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つい先日の1月21日に訪ねた「俵島(たわらじま・上の画像の岩島)」であったが、当日は潮が高くて島に渡ることができなかった。※関連記事・・・向津具の「俵島」を訪ねてそこで旧正月(新月)の1月28日、大潮の干潮時に狙いを定めて、再び「俵島」を訪ねることにした。その前日の準備段階で「潮の干満表」を眺めているうちに、なぜかあの海幸山幸の昔話において「潮の満ち引き」を司るとされた「潮干珠(しおひるたま)」と「潮満珠(しおみつたま)」に想いを馳せることに・・・。ちなみにこの俵島(国指定名勝及び天然記念物)は、向津具半島(山口県長門市)の突端にある小島で、周囲約900m・高さ約30mの全島が玄武岩から成っており、米俵を縦に積み重ねたような景観が島名の由来とされている。さて同島に渡り、山上にある灯台を経て少し森の中を歩いていくと、一気に展望が広がる高台に立つことができた。そこで上の画像は、その高台から海岸へ降りる際に撮影した、海に突き出た島の岸壁である。その岸壁が全体として、ひしめき合った小粒状の岩の連なりに見えるのは、この島の特徴でもある垂直方向に成長した柱状節理や板状節理の、その言わば断面を上方から映した景色というわけだ。次に、その整然と並ぶ「柱状節理」を、近くに寄って映したものが下の画像だ。この隙間なく埋め尽くされたかのような石群の割れ目は、数学的には「ボロノイ分割」とも称され、平面的には6角形や5角形の組み合わせで形成される美しい幾何学的配置になっていた。そして下の画像は、海に突き出た岩礁の先端から振り返って、降りてきた崖道を含む柱状節理の偉観を撮影したものだ。まさか俵島の裏手に、このような絶景が待っていようとは・・・。幾何的構造に携わる者にとっては垂涎ものの眺めに酔いしれ、童心に返り時間を忘れて岸壁に遊ぶのであった。
2017年01月31日

一昨日の1月23日の午前中、とある造形の全体像がフト浮かんだので・・・この期を逃すまい・・・と、すぐに制作に着手することにした。そして昨日の24日には、造形内部の構成に新たな発想が加わり、25日にかけて完成した新作の造形が、本日掲載した4枚の画像に映る作品である。結果的ではあるが完成してみると、私的には「17」という数を意味する形になったと感じる。イメージとしては、17個の同じ大きさの球体が和合して「ひとつ」となり、それが軸回転して律動する一瞬を具現化した造形といえよう。実は、この新作の造形を作り始めた頃は、おそらく数では「15」を意味する形になるだろうと想定していたのだが、これを制作する過程で、どうしてもあと2つ加える必要性が出てきたのであった。そこで、なぜ2つを加えなければならなかったのかと、その理由を自問すると・・・それは「イザナギ(男神)」・「イザナミ(女神)」の二柱の神・・・と浮かんだので、心中で「なるほど!」と合点がいったのであった。それはつまり、「古事記」において、「天之御中主神」よりはじまる神々は、「イザナギ」・「イザナミ」までの17柱の神々で「一括り」となることを示しているからだと、そのように感じたわけである。※以下は「古事記」の冒頭に綴られる文章天地(あめつち)はじめて開けし時 高天原(たかあまはら)に成る神名(かみな) 天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)そこで、この私なりの見立てで【天地開闢の「ひな型」】と感じる造形の「中央」は、上記の最初に出現した神とされる「天之御中主神」の御座と観えている。その「中央」たる「天之御中主神」の御座の周囲には、次に「タカミムスビ」次に「カミムスビ」と、順次14柱の神々が集い各々の御座へ、そして最後に「天」を司る「イザナギ」と「地」を司る「イザナミ」の二柱の神が加わることで、いよいよ次段の「国生み」につながる全部で17柱の神々の配置が整うことになる・・・。これまで「古事記」に記載された神々の配置の整合性について、これを構造的に解釈する研究者も多々いらしたのであるが・・・もしかすると、この「ひな型」を基盤とすることで、日本神話に秘匿されてきた『奥義』を紐解く「手懸り」になるのかもしれない・・・と、そんな予感がする今日この頃である。
2017年01月25日

日本三大修験道の霊場の一つと謳われる「英彦山」を九州の中央とした場合に、北方の九州域には北九州市小倉の「足立山」が存在し、その山麓に「北極星と北斗七星」を祀る北方鎮護の「足立山妙見宮」が鎮座することは、かねてより興味深く感じていたことではあった。そこでつい先日、その足立山から山口県域に向かって南北の軸線を引き、さらに北方に伸ばしていくと、山口県長門市の向津具(むかつく)半島の西端にある「俵島(たわらじま)」に当たることが分かった。・・・ということで昨日の1月21日、向津具の「俵島」を訪ねてみることにした。冒頭の画像は、その「俵島」(画像中央にある小島)を撮影したものである。地元の山口県で向津具半島とくれば、私の記憶では同半島で出土した「有柄細型銅剣」が浮かび上がってくる。そこで、まだその銅剣が出土した「王屋敷(向津具)遺跡」を訪ねたことがなかったので、まずはその出土地を散策することにした。この上の画像は、当地を訪れた際に映した遺跡の解説板だ。そして、下方に掲載した二枚の銅剣の画像のうち上の銅剣は、この王屋敷遺跡から出土した弥生時代中期(紀元前2~1世紀)の細形銅剣(複製)である。青銅製で長さ43.9cmの同銅剣が出土した際には、先端の鋒(きっさき)と把頭飾(つかがしらかざり)の一部は欠けて、七つの個体に折れていたそうである。 この銅剣は、把(つか)と剣身を同時に鋳造し、把頭に触角形の突起がついているのが大きな特色とされ、これと同じタイプのものが佐賀県の「吉野ケ里遺跡」で発見されている。そこで、その吉野ケ里遺跡から出土した同型の銅剣(長さ44.5cm)を映した画像を、王屋敷遺跡から出土した銅剣の画像の下に並べて掲載してみた。双方の銅剣を見比べれば素人でも分かるように、全くの同型とみて差し支えないようだ。これまでのところ、この「山口県・王屋敷遺跡出土」と「佐賀県・吉野ヶ里遺跡出土」の「二振りの銅剣」(双方共に国指定・重要文化財)以外に、同型の銅剣は発見されていないとのこと・・・。以上のことから・・・もしかすると、この同型の「把頭飾付 有柄細形銅剣」を所持していた両地域の首長クラスを含む弥生時代の人々は、遠方ではあるけれども深い地域交流があったのではあるまいか・・・などと、改めて古代に想いを馳せたところである。◎関連記事・・・「垂直軸」・・・【剣】の巻(1)◎関連記事・・・「垂直軸」・・・【剣】の巻(2)◎関連記事・・・「垂直軸」・・・【剣】の巻(3)ところで、冒頭で「北極星と北斗七星」を祀る足立山妙見宮の、そのさらに北方の北端に位置するのが、山口県は向津具半島の西端にある「俵島」と記した。そこで今回の歴史探訪の過程で、何故か自分の心に浮かんできたのは、「北極星」の投影地としての「俵島」、そして「北斗七星」の投影地としての「向津具半島」というイメージであった。そして、王屋敷遺跡出土の七つに折れた「銅剣」とは「北斗七星」を暗示しており・・・などと走馬灯のような連想をしていると、いよいよ「俵島」と「向津具半島」の関係が、「玉(北極星)」を手に持つ「龍(北斗七星)」という威厳に満ちた絵図に観えてきて、なんとも神妙な心地となるのであった。
2017年01月22日

・・・ 天の原 ふりさけみれば 春日なる 三笠の山に いでし月かも ・・・昨年の12月25日、以下の関連記事にも書いたように、この御歌が編まれた舞台と推察される「月の浦」(福岡県大野城市)を訪ねたことがあった。☆関連記事・・・春日なる 三笠の山に・・・そして今年の1月14日、前回の日記で書いたように、まるで自身のこれまでの歴史探訪と古代九州王朝に纏わる痕跡が交差して浮上したとも感じる【九州における東西南北の「中央」】と思しき地域を散策した帰途、たまたま高速道の基山SAで美しく輝く「月」を見ることになった。当月の満月は12日だったこともあり、ほとんど満月と見紛うほどの輝きにほだされて、上記の「月の浦」の高台を今一度訪ねてみることに・・・。そこで冒頭の画像は、昨年末に訪れた同じ高台から、「月見」を楽しんだ風情を映した画像である。次に下の画像は、冒頭と同じ画像を調整して、街明かりの向こうにある山並みがわかるようにしたものだ。そして下の最後の画像は、昨年末に同じ高台より撮影したものである。まさか月の出でし時に当地に立ち、かの御歌に編まれた奥ゆかしき風情を追認するかのような機会に恵まれるとは・・・。有り難き幸せを噛み締める一時であった。
2017年01月17日

昨日の1月14日、これまで以下の関連記事等で何度か取り上げてきた「北部九州域における東西軸」と「山口と九州を貫く南北軸」が交差する「中央」と思しき地点を訪ねる機会があった。その九州において東西南北の「中央」と想定した地点は、古代九州王朝(ウガヤフキアエズ王朝)の王都があったとされる大分県竹田市の市域にあることを、かねてより地図上で確認はしていた。時間が限られていたなか、夕暮れ時になってようやく理想的な展望の良い高台に到着、そこでフト振り返ると秀麗な山があった。早速、手持ちの携帯で地図や方位等を調べてみると、その地から南方に聳える「祖母山」(⇒登山の記事)であることが確認でき感慨一入であった。しばらくその地で周囲の景色を撮影していると、沈む夕陽の雲間から、まるで扇が開いたかのような光を見ることができた。それを映した画像が下である。感動を胸にその風景を目にしていると、祖母山を心の拠り所とした「ウガヤフキアエズ王朝」の栄華を垣間見る思いがしたのであった。関連記事・・・九州王朝の「東」の起点へ(上)関連記事・・・「大穴」が空いた、その先に(二)関連記事・・・由布岳(豊後富士)を展望しつつ
2017年01月15日

今夜の満月(旧暦12月15日)を寿ぎ、「立体十角形」を映した画像を掲載した。「月」に棲まう「白兎」は「はくと」と読め、数を充てると「八九十」となる。これを「八九(破竹)」の勢いで「十(自由)」の世界へ向かう暗号とも読める。自分で自分の生き方に責任を持って、本当の自由を語ることのできる時代へ・・・。☆関連記事・・・出雲の心は「月」と映りて・・・☆関連記事・・・遠つ神 愛み賜へ
2017年01月12日

新年を迎えて1月7日、福岡県北九州市の「いのちのたび博物館」で開催中の『発掘された日本列島2016』(主催/文化庁~2月19日まで会期中無休)を観てきた。そこで上の画像は、会場入口の冒頭に特別に展示された縄文時代中期(約4500年前)の土器類を撮影したものだ。ここで興味深いのは、この多種多様の形状や文様で成形された土器類は、新潟県糸魚川流域の「六反田南遺跡」(糸魚川市大和川1161)という当遺跡の一箇所のみで出土していることである。解説によると・・・良好に復元できる土器が、これほどまとまって出土することは少なく、縄文社会の動態を知る上で、極めて重要な情報をもたらしてくれる・・・とのことであった。この展示された数々の縄文土器の中でも、特に上の画像に映る土器(冒頭画像の最上段に展示されたもの)は、とりわけ意匠が優れており、その流麗で躍動感にあふれる文様に、思わず感嘆の溜息とともに見惚れてしまうのだった。さて糸魚川といえば「ヒスイ(翡翠)」の産地、そしてその原石を加工した「玉類」の生産地として有名である。装身具としての日本のヒスイは、縄文時代前期より約7000年の歴史があるとのことだ。その一貫して威信財として扱われたヒスイ製の装身具は、大まかには縄文時代の前期に硬玉製の「大珠」がでてきて、後期・晩期には「勾玉」となって、弥生・古墳時代へ継承されていくという流れである。この糸魚川に近く、日本海からわずか200mの海岸部にある六反田南遺跡では、ヒスイの原石とその加工用の砥石が出土しており、この遺跡の集落では打ち割られたものや剥片(はくへん)が主であることから、粗割など限られた工程のみが行われたと想定されているそうだ。そこで下の画像は、その縄文遺跡で出土したヒスイ原石と、加工過程の剥片を撮影したものである。◎関連記事・・・月は翡翠、そして・・・◎関連記事・・・「ヒスイ」と「黄金」と・・・◎関連記事・・・糸魚川のヒスイところで、上にも玉類の装身具が古墳時代まで継承したと記したが、近年発掘された玉造り専門の集落工房跡として奈良県橿原市の「曽我玉造遺跡」がある。この遺跡は古墳時代の五世紀後半~六世紀前半、玉類(勾玉・管玉・丸玉・小玉などの玉製品)を大規模に生産していた王権直属の工房遺構で、同遺跡の立地は中央忌部氏や蘇我氏の本貫(大和国高市郡忌部里・蘇我里)に近接することなどから、同工房は蘇我氏の管轄下に忌部氏が直接経営していたものと推測されている。驚くべきことに、この曽我玉造遺跡で出土した勾玉や管玉等の完成品は約13,000個にのぼり、未完の玉類を含めると億を数えるとのことだ。ここで、さらに注目したいのは、同工房は他地域のそれと同じく六世紀前半には突如廃止され、それ以降は出雲のみが独占的に生産を続けてゆくことになったということである。この全国的な変化の背景には、統一権力の関与が想定されるのだが・・・。縄文時代の「自然と融和する心」が存分に投影された土器類や玉類の数々、特に今回のメインであろう「六反田南遺跡」で出土した展示物を観ていると、その優美で繊細な意匠や文様に心魂を洗われた感じがして、氣分爽快になったことを憶えている。時代は今、あらゆる分野で「対立」から「融和」へ向かっており、地球人類の先導役を日本が担わされているとするなら、私たち日本民族の根底に潜む「縄文遺伝子」の活性が、大いに期待されるところである。
2017年01月10日

今朝(一月二日)の夢見は・・・座敷の中央にある閉ざされた二枚の襖が、静かに奥ゆかしく左右に開かれていく・・・というビジョンであった。そこで感じたのは、昨年の冬至日のワークショップで「岩戸(いわと≒一八十)開き」を意識した時空と、もしかすると関連するのかもしれないということだった。※関連記事・・・今年の「冬至」は、ワークショップ!その夢見のビジョンを少し解説すると、二枚の襖の引手に近い縦の縁が、閉まっている段階では中央に存在する一本の御柱として観えていたのだが、その二枚の襖が同時に左右に開いていく過程において、それまで中央に観えていた一本柱が、次第に二本の御柱として平行移動して開かれていったという感じだ。そして驚くべきことに、その元々は一本に観えていた御柱が二本の御柱として開いていく風情は、なぜか垂直に立つ一本の「綿棒(立体造形の素材)」が、二本の屹立する綿棒となって平行移動しつつ開く姿に重複して見えてきて、さらにはその直立する二本の綿棒(御柱)が左右に同時展開する過程に、「五種類の正多面体」が開き加減の段階ごとに一つづつ現れては消えて、最後は「正12面体」の形状が現れて全開となったのである。☆関連記事・・・『立体工作のご案内』(綿棒で立体を作ってみよう!)この夢から覚めて暫くすると、「ひのもとは にほんだて」という文言が脳裏に浮かんできて、その文言に「一の元は二本立て」や「日の本は 日本立て」などの宛字が可能だという不思議な感覚に包まれ、また同じ長さの「軸線(綿棒)」にこだわって様々な立体を模索し構成してきた制作姿勢に、我ながら改めて醍醐味を感じたのであった。
2017年01月02日

あけまして おめでとう ございます 今年もよろしくお願いいたします 平成29年 元 旦
2017年01月01日
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