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Self esteem(自尊心)についての、つぶやき・・・私が思うに、アメリカではこのSelf esteemの低い人というのはあまりイイようには言われない。例えば“どうせ私なんか・・・”“私なんか何をやってもダメだし・・・“ ”俺なんて、どうせいい男じゃないし・・・“などと自分を見下したり、卑下するような言い回しなどすれば、決まって“もうちょっとSelf esteemを持つべきよ”と叱咤を受けることになる。これはこれで大いに良い事だけど、私がちょっと面を食らったのが、アメリカ人は自分を売り込んだりのセルフセールスが、日本人の何倍も上をいっていること。例えば新聞なんかで、異性との出会いを求めるADや、私の大好きな“Dear Abby”というこれまた新聞上の人生相談のコーナーがあるんだけど、それを読んでいるとよく目にする表現に“白人女性、48歳、明るく映画好き、容姿端麗”な~~んて平気で書いちゃってる。“Dear Abby”でも「私は52歳、独身です。自分で言うのも何ですが、けっこうハンサムで、体もシェイプされています。友人も多く、みんなに明るく話しやすいと言われます。それなのに、何年も彼女が出来ません。何故なんでしょうか?“というような相談内容をよく目にする。へぇ~~~すごいんだな、向こうの人って・・・・と思った。なんといっても、アメリカでは自分に自信を持たなければいけないんだなぁ。でも“寡黙さ”や“控えめさ”を美とする、日本人スピリッツの入っている私からすればちょっと“????”という違和感があるのも事実。アメリカ人の伴侶を持って、早や16年・・・望む望まずに関わらず、アメリカナイズされてきた部分もあるのは認めるけど、それでもこのセルフアピールには未だに馴染めない。黙っていたって、分かる人には分かるでしょう・・・という思いもあるし、それに“私は美人で、スタイルも良く・・・”なんて自惚れて、自分でふれまわるのって逆に恥ずかしいような、友達もなくすような・・(笑)こういう部分には“大和撫子”の心意気を持っていたいものです。あと、どこかに新しく仕事を見つけてその面接に行く時、履歴書って書くでしょう。その履歴書の中の資格・特技欄に事実とは多少かけ離れ、誇張して書くのって、アメリカ人にはよくありがち(笑)例えば、少しコンピューターをかじっただけで、いきなりマイクロソフトやワード、エクセルの達人ってことになっちゃってたりする。現に以前、私が履歴書を書いていた時、いろいろ思案中の私に旦那が同じような事を言ってきた。コンピューターのソフトを使って、家計簿をつけただけでいきなり“得意分野はアカウント/会計”になってしまう。(笑)そんな嘘を向こうが信じて本当に採用でもされたら、どうするの?!と言うと“その時はその時さ、採用してもらったもの勝ち!! あながち嘘でもないんだし採用されてから、一生懸命覚えて頑張ればいいさ“って・・・それって軽く詐欺じゃない?!でもこれはうちの旦那に限った事じゃないので、こういう経験をした人は他にもたくさんいるはず。まぁ、私が今日書いたことはSelf esteem とはまたちょっとかけ離れた内容かもしれないけど、「Self esteem」と言う言葉を聞くと自然にこういう事を考えてしまう・・・あなたの「Self esteem」はいかがなものでしょう??日曜日に東京サマーランドに言って来ました。ここ何日か30度以上の暑さで、当日はまさしくプール日和。・・・・でも問題は私の水着だ。子供を産む前のビキニが3着あるんだけど、行く何日か前にそれらに恐る恐る腕を通す・・・ゲゲッ!! カットが、かなりキワドイ!!まるでBay Watchのかつてのパメラ・アンダーソンが着ていたような蛍光色のド派手な水着はチト、今では時代遅れ?!こんなセクシー水着、子供や家族と一緒のプールではういちゃう。プールで浮くのはいいけど、水着でうくのはちょっと避けたい(すいません、ヘタなジョークです・・・)それに何といっても最大の理由は、下のビキニがきつめでちょっと見苦しい・・・これはやっぱり無理があるよ、たちまゆ・・・・ってことで、前の日に慌てて水着を買いに走ったのです。2ピースの競泳用みたいなやつで、上の水着がお腹まで隠れて、下のパンツが男の子のボクサーショーツみたいな形。なんだか一気に“体育の先生”状態。そんな姿を見てそれこそ、Self esteemがちょっと下がってしまった私です・・・・当日はLove handle(腰の横のお肉。ハンドルみたいにつかめるから)が最近、とみに目立ってきた旦那と、子供達といざサマーランドへ!! ・・・イモ洗い状態でした・・・・とにかくどこもかしこも人人人人・・・・座る場所確保だけでも、大変なのでした。でもメーガンは水の流れる滑り台やキッズプールがとっても気に入ったようで、ず~~っと入っていました。ニコールもプール用のオムツを穿いて、その上から水着を着て初プール!!最初はびっくりして泣いていたけど、徐々に慣れてきて笑顔が見られました。閉館近くまで楽しんだのでありました。肩の日焼けがちょっと痛いのであります・・・●●●●●●●●●● おやつタイム・携帯カメラで ●●
2005年06月27日
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アメリカ人の友達が、明日アメリカに帰ってしまうので、他の友達も一緒に、5人で立川にある”湯葉とお豆腐の懐石料理”に行って来ました。もうここの日記にも2度ほど登場している、あのお豆腐やさんです。11時開店で、11時過ぎに行ったのにもう既にお店の3分の2は満席・・・・ってどういう事?!ここには以前にもニコールと一緒に2回来てて、その度にゆっくり寛いで食べた事がなかったので(奇声を発したり、泣いてぐずったり・・・)今日は思い切って、初めて他に預けたの。某所には何週間も前から下見に行ってて、前もって今日の予約を入れていたので、今朝は10時半前に連れて行ったんだけど、その時は車の中で寝ちゃったので、泣かれませんでした。ホッ・・・・私の母以外には預けた事がないので、とっても心配で後ろ髪引かれる思いでそこを後にしたんだけど、でもでもやっぱり子供なしで何にも気にせず、お話に集中しつつ美味しい物を食べれるって、本当に幸せ~~って思っちゃった!早くお迎えに行ってあげなきゃ!!と思いつつも、せっかく立川まで来たんだし、この機会にそろそろ無くなりそうなイブ・サンローランの口紅を買って行かなくっちゃ!!と伊勢丹や高島屋まで立ち寄った、たちまゆ・・・ごめんよ、ニコール・・・でも一人っきりでお買い物なんて、ホントどのくらいぶりかしらン?それに後部席に子供がいなくて、一人で車を運転もどのくらいぶり?なんだか何か、忘れ物して来たような気分で一瞬、ハッとして後部席を振り返ったりして・・・(笑)お迎えに行った時は、ニコールは他の子供達と一緒に椅子に座って午後のおやつタイムでした。そっと見ていると、寛いだように周りを眺めながらおやつを食べてる・・・あ~~、良かった。そう思ったら、私の顔を発見したニコール、いきなり顔がクシャクシャになって泣き出した。きっとママの顔をみて、安心したんだね。先生曰く、ランチも最初の一口だけ食べる援助をすると、その後は自分でほとんど食べていたらしい。眠い時とお腹が空いた時は泣いてぐずったりしたけど、それ以外は元気で、朝の会に参加して他の子供達が歌ったり、挨拶をしている様子をじ~っと不思議そうにして見ていたそうです。何はともあれ、良かった良かった・・・しょっちゅうは出来ないけれど、たまにはこういうブレイクってママには必要です。● 罪滅ぼし?!(笑) おやつに作ったフルーツタルト ●ワンクリック、お願いしま~す!!↓
2005年06月24日
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メーガンがあるカタログ誌のモデルをやる事になって、火曜日に撮影に行って参りました。場所は港区芝浦の某スタジオにて。当日は時間ごとに区切って、子供達が撮影に参加するようになっていてメーガンは10時半からでした。ダディもぜひ見学したいと言うことで、お休みをとって、ニコールも連れて家族総出で行って来ました。ここの洋服は私がかなり好きで、毎回楽しみにしているカタログなんです。メインは子供服だけど、大人用もありメーガンのはもちろんの事、たまに自分用にも購入しています。このカタログ社は、数あるモデルエージェンシーから登録されているモデルを採用するのではなくて、自社の専属モデルをおさえており、毎回その同じモデル達を使っているらしい。そのせいか毎回カタログで見る子供達の顔はだいたい同じ。今回はメーガンの写真を見た人がとても気に入ってくれて、すぐに電話が来たのです。しかも撮影予定は既に決定していたのに、急遽メーガンを追加してくれる事になり、オーディションや面接などもなしにいきなりぶっつけ本番で撮影する事になりました。今日は、秋冬物の撮影でした。メーガンには3点、洋服が用意されていて壁にそれぞれのモデルの写真と、それぞれの子が着る予定の洋服のコーディネートの写真も貼られていました。スタイリストさんが最終チェックをしてくれますが、メーガンは細めなのでサイズ調整が必要でした。それぞれのコーディネートに合わせて、髪型もヘアメイクさんが毎回変えていきます。スタジオはたくさんの照明器具でかなり暑く、増してや秋冬物を着ての撮影なので、ジャケットやニットキャップを被った子からは“暑いよ~~!”との声も出ていました。着替えをする場所はギンギンにエアコンが効いてて、寒いくらいだったんだけど。やはりこういう経験は初めてのメーガン・・・自宅では、私がカメラを向けるとちゃんとポーズをとってくれますが、たくさんの見知らぬ人の前や、眩しい照明の前では緊張してしまって笑顔が作り笑いのように引きつっています。しかもポーズなんてとれずに、固まったようにジッと動かない。カメラマンの男性やスタイリストさん達が、“メーガンちゃんは幼稚園に行ってるの?何組かな?”とか“好きな食べ物は何かな~?”などと緊張をほぐそうといろいろ話しかけてくれます。なんとか午前中に2点分のコーディネートの撮影が終わりました。お昼になると、自前の服に着替えてから用意してくれたお弁当やサンドイッチ、お菓子や飲み物などを食べながら1時間ほど休憩します。午後にはもう1点の撮影があるので、その準備をします。他の子供達はもう何度もやっていて慣れているせいか、堂々としています。ヘアメイクさんに髪をセットしてもらいながらゲームに夢中になってて、スタジオの方から“OOちゃ~ん、出番だよ~”と呼ばれてもすぐに行かないで“あと、もう少し”なんて言いながら真剣な顔でゲームを続けてる。でもいざカメラの前に立つと、先ほどの無邪気な様子からは想像がつかないほど急にプロっぽくなる・・・・誰に何も言われなくても、自分からいろんなポーズをとって可愛いスマイルが自然にでているの。いや~~、ビックリした!!なんだかちょっぴりコワイような・・・・1時半にはメーガンの撮影分は終了しました。また今後もお願いします、と言われましたがさて、どうなんでしょう?8月に、今日撮影したカタログが何部か送られてくるそうです。市販されているカタログではないので、誰でも彼でも目にする物ではありませんが、私の大好きなカタログ誌だったので、嬉しかったです。日本にいる間のいい思い出になりました。スタジオ内では私達のカメラ使用は、プロのカメラマンの撮影に影響するのでほとんど出来なかったけど、(その代わり、みんなビデオカメラを持って行っていた)それでも何枚か撮ることは出来ました。うまく出来たかな??さてさて・・・・せっかく「ゆりかもめ」に乗って訪れた芝浦埠頭・・・・このゆりかもめ路線上には、日本TVがある汐留やフジTVのお台場もある。しかもたった2~3駅しか離れていない。こんないいチャンスはないので、このまま観光をしていく事にしました。「♪きっかけは~~~フジテレビ♪」の、フジTVの見学に行って来ました。この辺は見晴らしがとても良く、25Fの球体展望室からは360度のパノラマでいろんな有名スポットを見る事が出来ます。スタジオ見学もガラス越しに出来、ちょうど私達が行った時は「郁恵&井森のデリデリキッチン」の本番撮影中でした。ラッキー!!榊原郁恵さんが意外に小さくて細めだったのに、驚きました。黒酢ゼリーかなんかを作っていました。フジTV放映中のドラマの宣伝コーナーや、いろんな番組スタジオの再現コーナーもあり、私は“あ~、これこれ!!”とちょっとエキサイトして観ていたけど、日本の番組なんてほとんど観ない旦那にとっては“ふぅ~~ん・・・”っていうくらいのものでした。でも根気よく付き合ってくれましたよ、ありがとうね!!日本TVにも行って、ズームインスタジオ見学などしたかったけど、時間も差し迫ってきたので諦めて、フジTV前の「アクアシティお台場」にて何か食べて行こうか、と言うことになりました。ラーメン好きの旦那は、やっぱりラーメンが食べたかったらしく私としてはせっかく素敵なレストランがいっぱい入っているからそっちの方で・・・とは思ったけど、今日は旦那の食欲に合わせる事にしました。ちょうど「ラーメン国技館」という催し物が、1月から7月までの期間限定で行われていたので、そこからラーメン屋さんを一軒選んで食べました。そしたらこれがとっても美味しいラーメン屋でした!!麺にスープの味が滲み込んでいて、味付け卵もびっくりするほど、美味しかった!!あぶりトロチャーシューなんて、トロトロっで柔らかくて脂っこくないから食べやすいし・・・旦那はスープまで全部飲み干しましたよ。子供達もラーメンは大好きなので、周りを気にせず食べれるラーメン屋にしてやっぱり良かったなと思いました。アクアシティ内のモールでデザートにみんなでアイスクリームを食べてから、(私はバニラアイスクリームに、黒蜜きなこがかかったもの。とろけるほど美味しかったよ~~!!)またまた電車に乗って帰路に着きました。これを見て、少しはお台場に行った気分?!ちょっぴり疲れたけど、メーガンのモデルデビューといういい経験をし、観光のおまけまでついた、充実した楽しい一日でした。よろしくお願いします!!↓
2005年06月22日
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週末は「富士ブルースカイ・ヘブン」という、バイクミーティングに行って来ました。場所は富士山にある、富士スピードウェイにて・・・今回のミーティング(以下MT)は、ハーレーダビッドソン・ジャパン株式会社が主催で、Harley-Owners-GroupのH・O・G(ホグ)という大きなグループメンバーのMTでした。HOGは世界100カ国において活動し、81万人以上のHDオーナーをつなぐ世界最大の、そして米国本社が唯一公認するライダーグループだそうです。(HDサイトより全文引用させてもらいました)1泊2日のMTの感想を一言で言うと・・・・“わ~お!!”というのに尽きるかな(笑)。今までも、東北地方のバイクMTやバイブスMTなど数々参加してきたけど何て言ったらいいのかな・・・もう全然“格”が違うと言うか・・・とにかくお金がかかっているな~という印象を受けました。当たり前だよね・・・HDの主催だし、入ってきているディラーも一流級ばかりだし。全てにおいてとにかくOrganizeされていて、イベント会場もサイト施設も充実しているし、もう多方面で手が行き届いている、といったMTでした。まず会場が富士スピードウェイだから(あの、キムタクのドラマ「エンジン」のロケ地にもなっているらしい・・・って、一緒に行った外人から教えてもらった(笑)。ドラマ観ないから分からないし・・)とにかく広いし、いろんなイベント会場があちこちのブロックに分かれている。あまりに盛りだくさんで、1泊2日のMTでは全て見尽すのは不可能だから見たいものを絞っていかないと大変です。キャンプサイトからそれぞれのイベント会場までは、巡回バスを利用して行きます。何分かごとにバスは周って来るものの、どのバスも沢山の人でぎゅうぎゅう詰め!!私達はメキシカン・ポリス・スタントショーや(わざわざこの日のためにメキシコからよんでいる)、サーキット・レーシングを観たり、ブルースカイマーケットに行ってショッピングしたり、あと子供が小動物と触れ合える、ハーレーキッズヘブンに立ち寄ったりした。他にもイベントはあるわ、あるわ・・・ざっと挙げてみると、チャプター(支部)ごとのフラッグコンテストや、全国のチャプター1000台以上のパレード、そしてこれまたヨーロッパからスタントマンをよんでのバイクのスタントショーに、カスタムバイク村や、ステージでは大道芸もあるし、チャプター対抗の故障発見・修理タイムトライアル(これ、面白そう!)にハーレー大試乗会、レーシングコース体験走行会などなど・・・もう書ききれないほど。正直言ってこれほどのイベントなら、2泊3日ぐらいの余裕をもったスケジュールでやらないと、全部見て周る事は出来ないからちょっと勿体無いような・・・・あれだけお金かけてるなら、尚のこと。やっぱり来ている参加者も年齢層の高い、落ち着いたメンバーが多く、全体的に大人のMTという感じでした。私が驚いたのは、夜中にふと眼を覚ましたときに辺りがシーンと静かだった事。・・・一瞬ここはどこだろう?って考えたほど(笑)“こんなの、有り得ない・・・・”だってバイクMTって、どこに行っても必ず朝方の3時4時頃まで音楽のボリュームもガンガンで飲んで騒いでいる人がいるし、ひどいのはバイクのエンジンをかける人までいるから、朝までまんじりともせず過ごす事が多いのに、こんなに健康的な夜を過ごせたMTって初めてかも・・・おそらくキャンプサイトがそれぞれチャプターごと、あるいは団体ごとにブロック分けされてて一つ一つがこじんまりとした集まりという事も、あるかもしれないけれど・・・とにかくお行儀の良いMTのような印象を受けました。更に驚いたのが、夜には2000発の花火大会まで行われたのです!!バイクMTに行って、花火を観るとは思わなかった・・・しかもすぐ目の前で・・・・当たり前か(笑)みんなそれぞれのキャンプサイトで、BBQを食べながらビールを飲みながらリラックスして花火を観たことでしょう。私はと言えば、ニコールが花火の爆音に驚いて大泣きしたのでなだめるのに必死で、正直言って花火どころではありませんでしたけど・・・なんというか、バイクMTというよりは「ハーレー万博」とでも言ったほうがピッタリくるような内容ぶりでしたね。とにかく、こんな大規模なバイクMTに来た事のない私にとっては全てが驚きの連続であり、そしてとかくバイク乗りというと、その外見のイメージからかワル?のような目で見られがちだけど、みんな本当に純粋にバイクが好きで、ハーレーが好きで・・・という人が集まっているのよね。お互いのマナーやルールも良く、好感を持てる人ばかり。共通の趣味を共有し合えるっていうのは、他人同士でもこれほどまでの繋がりを持てて本当に素敵だな、と思えました。自宅まで1時間半~2時間程度だから、2日目の最終日も慌てて帰らずに午後までゆっくり会場を観てまわれたのは、良かったかな・・・でも・・・案の定、帰りはひどい渋滞に巻き込まれ、談合坂のSAからは全く車が動かず・・・・やっと中央道に出たものの、高速なのに車が前に全然進まない状況がしばらく続いて、一気に疲れがどっと押し寄せてきて、閉口してしまった・・・でもでも・・・やはりすんごいMTだった。来ていた人の数も凄かったし・・・・一体、人出はどのくらいだったんだろう???最後にMTの様子をスライドショーにまとめてみました。一言断っておきますが、私は自分自身バイクに乗らないし、バイク自体に興味もないのでバイクの事はよく知りません。そんなわけで、バイクの写真はほとんど・・というか全くありません。(笑)それでは、こちらから・・・・追伸: 夜遅くに自宅に到着した私達を驚かせた、出来事・・・・ なんと、玄関のドアがしっかり開いていた~~!! ドアの閉め忘れ&鍵のかけ忘れ・・・・ スクリーンドアは閉まっていたけど、そのままの状態で 2日間も出かけていたのよ!! 当然外から家の中は見えるし、無用心極まりない。 幸い、何事もなかったから良かったものの、やれやれ・・・ ほんとに抜けている夫婦です。 ・・・・しかし、最後に家を出たのはどっちだ~~???
2005年06月20日
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今日の午後あたりから、ニコールの左目に黄色い目ヤニが出てきた。お昼寝から起きたら、乾いた目ヤニで目が開けれないほどだった。暖かいタオルでそっと拭いて取ろうとしたけど、なにせガピガピに固まっている。目を何回もタオルでこすられるのを嫌がって、イヤイヤをするのでうまく取りきれない。白目の部分も充血しているし、夕方からでも眼科に連れて行こうと思ったら、かかりつけの眼科は水曜がお休み・・・熱は全くないので、結膜炎か何かかしら???とにかく明日、朝一番で連れて行かなくっちゃ!!二人子供がいても子供の病気って本当に悩むし、その都度アタフタしてしまう。今まで幸いにも、子供達の大怪我・・・例えば血がたくさん出る場面などに出くわした事がないし、火傷を負ったこともないし、あと、これはお母さん友達にビックリされたけど、まだ子供がゲ~~っと吐いたのを見たこともないのね。普通、子供って熱を出したり下痢気味の調子の良くない時って吐くものだよ・・・と聞いていたけど、メーガンもニコールもまだ吐いた事がなくて。だから今後、予想もしていない怪我やアクシデントが起こると慣れていないせいで、パニックになって、冷静に対応できないんじゃないか?と逆に心配。子供達がまだそういう目に遭っていないのは決して私が注意深いとか、よく気をつけているからでは断じてなくて、むしろ私は普段から旦那が非常に心配するほど、そそっかしくていろんな面において不注意の事が、自分でも呆れるくらい、本当に多いのです。自分でも時々”母親失格かな・・・”と肩を落とすほど・・・まぁ、今まで何もなくこれたのは本当にラッキーとしか言いようがないかもしれない。これからまだまだ先は長いからね、子育ては・・・どんな事が待っているのやら・・・・メーガンが赤ちゃんの頃は、私が職場復帰したため生後6ヶ月で保育所に預けた。そのせいか、2ヶ月に1回は熱を出して保育所から仕事場に電話がかかってきてた。特に明日は絶対に休めないぞ!!というくらい大事な会議とか検査が入っている日に限って、子供って何故か高熱を出すもの。何度申し訳ない気持ちのまま、仕事場を早退した事か・・・でもそれ以上に、やっぱり熱でぐったり元気のないメーガンを見るとあまりにも可哀相で、自分の大事だと思っていた仕事やら書類やらがいっぺんに取るに足らない、どうでもよい事のように思えてきたりして・・・お家で子供を見ているお母さんが、ちょっぴり羨ましかったのはこんな時でした。本当に判で押したかのように、2ヶ月に1回の割合で(しかも何故か、奇数月に)熱を出していたなぁ・・・たま~~に2ヶ月以上、高熱も出ず保育所をお休みしない月が続くと”お♪いいぞ、その調子”と思うけど、その事を母に言ったりして口に出すと途端に熱を出すという、信じられない現象が何回かあったのよね。それで母も、私がつい”ねぇ、最近3ヶ月くらい熱が出てないね・・・”と言うと”言わない、言わない。今週辺り、熱出ちゃうかもよ”と注意するほどでした(笑)。そして現在・・・専業主婦という生活をしている私にとっては、もう子供の熱も病気も受け止められるよ、さぁいつでもド~ンと来なさい!!という状態でしょ。いつ幼稚園から”熱が出たのでお迎えに来てください”の電話があってもOK!!ハイハイ、今すぐ迎えに行きます・・・そしてその足で病院にも連れて行けるよ。・・・なのに・・・なのに・・・メーガンは3歳を過ぎた頃から、(正確には幼稚園に行きだしてからは)ま~~ったく一度もまだ熱を出していないっ!!あの、3歳までの頻繁な熱の病気は何だったんだろう???と思うほど。毎日元気に幼稚園に行っています。そういえば仕事をしている時、あまりのメーガンの頻繁な熱だしに”どうしてウチの子はこんなに弱いんだろう???”と悩んでいた時、同僚がこう言ってたのを思い出した。”3歳までの間にしょっちゅう熱を出したり、風邪を引いたりするとその度にimmune system(免疫力)がつくから、3歳過ぎれば不思議なくらいピッタリと病気しなくなるよ”って・・・・な~るほど・・・今はまさしく、それなのかもしれない。逆にニコールは保育所などに行っていないし、外部からの風邪菌とかもらってこないせいか、生れてからまだ2度くらいしか、38度以上の熱を出した事がない。せっかくこうして私が家にいるというのに、メーガンもニコールも一向に病気をする気配がなさそうで、せっかく看病してやれる状況にいるのに何だかその出番がない。もちろん、これは大いに結構な事でこの状態が続くに越した事はないし、子供の病気で悩んでいる人からすれば、反感を買いかねない、つぶやきだけど・・・まぁ、私が言いたいのは、なかなか上手くいかないものだ・・・と言う事です。まだ4歳と1歳だから、これからどんな大病や怪我が待っているか分からないし、今はこうして健康に毎日を過ごせる事に素直に感謝して行きたいと思います。
2005年06月15日
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土曜日は梅雨入り宣言がでましたね。にもかかわらず、我が家ではバーベキューがありました。参加者は旦那のバイク仲間。実は東京に来てからは、旦那と一緒にバイク関連のアクティビティに一度も参加していないので、私は今日来た人たちはほとんどが、初めてお会いする人ばかり・・・15人ほど来てくれましたが、3分の2は日本人でした。幸いにも雨には降られず、多少湿気はあったものの、外で遅くまで座って食べたり飲んだりするにはもってこいの、快適な天候となりました。メニューは、アペタイザーにシュリンプカクテル、野菜スティックの盛り合わせ、チキンフィンガー、そして私の18番で毎回好評のスピナッチリング。そしてダディが、キムチベースのソースにマリネして焼いたリブにチキン、イタリアンソーセージを担当。その他にとうもろこしを茹でたもの、さっと焼いたディナーロールを添えて・・・デザートにマスカットとオレンジをプレートにのせて出し、これまた私の18番の(笑)チェリーチーズパイをサーブしました。一旦、満腹になってもまた何時間かすると”どれどれ・・・”って食べたくなっちゃうもんね。ほとんどの食べ物が何時間か後にはなくなっていました・・・・世の中って狭いな~~と思ったのは、参加者の中に、おそらく40代後半くらいと思われる日本人男性がいたのですが、彼が同じ会社のある友人に”バイク仲間のバーべキューに誘われたけど、一緒に行かないか?”と誘ったらしく、その誘われた人というのが、なんとメーガンと同じ幼稚園に子供さんが通っているAさんだったのです!!以前の私の日記に登場した、フラメンコをやるあの、Aさんです。お陰で、メーガンはAさんちの子供達と一晩中元気に遊びまわっていました。幼稚園のお母さんの中でも唯一、フルタイムで仕事を持っているAさんは普段、朝の幼稚園のバスが去った後は他のお母さん方とそこで雑談する時間もあまりなく、すぐに仕事に向かわなければならないし、時折行われるポットラックパーティにも参加できなかったのでゆっくり話す機会もなくて、そういう意味でも今夜は時間を気にせず話せて楽しかった。来てくれた人たちもみんな気の良い人達で、女性メンバーとはシャンパンで乾杯して会話も弾み、それも楽しかったです。その中でも2人の女性は、自分でハーレーに乗っているのです。一見、女性ライダーとは思えないほど、見た目はか弱そうで(笑)若くてあんな細い身体で、倒れている大きなハーレーを起こせるのかしら???と疑問に思うくらいです。来週末はこのメンバーと富士山で行われる、「ブルースカイ」というバイクミーティングに参加するので、今夜知り合っておいて良かったな・・・と思いました。さて・・・お土産にフルーツの盛り合わせを頂いたのですが、パイナップルやマスクメロン、グレープフルーツなどに混じって“びわ”も2パック入っていました。実はお恥ずかしながら、私は今までこの“びわ”って食べた事がないんです。それで、次の日食後のデザートに一つ食べてみたら・・・・“う・・・美味いっ!!!”へぇ~~びわってこんなに美味しい果物だったんだ~と、びっくり。なんか何かの味に似てるな???と考えてみたら、分かった・・・私の大好物の “梨” に味が似てる。子供達にも皮をむいて食べさせると、やっぱり気に入ったようでメーガンは“もっと頂戴、プリーズ!!”を連発。ニコールにも小さく切ってあげたら、こちらも気に入ったようでなくなると“ウ~~ッ、ア~~ッ!!”と、催促の声をあげて叫ぶので二人にどんどんあげていたら、2パックがあっという間になくなっちゃった・・・結局、私は3個食べただけ・・・ダディにも2個取っておいたけど、後は全部子供達が食べちゃった・・・いや~こんなに美味しい果物だったのね・・・とちょっと感動してその後、母と電話で話している時その事を言うと“びわって、けっこう高価な果物だよ。こっちでは、スーパーで一個何百円って感じで売ってるよ。そんな2パックなんていったら何千円くらいかになるんじゃないの?“と言われ、更にびっくり!!そうなの?そうなんですか?びわって高い果物だったの?そうと知っていれば、もう少し味わって毎日少しずつ食べたのにな。今度、スーパーに行ったら値段をチェックしてみよう!・・・・でもいつも思うけど、日本って果物がやたら高いですね。トップページの画像は、バーベキューに来てくれた女性が作ったフラワーバスケットです。そういうお仕事をされてるようです。花器がわりのストローバッグといい、お花のアレンジといい、とっても素敵で気に入りました。
2005年06月12日
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先日、友達と雑談していたら突然その友達から“たちまゆさんって、日本語から英語の切り替えが早いよね。英語を話す時、頭の中で考えてから喋る?“と聞かれた。その友達も国際結婚しているので、会話の中に英語の単語を交えながら話していたんだろうと思う。自分ではほとんど無意識に口から出ている・・・といった状態だったので改めて考えた事はなかったけど、以前にも母に同じ事を聞かれた。旦那と英語で話していて、すぐ後に母と日本語で話している時に“おねぇ(と、呼ばれている)は、英語を喋る前に、頭の中で一度整理してから喋ってるの?“って。他の人にも同じ質問をされた事があったので、その時は英語を話せない人特有の疑問かと思っていた。でも、英語を話せるその友達にもそう質問された事で、そういえばどうなんだろう?・・・と考えるきっかけになった。以前、DOD(軍関係)の工事契約の通訳を8年ほどやっていた。こう書くと聞こえは良いかもしれないが、本当に私にとっては大変な仕事だった。勤めた初日に“もう、だめだ・・・とても私なんかに務まる職種ではない・・・”と大きく肩を落としたほど複雑な仕事内容だった・・・・周りの通訳さんたちはみんな英文科卒の人ばかりで、当時はまだ主流だった英文タイプを機関銃を打つようにダダダダダ~~とすばやく打ち、問題が勃発すると英文でビジネスレターをスラスラ~と仕上げる。文法の基礎をしっかり学んでいる人たちばかりだったので、私のなんちゃって英語とは天地の差。なにせ私の専攻は、幼児心理学&幼児教育学科で英語とは全く畑の違うものだったので、通訳の仕事には何の役にも立たなかったし。本当に苦労し、勉強した8年間だった。もともとある英語文を日本語に訳すのはまだしも、何にもないところから自分の英語力で、クレームのレターやら質疑文、会議議事録、安全書類、プロジェクト計画案なんかを作成しなければならないのが、本当に一番、苦手な業務でした。働いている8年間は、なんだか高いお給料をもらいながら私のスキルアップのお勉強をさせてもらっているような気分でした。本当に今でもあの職場には感謝です。あの8年間で、普通の生活を送っていたら、決して知ることも口にする事すらない単語や、言い回しを習得したのですから。おそらく英語圏の人と国際結婚した方なら理解できると思うんだけど日本語を話している時に英語が混じったり・・・と言う事がありませんか?私は実はこれがとっても嫌でした。初めてアメリカに行った頃、そこで出会った、もう長年アメリカ生活の長い年配の日本人女性が、同じ日本人の私を相手にして変な日本語を話す・・・・例えば“あ~~いいの。いいの。ドントウォーリー。そのまま手でつかんでいいから。私、そういうのドントマインドだから・・・“とか・・・(苦笑)あのぉ・・・アメリカ人と会話してるんですか?それとも日本人と会話してるんですか?と、つっこみたくなるようなチグハグな会話文。あるいは“この間、あなたの事お店で見かけたんだけど、誰か他の人と Talk してたから Bother しちゃ悪いかと思って、そのまま出てきちゃったわ“(この間、あなたの事お店で見かけたんだけど誰か他の人とお話してたから、邪魔しちゃ悪いかと思って、そのまま出てきちゃったわ)とか・・・・はたまたこんな風に“もう信じられないよね? まるで私がそこに Exist しないかのように Treat されちゃってさ・・・これって Disrespect もいいとこよね?“(もう信じられないよね? まるで私がそこに存在しないかのように扱われちゃってさ・・・これって無礼もいいとこよね?)だの、もはや日本語を話しているのか英語を話しているのか分からない。こういうのを常に聞いてて“私は、こんな変な日本語を話す日本人妻にはならないぞ!!”と固く固く心に誓ったのに・・・・・・なんてこったい!!今ではその道まっしぐら!!ではないか・・・相手が同じく国際結婚をしている日本人女性だと、ついそっちの方が楽で、無意識に出てしまう・・・という事が多い。例えば、“この表現は日本語で言うより、英語のこの単語で言った方がしっくりくる・・・“という場合にはついつい、使ってしまう事が多いかな。あと逆に旦那と英語で会話していて、例えば“You don’t like this, do you?”(あなたはこれ、好きじゃないわよね?)と聞けばいいものを“You don’t like thisでしょう?”と、突然最後に日本語が割り込んできたり、“We are willing to help her ねぇ??”(私達は彼女の手助けするつもりよね?)だのって、英語しかわからない人が聞いたら、なんの事か不可解な会話文になってしまっている。例えば奥さんが日本人とか、ある程度日本語を理解できる人からすれば、こういうブロークンは理解できる範囲だと思うけどこんなブロークン英語で旦那の家族に、普段旦那に話しているのと同じ調子で話しかけたって、向こうも“?????”なはず。怪しげな英語を話す日本人って事になってしまう・・・日本語の乱れが問題視されている昨今だけど、こういった日本語&英語の入り混じった会話が不思議に成り立つというのも国際結婚している特殊な環境の中でのことかもしれない。
2005年06月09日
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ここから読む方は、面倒でしょうが前日の日記からの続きですので、そちらから先にお願いします。そして2003年の12月・・・再び、私達は旦那の仕事の都合で故郷の三沢を離れる事に・・・今回はアメリカではなく、同じ国内の東京。アメリカに行くわけでもないし、今回はお別れといっても年に何回か帰省も出来るので“じゃぁ、またね!!”というカジュアルなさよならを想像していた私達。ところがさすがファミリー・・・またやってくれました。私達が東京に経つ何日か前に、お別れパーティをやってくれるとのこと。先ほどの、O氏の経営するバーを貸切ってやる事になり、当日は必ず時間厳守と念を押された・・・何日か前から、パーティに来る人の人数や、名前や連絡先までかなり細かく聞かれたので“????”と思っていた。ファミリー以外の、私個人の友達も何人か誘ったのでその人たちの情報を聞かれたんだけど、私にしたら“とりあえず声はかけたけど、当日来れそうだったら来る・・・って人もいるだろうから、はっきり誰々来れるというのは分かんないよ”と言っておいた。すると“確実に来れる人数が知りたい”とか、“たくさん友達を呼びたいだろうけど、あまり大人数にならないほうがいい”とかの要望があって、ますます私は混乱?!さて、当日旦那と二人で会場に行くと、たくさんの友人が歓声と拍手で暖かく出迎えてくれて、その後友人の代表が始まりの挨拶を述べた。続いて全員で乾杯をし、みんながひと口飲んだ所で誰かの“それでは皆さん・・・せぇ~の・・・・”という掛け声と共に、そこにいた全ての人がバッと一斉に冬物のジャケットを脱いだ!!そうしたらなんと驚いた事に、全員が同じ白いTシャツを着ている!!しかもよ~く見ると、旦那と私とメーガンの顔がついているではないか!(この時、私はニコールを妊娠中)みんな、“どうだ、まいったか!”と言わんばかりの得意顔でニコニコしながら胸を張って、Tシャツのプリントを見えるようにしている。どの顔もなんだか嬉しそう・・・“やられた~~~!!”っていうのが私の最初の感想。それと共にジワジワ~~っと鳥肌がたってきて、みんなの顔が潤んで見えてきた。Tシャツの中の私達は葉巻をくわえている。何故、葉巻かと言うと・・・旦那は無類の葉巻好きで、ここ8年ほど外に飲みに出かける時には葉巻を欠かさない。彼が葉巻をくわえている姿がトレードマークのように、みんなの中にも記憶されているのかもしれない。私とメーガンの葉巻は、CG(コンピューターグラフィック)の成せる技で実際には吸ってはいません、当然の事だけど。とにかく、そのみんなのTシャツ姿を見た私は、もう驚きと感動で涙腺に来ちゃって、続く挨拶も涙声になってしまった。旦那もかなり驚いていたよう!!そして私達にもこのTシャツは渡され、その場でみんなと同じように着た。そうか、そうなのね・・・このTシャツを作成するため、参加できる人数やそれぞれのサイズの確認が必要であんなに執拗に(笑)私に確認していたのか・・とこの時、やっと理解できた。私がいぶかしげに思っていたのを分かりつつ、事実を言えなくて苦労したよ、と後でN君に言われた。このデザインはまたT氏が担当し、この日のさよならパーティ用のポスターまで作成したらしく、バーのカウンターの壁に飾られていた。更にサプライズは続く・・・しばしTシャツの事で感動に浸っていた私に、カウンターの方で何やらごそごそ動きがある。見るとカウンターの壁を白いシーツで覆っていた。“???”と思っていると、“思い出の映画鑑賞を始めます!!”との声。私と旦那が真ん中の特等席に座らされ、“何?何?何が始まるの?”と言っていると、なんと私の幼少時の白黒の8ミリが写されているではないか!!“え~~~!?どうして???どうしてこの8ミリがあるの?”と絶句する私の前で懐かしい映像がカタカタと・・・白黒になったり、カラーの映像も出てきた。猫車を押す4~5歳の頃の私や、保育所でのお遊戯会の様子、家族や親戚一同でとある温泉の日本庭園を散歩している映像などが映し出され、会場は大爆笑!!私はそのあまりの自分のブサイクサに、卒倒してしまいそう・・・“なんだか北朝鮮の映像を見ているようだな~”とか、“皇室の家族のお散歩の映像みたい”だの、いろんな感想が後ろから出てくる中で、私はどこからこの映像が流出?したのかが、いまだ謎のままで困惑状態。しかし困惑しながらも、自ら爆笑せずにはいられない映像がどんどん続く・・・続いて映像はあの、90年に行ったさよなら函館旅行からの何シーンかが加えられ、だんだんと最近の映像になってくるという仕組み。最後の方は、みんなで何年か前にキャビンに泊りがけで行った時のパーティシーンが・・・それも滅多に飲まないお酒を飲んで酔ってしまい、音楽に合わせバカみたいにノリノリに踊っている、シラフではとても正視できない代物。涙がでるほど爆笑したあとに、8ミリビデオの出所が分かった。私がまだ独身の頃、実家にファミリーが遊びに来てその時に小さい頃の8ミリビデオ鑑賞しようということになり観たのだけど、その後何かがどうかなって、ファミリーのメンバーの一人の家に移動していたらしい。それ以来、そこの家に16年以上眠っていたのだけど、そのメンバーが最近家の工事のため荷物の整理をしていたら、見慣れぬ箱が出てきて“なんだ?”と疑問に思い、観てみるとこれだった・・・と言うわけ。それがこのパーティの約3日前・・・それから“面白い物が見つかった”と言う事で、急遽3日間で編集の仕事をしたらしい。みんなの努力が手に取るように分かる、心のこもったパーティでした。最後にM夫妻から、そのTシャツの入った大きなフレームを贈呈されて感激ひとしお。Tシャツだけでも驚きなのに、記念用に立派なフレームに入れてくれたのにもまたまた感激・・・私とダディとの、出会いの原点ともいえるオXXジ・Xコのマスターや、そのマスターの友人の古いメンバーも集まり、久々の懐かしい顔ぶれにもまたまた感激!!もう感激だらけの夜。その後、皆でそのTシャツを着たまま、カラオケに繰り出して大騒ぎ。本当に私達は世界中で一番幸せっ!!と叫びたいほど、嬉しかった夜でした。またもやファミリーに脱帽です。本当にいつも私と旦那をサプライズさせてくれるファミリー。人を感動させる演出も見事だし、この歳になってもそれぞれ結婚したり、子供が出来ても変わることなく、付き合っていけるというその事実に改めて驚き、そしてそれぞれがお互いを思いやる気持にも感謝なのです。私達は近い将来アメリカに永住することになるけれど、いつも私の大好きな故郷を思い出す時、ファミリーがその思い出に一緒にでてくるのは当然のことで、そのことが私の明日への原動力になるはず。三沢に帰ればいつでもファミリーがいて、いつもと変わらず私達を迎えてくれる・・・その事実がある限り、これからも頑張っていけそうなのです。そしてそういう仲間がいる三沢は、永遠に私の安らぎの場でもあるのです。素晴らしい出会いに感謝して・・・・最後に・・・先ほどのさよならパーティでの、Tシャツの画像を紹介します。● 前部分はこのように、私達家族の顔が・・・ ●● Tシャツのバックには、みんなの名前とSpecial Thanksと称して旦那の好きだった物、場所、趣味などなどが挙げられている。●● ファミリーのメンバー名が上部に並び・・・ ●● 旦那の好きな“Miso-Ramen”や“ Onsen”の文字も・・・ ●● M夫妻、このフレーム入りTシャツは家の目立つ場所に大切に飾られています。本当に大変な作業、ありがとう!! ●● 襟元には、この日のパーティのチケットが飾られて・・・ ●● フレームの下方には、こんなメッセージ入りのプレートが輝いています。 ●● パーティ会場に貼られた、さよならパーティのポスター。 ●● 最後に全員で記念撮影!! ●
2005年06月05日
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今日は、前から書きたいと思っていた友達について・・・・毎度のことながら、長くなりそうなので2日間に分けて書かせてもらいました。私には学生時代からの友人、仕事で知り合い仲良くなった友人、旦那の職場を通じて親しくなった友達、子供を通じて知り合った友達、旦那のバイク友達(日本人&アメリカ人)など、いろんなタイプの友人はいるけれど、今日私が紹介したいのは、その中でも長年つきあいのある故郷の友人達。この仲間を「ファミリー」と私達は呼んでいる。2日間の日記だけでは、書ききれないほどの歴史みたいなものがあるのです。私の若い頃の思い出には必ず、ファミリーが一緒だった。写真をみても、ファミリーのメンバーが含まれていないものはないほど、いろんな楽しい事を共にしてきた。もともとファミリーのメンバーは、私の高校時代の先輩だった人たちで、学生時代はその中の一人(O氏。フリーページの"ダディのお気に入り”の中に登場するバーのオーナー)の家に、しょっちゅうたむろしていた私達。遊びに行けば、必ずと言っていいほど誰かがいた。そしてO氏はいつもギターを弾いていた。あの狭く、でも彼独特の部屋は、まさに青春時代と呼ぶにふさわしい場所でそこでいろんなドラマがあったような気がする。本当に私にとっては、貴重な高校時代の思い出・・・私がダディと付き合うようになって、結婚を決心した時もファミリーが彼の品定め(?)をした。最初のうちのスケートデートやボーリングデートなどには、大勢ぞろぞろ連れて行ったりした。やっと二人きりでデートするようになったのは、知り合って3ヶ月経った頃・・・アメリカ人との結婚に、難色を示した友達も何人かいたけど無事結婚した私達。もちろんファミリーも結婚式に参加。その後、1年半ほどして私達はアメリカへ行く事になった。それが1990年・・・アメリカに行く前にファミリーが企画し、「さよなら旅行」と称して函館に一泊旅行に行った。かなりの人数で行ったけど、本当に楽しい旅だった。箸が転がっても可笑しい年頃じゃないけど、何を見ても何をしても可笑しくて楽しくて、とにかく笑ってばかりの旅だった。宿泊した旅館が今時珍しい男女別のお部屋で、玄関先でそれぞれ女、男と別の方向に階段を上がっていく。更に、女性の方は一部屋に二人ずつで寝るため、部屋割りなどもして、それもいい思い出・・・旅行から帰って来たら、ファミリーの何人かがその時のビデオ(・・・そう、当時はまだデジタルビデオなるものがない時代で・・)を編集して、アメリカに行く記念にくれた。それがまるで映画のような出来栄えで、アメリカ映画をパロッたイントロに、挿入されている曲の選択から編集の技まで本当に素晴らしく、旦那もいたく感動していた。このようなセンス、アート的な才能に溢れている人たちで、その後に続く私達のさよならパーティ会場では、その中のT氏とその弟Y君が、私と旦那の似顔絵を描いた長~いイラスト入りの垂れ幕を作って飾ってくれていた。これがとっても私達の特徴を捉えていて、本当にそっくりだったので今でも我が家の宝物となっている。その後、T氏の弟Y君は青山のデザイン会社で活躍している。マスコミ関連の仕事も多くしているほどの彼なので、当時まだ駆け出しの彼に描いたもらった、この垂れ幕はもしかして今頃プレミアでもつかないかしらん?と密かに思っている私。そしてアメリカに行って強度のホームシックにかかっていた私を支えてくれたのも、ファミリー。手紙のやり取りは言うまでもなく、みんなが集まって私との思い出話をそれぞれ語り合ったカセットテープなども送ってくれ、それを聴きながら本当に友達って有難いものだ・・・と感謝した。何人か、わざわざ当時カリファルニアに住んでいた私達の所まで遊びに来てくれた人もいた。その後、約6年の月日が流れた・・・・再び私達が日本に帰って来てからも、以前のように楽しい付き合いは続く。バーベキュー、ドライブ、キャンプ、食事やそれに続く飲み会、花見、ギョーザパーティ、ラーメンパーティ、鍋会、お酒を飲みながらご機嫌な音楽を楽しむホームパーティ(旦那は特にこれがお気に入りだった!)、そして毎年恒例の忘年会などなど、楽しい行事には事欠かない。いつもいつも楽しいことのワンシーンには、ファミリーが一緒だった。そうして8年の年月が経つ中で私達にも子供が産まれ、家族が増えた・・・次の日記へ続く・・・
2005年06月05日
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