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境内には国宝の本殿を有し、古来より長門國の総鎮守として崇敬を集めてきました。
山陽新幹線新下関から南東2km、徒歩でも30分ほどとアクセスも良好で、参拝や観光に訪れる人々にとって便利な立地です。
長門國一宮 住吉神社 社頭全景。
大鳥居右に「長門一宮 住吉神社」の社標があり、社頭左の神池に浮かぶ小島には厳島神社が祀られています。
大鳥居の先の神橋を越えた参道の先の石段を登り詰めた先には荘厳な社殿が広がっています。
社頭左には社殿の見取り図が掲げられています。
石段を登り詰めた先には楼門があり、社殿の周囲を透かし塀で囲われています。
境内の中心には、重要文化財に指定されている拝殿と、九間社流造で五つの千鳥破風が連なる壮麗な本殿が並び、住吉神社の威容を今に伝えています。
写真は社頭左の神池の小島に鎮座する厳島社の全景。
創建時期など詳細は不明ですが、社名から祭神は市杵島姫命と思われます。
参道中ほどの神橋。
恐らく左の神池は以前は写真右側にも同様に広がっていたと思われ、現在は埋め立てられ宝物館が建っています。
神橋から楼門に続く石段を望む。
上。
新橋右側の宝物館、残念ながら非公開です。
下。
石段右の手水舎と左に神社解説板がある、内容は以下。
『長門一宮 住吉神社
御祭神 (本殿向って左から)
第五殿 建御名方命(たけみなかたのみこと)
第四殿 神功皇后 (じんぐうこうごう)
第三殿 武内宿祢命(たけうちのすくねのみこと)
第二殿 応神天皇(おうじんてんのう)
第一殿 住吉大神、荒魂(主神) (すみよしのおおかみ・あらみたま)
御由緒
今から一七八四年前、住吉大神の御神託により、神功皇后が現在地に、その『荒魂』を鎮祭され、以来、延喜式内・名神大社、長門国一宮、国幣中社(明治四年)、官幣中社(同四十四年)、神社本庁別表神社(昭和二十二年)として現在にいたる。
拝殿には『住吉荒魂本宮』の懸額がある。
御神徳
『荒魂』とは、積極果敢に物事を成就させ給う御神威の顕現(お示し)であり、古来特に勝神としての信仰が強く、交通安全、(新車祓)海上安全、厄祓、清祓等の祈願が多く、(特有性) 家内安全、商売繁昌、五穀豊穣、学力向上、当病平癒等はもとより(通有性) こうした『進路守護』の御神徳は、何時の世も高く仰がれるところである。
祭典(主なるもの)
和布刈祭・旧元旦 、御田植祭・五月第三日曜日
神幸式・九月秋分の日、河流祭・十二月十五日
御齋祭・十二月八日~十四日、例祭・十二月十五日
御社殿 本殿(国宝)、拝殿(重文)
宝物 銅鐘(重文)、唐鞍(重文)
社叢 八○余種の樹林(県指定) 』

石段脇の青銅狛犬は、一般的に見られる威厳や畏怖の表情とは異なり、慈愛と親しみを感じさせる面持ちが特徴です。
その朗らかな表情は参拝者に安心感を与え、神社の象徴的存在として親しまれてきました。
しかし、昭和18年(1943)、戦時中の金属供出により軍需物資として徴用され、青銅製の狛犬は失われてしまいます。
以来、コンクリートの複製が設置され、往古の姿を偲ぶ存在となっていました。
終戦70年を迎えた平成27年(2015)、復元計画が立ち上がり、神域を守る神獣として往古の姿で蘇ったもの。
石段を上り詰めた先の朱に彩られた楼門。
室町時代建立の楼門ですが、現在の門は明治34年(1901)に再建された入母屋造の檜皮葺、三間一戸の楼門で国の登録有形文化財に指定されています。
山口県神社庁の住吉神社解説から抜粋編集した内容は以下。
『当社は、延喜式に載せる名神大社で、のち、長門國一宮を称しているが、古く仲哀天皇の御后、神功皇后の創祀。
仲哀天皇の崩御は、天皇が神の教えを信じなかったためで、皇后の征韓は神の教えに従われた結果であった。
凱旋の時、再び神から「吾が荒魂を穴門の山田村に祀れ」との神誨をうけられた。
そこで、神恩奉謝のために、この地に祠を立てて三神の荒魂を祀られた。
これが当社の起源である。
『西暦200、日本書紀』。
伊弉諾大神が筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原で、禊ぎ祓いされ、住吉の大神が出生されたことにより、古来住吉の大神が禊ぎ祓いの神として、朝野の厚い崇敬をお受けになっている理由から、厄除け・方位除(進路守護)、海上・交通・工事安全、家内安全、安産・初宮詣・初誕生祭・七五三詣、合格、年祝い、商売繁昌、社運隆昌、心願成就、病気平癒、出向祭典の地鎮祭、竣工・開所・家祓など広く崇敬をあつめている。
古くから多くの文化人の崇敬を集め、有名な中世の歌人宗祇の「新撰菟玖波集」をはじめ、「銅鐘、住吉神社法楽百首和歌、金銅牡丹唐草透唐鞍」(重要文化財)など40点を宝物館に保管。
現在の本殿(国宝)は応安3年(1370)に大内弘世の寄進。
拝殿(重文)は天文8年(1539)に毛利元就が奉建。
本社東に境内摂社の蛭子社(事代主神)、若宮神社(穴門直践立命)、境内末社の田尻社(山田大宮司家祖神)、七社(伊勢・八幡・加茂・春日・松尾・平野・稲荷の京都七社)、稲荷社(宇賀の御魂神)、高元社(須佐之男命)、本社北に采女社(山田家祖先のうちの女神)。
本社西に検非違使社(火須勢理命)。
本社南に嚴島社(市杵嶋姫命・田心姫命・湍津姫命)。
境外末社が本社西に天神社(菅原道真公)、本社東に打下社「貴船社を合祀」(猿田彦命・高龗神・大歳神・菅原道真公)がある。
住吉神社の境内を覆いつくすように生い茂る樹林は住吉神社社叢として、古来より神域として崇められ保護され、昭和28年、山口県天然記念物に指定されている。』
楼門手前を守護する石造狛犬(寄進年未確認)。
尾をピンと立て、鬣を強調したフォルムは犬というよりライオンのような勇ましい姿をしていました。
楼門から境内拝殿の眺め。
住吉神社の楼門をくぐる際、ふと天井を見上げると、明治34年に寄進された十二支と東西南北が描かれた干支方位盤が掛けられているのが目に入ります。
古来、人々は天体観測によって方位や時刻を知り、航海や農耕に役立てましたが、現代人には用のないものかもしれない。
楼門の左右の間に安置されている随神像。
鎌倉時代の作とされるが、作者不詳で県の文化財リストには登録されていなかった。
実物は約800年前のものとは到底見えない、とても綺麗な状態です。
毛利元就が寄進した拝殿と大内弘世が寄進した本殿の眺め。
拝殿左には神門があり、西参道、西駐車場に通じています。
拝殿に掲げられている額には「住吉荒魂本宮」とあり、有栖川宮幟仁親王(1812-1886)の揮毫によるものです。














