November 8, 2023
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カテゴリ: 気になるTV番組
2023年NHK大河ドラマ 『どうする家康』 の感想です。

学校の歴史の教科書で徳川家康の名前が最初に出てくる
1600年 関ケ原の戦い がいよいよ近づいてきました。

若い頃は何かあるたびにオロオロと「どうする?」状態
だった徳川家康(松本 潤さん)も、この関ケ原の戦いでは
60手前の歳です。
人生経験をいっぱい積んで、すっかり老獪になりました。


一人、また一人と去っていき、この回では音尾琢真さんが
演じる鳥居元忠が「ようやく自分の番だ。」と家康を支え
守ってきた誇りを胸に、戦って旅立っていきました。

元忠本人は納得して喜んでの討ち死にでしょうが、負ける
(=死ぬ)とわかっていても徳川のためにそれを命じた殿・
家康の胸中は、あの時代の武将たちはさぞや複雑な思い
だっただろうと想像しています。

そして知恵者といえば真田昌幸(佐藤浩市さん)です。
2016年の『真田丸』を見ていた人なら、草刈正雄さんが
演じた昌幸がどういうことをやってきたのかわかっている
ので、「乱世を泳ぐは愉快なもの」というセリフを聞いて


でも佐藤浩市さんのちょっとした表情の変化などの演技で、
初めて真田昌幸という人物を知った人でも、セリフの意味を
なんとなく感じたのではないかと思っています。

こちらでは様々な意見がでていて参考になります。
 ⇒ ⇒  #どうする家康


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岐阜県の関ケ原の古戦場記念館では「どうする家康」展・
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慶長5年(1600)6月18日、徳川家康は会津の上杉征伐のために伏見城を鳥居
元忠に託して出立、そして約1カ月後の7月17日に石田三成が家康を逆賊として
討つために大坂城で決起し、城に残る大名の妻子を人質として捕らえていました。
また三成が家康を断罪する書状を諸国に送っていることなど、大坂の動きは下野の
小山に布陣する家康の元に次々と知らされ、いったいどれだけの大名が徳川の味方
となるのか、家康も側近たちも計りかねていました。
大坂城に残る家康の側室の阿茶(松本若菜さん)も兵たちに囲まれていました。
しかしそれは阿茶を城から逃がすために北政所の寧々(和久井映見さん)が送った
兵たちで、寧々は家康の頼みをきいてくれていたのでした。



家康は今は徳川の味方をしているものの福島・黒田・藤堂らの豊臣家臣と、そして
真田昌幸(佐藤浩市さん)の動向が危ういと考えていました。
家康に同行している福島らを懐柔する策を本多正信に任せ、家康は諸将たちを明朝
集めるよう命じました。
夜になり真田信幸が小山に到着、しかし父・昌幸と弟の真田信繁(日向 亘さん)は
豊臣方について信濃・上田に引き返していったことを確認しました。
信幸の城である上野の沼田城に着いた昌幸と信繁は開門を要求、しかし信幸の妻で
本多忠勝の娘である稲(鳴海 唯さん)は昌幸の考えを見抜いて開門を拒否。
昌幸は、せめて孫に会いたいと頼み、稲は柵越しに離れて会うことを認めました。
子供たちの「じいじ!」と叫ぶ声を背中で聴いて、昌幸は去っていきました。



7月25日、これからどうするのか小山にて評定が開かれました。
徳川家康(松本 潤さん)は諸将らに、三成が挙兵したこと、これから上杉征伐を
やめて大坂に向かうことを伝えつつも、豊臣恩顧の諸将らには妻子を人質にとられ
ているからここから去ってもよいと、そして乱世に逆戻りさせないためにも自分は
孤立無援となっても三成たちと戦うと力強く訴えました。
諸将たちが迷いながらも家康の考えに従うべきだと気持ちが傾いてきたとき、本多
正信(松山ケンイチさん)が福島正則(深水元基さん)をちらりと見て促しました。
正則は立ち上がって皆に「内府殿と共に!」と家康に味方するよう力強く呼びかけ、
諸将らもそれに応じて、秀頼のために家康の味方になる決意を固めました。
ここにいる諸将らの気持ちが一つになったことを確認した家康は三男の徳川秀忠
(森崎ウィンさん)に、本多正信と榊原康政(杉野遥亮さん)と3万の兵と共に
信濃に向かって真田を従わせることを命じました。
「取りかかれーっ!」ーー家康の号令の元、諸将らは自らの意思で動き出しました。



しかし上方では、7月19日には鳥居元忠(音尾琢真さん)が守る伏見城が豊臣方の
総攻撃を受け、元忠は奮戦すれど多勢に無勢で、城は落ちようとしていました。
かつては武田の忍びだった千代(古川琴音さん)だけど元忠に大事にしてもらって
女子の心を取り戻し、大将・元忠の奥方として共に果てる覚悟でした。
元忠は「数えきれん仲間が先に逝った。ようやくわしの番がきた。」と家康を守る
ために散っていった者たちを思い、どこかうれしさを感じていました。
主君・家康が力を持つまでの時代は皆まだ貧しくて、元忠や側近たちは藁の具足で
戦いに出陣していて、でも今は立派な具足をつけて天下の伏見城を枕に討ち死にが
できる、こんな幸せなことはないと一同は満足気でした。
「殿、お別れだわ。浄土で待っとるわ。」ーー8月1日、伏見城は落城しました。



下野の小山からいったん江戸城に入っていた家康は、渡辺守綱(木村 昴さん)から
伏見城が落ちたとの報告を受けました。
盛綱は家康に、直ちに西に向かって元忠の仇を!と意見しますが、本多忠勝(山田
裕貴さん)は「今は、誰がどちらに付き、どう動くかを見定めるとき。」と静かに
言い、自分が先に出て井伊直政と落ち合い西に進むと申し出ました。
そして家康には、全国の諸大名たちを味方につけるために1通でも多く書状を!と
進言し、家康も伏見城で討ち死にした者たちを思い「腕が折れるまで書く。」と。
忠勝は家康に一礼して、西に向かうために退室していきました。



この戦はより多くの者を味方につけたほうが勝つーー家康だけでなく三成も同じ
ことを考えていて、家康は江戸で、三成は美濃・大垣城で、双方は連日連夜書状を
書いては諸大名に送り、数百通が日の本全土を飛び交いました。
双方の書状を受け取った大名の中には、どちらに付くべきか悩む者もいましたが、
豊臣方に参陣して伊勢に布陣している小早川秀秋のように、立場的には三成につく
けど戦上手は徳川だから「どちらにも転べるようにしておけ。」と家臣に命じて
おく者もいました。



徳川方の先陣を切っていた福島正則や黒田長政らは怒涛の勢いで西に進撃を続け、
8月25日には犬山城と岐阜城を落としていました。
その勢いは同行している井伊直政(板垣李光人さん)と本多忠勝が驚くばかりで、
正則は自分の手柄を家康に伝えるよう直政に言い、戦勝祝いの酒でご機嫌でした。
ただ豊臣恩顧の諸将たちの働きが凄まじすぎて、これでは三成との決戦が早まって
しまうと直政と忠勝は危惧し、それは家康も同じ考えで、自分と秀忠の本軍なしで
戦が終わってしまうと、手柄が全て持っていかれるという思いでした。
とはいえこれは福島と黒田が徳川と共に戦うと世に知らしめたことであり、家康は
この時を逃すまいと徳川の出陣を決めました。



家康は信濃にいる秀忠に、真田にはかまわず急ぎ西に向かうよう、9月9日までに
美濃・赤坂に着くように伝えよ、と家臣に命じました。
3万8千の秀忠の軍勢は真田昌幸と信繫に迫っていて、昌幸は降伏の使者を秀忠に
送るよう家臣に命じました。
真田・降伏の書状を受け取った秀忠は「これで父上に任された役目っが果たせた。」
と気分良く笑っていましたが、本多正信と榊原康政は真田の降伏を疑っていました。
正信は真田信幸(吉村界人さん)に、父・昌幸に直ちに城を明け渡してここに来る
よう伝えるように言いました。



しかし昌幸は、降伏を申し出たものの信繫と上田城にこもったまま出ることなく、
秀忠は話が違うと苛立っていました。
ただ百戦錬磨の正信と康政は真田親子のやり方を「敵味方に分かれてどちらかが
生き残る。これも戦国の世を生きる術。」とわりきっていました。
苛立つ秀忠に正信は「稲を刈ろう(相手の食糧を奪おう)」と進言、康政が「そう
すれば相手は城から出てくる」と補足し、秀忠は稲刈りを命じました。
予想通り、稲を守るために真田が城から出てきて、ここは信繁の勝ち。
城に戻った信繫に昌幸は「これで(豊臣に対する)自分の役目も十分果たした。
あとは家康と三成、どちらの才が上回るかだ。どちらにしても真田は生き残る。」
としみじみと言いました。
父の言葉に信繫は複雑な思いもしましたが、「乱世を泳ぐは愉快なものよ。」と
知恵を巡らせて生き抜き真田を守ってきた昌幸らしい言葉を語りました。



9月8日、家康の使者として大久保忠益(吉家章人さん)がボロボロの姿になって
秀忠の陣に到着しました。
書状には「決戦が早まるので、真田のことは捨て置き西へ急げ。美濃赤坂に9日
までに。」とあり、それは明日のことでした。
忠益は利根川で書状を奪われ昨夜やっと取り返せたと遅参した理由を涙ながらに
伝え、責任をとって切腹しようとまでしました。
正信はこれを真田の忍びの仕業と考え、康政が真田の狙いは我らをここに足止め
するためと補足し、秀忠は激しく悔しがりました。



美濃赤坂にいる家康は、秀忠の本軍がまだ到着していないと報を受けました。
秀忠を足止めするのは三成の策で、これで家康は本軍なしでの戦いになり、自分
たちが秀頼と毛利を本軍として迎えれば兵力の差は歴然ともくろんでいました。
三成はさらに家康を、大垣ではなく関ケ原に誘い出して討つつもりでいて、ただ
家康もそれを見抜いていて、その誘いに乗ってやろうと考えていました。
「これは天下分け目の大戦じゃ。」ーー家康は三成との決戦を覚悟しました。





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Last updated  November 8, 2023 04:03:35 PM


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