仙台・宮城・東北を考える おだずまジャーナル

2011.07.12
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カテゴリ: 東北
佐藤栄助は慶応3年(1967)に、東根市三日町の味噌醤油を商売とする家の長男に生まれた。父の家業を手伝う傍ら、果樹づくりが好きで、自宅敷地でさくらんぼを数種栽培していた。

明治40年(1907)、父の死と事業の失敗から、醤油造りをやめ、屋敷を売り払って一面の松林だった原方地区に広大な土地を買って開墾し、大切に育ててきた果樹を移植した。

山形県のさくらんぼ栽培は、明治7年の内務省勧業寮からの苗木配付で、翌年に県庁園内に植えられたのが初め。栄助は高崎地区で試みに作られたさくらんぼを譲り受けて栽培に本格的に取り組み、軌道に乗せようと情熱を注いだ。

明治末期から大正初期には、黄玉(きだま)とナポレオンが人気で圧倒的に多く栽培されていたが、これらは晩生種で収穫が梅雨と重なって、雨による実割れに悩まされた。当時は交通が発達していないので、鉄道長距離輸送に耐えられる、ほどよい堅さと甘さが求められていた。

何とかして、黄玉のように甘く、ナポレオンのように身が固いさくらんぼが作れないか。また、収穫が梅雨と重ならない早生の品種が欲しい。栄助は、大正元年に品種改良に乗り出し、研究を重ねた。果実が堅くて大きく色鮮やかなナポレオンを母方に、実りが早くて甘い黄玉を父方に、努力を重ねていった。その結果、粒が大きくて実は黄玉のように甘く、ナポレオンのように堅く締まった品種ができた。しかも、収穫時期がナポレオンより1週間も早くなった。

栄助の友人で中島天香園の岡田東作が、昭和3年(1928)に、佐藤錦と名付けて普及に乗り出す。栄助は、新品種の登録を勧められたが、皆が自由に栽培できるようにと、手続をしなかった。

こして、生みの親栄助と育ての親東作の努力で、佐藤錦は全国の生産農家に広がり、主力品種として定着していった。

■参考 『伝えたいふるさとの100話』財団法人地域活性化センター、2004年





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最終更新日  2011.07.12 23:43:48
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