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2010.09.08
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カテゴリ: 雑感・雑学


九条兼実の日記「玉葉」によれば、かねてより彼は義経の名乗りが、我が継嗣良経と同じであることに不満を持っていましたが、

当時武威を誇る義経には摂関家の権威も通じず遠慮していました。文治元年に義経追討の院宣が下される至り、義経の名は一方的に”義行”と改名されました。

忌まわしき名前を替えたものの當の義行の所在が皆目掴めないので、義行は”能隠”に通じるから露見し易いようにと、また一方的に”義顕”に替えられました。

その事実が「吾妻鏡」と「玉葉」双方に記述されていて文治二年の十一月の候、義経が衣川で自刃したのは文治五年のことでした。

 では女性の名前についてひとこと触れますと、太閤秀吉の正妻・北政所の幼名は”ねね”、ライバルの淀君のそれは”ちゃちゃ”。

銀閣寺で著名な足利義政時代に流行ったをさな名が”ちゃちゃ”で、当時を記した「大上臈御名之事」に拠れば、

貴族層のをさな名として人気のあった名が、あちゃ、かか、よよ、ちゃちゃなどが挙げてあります。やがてそれらが武家にも広がったようです。

”ねね”も割りと流行った幼名で、秀吉の”ねね”宛の手紙には”おね””ね文字””おねね”等があります。

北政所として出す公的な文書には貴族の正妻らしく”吉子”と記していたようですが、

ねね自身が近親者に与えた手紙に”ね”と一字だけ記されたものがありますが、これは遠慮の要らない相手への用法だったとか。









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Last updated  2010.09.08 09:46:57
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