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2024.02.18
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カテゴリ: 報徳記を読む

琉球中山王両使者登城行列
「豊田正作の『報徳教林』に
『日本ノ西方に当タリ、海陸千里ヲ隔テ、琉球国 中山王ノ使、尊来ニツキ、
アア有難キ御代ナルカナ、御代ナルカナ、ワガ国人、ワガ国ヲ尊敬スベシ。 
忘るなよ唐土(から)天竺の人々も わが身を恵むこのひの本を
 天保三辰年十二月   不二山旭流郷産 空風軒赤白子常行謹述』とある。
 これに添え書きがあって、
「正作、辰ノ口お屋敷(大手前の老中屋敷)にまかり在り候みぎり、
二宮先生おいでこれあり、右様の御名は初めて認(したた)め候なり。」としてある。
 天保三年、閏十一月二十一日の尊徳自筆日記に、「空風軒赤白子勤食常行一尊」と書いてある(「全集」35巻448頁)。
 琉球国の中山王第18代の尚育王使節200人の行列は11月13日に箱根関所を通り、16日に雪の江戸へ着いた。たまたま江戸にいた尊徳は、この珍客に接して 「アア日本ノ徳、有難シ日本ノ徳」 と感激した。
 次の「忘るなよ」の歌は、なぜ外国からこのように来てくれるかを考えると、それは日本が「日の本」だからである。
日の恵みを受けて農耕をして、はじめて人類の文化生活が開闢する。中国でもインドでもそれは同じだ。その根本を忘れてはならない、というのである。それは草稿で 「◎農本」 と書き、 「唐土天竺農人々」 と書いていることでも知る事ができる。
 江戸で打合せをすませた尊徳は、11月27日に桜町に帰着すると、素晴らしいことをやった。この年の大豊作に乗じて、租税を全免し、各戸に積立をさせたのだ。それは稗の作付奨励とともに、第一期の「復興」仕法に次ぐ「永安」仕法の着手だったが、この用意は翌天保4年の飢饉に役立った。
 この年の豊作は田畑ばかりでなかった。尊徳の思想も、仕法成功の自信に支えられて、素晴らしい実りを見せた。それも閏11月7日から22日まで、わずか半月ほどの間に『爆発的』に起こった。右行(ゆうぎょう)・斗行(とぎょう)といった不二孝の高弟を相手に、論じては考え、考えては日記に書き付けていくうちに、彼の思想の骨組みが、ほとんど出来上がってしまった。だから、21日の草稿、なかんずくあの長々しい名前には、この間の思想展開が集約されているのだ。
 まず肩書きの「不二山旭流郷産」というのは、「おてらしに不二の白ゆき和らぎて ふもとの流れ幾代経るとも」の歌で一応説明がつく。不二は、不二孝連中の尊崇する霊山であると同時に、「不二・一元」の哲理を示す。天地も陰陽も、有無も善悪も、二つでなく一つであり、青黄赤白黒の五色も、空風火水地の五大も、ことごとく悟ればもとは一つである。「空風赤白子」はそれを示す。そして「一尊」は「始りも終りも一つ、己が身も 一つのうちに一つ尊し」の歌からくる。
 しかし「ふじの山のぼりつめたる夕べには 心の宿に有明の月」と。悟りに達しただけではだめで、勤めて食い、天地の間に人道を行う庶民の日常生活が「空」の実践として道徳になるよう、指導しなければならない。それが12日の日記にある「三才道・五常行」だ。これで山頂から山麓まで、思想体系が一貫する。右行・斗行が感心したのも無理はない。
 暮も迫った12月28日、尊徳は再び江戸に出た。桜町の余力により、磯崎・矢野・豊田などを世話人にして、小田原藩士に「報徳元恕金」の貸付を始めるためであった。この時尊徳は、草稿を書き換え、その名も「空風軒赤白子常行」と整理して、彼らに示した。仕法成功の自信と、思想醸成の喜悦がみなぎる、46歳の尊徳の試筆であった。」


天朝は言うに及ばずあらゆる国々もまたまた是の如きなり





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最終更新日  2024.02.18 20:07:54


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