仙台・宮城・東北を考える おだずまジャーナル

2009.03.08
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カテゴリ: 国政・経済・法律
5日から、早いところでは支給している。4日に記したように、国策としては愚策であっても、決められた以上は誠実に従うのが当然だし、むしろこれを機に地域の活性化や自治体のアピールをする姿勢があっても、当然良い。

たしかに、小沢遼子さんが批判したように、滑稽ではある。どこかの村で「のし袋」を受け取って喜んでいる、それにマスコミがカメラ担いでワンサカ押しかける。騒ぎ立てるメディアをたしなめる小沢さんの意見は率直にわかるが、これを逆手に取ったPRもアリだろう。最初に書いたように、国策の内容如何と、地方の対応のあり方の批判とは、位相が別だ。

とは良いながら、やっぱり私も地方側の制度の受け止め方について、気になる点は大いにある。

問題は、今回の給付を賑賑しく演出するのはそれで良いが、だからといって地方や庶民を重視した国政だなどと有り難がったり、よもや、国の地方自治重視の姿勢だなどとばかり、地方自立の真の道を探る努力を怠けることはあってはならない。
賑賑しく演出する首長は、その3倍の意気込みで国政の地方軽視を指摘しなければならない。それこそが、大局を弁えたバランス感覚だと思う。

そのような視点で、今回の定額給付金「騒動」を考えてみる。

1 麻生政権と地方対策

麻生政権は、総理の決断で地方交付税を1兆円別枠で措置したと大いに宣伝した。またそれとは別に地域活性化のための大型の交付金を措置。しかし、交付税は総額で増えているわけではないし、地域活性化交付金も地方重視の看板を掲げながら、内実は地方のガスを抜く巧妙な換骨奪胎のやり口だ。

まず、地方交付税問題は、とにもかくにも1兆円は総理サイドの発案だろう。そして、これが官僚の世界でコロがされて、結局のところ1兆円は措置はされたが、相当に色を付けられた。地域の雇用のためなどに使え、というのだ。本来地方交付税は一般財源であり、地方が要望してきたのは、構造的な財源不足の解消なのだから、現下の課題の対応として色づけするのでは回答にならない。それでも、ともかく成果を出したと言えるから与党の政治家は顔が立つ。



このような巧妙な手口が、もう1つの地域活性化交付金にも言える。内閣府に一括予算計上して、あとは地方の計画策定をまって、各省に予算を付け替えるという手法もあまり聞いたことがないが、与党が打ち出した大型の生活対策の内実を各省で考えるよりも、手間が省けて良い、という本音もあっただろう。地方に自由に任せるのだから、地域活性化という美名も冠することができる。あとは、例によって、効果がないとか使い方が悪ければ批判は地方に転嫁できる。

そして、地方重視の美名に恐らく与党の政治家達はすっかり騙されて、有り難がるのだろう。全く官僚主導の情けない国政の構図が浮かび上がる。

2 定額給付金について

定額給付金が公明党の党勢発揚政策であったとしても、その発想をどう料理して政策として鋳造するかは、官僚の主導によるだろう。私は、定額給付金についても、基本的には上記1と同様の発想で処理されたと想像している。

現実問題で考えると、定額現金給付などという手法は、地方行政に過大なコストがかかってしまい、通常の発想では出てこない施策だ。しかし、財務省などは考えたのだろう。手間を労するのは市町村だ。コスト分は補填すればいいだけ。何より、政治家が喜ぶ。

そして、ここがポイントなのだが、このように地方自治体を主体に据える施策に構成すれば、自治体(首長)が競い合うことになる。政策の愚策という本質はどこかにかき消され、あの自治体はこうだがこっちはどうだ、式の議論に堕し、そのうち報道もされなくなる。あわよくば何かミスでもあれば、だから地方には任せられないデショ、財界の皆さん、と言えるのだ。

これが上記と同じだ、と思う所以だ。実際、昨日今日の報道でも、定額給付金による消費を見込んで、どこかの温泉場で誘致をさかんにやっていたが、マスコミ報道はそう言う方に流れる。

どこの町は誘致に熱心だとか、どこの市は給付も遅い、などの議論がしばらく続くのだろう。まったくウンザリだが、このように、本質はかき消されるのだ。

財務省や各省は、自分が給付するのなら絶対にやらない。あるいは、高コストで一括民間事業者に丸投げだろう。各省の施策もそうだが、道路特定財源を使った高コストの無駄な委託事業、最近では我が家にも来たねんきん特別便の受託事業など、どこまで委託する側が責任感とコスト意識を持っているのかわからない。地方にやらせるならば、地方重視の美名に政治家もコロッと騙され、各省もラクで、財務省には損がない。挙げ句の果てに愚策の本質は突かれない。

地方を組み込むには、訳があるのだ。古代ローマは、分割して統治することを旨として、多民族から成る広範な版図を維持した。今の日本の政治行政もそうだ。ちょっと昔だが、ふるさと1億円を見よ。果たして、三位一体の議論の頃には、財務省は地方無駄遣いのキャンペーンに使ったではないか。近くは「ふるさと納税」。全く意味不明の制度だが、結局は国が自身を基本的に痛めることなく、地方の枠の中で頑張れば寄附が増えるでしょう、頑張らなければそれまでだ、という図式そのものだ。

この本質問題を、マスコミがなぜ正当に指摘することがほとんどないのか、本当に不思議に思っている。地味なテーマだということと、恐らくは霞ヶ関の政策決定の核心部分には、おそれおおくて入り込みたくないのだろうか。政治主導の決定ならいくらでも叩く。しかし、官僚の世界には何故かマスコミは入っていかないものだ。



何か暗くなってしまい恐縮だが、このように問題の本質は何も変わっていない。変えるなら、政権交代時がチャンスだが、民主党の認識も相当おぼつかない。天下り問題などを突くよりも、もっと構造的で、もっと地方自治にとって本質的に恩恵を受ける事柄なのだが、一体地方の声をどう聞いているのだろうか、と言いたくなる。

政権交代に期待できないのなら、やはり地方志向の一部政治家や、ある程度フリーな立場の財界人などに発言を高めてもらうしかないのか。

地方自治体の首長たちも、今回の騒動で頭を冷やして欲しいと思う。日本で一番先に支給する、それは何度も言うが、それはそれで良い。しかし、TVでクローズアップされるその瞬間に、その3倍の勢いで日本の中央集権の実態と、地方の悲しさをしっかりと訴えるくらいの意気が欲しい。

与えられた中で、自分の動ける幅を探す。地域の名望家から選ばれる首長に、衛星から眺めた地球を見て発言せよ、というのは酷だというなら、それこそ日本の行政は未来永劫変わることがない。市町村合併は悪だった、などと恨み言も聞く。しかし、こういう人たちはどう未来を考えているのだろうか。

これからの30年は、今までの30年とは全く違う方向に行くだろう。高齢化や集落消滅などの深刻な問題もある。地方が、与えられた地方のままで良いのか。財源問題をはじめとして地方の窮状を改めるとするなら、中央による地方軽視のデザインを批判し改めていかなければならない。国が地方の真の声に応えるならいいだろう。しかしそうでない以上、改める方策ということを考えていかねばならない。






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最終更新日  2009.03.08 13:41:39
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