仙台・宮城・東北を考える おだずまジャーナル

2010.11.11
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カテゴリ: 宮城


1720年頃処刑された殉教者の亡骸は、経文とともに3か所に埋葬され、松を植えたと伝えられている。海無沢、朴の沢、老の沢の3か所で、老の沢経塚は訪れる人もない。海無沢の小高い山上では毎年6月第一日曜日にキリシタンの里祭りが行われ、多くの信者が山上青空ミサに集い、殉教者の心に思いを巡らせる。また、この殉教地の下にある広場では地元の芸能や市が奉納される。(カトリック米川教会のパンフレットから)

綱木沢の海無沢、朴の沢、老の沢(経の森)に鉱山があって、大籠、保呂羽方面から多くのキリシタン並びに類族達が来て働いていた。享保年間のキリシタン弾圧の時召しとらえ、はりつけにされ処刑された。その遺体が、40人ずつお経と共に三か所に埋められた。これが、三経塚と呼ばれていたが、朴の沢、老の沢の松は切られ、塚は掘られ、原形をとどめているのは、この海無沢の塚一つとなっている。

1639年から40年、近くの大籠(岩手県藤沢町)で約300名が殉教する。大籠は仙台藩の製鉄の場で、備中から信者の千松兄弟を招いて技術指導をさせていたために、地区にキリシタンが広まっていた。

その80年後に綱木地区の狼河原で120名が殉教する。密告によるものだったという。弾圧の史実は1952年に米川の旧家で古文書により判明したものである。

■関連する過去の記事
カトリック米川教会 (2010年11月9日)





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最終更新日  2010.11.11 21:19:27 コメントを書く
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