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2012.04.25
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カテゴリ: ガイド奮戦記



 さて四条から新京極通りを北へ上り、蛸薬師辺りで寺町通と河原町通とを見比べると

河原町通向って低くなっていることが解ります。Kさんの解説では、


寺町通の西側は店が立ち並び、東側は寺の境内だった。境内の東側は鴨川の川原地だったから土地が低くなっています。

この新京極通も三条に差し掛かるとぐっと高くなっています。それは三条大橋の東西の道筋だから三条通は高い場所にある訳です。

 河原町通の信号を渡り、1つ手前の道を鴨川に向って歩きますと、これは牛が引っ張る荷車道で、

橋を渡る人は肩に俵1つ分、馬は背中に俵2つ分乗せ、この重さまでは大橋を渡ることが出来ますが、

それ以上の俵を積載する牛荷車は、橋よりの低い通りを橋と並行に進み、川水に浸かりながら鴨川を渡った訳で、それは図録にも載っています。

また一俵の重量(60キロ)への工夫と言えば、人が使う長杖の上部分は板状になって居て、

塀にもたれる時、杖の板にするすると俵を下ろし乗せ、休憩したのだそうです。

三条大橋の1番目の擬宝珠には洛陽三条・・・の増田長盛の銘があり、次の擬宝珠には刀傷が残っています。


 更に東に向かい、白川橋を渡った橋の袂に石碑があります。これは京都最古の道標。

延宝6(1678)年、「京都無案内の旅人の為に之を建つ」と彫られています。

此処から少し南に下がった露路を東に入ると、

明智光秀の首塚があって、長存寺殿明窓玄智大禅定門と刻した石碑もあります。


青蓮院横から粟田神社へ参る道は旧東海道のようで都ホテルにぶつかる為、途中で石段を下ります。

 山科に抜ける大通りには昔の車道の轍(ワダチ)跡の筋がくっきり残る石を幾つも壁にはめ込んであります。

天智天皇山科陵・諸羽神社を経て東海道を下る道中、「五条の別れの道標」があります。

宝永5(1707)年の建立で、大津方面から京をめざす旅人は、ここで左に折れ、渋谷・滑石越えへ出る近道を選んだようです。

「右は三条通り」「左ハひがしにし六条大仏、今ぐまきよ水道」と刻まれています。

渋谷越えの道を選んだのは、洛中では碁盤目でも、この地点では道は斜めに延びている故。


この日のフィナーレは、十禅寺、そして人康(サネヤス)親王の墓詣ででした。

仁明天皇の第4皇子は28歳の時眼病から失明されました。琵琶琴の祖として崇められています。

 今朝よりは悲しき宮の秋風や
         また逢坂もあらじと思へば

という小野小町の和歌は、この皇子の逝去を悼まれたものとされます。






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Last updated  2012.04.25 08:59:38
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