仙台・宮城・東北を考える おだずまジャーナル

2015.03.29
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カテゴリ: 宮城
国道346号は、大崎市鹿島台から涌谷に向かうとき、鳴瀬川を渡る。大崎市と美里町南郷の市町境でもあるこの橋が、感恩橋である。

この橋は、野田眞一翁が私財を投じて架けた。翁は明治14年の生まれ、鳴瀬川に橋を架けるほか、鹿島台と北村の間の「野田道路」の開発、農学校の建設(現在の南郷高校)の建設を行った南郷創建の慈父である。

大工事となった橋と農学校はほぼ同時に建設をはじめ、翁の家族全員で現場の作業員の世話をし、最前最良の資材と技術を傾注するよう心を配ったという。報恩感謝の一念による無償の行為と伝えられる。

南郷高校の庭には、二宮金次郎像と野田記念図書館が、翁の人となりと思想を物語っている。

(宮城県町村会『The-町村 わがまち自慢ベスト展パート2』1995年 を参照しました。なお、同書では真一と表記されています。)

南郷高校のホームページで学校長の挨拶のなかにも、昭和6年、地元旧南郷町の篤志家野田真(ママ)一翁の浄財により誕生したことが書かれている。

今は美里町となった南郷だが、明治22年の市町村制施行のとき、南郷村と称したものである。この町名は、福ヶ袋、練牛、大柳、木間塚、二郷の6村が、涌谷城下から見て南にあることから、南郷(みなみごう)五か村と呼ばれたことに由来する。これに和多田村を加えて南郷村が誕生、昭和29年に南郷町となる。(上掲書から)

いまの我が郷土は先人の営みのうえに成っている。ふるさとの発展に力を尽くした人と、その時代について、学びたい。








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最終更新日  2015.03.29 08:55:46
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Re:南郷創建の慈父野田眞一翁(感恩橋、南郷高校、野田道路)(03/29)  
POPO さん
金持ちだった理由は何ですか? (2026.08.15 15:16:40)

Re[1]:南郷創建の慈父野田眞一翁(感恩橋、南郷高校、野田道路)(03/29)  
POPOさんへ


野田眞一(真一)氏は、南郷村随一の地主で、昭和初期には宮城県内でも斎藤善右衛門に次ぐ第2位の大地主でした。当時は、大地主が小作農たちに金穀を貸し付けたりして地域の実権を握っていました。富の源泉はこの高利の利息で、それをもとにした投融資の結果と考えられます。

しかし、他方で野田氏は、村民が要望しながらも村財政では対応しきれない公共事業に多額を寄付、あるいは自ら工事を実施することで、村の対立を防ぎ、村民の融和と生活の向上に大きな役割を果たしました。道路、橋、病院、学校、郵便局電話局などです。

真一氏は浄土宗に帰依し、二宮尊徳の思想に傾倒していたそうで、村では、土地を売るなら恩情のある野田家に、と言われたそうです。

(南郷町史上巻、同下巻、から) (2026.08.17 17:27:15)

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