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いよいよ 大晦日恒例の ゆく年 くる年 NHKでお馴染みの知恩院の除夜の鐘 そしてその知恩院とはどんなおてらでしょう。 鐘楼-【知恩院の除夜の鐘】大晦日と言いますと、テレビでも表題のシーンが放映される事が多いですね。108つの煩悩を振り払う、僧侶十数人掛かりで、撞かれます。【重さ70トン】 御影堂(みえいどう)大瓦の頂上の真ん中に瓦が三枚ほどくくられてあります【知恩院】(ちおいん)は、浄土宗の総本山とされ、法然上人が開祖で、一般大衆でも難しいお経を唱えなくっても、ただ【南無阿弥陀仏】と唱えるだけで阿弥陀さまの世界【西国極楽浄土】に召されるということで、日本全国信者さんが大勢信仰を持って居られます。 御影堂(みえいどう)は法然上人が祀られ、大きい建物です。何でも、 【左甚五郎】の作と言われています。 過日、疑問にずっと感じていましたが、信仰の対象と成るはずの【阿弥陀堂】が西側に小さくって、聖人とはいえ【御影堂】がとても大きいことに、和尚さんの説明では、阿弥陀堂は【礼拝堂】であり御影堂は、【説法堂】として広く多くの人達が法話を聞くお堂と。やっと納得できました。 長い竹の棒で位置を説明します。 有名な【忘れ傘】が正面向かって右側の軒下に見上げるとひなびて居ますが、見られます。実は忘れたのでなく、木製の建物として、最も恐ろしいのは、 【火災】です。それに対応して、水に関係する【傘】を置いたのでしょうね。 屋根の頂上の中央に 【瓦三枚】が縛られて置かれています。和尚さんのお話では、作者は半永久的に残したい意味で、「この建物はまだ未完成ですよ」の意図と考えられます。人間も慢心しないで未だまだ足らない事が多々あります謙虚さを説かれていました。寺社では、隠れた為になる教訓が気付かない所に有るようですね。 各観音開きの高さ3mはありましょう扉も、指一本で動くほどに。真っ直ぐ削られた名工が証明されます。錠前の下部にカッパとかスッポンが出入り口を守る魔よけとして存在していますよ、実に微笑ましい存在です。 西側に阿弥陀如来の祀る阿弥陀堂があり、阿弥陀像の両手の指をよく見ますと、親指と人差し指を交えて居られます。皆様の仏壇を観察してみてみられては!、(仏像の観察) 更に奥に行きますと、廊下が【鴬張り】になっています。そして更に進みますと、大柄杓(ひしゃく)が手の届かない、梁(はり)に掛けられ、【シャクに触るな】につながります。又、柄杓は、多くの人を救いとるの意。 あまり上手に画けて、【抜け雀】【三方正面真向の猫】観る者が位置を変えても、親子の猫の目がこちらを見ている。日本一大きい三門 一度は観られると良い豪華な【三門】は日本一大きいとされています。その上層部には、建築の責任者寺社奉行【五味金右衛門夫婦】の【白木の棺】と像が置かれています。予算超過でその責めを採り自刃。三門は、徳川二代将軍秀忠公によって建てられ、楼上には、お釈迦さんが、祀られて居ます。お釈迦さんは両手の指を伸ばしておられます。(仏像の観方) 三門から御影堂まで、急な石段【男坂】となだらかな【女坂】があります。七不思議のひとつ【瓜生石】 二条城に通ずるミステリ地下道の出入り口される【瓜生石】この石の上に祇園の牛頭(ごず)天皇が降り大石から瓜が実った。 以上を【知恩院の七不思議】とされています。知恩院は、徳川のお城でも有ったようです。 御殿の東北には、東照宮があり、家康・秀忠を祀って居ます。庭薗も観られます。 知恩院境内の最も聖なる地法然上人御廟所石段を登りつめた場所 御影堂の東に急な石段を登り詰めますと、【勢至堂】(せいし)即ち法然上人のご幼名でありそして、【御廟】が有ります。その勢至堂の裏側即ち北側に、NHK大河ドラマ天地人で話題となった、徳川家康の孫、豊臣秀頼に嫁がされた 【千姫の墓】があり、京都の市街が、美しく見渡せます。千姫の墓千姫も。父秀忠公と静かに京都を見守ってくれていましょう。 東照宮への庭園 御影堂の東側から勢至堂・御廟への石段登り口希望に溢れる 素敵な新年を ご家族の皆様とお迎えください。
2012.12.31
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遂に今年もあと泣いても笑っても 一日を残すことになりました。一年を振り返り、 紆余曲折がありましたが、 生きている恵みに感謝したと思います。昨日の 宝物 【有吉佐和子先生】に新米のときにお会いして 至言を賜ったこと アクセスが 倍加したことに 先生の人間性の偉大さに改めて 感服しました。ブロクは、 難病からの這い上がりの希望を持たせるために 息子から勧められて始めた 三日目の記事でした。そして今回で この件はおわりますが、4日めの記事が本日でタクシーに乗られて、「有り難うございます」と言われると 何か安心してその日が気持ちよくなる気分で ご乗車になる 簡単なことが原点を感じています。今年1年も感謝します。 そして皆様も ご健勝で 良いお年を お迎え下さい。 【有難う御座います】 入社当時の時代では、この言葉は、はにかみがあって、中々口に出せなかったものです。それだけに、オーナーは、一貫してお客様に挨拶する運動を組織だって、推進されました。 或る日、男性お一人、京都駅近辺からご乗車された際に「有難う御座います・エムケイの○○です」とあいさつしましたら、「えっ!君、今何て言った?」「ご挨拶しましたが!」 「素晴しい・気分いいよ、東京では、めったと聞かない」と絶賛して下さいました。 エムケイの急成長は、この簡単な日本語に有ったのですね。現在では、京都各社で、サービス精神旺盛です。 ちなみに、昨日通院の帰りの【個人タクシー】の方が【ありがとうございます】と言われとても嬉しく 意義深く感じました。京都のタクシーは 観光地として全車斯くあってほしいと思いました。 私は142日或る国立病院に入院治療を受けていました。驚き感心しましたことは、看護師さんたちが、朝・夕交代時に数人で、患者一人ひとりに、担当の方の名前と挨拶をされること そして、血圧測定・注射処置後等、例外なく、【有難う御座います】と言われた事です。 患者の当方が感謝の気持ちで、発する言葉で、「皆さん上司から言われているのですか?」とききましたら、「自分達の医療技術の向上に役立たせてもらっていますから」と自然体で答えが返ってきました。 病院の各所に【理念】が額縁にかかげてありました。《私たちは患者さんの痛みに共感し、患者さんとともに病気に向かい安全で高度な医療を実践します》そして 基本方針の一部に、患者さんの心の痛みがわかる資質の高い人材を養成します。 このような、利害に関係の無い、聖域にまで使われて居ることに感銘を深くしました。
2012.12.31
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年の瀬も いよいよ明日まで、昨日快晴でもあり少し寒さも和らいでいましたので、近くにある伏見桃山御陵に参拝して来ました。恵まれた環境に感謝しつつ。桓武天皇は、京都の都を決められた方、そして明治天皇は日本の国を維新により、海外に広く 文明開化に目覚めさせて下さった天皇でした。東京奠都も実現されましたが、ご希望により御陵は、伏見桃山と決めておられました。今年、天皇両陛下もご参拝がありました。過っては、豊臣秀吉が 伏見城を桃山に築城、醍醐の花見のあと ここで まだ夢を果たしきれずに亡くなりました。その城の遺跡は、御陵内に存在し、宮内庁の管轄下で一般には見られませんが、参道の側に 石垣の遺石群がみかけられました。 明治天皇御陵 参道伏見城石垣の遺石参道が続きます御陵に近づきました正面の左側 青空が桃山を美しく見せてくれました御陵正面の眺望と石段の高さに驚きます秀吉も眺めていたのですねもう一度 石段上から 振り返ってみました昭憲皇太后さんへの 下り坂です 険しい石段は避けました御陵近くに降りて来ました昭憲皇太后の御陵明治天皇より一歩下がられて 共に安らかに眠っておられますそして、日本の国の行く末を優しく見守って下さっているようです真下に 緩やかな道をおりてきましたがこの坂を若い人たちは 登り降りておられます静かにして、厳かな 年末の風景でした。日本の国をしっかり 見守っていただきたく 桃山で願ってきました。記録的寒波、咳き込む風邪が流行っています。くれぐれもご健康には ご留意願います。
2012.12.30
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【作家・有吉佐和子先生ご乗車】 乗務して・三日目、西本願寺の前を堀川通北進中、門前で和服姿女性数人の方が、手を振られ、乗車される前に此れから【有吉佐和子先生が乗られます。くれぐれも粗相のないように】と一瞬緊張感が走りました。側には客待ち他社のタクシーが停まって居るにも拘わらず エムケイを待って居られました。車中気さくに「京都は落ち着いて宜しいですね」と敬語で語り掛けられ、対話も弾み思い切ってご意見を聞いて見ました。「先生、新人のタクシードライバーとして、どのよう心掛けして行けばよろしいでしょうか?」「そうね、急発進・急カーブ・急停車を避けるようにされては、【物】はころころ転げても、文句言わないでしょうが、【人間】は感情を持っていますからね」正に至言で「今後座右の銘として大切に生涯護って生きたいです」先生は京都での執筆のために落ち着いた北区に邸宅を保持しておられました。 作家ともなると、日頃第一線で働く人とのコミニケーションを採り、作品に活かされて居られるものだと、敬服致しました。有名な先生を新人としてご乗車受け、勇気と誇りを感じた次第です。 昨夜は、クリスマスイヴ。KBSテレビで19時り、洛星中学校の生徒さん達で、伝統の、聖劇タブローを放映していました。イエスキリストの予言からご降誕までを演出、全て生徒たちが、日頃から企画・練習に当たり、生徒さんの代表のコメントに、在校中一番将来とも心に懐かしく残り、皆が一致協力して人への思い遣りを感じつつ実現してきたものです。と今時、学力の優れた学園だけでなく,情操教育の浸透していることに、嬉しくなりました。本日あとで、明治天皇陵参拝の様子更新します。
2012.12.30
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本日は、空も晴れ 気温もそれほど寒くなかったもので、自宅の近所でもある 天皇御陵に2か所 訪問してきました。桓武天皇は、京都の都に 長岡京から 遷都された天皇で伏見区桃山に 御陵があります。年の瀬として、静かな雰囲気を味わうことが出来ました。ジョギングする方たちと 会いました。桓武天皇御陵 桓武天皇 柏原陵 拝礼広場 青空と背景の山が映えて居ます 明日は、我が国を海外に広められた 明治天皇の御陵をご紹介します。
2012.12.29
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2009年12月24日のブログ始めて二日目の日記です。 乗務して、二日目、出庫後に即、三人連れの男性客に会いました。「有難うございます。○○です。どちらまでですか?」「どんぐりに掘り込んでくれ」いぶかしげに考えていました。「お前はまだしんまいか?団栗橋の先に、場外馬券売り場がある」と祇園会館の南に位置します。そして団栗橋は南座の四條大橋の一つ南に掛る橋でした。 今宵は、クリスマスイヴ救い主がお産まれになった日、日本人もこの季節には、こぞって クリスチャンになりますね。子供さんも歓び、家族・親しい人々とはクリスマスプレゼント交換、微笑ましいことです。河原町通三条上るの場所にカトリックカテドラル教会があります。今夜は堂内に入りきれないので、一般参詣人と別に三回に分けて式典が捧げられます。 河原町通を挟んで、向かい側に【本能寺】があり、【織田信長公の廟所】もあります。 当時、異国の文明に興味を持ちつつも、キリシタン迫害は想像を絶するものでした。キリシタン燈籠が、北野神社にも、曼殊院その他に遺されています。そして大徳寺では、キリシタン大名そして細川ガラシャの菩提寺院があります。 今でこそ、自由にして、平和で人間性を充分に活かせること、時を大事にしたいものです。 そして、クリスマスと言えば、イルミネーションに飾られ、感動を与えられます。 人間は、闇よりも【光】を求め幸せを掴もうととしているようですね。 メリークリスマス祇園の街 に競馬の場外馬券売り場があります。
2012.12.29
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天皇お誕生日の祝日の恩恵を受けました日を記念としまして、産まれて初めてブログなるものを、始めようとしています。 昭和48年3月エムケイタクシーに入社、当時の給料は、一般企業の管理職並みに魅力がありました。 入社時からの一定期間、タクシー基本的研修を受けました後、さて本番営業所から、決死の覚悟で、巣立ちしました。 直ぐに二人連れの男性客と思しき方が、手を挙げられました。どきどきしながら、「どちらまでですか?」聞きますと「四條なわてへ」その時大変驚きました。何故なら新米が、いきなり大阪の「四條畷}と思案していましたら、「四條通縄手通り、ギオンや」と告げられ ほっとしました。 第一日目の出来事でした。 昨日は、浄土宗総本山 知恩院で 大晦日の除夜の鐘に撞く 大鐘楼(日本三大梵鐘)の試し突きが行われました。16人の僧侶が 息を合わせて 「えい、ひとつ」「そ~れ」「ク゜オーン」と本番では、108回 ほぼ1分置きに煩悩を払うべく鳴らされます。青銅製 高さ 3.3m 口径 2.8.m 厚さ 30cm 重さ 70トン 江戸時代の初期に鋳造された 重要文化財指定です。 知恩院の大鐘楼
2012.12.28
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年の瀬、いよいよ迫ってきました。新政権も誕生しました。女性進出のきっかけともなる閣僚・三役に起用されました。魁として、大いに頑張ってほしいです。経済復興・外交問題・東日本の早期復興実行そして拉致問題今度の政策の行方は、日本の生死に関わる重大な使命を持っています。あまり、世間で著名でなかったと思われる、古い歴史を残す宇治に【宇治上神社】の方が世界文化遺産に登録されました。直ぐ隣接して、゜宇治神社」が有りますが、戸迷う感じでした。 宇治上神社の鳥居【宇治上神社】(うじかみじんじゃ)日本最古の神社形式(平安・鎌倉時代)世界文化遺産に登録 京都に世界文化遺産に登録17箇所のひとつです。宇治平等院から宇治川を渡った位置にあります。 宇治橋京阪宇治駅を宇治川に沿って、上に直ぐの所に、「宇治神社」が有ります。 宇治神社 近代的でまさかと思いきや、【さわらびの道】を 早蕨の道の入口付近 さわらびの道 更に通り過ぎて、少し坂を登った所に【宇治上神社】が有りました。世界文化遺産と言うことで、訪問しても、実にこじんまりとして、古さだけが目に映ります。 参道の紫陽花の花でも歴史的には貴重な建物【本殿】【拝殿】共に【国宝】に指定されています。 拝殿 清めの砂 上賀茂神社にもありました。 本殿 本殿の狛犬 阿吽の狛犬 祭神が【応仁天皇・仁徳天皇】そして【菟道稚郎子皇子】(うじのわきいらっこ) (応仁天皇の皇子で仁徳天皇の弟)宇治の地名の基とも言われています。父応仁天皇の寵愛を受けていましたが、兄との皇位継承を譲り合い、自殺して兄仁徳天皇を立てたと言われています。珍しく心優しい弟でしたね。宇治上神社の蟇股 ここでの見所は、【日本三蟇股】(かえるまた)【宇治上神社本殿】【上醍醐・薬師寺】(上醍醐ブログに記述)【奥羽中尊寺金色堂】【龍安寺】で由来を記していますが、 日光東照宮の左甚五郎作の有名な【眠り猫】も、蟇股の中で眠っています。裏には鼠が居るとか、要は、木製の建物は、火災から魔除けのために、水に関係する、蟇を飾ったと全国的に採用されています。清水が今でも湧きます 宇治の名水 桐原水 もう一つは、【桐原水】(きりはらすい)と言って、「宇治の七名水」の一つとして、未だに、清水が、湧き出ています。【源氏物語】にも関係するようです。自宅の付近で、歴史的に遠く昔を偲ぶことが出来る社寺があり恵みに感謝しています。
2012.12.27
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クリスマスの賑わいも 今年は終わり、一気に年の瀬が過ぎ去ろうとしています。あと1週間ですね。寒波が日本全国を覆い、風邪を患う方が多いです。くれぐれも 油断なく 健康も併せ持ち 良いお年が迎えられるようご留意願います。私の住むほんの近所に、世界文化遺産の社寺が三ケ所もありとても恵まれています。昨日の醍醐寺・宇治平等院そして宇治上神社です。明日は宇治上神社をご紹介します。 阿弥陀さんの指と手の形の組み合わせしるしてみました。浄土にも段階があるようです。 【平等院】宗派は単立(天台宗と浄土宗) 開基 明尊 琵琶湖「瀬田」から流れてきました「宇治川左岸」に「宇治上神社」と対峙して存在しています。国宝・鳳凰堂 池に写される 初代仏師【定朝】(じょうちょう)作の【国宝】【阿弥陀如来像】が実に落ち着いて素晴しい一語につきます。付随した【天蓋】【雲中供養菩薩】そして【壁画】も【国宝】で、「藤原頼道」が1000年前に末法思想が取り沙汰された時代で、生前中でも「極楽浄土」を再現しょうと考え、(金閣庭園を足利義満も同じ)貴族と僧侶によって、建てられました。 阿弥陀さんの座します【鳳凰堂】(ほうおうどう)もそして屋根の両端に飾られる【鳳凰】一対も【国宝】です。お堂の前に池があり鳳凰堂を池越しに眺めますと、池にも反射してとても美しい情景が観られます。「十円硬貨のデザイン」ともなっています。 丸い窓を設けて、庶民にも阿弥陀さんのお顔だけ拝せる仕組み 頼道の思い遣りが、「阿弥陀さん」の顔の前面に、「丸窓」が見えます。「極楽浄土」を庶民にも一部垣間見ることが出来る様に、存在しています。 国宝・鳳凰堂 【日本三名鐘】「形の平等院」【国宝】 「音色の滋賀・三井寺」 「銘の高雄・神護寺」 日本三名鐘の形の美本物は宝物館で観られます。【鳳翔館】(宝物館)では、名鍾・雲中供養菩薩像・壁画・鳳凰【国宝】その他が展示されています。【藤棚】藤の花が咲く頃は、とても美しいです。【阿弥陀さんの九印相】阿弥陀如来は、西国極楽浄土を支配されてると言う事で、鳳凰堂の壁画も、【御来迎の図】が画かれ、九壁画に分かれているそうです。平等院の阿弥陀如来像は、【上品上生印相】(じょうぼんじょうしょうのいんそう)で最高位。阿弥陀さんの手の指が、「親指」と「人指し指」「中指」「薬指」と円く交わる事で、夫々、「上品」「中品」「下品」と称し、阿弥陀さんの両手の位置か゛「膝の前で結ぶ」「両手を開いてお説教するように、上に揚げる」「右手を揚げて、左手は手の平を開けて膝の上に」(施無畏・与顔) (せむい・よがん)「上生」「中生」「下生」(げしょう)と称します。この組み合わせで、九印相の阿弥陀像が表されます。極楽浄土へのランク付けでしょうか。「上品上生」「上品中生」「上品下生」「中品上生」「中品中生」「中品下生」「下品上生」「下品中生」「下品下生」太秦の広隆寺には、「中品中生」の阿弥陀像が見掛けられますが、殆どは、「上品」クラスのようです。 御家庭での仏壇では、「上品下生」(じょうぼんげしょう)の即ち、施無畏・与願の型で指は親指と人差し指を交えた形の阿弥陀さんが多いです。一度試してみてください。 宇治上神社から宇治川を渡って平等院への橋 魚の供養のための十三重の塔 源氏物語・紫式部の像宇治橋の側に建っています。 宇治橋現在 鳳凰堂が 大修理されていますので その面影はしばらく観られません。
2012.12.26
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クリスマス おめでとうございます。素敵なクリスマスイヴをお迎えに成られたことでしょう。本日は、【終い天神】の日でもあります。 学問の神様 北野天神の恒例の縁日がたちます。 京都市には、11行政区に分かれています。そのひとつ我が町【伏見区】にも、世界文化遺産に登録された歴史的古寺が近くに有りとても恵まれた環境にあります。でも地元ほど関心が薄く宝の持ち腐れかも知れません。エムケイタクシーの乗務員として、人に歓ばれる観光の勉強がお客さまにご案内することで、一生大切な観光を学ぶことが出来ました。宝物として大事にしそして感謝します。【醍醐寺】世界文化遺産 真言宗醍醐派本山 京都府で一番古い五重塔【国宝】醍醐天皇を弔うために建てられました。高さ38m、屋根の上の相輪は約13m相輪が塔の1/3を占め、安定感があります。 【国宝】金堂です。醍醐寺の本尊【薬師如来坐像】【国宝】が祀られて居ます。昨日にも記しました通り、薬師如来を中心に日光菩薩・月光菩薩そして十二神将が祀られているのが観られます。 弁天堂と取り巻く池の水面にも新緑が美しく映っています。【醍醐三宝院】の特別名所の庭園並びに仏像は、一般に撮影禁止で御紹介出来ないのが残念です。詳細は、グーグルで検索して見て下さい。【上醍醐】西国三十三所観音霊場第十一番札所 彼方に見える山が、「上醍醐」です。山道3キロ、西国観音霊場の最難コースとされています。新緑が美しいです。 【女人堂の蟇股】(にょにんどうのかえるまた)上醍醐の「准胝堂」(じゅんていどう)が雷により焼失、再建まで、下醍醐の女人堂で納経の受付されています。今の内なら、難所へのお参りは、助かります。【蟇股】やっと写真で説明できそうです。蝦蟇が構えている形式で、何処でもみかけられます。水に関係し火災から免れたい気持ちが、宮大工として、飾られたのでしょう。此処には、「五七の桐」の文様が飾られていました。豊臣秀吉の家紋でもあります。 国宝【唐門】勅使門真中が豊臣秀吉花紋「五七の桐勅使が入られるときは真中は開かれ菊の御紋でお迎え帰られたら桐の紋が真中に治まります。秀吉の考えそう?太閤秀吉が、桜の花見行列したところとして有名です。そしてその年に伏見城で逝去しました。醍醐三宝院の特別史跡の名園も、半分を残し志半ばで完成をみませんでした。秀吉の「名石狩り」は 皆恐れていましたが、庭園の中央に【藤戸石】(ふじといし)は「天下人石」とも伝えられる名石が 泰然として構えています。第15代足利義詮 → 織田信長 → 豊臣秀吉 または、「不死人石」とも言われます。 写真が撮れず グーク゜ルで検索され 許された人の写真を是非 ご参照願います。滝 橋は 石橋・木橋そして土橋と 変化があるのも 趣があります。鶴島・亀嶋が広い池にどっしりと構えています。玉座のある部屋には、日本名三棚の【醍醐棚】があり、その座から真正面に、藤戸石が 鑑賞されるようになっています。
2012.12.25
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今夜は、いよいよクリスマスイヴを迎えます。世界的に歓喜のひとときとしてお祝い事が多いです。東寺からの、流れで 仏像のおはなしになります。京都の都造りで、大内裏(御所)を中国の故事に従い「君子南面す」から、都の北方中央に置き、左京職 右京職として統治しました。広辞苑によりましても、左大臣は右大臣の上位されています。仏像のセツトの組み合わせも左側が上位右側が従う形になっています。狛犬・仁王さんをみても 「阿吽(あうん)」左が口を開け右はとじています。紫宸殿・ひな祭りでも 左近の桜 右近の橘薬師如来の場合は日光が左 月光が右梵天は宇宙神として左に 帝釈天は 太陽神として右に東寺での講堂では、 如来部が中央 そして菩薩群が左 明王群が右に配置されています。三尊を庭園に、表現 して三尊石が飾られています。 建仁寺庭園 三尊石 東寺の金堂に入りますと。国宝の薬師如来三尊仏と十二神将が大きく迎えてくれます。 【仏像のセット形式】 ゼスチアーで、【仏】を無言で表現するには、「右手」を上にかざし、「左手」は膝前に、手の平を開けた姿で、直ぐ解かりますね。奈良の大仏さんを想像して見て下さい。昨日ご紹介した「故西村公朝和尚さん」の著書「祈りの造形」は、初めて仏像に接するに優しく判り易く書かれています。其の中に書かれています 【施無畏・与願】(せむい・よがん)の形と称し、「右手」をかざして居られるのは、「不安・悩み等の畏れを取り除く、恵みを施しましょうの仏の意向と考えられ、一方「左手」は、お願いすれば、与えましょうの意向の姿と考えられます。人間自由意志があり、「求めよさらば開かれん」とも言われ、寺社への参拝は、その現れにあるようです。 奈良の法隆寺の金堂に【三世三仏】の思想が有ります。南正面に本尊の釈迦如来三尊 遣送の如来(けんそう) 【現在】釈迦尼仏東に薬師如来三尊 遣送の如来(けんそう) 【過去】薬師瑠璃光仏西に阿弥陀如来三尊 来迎の如来(らいごう) 【未来】阿弥陀仏人は、太陽の出る東方浄瑠璃世界から送り出され、現在釈迦の教えに基づき、太陽の沈む、西方極楽浄土に迎えられる三世の思想の表現とされているようです。【脇侍の教え】(きょうじのおしえ)釈迦三尊の場合【智恵の文殊】(左)【慈悲の普賢】(右)阿弥陀三尊 【慈悲の観音】(左)【智恵と意志の勢至】(右)薬師三尊 【暖かい光の日光】(左)【冷たい冷静な智恵の月光】【釈迦如来の眷属】文殊菩薩・普賢菩薩 十大弟子 【涅槃図】(ねはんず)【阿弥陀如来の眷属】観音菩薩・勢至菩薩 二十五菩薩 【御来迎の図】(ごらいごうのず)【薬師如来の眷属】日光菩薩・月光菩薩(がっこう) 十二神将【観音菩薩の眷属】二十八部衆 東京博物館で一大人気になった【阿修羅像】(奈良・興福寺所蔵)も含まれます。既に、ご招介しました【清水寺】そして何れ記します、【三十三間堂】で観られます。京都・奈良の観光としては、仏像の並べ方にも、公式があることを知識として、ある程度会得しておかれると趣が面白く楽しく観られると思います。 私は、愛宕寺(おたぎじ) 故 西村 公朝 仏師で住職されていた方から多くの著書で、学びました。
2012.12.24
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本日は、天皇陛下のお誕生日。ご挨拶に、心臓の手術に国民のみなさんにご心配をかけました。東日本大震災の合同慰霊祭には、是非出席したいことが適いました。とまた、わたくしごとですが、特定疾患難病に一途の前向きの希望に息子が勧めてくれた、ブログをほぼ毎日更新をしてこられた 原動力がアクセスまたはナイス・コメントの手を差し伸べて下さった方々の支えそして励ましがあったからだと。心から感謝いたします。85歳、高齢者社会の中でいつくたばるか毎日を覚悟しつつも、朝目覚めて、生きていた、お恵みとして頑張ろうの今日この頃です。ブログ名:京都観光をご案内し・・・総アクセス数:114627 アクセス(平均 105 アクセス/日)開設日数:1096日(開設日:2009/12/23)日記記入率:94.9% 仏像については、お寺さんで、殆どが撮影禁止で、許可なくしては撮れません。従って皆様方には、Google画像で検索していただくと観られますので、参考にして下さい。 【仏像の種類】 京都・奈良の観光も、景勝地・史跡を訪ねることも多くありますが、寺院が多く、従って【仏像の豆知識】は知って置かれると、観光の興味が倍加することでしょう。仏像は、経典により考え出されたもので、釈尊入滅後200~300年後造りだされました。種類分けも、悟りの高い仏様から順次表現されています。判り易い様に、会社組織で表してみました。曼荼羅図 (まんだらず)が目で観てわかり易くえがかれています。 【如来】(会長) 大日如来(真言密教の根本仏) 毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)奈良東大寺の大仏、唐招提寺の本尊 【如来】(社長) 薬師・釈迦・阿弥陀・弥勒(唐招提寺)阿しゅく(あしゅく)・宝生(ほうしょう)不空成就(ふくうじょうじゅ)(東寺密教) 【菩薩】(専務・常務)日光・月光 文殊・普賢・観音・勢至 弥勒・虚空蔵・地蔵 金剛宝・金剛薩睡(こんごうさった)・金剛業・金剛宝(東寺密教)【六観音】 聖(しょう)観音・十一面・千手・准提(じゅんてい)・馬頭(ばとう) 如意輪(にょいりん) 天台宗以外 不空羂索(ふくうけんじゃく) 【明王】(部長) 不動・愛染・孔雀・降三世(ごうさんぜ)・軍荼利(ぐんだり)大威徳(だいいとく)・金剛夜叉(こんごうやしゃ) 【天部】(課長) 梵天(ぼんてん)・帝釈天(たいしゃくてん)金剛力士(仁王)・風神・雷神四天王(持国・増長・広目・多門)・十二神将・二十八部衆(観音を護る)吉祥天(毘沙門天と夫婦)・弁才天(梵天と夫婦)・聖天・鬼母神(きしもじん)技芸天(奈良秋篠寺)大黒天・韋駄天・毘沙門天・執金剛神(三月堂) 【羅漢】(らかん)(係長)釈迦の十大弟子・十六羅漢・五百羅漢・維摩居士(ゆいまこじ)・無着・世親空也・聖徳太子・弘法大師・伝教大師・法然上人・親鸞上人・日蓮上人達磨大師・祖師・高僧 【一般の人間】(平社員)東寺 五重の塔 終い弘法の賑わいと国宝 金堂薬師如来 月光菩薩(がっこうぼさつ)右側 日光菩薩(にっこうぼさつ)左側が祀られています。仏像は重要文化財指定。 重要文化財 講堂大日如来を中心に如来像4体不動明王を中心に4明王何れも国宝 菩薩部5体内4体国宝帝釈天(国宝) 梵天(国宝)4隅に 4天王(国宝) 持国天(東) 増長天(南) 広目天(西) 多聞天(北)仏像を曼荼羅に並べて、僧侶たちが究極の経典の教えを学んだ聖地学校の講堂の語源とも言われています。東寺の観光は、一同に国宝を多く鑑賞できる宝庫ともいえましょう。明日は、仏像のセットについて更新してみます。これからも、相変わらずよろしくお付き合いのほどお願いいたします。
2012.12.23
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世界文化遺産の真言宗の寺です。 春に撮った写真です昨日の写真 まだもみじが美しいです 【東寺】【教王護国寺】東寺真言宗 開基空海(弘法大師) 世界文化遺産登録 その土地で、1個の【国宝】が有れば、有名になり、誇りを持ちます。此処東寺だけで、建物・仏像・曼荼羅(まんだら)の絵画・書等50点余有り、何だか麻痺しそうで、有り難味が薄れる感じです。京都には、恵まれ過ぎかも知れません。中でも【東寺の五重の搭】【国宝】は、新幹線等で、「京都駅」に降りられたとき、京都の街の「南西」に京都のシンボルとしても建っています。高さ57mは「日本一高い塔」といわれています。三代将軍徳川家光が再建しました。お坊さんに教えてもらったので、解かったのですが、塔の下層の軒四方に、「邪鬼」が軒を支えるように、踏ん張っていました。よく仏像で、「邪鬼」を踏みつけているように見られますが、実は言う仏を支えていると風にも採れる事が教えられました。訪問されたら是非よく見てやってください。 邪気が軒を踏ん張ってささえています。あまりはっきりうつりませんでした。Googleの【画像】で東寺の邪気で検索してみてください。 修学旅行生が、「おじさん、ジャッキーの役目しているのですね。」とジョウクを飛ばしていました。 「平安京」が誕生した頃は、東寺の西に【羅城門】(らじょうもん)があり、都の中心【大内裏】(だいたいり)から「朱雀大路」の南端にありました、そして更に、「羅城門」を挟んで、西に「西寺」がありました。今は広い公園に、「西寺跡地」として石碑が建っています。だから京都の中心は、京都駅前の「烏丸通り」(からすまとおり)延長に京都御苑があります。ではなく東に移動しているようです。 薬師如来の祀られる金堂 【金堂】建物が【国宝】です。豊臣秀頼により落慶しました。堂内に入りますとわが国最大の薬師如来のセットが祀られて居ます。真ん中に【薬師如来像】そして仏側から見て「左」に【日光菩薩】(にっこう)「右」に【月光菩薩】(がっこう)そして薬師如来の周りに【十二神将】が観られます。「左の日光菩薩が上位」 多くの国宝の仏像が配置された講堂 【講堂】建物は(重要文化財) 学僧の学問所で立体曼荼羅(密教浄土の世界)を学ばれる場所でもあります。 現在学校の講堂は、ここから名が生まれたのでしょう。 仏像が21体の内国宝が15体有り、実に壮観です。中央に【大日如来】を中心に【如来群】がそして、仏から見て「左」に【菩薩群】そして「右」に【明王群】が祀られて居ます。「菩薩が上位は確たるものです。【四天王】四隅に夫々、「邪鬼」が踏ん張っています。これも修学旅行生に覚え方を教えてくれました。「持国天」「増長天」「広目天」「多聞天」じ・ぞう・こう・た(お地蔵さんを買った)と覚えおじさんの好きな麻雀の「とん・なん・しゃ・ぺ」東南西北に当てはめればよい。と 夫々の担当守護方面に成ります。【明王】は、大日如来の化身と言われ、怖い形相は、世の中で、幾ら仏法を説いても頑固で聞き分けの無い衆生も居るので、そういう者を強化するためとも言われています。【梵天】(ぼんてん)(宇宙を司る)ガルダ鳥に跨り【帝釈天】(たいしゃくてん)(太陽を司る)象に乗っています 弘法大師が祭られた大師堂【大師堂】(だいしどう)建物【国宝】弘法大師の宿坊。「不動明王秘仏」が祀られ、弘法大師の命日に当たる21日に毎月「弘法さん」として庶民に親しまれ、市が立ち縁日として大勢の人で賑わっています。 京都並びに奈良の観光で、仏像のことを知って置かれると、とても観光の興味が倍化します。 宝物館宝物館内に、ミニ五重塔が飾られています。京都に併せて五箇所にあることになります。仁和寺・八坂・醍醐・東寺に二つ。次回仏像の種類について、少し,ご紹介したいです。「東寺」その意味で貴重な文化を知る機会と存じます。池にう映った五重の塔 かささぎ おしどり夫婦 終い弘法の賑わいと別世界 拝観料金 金堂・講堂が池に映されています。左奥は、終い弘法縁日の一部分テントが見えます。
2012.12.22
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本日は、冬至でしたね。昼間がこれから長くなるという希望の日でもあります。そして、東寺では、毎年恒例の縁日「終い弘法(しまいこうぼう」)が行われていました。京都に住まいしていて初体験してきました。弘法さんにお参りすると共に、境内広く市が立ち、正月用品の食料品から植木さんが有名で、飾り物も皆さん買って帰られます。境内は、押すな押すなの人だかりで、身動きも出来ないほどでした。1年の無事を感謝そして反省し、新年には、家族の幸せを願っての人出と驚きました。東寺五重の塔 門の入口 人出の光景 植木屋さん 弘法大師さん御影堂 僧侶と共に祈祷 御影堂礼拝祈願所 人出が増えて来ました 今年は紅葉がまだ美しいです 五重の塔そばの紅葉です 明日は、東寺について更新します。おやすみなさい。
2012.12.21
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足利義満が定めた禅寺京都五山の最終日となりました。関連性をもつて、観ていただけますと、それぞれの意向に、共通する深い趣がうかがえそうです。本日は、「終い弘法」の縁日で、京都は曇りがちです。寒いですが、これから 様子を初めて取材に行ってきます。 南禅寺は、鎌倉中期に禅宗として、建てられましたが、応仁の乱または火災で焼失してしまいました。庭園は有る程度遺されました。徳川時代に再興された南禅寺そして塔頭が現代のこされています。本日の金地院(こんちいん)は徳川家康と懇意にあった崇伝和尚が庭師、小堀遠州に庭園を造りました。 【金地院】 東照宮への道 鳥居が立っています。 南禅寺の塔頭の一つで、「三門」の前の「中門」の外に位置します。徳川家康に仕えた「崇伝」が京の地に【東照宮】を造営し、今に残っています。 苔庭 参道 本殿入口 東照宮本殿 本堂の前には、枯山水の「鶴・亀の庭」として大きい岩が横たわっています。東照宮に対して吉慶を象徴した【祝儀の庭】とされ、「小堀遠州」作と云われています。 鶴・亀の庭枯山水庭園 方丈庭園「八窓席の茶室」は遠州好み「三畳台目」の茶席で名席とされています。
2012.12.21
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韓国大統領に初の女性 パク・クムさんが接戦の上誕生しました。終始笑顔で、貧富の格差を無くす施策を強調されていました。独身で、ご両親は、志 半ばて゜凶弾の犠牲になられた中で「私は国と結婚しました」と。親日家と言われていますが、また身の危険もこころにかかります。石川五右衛門で有名な「ああ絶景かな・絶景かな」のセリフをのこしたという南禅寺三門のすぐそばに天授庵の庭園が三門の上からも眺められます。 本日は、南禅寺開祖の【大明国師無関善門禅師】をお祀りする開山塔で枯山水と池泉回遊式庭園と東庭と南庭に分かれた趣の深い庭園で三門の上からも垣間見ることが出来ます。【天授庵】 南禅寺の塔頭庫裏の入口 南庭への入口石畳が菱形で龍の蛇腹正門からの道も苔に満ちた石畳 此処の見所 正面が正門 苔庭南庭に通ずる書院 池泉回遊式庭園作者不明でも、南北朝時代の様相が伺われます。本日は写真だけで観察してみてください。800年の 遺された 平和な景色が 私たちの時代に壊したくないです。
2012.12.20
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美しい 日本のの国を 残したいです。南禅寺の中に南禅院があり、此処も「夢想国師」の作庭とされています。規模は小さいですが、庭園の基礎要素の瀧・石橋・鶴島・亀島などが全て備わって、調和の素晴らしさが鑑賞できます。 【南禅院】開基 無関普門 南禅寺の境内で、【水路閣】レンガ造りのアーチ形を潜り石段を少し登った所に有ります。同じく「水路閣」を更に登り詰めますと、疎水の勢い良く流れる水路を眺める事が出来ます。 こじんまりした庭園ですが、【夢窓疎石】の作庭で、庭の要素は、瀧を始め揃って存在しています。南禅寺の発祥の地で、徳川綱吉の母に当たる「桂昌院」の寄進により再建されました。紅葉の時期も素晴しい景色を見せてくれます。 苔の庭園 池のある庭園 夢想国師の作庭鎌倉時代の中頃【亀山天皇】が風光明媚のこの地に離宮禅林寺殿をたてられました。また天皇は禅宗帰依されて寄付されました。南禅寺の発祥の地とも言われています。 応仁の乱で焼失、現在の建物は元禄16年綱吉の母珪昌院によって再建されました。 【水路閣】このアーチを潜り抜けた場所に南禅院の小さいお寺があります。案外知られていない紅葉の名所でもあります。
2012.12.19
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足利義満の定めた、京都五山の上位は 【南禅寺】でした。 あ 三門 三門から参道 【南禅寺】臨済宗南禅寺派大本山 開基 無関普門 山号 瑞龍山 禅宗五山の上位に格式が高いことが伺われます。五山の1位天龍寺2位相国寺3位建仁寺4位東福寺5位万壽寺とされています。【三門】は義賊「石川五右衛門」の楼上よりの「ああ絶景かな・絶景かな」と歌舞伎で有名に成った【楼門五三の桐】(さんもんごさんのきり)の一場面です。傾斜の急角度の梯子を伝って楼上に登りますと、その光景が体験できます。 法堂三門より参道の正面に【法堂】(はっとう)が有り、狭い窓から内部が見にくいですが、正面に「釈迦三尊」が天井には、龍が画かれています。 水路閣 【水路閣】(すいろかく) 京都をイメージした明治の名所で、ポスターによく紹介されます。レンガ造りでヨーロッバ風のロマンチックな風情を感じます。 水路閣の上、疎水の流れ その上には「哲学の道」へと京都唯一の坂に逆らって北に向かって流されています【疎水】の分流が流れています。 田辺朔郎博士像 【琵琶湖疏水】明治2年工部大学(東大)卒業論文に【田辺朔郎】(たなべさくろう)が運河により滋賀から京都への物資の運送に便を成し、そのうえ「蹴上の地」で傾斜を利用して「水力発電」を計画。日本で電車弟1号を発車させました。その論文を採り上げた京都府知事【北垣国道】 (きたがきくにみち)の英断で、苦難と財力の超過で完成。そのため知事を誹謗して「こんどきたがきは、ごくどうもの」と名前でなじったそうです。現代【水】に恵まれ、疎水の周りには、桜並木が何処も彩り、人の心の潤いに大いに寄与しています。銅像は「蹴上」に田辺工学博士が、平安神宮の西の方に「北垣知事」が今も見守ってくれています。 【本坊】受付の前に履物を脱ぐ場所に、 【脚下照顧】(きゃくかしょうこ)禅宗の教えで、履物を揃えて置く様な心掛けで、禅寺を鑑賞するとよりよく、理解出来る意味で書かれていました。確かに以前も何回か記していますように、禅宗の寺院では、修行僧の行事か、「塵一つ落ちていません」 清浄感を味わうことが出来ます。廊下には、「五山の寺院の名」「東山三十六峰の山の名」が掲げてあり、一つの部屋の向う小庭には、「シシ脅し」のセットが見られます。(詩仙堂参照) 方丈庭園 【方丈庭園】「小堀遠州作」と言われる、枯山水の立派な白川砂で覆われた広い庭園に縁に坐って、ボタンを押す事で、説明が始まります。片隅の岩の配置は、【虎の子渡し】 を象徴するように、豪華なものです。襖絵は、狩野派の親子三代「狩野元信」「狩野永徳」そして「狩野探幽」の立派な絵が観られます。特に「探幽」絵の「水飲みの虎」は、有名です。何故か「三尊石」を象った石群があちこちの庭に見られます。別の枯山水の庭
2012.12.18
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日本の国は、本当に救われるのでしょうか。衆議院選挙の結果が出ました。投票率の低下の状況でも、自公で3分の2の「絶対多数」の国民の審判が、降されました。自公が強かったのではなく、余りにも酷過ぎる民主の政治の弱さ信用を失った批判票に過ぎないともいえます。幹部すら総崩れでした。自民党・公明党も、当選して皆様厳しい顔付にみえました。これからの日本の前途多難な、建て直し復興に心を引き締めて対処せなければならない重大な責任感を感じられたからだと思います。本日は、足利義満の定めた京都五山の 唯一の世界文化遺産で第一位にある 天龍寺をご紹介します。 【天龍寺】臨済宗天龍寺派本山 世界文化遺産に登録 開基 夢窓疎石 五山第1位庭園 特別名勝・特別史跡(国宝第1号の庭園)世界文化遺産の御紹介も清水寺・西本願寺・金閣寺・銀閣寺・二条城そして天龍寺まだまだ観尽くせませんね。嵐山渡月橋から「美空ひばり館」の前を経て、天龍寺に着きます。嵐山・渡月橋【足利尊氏】が南北朝の戦で、吉野で崩御された【後醍醐天皇】の菩提を弔うために、開山【夢窓疎石】を迎えて建立されました。この地は、元々後醍醐天皇のご幼少の頃の学問所で御霊の安らぎを考えての尊氏の配慮と想いが有ったものと考えられます。建設資金捻出のために、途絶えていました中国「元」との貿易を再開し【天龍寺船】を往来して経済や文化の輸入にも貢献しました。私たちの高齢の歴史観では、天皇に背いた逆賊の謀反者と教わり、神戸湊川神社では、「ああ・忠臣楠氏の墓」と「楠正成」を謳歌してまいりました。でも京都でのお寺の遺される事で、又の日に述べさせていただきます【等持院】は、尊氏一族「足利」の菩提寺で、「寺」と「院」では寺格が違い、尊氏の思い遣り、一歩引く謙虚さが、見えるように思えるのです。順路として「山門」から静かな敷地を歩み、心を静めます。1.【法堂】(はつとう)は選仏堂(座禅堂)ともいわれ、正面から覗きますと【釈迦・文殊・普賢三尊】と天井に【雲龍図】「加山又造画」が描かれています。仏殿。法堂2.受付でパンフレットを見ますと表紙の庫裏の写真で、庫裏の実物を見上げながら、龍安寺でご説明させてもらった「懸魚」「蟇股」が大きく見られます。そして「三尊石」も在ります。庫裏3.【方丈】白砂と苔の境界線で、「心字」が画かれています。屋根瓦の端には「天龍寺」の文字が設けられています。4.【曹源池】日本で最初の庭園形式に基づいて、夢窓疎石が作庭した素晴しい庭園で、嵐山嵐山を借景愛宕山を借景して、更にスケールが大きく感じます。正面に枯山水「瀧」をそして「三尊石」日本最古の「石橋」周りに「鶴島」「亀島」そして「船石」と庭園の要素を採りいれています。5.「亀島」から道なりに進むと池にそそぐ「遣り水」(やりみず)が【曲水の宴】形式になっています。国宝第一号庭園・曹源池6.【多宝塔】後醍醐天皇の尊像を安置、紫宸殿形式で、左近の紅梅・右近の白梅が備わり、後醍醐天皇供養の多宝塔その前庭の苔に包まれた小高い位置に後醍醐天皇の菩提塚が古びて立っています。天竜寺の裏口から出ますと、嵯峨の竹林を経て、大河内山荘へ嵯峨野めぐりとなります。嵯峨野の竹林こうしてリンクしますと、足利尊氏・義満そして義政に関係する寺院が世界遺産に多く登録されています。尊氏の要請で夢想国師が、天竜寺・苔寺を、義満は金閣寺を義政は苔寺に模して銀閣寺を建てました。文化に秀でた足利氏であったのですね。
2012.12.17
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日本の国 が平和維持のためには、強い経済力・外交力そして山中教授のように、技術の開発で、外国に軽視されない存在になるための施策の実践できる政治家並びに党を選びたいです。いよいよ総選挙投票日になりました。 南禅寺は、臨済宗禅宗の足利義満が定めた【京都五山の上】です。【京都五山第1位】は世界文化遺産の天龍寺でした。【京都五山第2位】は世界文化遺産の金閣寺・銀閣寺を外塔頭とした本山は【相国寺】なのです。足利尊氏は、良き協力者【夢想国師】に恵まれその基礎が宗教としても現在に評価されて遺産となつています。【法堂】の「鳴き龍」は龍の絵の特定の場所で 手を叩くと、「るるるん」と龍が反応するように反響がありました。 【相国寺】(しょうこくじ)臨済宗相国寺派大本山 開基 夢窓疎石京都御所の北側に位置し、あの有名な【金閣寺】と【銀閣寺】の【本山】で有る事は、意外と知られていません。同志社キャンパスの北側に拡がる、広大な敷地内にあります。足利義満が、室町幕府として、【花の御所】とも称した、北西にあります。 法堂 「鳴き龍」 外人さんも関心有名なのは【法堂】(はっとう)で、天井には「狩野光信筆」の【龍の絵】が画かれ、「下から手を叩くと」共鳴音が、響く所から「鳴き龍」と言われています。【承天閣美術館】(しょうてんかく)禅の総合美術館で、寺宝が展示されます。近代的な豪華な美術館です。【開山塔】開山 夢窓国師を安置する。前庭 開山塔の「龍淵水の庭 【大光明寺】(塔頭)(たっちゅう)普賢菩薩の霊場、現在相国寺の管長有馬和尚の住寺。 足利義尚の墓があるそうで、 大光明寺 【塔頭】寧ろ、西南の墓地には、父の【足利義政】と「群鶏図」で有名な、【伊藤若冲】(いとうじゃくちゅう)の墓が並んで、眠っているのが、印象に深く、残ります。 左から【藤原定家】 南中【足利義政】 右【伊藤若冲】 の墓「宗旦きつね」の祠」千宗旦がお茶席を留守にしている間に、狐が宗丹に、身を化けてお茶を立てた。という微笑ましいエピソードを祠に残しています。宗旦稲荷 【花の御所跡】同志社キャンパス内にあり、当時の立派な「敷石」が窓越しに、観られるように構えています。足利義満が建てたものです。 【足利義満】の墓が相国寺にあるはずが、未だなぞとなっています。一休さんと頓知比べする様子でしたが、自らを唐の国主に「日本の国王」となのるほどに、次男を寵愛し過ぎた為とか、長男より忌み嫌われた節があつたようです。 【大文字】の位置。 お盆の送り火に、「大」の字がともされますが、一説に京都御所に向かって、とあり、杯(さかずき)に酒を酌み、揺れる「大」の字を写して飲んだと、風流な光景ですが、銀閣寺の上にある「大文字」は、やや北西に向き、大本山「相国寺」を正面に「金閣寺」の「左大文字」と対向の位置に、有る事を、意識された方は、殆ど少ないと思います。 室町時代の栄華そして悲劇、歴史上の真実は判りませんが、関連して考えるとき、奥深さを覚えます。 こうして、観光も、一箇所を部分的で見るよりも、関連して、総合的に観ていくと、興味が沸くのではないでしょうか。 又、各宗派を知って、観ることも意識的に見方が深くなると思います。ガイドブックには、見る所を網羅していますが、観光の順路・見所・所在位置は、個人で行動される方にとつては、至難な業と思います、京都に住む友人から、「夫婦で、昨年清水寺に行ったが、舞台を観ただけで、今回のを見て、もう一度、確かめて観光してみたい」と励ましのメール戴きました。この方の為にも、可能な限り、進めて行きたいです。
2012.12.16
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昨日は、忠臣蔵の討入りの日だったのでしょうか、地元京都は山科にある大石神社付近で、四十七侍姿の行列と共にお祭りがありました。 浄土宗総本山【知恩院】の大きい寺院の境内を出ますと、【祇園】の街です。舞妓さんの踊る、祇園歌舞練場に隣接して、雰囲気は、一転して清楚に掃除の行き届いた、禅寺 臨済宗【建仁寺】に至ります。足利義満の決めた 京都五山の第三位に格付けされています。国宝・風神・雷神と天井の龍が有名で、そして庭園が美しいです。 風神・雷神図 国宝の模写 【建仁寺】臨済宗建仁寺派大本山 開山 明庵栄西 開基 源頼家 山号 東山 京都最古の禅寺で、鎌倉時代建仁2年(1202) 二代将軍源頼家(よりいえ)の庇護のもとに建立。年号を採って【建仁寺】とされました。 栄西(ようさい)禅師は、中国より、お茶の種を持ち帰り、高山寺で初めて栽培、喫茶の茶祖です。【建仁寺の学問面】(がくもんづら)秀でた禅僧排出されたことから。 禅問答の掛け軸○ △ □ の字は 江戸中期にかかれたそうです。 唐子の襖絵兎の襖絵 風神・雷神の襖絵 【方丈】「大雄苑」の名の枯山水庭園が広がります。花頭窓(かとうまど)からの方丈庭園 本尊は、十一面観音菩薩 【徳川秀忠・江】の娘 和子姫(まさこ) 後水尾天皇の中宮。【東福門院】寄贈三尊石の庭園【潮音庭】四方正面の三尊石 四季折々に苔も美しい。 【茶席・東洋坊】茶室の西側に有名な「建仁寺垣」が観られます。法堂天井に双龍が描かれ云います 天井・双龍絵ほかの寺院では めったと写せない天井龍です。【法堂】(はつとう) 釈迦如来と脇侍に迦葉(かしょう)・阿難(あなん)尊者が祀られ、天井に平成14年画かれた【双龍】小泉淳作筆が観られます。(あうん)の口をした2匹の龍が描かれ、阿形の手には玉を掴んでいます。禅寺では、龍を飾っていますが、龍は仏法守護として、また水の神として、雲を呼び、仏法の教えの慈法雨を降らせるとしています。【風神・雷神図】【国宝】(俵屋宗達絵)は、江戸時代。見事で有名です。現物は、京都博物館に保存。 十六羅漢像【陶製一六羅漢像】明治から大正にかけて作成 龍の襖絵【雲龍図】海北友松(かいほうゆうしょう)襖絵春日局の父君の友人 橋本関雪の襖絵 昭和15年大修理で60面描かれました。 祇園花見小路歌舞練場の側に、建仁寺が広い伽藍で、静寂の境内に臨みます。今回、ブログでご紹介しました【両足院】【半夏生】はその塔頭の一つでした。建仁寺・塔頭【両足院】半夏生京都観光寺院として、堂内は全て、写真撮影禁止とされていますが、驚きと感動を覚えました【建仁寺】は全て写真撮影可ということでした。皆様にご紹介出来て嬉しいです。
2012.12.15
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京都では祇園の【事始め】の行事が昔からの仕来りとして華やかで厳かにそして明るく行われました。平和を感じます。同じ日に、北朝鮮の国威を誇示する衛星の打ち上げ、そして中国は 時を同じくして 初の航空機による 尖閣諸島領域内に 次期日本政権の脅しともいえる 渦中に巻き込もうとしています。ゆゆしき平和を壊しかねません。遺憾の情勢をしっかり見守りたいです。 京都五山第三位は明日紹介します【建仁寺】で、本日は第四位【東福寺】に参ります。 序に第五位は、信仰を専属に対象としていますので、拝観寺院から外れます【万寿寺】となります。 【東福寺】臨済宗東福寺派総本山 開基 聖一国師 山号 慧日山「泉涌寺」から更に南に、歩を進めますと、広い敷地として、「東福寺」をはじめ塔頭が、存在します。「紅葉」の時期には、京都駅にも近いことからか、立錐の余地も無いほどに、人出が殺到します。 足利義満の決めた、禅宗の五山の第四番目に当たります。大きさを誇張するように、寺名も奈良の東大寺と興福寺から、一字ずつ採って名付けられたそうです。【七堂伽藍】(しちどうがらん)形式を採り、【伽藍面】(がらんづら)ともいわれています。 三門【三門】【国宝】禅寺としては、日本一古く大きいとのことです。扁額には【?雲閣】(みょううんかく)と書かれ、足利義持公の筆跡です。三門の上に登りますと、正面に釈迦如来像・十六羅漢像は定朝作と云われています。特別拝観で内部は拝観出来ます。 法堂【法堂】(はっとう)釈迦如来が祀られ、天井の龍の画は、【堂本印象】作です。時節(3月14日~16日)に【涅槃図】が、拝観できますが、此処も【猫】が神妙に構えて画かれている事で話題と成っています。何故なら「お釈迦さま」が亡くなる前に中毒の病で、空から「摩耶夫人」(まやふじん)母上が薬袋を投げられたところ【投薬の語源】【沙羅の小枝】(さら)に袋がひっかかり、【ねずみ】が木に登り取りに行こうとしたとき、猫が阻み、お釈迦さまのもとに間に合わなかったとのことで、十二支からも外され、功を得て、ねずみから始まる事に。 市松模様の庭園【本坊】方丈の西と北庭には、苔で【市松模様】で飾られ、芸術を感じさせられます。庭園は「重森三玲」(しげもりみれい)作です。塔頭寺院の【龍吟庵】も【霊雲院】の枯山水も同じ人の策定です。 方丈庭園 通天橋【通天橋】(つうてんきょう)この周辺が、「紅葉」で最も楽しめるところです。渓谷「洗玉澗」(せんぎょくかん)のもみじは、最高に美しいです。【開山堂】【普門院】開基聖一国師の入定の地で、ちょっとした庭園が広がります。
2012.12.14
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今年の漢字も【金】と決まりました。北朝鮮では、世界からの思いとどまるように警告されていても邀撃をさけて、猫だましのように 衛星の打ち上げを実行してしまいました。12月17日の父の1周忌までに国の偉勲を高めるために。人民は貧困に苦しみ、拉致家族の年老いて尚解決の糸口もなくて自国否 自分本位のリーダーを維持するだけで、とても遺憾に思います。 雪舟はわたしの幼い頃、漫画でみたことのある、画聖でなんでも、和尚さんにお仕置きを受けて、お堂の中で小僧として柱にくくられ、涙していたところ何時しか絵心ついて床に足でねずみを描いたところ、ねずみは生き物のように歩いたというほど絵が上手だったそうです。 【芬陀院】 (ぶんだいん) 東福寺の塔頭参道 雪舟庭園【鶴亀の庭】 雪舟は少年時代備中(岡山)の【宝福寺】ですごしました。東福寺の末寺法縁あって東福寺に起居していました。たまたま絵描きだけでなく庭園も作庭していました。ある日亀島を造ったところ住職が夜半にそっと窓を開けると、亀が動き出したので、驚いて雪舟に知らせましたら「重石をつけましょう」と石を載せることでとどまったそうです。今も石が乗っかっています。此の話を聞いた、後陽成天皇第九皇子【一条家第十四代の恵観】が雪舟にお願いして、【鶴亀の庭園】を作庭されました。 鶴亀の庭 曲玉の手水鉢と崩家形灯篭 茶関白 一条恵観公好みの茶室が鶴亀の庭の奥にありました。 真ん丸い悟りの窓 四角張った迷いの窓 外側から 関白 一条恵観公の【図南亭】 表玄関 東福寺は、如何だったでしょうか。塔頭まで皆様方は観られるゆとりがなすようですが、隠れた素晴らしい変化のある庭園でした。斯く記す私も初訪問なのです。ブログを書くことにに感謝です。明日は 本坊に参りましょう。
2012.12.13
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毎年恒例の清水寺で 森清範貫主さんの書かれた漢字は【金】でした。12月12日【漢字の日】 本日午後 逞しく 書かれました。明るい字が期待された通り、 オリンピックで金メダルを何時もより多かったことと、山中伸弥教授の ノーベル賞受賞の金字塔に掛けてこの字が選ばれて良かったです。
2012.12.12
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明日13日は、京都歌街では、【事始め】の行事が行われます。この日から 正月の準備をはじめるとして、1年の感謝の挨拶に回られます。「今年も よろしゅう おたのもうします」ご祝儀の舞扇子をお師匠さんからもらって、更なる芸の精進を志します。お歳暮の仕来りの もとになったともいわれます。 東福寺の本山の境内には塔頭寺院があり、夫々見所が有りました。 【退耕庵】(たいこうあん)塔頭 北門の近くに有ります。小野小町作と伝える高さ2mの【玉章地蔵】(たまずさ)(文)と「小町100歳」像が有ります。伏見区醍醐の「小野の随心院」にも有ります。 玄関までの路 入口の門 入った右側に お地蔵さんがあります。 岸信介基総理大臣の植樹 【霊雲院】(れいうんいん)塔頭 重森三玲作枯山水庭園。【臥雲の庭】(がうん)と【九山八海の庭】(くせんはっかい)金閣寺にも「九山八海の名石」(中国より取り寄せた)が有りました。凹凸に飛んだ又美しい庭園です。九山八海は、「蓬莱山」の形を現しています。 九山八海石塔 九山八海石塔 霊雲の庭龍吟庵にも黒い雲の表現としてありましたね。 庭園 六地蔵尊入口に新しいお地蔵さんが歓迎してくださいました。
2012.12.12
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曼殊院 三日に亘って ご紹介しました。 最終日 キリシタン燈籠と 民とお話しされる鐘の合図の写真を追加しました。如何だったでしょうか。徳川三代家光の封建時代に 既に民主主義を大切に 実行された 良尚法親王を讃えたいです。昨夜、スウェーデンストックホルムで 山中教授の ノーベル賞授賞式が盛大に行われました。 教授は奢ることなく 常に謙虚でユーモアも交え 現地の良さを讃えておられました。 相手を思う 思い遣りも 何か通ずる共感を覚えました。 今年の12月の紅葉です。12月の天得院の玄関東福寺の塔頭では、珍しい苔庭が見られます。別室では、精進料理も楽しめる料亭ともなつています。筆塚石組みと苔の中の桔梗 秋に撮ったものです 花頭窓から庭園を眺める 苔庭 京都にも、初雪が降りました。平年より6日早いということでした。金閣寺の屋根が 薄らと 雪化粧をしていました。
2012.12.11
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今朝の京都は氷点下2度 雪の予報です。 【曼殊院3】 大學新卒のタクシー学士ドライバーの実地研修会で教えた生徒が、最も観光地として、寺院にこれ程の深みのある「曼殊院」のことを会得し、その後も作成した資料を参考に、休暇中、友達と何回か自分のものにする為訪問したと報告がありました。中でもあるテレビ局が「外人の観光客」を女性学士ドライバーが、「曼殊院」を自信有り気に説明している報道が有り、とても嬉しかったです。8.「大書院」の縁側に出るや否や、お客様が歓喜の声が思わず発せられるほどに、美しい「枯山水の日本庭園」が目の前に展開しました。 宝船を表現または鶴島とも申します。9.廊下の角を曲がりますと、【小書院】の屋根が、【雁行形】(雁が規則正しく飛ぶ群れの形)は 屋根が二重に、雁が群れをなして飛ぶ姿 「桂離宮」にも有ります。此処は是非写真を撮られることですね。 10.「小書院」の廊下の屋根は又、【屋形船】の様に造られ、庭園を船に乗って観ることを意味して居るようです。 庭園に沿った廊下が屋形船に乗船して見渡すような作られています。11.その廊下の側に【梟の手水鉢】が有ります。手水鉢の周りに梟が彫られています。月をこの手水鉢の水面に写し、又反射して側の白壁に月の揺らぐ姿を鑑賞します。「間接的月の鑑賞」 手水鉢の四隅に梟があしらってあります。月の光を鑑賞12.「小書院」は、門跡が客を迎える為の最も貴重な場所で、一番奥に構えて居ます。二部屋あり、庭側に【富士の間】釘隠しが「富士形の七宝焼」で部屋の四方に飾られています、客人が座す部屋で、廊下の低い欄間越しに、立って見るのでなく、坐って鑑賞しますと更に美しく落ち着いて観られるように、作者は作庭しているようです。此処からの庭園の観方が最高と言うことです。 一番奥の「小書院」最も大切な部屋からの景色中心に「瀧石」が見えます。 正面にこの庭の中心的存在として、背の高い、【滝石】が目立ちます。裏の【八窓の茶室】からも真正面に観られます。 「茶室拝見」ご希望の方は、院内売り場で申し出になれば、説明付きで案内されます。 廊下の上に【閑静亭】の額が掛っています。松花昭乗(しょうしょうじょう)の筆によります。13.「小書院」【黄昏の間】(たそがれのま)玉座と床が有り。最高の間といえましょう。「富士の間」との欄間に表菊と裏菊が「市松模様」の透かし彫りで、玉座に灯された「灯」が菊花(皇族)を通して、客人に灯が共有する思考が伺えます。14.【枯山水の庭園】小堀遠州好みの庭園。庭園の要素が整い、眺めただけでも美しさが味わえます。此処【曼殊院の庭園】は他に類例を見ない、【仏教思想】を形で判り易く秘めている意義深い日本庭園と皆様に御紹介したいです。先ず、薬師如来の世界【過去仏】庭園の中心的【滝石】は生命の発生とも取れます。 立っている石を「瀧石」と瀧の流れを表現次いで 釈迦如来の世界【現在仏】庭園の中心部分全体で表現。【亀島】【鶴島】【石橋】【水分石】【蓬莱島】そして【五基の燈籠】(灯窓3・2・1・1・1計八灯窓)はお釈迦さんの50年の説法を【五時八教】に分けて説かれたことで、燈籠で表現。【鶴島】は 【宝船】にも見立てその松の下に【キリシタン灯篭】が有り、燈籠の下部に「十字架」が刻まれています。「良尚法親王」の母上が若狭の京極家で、クリスチャンで有ったことから、偲びつつ置かれたようです。そして、阿弥陀如来の世界【未来仏】「宝船」は西へと庭園の西一帯に赤い霧島ツツジが植えられ、正に夕陽に包まれ西国極楽浄土に迎えられる形式を取っています。 宝船が西向きに極楽浄土を真っ赤な「キリシマツツジ」で此処だけに迎える姿に作られて居ます。15.【宿直の間】(とのいのま)から通路に「華道」の「立花図」「香道」の「書式」「親王「竹」「書道」「竹筆」で書かれた展示が 見られます。16.最後に【三方正面の壷庭】の廊下に小さい釣鐘がぶら下がっています。近所の農家の民衆の方が、農作物を献上すべく訪れられたときに、合図の鐘といわれています「おお、よしよしありがとうよ」と良尚法親王」の声が聞えそうです。 媚竃 (ぴそう) の 実践。学士ドライバーの感想文で、最も肝に銘じた場所と書かれていました。
2012.12.10
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昭和天皇の時代は、終戦時 【玉音】として 現人神と奉り お声を初めて聞いた感動を覚えています。現在の天皇両陛下は、 国民の弱者に対して、身の危険も顧みず跪いて、対する人の姿勢にまで目線を優しく合わせて労っておられます。この思想は、皇太子殿下の時代に 此処曼殊院の 良尚法親王の家光時代の封建制度の中にあっての 民を大切にされたことをきっと感じられたものと思います。 【桂離宮】は、良尚法親王の親・兄で八条の宮家として建てられ天橋立が庭園に採り入れられているようでした。母さんが京極家で、丹後を偲ばれての心遣いでしょう。多くの方が【P70ちゃん】の桂離宮の写真観て頂いて嬉しいです。【曼殊院】では、寺院でありながら、庭園の中心に五葉の松を宝船としてその真中に、【キリシタン灯篭】が立っています。母さんがクリスチャンだったからとのことです。次回報告します。 【曼殊院2】 田舎風の小道を、登り詰めますと、「曼殊院」の勅使門に辿り着きます。門前は急な石段が構えられ、周囲は石垣の上に白壁で五本の筋が入った格式の高い寺院として圧倒されそうです。勅使門の前には、各皇族の方々のご訪問を記念された「植樹」が目立ちます。 順路として「北門」から拝観出来ます。媚竈(びそう)1.【庫裏】(くり)の玄関面に良尚法親王の直筆で【媚竃】(びそう)の額が掲げて有ります。 竹筆の隷書です。論語に「その奥(目上)に媚(こ)びるより、竃(かまど)で働く人に媚びよ」から掲げられたようです。現世でも中々実行しにくい事柄です。訪問して筆頭考えさせられる、民衆的優しい思い遣りが伺われます。2.台所から大玄関への廊下伝いに、「皇室」の来られた写真が、飾られています。3.表玄関の手前の部屋では、日本初の版画で 「竹」 模様の襖が見られます。 「竹の内御殿」 の趣からでしょう。4.【大玄関】(先入関)は高貴の方の入り口【勅使門】からの玄関です。来客に威厳と興味を、持たせる為に、「竹と虎」 の襖絵が構えています。「狩野永徳」の絵で、此処での見ごたえは、正面の虎が何故か、竹を噛み締めている異常な絵なのです。思考しますに弟ゆえに出家、と言う「竹」という権威・制度に噛み付く絵師の「良尚法親王」への心遣いとも採れます。5.【孔雀の間】此処でも親鳥と二羽の子鳥が仲良く餌をついばめているシーンから、一羽は母さんと飛び立ち、一羽は残され「しょぼん」としている、そして親鳥は天へと孔雀の一生を江戸後期の絵師「岸駒」(がんく) が画いています。「しょぼん」姿が「良尚法親王」か?岸駒は「清水寺でも虎の石碑」が有ります。又「長野の善光寺の出張先」として「仏間」が兼ねて有ります。一生に一度は「牛に引かれて善光寺詣うで」ここでも済ませます。6.廊下伝いに【大書院】へ「華の間」では、法親王の画かれたカラーの屏風が置かれています。其の隣の間は、天井の桟が、正面に対して突き刺さっている仕組みで、不吉な感じがしますが、後程の「宿直の間」(とのい)も正面床に突き刺さっています。法親王の寝所として何時命を奪われるか、覚悟を決めて居られました。武士の居間の床にも敢えてこの形式を採るそうです。7.【大書院】「滝の間」の襖絵に中国人が囲碁を楽しんでいます。襖に向かって碁盤を眺めながら、蟹歩きのように移動しますと、碁盤が小さく成ったりします。欄間に卍型が見られます。「十雪の間」は【仏間】でもあり本尊は「阿弥陀如来」で他に十一面観世音菩薩(北野神社にあったものを当院に移されました)【曼殊院棚】 は仏間の隣に有ります。 【桂棚】 に似せたもので、「違い棚」は段違いも有りますが、材質も細かく違っていて、芸術美を感じさせます。【大書院】の外側に【塵慮尽】(じんりょじん)の額が飾られています。「よこしまな心を払い取り除くの意が有ります。写真撮影が禁じられていますので、言葉の説明で解りにくいですが次回 庭園は写真でご紹介出来そうです。
2012.12.09
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昨夜は、3.11を思い出す 津波警報発令の地震の余震でした。じもとでは、サイレンの音そして避難勧告の呼び声が恐怖感を味わわれたことでしょう。幸い大事に至らずよかったです。本日は、12月3日に天皇陛下並びに皇后陛下がお揃いで門跡寺院にごほうもんされましたので、ご紹介します。天皇陛下は皇太子殿下の時に二度ほどお見えになっておられます。 本日からの3回分の【曼殊院】は、私の京都観光として、最高の奥深い意義の濃い内容の観光地と心得ます。写真撮影が、禁じられていますので、充分に理解を得られないことが残念です。 勅使門壁には最高位の寺格「5本線の筋塀」があしらつてあります。【曼殊院1】(まんしゅいん)天台宗の五門跡の一つ 開基 是算(ぜさん)(菅原一門の出身) 大原街道も街中に、「白川通り」から東山山麓に位置し、【修学院離宮】と広域の隣接地に【曼殊院】が静かに存在しています。素晴しい観光地でありながら、観光バスが入れ切れない状況で、コースから、外されています。従ってタクシー貸切を利用されます。 天台宗の格式高き門跡寺で、京都の寺社数ある中で、皇室のご訪問されたのは、少なく、此処では、皇太子殿下・秋篠宮殿下の学生頃に、そして「紀子妃殿下」もお一人で来られた写真が展示されています。 天台宗五門跡から天台座主に成られる傾向も可也有り、現代256世天台座主半田孝淳大僧正は、当所曼殊院に門跡から推挙された方でも有ります。 主人公は、【良尚法親王】(りようしょう)で、今から380年前、徳川三代家光の頃、「八条宮智仁(としひと)の次男坊に産まれたばかりに、寺を与えられ僧となられました。いわゆる出家されました。同じ母親から腹を痛め、長男「八条宮智忠(としただ)親王」は父君と【桂離宮】を造られました。【修学院離宮】を造られた「108代後水尾天皇」とは従姉妹同士の関係です。 「良尚親王」のお気持ちを推し計ってか、襖絵などに、それらしく画かれた部屋が有ります。 然し、ご本人は、度量の大きい方で、五道の達人の結果を遺して居られます。そして封建時代に有って、今で云う「民主主義」の優しい志を持たれたことも、遺産として随所に遺されています。書道(竹筆)・華道(立花図)・香道・茶道(八窓茶室)・画道(色彩採用)そして仏への道と。 その上「小堀遠州好み」の「枯山水の庭園」を眺めながら、一生を優雅に過ごされ72歳に遷化されました。一方宮家を継がれたお兄様は、宮家の護持に気を配られてか僅か35歳の若きご生涯を閉じられました。何れが幸せであったのでしょうか? 「良尚親王旗」にも【竹】を、図柄に採り入れられています。「竹の内御殿」とも言われます。随所に「竹」が現れます。何故なら、「開基是算」は「北野天満宮」にも関係しその「梅」そして天台宗の本山「比叡山延暦寺」の「松」合わせて「松竹梅」となり、修行の一つに経を唱えながら、わらじ姿で小走りに「阿闍梨」(あじゃり)さんはこのルートを通られます。 【桂離宮】は宮内庁事務所から許可証が必要ですが、此処【曼殊院】も父上と兄上の意に、適う為、「雁行型の屋根」等に離宮の類似点が観られます。「桂棚」に対しても「曼殊院棚」も其の一つで、「桂離宮」の面影が伺い知れます。桂離宮に関しましては、私のブログの訪問者が今回桂離宮を予約申し込まれ、素晴らしい得難い庭園茶室の写真を撮って居られますので、是非Googleで「P70ちゃん」と検索され「P70ちゃんプロフィールなおさん時々チャモのブログ」を開けてみてください。きっと感動されると思います。
2012.12.08
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異常気象で、各地で被害が出ています。再び停電騒ぎも北海道でありました。冷え込みが厳しいです。 大覚寺は世界府文化遺産に指摘もありましたが、有名であって国宝級の建物・仏像が無く、世界遺産に登録されていませんが、京都の都造りを嵯峨天皇と弘法大師さんと常に親しくご相談あって基礎的な都が生まれた、由緒ある嵯峨御所として貴重な歴史を持っています。 【大覚寺】真言宗大覚寺派総本山 開基 嵯峨天皇 山号 嵯山 玄関 華道嵯峨御流 さがごりゅう 「大覚寺」は「嵯峨天皇」の離宮を寺に改め、代々法親王が継がれた格式の高い門跡寺院でも有ります。境内は渡り廊下で繋がり、広く、今でも御所風の雰囲気に満ちて、優雅な気持ちを味わう事が出来ます。 玄関(何故か「明智門と言います)の門を潜りますと、豪華な「御嵯峨流」の生花が歓迎してくれます。明智門 各部屋の襖絵には、狩野派の画家によるものが、観られます。【宸殿】(しんでん)後水尾天皇の中宮(皇后)「東福門院」の旧殿を移築されたものです。 宸殿家光の妹 東福門院さんが御所で使われたたてものを移築 前庭に、「左近の梅」「右近の橘」が構えています。「桜」のはずが、100代後小松天皇まで「梅」でした。【勅使門】 勅使門 【御影堂】嵯峨天皇・後宇多法皇が祀られて居ます。御影堂左 嵯峨天皇 右 弘法大師 を祀る御影堂から 勅使門を眺める舞楽を舞う台 【御霊殿】後水尾天皇の御法体尊像が祀られて居ます。【五大堂】弘法大師御作と言われる「五大明王」は「嵯峨天皇」が祈願される「本尊」でした。【霊明殿】嵯峨天皇・後宇多法皇を始め歴代御門跡の尊牌、全国華道の師範の霊が納められています。【心経殿】般若心経の写経場。 嵯峨天皇が弘法大師のお勧めで、写経された所、世の悪病が鎮まり、その後も引き継がれています。若い訪問者も増えています。【正寝殿】南朝・北朝が講和された歴史的場所と成っています。結果南朝の後亀山天皇から、北朝の後小松天皇(一休和尚の父君)へ譲位されました。境内のもみじ 境内から大澤の池を望む。 池を眺める展望舞台 京都観光の人気の高い嵯峨野巡り、スケールの大小、壮大さ、侘びしさ、祈りの場、紅葉・桜の名所、景色の名勝、竹や苔の美しさ、悩める人には慰めてくれる環境。変化があって、四季を通じて、又感想が違うそして、詩歌の跡の文化を味わう観光地でした。この時間から 国立病院に 検査のため出掛けます。明日は、天皇陛下が12月3日訪問された 曼殊院を再録します。
2012.12.07
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京都南座歌舞伎が興業されてる中で 中村勘三郎さんの突然の訃報は残念でなりません。 57歳 癌の仕業 どうにもならなかったのですね。入りにくい歌舞伎の世界を 笑いも時には含めて 解り易い 演技で魅了させてくださいました。 心よりご冥福を祈ります。12月の大沢の池の様子をご紹介します。時代劇の ロケ地として よく出て来ます。お茶屋からの大沢の池お茶室のもみじ境内の入り口付近遍照山(へんしょうやま)を池に映す景色遍照とは 遍く照らす 即ち 太陽の光を表現しいては 仏の慈悲神仏混合から お寺の境内には 神社の祠がありますロケによくてできます。写経されたものを収めている塔です池を巡ります池の向かい側の景色です池を巡ります 赤い橋が 見えてきましたこの奥に 名古曽の蹟があります とても奥で 引き返しました紅葉 青い 空と池小さい池赤い橋と向かい岸もみじ 点在写経 納経堂風車は参拝者の奉納で東日本大震災の慰霊と復興を祈願した奉納です明日は、大覚寺の境内をご紹介します。明後日には、今回天皇両陛下が 訪問された 曼殊院を再録したいと思います。
2012.12.06
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天皇両陛下が、私の京都観光で 一番のお薦めしたい寺院である【曼殊院】に12月3日 ご訪問されました。そして 昨日4日には、明治天皇がお亡くなりになって100年にあたり 明治天皇そして 昭憲皇太后の桃山御陵に参拝されました。 嵯峨釈迦堂 仁王門 紅葉が見えます本堂境内の紅葉【宝筺院】 (ほうきょういん)楠木 正行 (くすのき まさつら) 足利 義詮 (あしかが よしあきら) 両菩提所表門入口入り口付近 菊の花も境内一円 紅葉 隠れた名所本堂前もみじの絨毯本堂内の まさつらと僧侶の絵本堂から 庭園展望本堂からの眺め庭園散策家紋 左 二引きの足利家 右 菊水 楠木家左 第二代足利義詮の墓 右楠木正行の首塚初代足利尊氏は 後醍醐天皇の菩提のため 天竜寺を親子二代で 敵であった方の 人は憎まぬ史跡が伺われます。庭園を鑑賞山茶花も まけずに白い山茶花も ありますよもみじの絨毯と 木漏れ日以前には、それほど紅葉していない様子を御所絵介しています。今回は、もみじの絨毯を味わってきました。車夫の方の 観光が多く やはり穴場として 多くの車夫の方々のご案内が多かったです。車夫の方は、とても 礼儀正しくって、 関係のない老人にも 「こんにちわ」と笑顔で 挨拶が徹底しています。 観光関係として とても大切なことと気持ちよくしました。明日は、大覚寺 大沢の池のもみじをご紹介します。
2012.12.05
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快晴に恵まれ 青空に映える景色は 一段と美しさを反映してくれました。渡月橋から、錦の嵐山の景観を眺めつつ 大堰川伝いに 船乗り場の先を右折したところに 隠れた紅葉の名所がありました。【宝厳院】 (ほうごんいん) 天竜寺の塔頭で 今回秋の特別公開として12月の紅葉の状態を観に出かけました。 みぎて須弥山を三尊石と共に築山になり丸い石群は 人生を表す 苦海が広がっています苦海の中に 「此岸」から「彼岸」に渡る 舟石が配置されていますすすきともみじ本堂 獅子の岩庭園全体を 「獅子吼えの庭」と名付けられ室町時代に中国に 二度渡った禅僧の作庭獅子吼えとは 仏が説法するの意で、庭内を散策することで、鳥の鳴き声 風の音を聞くことで 人生の心理 正道を肌で感じるこれを「無言の説法」といいますが、心癒されます。もみじの絨毯 苔ともみじ青空に映えて 左の山は 嵐山です 借景転々としているものは 夜間 ライトアップする装置です 昔 渡月橋に飾られていた 橋標大堰川 (おおいがわ) もみじの絨毯 いかがでしたでしょうか。
2012.12.04
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師走に入っての 紅葉狩りは 体験がないのですが京都は朝から晴れていましたので 朝一番に出かけました。意外と観光客は 減らずに 賑やかでした。取りあえず 渡月橋付近の 紅葉をご紹介します。 料亭 吉兆 明日から 紅葉の名所 3か所 ご紹介します。
2012.12.03
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東福寺の紅葉の名所として、大勢の鑑賞する方々で賑わいましたが本坊の裏手に位置する塔頭寺院 【龍吟庵】の特別公開されていることには、無関心で 人影もまばらでした。私も、紅葉の取材に訪問し、家に帰って、特別拝観が催しされていることを知り 日を変えて再び訪問してきました。【龍吟庵】 (りょうぎんあん) は、 東福寺第三世住持 大明国師の墓所が有り、室町時代 足利義光の揮毫の 龍吟庵の額縁を拝する 日本で最古の国宝の方丈が 遺されており 書院造り・寝殿造りとして 貴重な建物が拝観することが出来ました。通天橋と同じ渓谷洗玉澗(せんぎょくかん)に架けられた偃月橋(えんげつきょう) 方丈庭園 枯山水 竹垣は 龍を呼ぶ 稲妻模様 西側庭園 龍の庭龍が海中から黒雲を得て昇天する姿竹垣は稲妻模様重森三玲 作庭龍の庭黒い雲を表現開山堂 東側の庭園 不離の庭長方形の赤砂はめずらしいです長石を臥せ その前後に白黒の二石を配し幼少のころ狼に襲われそうになられたとき国師の身を二頭の犬が守ったという故事により配されましたやはり竹垣には 稲妻模様国宝 寝殿造りの方丈額縁は正面から写すことは禁じられましたもみじ 熊笹 表門 重要文化財奥に寝殿造りの屋根がみえますもみじの美しさも少し見えました
2012.12.02
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とうとう12月に入りました。南座の歌舞伎は 恒例により30日昼夜通しで鑑賞できる豪華版で賑わいました。 嵯峨野は祈りの道として、相応しく、天台宗の僧侶で仏師であった「西村公朝おしょうさん」が有志で羅漢さんを信徒の彫られた石像が奉納されています。【仏像】の知識はこの方のお話や本で解かり易く教えていただきました。一生感謝しています。 【嵯峨野巡り10】 嵯峨野巡りの道は、愛宕神社への愛宕街道とも言われています。その「一の鳥居」に至る、古い町並みを京都市で数少ない、【伝統的建造物群保存地区】として、指定されて居ます。鳥居を挟んで、手前に【蔦屋】(つたや)越して【平野屋】と言う萱葺きの茶屋がとても風情が有ります。鮎料理が主で、表に「赤い毛氈が腰掛に敷かれているのが印象的です。 愛宕山の愛宕神社の一の鳥居【蔦屋】平野屋 上から写す【平野屋】愛宕神社産気の古くからの茶店 更に道を進めてまいりますと、自動車道と交わる所に、「愛宕寺」が有ります。【愛宕念仏寺】【愛宕寺】(おたぎじ) 天台宗 開基 弘法大師 山号 等覚山「あたごじ」でなく「おたぎじ」とよばれています。京都市内で一番高い「愛宕山」頂上に「敵は本能寺にあり」とと号令した明智光秀か神託を受けたと言う「愛宕神社」の参道に有ります。 故西村公朝(にしむらこうちょう)和尚さんの寺です。ご生前中「祈りの造形」と題して、NHKの3ヶ月に亘る講義から、仏像の基本的な観方を興味深く教えて頂き、京都観光奈良も含めとても参考に成りました。「国宝の審査委員でもあり仏像修理」の担当出来る「仏師」でもありました。 現在も本屋で、仏像に就いての「公朝」さんの本が見つかれば、京都・奈良の仏像鑑賞にとても役立つと確信します。仁王門【仁王門】の側に「三宝の松」が一本有ります。「将軍塚」の「三鈷の松」(さんこのまつ)と同じく何か宝物が得られるのでしょうか? 有志の素人さん方々が彫られた羅漢さん 【羅漢石仏】(らかんせきぶつ)現代一般有志の方の志望で、一個の石が与えられ、各自の構想で、「羅漢像」を彫られたものが、数多く並んでいます。笑顔あり何とも云えない表情が夫々伺える様です。 本堂鐘楼境内本堂は坂の上に、そして境内を通して仁王門が見えます。境内に羅漢さんは数知れず多く奉納されています。 【本堂】空也上人の弟子の「千観内供像」が有ります。 現代の自動車道は、過去電車が通って居りました。「愛宕寺」の側から「トンネル」があり、越した所まで、通じていました。何故なら、「愛宕山」山上の「愛宕神社参詣」の登り口に至る為でした今は廃線となり、自動車で、【清滝橋】即ち登山登り口まで行けます。先に述べましたとおり「明智光秀」も愛宕詣でで,神託を得たとして、「敵は本能寺にあり」と丹波行きを返して都に攻め入ったとも言われています。火の神様です。 「清滝」の渓谷の清流は、とても景観で静けさを感じさせます。紅葉の景勝地でも有ります。 嵯峨野巡りは、如何でしたか?皆様のご来訪数が伸びて、やはり関心の深さに感謝しています。一度は日本にこんな素晴しい心琴をもたらす、文化の象徴とも言える場所へのご来訪をお待ちしています。
2012.12.01
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