仙台・宮城・東北を考える おだずまジャーナル

2011.10.10
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カテゴリ: 仙台
蕃山の東麓にある臨済宗の大梅寺は、初め祥岩寺と称し、松島瑞巌寺中興の雲居禅師が慶安3年(1650)隠居寺として創建した寺で、それから6年後の明暦2年に根白石の奥、福岡の照岡に永安寺を開基した。大梅寺には近年まで甘泉露という有名な清水があった。

永安寺の泉は今も絶えない。この二寺は、仙台城、辰之沢口、大梅寺、芋沢川、永安寺を結ぶ戦略構想の下に雲居禅師が開いたという。大梅寺の背後に東蕃山(365メートル)、永安寺の後に坐禅堂山(370メートル)の展望台と水源を持つのはそのためとある。4代藩主綱村は若いころ大梅寺に行って、ここが仙台城にとり重要な搦め手である形勢を、つくづくと観察した結果、貞享4年(1687)に大梅寺門前の東北方、郷六村の広瀬川べりに別荘を営構し、人呼んで郷六御殿と称した。

総面積2町歩、高い土居でかこみ、北は広瀬川にのぞみ、三方に濠をめぐらし南に門を開いた。邸内には、楽寿園と号した屋敷、馬場や蔵など。庭には梅を集植し、田も一反歩あった。仙台城からは山越しにお裏林を経て道が付いていた。

表向きは綱村の別荘であったが、寛文事件の忠臣伊東一族の嫡孫で家格着座600万石を領し、小姓頭から綱村の麻布隠邸の家老を勤めた伊東宮内祐栄の手記「節翁古談」には「肯山様郷六御屋敷御取立成られ候儀は只山川静かなる景を御ろうずるばかりの事では御座りませぬ。取立てさっした場所は仙台川(広瀬川)外に廻り、御裏林より直に御城へ山伝い往来も余所より気も付かず、最上街道は愛子口にて郷六の方は見えず、依って何ぞの時、人数かくし置くにも余所より気も付かず、つまるところ隠し郭の忍所の御心と相見え候」とある。それと仙台城の有事最悪の場合に備え、辰之口沢から郷六へ、さらに芋沢川をさかのぼり永安寺に活路を開くという想定もあり、梅も兵食のためという。

六代藩主宗村もよくここに遊び、春秋には城中からお姫さんが多数の御殿女中をお供にワラビ狩りや栗拾い、キノコ取りに来た。

十三代藩主楽山公慶邦の夫人八代(やよ)姫は、御三家水戸宰相徳川斉昭の姫で十五代将軍慶喜の妹であったが、慶応2年秋、向小田原松林の登米伊達家の別荘天遊館に遊び、大変気に入ったというので、楽山公から登米伊達家に所望して郷六御殿と交換、以後登米伊達家の下家敷となり、戊辰役に大手門前の登米邸の宝物を郷六屋敷に疎開したこともある。斬り込み戦術で官軍をノイローゼにした細谷十太夫のカラス組は明治元年9月旗巻峠に背水の陣を布き、官軍にひと泡吹かせようとしたが仙台藩の無条件降伏となり、郷六御殿は細谷十太夫に率いられたカラス組の一時収容所となった。

維新後、郷六御殿は郷六村に払い下げられ村民17人で一人あたり一反歩余に分割し、その跡は田畑と化して井戸が一つ残っているだけ。葛岡墓地の広瀬川対岸である。

■三原良吉『郷土史仙臺耳ぶくろ』宝文堂、1982年

■関連する過去の記事
東北大学植物園と最上古街道跡 (08年5月4日)
仙台城と最上古街道 (07年11月14日)(古街道は近世以前ですが)
城砦システムとしての仙台城 (07年5月29日)
大梅寺 (07年5月21日)
仙台城秘密の抜け道の話 (07年5月20日)





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最終更新日  2011.10.10 21:39:07
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