仙台・宮城・東北を考える おだずまジャーナル

2008.10.13
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カテゴリ: 仙台
土手内の町名に名残を残すが、かつて八木山には鹿がふもとに降りて畑を荒らすのを防ぐために長大な土手が設けられていたという。この「鹿除土手」とはどこに設けられたのか。

仙台市のサイトに説明がある。全長6キロの杉土手の想定図と、現在残っている箇所も明示されている。

■ 発掘で明らかになった鹿除土手
■ 鹿除土手見学会

面白いのは、鹿野小学校のHPで、 学校の概要 の中に鹿除土手のことが記され、さらに、クリックして表示される 航空写真 を見ると、木流堀に並行してやや山寄りに、所々に分断された緑の帯が見えて、これが鹿除土手の杉山なのではないか、と想像が膨らむこと。

Googleの 航空写真 を眺めた感じでは、西多賀中学校の真南、旧秋保街道のやや北側の沼地周辺に、一番ハッキリと土手が残っているように見える。西多賀四丁目地内だ。


藩有林だった越路山は明治初年に旧藩士の共有財産として払い下げられたが、すぐ政府に取り上げられて国有に。陳情の結果また元の所有者に返された。山林は次々に伐採され山は荒廃した。荒廃した山の活用を期した豪商五代目八木久兵衛が、大正15年に一括買い取った。

八木家は旧大町四丁目で紅や小間物を扱う老舗で、四代久兵衛のとき、味噌醤油の醸造も行った。勤勉力行家で富を得て、七十七銀行頭取や商工会議所会頭、貴族院議員も務める。紅久株式会社の名から紅久翁と呼ばれる。

五代目久兵衛は八木山開発のため、昭和4年に八木山球場を、5年には遊園地を造り宮城県に寄附。昭和6年には仙台城址裏から八木山に私財で吊橋を架け、市民の観光の便を図った。八木山公園の管理は一時県に移ったが、返還され昭和9年改めて仙台市に寄附。長徳寺から八木山公園までの急坂は八木山街道と呼ばれ、宮城県女子専門学校(現在の向山高校)や八木山神社が設けられた。

竜ノ口渓谷の吊橋は昭和39年にコンクリート橋となり、昭和40年市立動物園が開園、紅久ランド(現ベニーランド)も造られた。昭和40年代からは越路、二ツ沢・西の平から急速に宅地化が進み、広大な住宅地に変貌した。

この越路山は藩政時代はモミや松の生い茂った狩り場で、鹿(しし)その他の動物の生息地で、鹿落坂や鹿野の名が残る。「しし」とは、シカ、カモシカ、イノシシの総称。鹿の多い狩猟場であったが、麓の耕地が荒らされたので、これを防ぐために、二代忠宗の時代に、 越路から佐保山まで幅約8メートルの土手 を築いた。これが 鹿除土手 (ししよけどて)である。

藩有林は御林、御留林と呼ばれ、植林の育成を図り、無許可の入林や枯枝下草の採取を厳禁した。大年寺が造営(四代綱村)されてからは、普段は殺生禁断の山林保護地域として庶民の立ち入りを禁止し、巡回して警戒したという。鹿除土手の一部に御判場を設け、その場所のみ通行できるようにして不法な侵入を見張った。土手には後年杉が植えられたので別名杉土手とも。近年宅地造成のため土手は切り崩され、現在は一部のみ散見される。土手内の地名に残る。
(木村孝文『太白の散歩手帖 郡山から二口までの史跡を訪ねて』宝文堂、2001年 から)





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最終更新日  2008.10.13 09:00:18
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