全14件 (14件中 1-14件目)
1
最近話題にしている「サッカーボール」の基本形状は、「準正32面体」がベースである。この立体の造形表現に関しては、今まで様々な種類をブログ上でも披露してきたが、なかでも今日は、最も簡単にできる「32面体」の作り方をお伝えしよう。(素材は、細軸の「赤ちゃん綿棒(スリム型)」である。)前回のブログでも紹介したが、この立体工作の仕方は、「2005年8月2日の日記」を参考にしてもらいたい。以下は、その工作方法を把握されていることを前提に、話を進めることにする。まず画像を見ていただきたい。紫色のジャングルジムのような造形が、今回作ろうとしている「32面体」である。手前には、この造形の構成単位である2種類の形を置いてみた。分かりやすく「赤」と「青」で色分けしたが、赤色の「6芒星」が20枚と、青色の「5芒星」が12枚の、それらを加えた計32枚で、この紫色の「32面体」が構成できるというわけだ。ちなみに、ひとつの「32面体」を構成するのに必要な「綿棒」の総数は、(6×20)+(5×12)=180本である。実は、この「6芒星」や「5芒星」の星型を作る段階でコツがある。そのコツを知らないと、なかなか綺麗に仕上がらないのである。画像では分かりにくいかも知れないが、この6芒星も5芒星も、竹細工の「竹籠」のように編んである。ちなみに「5芒星」は、あの「安倍清明紋」と同じ編み方をしてあるので、単体としてそれを持ち上げてもバラけることはない。ただその編み方については、ここでそれを知らない人に伝えるのは難しいので、ネットサーフィン等で各自で調べてもらいたい。さてそこで、上述のコツとは、構成単位の6芒星と5芒星の一つ一つを組み上げ、双方の数をそろえた後に・・・それぞれの星型のクロス(交差)した部分を、木工ボンドなどの接着剤で確実に止めておく・・・ということである。接着後の完全に乾いた星型の状態にしてから、これを構成単位として組み上げていくのである。後で美しく仕上げるためには、最初が肝心というわけだ。その組み上げ方法は、例えば自宅にあるサッカーボールを参考にしても良いし、それが無ければ百円ショップにあるボールや、あるいはネットで展開図を調べてみればわかるであろう。それと前後になるが、もう一つのコツは、綿棒の両端に染み込ませる接着剤の付着についてだ。星型の形成において、二本の綿棒の軸をクロスさせると、すでに接合した両端の綿部に、自ずと離れようとする力が働いてしまう。その接合部の接着力を強くするためには、綿部への最初の接着剤の付着の後に、多少の時間を置いてから、もう一度接着剤を付着させる、つまり「接着剤の二度塗り」をお勧めしたい。ところで、ブログに掲載してきた造形の中には、とても分かりやすくて単純なものもあるのだが、これは簡単にできるだろうと思っても、いざ実際に自分の手で作ってみると、これが以外に難しかったりする。この「32面体」は、その簡単に出来そうで出来ない典型だろうが、チャレンジ精神のある人は挑戦してみていただきたい。むしろなかなか出来ない方が、結果的には「頭の体操」になって、心身の活性にも効果的であろう。まずは、「正三角形」の構成面だけで出来る三つの立体、「正4面体」・「正8面体」・「正20面体」の製作をクリアーして、ある程度の工作に慣れてから、この「32面体」に取り組んでみてはいかがだろうか。出来上がった「32面体」は、ちょうどサッカーボール位の大きさになる。自分の好きな色を塗ったりすれば、ちょっとした「お部屋のインテリア」にもなるであろう。それは、例え「いびつ」な形になったとしても、それなりの達成感を味わえるし、苦労して作り上げた作品には愛着が湧いてくるものである。見る聞くだけでなく、何かを「手で触って作る」という喜びを、体験してみていただけたらと思う。
2008年01月27日
昨年は中盤あたりから「国常立尊(クニトコタチ)」が気になり始め、後半からは「須佐之男尊(スサノヲ)」と、それぞれ神名の象徴言語として私の意識に浮上していた。そして今年に入ってからは、年初のブログでも書いたように「水(ミズ)」・・・。さらにここ最近はまた「クニトコタチ」が、自分の「意識」に刻み込まれるように出て来た。共通要素を探ると、三つの要素(クニトコタチ・スサノヲ・ミズ)は、共に数霊(かずたま)では「93」という数であった。なるほど・・・である。そして昨日、おそらくは尾張の国(愛知県)でご活躍と思われるブログ仲間の真綾(maaya)さんの日記(1月22日)を覗いてみると、そこに「クニトコタチ」のことが記してあった。そこで、尾張(オワリ)を数霊で調べてみると、2+46+45=「93」と出たので、これは今年の「終わり(2月3日の節分)」に向けて、「クニトコタチ」にかこつけて「93」を語っておきたいと思い、今日のブログにつながった。ところで、かつて私は仕事の関係で、約二年間を岐阜県で過ごしたことがある。今にして思えば、その時のキーワードは、「美濃か尾張の国の中、一人の目明きが気をつける、ああ神ながら神ながら・・・(大本教の出口王仁三郎氏の御歌の一)」であり、美濃(岐阜県)と尾張(愛知県)を「神様ごと」で、頻繁に往復していたことを思い出す。当時(今から20年以上前)は、美濃にも尾張にも実践派の神様ごとに詳しい知人が数人いたのだが、美濃においては岐阜市にお住まいだった「竹内文献」で著名な皇祖皇太神宮の権宮司さんにお世話になった。毎月の月並祭では、「ひふみ祝詞」を名調子で朗々と唱えられていた権宮司の姿は、今でも印象深く心に残っている。その祝詞は一般的な「ひふみ祝詞」とは少し違っていて、「ひふみ」の数歌を唱える前に「ン」音が必ず入るのである。わかりやすく言えば、「ン」の発音の後に「ひふみよいつむななや~」と、その「ひふみ祝詞」は続いていくのであった。ある時、そのことを尋ねてみると、この祝詞は、祝詞のはじめに「ン」と唱えることが大切だと教えてくれた。それは・・・物事の「始まり」は、まず締め括りの「終わり」を意味する音でもある「ン」音をまず発声して、それから始める・・・そんな意味合いのことを、阿吽の呼吸で教えていただいたような気が、それこそ今さらのようにしてきた。その「ひふみ」を数霊で調べてみると、何と!というか・・・やはり「93」であった。「ひふみ」の数は「123」なので、1月23日という「123(ひふみ)」の月日に、『クニトコタチ「93」』を、「終わりの始まり」をあらわす「ン」音につづめて発声させていただいたような・・・、そんな感じを抱く今日この頃である。そういえば、自然に生成される元素は、原子番号「92」までとされている。もしかすると「93」は、1から92まである各種元素の「全体」を統括する数なのかもしれない。
2008年01月23日
昨日の日記では、オリオン座の「アルニタク」を伊勢神宮の「内宮(ないくう)」とし、また大犬座の「シリウス」を伊勢神宮の別宮「伊雑宮(いざわのみや)」とする説を参考にして、これを拡大解釈していったわけである。この「アルニタク」と「シリウス」が地上の「神社」として投影された場所(聖地)は、日本列島の各地で見出されている。今日は、上述の「伊勢神宮」以外の地域で、アルニタクとシリウスが投影されたと推考される神社を紹介しよう。それは、九州北部の福岡県にある神社で、アルニタクが「香椎宮(かしいぐう・官幣大社)」(福岡市東区)、そしてシリウスが「宗像大社(むなかたたいしゃ・名神大社)」(宗像市田島)と推定される。この両社は共に格式の高い神社であり、まさに伊勢の「内宮」と「伊雑宮」の関係を髣髴とさせる配置となっている。(もちろん、私なりの感覚ではあるが・・・。)もし今まで述べてきた観点が、ある程度は的を射たことだとすると、エジプトはもとより日本でも古代から、いかに「アルニタク」と「シリウス」に対する信仰が厚かったかということを示していると言えよう。ところで、エジプト神話では、「イシス神(シリウス)」の秘術により、一度は死んだ「オシリス神(オリオン)」が復活して、この二神の聖婚によって「ホルス神(太陽)」が誕生するとされている。面白いことに、この「オシリス」・「イシス」・「ホルス」の三神の関係性を象徴的にあらわした「聖なる図形」が、ピタゴラスの「三平方の定理」の証明の際に必ず引き合いに出される〔3:4:5〕という三辺の比率をあらわす直角三角形なのだそうだ。その図形は「イシスの三角形」ともいわれ、形成される90度・37度・53度という三つの角度のなかでも、特に「イシスの角度」とされる「53度」は、エジプトのピラミッドの多くが示す傾斜角を示しているそうである。「オシリスの復活」と「ホルスの誕生」は、共に「イシスの秘儀」によってなされることから、この「53度」という角度が、魂の復活の再生装置としてのピラミッドに刻み込まれたことが考えられるそうだ。このことは、今年の1月10日の日記で取り上げた「特別な角度」にも関連し、とても興味深い。「復活」や「蘇生」を意味する「イシスの秘儀」とは、おそらく「水」や「水晶」の示す角度にも関連するのであろう。以下は、私の「六角形」にまつわる走馬灯のような連想にお付き合いいただけたら・・・。思えば「イシス」たる「シリウス」を示す形は「六芒星」とされ、これは西欧では「ダビデの星」や「ソロモンの封印」ともいわれる。「水」の字形は「六角形」の形状であり、実際の「水分子」も「六角形」を基本とした結晶構造をつくる。「水晶」の結晶の基本形は「六角柱」とされ、これまた「六角形」がベースとなっている。「シリウス」を投影した神社と想定される、神宮の別宮「伊雑宮」の御神紋は「六芒星」とされ、伊勢神宮の参道の両脇に立つ石灯籠にも刻み込んであるそうだ。同じく天空の「シリウス」を地上投影したと推考される「宗像大社」は、海上交通の安全を守る女神(宗像三女神)が祀られており、ご祭神は「海水(潮の干満)」を司る女神ともいえるので、「六角形」系の「水」に縁の深い神社と言えよう。また、歴史的にも「宗像大社」は、古くから「出雲大社」(島根県出雲市)と御神縁が深い関係にあるとされており、その「出雲大社」の御神紋も、日本的には「籠目(カゴメ)紋」とも称される「六芒星(六角形)」系の「亀甲紋」であることも象徴的である。以上のように、おそらく今の私は、「六角形」の形状を見ると、すべて「シリウス」に観えてしまうだろう。ちなみに、日本とエジプトは、「太陽祭祀」を要とする数少ない国とされており、またエジプトでは「シリウス(イシス)」を暦や信仰の中心に据えているので、かつては日本でも「シリウス」が祭祀の中心にあったことが垣間見えるのである。(それは日本神話でいうところの「出雲の国譲り」の以前かも・・・)思えば「シリウス」は、私たちの生かされている惑星「地球」の所属する太陽系の、その太陽系の中心にある恒星「太陽」の親星とする観方があった。つまり、「シリウス」の周囲を「太陽系」が巡っているという見方である。(参考文書・2007年12月20日の日記)「岩戸開き」の際に生まれる「新しい太陽(ホルス)」は、母親の星たる「シリウス(イシス)」の呪力をもって、まずは「オリオン(オシリス)」の復活(よみがえり)を経た後に授かる段取りとなるのでは・・・とそのように感じる今日この頃である。事の次第は、私たちの生活の身近にある天体の「月」(今日は満月)が、いつも見守ってくれている。
2008年01月22日
これから以下に記す内容は、今朝見た覚醒夢(リアルな夢)の話である。そこは、とあるイベント会場。私は共に歩む女性と二人で、場内にある洗練された池の片隅にある石段に腰掛けて、何かが始まるのを待っていた。すると、そこに黒いスーツを着た男女が素敵な笑顔で現われ、私達のすぐ側で立ち話をし始めた。そこから別の会場に移動したのであろう、気づいてみるとそこは、小さな会議場の中央にあるテーブルに、5~6人が集って語り合っている場面であった。そのテーブルの上には、大きな日本列島の地図が広げられていた。どうやら私も、その会合のメンバーの一人である。同じテーブルの上には、ある地域の縮小モデルが置いてあり、そのメインは「大きな空洞」であった。実際の現場では、おそらく天井は塞がっていて、私達が説明を受ける際に分かりやすいように、モデルは天井部分を取り除いてあったようである。私達は、その空洞に至るには、どのルートを通ると辿り着けるかということで、その目的地らしい空洞に辿り着くための2~3のルートを、現地の縮小モデルを使って何度も確認した。その空洞のある現地は何処だろうと思って、最初は「青森県では・・・」と私が言葉を発すると、「宮城」という言葉が近くで聞こえてきて、そこは青森県から宮城県までの間の地域とわかってきた。おそらく、古文書「ホツマツタヱ」が伝えるところの「日高見(ひだかみ)」の地域の何処かであろう。夜になって会合も終わり、一旦私達は会場の外に出ることにした。場外の高台に立ったとき、私達の頭上を飛行機のような乗り物がゆっくりと飛んできた。その飛行物体の外観は、スペースシャトルを短めにした感じの、シルエットの明確な金属製で白銀色に輝いていた。しばらく、その飛行物体が通り過ぎるのを眺めていると、機体の後ろの噴射口のところから、青や赤の光が交じり合ったような美しい輝きを見せ始め、ゆっくりと回転し始めるではないか・・・。釘付けになって見ていると、縦横無尽に光を放射しつつ迫力のある高速回転をしていたが、ある段階からいわゆるアダムスキー型のUFOの形状に収斂していったのは不思議だった。その未確認飛行物体(UFO)は、天空から地上すれすれまで瞬時に移動するなどの様々なパフォーマンスを見せた後、私達のすぐ近くの地上に着陸した。中から人間のような生命体が降りてきて、私達のところまで歩み寄ろうとしている。他のメンバーは逃れようとしたが、なぜか私は恐怖感などはなく、私の方からも歩み寄っていった。UFOから降りてきた生命体と、いざ会見してみると、相手は期待していた宇宙人?ではなく、イベント会場ですれ違った、見覚えのある「おじさん」であった。ホヒョ~!である。確かこの「おじさん」は、おそらく小さな会議室の片隅にもいて、事の成り行きを見守っていたような気もする。以上、今朝見た「何とも不思議な」としか言いようのない夢を、少し脚色して記してみた。もしかすると、私(私達)の『心の準備』ができたので、このような「あまりにもリアルな夢」を見せられたのかもしれない。しかるべき時が来たら、UFOに乗って東北のある場所に行き、あの「地下空洞」に集合することになるのであろうか・・・。いずれにしても、何か「変よう」?・・・という段階を超えた、心身の「変容」の時を感じる今日この頃である。
2008年01月18日
この度の「伊勢詣で」は、知人から誘われて参加したわけだが、なぜ今「伊勢参宮」なのか・・・ということを自分に問うてみた。すると出かける前のある時、伊勢神宮の近辺の地図を開いていると、私の心に浮かんできた山があった。それは、伊勢志摩を代表する霊峰の「朝熊山(あさまやま)」である。地図を見ると、伊勢志摩スカイラインを利用すれば、山頂付近まで車で行けそうだ。ということで是非、この山の頂上まで登ってみたいと思った。しかし、今回の旅路では時間の都合もあり、残念ながらこの山に登ることができなかったが、それは次回再訪の折の楽しみのひとつとしておこう。この1月14日のブログにも書いたが、この朝熊山の山頂からは、夏至の日の出の太陽が、日本の霊峰たる「富士山」の頂上から昇る位置付けとなるそうだ。ちなみに、この朝熊山から北方の海岸にある「二見興玉神社」は、夏至の日の出を迎える配置の「夫婦岩」が有名だが、その日の出の昇る位置は、富士山の向かって少し左側にずれている。・・・という観点からも、「夏至の日の出の朝日の光芒」を寿ぐ祭祀があったとするなら、「朝熊山」の山頂こそ、その祭祀の場として相応しいことが伺える。またそれが重要とされる祭祀であったがゆえに、古代より朝熊山は、伊勢志摩の要となる霊峰とされてきたのであろう。今日の画像は、中央に新作の「金銀の陰陽玉」を置き、その周囲には「五十鈴」と名付けた造形を八つ配置して撮影したものだ。(この「五十鈴」の造形については、2007年9月20日のブログにて紹介。)朝熊山(標高555m)の山頂にある、八大龍王社の御祭神「八大竜王尊」に捧げたいと思う。
2008年01月17日
開いた少しの自由時間は、お土産選びもあったため、宇治橋のすぐ側からはじまる「おかげ横丁」にて、自分ひとりで過ごすことにした。お土産は何がいいかな~と歩いていると、すぐに目に飛び込んできたのは「外郎(ういろう)」だった。「外郎」と言えば、わが山口県の名産品である。それが何故、伊勢で売られているのだろう・・・と思いつつも購入。およそ五種類が売られており、それぞれを試食したが、迷わず「五十鈴川」と銘を打つ外郎を選んだ。そういえば、神宮の神霊を勧請された「山口大神宮」の近くにも、「五十鈴川」の名をいただく小川が流れている。この外郎は、山口と伊勢のつながりを示す、縁起の良い「お菓子」という見方もできよう。そして、昨年「伊勢」を参拝された方のお土産で、「白鷹(はくたか)」という神宮の御料酒をいただいたことがあり、この「おかげ横丁」にあることを伺っていたので探して歩いていると、やっぱりあったネ看板が・・・(笑)。それが、あまりに美味しい酒だったので・・・もう一度飲んでみたい・・・ということでお店に入ると、立ち酒で「ぐい飲み」で飲ませてもらえるようだ。もう飲む前から千鳥足になっている私は、昨晩飲んだ大酒の余韻をすっかり取り戻していた。この五勺酒の一杯が・・・これが旨いことといったら・・・ホニャホニャ。その後は、ミキモトの真珠の店に入って、黒真珠の輝く色合いの豊かさに感動したり、店仕舞いの最中にある赤福本店の、現在の寂しい佇まいを見たりして、この度の「伊勢詣で」の余韻を存分に実感することができた。(ちなみに「赤福」は、今年の二月中に営業再開と聞いた。おそらくあの賑わいをまた、見せてくれるであろう。)さて平成二十年度の『新春の集い』も、いよいよ締め括りの会合の後に帰途に着くことになる。私達8名は帰路が長いので、少し早めに宿泊所を出発することになったが、昨日の余興の影響か、いつの間にか私は「森進一」と呼ばれるようになっていて、「良かったよ、森進一!」とか言われつつ伊勢を後にしたのも印象的であった。よっしゃ!森さんが唄えなくなった「おふくろさん」は、私が代わりに唄っていくことにしよう(笑)。神宮の「正式参拝」を終えた私達は伊勢を立ち、何とも言えぬ清清しい気分で帰路に着いた。昼過ぎに出発したのだが、私達の車の走る道路の反対車線は、今から参拝しようされる方々の車で大変な混雑であった。さらに「伊勢西インター」から高速に乗ると、これがまた凄い混雑振りである。これだけ待たされたら、御不浄(ごふじょう=トイレ)はどうするのだろう・・・と皆で心配しつつ、想像以上に長~く続く渋滞を眺めた。(☆「伊勢詣で」に行かれる方は、参拝の日時にご留意ください。)高速を途中下車した姫路では、揖保川の川沿いで夕暮れを待って「どんと焼き」が行われていた。古式ゆかしき風情に心を洗われつつ、山口に着いて解散したのは13日の午後10時を過ぎていた。一泊二日の短い時間だったが、この度の旅路は本当に「深い」というか、参加された皆さんと共に素晴しい時を過ごすことができたと感じている。その余韻は、時間の経過と共にじわじわと心に染み込んでくることであろう。・・・そして、必ず持ち帰ろうと思って持参した二つの「五十鈴」の造形も、いつの間にか私の手元には無くなってしまい、しかるべきところに納まった模様である・・・。お世話になった皆さん、どうもありがとう! ありがとうございます・・・お伊勢さん八百万の神々・・・ありがとうございます そして、ありがとう日本・・・万歳!「五十鈴川の調べ」・・・伊勢神宮の正式参拝・・・〔五部作〕はこれにて終了。
2008年01月14日
さあこれから「禊」を行じるために、各々が施設の玄関にてパンツから褌に履き替え、ピューピューと寒風の吹きすさぶなか、厳冬の「五十鈴川」に向かって、二列になって歩いていった。私は薄手のジャージの上下を着ていたが、かなり気合が入っていたためか、道中も寒さは感じていなかった。約10分で「禊」の場である川岸に辿り着き、川に入水する前の説明を聞いて、みんな褌一丁になって準備運動に入った。(参加者の内、女性は5人で白衣だった。)「エイッ!・ホー!」などの掛け声と共に、舟漕ぎの仕草を何度か繰り返した後に、いよいよ川の中ほどに静かに進んでいく。そして、腰の上まで水に浸かったところから、合図の掛け声と共に一気に首まで浸かるのである。かつて雪降る真冬に、真っ裸で海に入ったことがあるが、意外と海中は暖かかったことを覚えている。しかし、五十鈴川の川中は、海に比べるとかなり冷たい感じがした。それでも気合が入っていたのであろう、私は五十鈴川での「禊」を存分に味わうことができた。禊を終えて川岸に戻り、体を拭くことも忘れてジャージを着つつ、思わず空を見上げると、そこには満天の空に輝く星々を堪能できて、実に感慨深いひとときであった。おそらく、それまで張っていた気が緩んだのであろう、濡れた褌の冷たさが身に染みたのは、不思議にも暖かい部屋に戻ってからであった。自らの予想を越えた「禊」を経ての朝食後、いよいよ正装に着替えての「正式参拝」の時が近づく。この神宮の正式参拝は、神宮の「正殿」を囲う垣根の内側に入っての参拝を許されることから、「垣内参拝」とも言われる。施設の玄関に参拝者全員が揃い、そこで確認の意味も含めて、詳しい参拝の作法を伺った。この度の「垣内参拝」は、御神前の玉石の上に跪いて拝することができるという、特別の参拝をさせていただけるということであった。(神宮の正式参拝は、通常は立ったままでの礼拝となるそうだ。)三列に並び整列して神宮の参道を踏みしめ、五十鈴川に架かる宇治橋を渡る。橋の途中から少し下流の方向に、早朝の「禊」をした場所が見えてきて、ああ・・・今後はこの橋を渡るたびに、あの「禊」の体験を思い出すであろう・・・と感じた。内宮の正殿に向かう参道は、何とも言えず清清しき気持ちで歩むことができ、約100名は垣内の神前に勢揃いした。そして、御神前で額づくという特別な礼拝を経て、滞りなく「正式参拝」をさせていただくことができ、有り難き幸せを噛み締める一時であった。正殿の参拝の後は、近くにある別宮の荒祭宮(あらまつりのみや)の参拝であった。実は私にとって、今回の神宮参拝の主目的は、この「荒祭宮」の参拝にあった。昨日の外宮参拝の項でも記したように、外宮の境内にある別宮「土宮」は、もともと外宮の祭祀の中心だったという説があるように、内宮の祭祀の中心は、もともとは「荒祭宮」だったという説もある。このお宮の祭神は、「倭姫命世記」の記述によると、イザナギ命が黄泉の国から戻って禊祓いをしたときに誕生した「八十禍津日神(やそまがつひのかみ)」とされる。また、この神は「瀬織津姫神」と同神とされ、天照大神の荒御魂とされている。(この「瀬織津姫神」という女神は「祓戸四柱」の一柱にして、諸々の罪や穢れを祓い清める「水」の神である。)ここで思い出すのは、伊勢の海岸にある「二見興玉神社」の夫婦岩(めおといわ)。夏至の日の出は、この二つの岩の丁度真ん中から太陽が昇ることになっている。そして最近知ったのは、この伊勢鳥羽地域の霊峰「朝熊山(あさまやま)」の山頂から見ると、夏至の日の出の太陽は、あの「富士山」の頂上から昇ってくるそうだ。富士の高嶺から昇る夏至の光芒は、古代人にとっては格別の「聖なる輝き」だったに違いない。古代の祭祀においては、「山宮」と「里宮」との天地を結ぶ祭祀があったことが伺えるので、朝熊山は山頂の「山宮」で受ける太陽の光を、「里宮」に受け流すという儀式が、ある時代までは行われていたと思われる。その「里宮」こそ、朝熊山の西方にあって古くは「磯宮」と呼ばれた現在の伊勢神宮の御神域であり、その要となる社が「荒祭宮」であったことが推考されるのである。ある説では、日本の場合もエジプトやメソポタミやと同様に、「日神(太陽神)」は本来は男神であり、天照(アマテラス)はその日神と聖婚する「日女(ヒルメ)」だったということだ。つまり、もともとは祀る側であった「日女」が、いつの頃からか祀られる「日神」に成り上がったということが考えられるわけである。・・・古代の日神は男神であった・・・その片鱗を今に残すのが、「荒祭宮」の御祭神「八十禍津日神」の神名にある「日神」であろう。上述したように、一般に「荒祭宮」の祭神は、天照大神の荒御魂(瀬織津姫神)とされているが、やはり本来の日神たる「男神」が祀られていたのであろう。思えば今年は年始から、知人との会話において「水」にまつわる話が多く、この度の「伊勢詣で」に携帯した「五十鈴」の造形も意味深であったと感じる。また、2007年3月10日の日記等で取り上げた「瀬織津姫神=イシス女神=シリウス」の関連性も、今さらのように思い出す図式であり、図らずもこの度の「五十鈴川」での「禊行」に参加できたのも、・・・これは瀬織津姫神(八十禍津日神)のお導きかもしれない・・・と考えてみたくなる。神宮の正式参拝、そして別宮・荒祭宮の参拝の後、多くの参拝者で芋の子を洗うように混雑してきた参道を経て、五十鈴川に架かる宇治橋を渡り終えた私達は、そこで少しばかりの自由時間を得た。(つづく)
2008年01月14日
12日は午後5時頃に宿泊所に到着した。もうすでに会合は始まっていたのだが、私たち8名のグループが着くとすぐに、その道の大先輩の「人生修養」の話が始まる運びとなっていて、まるで神宮の神々に導かれているかのように、展開はスムースに流れていった。その講演会では、内容の濃い説得力のある話を伺うことができた。本当に物事が分かった人の話というのは、おそらく今回聞くような話の内容のことを言うのであろう。小さい子供が聞いても、素直に納得できるような、分かりやすくて、しかもとても深い話の数々であった。講演会の次は、戦国時代に信長や秀吉に仕え、鳥羽を拠点にして活躍した九鬼嘉隆という水軍の武将が、合戦の合図として打ち鳴らしたとされる「九鬼水軍太鼓」の演奏が催された。そのあまりに勇壮な太鼓演奏に、神々も集われ喜ばれたのであろう、その演奏時を映した写真を翌日見ると、沢山の「たまゆら」が写り込んでいた。そして、今年の新年会に全国から集われた100人を越える方々との、合同の夕食会が始まった。みんなで美味しい鍋料理をつつきながらの直会である。各地域の皆さんが地元から持ち寄った旨い酒を酌み交わしながら、歓談はすすんでいった。なかなかに「ほろ酔い気分」になった頃、私に「何かやれ」とお鉢が回ってきた。会場にはカラオケも無いのに、酔った勢いで森進一のモノマネで「おふくろさん」を唄うと言ってしまった。すると、その途端に担ぎ出されてマイクを持たされるハメに・・・。仕方が無いので、アカペラで思いっきり唄い方を崩した歌唱を披露・・・「おふくろさんよ~おふくろさん・・・空を見上げりゃ~」・・・と、ワンフレーズを唄い切った。自分で言うのも何だが・・・これがなかなかに受けて拍手喝采となり、私にとっても思い出深い一コマとなった。(ハ~・・・自分でも面白かった!)食後は入浴の後に就寝の段取りで、寝る前に先達から「明朝5時に起床」という指示を受けた。実は、神宮に向かう車のなかで、13日の午前中に予定されている「正式参拝」の前には、・・・御神前を流れる五十鈴川で「禊(みそぎ)」があるらしい・・・という話を聞いていたのである。これは事前に知らされていなかったのだが、何年も続けて神宮参拝を重ねておられる先輩の、絶妙ともいえる言葉巧みな誘導によって、私の意識のなかでは「禊」をしてはじめて「正式参拝」が許されるという図式ができあがっていた。(本当は、各自の任意で「禊」への参加如何を決めることになっていたらしい。)朝起きて施設内の集合場所に行くと、20名位の参加者一人一人に褌(ふんどし)が配られていた。記名を終えてイザ、「五十鈴川」のせせらぎへ・・・。(つづく)
2008年01月14日
一泊二日、伊勢神宮の「正式参拝」の旅路は、12日の午前7時頃に、山口市内の某所にまず6人が集合。そして、一台の車に乗り合わせてイザ出発!そして途中の姫路で、新たに二人が加わり、大き目の車に乗り換えて、計8人の旅路となった。予想していたように、一日でこれだけの距離を車で移動したのは初めてで、小雨模様の道中ということもあって、ただ車に乗っているだけでも、なかなかの心身修養となった。そして伊勢に着くころには雲も晴れてきて、この度の「伊勢詣で」を寿ぐかのように、雲間にかかる「虹」が出迎えてくれたのが印象的であった。それはまるで、五十鈴川にかかる宇治橋のようでもあった。そして、いよいよ太陽の光が降り注ぎ始めた頃、高速の「伊勢西」インターを出て、まず「伊勢外宮」に向かった。お手水舎を経て外宮参拝。威風堂々としたその重厚なたたずまいに圧倒された。参拝を済ませた後、持参した二つの「五十鈴」を両手に、軽やかな鈴の音を味わうことができ、それは感慨無量のひとときであった。そして同じ境内地にある別宮の土宮(つちのみや)へ・・・。この「土宮」は、内外両宮の御神域にある数多くの神社なかでも、唯一東面する神殿とされ、その方位は「冬至」の日の出の方向ということである。それはまるで、伊勢志摩を代表する霊山「朝熊山」の山頂から昇る、冬至の朝日を迎え入れるかのような神社配置になっているとのこと。伊勢の祭祀に詳しい研究家の話によると、もともとはこの「土宮」が、外宮の祭祀の中心であり、外宮の主祭神とされる「豊受大神」は、後の時代に丹後国から迎えられたとのことだ。外宮境内にある神殿の巡拝を経て、社務所にて今年の「神宮暦」を入手し、本日の宿泊先に移動。この度の一泊の宿は、伊勢内宮のすぐ近くにある(財団法人)修養団という研修施設であった。その団体が主催する『新春の集い』に、縁あって便乗させていただく機会を得たというわけである。(つづく)
2008年01月14日
山口市は県庁の近くに、「西のお伊勢さん」といわれる山口大神宮がある。室町時代の大内氏三十代の義興公が、伊勢神宮の神霊を勧請して創建したとされ、なんでも江戸時代まで神宮の神霊をお迎えできたのは、日本中で当社のみだったということである。今年は人出で賑わう正月三が日を避けて、一月五日に市内の三社巡り(仁壁神社・今八幡宮・山口大神宮)の初詣を終え、近くの湯田温泉での初湯に浴することができた。そして自宅に帰ってのんびりしていると、知人から「伊勢神宮の正式参拝」の誘いがあった。少し迷ったのだが「伊勢に七度、熊野に三度、お多賀様には月参り」という古い俗謡を思い出し、「そうか・・・昨年の夏は熊野の本宮大社にお参りして三度目の参拝となり、そして今回の神宮参拝となれば、指折り数えて七度目のしかも初めての正式参拝となる・・・」ということで、お誘いに乗ることにした。日取りは、この12~13日の一泊二日の予定で、参加人数は6~8名にして、車での参拝旅行ということであった。調べてみると、山口から伊勢までの片道の走行距離は約700キロ、走行時間は高速道路を利用して約9時間である。この往復を一泊二日でこなすのは、それだけでも修行となろう・・・。ところで、今日の掲載画像は「五十鈴(いすず)」と命名した造形である。なぜか今年は年始から、この造形に心を魅かれていたので、2007年9月20日のブログに掲載した二つの「五十鈴」を、今回の旅のお供に携帯していくことにした。(つづく)
2008年01月14日
先日1月8日の日記では、〔「開き」の型示し〕と題して「立体的7角形」を取り上げた。そこで今回は、本日1月11日の「鏡開き」の月日を寿ぎ、「11角形」の軸線構成を取り上げることにした。(掲載画像は、その「11角形」を少し斜めから撮影したもの。)この「立体的11角形」も「立体的7角形」と同様に、中央部が開いた構造になっているところが特徴だ。私の中では、この2種類の造形は、同類の角形表現という感覚がある。ある条件を設定して、各種の角形表現を展開していった場合に、この「11角形」の中央部には「少し開いた穴」が自ずと形成されるのだが、その中央の「開口部」のたたずまいは、数ある角形表現のなかでも特別の趣がある。・・・これぞ正月11日の「鏡開き」に相応しい・・・という着想から、かつて2007年1月11日の日記でも、同じ造形を取り上げたことがあった。(その時の画像は、造形を正面から撮影したので、平面図形のように見える。)上述したように、今回の造形について、これを少し斜めから映したのは、その造形の微妙で繊細な「膨らみ」を見て欲しいと思ったからだ。興味深いのは、同様の手法による角形表現で「12角形」を構成した場合は、フラットな「12角形」の平面図形になってしまうところである。以上のことから、平面の「12角形」になる一歩手前の「11角形」は、中央部に「開き」があり、全体的に少し膨らみのある、たおやかな円盤状となるところが持ち味といえよう。ところで、私なりに造形表現に年数をかけてきた経験からすれば、「10角形」や「6角形」を立体的に表現した場合、これらを「閉じた」造形ととらえる感覚がある。双方は、おそらく同類で、言わば構造的に「不動」の安定感があるのだ。ところが、それぞれの角形数に「1」を足した、「立体的11角形」や「立体的7角形」は、それまでの閉じて安定した世界から「新たな一歩を踏み出す」というか、「変化する動き」をあらわす造形と観ることができる。そのような観点から、新年の「事始め」とされる「鏡開き」の月日を寿ぎ、今日より何かが始まる・・・〔 変 容 〕・・・を暗示する「立体的11角形」の披露となった次第である。
2008年01月11日
なんだか今年は年初から、知人との対話の際に「水」にまつわる話題となることが多い。なぜだろう・・・今年が「子年」で方位は「北」にして、その要素は「水」だからか・・・などと考えていると、ある「特別な角度」が浮かび上がってきた。それは〔約52度〕の角度である。「水」の分子の調和のとれた結合角度は約104.5度とされ、その半分が約52度。「水晶」の結晶角度も約52度で、水分子の角度と深い関連があるとされる。そして何と、「ピラミッド(ギザの第一ピラミッド)」の傾斜角も約52度なのだそう。そういえば、かつて私はエジプト旅行の際に、このクフ王のピラミッドともいわれる第一ピラミッドの中に入る機会を得て、その中央部の「王の間」という空間に据えてある「棺」の中に寝そべったことがある。その空間はまさに、あらゆる学問の王道とされる「立体幾何」の殿堂という印象があった。ある研究者の話では、特にこの「ピラミッド」は、徹底的にその角度(四つの斜面が水平と作る角度)にこだわりぬいて建造されているとのことだ。またある説では、その頂上には大きな水晶球が置かれていたとされることからも、この「ピラミッド」が「水晶」や「水」のはたらきを意識して造られたことは、ほぼ確実だと思う。それぞれの構造性がもたらす「約52度」の角度は、同様の「ひびき」を醸し出すようで、あるピラミッドに関する解説には・・・「生命体に活力を与えるものと共鳴、好ましい振動数だけを増幅し、地上に供給し続ける装置」・・・とあった。ということから、この約52度や約104.5度という角度は、原子間で引き合う力が最も安定している角度なのかもしれないと噂されている。この「特別な角度」として浮かび上がってきた「約52度」、ここしばらくは注目してみたい。ところで、前回のブログでは「立体的七角形」を紹介したが、「正七角形」の360度を七等分した角度の「約52度」も興味深い。おそらく何らかのかたちで、上述の構造性と関連するのであろう。ただ前回のブログで掲載した画像の「立体七角形」の特徴は、その七角形の中央部が開いているところで、それを例えると・・・大地に蒔かれた種子が自らの殻を破り、いよいよ天空に向かって芽吹いていくかのような・・・そんな動態的展開を見せているところである。
2008年01月10日
今日の画像は、「七角形」の立体構成を映したものである。(参照・2005年8月1日の日記)今までも数々の「立体的七角形」を表現してきたが、この構成表現が一番美しいと感じる。今回は、黄色のセロハンを七つの正三角形に貼ることで、中央の「開き」の部分を強調した。これを平面図形で表現しても中央部は開くのだが、画像の造形は「立体」なので、それぞれの三角形の内側にある七つの頂点は、これを見る側(手前側)の方に向かって開く型となっている。・・・その開き加減が まるで花の蕾が開いていく様子を見るようで なんともいえず美しい・・・様々な七角形の立体的表現を、私なりに試みてきたなかで感じてきたのは、「七角形」は「光」を表すカタチなのではないか・・・ということ。例えば、その「立体七角形」の中央の開口部から、「光」が透過してくるイメージである。しばらくすると、次第に「光」という字形も「七角形」に観えてきたから不思議である。そして科学的観測からも、「光」は「七角形(七芒星)」を描くことがわかっている。もしかすると、噂されてきた七度目の「岩戸開き」とは、新しき七角形の「光」の世界がわかりやすく開示され、自ずと隅々にまで浸透していく・・・ということなのかもしれない。今まで閉じられてきた岩戸が開かれて、いよいよ新しい「光」が差し込んでくる風情を、この美しき七角形の「開き」に重ねてみる今日この頃である。
2008年01月08日
平成20年の正月を寿ぎ 本日撮影した「新玉」を披露 画像をアップして浮かんだ言葉は・・・〔 宇宙神殿 〕・・・ 《 今年も素晴しい一年となりますように 》
2008年01月01日
全14件 (14件中 1-14件目)
1