おしゃれ手紙

2016.03.10
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カテゴリ: お出かけ
nanohana
司馬遼太郎記念館 ■に行ってきた。
1996年(平成8年)2月12日、72歳で亡くなった。
菜の花の咲きはじめる頃に亡くなったからか、
  「菜の花の沖」という作品があるからか「菜の花忌」と呼ばれているのかと思ったら
生前好きだった菜の花が好きだったからだそうだ。

私たちが行った日は、町中、菜の花が満開。
町をあげて、菜の花作りに協力しているのだそうだ。
siba
門には司馬の手で「司馬遼太郎(福田)」とある。

司馬遼太郎の祖父・福田惣八が明治維新をむかえたのは18か19のときだった。
“百姓にも姓がつくそうな。”ということになり、当時村にいた惣八の一族たちは会合して申しあわせ、三木という姓にすることにした。
先祖が三木籠城(ろうじょう)したということでそうなったというのだが、そのころ惣八は親類中と喧嘩をしていて、親類の者から「おまえだけは別の姓にしろ」といわれたから福田になったのだそうだ。


筆名の由来は「司馬遷に遼(はるか)に及ばざる日本の者(故に太郎)」から来ているという
jitaku
執筆していた自宅は残念ながら入れないが、ガラス越しに見える。
雑木林風の庭を見ながら執筆していたそうだ。
sibaryoukinennkann
司馬遼太郎記念館の内部の写真は、撮れないが、膨大な本が囲んでいる。
資料集めへの執念はすさまじく
一度に何千万円単位という巨費を投じて買い集めた。
司馬が資料を集め始めると、関連する古書が業界から払底したという逸話があった。
当初は、軽トラックで乗り込み、古本屋に乗り込むや否や手当たり次第に乱読購入し、関係者らと荷台に乗せていったという。
『坂の上の雲』執筆に際しては、神田神保町の神田古書店街の古書店主らに依頼し、「日露戦争」という記述のある本を片っ端から買い集め、当時同じ題材の戯曲を書いていた井上ひさしが古書店に行っても資料がなかったという逸話も残る。

こんなに、持っていても読まないのでは?と思いきや、速読家でコーヒー一杯飲む間に、文庫本一冊ぐらいを読んんでいたという。
今、■ 100分de名著 ■という番組が司馬遼太郎特集をやっている。

その中で「花神」の主人公、大村益次郎という人がいるが、
死去した国立大阪病院は、奇しくも『花神』で書いた大村益次郎が死去した場所であったそうだ。
100分de名著:司馬遼太郎特集
「ほかに類をみない豊かな多様性」「民衆の隅々まで行き渡った公の精神」「目先の利害にとらわれないリーダーたちの無私な高潔性」……今や失われようとしている、日本という国が元々もっていた美質。
私たちが見過ごしてきた日本という国の豊かさ、日本人の精神性の深さを瑞々しい言葉で作品に描き出してきた作家・司馬遼太郎(1923-1996)。
彼が亡くなってから2016年でちょうど20年になります。
そこで「100分de名著」では、卓越した日本人論としても読み解ける司馬作品を通して、「日本とは何か?」や「歴史における人間の役割とは何か?」をあらためて見つめなおしたいと思います。

第1回 「戦国」から読み解く変革力 ~「国盗り物語」を中心に~
第2回 「幕末」に学ぶリーダーの条件 ~「花神」を中心に~

第4回 「鬼胎の時代」の謎 ~「この国のかたち」を中心に~

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Last updated  2016.03.10 18:10:34
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