August 23, 2023
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カテゴリ: 気になるTV番組
2023年NHK大河ドラマ 『どうする家康』 の感想です。

この回は天正12年(1584)の「小牧・長久手の戦い」の
後半で、ドラマでは主役の徳川家康(松本 潤さん)よりも、
家康の周りを固める榊原康政(杉野遥亮さん)ら若い大将
たちの活躍や思いがより深く描かれた回でした。

大河ドラマで2回にわたってやるから、康政のあの悪口の
立札が出てくるかと思ったら、出てきました。
でも発案が本多正信(松山ケンイチさん)で、悪口のネタを


あと「三河中入り」の作戦を正信が見抜き、軍議の場にいた
皆がハッと気づき、人夫に突貫工事を命じて、時間が惜しい
最後は若い大将たちも一緒に泥だらけになって働いた姿は、
皆で一丸となって困難を乗り越えてきた徳川方らしい描写に
思えました。

ただ一つ、私が残念に思ったのは後半で「岩崎城の戦い」の
ことがナレーションもなく終わったことでした。
岩崎城は長久手古戦場よりほぼ南に約3kmの位置にあり、
三河中入りの池田恒興が岡崎に向かう途中にありました。

この岩崎城を守る丹羽氏次は徳川方で、この時は弟の氏重が
守る、兵の数は300ほどの小城でした。

ために、全員打ち死に覚悟で7000の敵兵に挑んでいきました。

そして丹羽勢は全滅してしまったのですが、ここで先発隊の
恒興の進軍が止まった間に、最後尾にいた秀吉の甥・秀次に
小牧山城を出た徳川方が追いついて、恒興が引き返していく
ことになったので、大きな意義のある戦いとなりました。


と思うばかりであります。
※岩崎城のHPです ⇒ ⇒  こちら

こちらでは様々な意見がでていて参考になります。
 ⇒ ⇒  #どうする家康

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天正12年(1584)3月、羽柴秀吉との決戦のために徳川家康(松本 潤さん)は
秀吉が陣を構える楽田城より南に1里半にある小牧山城を堅固な要塞に作り替え、
そこを本陣として対峙しました。
しかし両軍とも膠着状態のまま日が過ぎるばかりなので、本多正信が秀吉の悪口を
書き連ねてそこら中に立札を立てて相手を挑発してはどうかと発案。
榊原康政(杉野遥亮さん)もそれに賛同し、皆がそれぞれに秀吉をののしる言葉を
考え、字が上手い康政が清書してあちこちに立札を立ててきました。



それらの立札を池田恒興(徳重 聡さん)が集めて羽柴秀吉(ムロツヨシさん)に
報告し、内容を読みあげました。
あまりの内容に弟の羽柴秀長(佐藤隆太さん)は途中で読むのをやめさせました。
でも秀吉は、この罵詈雑言の立札は康政が自分を怒らせようとしているのだと
見ぬいていて、さらに自分はこれまでにもっと酷いことを言われ続けてきたのだ
と言って、こんなのは可愛いもんだと平然としていました。
(たしかに秀吉は出世するまでは、さんざん武士たちから侮辱され時には蹴飛ば
されて、人としての尊厳を踏みにじられても我慢し続けてきましたからね。)
そして「この卑しき野人の子に家康はひざまずくのだ。」と笑い、同時に恒興の
態度が大きいことへの苛立ちを密かに弟・秀長には漏らしていました。



そろそろ秀吉が動き出すであろうと考える徳川方では軍議が開かれ、家康は
本多正信(松山ケンイチさん)に意見を求めました。
正信は自分が秀吉ならばここを攻めると机の外に石を落としました。
本多忠勝(山田裕貴さん)は最初は「ふざけたことを!」と怒ったけどすぐに
正信の言わんとしていることに気がつきました。
それは絵図面の外、つまり秀吉は岡崎を狙うだろうという意味で、その意図を
家康も康政も他の重臣たちもすぐに理解しました。
康政は翌日から、堀と土塁を作る人夫たちに修正した図面を渡してこのように
作るよう命じ、忠勝も人夫たちに急ぐよう命じました。



徳川方がひたすら堀を作っているのを見た秀吉たちは、家康は小牧山城にこもる
つもりだと考えていました。
そこへ恒興と娘婿の森 長可(織田信長の小姓・森蘭丸の兄;城田 優さん)が
来て、家康を引っ張り出す策があると言いました。
それは家康の本領の三河を攻めるというもので、恒興の軍勢が密かに出陣して
岡崎城を狙い、それを聞けば家康もすぐに出てくるというものでした。
秀吉は「三河中入り」は気乗りしませんでしたが、恒興が自分がいるから織田
家臣たちが付いてくる、ここは自分に従えと強気でした。
秀吉は一晩考えると言い、恒興たちが去った後で、そんなのは自分もとっくに
考えてたけどやるなら密かにやりたかった、恒興は己の手柄にするためにもう
兵たちに言いふらしているだろうと、不快感をあらわにしていました。



堀作りを急ぐため、忠勝や康政たちも人夫と一緒に作業していました。
その折に井伊直政は本多正信かつて殿・家康の命を狙ったことがあるのかと問い、
実は自分もそうだったと打ち明けました。
直政は「なぜ殿は自分たちを赦し信じてくれるのか。戦なき世を作るのはそういう
お方だ。」と言い、そして「ご恩に報いてみせる。」と自分に固く誓いました。
また若い頃は自分の傘下にいた康政が(出世し、加えて)こんな見事な図面を描く
ようになっていたのかと、忠勝は思いを康政に伝えました。
康政は「お主に追いつき追い越すのが望みだった。でも戦場ではかなわないから、
おつむを鍛えた。」と言いました。
そんな忠勝は「殿を天下人にするまでは死ぬわけにはいかん。」と決意を康政に
伝え、作業に戻っていきました。



秀吉は三河中入りを決定し、総大将を甥の羽柴秀次にして池田恒興と森 長可と
堀 秀政に出陣を命じ、その軍勢は3万となりました。
羽柴方出陣の報を聞いた家康は、あとは堀の仕上がりを待つのみでした。
夜になり、康政から堀ができたと報を受け、中入り勢を叩く出陣となりました。
一大決戦となる出陣に向けて家康は改めて皆に思いを伝えました。
「弱く臆病だったこのわしがここまでやってこられたのは、今川義元に学び、
織田信長に鍛えられ、武田信玄に兵法を学んだから。そしてなにより良き家臣
たちに恵まれたからにほかならぬ。礼を申す。」
そして力をこめて「この戦を我らの最後の大戦とせねばならぬ!今こそ我らの
手で天下をつかむときぞ!」と家臣たちを鼓舞し、出陣していきました。



夜陰に紛れて密かに小牧山城を出陣した徳川方は、羽柴方に気づかれることなく
進軍し、榊原康政ら先発隊は白山林(現在の愛知県尾張旭市、長久手古戦場
より北西に約4km)で羽柴方の最後尾の秀次勢をとらえました。
「悪逆非道の秀吉に思い知らせてやれー!」ーー康政は皆を鼓舞し、徳川方の
進軍に気づかず油断していた羽柴方に容赦なく襲い掛かりました。
(このとき羽柴方で岡崎に向けて先発していた池田恒興と森 長可と堀 秀政は
秀次のところに急ぎ引き返しています。)



家康から旧武田の兵を任され、この一大決戦に向けてまとめ上げた井伊直政
(板垣李光人さん)は出陣にあたり、徳川への仕官を決めたときに母・ひよ
から言われた「徳川様を天下一のお殿様になされ。井伊家の再興はそなたに
かかっておる。」という言葉を思い出していました。
「やってみせますぞ、母上。」ーー直政は今一度心に固く誓い、真に自分の
家臣となった旧武田の兵たちを率いて出陣していきました。
家康自身が戦場に出てきたと知った池田隊と森隊が襲い掛かってきましたが、
直政隊はそれを壊滅させ家康を守りました。



家康がいつの間にか小牧山城を出て、長久手周辺で三河中入り隊を叩いている
と知った秀吉は、自身も3万の本軍を率いて出陣しました。
その秀吉が龍泉寺城(長久手古戦場より北西に約8km)に来たとき、本多
忠勝勢がわずか500の兵で立ちはだかりました。
忠勝は名乗りをあげ「こっから先は一歩も通さん!」と羽柴勢に立ち向かい、
鬼神の働きで秀吉の進軍を妨害しました。



家康は色金山(長久手古戦場より北に1.5km)に陣を構えて総指揮をとり、
長久手で池田恒興と森 長可を討ち取り、三河中入り勢を壊滅させました。
その後で家康はすぐに小幡城(秀吉のいた龍泉寺城より南西に約2.5km)に
引き上げ、さらにその翌日には小牧山城に引き上げていきました。
秀吉はその報を聞き、すぐに引き上げを決めて西に戻っていきました。



小牧山城に戻った家康は、堀や土塁の突貫工事からこの勝利の帰還までずっと
働き続けた家臣の皆と、勝鬨で喜びを分かち合いました。
一方、陣に戻った秀吉はこの敗北をなんとも思っていなくて、むしろこれで
自分に対して偉そうな態度をとっていた池田恒興がいなくなってよかった、と
まで言っていました。
さらに弟・秀長と子飼いの武将の加藤清正と福島正則に「これは策ではない。
三河中入りは池田恒興が無理強いしてきた策だ。わしの言うことを聞かない
からこうなったと言い回れ。」と命じていました。
そして亡き織田信長によって鍛えられ強くなった家康の力を認めつつも、この
戦の総大将は信雄だから何も案ずることはない、と笑みを浮かべていました。



小牧山城では徳川の皆で酒を飲んで歌って踊って、勝利を味わっていました。
そんな中でただ一人、石川数正(松重 豊さん)だけは浮かない顔をして、宴の
場から離れて考えにふけっていました。
家康が数正を気遣い声をかけると数正は、会心の勝利と喜んでいる、忠勝ら若い
大将たちは見事だった、されど秀吉には勝てないと思う、と。
家康がその意味を問うと「一つ戦を制しただけのこと。秀吉は我らの弱みにつけ、
そこにつけこんでくるだろう。」と数正は言い、その言葉が気になった家康は
これで我らの天下だと宴に浮かれる皆のほうを見て考えてしまいました。






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Last updated  August 23, 2023 04:48:06 PM


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