったのだ。
2004/05/10
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金曜日はある人とお食事だった。ちょうど関西に来ているということだった。夜御飯を一緒に食べよう、というお誘いを受けていた。私は会社でのことを話した。彼は転職を考えていたので、その話を聞いた。少し前、電話で話をした時に私は弱気な話をしていた。彼に「遠慮するのはよくないよ」と言われた。私はずっと上司に言いたい事が出来ないでいた。実際のところ何のために働いているのか、そういうこともわからなくなってきていた。仕事を楽しむこと、どうしたら楽しいのかもわからなくなってきていた。悪循環のサイクルに入っていたのだと思う。丁度上司と面接をする機会があった。私は言いたい事を言った。「やる気がでないんです」なんてことも言った。上司は私に「もっと動きなさい」と言われた。もし発言をしたいならば自分で会議を開きなさい、と言われた。私はそうなのか、と思った。私は自分がいる環境では何も変えることができないと思い込んでいた。でもそれは、自分自身が頑固に何かにしがみついていたのだと思う。状況を自分で変えようとしなかったりする。諦めたりそのままの状況でいた方がいたほうが楽だという気持ちがある。なまけ癖がついていたのだと思う。彼に、上司と面接をした話をした。「上司に色々と親身になって話を聞いてもらえた。自分が甘えていただけだったかもしれない」と言う。「上司に言いたい事を言えたのはよかったと思う。だって不満でも何でも、言わないと何を考えているのかわからないから。きっと状況は前とはちょっとずつ違ってくると思う」と言われた。その通りだ、と私は納得する。仕事のことを相談するといつも適切な答えが返ってくる。非常に適切なのである。整理されていて、きちんとした答えが返って来る。精神的に大人なのだと思う。私はいつも彼に相談をすると、相談をしてよかったと思う。短い言葉の中に説得力があり、そうだなと思わずにいられない。彼の転職を応援せずにはいられない。多分、そっちの方が性格にあっているだろうから。彼には人や企業をいい方向に導く力があるのだと思う。二軒目に飲みなおしたお店は外国人が集まるパブのようなお店だった。店員さんも日系人みたいだった。常連さんが多いみたいで、みんな顔見知りみたいだった。自分達の方が外国にいるみたいだった。店内のテレビで野球を放送していた。テレビの中だけが日本みたいだった。ヨギーミルクは甘くて美味しかった。子供が好きそうな甘さだった。おつまみのチョコレートは外国の味がした。真面目な話をしながらも、私はひさしぶりに会った彼の顔の輪郭を確認した。痩せたかもしれない。眉毛も目の鋭さも覚えておかなくてはと思う。また一年くらいは会う事もないかもしれない。二人で会うことも、もうないかもしれない。もし転職したら、又離れていくだろうし。やがて私の最終電車の時間になる。バイバイ、と言って別れた。私も彼もすべりこむように来た電車に乗った。以前のように彼が私と同じ電車に乗らずに自分の家の方面の電車に乗った。そうすることが自然だった。自然なことだとわかっていた。私は自分が乗るべき電車に飛び乗った。*こうしてS君とのお食事会が終わった。ごく普通に終わった。お食事をして、話を自然にできた。二人が一緒にいることが私には嘘みたいだった。仲が良かったけれど、一度断ち切った人と会うということは、どうも頭の中で自分で意識を変えなければならなかったりする。二人の空気も温度も、言葉の感じも。何事もなかったふうに、ごく自然に会って話ができるというのは成長したのかもしれないと思う。
2004/05/09
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今朝の夢はふしぎだった。夢の中で私は鏡の前にいて、自分の顔を見ている。髪の毛は肩まで伸びている。そして髭が長く伸びていて、あごをゆうに越している。私はなんとなくふさふさと生えている髭を触る。いつも触っているように、ごく自然に触るのだ。髭がなかったらどんな風だろう?と手で髭を隠してみたりする。顔はすこし外人風だったかもしれない。自分が男であることを認識していた。夢から目覚めて、私の前世の姿だったのかも?と思った。もしかすると自分は男だったのかもしれない。時々そういう風に思うことがある。男っぽい、というか本当に少年のような部分がある。私は女性として生まれてきたけれど、男性として生まれてくる予定だったのかもしれない。そうなると人生、随分違うだろうなと思う。髭が生えた、自分の顔を違和感なく感じたということは夢の中であったとしても本当になんとも不思議なことである。いつもは見ない夢を見ると、目覚めた時意識がゆらゆらしている。*昨日家に帰るとあやめが枯れていた。私がデッサンをした時は、きれいにつややかに咲いていたのに。自然のもののはかなさを感じる。私がデッサンをしているのをどう思っていたのだろう。やはり私のことは見えているのだろうか。うつくしい姿をデッサンしてもらうと嬉しかったのだと思う。ごく普通に枯れていた。絵に色を付けたかったのに、枯れてしまったのでそれは無理そう。あやめはごく自然に花を咲かせてごく自然に枯れていく。私が残念だと思っていたとしても、それとは関係なく。「あたり前のこと」「ごく自然のこと」なのだと思う。なるようになっていくということ。自然とはそういうものなのだと思う。デッサンをしたらあやめのことが少し近く感じられた。息をとめて線を追っていくと、気がつくとあやめと自分が息が触れ合うくらいに近くにいるように思えていた。また絵を描きたいと思う。私には表現が必要なのだと思う。絵を描いていると、無心になる。花を描いていると、自分が花になっているような気分になる。その花に留まっている虫になっているような気分になる。それが集中するということなのかもしれない。
2004/05/07
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昨夜は満月だった。満月の日は、感情が沸騰する。家の犬も興奮して通りがかる人にわんわん吠えていた。私は色々としたいことが沸騰してベランダの掃除なんかしていた。普段しようと思わないのに、何となく汚れが目に付いてしまった。家のあやめがきれいに咲いていて、誘うように私を見ていた。私は何となく触発されて、あやめをデッサンした。夜の22時、先日会った例の人から電話がかかってきた。先日予定外に外泊することになってしまった相手である。彼はでれでれとした感じで電話をかけてきた。私は彼にどうしても聞きたいことがあった。それは彼女がいるだろうということ。それで、話が途切れた時に「聞きにくいことを聞くのだけれど、もしかして彼女いるでしょう?」と聞いた。「もしいる、っていったらどう思う?」と言う。「いる、と言われたら何と答えようかな?とベランダを磨きながら考えていたわ。」と答える。「いる」と言う。 ・・・やっぱり。「そうなんや。私は人の愛し方はいろいろやし、二股をかける人が良いとか悪いとかは思わないねん。でも、私は自分のことが大切なので私のことだけを大事に思ってくれる人ならば受け入れたいねん。やっぱり恋愛は本気でしたほうが楽しいから。もし私だけを全身全霊こめて愛してるって思うならばきてよ。」と答えた。彼のことは責めていない。というよりも浮気癖がある人に、何を言っても無駄な気がしていた。なぜならば、きっと彼は自分が悪いとは思っていないから。私はいつもはこんな風には言えないのに釈然として、ハッキリとものが言えた。満月パワーかもしれない。彼は一ヶ月では決められなかった、という。私は「彼女のこと大事なんでしょ?大事にしなよ。」と言う。一人の人を一生懸命、愛していたら他の人なんて目に入らないはずなのにと思う。一人の人を愛するだけでも、時間があっというまになくなってしまうだろう。しかも、もうすぐ日本を離れてしまうくせに、何故私と無駄に時間を過ごしているのだろう?一分一秒無駄にするなよ、と思った。二股をかけられても平気な人(二番目の女でも満足できる人)はいるかもしれない。でも私はそういうタイプではない。一番でなければ嫌なのだ。自分専用の男でなければ嫌なのだ。わき見してばかりの相手ならば、いらない。かわいそうな自分を好きになることができないと思うから。もしも私が彼を受け入れるとすると、私は彼と彼女と自分自身の心配をしなければいけない。3人の心配なんて。最初からわかっていてその関係に踏み込むのは、確信犯である。「もし、どうしても私じゃなくちゃだめだと思ったら追っかけてきてよ。その時は逃げないからね。」と言ったら「嘘。逃げるだろう」と言われた。その通りである。私はきっと彼を受け入れることはないだろう。彼女がいることを、自分から言ってこなかったのはもっと悪い。彼は会って話をしたかった、という。この間会った時に聞いて欲しかったという。でも会ったらこんな話できないだろうと思う。しかも何故、私が聞かなければならないのだろう?自分から言わないつもりだったのだろうか。何だか興奮していたので、眠りが浅かった。寝言つきの夢を永遠と見た。それにしても、段々私はたくましくなってきているのかもしれない。段々、迷うことがなくなってきた。多分答なんて瞬時に決まっているのだと思う。彼は私と彼女の選択に迷う、とは口では言っていたけれどもうすでに答は決まっているのだと思う。彼の迷いの正体は欲望である。欲望というものは姿を変えて、愛だと錯覚させる。でもそれは愛ではない。愛というのは、寄り添うものである。見守るものである。遠くから応援するものである。相手からの答がなくても満足できるものではないだろうか。
2004/05/06
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日記が前後してしまうのだけれど5日の満月の夜、電話を切ってからすごく腹が立っている自分に気付いた。私は彼の気持ちが本当はよくわかっていた。彼が私に対して好意を持っていることも私もまた彼を特別に思っていたことも、自分でもわかっていた。けれどそれらが一緒こたになるには、うまくまじりあわなかった。本当はよくわかっているし本当は色々なことがうれしかったしだから私は彼に対してなんとも言えない怒りを感じていた。愛することと憎むことは似ているのかもしれない。その根っこの部分はおなじである。私は生きているうちにこれからも色々な人に会うだろうし愛する人がいるだろうしきっとその人も自分と同じくらい自分のことを想ってくれるとうれしいと思うこと愛すること別れること手放すことずっと相手のことを想いつづけること相手の誕生日をわすれないこともう会わなくなったとしても私は別にかなしいとは思わない。別れに慣れてしまったのだと思う。でも眠ること起きること食べることそれらを誰かと一緒に出来たらすごくすごく素晴らしいかもしれない、と思う。*なんかせつない日記になってしまいました・・・。
2004/05/05
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私は昔から妙な噂を立てられることがあります。小学校の時、妙に先生に気に入られていた。先生に気に入られるタイプだったからだと思う。従順だったこと、勉強に熱心だったからだと思う。妬みからなのか、ありもしない噂が出てしまい「なんで?」みたいな状況に陥ったことがあった。高校生の頃、私は当時仲のよい彼氏がいた。私とその人に関する噂が流れていた。彼氏とやりまくっている、という噂だった。私はその噂の内容自体に心を痛めてしまうくらい純粋だった。彼氏との関係はプラトニックで、やっと手をつなぐような関係だったのだ。だから本当に驚いてしまう。その噂は仲のよいお友達から聞いたのだった。「mamikoro、噂は本当なの?」と言われた。「誰が、そんな噂を流したの?」と友達に聞くのだった。どうやら私とその彼氏のことを妬まれて、そんな噂が流れたようだった。彼氏はちょっと有名な人だった。遊び人風だったけれど、お付き合いをしてみると決してそういうわけでもなかった。変な噂を流しているのは何となく誰なのかわかっていた。先日、海外に行く事になったお友達から「mamikoroちゃん、○○君とS○X friendなの?」と言われた。本当に驚いてしまう。その○○君とは、ある時期少しだけ仲が良かった。確かに一時期お付き合いしたことがあったけれど、2年も前の話である。一体何故今ごろ?しかも○○君から「社内って恐いっすねー、何か俺とmamikoroちゃんがそういうことになっているという噂が立っているらしいんですよ」と言ったのだという。○○君も○○君である。私は正直に、昔は仲が良かったけれど2年前のことだったことを言う。誤解のないように、と言っておいた。○○君とは社内では殆ど喋らない。廊下ですれ違う時に、挨拶をするくらい。仲が良かったことを知る者は、同期くらいなのだ。噂の出先はどこなのだろう?会社に行くのが恐くなる。どこで誰がそんな噂を立てているのだろう?*私は身に覚えの無い噂に驚くことがある。昔から。悪い噂を立てられるというのは、ある意味で注目をされている証拠なのかもしれないけれど。『もしかすると、そうじゃないかしら?』というイメージが先行するととんでもない噂になってしまう。社内では私はかなりおとなしくしているのに、こんなことになってしまっていた。本当に謎である。
2004/05/04
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朝起きると、私は妙にご機嫌ななめだった。家族との会話がなんとなくしっくりとこなくて、顔を見るとまっかっかだった。まっかっか、はおかしいと思って体温計で測ってみると37度2分あった。お天気はお昼まではいいということだったので、本当は美術館で絵を観てこようかと思っていた。でも寝ていた方がいいようだ。体があつくて、布団に入っているだけで熱がこもって汗がじっとりとでてくる。体の中で色々な熱がたまっていたようだ。熱が出てよかったのかもしれない。熱が出るというのは、健康な証拠なのかもしれない。一日寝て、起きるとすこし楽になった。明日もとくに予定を入れていなかったのでよかった。連休はやはり体を休めたほうがいいのかも。遠くにいってリフレッシュをすることを必要とする時とじっと体を休めることが必要な時があるのだと思う。じっと休めると、休めているうちに力が復活する。
2004/05/03
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波乱万丈の一日の後に用意されていたのは極上の家族旅行だった。今までで行った家族旅行の中でもっとも距離は短いけれど、4人の気持ちが一つだった。私はひたすらお礼を言われたりした。宿泊場所は私の会社の保養所だった。お昼頃に出発して、六甲にある会社の保養所にむかう。お天気がピカピカの晴天で、新緑が眩しかった。保養所はとても施設がよく調っていて、その上とてもお手ごろの価格で泊まることができる。保養所に着いて荷物を置いて周りを散策した。ちょっと足を伸ばし、六甲オリエンタルホテルの結婚式場を見学なんてした。小さい教会があり、きれいだった。安藤忠雄が設計したのだという『風の教会』という名前で風が通り抜けていくイメージ。教会の中の家具のひとつひとつにこだわりがあった。椅子は革張り。十字架の形に残った壁(大きなガラスが四つ入っている)があり、時刻によって十字架の陰が地べたに伸びる。感動した。予定はないけれど、こういう下見もいいなぁと思う。夜、夜景を見ながらお食事をする。お酒もいっぱい飲んだ。気持ち良く酔うことが出来た。お風呂に入ると眠くなり、おふとんに入ると爆睡だった。*次の日は六甲高山植物園と弓削牧場に行く。高山植物を見ているとかなりほっと落ち着くことが出来た。小さい花の可憐なこと。森林浴をしながら、ゆっくり歩くとたくさんいい気を吸収できた。弓削牧場でランチをする。ここのお食事は本当においしい。カレーを食べたのだけれど、お米は玄米でカレーのルーの横に生のチーズがついていた。少しづつ混ぜながら食べると、こくがでて美味しかった。*その後は夕方に出て行って、お友達の二次会に出た。着飾って行くだけのエネルギーは残っていなかったけれど、頭をアップする。バタバタと用意したわりに、忘れ物はなかった。高校時代の同級生と久しぶりの歓談は楽しかった。見知らぬ男の人と話をする元気はなかった。なんか色々あると、男の人はもういいやという気持ちになるのだと思う。お友達は「だれかと話した?」なんて言って来たけれど私はそんな気がまったくおきなかった。はたから見たら、男嫌いみたいに見えたかな?*いろいろな事があり、ぼーっとすることもしばしばある。私の心の中にはいろいろな妄想が渦巻く。『ラスト・サムライ』で『too many heart』というセリフがあった。『心が乱れている』という字幕がついていた。そういう心境かもしれない。しかし不思議と2日たち、3日たつと自分の中の気持ちがある場所で落ち着きはじめる。不安定な中でも安定することが出来るようになってきたのは状況に適応する能力がついてきたからだろうか。おそらく私以外の人だったら、きっと耐えられないような状況でもそれなりに楽しんでしまったりする。私は悪い状況でも、いい状況でもそれなりに明るさを見つけて楽しんでしまう。それは私に与えられた才能かもしれない。
2004/05/02
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30日の夜、私はN君の家に行った。彼に借りていたものを返すために。CDとビデオを借りていたのだけれど、実際にポストに入れようとしても入らなかった。困った。でもどうしても入らない。玄関の前でごそごそとしている光景はちょっと怪しかった。電話もメールもお互いにもうしないでおこうね、という約束だったし。どうしよう?どうしよう?と途方にくれていた。すると廊下の遠くの方から紙袋の音が近づいてきた。やがて、見える状態に・・・。N君だった!!!「嘘やろ」「ええええーーーーなんで。こんなことって!!」私もN君もお互いに驚いた。私は動揺しすぎて、腰をぬかして地べたに転がってしまった。どうやら会社に行ってもいかなくてもいい日だったみたい。それでちょうどこんな時間になったのだという。動揺しすぎてお互いに「今年で一番衝撃的なことだったわ」と言った。私、またテレパシーを使ってしまったみたい。私は気持ちを強くもってしまうと通じてしまうことがある。N君とお別れをするにあたり、最後がメールだったことが実は心にひっかかっていた。そしてN君自身も、最後のメールをうってから気持ちが落ち着かなかったのだという。酔った勢いでうったけれど、最後に会ってバイバイしたかったという。でもお互いに電話もメールも会うこともやめたほうがいいのでは?と留まっていた。私もN君も心斎橋に用事があったので、一緒に歩いて向かう事になる。自然なふうに話が出来てよかった。最後に会って話ができてよかった。神様に気持ちが通じたみたい。「俺、借りていたものってあったっけ?」と聞いてきた。「あるよ。私の時間」と言った。ちょっと格好つけてみた。「騙されへんで、そんな可愛い事言っても。でも俺も時間貸していたから一緒だね。」と言った。お付き合いをするということはお互いに時間を貸しあう。そんなことなのかも?と思った。私はお友達と待ち合わせをしていた。男性である。N君に見られたら困る、と思った。何となく。N君は私が男の子と待ち合わせということを察していた。「俺と一緒にいるのを、見られても大丈夫なん?」と聞かれた。私は「そういう人じゃないから」と答えた。「幸せになれよ」と頭をばちんとたたかれた。「痛いなぁー。これ以上頭悪くしないでよ」という。「じゃぁね。バイバイ」と明るく別れた。*お友達との待ち合わせ場所はソニータワーだった。N君とお別れをしたのはソニータワーということになるのかな。以前、N君とデートをする時にソニータワーを使っていた。だから何となく不思議な気分だった。お友達は彼女がいるらしい。・・という噂を聞いていた。以前聞いたときはいない、と言っていた。でも最近噂で「やはり別れていないらしい」と聞いていた。お洒落なお店を知っている人で、いつもいいお店に連れて行ってくれる。やはりその日も何気なくいいお店に連れて行ってくれた。色々な話をするのだが、彼は私の過去を知りたがる。ビリヤードに行った、と言うと「誰と?」と聞いたり。昔の女の子の話をしてきたりした。私はそういうのはあまり好きではなかった。過去の男を探られると、何となく自分の価値が下がるような気がしてしまう。けれど相手は、過去が気になるみたい。食べ終わった頃にはいいお時間になっていた。それにも関わらず、二軒目のお店に誘われた。でもまだ大丈夫だと思って私もついていった。不思議なお店で、ひどく暗くて家具が赤くて11時を越えると外人のダンサーが踊りだした。何気なく時計を見ると12時を越えていた。JRも最終電車が終わってしまう。帰るのはタクシーか泊まるか。・・・うっかりしていた。私、N君と会ったりしたのでぼーっとしていたのだと思う。タクシーで帰るには、遠すぎる。。家に電話をする。結局彼の部屋に泊まる事に。予想外、予定外のことである。電話をしていると彼が手をつないできた。彼はわざとそうした、らしい。時間が遅くなっていたことも知っていたという。タクシーの中ではあまり喋らなかった。私は男性の部屋に泊まったことがなかった。いつもどんなに遅くなってもきちんと家に帰っていた。そしてなじんだお布団でぐっすり眠る方だった。付き合いが長かったとはいえ、そんな予定ではなかった。お酒で酔っていたので、思考回路が止まっていた。彼はもうすぐ海外に行くから気持ちが昂ぶっていたのかもしれない。私のこと、気になっていたのだというのはわかる。彼はいびきをかいて先に寝てしまった。結局一睡もできなかった。体がほてっていた。のどが渇いて渇いて、お水を何度も飲んだ。寝ようとしない私を案じて、何度も起きてくれた。彼の寝顔を見ていると、不思議な気持ちになる。もう、行ってしまうのに。遊びなれた人だから、執着しないんだろうなとも思う。別れとか。海外で彼女をつくる、って言っていた。この人の彼女、大変だろうなと思う。それにしても、何かすることなすことが女なれしている。お食事のお会計、私がしようと思っていたのにその人は自分がトイレに行った時に何気なくはらっていた。パジャマ、と言って新品みたいなコットンパンツを貸してくれたりして。N君とお付き合いをしていた時はお店を先に決めてくれたらいいのに、と思ったりもっと洗練されていたらいいのに、と思ったりもっと背が高かったらよかったのに、と思ったりしていた。それが別れの原因になったわけでもないけれど。その人はN君のないものを全てもっているみたい。しかし私はきっとその人を選ばないのだと思う。私はその人では幸せにはなれないのだと感覚的にわかっていた。女性好きの男は魅力的であり、女性にもてようとするのだ。でもそれは違うのだ、と思う。そうではない、と思うのだ。魅力的な男性というのは、たった一人の女性を愛する事ができることなのだと思う。一人の人間を生涯かけて味わい尽くすことができる人なのだと思う。そういう人ならば、私は例えその人に彼女がいたとしてもいいなと思うかもしれない。一睡もしていなかったのに朝は頭がしっかりとしていた。昼から家族で旅行に行く予定だった。家族には姉がうまく言ってくれていたので、怪しまれなかった。メイクを落として、またメイクをした。初めての朝帰り。肌が乾燥してぱりぱりしていた。
2004/05/01
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