仙台・宮城・東北を考える おだずまジャーナル

2024.02.01
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カテゴリ: 宮城
吉岡を訪ねた。奥州街道の吉岡宿として知られ、また、名画「殿、利息でござる!」(2016年)の舞台だ。

下の写真は、映画に出てくる9人の篤志家のうち、末裔が街に唯一残っている(吉岡宿本陣案内所での説明)という穀田屋さん。七ツ森の四季という酒を買ったら、御当主とお母さまでしょうか、短冊をいただいた。感謝の気持ちとともに、歴史をかみしめる。




穀田屋十三郎  ー国恩記より


次の写真は、宿場の北の端の街道分岐点。奥州街道と出羽街道(仙台領奥州街道絵図(仙台市博物館蔵)では、中新田道と書かれている)が分かれるところだ。
奥州街道は、一般に江戸(東京)から弘前藩三厩(青森県)までの総称で、国内最長の道でした。この街道は大道と呼ばれる幹線道路でした。県内での道筋は、ほぼ国道4号線と一致し、白石、岩沼、国分町(仙台市)、吉岡(大和町)、古川、高清水、築館、有壁、など25か所に宿駅が置かれていました。
柱となっている石碑(比較的新しい)と案内図には、「出羽海道中山越え」と書かれている。





吉岡宿本陣案内所に入ってみたら、くわしく説明をしていただいた。もと本陣のあった場所。向かいが浅野屋の大きな屋敷の跡。

■9名の篤志家
 穀田屋十三郎、菅原屋篤平治、千坂仲内、穀田屋十兵衛、遠藤幾右衛門、浅野屋甚内(周右衛門)、遠藤寿内、穀田屋善八、早坂屋新四郎
■国恩記顕彰碑
 9名の篤志家が吉岡宿を救った経緯が、龍泉院の住職を務めた栄洲瑞芝(えいしゅうずいし)により「國恩記」(こくおんき)として記録された。国恩記顕彰碑は九品寺境内にある。

 曹洞宗の寺。寛永5年(1628)現在の鶴巣下草から当地に移った。当寺8世の住職を務めた栄洲瑞芝ほか、歴代住職の墓がある。
■九品寺(くほんじ)
 浄土宗の寺で、元和2年(1616)に、現在の鶴巣下草から移った。吉岡宿本陣案内所の方の説明だと、浅野家の末裔はいない(県外のどこかとか)が墓が九品寺にあるとのこと。
■吉岡館跡
 寛文2年(1662)、奥山家が吉岡領主となるのに伴い整備した居館の跡。宝暦7年(1757)奥山家に代わり但木家が領主となって当館に移った。
■吉岡城跡
 政宗公の三男宗清の居城の跡。元和2年(1616)に完成し、現在の鶴巣下草にあった居城から寺院等施設もともに移った。隅櫓が建てられていたとみられる櫓台が2か所残る。北の「ひだまりの丘」(大和町保健福祉総合センター)付近が一の丸、東側が二の丸と伝わる。

■関連する過去の記事(大和町)
宮城・大和町の史跡 御所館と八谷館 (2011年9月30日)
セントラル自動車が奥州街道を復活
鶴巣PAのETCカレー (2011年1月23日)
北根と七北田街道 (2011年10月24日)
近世までの東山道と中山古街道、七北田街道
街道を行く 奥州街道の吉岡-三本木について (05年10月25日)
船形山神社の仏像と多賀城 (07年8月30日)
宮床ダム殺人未遂事件を考える (09年8月23日)





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最終更新日  2024.02.01 20:00:06
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