仙台・宮城・東北を考える おだずまジャーナル

2009.07.29
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カテゴリ: 東北
来年12月の東北新幹線全線開業に伴い設置される七戸町の仮称・七戸駅の正式名称が「七戸十和田駅」に決まった。今日(29日)JR東・盛岡支社が発表。東奥日報は速報で扱い、デーリー東北は号外で報じた。駅名については地元市町村の間で調整が難航し、「七戸」と「七戸十和田」の両案がJRに提示されていたもの。

地元の七戸町の大平均副町長は、「さまざまな議論があったが、ようやく決まり安堵している。決まったからにはしっかりと準備を進めて、駅の開業が町の活性化につながるようにしたい」と話していた(NHKニュースから)。

様々な思いがあるのは当然。しかし、開業を期待する気持ちという点では地域は一体だろう。決まった以上は、活性化に一丸となっていくものと期待したい。

決定までに至る町の姿勢としては、地元商工会が一万人の署名を集めるなど活発に活動していることを受けて議会が全会一致で可決した「七戸」と、上十三広域市町村圏協議会(8市町村)が昨年合意した「七戸十和田」の両案を、町長が今年1月にJRに提示。つまりは、調整をJRに一任した形だ。町の地元や議会の意向と、広域の意向と、双方の板挟みになったが、いずれにしても七戸の名が入るならば、という判断なのだろうと考えられる。

東奥日報の新幹線特集の記事を読んでいて私が興味深く感じたのは、広域協議会が昨年秋に新駅名を話し合った際に、七戸町の福士町長が、「七戸単独では駅の利用価値が限定される。インパクトのある名前にすることがふさわしい」と発言したこと。六戸、横浜の二町が「七戸駅」を主張したようだが、結局は会長(十和田市長)と福士町長の間の協議に委ねる決定とされた。経緯を詳しく知らないが、名称に拘って合併を破談させるなど長期的視野を欠く了見の狭い首長も散見されたことを思えば、自分の町のプレゼンスを高めることに固執するよりも大きな利益を考える態度には喝采を送りたい。

六戸町長などの反対論は、駅所在地に近接していない地名(十和田湖や十和田市中心部などの位置関係を指すと思われる)を付するのは観光などの点で外来者に混乱を来すことになる、という理由のようだ。たしかに一理あるが、駅勢圏の小さい在来線駅と異なり、新幹線の場合は広域の動線を考慮して良いように思われる。

ところで、七戸としては、南部縦貫鉄道が野辺地と七戸を結んでいた時代が、つい最近まであった(97年運行休止、02年廃止)。往時の構想としては、旧陸羽街道沿いに、三戸まで結ぶ考えがあり、八戸に奪われた主動脈を、青森までの最短ルートとして回復しようという狙いだったのだと思われる。しかし、大構想の実現に先立ち、三本木は十和田鉄道(現十和田観光鉄道)で三沢と接続し(1922年)、五戸は八戸と五戸電鉄(後の南部鉄道)で結ばれ(1930年)、1962年にやっと千曳(後に野辺地)との間で開通した。
(関連する過去の日記  南部縦貫鉄道 (2009年3月21日))



ところで、駅の位置はどうなのだろう。町の 駅周辺整備計画資料 で見ると、町役場や七戸城跡などの中心部よりはやや北側、国道4号沿いで、県の営農大学校や奥州街道松並木、道の駅しちのへ等のすぐそば。広域の動線を考えても、なかなか良い立地ではないだろうか。新幹線開業で、町がかわり、地域が活性化し、多くの客が当地を訪れる、そんな有り様を、前向きに楽しく私も考えていきたい。





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最終更新日  2009.07.30 00:57:40
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