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2025.04.27
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カテゴリ: 報徳記を読む
報徳記巻之5   【6】小田原領駿豆相飢民に撫育を行ふ その4

報徳記&二宮翁夜話198

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「安居院庄七と鷲山恭平」を本年2月出版しました。本書はすでに安居院庄七の生誕地・秦野市及び足柄上郡各町の教育委員会を通して、図書館・公民館図書室・全小学校・中学校に寄贈しました。
安居院庄七終焉の地、浜松市の全図書館にも寄贈し、浜松市立中央図書館では、既にに蔵書となっています。また東京都立図書館の蔵書にもなっております。
現在、神奈川県と静岡県の公共図書館に寄贈を進めています。
神奈川県秦野の大山御師(相模国大山の先導師)の出身で、50歳過ぎてから「報徳の教え」に目覚め、「報徳を広める」志を抱いて、遠州一円に報徳の教義を伝え、報徳社を続々と設立させた安居院庄七、その教えを受けた遠州報徳の指導者達、そして安居院先生の伝記を記した鷲山恭平氏に連なる遠州報徳の指導者たちの偉大な功績を広く次の世代に、そして現代共に生きる人々に知らせるプロジェクトです。

尊徳先生は大久保忠真候の逝去されたことを聞いて、慟哭悲歎し涙を流して言われた。

ああ、私の道はついにここに窮してしまった。
賢君が上にあってこそ私は安民の道を行うことができた。
私は始めて命を受けてから10数年間、千辛万苦をつくしてきたのは何のためか。
上には明君の仁を広め、下には万民にそ恩沢をこうむらしめようとするだけだ、ほかに何があろう。
ついにその事業はなかばに至ることなく、殿は忽然として逝去されてしまった。
今後、誰と共にこの民を安んずればよかろうか。

と大きくため息をつかれて、その悲痛のありさまは前後を忘れるほどであった。
暫くしてその容貌を改めて毅然としてこう言われた。

ああ、憂心歎息が度を過ぎるときは、飢えた民の救助の道を怠ることになる。
一人の民でさえ失う時は、殿の尊霊はどんなにか歎かれることであろう。
一刻も早く殿の仁沢をあまねく施してこの民を救わなければならない。

と、涙をぬぐって、村々をまわり、一村ごとに無難(ぶなん)・中難(ちゆうなん)・極難(ごくなん)と三段に分けて、穀物を貸与する人数を定めた。

極難のものが償還できない時は一村の力でこれを償還するべき約束を定めた。
蔵の米が到着する間も死亡を免れないような飢えた民があった。

近いうちに殿の恵みがあって汝等一人も死亡に至らないように救助がある。
暫くの飢渇はこれをもってしのぐがよい。


飢えた民や病気の者は数日、絶食してその容貌は疲れやせて立ってこれを受けとることもできなかった。
ただ、先生に合掌して拝み、涙を流してその救助のかたじけないことを感謝した。
これを見る人、皆落涙しないものはなかった。
駿河・伊豆・相模(さがみ)の領中の村々をこのように回り歩くこと数日で救済のの道はことごとく備わった。
救済したものは、合計で飢民40,390余人である。
天保9正月から5月の麦作の実りまでの食糧をゆたかに貸与したため、領中から一人の民も離散や死亡に至る者もなく、無事に大飢饉の憂いを免れたのであった。
実に先生の非常な丹誠によるもので、一世の心力をつくした。
古今比類のない救済の良法を行ったのであった。
領民は必ず死に至る大患を免れて再生の思いをした。
その大恩を感動し、感謝することは深く、数万の貸与の穀物は一人として不納はなく、約束を守り、五年で皆納するに及んだ。
これを以て民心の感動の深さを知るべきである。
これにより小田原領は先生の良法を慕って、旧弊を改めて大いに風化する発端となった。
救済の正業は外に全備の帳簿がある。
だから今はその概略を記すところである。


報徳記

巻之五【6】小田原領駿豆相飢民に撫育を行ふ

先生君候の逝去し玉ふ事を聞き、慟哭悲歎流悌(りうてい)して曰く、
嗚呼(あゝ)我が道既に斯(こゝ)に窮せり。
賢君上に在(いま)し我をして安民の道を行はしむ。
臣(しん)始めて命を受けしより十有(いう)餘(よ)年千辛萬(ばん)苦を盡(つく)せるは何の爲(ため)ぞや。
上(かみ)明君の仁を擴(ひろ)め下(しも)萬民(ばんみん)に其の澤(たく)を被(かうむ)らしめんとする而已(のみ)、豈(あに)他あらんや。
遂に其の事半(なかば)に至らず、君奄然(えんぜん)として逝去し玉ふ。
以來(いらい)誰と共に此の民を安んぜんや 

と大息(たいそく)悲痛自ら前後を失するが如し。
暫くありて容貌を改め毅然(きぜん)として曰く。
嗚呼(あゝ)憂心歎息度に過ぎ飢民救助の道を怠り一民だも失ふ時は、君の尊靈(そんれい)何ぞ歎き玉はざらんや。
一刻も早く君の仁澤(じんたく)を布(し)き此の民を救はん而已(のみ)

と、涕(なみだ)を拭ひ廻村し一邑(いふ)毎に無難(ぶなん)中難(ちゆうなん)極難(ごくなん)と三段に分ち、賑貸(しんたい)の員數(ゐんずう)を定め之を償はしむるに五年を以てし、極難のもの償ひ難き時は一邑(いふ)の力を以て之を償ふべきの約を定めたり。
廩粟(りんぞく)至るの間も死亡を免れざるの飢民あり。
先生數(すう)百金を懐にし、此の如き飢民一人毎に之を尋ね、自ら金を與(あた)へて曰く、
近日(きんじつ)君の惠(めぐ)みありて汝等一人も死亡に至らざるの救助あり。
暫時(ざんじ)の飢渇之を以て凌(しの)ぐべし

と云ふ。
飢民或(あるひ)は病者數日(すうじつ)の絶食容貌疲痩(ひそう)立って之を受くること能はず。
只(ただ)合掌流涕(りうてい)救助の忝(かたじけ)なきことを謝せり。
人皆落涙せざるものなし。
駿豆相(すんづさう)の領中村々是の如く回歩數日(すうじつ)にして救荒の道悉(ことごと)く備はり、都合飢民四萬三百九十(40,390)餘(よ)人、酉(とり)正月より五月麥作(ばくさく)實(み)のりまでの食を優(ゆた)かに賑貸(しんたい)し、領中一民も離散死亡に至れる者なく、無事に大飢(だいき)の憂ひを免れたり。
實(じつ)に先生非常の丹誠一世の心力を盡(つく)し、古今類(たぐ)ひなき救荒の良法を行ひたり。
領民必死の大患を免れ再生の思ひを爲(な)し、大恩を感戴(かんたい)すること深くして數萬(すうまん)の貸粟(たいぞく)一人の不納なく約(やく)を守り、五年にして皆納(かいのう)に及べり。
是を以て民心感動の深さを知るべし。
是小田原領先生の良法を慕ひ、舊弊(きうへい)を改め大いに風化(ふうくわ)せるの發端(ほつたん)なり。
救荒(きうくわう)の正業外に全備(ぜんび)の簿(ぼ)あり。
故に今其の概略を記す。





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最終更新日  2025.04.27 00:00:23


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