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JR東日本 DE101571DE10シリーズで、今回はDE101571号機をご紹介したいと思います。平成20年11月22日 尾久車両センターにて平成22年11月20日 尾久車両センターにて平成24年8月7日 田端操車場留置線にて平成25年4月13日 秋田総合出場?回送1571号機は、昭和48年3月1日誕生の日本車輛製造製。新製配置は五稜郭機関区でしたが、民営化を控えた昭和61年10月4日付で宇都宮運転所に転属し、そのまま民営化を迎えJR東日本に継承されました。この際に、旋回窓→ワイパーに変更工事が施工されたそうです。そのままJR東日本で長く活躍し、宇都宮→ぐんまの流れで、令和7年4月7日付で廃車となったそうです。比較的に尾久車両センターや田端機関区を中心に運用されていたようです。同機は、海外輸出のため秋田港に陸送されたとの情報があります。
2026.09.29
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キハ65系エーデル車:急行「シュプール白馬・栂池」『DE10牽引 14系リゾート客車:急行「シュプール白馬・栂池」』『DE10牽引 20系寝台客車:急行「シュプール白馬・栂池」』に続き、最後のカテゴリであるキハ65系エーデル車による急行「シュプール白馬・栂池」をご紹介いたします。平成2年2月16日 平岩付近にて 427D平成2年2月17日 北小谷駅付近にて 427D2日間にわたって撮影したキハ65系エーデル車による急行「シュプール白馬・栂池」号です。当時のDJから運用を割り出したところ、該当である「シュプール白馬・栂池5号」は金曜夜に神戸を出発して土曜日の早朝に南小谷に到着。キハ181系の場合と同様に、糸魚川まで普通列車として折り返し、その日の夕方までに向日町に戻ります。整備の後また夜に神戸を出発し、前日と全く同じ行程を辿り、糸魚川から富山へ整備回送され、また午後の発車までに間に合うように糸魚川へ回送されます。ここでまた普通列車で南小谷へ行き、折り返しが「シュプール白馬・栂池2号」として神戸まで運転されます。この動きを毎週繰り広げていたようです。この5号の運用では南小谷着が7:29となっており、さすがにこれを撮影することは出来なかったようで、折り返しの普通列車運用である427Dを2日間にわたり撮影したようです。厳密にいえばただの普通列車の写真ですが、「シュプール白馬・栂池」が運転されなければ実現されない運用ということで、ここでは「シュプール白馬・栂池」として整理することにしました。このエーデル車も関西では遭遇することなく終わってしまいましたので、これが最初で最後の出逢いとなってしまいました。
2024.02.21
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113系:総武快速線昭和47年7月、総武本線の錦糸町~津田沼間で複々線化が完成し、東京~錦糸町の地下線区間の開業と合わせて113系による総武急行線が運転されるようになりました。同時に設定された183系による「わかしお」「さざなみ」といった特急列車を始め、急行列車の運転と合わせて113系による快速運転が行われるようになり、「総武快速線」が確立します。東京駅への地下の乗り入れは、その先品川駅までの区間を延長し、さらに横須賀線との相互直通運転を睨んだものでした。昭和51年10月に品川までの地下線区間の運転を開始、昭和55年10月に横須賀線との直通運転が実現しています。横須賀線との直通運転が開始される前、総武快速に使用する113系は既に難燃化対策を施した1000番台が用意されており、後の直通運転に備えていました。113系1000番台は、地下区間におけるATC運転のための車上装置が運転席下部に設置され、タイフォンが下方に移されたために他の113系や115系とは表情を異なったものにしていたことが大きな特徴でした。昭和51年頃 錦糸町駅にて中学生になって直ぐぐらいに初めて撮影した総武快速線。ヘッドマーク付きの急行列車が撮れる聖地で、極めて地味な存在でした。まだ品川乗り入れさえ実現していない頃です。写真を紛失していたのですが、ポケットカメラのネガからスキャンして復活しました。昭和55年頃 錦糸町駅にて 113系 総武快速電車総武線快速は基本9両+付属4両の13両編成で運転されていました。ちょうど、横須賀線の15両フル編成からグリーン車2両を除いた編成であり、今から考えるとかなり異質な編成であったと言えます。東京駅乗り入れの車両は、全てA-A基準(難燃化)施行車で1000番台を名乗っていました。一方、地下区間に乗り入れていなかった横須賀線も同様に1000番台が使用されていましたが、横須賀線では初期車が残っている一方、総武快速線ではユニット窓車ばかりだったように記憶しています。しかし、増備車は冷房準備車が多く配置されており、写真のように冷房車ばかりが連なっているとは限りませんでした。昭和55年頃 平井駅付近にてこちらは横須賀線への直通運転開始直後くらいに撮影したものと思われます。横須賀線との編成を揃える必要からサロが2両追加され、11両基本又は増結4両の15両編成となりました。これによってグリーン車が不足することになりますが、サロ110-1200番台の製造は最小限とし、関西で連結廃止となったグリーン車「サロ113」によって対応しました。転属直後は湘南色のまま連結され、写真のように混結となった時期が存在します。なお、サロ113は元々関東に配置されたものですが、シートピッチの拡大により定員が少なくなったため、使い勝手の関係から関西に転属したものであり、このような形で里帰りすることになったのも因縁めいています。当時、急行列車にはヘッドマークが取り付けられ、華やかな雰囲気のあった房総各列車が走っており、快速電車の写真は殆ど撮っていません。参考までに、総武快速線113系関連のリンクを貼っておきます。113系:総武線 快速「アポロ」号113系:快速「白い砂」113系:快速「青い海」113系初期車(幕張区):房総地区普通列車113系:総武本線・成田線(晩年)113系:内房・外房線 新聞輸送列車(その1)113系:内房・外房線 新聞輸送列車(その2)
2026.09.28
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JR東日本 EF8187(田端機関区)EF81シリーズで、田端機関区に所属していたEF8187号機です。87号機は、昭和48年7月27日新製の三菱製で、新製配置から廃車になるまで田端機関区(田端運転所)を離れることのなかった生え抜きのカマでした。「北斗星」牽引用となっており、車体には流れ星マークを塗装してあるのが特徴となっていますが、貨物列車にも共通で運用されていました。平成21年4月29日 安中貨物平成21年11月23日 安中貨物87号機は、75~93号機のグループに属し、主に東北本線の黒磯スルー運転に活躍していたように記憶しています。EF80の廃車に伴って常磐線運用が中心となり、そのままJR東日本に継承されて「北斗星」やJR貨物から委託された首都圏の貨物列車などに充当されました。EF510-500番台の導入に伴い、平成24年1月10日付で廃車となっています。86号機と同じくらいの活躍期間でしたが、何故か「北斗星」牽引のシーンも遭遇していませんでした。
2026.09.26
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JR東日本EF510-500牽引:安中貨物(その2)令和7年3月ダイヤ改正で鉄道貨物輸送から撤退した通称:安中貨物。今回は、EF510-500牽引:安中貨物その1からの続きで、506~510号機牽引の写真をご紹介したいと思います。特記以外は西川口~蕨間の撮影です。平成22年12月4日 EF510-506牽引平成24年4月7日 EF510-507牽引平成23年11月5日 EF510-508牽引平成24年2月5日 EF510-508牽引 蕨~南浦和間にて平成23年6月18日 EF510-509牽引平成23年9月24日 EF510-509牽引平成24年5月19日 EF510-509牽引平成24年10月5日 EF510-509牽引平成22年12月5日 EF510-510牽引平成23年6月28日 EF510-510牽引平成24年9月8日 EF510-510牽引平成24年10月13日 EF510-510牽引509号機及び510号機はご存じカシガマ。特に運用は区別されておらず、本家「カシオペア」の運行日と関係なく安中貨物にも充当されました。ラストは511~515号機続きます。東邦亜鉛 タキ15600:安中貨物 東邦亜鉛 トキ25000-:安中貨物
2026.09.27
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国鉄 氷見線:気動車&客車のサボ氷見線は、北陸本線高岡駅から分岐し、終点氷見駅までを結ぶ路線。一度だけ乗り鉄をしたことがあります。※撮影は、昭和57年8月8日です。富山港線の旧型電車などを撮りに行った際に立ち寄った、国鉄氷見線のサボの写真です。この時は生憎の雨で、あまり撮影などする気も無く、城端線と同様に乗り鉄してました。当時は当たり前の気動車だったので、列車写真は全く撮影していなかったのですが、今から考えればキハ26やキハ35系、キハ45系といった旧型車ばかりだった筈で、かなり勿体無いことをしました。写真は窓桟の間隔が狭いので、おそらくキハ35系の車両ではないかと思われます。こちらは客車編成のサボを撮影したもので、オハ352877となっています。当時は朝のラッシュ時に客車列車が運転されており、ローカル線に良くありがちなダイヤ設定となっていました。既に客車の1往復は終った時間であり、構内に留置してあった車両を撮ったものと思われますが、天気が良ければ雨晴など風光明媚な場所で撮影していれば、大変記念になったのではないかと思います。
2022.05.28
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Fw:KATO 455系「まつしま」「ばんだい」と旧製品457系KATOから発売された新製品475系「立山」「ゆのくに」セットと旧製品475系に関する記事の続編をアップしました。KATO 新475系と旧475系を混結させてみる
2023.09.19
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JR東日本 DE101604DE10シリーズで、今回はDE101604号機をご紹介したいと思います。平成20年11月29日 高岳製作所連絡線にて1604号機は、昭和48年7月26日誕生の川崎重工業製。初期配置は小樽築港機関区でしたが、直ぐに鷲別機関区に転出します。昭和58年度に小樽築港機関区に出戻り、民営化を控えた昭和61年10月7日付で宇都宮機関区に転属し、そのまま民営化を迎えJR東日本に継承されました。この際に、A寒地仕様からB寒地仕様に変更工事が施工されたそうです。そのままJR東日本で長く活躍し、宇都宮→ぐんまの流れで、令和7年4月7日付で廃車となったそうです。写真は、変圧器輸送のシキ611を高岳製作所から引き継ぎ、小山駅へ向かってくるシーンを捉えたもの。同機はB寒地仕様のため主に水郡線など北関東主体に運用されていたそうで、地元で見ることはできないカマでした。
2026.09.22
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旧型国電 73系:鶴見線TOMIXから旧型国電73形電車が発売になります。TOMIX 国鉄72・73形 南武線・鶴見線 販売首都圏で新性能化が比較的に遅かった鶴見線。全国的にも戦時・戦後型であるモハ73形は最後まで見ることが出来ましたが、鶴見線では可部線や富山港線のようにラインカラーをまとっていませんでしたので、73形らしい茶色のままの好ましい姿で走っていました。昭和53年2月19日 鶴見駅にて 折り返し待機中のクモハ73形多分ですが、初めて鶴見線を訪れたときの写真です。今までアルバムに入れたまま何も気にしていなかったのですが、鶴見線で撮ったクモハ73の写真は、この写真のものを除いて全て更新工事施行車でした。もしかしたら台数的に少なかったのでしょうか。同じ頃まで残っていた南武線や横浜線も同様に更新車ばかりでしたので、ライトが屋根上にある限りなく原形に近いクモハ73の未更新車の写真少ないです。昭和54年12月頃 浅野駅にて 原形3段窓のクハ79450一見更新後のような整ったスタイルをしていますが、3段窓をはじめ、埋め込み式のヘッドライトも登場時からのものです。どうも、クハ79のこの番台区分が、101系の顔の始祖だったようですね。昭和54年12月 浅野駅にて クハ79これも同じ編成のようです。昭和54年12月 浅野駅にて クモハ73更新工事施行車この写真で着目していただきたいのが、2両目に連結されているモハ72形。モハ72系の最終グループである全金属製の920番台です。側板の位置が他車よりも高く、窓にもRがついて滑らかです。101系がモハ90系として登場したときのデザインに、限りなく似ているのが特徴の車両でした。昭和54年12月頃 浅野駅にて クモハ73更新工事施行車これも同じ編成のようです。昭和54年12月 鶴見線 弁天橋電車区にて綺麗に写っており、ネガの再現性も良かったのですが・・・サボ「回送」です。ご意見によれば、「回送」行先札を準備しているケースは旧型国電では稀であり、かえって貴重なのでは?ということです。昭和54年12月頃 武蔵白石駅にて 更新工事施行済みのクモハ73更新済みのタイプで、高窓・ライト埋め・客窓のサッシ化が実施されています。撮影場所は、構内配線の状況から、おそらく武蔵白石ではないかと思われます。この時点においても101系が僅かながらに入線しており、昭和55年くらいが73系の末期ではないかと思われます。205系1100番台:鶴見線(鶴見駅)205系1100番台:鶴見線(大川支線)205系1100番台:鶴見線(扇町へ)旧型国電 73系:鶴見線旧型国電 クモハ12:鶴見線 大川支線(武蔵白石駅)JR東日本 鶴見駅:鶴見線乗換口発行 区間変更券
2022.12.17
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103系:赤羽線赤羽線は、東北本線赤羽駅と山手線池袋駅を短絡する路線を指します。元々は赤羽~池袋~新宿~品川間において「山手線」として開業した経緯があり、のちに池袋~田端間が開業したことで池袋~赤羽間が支線のようなかたちで残りました。赤羽線は営業規則上の正式な名称ではなく、山手線として定められていましたが、昭和47年に正式に「赤羽線」という独立した路線名になりました。前記事で赤羽線の101系をご紹介いたしましたが、今回は103系化後の写真をご紹介したいと思います。昭和54年8月頃 赤羽駅にて 103系 カナリヤイエロー編成赤羽線は比較的早くに103系化されました。編成が少なかったこともあったのでしょう。101系時代にも103系ウグイス色車が代走されたのを見たことがありますが、オールウグイス色が普通であり、このようなオールカナリヤイエローの編成はこの時代以降くらいでした。昭和54年8月頃 赤羽駅にて 103系 混色編成むしろこんな混色編成の方が一般的だったような記憶があります。中間車は全部非冷房車。埼京線と直通運転が始まるまでは8両編成でした。違和感がありますが、フツーに走っていました。昭和56年 赤羽駅にてこの頃になると、新幹線関連の工事が始まって来たようです。赤羽線は5番線のみの1本折り返し使用であり、反対側の6番線は、赤羽線を経由して大宮方面に抜ける下り貨物列車の専用通過線として使用されていました。しかし、この写真を見る限り、昭和54年には既に貨物通過線は撤去されているため、おそらく昭和53年10月ダイヤ改正辺りで貨物の通過扱いは解消されてしまったものと思われます。この後、東北新幹線の工事と共に、埼京線としての直通運転を行うため、赤羽駅として最初の高架工事が行われることになります。
2022.09.05
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20系寝台客車:寝台特急「北星」昭和38年10月ダイヤ改正で誕生した夜行急行列車「北星」ですが、その列車スタイルが幸いし、昭和50年3月改正からは20系寝台客車の使用により特急列車化されることになります。急行列車の特急化というのは、白紙ダイヤ改正の都度に行われてきたものですが、山陽新幹線博多開業による山陽・九州特急の動きが非常に大きかったため、特にこのダイヤ改正では顕著に特急化が実施されたように思います。同時に、金沢行きの急行「北陸2号」も同様に20系化のうえ特急列車に格上げされています。なお、20系客車は「はやぶさ」「富士」「出雲」「日本海」の24系24型化により余剰となった車両を活用しています。昭和50年夏頃 EF58牽引 ワサフ8800を連結した「北星」写真は、ポケットカメラ、列車の引き足らず、絹目写真と悪条件の揃った画像で、大変見づらく、公開するような写真ではないのですが、これだけしかないため敢えて投稿させていただきました。小学6年生のときだと思いますので、腕前はご勘弁ください。これくらいが精一杯です。急行「北星」時代から続く新聞輸送の関係があり、P型引き通し管を設備したワサフ8800が運転開始から約1年間連結されていました。当形式は言わば「北星」専用車両とも言えるものでしたが、その活躍は僅かであり、その後は一般の荷物列車に転用されています。昭和52年 上野駅にて早朝の「北星」は、高感度の無い時代、撮影するのも結構大変なものでした。昭和52年頃 大宮駅にて EF5884牽引 上り「北星」かなり薄暗い時期の撮影ですので、おそらく冬休みに撮ったものではないかと思われます。ヘッドマークが付いていないことから、後に20系化された急行「天の川」や「新星」と区別が付かないところが悲しいです。昭和52年 蕨駅にてこれから写真を撮りに行こうというとき、目の前を通過した「北星」。時間的には午前10時を回っていると思いますが、おそらく途中で運転が打ち切りとなり回送されて来たものでしょう。なんといっても驚いたのは、EF58の次位にカニ22が連結されていたことでした。昭和52年 尾久客車区にて カニ22 「北星」上の写真を撮った後、撮影の予定は急遽変更され、尾久客車区まで出向くことになりました。カニ22の「北星」を撮らせてもらおうと頼み込んだのですが、頑なに断られてしまいました。これはふて腐れて帰る途中、建物の陰から撮影したものです。当時、一眼レフではありましたが、レンズは広角しか持っておらずかなり小さくなっていました。スキャニングして「北星」が判るくらいまで拡大することができました。20系客車が特急車両としての活躍も晩年となった頃、進んだ廃車よる影響でしょうか、客車区間での車両のやり取りが行われたようです。そしてイレギュラー的な動きも見られるようになり、ナハネフ23「北陸」や、さらにはカニ22が「北星」「北陸」に使用されるようになったようです。昭和53年3月20日 上野駅にて カニ21こちらは下り最後尾となるカニ21。上野駅では到着後推進回送となるので、このカニ21は夜の下りを撮るしかありませんでした。もっとも、昭和50年3月の特急「北星」運転開始から1年間、最後尾にはワサフ8800が連結されていましたので、このカニ21の姿を撮ることはできませんでした。昭和53年9月頃満を持して誕生した軽量客車でしたが、それが仇となって老朽化が顕著であり、誕生からそれほど経っていないにもかかわらず、早くも淘汰が始まってしまうことになります。「北星」も昭和53年10月改正からは14系化されることになってしまいました。14系寝台客車:寝台特急「北星」
2022.10.24
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107系0番台:日光線かつて、国鉄時代は多様な車両が往来した日光線。国鉄は東武鉄道との日光争奪戦に破れ、都心から乗り入れを行っていた優等列車も、165系急行「日光」を最後に姿を消しました。臨時列車では、特急「日光」や愛称付きの快速列車も走りましたが、平成になってからは集約臨等の団体列車を除き、165系から機器流用を行った107系のみとなっていました。107系は、昭和63年に誕生した車両で、機器流用は行っていますが、車籍上は新車扱いとなっています。1M方式でMc+T'cの2連を組み、0番台が日光線用、100番台が両毛線等の高崎地区用となっています。平成21年5月23日 大宮総合車両センターにて クハ106-1登場時はグリーンの「N」をイメージしたラインが入っていましたが、これをレトロ調のクリーム+マルーンに塗色を変更しました。営業運転にさきがけ、ふれあいフェスタでお披露目されたシーンです。その後も含めて、日光線内での撮影は一切したことがなかったんですが、この塗装変更リニューアルからわずか4年足らず、まさか205系への置き換えが発表となりました。この写真だけで満足する訳にも行かず、最後のつもりで撮影に行ってきました。以下、撮影は平成25年1月13日です。838M 今市~下野大沢間にて835M 下野大沢~今市間にて837M 文挟~下野大沢間にて840M 下野大沢~文挟間にて撮影地などが良く分からず、とても満足のいく写真は撮れませんでした。実はこの時、カバンの中にデジイチを入れ忘れていたことに気付かず、さらに、カバンに入れたままになっていたサブのコンデジはバッテリ切れ寸前で、バッテリを消耗しないように非常に気を使いながら撮影を続けるという遺恨を残した日でした。
2023.04.08
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国鉄 キハ22:札幌駅にて北海道における標準型気動車と言えばキハ22。それ以前にもキハ12やキハ21といった車両もありましたが、いずれも大量増備がされることは無く、デッキ付き二重窓と極寒地向け機能を確立した気動車がキハ22でした。過去ログでローカル線など各地のキハ22をご紹介してまいりましたが、路線区別が出来ない1枚の写真があります。昭和56年3月 札幌駅にて2度目の渡道で撮影したキハ22型2連の列車。まだ高架化など想像も出来なかった頃の札幌駅です。当時の2連気動車を使用した列車を考えると、函館本線山線、札沼線、夕張線への直通などが考えられますが、サボも無く、ちょっと判断できません。内地ではほとんど見ることが出来なくなった気動車標準色ですが、北海道ではまだ各地で見ることが出来ました。キハ22222過去ログ『国鉄 天北線:キハ22・キハ40』でキハ2222のゾロ目をご紹介したことがありますが、こちらは更に上を行く2×5の壮観な車番です。残念ながら、どこで撮った何線のものだったか記録が無いのですが、同車は札幌圏から夕張線などで使用されていたようです。こうした車番を撮る時も、サボと一緒に撮るべきでしたね。
2024.01.21
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山陽新幹線:100系「こだま」※本記事は、2012-03-13に投稿したもので、当時の表現になっています。新幹線100系は、昭和60年から平成2年に掛けて製造された車両です。0系に代わる車両として誕生した100系は、2階建て車両の連結、シートピッチの拡大など、サービス向上に貢献しました。300系の登場により、その任を次第に譲ることになり、短編成化のうえ長らく山陽区間の「こだま」として活躍してきましたが、その役目もいよいよ終焉を迎えました。平成22年7月25日 岡山駅にて初上陸となった岡山駅。ホームに上がると、既に100系が既に停まっていました。残念ながらリバイバル色ではありませんでした。しかし、こうしてN700系と並べてみると、車体断面の違いが一目瞭然ですね。平成22年7月25日 岡山駅にて久し振りというか、変わり果てた塗装になってからは初めて逢った100系でしたが、感慨に浸る間もなく、西へと発車して行ってしましました。これが最後のショットとなってしまうかと思うと寂しい限りです。反対側の一番奥のホームにも4両編成の100系が到着したのですが、初めての岡山駅で列車の動きの勝手が全く分からず、結局は撮り逃してしまいました。100系は、私が山口線とかに行かなくなってから誕生した車両のため、全然乗ったことがなかったんですよね。それこそ、100系の東海道からの引退間くらいの時、既に娘が生まれていましたが、初めて東京~熱海間を乗車しただけで、これが最初で最後となっています。もちろん、写真なんて1枚も撮ったことがないんです。つまり、この写真が100系新幹線のファーストショットであり、結果的に最後の写真となってしまいました。
2026.04.22
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101系900番台:武蔵小金井電車区留置時代クモハ101-902は、現在も鉄道博物館で保存・展示されている幸運な車両ですが、昭和の時代、運用離脱後、長きにわたり武蔵小金井電車区に留置されていました。中央線の窓から眺めた風景に興味がわき、1度だけ撮影に行ったことがあります。※撮影は、昭和56年9月頃? 武蔵小金井電車区にて。クモハ101-902武蔵小金井駅寄りに連結されたクモハ101-902。正面側から撮影できなかったのが非常に残念なところです。クモハ101-902&モハ100-903写真はモノクロなので判らないですが、クモハ101-902がカナリアイエロー、モハ100-903はオレンジバーミリオンです。中央線を通るたびに色違いで連結・留置されているのが大変気になっており、この時のみですが電車を降りて歩いて行ってみました。留置されている位置は非常に悪いのですが、300mmのレンズで何とか車号が判るように撮影することが出来ました。相棒のモハ100-903の消息が掴めないのですが、せっかく保管してあったのに、結局は解体されてしまったようです。
2023.07.18
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400系:新幹線「つばさ」400系新幹線電車は、JR初となる新在直通用の車両です。平成4年に誕生し、山形新幹線「つばさ」に運用され、間合い運用でその他の名称を用いることもありました。登場当初は新幹線内で200系との併結が行われておりましたが、その後はE4系との併結運用のみ、或いは臨時列車による単独編成の運転が行われていました。※ 撮影は、全て平成20年8月2日、東北新幹線 小山駅にて400系 「つばさ102号」400系 「つばさ105号」400系 「つばさ104号」400系「つばさ」の後継がデビューするということで、何時かは撮りにいかなきゃいけないと思っていたのですが、18切符の購入をきっかけにやっと重い腰を上げました。板谷峠のスイッチバックが廃止になる前、何度も訪れた奥羽本線でしたが、新幹線が開業すると1度も訪れることはありませんでした。職場旅行の際には乗車したこともありましたが、結局は写真を撮ることもなく、記録として残せたのはこの日の3枚だけでした。この日は動画も撮っていますので、よろしかったらどうぞ!485系1500番台:特急「つばさ」485系1000番台:特急「つばさ」(イラストマーク時代)485系1000番台:特急「つばさ」(文字マーク時代)E3系1000番台(初期塗装):山形新幹線「つばさ」98864 JR 400系山形新幹線(つばさ・登場時塗装)セット(7両)[TOMIX]【送料無料】《07月予約》※新製品 7月発売※400系山形新幹線(つばさ 登場時塗装)セット(7両)【TOMIX・98864】「鉄道模型 Nゲージ TOMIX」
2024.01.14
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209系3000番台:川越線・八高線平成31年3月、川越車両センターで最後まで残っていた209系3000番台ハエ64編成が運用から外れたそうです。平成8年3月16日に電化開業した八高線への乗り入れに際し、不足する電車運用に対応するため209系4連が4編成増備されました。基本性能は京浜東北線用0番代と同一ですが、ドアの半自動対応など仕様が異なるため、それまでの所属車と同じ3000番代が与えられました。川越線や八高線はあまり乗ったことが無いため、特に電化されてからの写真と言うのはあまり撮ったことがなく、ほんの少しだけ撮った写真でまとめにしたいと思います。平成20年9月6日 八王子駅にて ハエ64編成今回引退となったハエ64編成。臨時特急などの撮影で遠征した際にたまたま八王子駅で撮影したもの。このときがハエ209系初めての撮影でした。平成23年11月22日 川越車両センターにて ハエ63編成「川越車両センターまつり」で展示されたハエ63編成。行先は「箱根ヶ崎」。平成23年11月22日 川越車両センターにて ハエ63編成こちらも同じ日ですが、時間が変わって「立川」になっています。八高南線の電化当初は、103系や209系が拝島から青梅線へ乗り入れを行っていたのですが、いつの間にか無くなってしまったようです。短区間とはいえ4両編成は厳しかったのでしょうかね。そう言えば201系の4両編成も八高線高麗川まで乗り入れしていたような。平成30年8月26日 川越駅にて ハエ61編成209系3000番台の撤退が始まったため、防災体験の帰り道に大きく逸れて川越駅へ。30分に1本の過疎ダイヤで、3500番台が連続できたために心が折れかけたのですが、3本目に3000番台が入った運用があることを知り、やっと1本だけ撮影ができました。到着の「川越」と折り返しの「八王子」を撮れると思っていたのですが、既に折り返しに設定に。距離的には遠くない路線ですが、あまり訪れる機会もなく、現場でもたまには八王子辺りまで行くことはあるのですが、なかなか捉える機会の少ない車両でした。『205系3000番台:川越線・八高線』『八高線:キハ35系・20系』『キハ38:八高線』
2024.05.16
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JR貨物:EF651082EF65PFシリーズで、今回はJR貨物のEF651082です。1082号機は、昭和51年度債務で組まれた6次車で、昭和52年6月6日に落成しています。首都圏の旧型電機の置換え用として大量に増備されたグループで、登場から廃車になるまで新鶴見機関区に配置され、専ら貨物用として活躍していました。平成19年5月26日 大宮車両所にて平成20年9月23日平成21年5月23日平成23年2月27日 2082レJR貨物では、終焉となるまで原色赤プレートで活躍し、注目を集めたカマでしたが、2000番台化には選定されず、2013年度に廃車となっています。
2026.09.25
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国鉄 マニ30:現金輸送車マイクロエースからマニ30が発売されるそうです。マイクロエース マニ30形・スユ15形 販売「マニ30-2007」[品番:A1498]、「スユ15-2008」[品番:A7252]過去にも発売実績がありますが、セット販売であったため購入していませんでした。マニ30は、日本銀行所有の現金輸送車で、マニ34として6両が製造されました。マニ34は昭和23年製の旧型客車で、車体も茶色塗装でしたが、外観は他の荷物車とは一線を画す様相をしていました。後にマニ302001~2006に改番されています。高校通学時に1度だけ尾久客車区に停まっているのを見たことがありましたが、残念ながら写真には撮っていませんでした。そして、元マニ34(2001~2006)の老朽代替車として誕生したのがマニ302007~2012で、昭和53年~54年にかけて製造されました。昭和56年 蕨~西川口間にて EF5859牽引のマニ30この列車がどのような状況の下に運転されたのか、経緯はわかりませんが、高崎第二機関区所属のEF5859号機がマニ30とスニ40を連結した回送列車です。もしかしたら、スニ40が連結されておりことから、大宮工場出場のシーンかもしれません。昭和56年1月頃 上野駅にて EF5888の牽引する回送列車東北新幹線の東京乗入れ工事が始まる以前、品川客車区から尾久客車区への回送は東京~上野間の回送線(現在の電留線)を使用していました。現在では、山手貨物線経由で東大宮操車場まで行き、折り返して尾久へ持ち込む経路となっています。マニ30における現金輸送は、荷物列車への併結が大半だったようですが、列車密度のが濃い区間では、客車急行への併結もあったそうです。客車列車の場合は全てに言えるのですが、単独で暖房設備を持たない旧型車や50系客車は、原則として電気暖房又は蒸気暖房装置を搭載した機関車が限定で運用されます。したがって、首都圏ではEF58、EF62、EF64、DD51又はDE10のEGやSG搭載車といった機関車でないと、マニ30のような客車を牽引できないわけです。この点については、原則暖房を要しない夏季期間についても限定されていたことが多かったようです。晩年は荷物列車が廃止されたため、高速コンテナ列車に併結されたそうですね。ちなみに、私は目撃したことはありませんが、冷房電源を持っていたところからディーゼルエンジンを搭載しており、暖房も単独で使用できるように改造されたかもしれません。その後、コンテナ列車への併結については最高速性能の差が生じたため、自動車輸送に切り替わり、廃車となりました。マニ30 2012のみが小樽市に保存されているそうで、機会があれば会いに行きたいものです。
2022.10.18
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キハ56系:急行「狩勝」「狩勝」は、札幌圏から釧路方面を根室本線で結ぶ急行列車でした。昭和55年当時ですが、急行「狩勝」はDCが3往復、客車夜行が1往復設定されていました。このうちDC急行は、札幌~釧路間を基本とし、下り夜と上り朝が帯広発着です。釧路発着の1・6号は富良野駅にて富良野線直通の普通列車を釧路間で併結しています。また、上り4号のみは根室~札幌を直通としていました。これは、急行「ニセコ」の上り1本が根室~函館に設定されていた頃からの名残で、札幌にて系統が分割されて「狩勝」となったものです。当時はまだ石勝線が完成していない時代ですので、根室本線への列車は全て滝川経由となっていました。特急「おおぞら」も3往復しか設定がありませんでしたので、夜行含めて4往復設定されていた急行「狩勝」は、全ての列車にグリーン車も連結された、重要な幹線優等列車でした。昭和56年3月 根室本線 落合~新得間にてこちらはネガプリントからのスキャニング画像です。残念ながらブレてしまっていますが、キハ56形の213番ですね。キハ56系はキハ58系の北海道版で、外観は窓が1周り小さいのが特徴です。また、グリーン車のキロ26はキロ28形のような2連の大窓ではなく、さらに1周り小さい1席1個の窓が特徴となっており、キハを含めて全て2重窓となっています。キハ56形200番代は最終増備車で、パノラミックウィンドウにスカート付きが特徴です。さらに、写真では判りませんが、冷房準備工事車でクーラー搭載予定箇所にフタがしてありました。※最終的には、廃車となるまで冷房化されることはありませんでした。昭和56年3月 根室本線 落合~新得間にて上の写真と同じ区間ですが、新得側からやや落合寄りの第1ターンとなる橋梁です。こちらは番号が不明ですが、初期型のキハ56を先頭とする「狩勝」。全てが小窓で判り難いのですが、前から5両目のフレームギリギリに写っているのがキロ26形グリーン車です。昭和56年3月 「狩勝」の愛称サボなんでこんなサボの写真をリバーサルフィルムで撮っていたのか疑問だったのですが、よくよく考えて見ると車体色がクリームと赤のツートンではありませんので、どう見てもキハ22に取り付けられたサボと言うことですね。「狩勝」には基本的にキハ22は使用されていなかったと思いますので、おそらく富良野線からの直通併結車両を目撃した際に撮影したのではないかと思われます。昭和56年3月11日 函館本線 白石~厚別間にて同区間を撮影場所を探しながら歩いていた際に撮影したものです。コレは列車を撮るために待っていたのではなく、前を歩いていた親子が大変絵になるスタイルだったのと、そこに偶然この列車が通り掛かったので思わずシャッターを切ったことを憶えています。なお、この写真、もしかしたら急行「大雪」かもしれないことをお含みおきください。※編成的には「狩勝」で間違いないと思いますが・・・。急行「狩勝」は、ご多聞に洩れず特急化の波に飲まれ、尚且つ石勝線の開業と言う一大プロジェクトのアオリもあって全て特急「おおぞら」に吸収・格上げされて消滅いたしました。辛うじて根室本線の快速として「狩勝」の名前が残っていましたが、そこには急行時代の優等列車としての面影は残っていませんでした。オハネフ12形:夜行急行「狩勝」(旧型客車時代)
2023.03.27
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EF15165牽引:14系客車「サロンエクスプレス東京」総数202輌が製造され、東海道や近畿、首都圏を闊歩していたEF15ですが、昭和60年には全国からほぼ姿を消してしまい、高崎第2機関区に165号と200号の2輌が残るのみとなっていました。両機は、両毛線や吾妻線専用のような運用となってなっていましたが、両線とも既に貨物営業はなくなっており、工臨が主な仕業となっていました。そんな中、EF15にスポットライトの当たる時が巡ってきました。団体のサロンエクスプレスの入線にあたり、EF15の仕業が組まれたのです。私の記憶では、この時が初めての組み合わせだったと思います。撮影は、昭和60年2月9日です。長野原~川原湯間にて (2枚とも:駅名は当時表記)小野上~祖母島間にてこの日は、生憎雨又はみぞれのようなカメラマンにとって一番うっとうしい天気でした。どうせだったら雪のほうが良かったのですが・・・。それでも、このイベント並みの組み合わせは、ファンを集めるには十分すぎるシチュエーションでした。しかも、この日はもう1台の僚機である200号機も工臨として運転されたため、天候不良にも拘らず、かなりの人出がありました。※実物の写真はもう少し明るいのですが、スキャニングの都合で暗くなってしまいすみません。
2024.02.09
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103系(スカイブルー):青梅線前記事で青梅線の103系をご紹介いたしましたが、ここに1枚だけレアな写真があります。青梅線では、73系やクモハ40形による運転が行われていたようで、既に101系で統一されていた中央快速線とは別体の運用になっていました。このうち、青梅直通の快速のみ101系が使用されていました。首都圏における新性能化の過程の中で、昭和51年頃から103系の転入が行われ始めたそうで、これには京浜東北線のATC化準備で余剰となるスカイブルーのクモハを含む4両編成が続々と導入されたみたいでした。中央快速線でさえ103系が導入されていない時代でした。昭和53年2月19日 青梅駅にて スカイブルーの青梅線この時代は記念切符を積極的に収集しており、近場で発売されると分かったときは、わざわざ買いに行きました。この日は青梅マラソンの開催を記念した入場券が発売されることを知り、これを買いに行って初めて青梅線を訪れた訳ですが、乗る電車・留置されている電車の殆どがスカイブルー一色であることに大変驚きました。まだ中学生でしたので、京浜東北線・山手線のATC化などという高度な知識は持ち合わせておらず、何故このような事態になっているのか訳が分からなかったのですが、高校生になって色々な情報がアタマに入るようになり、やっとこの時の状況が理解できるようになりました。くやしいのは、この写真を撮ったときには72系が運用が残っていたようで、この翌月にさよなら運転があったということ。今となっては何の興味もないマラソンの記念切符などどうでも良く、旧型国電の記録を漏らしてしまったことに悔いが残ります。
2024.04.11
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113系初期車(幕張区):房総地区普通列車首都圏東部南部平坦地域で一世を風靡した113系電車。房総地区で活躍した113系はスカ色が使用されていました。首都圏の旧型国電を置き換えるために111系が導入されたのは昭和37年でした。湘南電車(東海道本線)の導入に始まり、その後横須賀線にも導入。当初は湘南色であった横須賀線も、旧型国電時代のカラーであるスカ色に改められています。111系の出力を増強した113系が登場し、首都圏及び関西の平坦路線を中心とした路線に配置され、冷房改造車も誕生しています。冷房改造が遅れた首都圏の113系初期車は、房総地区の電化用及び73系の置き換え用として幕張電車区(当初は津田沼電車区?)に配置されました。今回は、房総地区で活躍していた113系初期車の写真を並べてみます。昭和55年頃 総武本線???駅にてこれは多分大回り乗車をしている時に撮った写真で、総武本線の成東駅辺りではないかと思われます。木造の駅事務室でしょうかね、古き良き雰囲気を醸し出しています。古いタイプの屋根付き跨線橋も懐かしいですね。昭和55年5月 内房線 五井~姉ヶ崎間にてこちらもデカ目です。ピンが甘いのかブレているのか、方向幕はハッキリ写っていません。113系の編成は全て幕張区に集中配置されており、4連か6連が在籍していました。この列車は4連のようですね。昭和55年 品川駅にて品川駅での駅撮りを楽しんでいると、意外な出会いというのが良くあります。こちらは房総地区以外で唯一出会ったスカ色のデカ目です。大井工場の入出場でしょうかね。昭和55年5月 千葉駅にて千葉駅における並び写真。右側の列車は列車番号からすると外房線の普通列車で、編成は113系1000番台となっています。この頃既に品川開業となっており、横須賀線との乗り入れも間近でしたから、1000番台の冷房準備車の抜き取りや組替がおこなわれ、4連・6連の普通列車運用にも使われるようになったのではないでしょうか。上の写真の左側の列車が発車していった場面のようです。内房線の列車ですが、列車番号が臨時列車のものになっています。シールドビームになっていますが、客窓がサッシ化されていないので、デカ目をシールド化した0番台の後期車(113系用クハ)ではないかと思われます。千葉以遠の普通列車には珍しく、6連に増結され10連になっているようです。横須賀線にE217系が配置され始めると、余剰となった1000番台冷房車がローカル運用に転用されることになり、初期車は転用されることもなく、たちまち姿を消していくことになります。
2024.04.24
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キハ181系:急行「シュプール白馬・栂池」『キハ65系エーデル車:急行「シュプール白馬・栂池」』『DE10牽引 14系リゾート客車:急行「シュプール白馬・栂池」』『DE10牽引 20系寝台客車:急行「シュプール白馬・栂池」』に続き、今回はキハ181系による急行「シュプール白馬・栂池」です。平成2年2月16日 急行「シュプール白馬・栂池11号」この頃には山口線訪問もしなくなっており、山陰本線でしか見られないキハ181系を見られるのは大変うれしいことでした。何せ、気動車の中では一番好きな車両でしたから。しかも、塗装変更前の姿を最後に見ることができた瞬間でもありました。平成2年2月16日 429D大糸線各駅には収容スペースが殆どないため、客車列車はプッシュプルとし、糸魚川までその都度回送されていました。一方で、単線で線路容量も足りない大糸線内では、交換設備からはみ出してしまう長編成は回送列車ですら何本も設定するとができないため、気動車による「シュプール」に関しては、回送するスジを一般営業列車に充て、折り返し普通列車として運転されることが特徴的でした。平成2年2月17日 急行「シュプール白馬・栂池9号」こちらは翌日にキハ181系が充当された9号です。あまりピントが合ってなくて見づらいんですよ。天気が悪かったのもあるし、この頃はかなり視力が落ちてきたので、ピント合わせすら勘だったような気がします。平成2年1月号のDJでは、このキハ181系のシュプール号の設定はなかったのですが、翌2月号の予定から突如姿を現しています。この前までは「サロンカーなにわ」「ゆうゆうサロン岡山」などの欧風客車も使われていたようですが、まるでピンチヒッターのようにキハ181系が加勢し始めたように見えます。この後、急な旅程の変更により、日本海側経由で板谷峠へ向かうことになってしまいました。その際に乗車した糸魚川行きの普通列車が、ちょうど9号折り返しの429Dとなっており、普通列車ではありますが、人生で初めてキハ181系に乗ることができました。各駅では編成がホームからはみ出してしまうため、確か1~2号車しか乗車できなくなっていたと思いますが、超ローカル線では乗客が殆どおらず、ゆったりと過ごせた記憶です。悲しいかな、キハ181系の乗車できたのはこの時が最初で最後となってしまいました。
2025.03.04
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旧型国電 牽引車:クモヤ90国鉄時代、電車は現在のように編成を固定とする概念がありませんでしたので、検査の際は編成から中間車を抜いて入場するというのが当たり前でした。回送の際に運転台がなくなってしまうこともあるので、各電車区には運転台付き電動車の配置が必須となっていました。関西では17m車、交直流対応車などバラエティな牽引車が存在しましたが、首都圏ではクモヤ90しか見当たらなかったように思います。今回は首都圏で撮影したクモヤ90を並べてみます。中学生時代の写真もありますので、写りについてはご勘弁を。昭和51年 錦糸町駅にて クモヤ90+101系中央総武緩行線写りも色も最悪な写真ですが、101系を牽くシーンとしてはこの1枚しかありませんでした。前後でサンドイッチしていますが、津田沼電車区にクモヤ90が2両配置になっていたのかは分りません。昭和51年 西川口~蕨間にて クモヤ90+103系京浜東北線こちらも写り最悪といったところ。やはり、京浜東北線を牽くクモヤ90はこの1枚しか見当たらないようです。おそらく、浦和電車区配置のクモヤ90でしょうね。昭和52年 上野駅にて クモヤ90+103系常磐線上野駅5番線で折返し待機中の配給列車。常磐線の低窓103系が連結されていました。大井工場への入出場だったようです。昭和52年 品川駅にて過去ログでアップいたしました、クモヤ90000と90001の重連回送です。どちらが000で001だか忘れました。昭和55年8月 品川駅にてこちらも田町電車区の確かクモヤ90000だったと記憶しているんですがね。153系・165系を連結しており、おそらく大船工場での検査から戻ってきたものでしょう。昭和56年12月頃? 田町電車区 留置線にて留置線に留っているクモヤ90000。もちろん同形式のトップナンバーになります。当時、お金の無い身分なので、良く高輪にある中古カメラ屋に通っていました。10分以上は歩く距離でしたが、坂道を歩いて良く通ったものです。途中、線路際から一番品川駅寄りの電留線を覗くことができ、運が良いとこのような写真を撮ることができました。昭和52年8月 クモヤ90+クハ165の回送車両はおそらく新前橋電車区のクモヤ90とクハ165で、新前橋区から大井工場への検査入場のための回送と思われます。昭和53年 下十条電車区にて クモヤ90005下十条電車区配置のクモヤ90005で、東十条駅のホームから撮ることが出来ました。当時はまだ横浜線や南武線、鶴見線などでも73系を見ることが出来たので、ツリカケ式のクモヤ90は特に目立つ存在ではありませんでした。それでも、昭和56年の山手・京浜のATC化によりクモヤ143が誕生すると、クモヤ90も急速に淘汰されてしまったようです。
2022.04.21
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キハ58系:急行「おが」「おが」は、上野~秋田間を奥羽本線経由で結んでいた急行列車です。東北の昼行急行は、奥羽本線の全線電化開業後も気動車急行として存置され、他の急行「いいで」「ざおう」や「出羽」とも複雑な共通運用を組んでいました。昭和52年1月 大宮駅にて 急行「おが1号」こちらはキハ28800番台を先頭にした秋田行き急行「おが1号」です。まだ国鉄の塗装合理化が始まる前でしたので、修学旅行指定の解除後、一般運用に共通使用されていた頃もしばらくは修学旅行色のままでした。昭和52年というと、運用から外れたEF57を追って宇都宮運転所へ何度か出掛けたことがありましたので、電車待ちで偶然撮ったものと思いますが、運が良いと先頭に修学旅行色を見ることが出来ました。新幹線などまったく想像も付かなかった時代で、広々とした空を見ることができました。昭和55年7月23日 蕨~南浦和間にて 秋田行「おが1号」ブレちゃってます・・・。既に塗装合理化後であり、グリーン車の帯は消え、修学旅行色も消滅しています。こちらは冷房準備車となった後期のキハ58と思われますが、東北急行はグリーン車を除き、晩年まで非冷房車で大勢あったことも特筆されます。昭和57年1月4日 豊原~白坂間にて 秋田行「おが1号」東北・上越新幹線開業に伴う57・11改正を迎える晩年の頃の写真です。東北の気動車も多少の冷房化が進んできたのか、先頭車のキハ58冷房車となっています。中間にも2両並んで冷房車が連結されていますが、1両はグリーン車でしょうね。下りの「おが1号」は上野発が7時過ぎでしたので、撮影の時間帯は良かったのですが、夜行群の到着が終わった後の上り通勤時間帯となっていたため、撮影する機会が非常に少なかったですね。ヘッドマークが付いていれば、格段に撮影回数も上がっていたと思います。昭和51年11月に奥羽本線全線が電化したにも拘わらず、昭和57年11月のダイヤ改正前日までディーゼルのまま走っていた、架線の下の気動車急行の代表格であった列車と言えると思います。
2022.05.22
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東武鉄道 6000系・5700系:快速急行「だいや」東武鉄道「だいや」は、昭和44年3月21日に急行列車として誕生、昭和51年に快速急行に種別が変更されました。主に快速専用車両6000系が使用されましたが、時折、応援により旧型車の5700系でも運転されることがありました。昭和48年頃 北千住駅?にて 上り急行「だいや」これはおそらくですが、昭和48年か49年くらいだと思います。初めは春日部で撮ったのかと思いましたが、良く見ると高架線ですし、良く分からなくなってしまいました。その後読者様からの情報提供で、北千住駅では無いかというご意見をいただきました。この写真のネガも見当たりませんし、今となっては何の目的でここに居たのかもわからない始末。しかし、「だいや」のヘッドマークを付けた6000系の写真はこれだけですので、私にとっては貴重な写真です。この写真はずっと「快速急行」だと思い込んでいたのですが、種別表示を良く見たら「急行」になっていました。昭和56年6月6日 新大平下~新栃木間にて 6000系 快速急行「だいや」?ヘッドマークが付いていないのですが、列車種別が快速急行となっていることから、「だいや」ではないかと思われます。昭和56年6月6日 新大平下~新栃木間にて 5700系 快速急行「だいや」この頃は私鉄の臨時列車情報というのは殆ど無かったので、それこそ行き当たりバッタリとう感じで行動していました。そんなこともあって、当時でもなかなか行き会うことの無い5700系に突然遭遇し、慌ててシャッターを切ったものです。拡大してやっと「だいや」であることが判るような写真でした。快速急行「だいや」は、その後車体更新による6050系使用となります。そして平成3年、300系350系の誕生により特急列車化が実施され、愛称としての「だいや」は消滅してしまいました。
2022.06.18
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JR東日本 115系:初代長野色国鉄の分割民営化以来、従来からの国鉄色を様々な地方色に塗り替えることが行われました。個人的にはこのようなことは好きではなく、蒸機のみの撮影に終始しており、撮影した機会は殆どありませんでした。そんな中、平成6年に長野地区に設定された「SLアップル号」を撮影するために長野を訪れた際、たまたま115系長野色の写真を撮っていました。平成6年11月4日 信越本線 三才~豊野間にて新長野色がかなり出現してきており、当時まだ現役だった165系&169系の旧色を撮りたかったですが、残念ながらこの115系だったわけです。結局165系の同色を撮ることは出来ず、115系もこの1枚だけでした。そのくらい、既に旧色は激減していたんですね。平成10年の長野オリンピック開催を目指して新長野色へと移行され、この後間もなく、初代長野色は消滅しています。
2022.11.12
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581系・583系:特急「雷鳥」特急「雷鳥」は、昭和39年10月の改正において、東海道新幹線の開通とともに誕生した特急列車です。特急列車としては初となる、交直両用型の481系が使用された、当時としても画期的な列車でした。ここでの成功は、東北本線への電車特急の誕生、山陽から九州への乗り入れの速達化に貢献しました。昭和53年10月改正より、予てから余剰となっていた583系を「雷鳥」に使用することになりました。通常、583系はその車両の特性から、夜行列車と昼行列車を連続した効率の良い運用が持たれますが、「雷鳥」の運用に限っては昼行のみの運用となっており、臨時急行への間合い(又は予備)を除いては、極めて稀なケースとして特筆されます。昭和54年3月27日 大阪駅にて九州旅行の帰り道、夜行の乗り継ぎで立ち寄った際に逢った初めての583系「雷鳥」。当時はそのことを良く知らなかったもので、驚きと喜びを隠せませんでした。開閉型のタイフォンを持つクハネ581は、元東北特急「はつかり」誕生時に製造され、クハネ583の誕生とともに西へと異動した車両です。昭和55年8月 大阪駅にて昭和55年8月 東海道本線 神足(現長岡京)~山崎間にてキハ181系「やくも」の撮影行に際して立ち寄ったときの写真。2枚しか撮っていませんが、4往復設定されていた頃なので、出逢う確率が高かったようですね。開放型タイフォンの形状は2種類あり、大阪駅での写真の方はタイフォンの周りにもう一つの輪(枠?)が付いているタイプ、下の走行写真の方は面一のスッキリした形状となっています。昭和57年8月8日 富山駅にて多分、最後に会った583系「雷鳥」です。後追い撮影で、最後尾は1枚目の写真と同じクハ581の元東北特急仕様の車両です。ブレてしまっているのが残念。左側に写っているEF701000番台も懐かしい。583系「雷鳥」は、昭和60年3月の改正により定期運用が消滅することとなりますが、臨時列車としてはその後も暫く活躍していたようです。
2023.04.25
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国鉄旧型電機 EF10大正時代までは、国内の電気機関車は基本的に輸入機を使用していましたが、大型旅客機であるEF52から国産を手掛け、昭和1ケタの時代、技術の革新とともにEF53やED16、そしてF形貨物機のEF10と量産が行われました。当時はまだ量産といっても手作り的製造となりますので、現代のように何百両とまとまって製造することはできませんから、同じ形式でも何年かに亘って生産されるため、年次によっても形態がかなり違うケースがあります。EF10は、1次形がEF53と同じリベットのあるヒサシ付きの古いスタイル、2次形はEF56前期と同様半流線形の丸形、3次形~がEF56後期のRのあるやや角ばった箱形となり、旧型電機EF15までの標準的なスタイルが確立しています。また、台車は当時一般的な足回りを採用しているほかに、鋳鋼製の変わったスタイルの台車を履いているものも存在します。時期はズレますが、EF58の先台車にも同じ現象がありました。昭和51年7月4日 立川機関区にて 一次形 EF1013ED16の写真を初めて撮りに行ったとき、立川機関区で休んでいたものです。ホームと留置箇所が余りにも接近しすぎて、全体像を撮ることができませんでした。ED16とともに、EF53の車体の面影を残す、貴重な形態でした。昭和51年頃 蕨~西川口間にて EF1030号数は不鮮明だったですが、読者さんからのご指摘により、30号機と判明いたしました。EF56の後期形と同じ形状の車体をもつ、一般的なスタイルです。この車両は鋳鋼製台車を履いており、足回りから独特な雰囲気を醸し出します。世の中の写真代がやっと安くなってきたのがちょうど昭和51年頃で、それまで写真の枚数があまり撮れなかったことや、茶色い貨物機に興味がまだ行っていなかったので、結果的にEF10の写真は殆ど残っていません。2枚目の30号機を捉えた時点ではEF10の写真を狙っていましたが、EF12と合わせて既に殆どが首都圏から消えてしまっていた頃で、EF13や15の天下となっておりました。平成24年9月22日 九州鉄道記念館にて EF1035現在、国内で唯一保存されているEF10形電気機関車。関門トンネル通過用に新製されたステンレス製の外板を持つ機関車で、晩年は飯田線南部で使用されていました。
2023.07.22
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209系500番台:京浜東北線現在はE233系1000番台で形式統一が図られた京浜東北線ですが、かつては殆どの時代において複数の形式が存在していました。平成になってからは209系の時代が長かったですが、この間、103系から209系に変わった際も、205系が存在したり、今回ご紹介いたします209系500番台がありました。209系500番台はE231系が完成するまでの過渡的形式であり、システム的な部分を209系としているものの、車体はその後の標準とすべく広幅を採用したものです。殆どが中央・総武緩行線用として製造・配置されましたが、最終の2編成は京浜東北線への転用も考慮されていました。また、追加で転入した分を含め、京浜東北線では最大で5編成、50両が活躍していました。平成19年10月7日 ウラ82編成平成20年9月23日 ウラ83編成平成21年2月22日平成21年3月25日5編成もありましたので、乗車する機会は比較的ありましたが、最後の頃は1編成のみとなったため、その機会も貴重となってきました。平成21年4月4日 ウラ80編成 818A平成21年4月4日 ウラ80編成 1019A平成21年4月4日 ウラ80編成 1418A目撃情報から運用を割り出し、1日中追いかけたこともあります。大体は目的外に出会ったものしか撮影していませんので、見られる写真が全然無かったためです。そんなこともあって、この日だけは地元の定番アングルでじっくり構えたものです。平成21年7月4日 ウラ80編成これも偶然撮影したものですが、結果的にコレが最後の撮影となりました。京浜東北線に導入されたのが平成12年末、最終的に全面撤退となったのが209系よりも一足早い平成21年でしたので、その活躍は10年にも満たないものでした。
2023.11.21
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DE10牽引 14系リゾート客車:急行「シュプール白馬・栂池」ウィンタースポーツと言えばまずはスキーやスノボーが思いつく訳ですが、30年以上も前の時代ならともかく、今ではあまりメジャーとも言われないような感じがします。コンピュータや通信の普及により、遊びが多様化してしまった結果だと思いますけど。現在ではスキー臨なんてまず見掛けなくなってしまいましたが、昭和40~50年代前半までは多数のスキー臨が設定されていましたし、高速道路の普及などにより自動車での移動が一般化した後も、「シュプール号」という企画の設定で幾多の列車が残存しました。首都圏では夜行系の列車ですから、その姿を撮影したものは全然無いのですが、地方に行った際に撮れたものが少々あります。しかし、ここにご紹介いたします関西からの大糸線系のものだけは、そのために撮影を挙行したものです。なんと言っても、20系客車、14系客車、キハ181系、キハ65系エーデルなど、使用車両が多種多様であることが魅力でした。今回は、14系リゾート車を使用した「シュプール白馬・栂池」をご紹介いたします。平成2年2月16日 平岩駅付近にて 回9131レDE101031牽引の14系リゾート車による「シュプール白馬・栂池3号」ですが、同列車は早朝に白馬駅へ到着してしまうため、撮影できるのは糸魚川までの留置回送列車だけだったようです。14系客車の晩年は、定期客車急行や波動用としてオリジナル塗装のまま使われたり、お座敷・欧風客車への改造種車として利用されましたが、関西では一般仕様のままグレードアップ&展望室設置改造を施工するという異例の措置が採られました。平成2年2月17日 北小谷駅付近にて 回9131レこちらは翌日に撮影したものです。大糸線への客車列車による「シュプール」号は、折り返し機回しを省略するために、必ずプッシュプルで運転されます。しかも、前後ともヘッドマークを付けており、糸魚川への折り返しも本運転のように撮影することができます。14系リゾート車は、団体列車にも使用されましたが、様々な臨時列車にも使用されていましたので、関西へ行けば比較的に捉えやすい車両であったと思われますが、客車列車と言う性格上、夜行列車での運用が多かったように記憶しています。この3年後には結婚して行動範囲が狭まってしまったため、この14系リゾート車に遭遇したのは、これが最初で最後になってしまいました。
2024.01.28
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上越新幹線 E1系:「Maxとき」&「Maxたにがわ」※本記事は、2012-09-28に投稿したもので、当時の表現になっています。E1系は、平成6年に誕生した初のオール2階建て新幹線系列です。慢性的な混雑から立席客を減らすため、座席数の増加を目論んだ車両あり、最終的には12連6編成が誕生しています。登場当初は東北新幹線・上越新幹線に使用されていましたが、新在直通の新幹線が開業したことにより途中の分割併合に不便を来たすことになったため、東北新幹線にE4系を導入、上越新幹線限定運用と移り変わります。E1系には以下のような特徴があります。・製造時は600系を付番する予定であたため、現在においても600系が欠形式になっている。・現在の新幹線の中では唯一の鋼製車両。したがって重量がある。・JR東日本の新幹線としては初めてVVVFを採用。画像は平成8年に発行されたオレンジカード。NTT発行のテレホンカード誕生当初はこのようなデザインでしたが、残念ながらこの頃の写真は撮っていませんでした。平成15~18年にかけてリニューアル工事が実施され、現在の姿となっています。平成21年11月7日 戸田駅にて初めて撮影したE1系Max。写真は第4編成で、リニューアル第1号編成です。平成24年8月4日 戸田橋付近にて 「Maxとき343号」夕闇の中を走るE1系。戸田橋の花火大会とのコラボを狙いましたが、残念ながら打ち上げが始まりませんでした。平成24年8月25日 大宮駅にて 「Maxとき310号」運用離脱前にと駅撮りでの捕獲。「Maxとき310号」は、越後湯沢~東京間がノンストップで、大宮駅も通過する列車でした。平成24年8月29日 大宮駅にて 「Maxとき326号」トキのひなの誕生を記念し、ステッカーが貼られていました。平成24年8月29日 大宮駅にて 「Maxたにがわ415号」E1系は越後湯沢行きの「Maxたにがわ」にも運用されていました。東北新幹線へのE5系の増備が進みE2系に余力が発生、最高速度の遅いE4系を上越新幹線に押し出したことにより余剰となったE1系Max。個人的には魅力を感じていた車両ではありませんでしたが、登場当初「マックスはとても恥ずかしがり屋さんなんです。マックス~~~。」という小泉今日子さんのCMでその名を知らしめた、新幹線初のオール2階建て車。600系という幻の形式とともに、本日、定期営業運転から撤退、その使命を終えることになります。
2024.11.05
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EF81牽引:寝台特急「日本海」奥羽本線内におけるED75700番台牽引が解消され、寝台特急「日本海」は大阪~青森間の全線にわたりEF81が牽引することになりました。今回は、後期~終盤のEF81が牽引しているシーンご紹介します。昭和61年9月8日 下浜~道川 間にて EF81125牽引 「日本海3号」ヘッドマーク復活後、初めて撮影した「日本海」は、まだギリギリ国鉄時代でした。塗装変更車など存在せず、ナチュラルな姿が当たり前の時代でした。平成4年8月18日 八郎潟~鯉川間にて 「日本海3号」次の出会いは民営化後、平成になってからでした。この頃はSLやDL列車の撮影ばかりで、風景中心の鉄道写真ばかり撮っていました。そんなこともあって、今になってしまうと機関車のナンバーが判らないなど、残念な部分もあります。平成20年4月22日 金沢駅にて EF8146牽引 下り「日本海」2往復設定されていた「日本海」は、平成20年3月ダイヤ改正で1往復に縮小されました。前の写真のすぐ後に結婚したため、SL以外の撮影には行かなくなってしまい、この間の記録が殆どありません。撮影活動を再開したといえるのは、デジカメを購入してからになります。485系「雷鳥」がなくなるということで急遽北陸へ出向き、帰路の寝台特急「北陸」乗車までの待ち時間に撮影することが出来た久し振りの「日本海」。当時のデジカメの性能が良くなかったため、あまりブレずに撮れた唯一の「日本海」でした。平成24年3月11日 青森駅にて EF81101牽引 上り「日本海」そして時は流れ、平成24年3月ダイヤ改正で「日本海」は廃止されることになってしまいました。25年勤続のお疲れ様休みを利用し、いざ東北へ出掛けました。思い立ったのがギリギリであったため、東日本大震災のちょうど1年後というタイミングの悪さでしたが、後悔を残さないために青森バルブへ特攻しました。平成24年3月12日 鶴ヶ坂~津軽新城間にて EF81106牽引 下り「日本海」翌日は走行写真の撮影に有名撮影地へ。大雪の年であったため、撮影も大変なものでした。冬の磐越西線以来の過酷さでしたが、成果を得ることが出来たことでそれも良い思い出です。平成24年3月13日 鶴ヶ坂駅にて EF81107牽引 下り「日本海」さらに翌日はもう1か所の撮影地を目指したのですが、大雪で足場が悪いうえに意外と時間がなく、仕方なく駅撮りになってしまいました。しかも、現れた「日本海」はヘッドマークが雪の付着で全く見えず、もうそれはガッカリしました。そしてこれがラストショットとなりました。初めて出会った昭和49年以来、ブルトレの中でも一番好きだった寝台特急「日本海」。乗ることすら叶いませんでしたが、ブルトレファンの原点となった列車。最後にトワイ色が1枚も撮れなかったのは残念でしたが、最後の数日を一緒に過ごすことができて本当に良かったです。ED75700番台牽引:寝台特急「日本海」20系寝台客車 ナハネフ21:寝台特急「日本海」24系寝台客車:寝台特急「日本海」
2025.03.01
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ED75重連牽引:貨物列車(磐越西線)線路規格の低い磐越西線では、電化以来、客車列車や貨物列車の牽引に軸重を軽くしたED77を充てていました。そんな磐越西線も、国鉄末期になるに連れて客車列車の電車化、貨物列車の削減が顕著となり、電気機関車の運用が大幅に減少します。老朽化という言葉を当てはめるのはかなり強引な車齢のED77ですが、他線区における大量の余剰を抱えるED75の活用を優先したのか、線路基盤を強化してまでも、ED75入線を入線させることになりました。置換えは平成5年9月のことになります。平成7年2月1日 ED7592ほか重連牽引 磐梯熱海~中山宿間にて平成13年8月13日廃車 JR貨物 仙台平成7年2月3日 カマ番不明 重連牽引 磐梯熱海~中山宿間にて毎冬恒例のD51498牽引快速列車を撮影に行っており、この年は朝のSLと同一方向に運転された貨物列車を撮ることができました。猪苗代を境に長い連続勾配を擁する磐越西線では、ED77の時代から貨物列車は重連運用となっていました。国鉄末期からこの区間の貨物列車は既に1往復のみとなっていたように記憶しており、ED75置換え後においてもこの1往復が堅持されていましたが、平成8年3月に唯一残っていた貨物列車も廃止になってしまいました。ED77牽引:貨物列車(磐越西線)
2026.02.01
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JR九州 キハ47:香椎線2018/12/24に投稿した記事で、当時の表現になっています。JR九州の香椎線は、西戸崎と宇美を結ぶ路線です。JRになってからはキハ40系の牙城となっていましたが、平成31年3月のダイヤ改正において新鋭の蓄電池車BEC819系が導入され、現在使用中のキハ40系が全て置き換えられるということです。今までまるで縁のない路線でしたが、九州へ1泊で撮影に行き、鹿児島本線の九産大前駅の近くで撮影した際、直ぐ近くを走る香椎線の列車を撮ることが出来ました。※撮影は、平成24年9月23日、香椎線 香椎~和白前間にてキハ478065キハ479051時間の都合で撮影できたのは1本のみ、景色がイマイチでしたので、前後を撮影しておきました。この列車はキハ47×2連を2本合わせたもので、本線の撮影中に聞いた走行音からすると、2連のみの運用もある様でした。未だ非電化区間の多い九州ですが、福岡市を中心とした都市部からエンジン車の追い出しを図る構想のようで、必要車両数もそれほど多くないことから考えると、製造から40年を経過するキハ40系の先行きは、他の路線でもそれほど長くないものと思われます。
2022.05.21
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101系:南武線73系などの旧型国電は、昭和50年代に入ると急速にその姿を消すようになります。もちろん、主要路線である中央快速、中央総武緩行、山手線、京浜東北線などは昭和40年代に新性能化されていますが、周辺路線は昭和55年頃から新性能化が始まっています。南武線では昭和55年くらいから101系化が実施されたと記憶しています。冷房化が急がれている都心の路線を整備するため、103系冷房車が急ピッチで製造されていました。これにより余剰となった中央快速線や中央総武緩行線101系を南武線に投入することなり、そのためにラインカラーがカナリアイエローになったようです。昭和55年11月2日 尻手駅にて 101系混色編成新性能化が完了してからまだ間がない頃だと思います。中央快速線や中央総武緩行線からの転属車で賄っていますので、このような混色編成も良く見られたようです。昭和57年5月 撮影場所不明 101系南武線セミ判(6×4.5判)の試運転のときに撮影したものです。撮影場所は全く覚えていませんが、小田急線の登戸附近で撮影をしていますので、これも登戸附近ではないかと思われます。それにしても、のどかな風景ですね。101系は平成2年くらいまで走っていたようですが、最後に残っていたのは冷房改造車であるため、写真のような非冷房車は早々に姿を消してしまったようです。
2022.06.24
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国鉄 163系:サロ163ー1国鉄の急行形において交直流型で言うところ、451系・471系(MT46)が453系・473系(MT54)に出力アップされ、さらに455系・475系により勾配抑速ブレーキブレーキを設けて形式が発展していきます。これを直流の急行形にこれになぞれば、母体となる153系(MT46)が出力アップにより163系(MT54)となり、さらに勾配抑速ブレーキブレーキを搭載して165系と発展していくことはお分かりいただけると思います。そしてその計画は実際のものとなり、当時、非冷房の1等車(グリーン車)であったサロ152の冷房化を目的として、サロ163が新製されることになります。※交直流型と153系の時点で時代差があるため、TR59形→TR69形と足回りに違いがあります。しかし、既に勾配抑速ブレーキブレーキを搭載した165系も計画されている段階において平坦線区用の出力アップ車を用意することについては、車両保守や運用管理、さらに広域配転における制約を招くことになるため、形式を165系に絞って増備されることになりました。このような経緯により、163系においてはサロ163が7両製造されたのみに留まり、電動車が存在しないという極めて異質な幻の形式となったわけです。昭和54年頃 東京駅にて サロ163-1 急行「東海」サロ163は、昭和39年に製造され、宮原電車区に配置となります。153系のサロ152を置き換え、153系と共に使用されています。昭和45年には全車が大垣に転属となり、やはり153系と共に急行「東海」などの優等列車に使用されました。その後、サロ163-7は113系化によりサロ112-51となっています。本来ならば165系自体も誕生している時代ですが、サロ163には勾配抑速ブレーキ関係の引通しなどが設備されていないことから、もっぱら153系としか運用できなかった訳です。改造工事を行えば、サロ165としても活用できたのではないかと思われますが、何ら手を加えられることも無く、昭和58年までに全車が廃車されています。写真は、東京駅に停車中のサロ163トップナンバーを見つけ、喜び勇んで撮ったものです。当時はまだ詳しい知識は持っていなかったのですが、サロ163という車両が存在していることは知っていましたし、163系という形式が空きになっていることも知っていましたので、非常に特殊な存在であったことは自覚していました。同時に計画された165系は東北・上越新幹線の開業後までも残るものが存在しましたが、同じ時代に誕生した経緯を持ちながら、たった20年弱で生涯を終えてしまった163系は、幻かつ不運な形式だった思います。
2022.09.17
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常磐線:荷物気動車(キニ55・キニ56・キニ58)常磐線の隅田川~水戸間には、いつ頃からかわかりませんが、気動車の荷物列車が昭和50年代まで走っていました。常磐線には急行荷物列車も走っていましたし、普通列車にも荷物輸送を目的とした客車列車もやはり昭和50年代まで設定されていました。確かに、本線系では短距離用の荷物電車が設定されていたことを考えれば、常磐線に荷物列車が設定されていてもなんら不思議ではないわけですが、なぜ気動車だったのでしょうか?昭和57年10月12日 荒川沖~土浦間にて首都圏では最後まで見られた10系列の気動車で、大変貴重な存在でした。走っている時間帯も良く、常磐線に撮影に行くと良く出くわしましたね。写真は下り列車。昭和57年10月12日 土浦~荒川沖間にて キニ563+キニ553上の写真が進行方向先頭で、下の写真が後追いです。1両目の車輌は「キニ563」で、元「キハ5514」からの改造車です。昭和49年12月17日に大宮工場で改造・竣工し、水戸機関区に配置されました。種車の「キハ5514」はキハ55型の初期車で、妻面にRが付いた独特の形状をしており、改造後もRが付いたままの車体で特徴がありました。昭和61年12月18日付けで廃車となっています。2両目の車輌は「キニ553」で、元はキハ10系の2エンジン車「キハ5110」からの改造車です。3は昭和40年9月2日に多度津工場で改造・竣工し、他の1・2・4とすべての車輌が竣工とともに水戸機関区に配置されました。キニ55の2と3が昭和58年6月17日に、1と4が昭和59年5月8日に廃車され、10系気動車として最後まで残った形式でもあります。昭和60年8月25日 神立~高浜間にて キニ56+キニ58この写真は後追いです。番号は未確認ですが、後尾車(右側)の「キニ56」は水戸機関区に1台のみの配置ですので、「キニ563」で間違いないでしょう。先頭車(左側)は「キニ58」で、老朽化した前述「キニ55」の代替車として、2エンジングリーン車である「キロ58」からの改造で誕生しています。昭和53年7月から9月にかけて名古屋工場・幡生工場で3両が改造・竣工し、全車水戸機関区に配置になっています。荷物輸送の廃止により、昭和61~62年にかけて全車が廃車になっています。(「キニ581」は「碓氷峠鉄道文化むら」にて保存・展示。)水戸機関区配置の荷物気動車は、全国に配置された改造荷物気動車に比べてバラエティーさには欠けますが、常磐線用に2エンジン車を配置していたのが特徴といえます。これは、平坦路線の常磐線ですが、電車のダイヤに影響させないための措置と聞いております。交流又は交直両用の荷物電車が今もって製造・改造されたことが無かったのは、交流区間における普通列車が客車列車主体であり、特別に専用の荷物電車を用意する必要がなかったという時代背景でしょう。もし、現在も荷物輸送が活発に行われていれば、もしかしたら誕生していたかもしれません。
2023.01.24
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185系(157系色):臨時特急「そよかぜ」(その1)平成22年、大宮車両センターの185系が湘南色に塗り替えられて以来、田町の編成にオリジナル色、さらに大宮で157系色が誕生するなど、リバイバルブームと言うか、イベント色ブームとなっていました。そして平成24年、夏臨で185系の臨時特急「そよかぜ」が2度設定されました。まだ横軽が健在だった頃、季節特急「そよかぜ」で実際に走ったことがある185系ですが、この時代になって塗装変更されたOM08編成157系色が限定で使用され、ヘッドマークも特別あつらえとなる外付けのものが用意され、話題を呼びました。今回は、平成24年7月15日(日)に運転されたOM08編成「そよかぜ」ご紹介したいと思います。回9972M 送込み回送特急「そよかぜ」 9025M特急「そよかぜ」 9026M回9973M 入庫回送157系時代風のヘッドマークが結構似合っています。185系も奇抜な発想が出ていなければ、おそらくはこのような塗装で誕生していたと思いますね。この後、同年9月にまた同様のスタイルで第2弾の運転が行われました。489系 :特急「そよかぜ」 | マル鉄鉄道写真館2 - 楽天ブログ189系:特急「そよかぜ」 | マル鉄鉄道写真館2 - 楽天ブログ183系幕張車:特急「そよかぜ」 | マル鉄鉄道写真館2 - 楽天ブログ185系(157系色):臨時特急「そよかぜ」(その1) | マル鉄鉄道写真館2 - 楽天ブログ185系(157系色):臨時特急「そよかぜ」(その2) | マル鉄鉄道写真館2 - 楽天ブログEF5861牽引:臨時特急「サロンエクスプレスそよかぜ」 | マル鉄鉄道写真館2 - 楽天ブログEF651108牽引:臨時特急「サロンエクスプレスそよかぜ」 | マル鉄鉄道写真館2 - 楽天ブログ
2023.06.25
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キハ35系:川越線(荒川橋梁)川越線荒川橋りょう、調整池整備にあわせ架け替えへ - 鉄道コム (tetsudo.com)川越線の荒川に架かる橋梁が、調節池整備に関連して高さが足りなくなるため、架け替えになるそうです。リンク先の記事で結構詳しく説明しています。結構近い地域にありながら、非電化~電化直後もあまり撮影に行ったことのない路線で、撮影した写真もほんのわずかしかありません。川越線は、大宮~川越~高麗川を結ぶ路線。現在は沿線人口も増えて通勤路線としての性格が強くなっていますが、東北・上越新幹線が上野開業となる昭和60年までは都心に最も近い非電化ローカル線でした。今でこそ埼京線からの直通列車が10両編成で乗り入れていますが、それまではキハ35系が台頭していました。昭和59年7月27日 南古谷~指扇間にて鉄橋以外の障害物がない風景は、電車が走る現在とは比べ物にならないほどローカルな雰囲気を醸し出しています。流路の近い部分までは鉄橋ではなく堤防状の土盛りになっており、高水敷部分がガーーター、低水路上がトラスになっています。現在もほぼ同じ状況のようですが、度重なる季節風による運休に悩まされ、防風柵が設置されるなど景観はかなり変わってしまいました。翌年には電化されている訳ですが、まだなんの準備もされていないような光景であり、良く間に合ったものだと感心してしまいます。新しい橋梁はまったくの別物となってしまいますので、昭和から繋がるこの光景も過去のものになってしまうようです。
2023.09.27
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205系1000番台:南武線浜川崎支線JR東日本において、電化区間で最も車両の置換えが難しい南武線浜川崎支線。2両編成であるが故、長編成の多い管内路線では適当な車両が発生しづらい点で、国鉄時代から置換えが遅くなってしまう路線でした。過去ログ『旧型国電 クモハ11・クモハ12+クハ16:南武線浜川崎支線』でもご紹介いたしていますが、旧国時代は1M方式だったので問題なかったものの、やはり適当な車両の捻出は難しく、結果として使用されたのが101系でした。103系化することができずに全国で最後まで残った101系も、その時代の波に逆らうことはできず、205系化されることになりました。205系化に当たっては、最低が4両編成単位となるため、MMユニットに運転台を設ける改造を施し、一族としては唯一の2両編成として活躍しました。※撮影は、平成19年11月18日、浜川崎駅にて。クモハ204-1001205系になって初めての撮影。バスコレを買いに行った際、本当に101系撮影以来の訪問でした。短編成化のために、中間車に運転台を取付け、2両編成とした姿が不気味でした。本来なら丈夫な車体であるはずの彼らも、おそらくはメンテナンスフリーの都合だと思われますが、世代交代を迎えることになりました。しかし、まさか地方から来た中古車、しかも3ドア車来るとは予想もしていなかったと思います。205系1100番台:鶴見線(鶴見駅)205系1100番台:鶴見線(大川支線)205系1100番台:鶴見線(扇町へ)旧型国電 73系:鶴見線旧型国電 クモハ12:鶴見線 大川支線(武蔵白石駅)JR東日本 鶴見駅:鶴見線乗換口発行 区間変更券
2023.11.12
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12系お座敷客車(高タカ):「くつろぎ」団体・臨時列車用として製造された12系客車。旧型客車の老朽化置き換えで急行列車に使用されるようになりましが、さらに余剰となってきた特急用14系客車が急行列車に使用されるようになると、12系客車は普通列車やお座敷列車へと改造されるようになりました。各所に点在していたスロ81系お座敷列車が12系に置き換えられるとともに、それまでお座敷客車を配属していなかった客車区へも進出することになります。このうち、高崎客車区(高タカ)には、昭和58年に「くつろぎ」が6両編成で新規に配置となりました。昭和59年10月14日 東大宮~土呂間にて EF58151牽引登場当初の「くつろぎ」は、12系をベースとしていながらも、白の太帯1条を配したデザインでした。あまりインパクトはありませんが、奇抜な塗装はまだまだ無かった時代です。同じようなデザインで、九州の「海編成」「山編成」(帯はグリーン)がありました。撮影日調査中 後閑~上牧間にて EF65PF牽引平成5年8月21日 後閑~上牧間にて EF651023牽引高崎地区のバブル需要で兄弟編成である「やすらぎ」が増備されると、見劣りを考慮したか、「やすらぎ」もリニューアルが実施され、塗装もシックな茶色系のデザインに変更されました。EF58の独壇場であった高崎線・上越線の客車列車ですが、EF58が全廃になると、EF641000番台に加え、それまでなかったEF65PFが入線するようになりました。下の写真は、最後部のスロフが検査のためか、スハフ12に代わっています。平成6年5月31日 EF6019牽引 「くつろぎ」 上牧~水上間にて「やすらぎ」のデビュー後、動態保存車であったEF6019が「やすらぎ」に合わせた塗装に変更され、ジョイフルトレインの牽引に優先されるような状態で活躍を始めました。「くつろぎ」は平成11年半ばまで運用されましたが、汎用性のある電車ジョイフルトレインに後進を譲り、引退しました。現在も一部の車両が鉄道文化むらに保存されています。
2024.05.20
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715系1000番台:普通列車(東北本線)国鉄時代末期、寝台特急が衰退し、余剰となって本来の使命から淘汰されてしまった一部の581系・583系ですが、地方線区の電車化という新たな役割を与えられ、近郊型715系へ改造されました。715系の0番台は九州地区、耐寒設備を装備した1000番台が東北南部~仙台地区に配置されています。583系大好き人間としては、このような改造をされてしまうことに対し嫌悪感を隠せないところですが、そんな最後の頑張りを見守るのもファンの役目と思ったこともありました。昭和60年9月10日 豊原~白坂間にて 715系4連先頭のクハ715は、元クハネ581。2扉化のうえ一部窓のサッシ化など行われていますが、原形の面影をたっぷり残しています。昭和62年6月14日 白坂~豊原間にて 715系4連こちらは、仙台方の先頭クハ714。サハネ581へ新製運転台を取り付けた改造車です。写真では判り難いかもしれませんが、改造当初の塗装はクリーム1号(横須賀線のクリーム色)と緑のラインでしたが、後に455系東北色と合わせクリーム10号(アイボリー)に変更されいます。手前から3両は旧塗装のクリーム1号ですが、最後部クハ715の1両と何故かクハ714の前面だけがアイボリーに変更されており、塗色過渡期の様子を見せ付けております。平成2年7月1日 高久~黒磯間にて 715系4連私が最後に撮った715系。こちらは全て新色に変わっています。715系については、九州地区の0番台も東北地区の1000番台も含めて、客車や気動車の普通列車を駆逐するために活用されたもので、急行列車の削減により余剰となった455系や475系の普通列車化改造が終わるとアッという間に引退となってしまいました。1度だけ奥羽本線の庭坂~福島まで実車に乗車したことがあるのですが、座席に座った雰囲気は往年の特急583系そのものでした。むしろ、少し車内が明るく感じましたね。2重窓の中に人工芝を敷き、人形を飾ってあったアイディアには感心したものです。419系(晩年):北陸本線
2024.07.08
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東北本線 上野発:旧客普通列車3兄弟(下り編)かつての上野駅では、各方面に多くの客車列車が走っていました。115系の登場により、殆どの普通列車が電車化される中、東北本線では最後まで残った3往復の旧型客車による普通列車が残っていました。※時刻表は、交通公社時刻表 昭和50年7月号から拝借しました。1本目は、上野5:30発の121列車 郡山行きです。田舎に行く際、何回も利用した列車で、とにかく「遅い!」。途中までは追い抜かれる特急・急行が走っていないので小気味良く快走していきますが、宇都宮で機関車交換のため24分停車で、その場面から後発の特急・急行に次々と追いつかれ出します。やっと宇都宮を発車したと思ったら、次駅の岡本でまた10分停車と、とにかく進まないんです。終点の郡山まで、特急なら2時間半のところ、この列車では6時間以上も掛かってしまいます。今なら乗り継ぎ待ちがあっても4時間程度で行けてしまうのでは?この列車の特徴として、郡山方2両は途中の白河駅回転となっており、白河駅停車中の10分間の間に入換が行われます。昭和53年頃 白河駅にて ED751003 121レ残念ながら客車は写っていませんが、白河駅で入換中の121列車です。ここで先頭2両を持ったまま側線に転線し、留置後再び戻って元の121列車を牽引し郡山を目指します。なお、この回転車2両は白河13:47発の小牛田行きとしてミニ編成で出発し、仙台回転でこの日の運用が終るようです。この列車の小牛田行は白石駅から増結されるとされていました。時間が時間だけに、何度も乗った割に地元では一度も撮ったことがありませんでした。2本目は、上野11:19発の123列車 一ノ関行きです。あまりの長距離運行のため、終点の一ノ関駅には22:42着で、11時間半近くを要します。この列車の特徴は、荷物列車ではなく郵便車を連結していること。一ノ関方3両は仙台回転車になっていたということです。さらに、快速とはしていませんが、途中の宇都宮までは多くの駅を飛ばしています。おそらくですが、優等列車の多い時間帯に走っているため、ただでさえ遅い客車列車ですので、115系普通列車並みのダイヤを確保するために、利用客の少ない駅を不停車にしていたのではないかと思われます。金町のHさんからご提供いただいた写真です。不鮮明ではありますが、最後部は郵便車のようですね。時間帯と東北本線の定期列車であること、郵便車のみが連結されていることから、一ノ関行きの123列車に間違いないでしょう。この列車も地元では良い時間帯に走っているのですが、撮影した記録が見つかっていません。一度だけ乗ったような気はするのですが・・・。最後は、上野16:14発の福島行き125列車です。勤め人の帰宅には早い列車ですが、長距離を通う上野近辺の高校生は利用していたのではないでしょうか?この列車の牽引機は、上り「八甲田」で上京したカマが宇都宮に戻る仕業となっていましたので、「八甲田」にEF57が充当されると、学校が終ったら直ちに上野に向かうなんてことをしていました。それもたった1年弱でしたが・・・。上野~尾久間にて 125レ折しもEF57活躍末期の頃。冬場だと非常に厳しい時間帯でした。終着の福島が22:45ですので、旅行にはとても利用価値はありませんでしたが、EF57のデッキに乗りたいため(←良い子は真似をしてはいけません)、古河まで乗って行ったこともありました。昭和53年10月1日 EF651047牽引 125レEF57やEF58が牽引する定期客車列車として人気があった客車普通列車でしたが、時代の波には勝つことができず、昭和53年10月ダイヤ改正で一気に廃止されてしまいました。最終日のトリとなった125列車は、特急列車牽引機として人気のあったEF65PFを充当するという、心憎い演出がされました。
2024.07.25
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名古屋鉄道 1700系+2330系:2334F1000系と対をなす1200系が普通車として連結された編成で、それまで撮影した時はパノラマカー側ばかりしか撮影していなかったため、1200系側は佐久間レールパークに訪問した帰り、1回だけしか撮影していませんでした。平成21年8月22日 飯田線 下地~豊橋間にて 2334F一見すると1000系+1200系の編成に見えますが、拡大してナンバーを確認したところ、岐阜方の車両が「1532」と読み取れました。調べたところ、7000系・7500系パノラマカーを淘汰するに当たり、7500系の機器を流用して誕生した1030系+1230系による編成であることが分かりました。1000系編成では4M2Tであるのに対し、1030系ではオールM車となっているのが特徴です。改造による1030系+1230系編成は4編成が誕生しましたが、1134Fの事故廃車及び平成27年からの廃車で既に廃形式となっています。この写真の1132Fも平成28年7月20日付けで廃車となってしまったそうです。
2024.08.24
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EF80牽引:客車列車・荷物列車EF80は、昭和37~42年に掛けて製造された、EF30に続いて量産された交直両用電気機関車で、63両が製造されています。通常の電気機関車は、1軸の動輪に対して1つの電動機(モーター)が作用するのが一般的ですが、EF30やこのEF80は2軸(1台車)に対して1つの電動機としています。EF30は関門間の接続のみでしたので、特に高性能にする必要もなかったことからこの方式が採用されたようですが、走行距離の本格的な運用に対応するEF80は、交直流機器及び電気暖房装置の搭載による重量増を抑制するため、電動機を減らして軸重軽減に対応したという点において、EF30とはかなり趣旨が異なるようです。EF80は、大きく分類すると1次型と2次型があり、さらに電気暖房装置を搭載した客貨両用と電気暖房装置を持たない貨物用があります。※ただし、ブルトレなど客車に電源装置を持つ列車については、電気暖房搭載の有無に拘わらず運用されていました。今回は、EF80の写真のうち、普通列車や荷物列車を牽引している写真をご紹介したいと思います。昭和52年頃 上野駅にて EF8018牽引 下り普通列車地平20番線で発車待機中の普通列車。昭和54年頃 上野駅にて EF8018牽引 下り普通列車偶然にも上の写真と同じ18号機。何故かEF80牽引の旧客列車でカラーだったのはこの1枚だけでした。昭和57年頃 上野駅にて EF8019牽引 下り普通列車57・11ダイヤ改正を控えて、上野駅における特急列車の発着の情景を撮りに行った時の写真。鶯谷寄りの跨線橋の上から撮影。昭和57年8月23日 我孫子駅にて EF8042牽引 下り普通列車多分、大回り乗車中に我孫子駅で偶然押えた写真。昭和57年10月12日 荒川沖~土浦間にて EF80牽引 上り普通列車 車番は不明です。写真では判りにくいのですが、EF80の次位にスハニ64と思われる客車が連結されています。この頃ですと、合造車は殆ど姿を消していましたので、配置換えや廃車にしても何故この列車に連結されていたのか謎です。常磐線では、この頃の客車は全て保全工事施工車で青色。荷物車はマニ37、郵便車はオユ10と、編成が青一色で変化に乏しかったと言えます。おそらくこのスハニ64は茶色でしょうから、カラーで撮っていればかなり変化があったのではないかと悔やまれる1枚です。昭和57年10月12日 荒川沖~土浦間にて EF8012牽引 下り普通列車下り列車なので、郵便・荷物車は最後尾の連結となります。昭和57年10月12日 荒川沖~土浦間にて EF8021牽引 上り荷物列車私が写真を撮った中で唯一のEF80牽引荷物列車。次位には偶然旧型のマニ36が連結されていますが、荷物列車も終盤を向かえ、マニ50が多勢を占めていました。昭和57年10月12日 荒川沖~土浦間にて EF8060牽引 上り普通列車今回アップした写真で唯一の後期型。ヒサシがなく、テールライトも外バメ式となっており、1次型とかなり印象が変わります。この列車は郵便車等の連結が無いようです。昭和57年11月14日 上野駅にて EF8030牽引 常磐線普通列車上野駅にとっては、この日が大転換となった日、といっても過言ではないでしょう。ごく一部の列車を除き、上越系・東北系の電車特急、短距離系の夜行列車、そして、昼間の急行が1日にして無くなってしまったわけですから。首都圏でも53・10改正以後、最後の牙城となっていた常磐線の客車普通列車。夜行急行も含めて、旧型客車はこの日を境に一気に姿を消してしまうことになってしまいました。EF80牽引:貨物列車
2024.09.05
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14系寝台客車:寝台特急「北陸」昭和50年3月、それまで上野から北陸方面へは夜行特急が存在しませんでしたが、全車寝台の急行「北陸2号」を特急格上げし、寝台特急「北陸」が誕生しました。同じく、東北本線でも上野~盛岡間の急行「北星」が寝台特急「北星」となり、いずれも共通の20系客車で運転開始となりました。ちなみに、季節列車の急行「北陸1号」は、定期化されて急行「能登」として存続しました。ちょうどこの頃から20系客車の急速な老朽化が進み、全国のブルートレインが廃止等整理される中で、余剰となった14系や24系客車の転配が活発になっており、昭和53年10月ダイヤ改正において、寝台特急「北陸」は14系寝台客車へと置き換わりました。平成21年月7月4日 西川口~蕨間にて大幅な遅れで上って来た「北陸」。別の列車を撮っていたので、前頭を撮ることが出来ず、後部だけ撮っておきましたが、考えてみたらマークのイラスト化後にスハネフ14「北陸」の写真を撮ったことが無く、走行中のものとしては最初で最後のワンショットとなってしまいました。平成22年11月20日 尾久車両センターにて平成24年11月10日 尾久車両センターにて寝台特急「北陸」は、平成22年3月改正で廃止されてしまいました。それでも14系客車は直ぐに廃止されることが無かったので、その後の尾久センターの公開では展示に使われていました。団体列車への使用や保存運転も視野に入っているのかと思われましたが、その後は意外と呆気なく解体されてしまいました。平成20年11月22日 スハネ14756 尾久車両センターにて特急「北陸」は、対富山・金沢におけるビジネスマン需要が高いことから、乗車時間が短いにもかかわらず、個室やシャワールームを設備した車両が改造により誕生しています。14系B寝台では簡易個室のカルテットを除いて唯一の試みであり、A寝台においても個室車両が用意されました。私も1往復のみ乗車したことがあります。昭和54年5月頃 蕨~西川口寝台特急「北陸」は20系寝台客車により運転が開始されましたが、20系寝台客車が陳腐化して来たためこれを急行列車に転用し、昭和53年10月改正で寝台特急「北星」とともに14系化されました。寝台特急のテールマークのイラスト化は電車特急より1年ほど遅れたため、写真ではまだ文字マークとなっています。もちろん、まだB個室寝台など想像もつかなかった頃です。平成27年11月14日 カニ24 尾久車両センターにて最後に有り得ない画像です。14系客車のいなくなった尾久車両センターでは、あろうことかカニ24500番台のマークを「北陸」にして展示されました。20系→14系しか使用されなかった同列車にとっては、全く未知なシチュエーションでした。20系寝台客車:寝台特急「北陸」
2024.12.20
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201系:中央快速線東京乗り入れ各駅停車JR東日本では、令和2年3月のダイヤ改正で、早朝及び深夜に設定されていた東京発着の中央線各駅停車の運転を取り止め、中央快速線と中央総武緩行線の運転を完全分離することになりました。これは、中央快速線にグリーン車が2両組み込まれ12両編成になること及びホームドア整備のための措置のようです。さらに、中央快速線では10両貫通編成と6+4編成があるため、この辺りもネックになっているようです。早朝・深夜、都心をブラつく用事などないので、ほとんど無縁な存在なのですが、1度だけ中央線各駅停車に乗った記録がありました。平成20年4月26日 H4編成 各駅停車 高尾行(再掲)娘の水泳大会の遠征のため、相模線上溝まで、始発電車で移動。その際、西国分寺から乗車したのは、当時最後の2編成となっていた201系でした。乗車時に気が付いたのが、サボに「各駅停車 高尾」となっており、快速が前提の中央快速線では、快速には種別表示なしで、各駅停車に逆に表示があるというのを知りました。この電車が立川駅で時間調整を行ったため、その際に撮影したのがこの写真です。八王子駅にて後部の写真は暗すぎてブレてしまったのが残念。都心なので撮影不能という列車ではありませんでしたが、始発電車同等の時間に突撃しないと出会えない列車だけに、そこまで真剣に向き合ったことはありませんでした。
2025.04.17
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国鉄旧型電機 EF15(高崎第二機関区)国鉄における貨物用電気機関車で、旧型電機の決定版として製造されたEF15型電気機関車。貨物用デッキ付き機関車としても最終形式となり、202両が製造されています。一部は勾配線区用としてEF16形になっており、202両のEF15が揃ったことはありませんが、比較的に少数製造が多かった旧型電機の中でも、最大両数を誇っていました。ほぼ全国の直流線区で活躍しましたが、今回は高崎第二機関区所属のEF15を集めてみました。昭和54年3月頃 川口駅付近にて EF1564単機回送高崎第二機関区の初期型車両です。今はマンションだらけになってしまった背景も、殆どが鋳物工場で埋め尽くされている感じですね。昭和28年10月 1日 日立製 新製配置 浜松機関区昭和33年 4月 3日 高崎第二機関区へ異動昭和54年11月12日 廃車ご覧のとおり、EF15の中でも異動経歴の少ないカマでした。昭和52年頃 大宮駅にて タキ1900を連ねて通過中のEF1588ホームが日に翳ってしまい非常に見づらいのですが、当時はセメント輸送が本当に盛んな頃で、秩父セメントのタキ1900やホキ5700ばかりをつなげた列車は定番のように走っていました。88号機昭和29年 3月15日 落成 日立製 新鶴見区新製配置 同年 6月16日 稲沢第二機関区へ異動昭和31年11月19日 米原機関区へ異動昭和38年 9月 1日 沼津機関区へ異動昭和39年 5月26日 広島機関区へ異動昭和44年10月 3日 新鶴見機関区へ異動昭和47年 3月 2日 高崎第二機関区へ異動昭和56年10月12日 廃車88号機は、EF15の中でも最も異動の激しかった号機のうちの1台でした。昭和57年7月 大宮機関区にて EF15148一般の人では撮ることができない、大宮操車場の職員輸送列車から大宮機関区を撮った写真。この頃既にEF15が貴重になりつつあった時代ですので、確信犯的に狙っていたと思います。EF15も然ることながら、EF62・EF651000・EF60初期車と、当時の貨物輸送を支えた千両役者たちが揃い踏みですね。148号機昭和32年 9月 6日 落成 東芝製 新鶴見機関区新製配置昭和33年 4月26日 宇都宮機関区(当時)へ異動昭和38年10月 1日 高崎第二機関区へ異動(貸出がS38.9.21~)昭和58年 3月11日 廃車昭和56年7月頃 品川駅にて EF15154牽引 貨物列車154号機昭和32年 9月11日 川崎製 新製配置 高崎第二機関区昭和58年 1月24日 廃車154号機を調べてみると、新製配置から廃車となるまで、貸し出しも含めて一切高崎を離れることがなかった生粋の高崎っ子だったようです。昭和55年 蕨~西川口間にて EF15161161号機昭和33年 2月15日 落成 東芝製 新鶴見機関区新製配置昭和37年11月20日 高崎第二機関区へ異動(貸出がS37.9.16~)昭和57年12月23日 廃車昭和57年1月5日 八木原~群馬総社間にて EF15200+EF641000「とき」を撮影しに行った時にたまたま捉えた200号機です。次位にEF641000番台を従えた重連仕業となっており、EF15の終焉が近いことを表わす絵面になってしまいました。逆光だったので表情が見づらいですが、200号機は高二では珍しくシールドビーム2灯化されています。この高二でも最後まで活躍した2両のうちの1両です。昭和60年2月9日 小野上~祖母島間にて EF15200牽引 工臨200号機昭和33年 9月17日 落成 日本車両・富士重工製 稲沢第二機関区新製配置昭和38年 8月20日 米原機関区へ異動昭和39年 3月12日 岡山機関区へ異動昭和44年 9月25日 高崎第二機関区へ異動昭和61年 1月18日 廃車この記事以外にも、過去ログ国鉄型電気機関車 EF1565:高崎第二機関区国鉄型電気機関車 EF15121:高崎第二機関区EF15165牽引:サロンエクスプレス東京があります。
2025.11.14
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