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ギンナンをたっぷり恵んでくれた大銀杏は見当たらず、根のあったとおぼしきあたりに破魔矢の焚き火あとが!??
2009.01.11
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雨宿りもしましたね。
2009.01.11
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この神社は江戸後期に開発された新田の一つ梶野新田の里社でした。
2009.01.11
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また鳥居をくぐります。
2009.01.11
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細く長い参道です。行きはよいよい帰りはこわいでしたよ。午後の授業に遅れ、廊下に立たされましたから。
2009.01.11
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たしか昼休みによく遊びに行った神社の入り口の目印の二本松。
2009.01.11
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わずか50年前、武蔵野台地には清流の用水が縦横に走っていましたが、今はコンクリートで固められ、水のない川になりはてました。水か流れるのは台風か、集中豪雨のときだけです。
2009.01.11
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附属中学、高校も併設されています。もう大分前に東小金井に越してきましたね。
2009.01.11
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一本を三人がかりで植え、名札をつけたんだっけ。
2009.01.11
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木造平屋12教室だったかっての母校が目に浮かびます。
2009.01.11
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小金井町立第3小学校の第一回卒業生です、オッホン!
2009.01.11
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でも、武蔵野から麦畑はとっくの昔に消えています。小麦はほとんど輸入になってしまったんですね。
2009.01.11
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北口は南口と違って今でも田園の趣きが濃厚です。写真は至近にある家庭農園です。
2009.01.11
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東小金井は小金井市にある街の一つです。小金井市の中心は今でも武蔵小金井駅周辺です。そうか、市制50年か。
2009.01.11
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すべてこの東小金井駅ができたためでした。
2009.01.11
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本物の自然があったあのころに。
2009.01.11
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今もあります。東京農工大です。今は寮になっていますが、昔は桑畑でした。農工大はカイコをたくさん飼っていたんですね。桑の実がなるころは桑畑に入り込んで夢中でつみとり、口に運んでいました。うちへ帰ると、母親にまた桑の実を食べてきたね、とバレバレでした。手で拭ったのにまだ口の周りが紫色でしたから。
2009.01.11
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ぼくらがカクレンボしていたころは影も形もなかったんだ!
2009.01.11
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野仏のところから道は二股に分かれ、右の道を行くと、雑木林に入りました。よくカクレンボをしたところです。今は公園になっていました。
2009.01.11
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半世紀立っていても枝ぶりは変わっていませんでした。そうか、この松の木の下の野仏さんか。悪いことまで思い出しました。同級生二人とこの野仏さんにションベンひっかけたんだあ!あのときはごめんなさい、と合掌してあやまりました。
2009.01.11
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昔の武蔵野にはいたるところに立っていましたから、見覚えがあるような、ないような。
2009.01.11
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今は長い商店街です。
2009.01.11
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4日に隣町東小金井一帯を歩いてたくさん写真を撮ったのにほったらかしのままでした。東小金井には特別の思いがあるので、遅ればせながらアップします。この辺りは栗畑で、よく栗を拾っていました。畑の所有者にむだんでしたから、栗泥棒ということになるのかなあ。今はどこを探しても栗の木は一本も見あたりません。
2009.01.11
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小春日和のように暖かだった昨4日、自宅のある武蔵境の下り隣町の東小金井を散策しました。かって雑木林と畑だったところで、農家がぽつんぽつんと点在していた地域です。僕はこの地域にあった分校から昇格したばかりの小学校の第1回の卒業生です。自宅を出てJR中央線の踏み切りを越え、少し南へ歩いてから左折しました。この辺りはまだ武蔵野市で、この通りは富士見商店街、と 言いますが、僕が小学生のころは麦畑が広がり、野犬の群れが現れたり、イタチがアオダイショウをくわえて目の前を横切っていったものです。町並みが途絶えると、西武多摩川線の踏み切りがあります。それを越えると、東小金井には入ります。正確には小金井市東町ですが。まだ東小金井駅がなかったころ、小さな踏み切りがあって道が斜めに線路を横切っていました。北側からこの踏み切りを渡ると、すぐに木造2階建L字形の建物がありました。どこかの医大の寮でしたが、古くて昼間はまったく人気がなく、僕ら仲間はお化け屋敷と呼んでいました。庭がとても 広く、雑草と丈の低い木々が生い茂っていました。仲間がうちで飼っていたウサギをここに離し、捕まえる競争をしてよく遊んだものです。いまその庭が広大なグランドになって残っています。かっての大学のものではないようですが。
2009.01.04
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風が出てきて急に寒くなりました。明日は冷えそう、みなさん、風邪を引きませんよう。
2009.01.02
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早めに帰宅してカミサンと映画を観にいくつもりでしたが、新宿駅で人身事故発生、中央線は上下線ともストップです。それで、総武線の各駅停車に乗っていす。
2009.01.02
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気に入らず一部描き直し中です。電話一つ鳴らない事務所は、宇宙ステーションの一室のように深い静寂に包まれています。
2009.01.02
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昨年10月に河出書房新社から出たこの小説は明治初期の若者たちの深い志と熱い情熱を描いた青春ロマンとして一部の強い支持を受けました。この小説のロングセラー化を信じて、4人の主人公と新年の乾杯です。この4人はそれぞれアメリカに留学し、出会い、熱い絆を結び、帰国して明治13年に専修大学の前身の専修学校を創立しました。
2009.01.02
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ご覧のように人っこ一人見当たりません。絵を描きたくて事務所に出勤しました。例年ですと2、3の両日は東海道を歩きます。数年歩き継いで去年は浜松まで延ばしました。今年は風邪気味なので1週間ほど延期することにしました。1泊すると言っても正味1日半で45キロ歩かねばなりません。山道もあり、川風の強い大河も渡り、夜にかかります。昨日、自宅から青梅までの約25キロを歩きましたが、平坦な道で楽なもんでした。それとはわけが違うので、風邪が抜けてから歩くことにします。
2009.01.02
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さあ、あと2キロほどで青梅市に入ります。モリモリ歩きますよ。
2009.01.02
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車で出発したカミサンは、とっくに到着して妹夫婦と宴の準備を整えているはずです。
2009.01.02
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残堀川と言う川です。武蔵村山市を抜けて瑞穂町に入っています。
2009.01.02
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東大和市を抜け、武蔵村山市に入り、まもなくさしかかった神明宮境内にできた行列です。
2009.01.02
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小川橋で玉川上水から離れ西武線東大和市駅の近くで青梅街道に入りました。入る前、通りがかりの華屋与兵衛で昼食をとりました。この時点で約10キロ歩いています。カミサンの妹一家に着くにはあと15キロほど歩かねばなりません。ひたすら歩くことにしました。
2009.01.02
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この辺りはほかにも白梅短大、武蔵野美大など、学校の多いところです。
2009.01.02
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ヒナタボッコかい、枯れ葉浴かい?!
2009.01.02
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分流のほうに、水車小屋があったんでしょうね。
2009.01.02
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こんなところを歩けるだけでいい正月になりました!
2009.01.02
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玉川上水の桜はソメイヨシノがほとんどですが、たまに山桜が見られます。
2009.01.02
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この辺りからしばらくは、左を流れる上水とは別にその分流の用水か遊歩道をはさんで平行して流れます。
2009.01.02
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のどかな雰囲気にみちて、出会うのは野鳥のみです。至福のいっときです。もっとも、はるか行く手に人影が見えます。
2009.01.02
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画面ではわかりませんが、コイがいましたよ。
2009.01.02
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玉川上水に架る橋の多くは江戸時代からありますが、そのまた多くは車が通れるよう幅員が広げられて昔の面影はありません。しかし、いくつかは橋そのものは後年のものでも昔の幅員のまま残っています。この小桜橋もその一つですね。武蔵野市から小金井市に入り、このへんはもう小平市です。
2009.01.02
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通りがかりにこういう発見があると、心が和みます。なんでもないことですが。
2009.01.02
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人生の道のごとしですね(笑)
2009.01.02
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この上水の遊歩道は上流に行けば行くほど、素敵です。行く手を見ています。
2009.01.02
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この大学は自宅からいちばん近くにある大学です。
2009.01.01
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武蔵境の自宅で新年を迎えました。これから青梅のカミサンの妹一家のうちまでウォーキングします。これが今年の初歩きになります。
2009.01.01
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