仙台・宮城・東北を考える おだずまジャーナル

2026.09.16
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カテゴリ: 東北

郡山市にある金透小学校の名について。だいぶ以前にも記事にしたが、下記文献を読んでいて、改めて納得した。

■伊達宗弘『語り継がれる 明治天皇の東北・北海道ご巡幸』銀の鈴社、2023年
■関連する過去の記事
明治天皇の六大巡幸 (2026年09月15日)
金透小学校 (10年8月13日)
安積疎水を考える
東北開発の具体像 (2023年04月06日)=安積疏水
明治9年6月16日、郡山に着いた明治天皇一行は、郡山中学校に休息。そのあと、西に2km進み、新開拓地の桑野村の開成山に着く。中條政恒が窮乏士族を救うために開成社を結成して切り開いた村である。天皇は、墾田の中央にある開成館の3階欄干に立って風景を楽しみ喜んだ。

翌17日、郡山中学校の校庭で生徒たちが天皇に体操を見せる。中学校では、巡幸に内閣顧問木戸孝允が来るというので、千載一遇のチャンスとばかり、校名の扁額に揮毫を願い出たところ、木戸は快く筆を取って、金透学黌の四大字を書いて渡した。精神を集中して励めば、あらゆる困難を乗り越えることができるという思いを込め、端正にして躍動感あふれる書体である。
以上が、同書の記載である(当ジャーナルで若干の要約と編集)。

郡山市立金透(きんとう)小学校のサイト( 沿革史 )によると、
・明治6年4月 盛隆舎(せいりゅうしゃ)と称して小学教育をなす・明治7年11月 郡山小学校と改称する
・明治9年6月 新校舎竣工、明治天皇御巡幸、木戸孝允「金透学校」と命名する
(中略)
・大正2年6月 郡山金透尋常高等小学校と改称する
とある。大正2年に正式に校名に金透の文字が入ったようだ。

伊達さんの著作では、明治天皇が行幸したのは郡山中学校とされている。この時代にいう中学校とは、明治19年の中学校令に基づく(旧制)中学校ではなく、明治6年の学制によるものだろうが、地域によっては未設置や私塾も多かったようだ。郡山の場合はおそらく、小学校と中学校にあたる学校が共存していたのだろう。

なお、安積高等学校の歴史としては、明治17年に福島中学校として発足し、同22年に桑野村(現在地)に移転、とされている。





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最終更新日  2026.09.16 08:49:15
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