MM2022のブログ

PR

プロフィール

MW2022

MW2022

カレンダー

コメント新着

天国にいるおじいちゃん@ Re:打席に入る前に、バットを天にかざして、天国にいるおじいちゃんに『力を貸してくれ』(08/24) 天国にいるおじいちゃんについては、 089…

キーワードサーチ

▼キーワード検索

2025.04.26
XML
カテゴリ: 坐禅
「生活即禅」16

  禅は生活の態度である
 生活ということにはいろいろありまして僕は生活が困難でという、生活はただ食うというだけの生活である。その外に我々の昔し向きには寝るのも起きるのも生活である。大勢の人が共同生活をする場合に一人でも生活の態度に欠陥のある人がいると、その共同生活は壊されて、これは僅かなことでありますが、便所がよごれたり洗面所がよごれたりする。こういうように朝から晩までのことをよく見まして、この生活の態度を自他共に互いによく睨み合せて、これは人の為に害になりはしないか、あるいはまた自分自身に早晩還って来る害ではなかろうか。始終注意しなければならぬ。自他を利益する。即ち自己と他人と両方が利益になることを常に工夫するのが仏教というものである。
  態とは儀なり成なり形なり
 態度というものは、我々の顔つき一つでも我々お互いの間に影響を及ぼすものである。始終苦虫をかみつぶしたような顔をしておっては、世の中が冷たくなってしまう。私らは本山にいても雲水を怒り、また駒澤大学におってもやむを得ず学生を叱ります。これを年がら年中やっていたら大変です。自分も窮屈なら人もたまったものじゃない。我々が生徒を相手にしておって急所を外れた態度を執ったら、あるいはストライキが起こるか、排斥運動が起こるか、あるいはそうでなくとも折角の我々の教育というものはなりたたない。我々は一生の中に何万人の人に付き合うか知りませんが、毎日目まぐるしく移り変わっていくその間に、我々の生活態度がうまく命中しなくて、これはしくじったと思うようなことがあるものです。
「宗教は我々の肉体で直に人間の魂と触れ合う一番大切なものである。」そこで我々の態度を考える時に宗教というものはただ亡者の呪いではなくて、我々の肉体で直に人間の魂の触れ合う一番大事なものである。つまり事上磨練という言葉がありますが、これは精神鍛錬でなしに肉体も鍛錬するのである。皆さんは精神の鍛錬をすると同時に肉体の鍛錬をされるのだから、青瓢箪の哲学者とは違う。ただ机の上だけで神経衰弱に罹っていたり、素人に分らない文字でごまかす輩とは違う、生きた筋肉でやっておられるのだから、これは本当の事上磨練である。
  事上磨練をやってる人はどことなく底力がある。
 本当の事上磨練をやっておる者はどことなく底力がある。我々の修養とか鍛錬をとかいうことは、精神という無形なものだけでなしに形の上にも現れなければならん。形とは儀なり、威なり、態なり。我々は朝から晩までやれ国旗掲揚とか、あるいは東方遥拝とか、いろいろな儀式があるが、これは事上磨練です。最敬礼の場合に俺は形は寝転んでおるが心では最敬礼しておるのだ、といってもそれは最敬礼にはならない。儀というのは態度です。(「生活即禅」p.44-46)





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2025.04.26 13:00:10


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X

Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: