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2025.08.01
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カテゴリ: 報徳記を読む
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【11】 儒学者があって尊徳先生に言った。

「孟子はやさしいが、中庸は難かしい」と。

尊徳先生はこうおっしゃった。

「私は、文字の事はしらないが、これを実地正業に移して考える時は、
孟子は難しく、中庸は易しい。
なぜかといえば、孟子の時代には、道は行れず、異端の説が盛んであった。
だからその弁明をするため、道を開いたのだ。
したがって仁義を説いて、結局仁義そのものの実践からは遠ざかっている。
君らが孟子を易しいといって孟子を好むのは、自分の心に合うためである。
君らが学問をするの心は、仁義を行おうために学んでいるのではない、
道を実践するために修行しているのではない。
ただ書物上の議論に勝ちさえすれば、それだけで学問の道は足りるとしている。
議論が達者で、人を言いまかせさえすれば、それだけで儒者の勤めは果たしたと思っている。

聖人の道は仁を勤めることにある。
五倫五常を行うにある。
どうして弁舌をもって人に勝つことを道としようか。
人を言いまかすことをもって勤めとしようか。
孟子はすなわちこれである。
このようなことを聖人の道とする時ははなはだ難道である。
容易に実行しがたい。
だから孟子は難しいというのだ。

中庸は通常平易の道であって、
一歩より二歩、三歩と行くように、
近きより遠きに及んで、
低いとことから高いところに登り、
小より大に至る道であって、
誠に行いやすい。
たとえば100石の収入の者が、勤倹を勤めて、50石で暮し、50石を譲って、国益を勤めることは、誠に行いやすい。
愚夫愚婦にもできない事はない。
この道を行えば、学ばないでも、仁であり、義である。忠であり、孝である。
神の道、聖人の道が一挙に行われるであろう。
いたって行いやすい道である。
だから中庸というのだ。

私が人に教えるに、

 と教えている。

なんと中庸であって行いやすい道ではないか。 

【11】 儒学者あり、曰く、
孟子は易(やす)し中庸は難(かた)しと。

翁(をう)曰く、
予(われ)文字(もんじ)上の事はしらずといへども、 是(これ)を実地正業に移して考ふる時は、孟子は難し中庸は易し。
いかんとなれば、夫(そ)れ 孟子の時道行れず、異端(いたん)の説盛(さか)んなり、 故に其(そ)の弁明を勤(つと)めて道を開きしのみ。
故に仁義を説いて仁義に遠し。
卿等(きみら)孟子を易しとし孟子を好むは、己(おの)が心に合ふが故なり。
卿等(きみら)が学問するの心、仁義を行はんが為めに学ぶにあらず、 道を踏まんが為めに修行せしにあらず、只(ただ)書物上の議論に勝(かち)さへすれば、夫(それ)にて学問の道は足れりとせり。
議論達者にして人を言ひ伏すれば、夫(そ)れにて儒者の勤めは立つと思へり。
夫(そ)れ聖人の道、豈(あに)然る物ならんや、聖人の道は仁を勤むるにあり、五倫五常を行ふにあり。
何ぞ弁を以て人に勝つを道とせんや、人を言ひ伏するを以て勤めとせんや。
孟子は則ち是(これ)なり。
此(こ)の如きを聖人の道とする時は甚だ難道(なんだう)なり。
容易になし難し。
故に孟子は難しといふなり。
夫(そ)れ中庸は通常平易の道にして、 一歩より二歩三歩とゆくが如く、近きより遠きに及び、卑(ひく)きより高きに登り、小より大に至るの道にして、誠に行ひ易し。
譬へば百石の身代の者、勤倹を勤め、五十石にて暮し、五十石を譲りて、国益を勤むるは、誠に行ひ易し。
愚夫愚婦にも出来ざる事なし。
此の道を行へば、学ばずして、仁なり義なり忠なり孝なり、
神の道、聖人の道、一挙にして行はるべし。
至て行ひ易き道なり。
故に中庸といひしなり。
予(われ)人に教ふるに、吾が道は分限を守るを以て本とし、分内を譲るを以て仁となすと教ゆ。
豈(あに)中庸にして行ひ易き道にあらずや。 





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最終更新日  2025.08.01 01:00:05


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