仙台・宮城・東北を考える おだずまジャーナル

2005.09.12
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カテゴリ: 国政・経済・法律
昨日投開票の第44回総選挙。自民の圧勝。小泉劇場の設定のうまさで自民が優勢とは思ったが、296も取るとは予想外。とりあえず思いつくままに何点か。

1 宮城の投票率64.58%。前回よりは高いけれど、全国的には顕著に低い

 まずは宮城県内の投票率(小選挙区での投票率)が、64.58%。前回の58.92を大幅に上回った。小選挙区制導入後4回目の総選挙だが(補選を除く)、60%を越えたのは初めてという。全国は67.51%(河北新報12日夕刊による確定値)で、本県は全国より低率。
 他都道府県と比較すると(以下は朝刊掲載のデータ)、首都圏の東京(65.58%)、神奈川(67.08%)、埼玉(64.88%)、千葉(64.59%)より低い。本県より低いのが、低い順に、沖縄(62.35%)、高知(64.18%)、茨城(64.46%)で、本県は堂々の下から5位!
 前回総選挙で本県より低かった都道府県で今回本県を上まわったのが、ざっと見て青森、群馬、埼玉、千葉、神奈川、東京、京都、大阪、広島、香川、愛媛、福岡、と12都府県もある。反対に前回本県より高くて今回本県より低くなったのが、沖縄のみ。なぜか高知は前回も低い。台風の影響なのか。
 ともかく、宮城県の投票率は顕著に低い、といえそうだ。
 投票率が何に依存するか、また本県の特殊性があるのか、市町村別得票率も含めて地域分析の格好の材料となりそうだ。大学院時代の公共選択論の浅はかな知識だが、投票行動のモデルとして何と言ってもアンソニー・ダウンズのモデルが有名で、有権者の投票参加の要因は、接戦と予想されるか、政党間の期待効用差、投票コスト、長期的利益の4つだとされていた。こういうのとか、ゲーム理論を用いた分析もある。また、日本の分析だったと思うが、同日選挙や天候でも左右される(説明式にダミー変数を入れることになる)とするものもある。ただ、地域の属性に依存して説明させるクロスセクショナルな分析は、あまりないように思う。おそらく、投票率向上をもっとも真剣に考えるであろう総務省選挙部などでは、投票率規定要因の分析があるのかもしれない。調べてみたい。

2 民主王国の凋落。民主党に望みたいこと

 宮城は民主王国と言われた。1区、2区が仙台市の浮動票をとらえた民主候補がモノにしてきたから。言い換えれば、自民がしっかりしていなかったとも言える。今回は民主が批判を甘受することとなった。3区で前回大接戦の末比例で復活した橋本さん(民主)も風を受けられなかった。

 小泉氏の手法は傑出していた。郵政改革という旗色を鮮明にし刺客を送るなどの姿勢が、新鮮で期待を持たれた。勝敗が決した以上自民党にはがんばってもらいたい。しかし、年金改革や財政再建など日本の構造的問題を解決するためには、健全な二大政党による議論が必要だ。民主党には、小泉旋風を徒手傍観し国民に真の改革を訴える姿勢に欠けたことに、猛省して欲しい。
 朝の7時台に通勤車中で聞いたNHKラジオ(TVとの同時放送と言っていた)。民主党の玄葉光一郎選挙対策委員長は、「今回は神様が民主党に試練を与えた」ようなことを最後に言っていたが、何とも情けない発言だ。投票した人は怒りたくなる、のでは。そもそも風頼みだったのか、民主党とは。神の試練ではなく、厳然たる民意の反映の結果なのだ、有権者は民主党を否としたのだ。
 次の総選挙に向けて、主張と政策を十分に説いて欲しい。政権担当能力のある二大政党制によるダイナミズム実現は、国民の多くが望んでいるはず。それを失望させた責任は大きい。

3 東京比例区の怪現象

 比例東京ブロックは自民に割り当てられるべき8人目の枠が、既に名簿登載者全員が当選してしまい、社民党に充てられるという珍事があった。公の党として、民意をすくう受け皿を用意しなかったのは、政党制民主主義の上で、厳しく非難されるべきだが、これほどに自民の旋風が吹き荒れたということだろう。選挙区で軒並み自民候補が民主を破り、比例名簿で3位同列の重複立候補者が全員当選してしまった。
 おかげで、宮城1区で民主候補に破れた愛知和男(26位)も、本人も意外だったと思われるが、当選。これも、民主王国宮城の衰退を象徴か。

4 解散権の制約の議論が吹っ飛ぶ

 解散の際には、憲法の解散権の制約の議論を思い出した。
 参議院で否決されたから、衆議院を解散というのは、筋から言うとおかしい。そもそも解散の事由に制限があるのか、憲法解釈上も争いがあるが(解散権の制約の論点)、総じて言えば、内閣が選挙によって国民に信を問う必要がある場合、具体的には、衆議院の多数と内閣が対立した場合や、内閣自身が重要な政策変更をする場合などに限られる。むやみに刀を抜くべからず。今回のように、参議院の構成が気に入らないからと言って、衆議院を解散しても、筋論からすれば意味がないはずで、解散権の濫用とも言えそうだ。
 いずれにしても、解散権行使の事由の有りや無しやの判断は内閣自身に最終的に帰属し、これを争っても統治行為(あるいは自由裁量)として裁判所は判断を回避するから、実益はないのだが。
 こんなことを考えていたら、解散後の読売新聞の解説(本年8月12日)に、同じような問題意識に根ざす、次のような記事があった。

 小泉首相は、郵政民営化を構造改革の「本丸」と位置づけ、法案否決は小泉内閣への不信任だとした。首相は(中略)衆院での再議決も、さらには両院協議会の開催も求めなかった。(中略)事実上の不信任と考え、直ちに衆院を解散した。「不信任」だと考えなければ解散違憲論が起こると考えたのだろうか。
 (中略)参院では修正も継続審査も認めなかった。これらは小泉内閣に対する不信任と見なすとし、解散がいやなら法案を可決しろと”恫喝”した。この言い方は、政府による立法府の権利の侵害の疑いが濃厚であり、議会制民主主義を否定しかねない。
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 しかしながら、こんな議論も吹っ飛んでしまった。与党が衆議院の3分の2(320)を越える327議席を得たからだ。参議院が否決しても衆議院が再議決できる。結果的に解散の憲法的意味があった、とも言える。何ともすごい小泉旋風だ。





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最終更新日  2005.09.13 00:05:37
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