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2010.05.11
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カテゴリ: 京や街の風物詩


そもそも「和歌の家」の象徴である御子左家(ミコヒダリケ)定家の子の為家が亡くなる時、遺言書に相当する「譲り状」を巡って、

嫡流二条家の為氏及び京極家の為教(タメノリ)と後添いの母:阿仏尼の子として生まれた為相(タメスケ)の冷泉家という3つの家系が相続権を争ったのでした。

幕府に嘆願する為、鎌倉へ下向した際に阿仏尼が書いた旅日記が有名な「十六夜日記」です。それから30年を経て、

二条家、京極家の断絶の結果、御子左家の血筋を引く「冷泉家」として誕生しました。爾来、現在の25代目為人さんまで800年ほど続いています。

余談ながら24代の為任(タメトウ)さんが某年金基金の理事長をして居られた折、私は担当銀行員として面前に居たことも。

戦国の世は冷泉家にとって存亡の危機に見舞われた時代で、滋賀県の近江に疎開。

6代目為広さんは駿河の今川氏や能登の畠山氏と親交を結びました。9代から12代は安土桃山、江戸初期にあたり、

一時、大坂にも居を構えましたが秀吉の命により再び京に戻り、古今伝授をした家康の庇護をも受けるようになりました。

この間、日本国家の宝とも言うべき冷泉家の古文書は戦火を逃れ、幕府や皇室から手厚い保護を受けました。

冷泉家の住宅と定家が書いた日記:国宝「明月記」の修理には8億~9億円もの費用がかかりましたが、

75%は国・京都府・京都市の負担、残りの自己負担部分が高額でしたので、バブル崩壊期ながら1億3千万円を超える寄付金が集まったようです。

 参考図書:「京都冷泉家の八百年」(冷泉為人編、NHK出版)






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Last updated  2010.05.11 08:28:13
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