全4809件 (4809件中 251-300件目)
< 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 ... 97 >
2020年NHK大河ドラマ 『麒麟がくる』 の感想です。これまでさまざま歴史番組やドラマでいろいろ語られてきた、なぜ明智光秀は本能寺の変を起こしたのかという話。このドラマでは、暴君となっていく織田信長に対し明智光秀自身も精神的に相当追い詰められていたけど、同時に光秀の周りにいる人たちの圧力を感じました。信長をなんとかしてほしいと光秀に期待をしてさりげなく光秀を煽る人がいて、そしてなにより信長自身が、自分がこうなったのはそなたのせいだと光秀に言い、生真面目な光秀が全てを真に受けてしまったのかと感じました。そして本能寺の変の後で、なぜ羽柴秀吉が迅速に備中から戻ってこれて、徳川家康がすぐに京から逃げたのか。これも従来言われていたこととは違う面白い解釈でした。羽柴秀吉は事前にそれとなく書かれた密書をもらっていて、京で大事が起こることを予測し早めに帰り支度をしていた、徳川家康にいたっては事前に光秀自身から早く京を離れるよう言われていたという、新しい解釈でした。それもなるほどという感じで。各地の大河ドラマ館もオープンしています。(それぞれにコロナ拡散防止のための注意事項はあります)期間は2月14日(日)まで延長になっています。 ↓ ↓ ↓ 岐阜 大河ドラマ館 ぎふ恵那 大河ドラマ館 可児 大河ドラマ館 京都亀岡 大河ドラマ館 ※こちらも盛り上がっています。 ⇒ #麒麟がくる 天正10年(1582)5月、安土城での徳川家康の饗応役を任された明智十兵衛光秀(長谷川博己さん)でしたが、織田信長(染谷将太さん)の激しい怒りを買い、宴の席で暴力的に叱責され下がるよう命じられ、光秀はこの上ない恥辱を受けました。宴の後で信長が何食わぬ顔で来て、あれは家康を試しただけだと言い、さらに光秀にはこれから西国に向かい羽柴秀吉がやっている毛利攻めの応援に行くよう命じます。そして信長は、鞆にいる将軍・足利義昭がいる限り戦が終わらないからと、光秀に鞆に寄って義昭を殺すよう命じますが、それは光秀には承服できないことでした。細川藤孝(眞島秀和さん)は公家衆との蹴鞠の会に招かれていて京にいました。朝廷での地位を取り戻した近衛前久(本郷奏多さん)は藤孝を呼び、安土でのことや近頃は信長と明智の関係が良くないことなど噂話を確認し、そしてもし信長と明智が対立したら藤孝はどちらに付くのかを尋ねますが、藤孝は返事を濁しました。蹴鞠の後で藤孝が京の明智邸を訪れたとき、信長には毛利攻めの折に備後の鞆にいる将軍・義昭と幕府の残党を一掃する考えがあるという話をしました。光秀はそのことを聞いているけど自分はその下知を断った、義昭のことは毛利攻めの後で信長を説得すると言い、信長の考えには従わないことを表明します。藤孝は光秀の言葉から最悪の事態を察し、光秀の屋敷を出た後で、備中にいる羽柴秀吉にもしかしたら京で大事が起こるかもしれないと伝えよ、と家臣の松井康之に命じました。後日、近衛前久が帝(正親町天皇)に、もし織田と明智が戦うことになったらどちらに付くかと尋ね、帝は「ただ見守るだけぞ(=関与しない)」と答えました。そして天正10年5月末、光秀は本拠地の丹波に入り、その折に愛宕山の愛宕権現で一人で堂にこもり、強大な力をもってすっかり変わってしまった信長とのことに思いを巡らせながら、信長を討つべきかどうか考えていました。そのころ信長はわずかな供を連れて安土から京の本能寺に入っていました。丹波の亀山城に入った光秀は、明智左馬助(間宮祥太朗さん)と藤田伝吾(徳重 聡 さん)と斎藤利三(須賀貴匡さん)を前にして、これから京の本能寺に向かう、信長を討って自分と同じ志の者で世を平らかにしていくと思いを明かしました。そして光秀は3人の重臣に自分が間違っているなら今すぐ斬れと命じましたが、光秀と苦楽を共にしてきた3人は、皆思うところは同じと同意を表明しました。そうですよね、男惚れして長年仕えてきた我が主が信長からさんざん受けてきた恥辱を思えば、主の決意に皆ついていくでしょう。京に出立する前に光秀が各大名にあてた檄文を書いていると、徳川家康に仕える忍びの菊丸(岡村隆史さん)が密かに光秀を訪ねてきました。菊丸は光秀の考えを察していて、また家康から光秀を守るようにも命じられていました。光秀は菊丸に、この戦に勝った後は家康と共に天下を治めたい、もし自分が戦に敗れたら家康に後を頼みたい、家康が今堺にいるのは危ういから急ぎ三河に戻って欲しい、そう伝言を頼み、菊丸もここから去ってこの文を必ず家康に届けるよう頼みました。そのころ備中高松城を攻めていた羽柴秀吉(佐々木蔵之介さん)のもとに細川藤孝からの文が届き、光秀の動きが不穏であると知らせが入りました。野心を秘めていた秀吉はこれを好機ととらえ、高松城をさっさと片付けて京に戻る支度をするよう黒田官兵衛(濱田 岳さん)に命じました。信長を討つことを決め、6月1日夜、京に向けて進軍する明智軍。光秀がよもや自分を狙っているとは知らずに眠りにつく信長。明けて6月2日早暁、京の本能寺に着き、攻撃を開始する明智軍。外の物音に気がつき目を覚ます信長。森蘭丸の知らせで寺が軍勢に取り囲まれていることを知り、外を見ると水色桔梗の旗が。そして障子を開けたとたん矢が一斉に飛んできて、小姓たちが信長を守るために我が身を盾に。信長が連れてきた小姓たちは皆、精鋭ぞろいです。周辺にある物ですぐに防御の態勢を。しかし薄い戸板では鉄砲の玉は防げず次々と倒れていきました。相手が光秀ならば是非もなしと信長は覚悟を。手柄首となる自分めがけて襲ってくる明智勢を相手に信長は大暴れ。信長を演じる染谷さん、以前どこかの回で家臣に扇子を投げつけたときのフォームとスピードが凄くて、この方は運動が得意だろうと思ってたけど、この槍や刀での一連の殺陣も素晴らしいものでした。(染谷さんの動きに合わせる役者さんたちもスゴイ)信長はぎりぎりまで抵抗したものの、結局は多勢に無勢で最期を悟ります。己の首は渡すまい、小姓らは主の首を敵に渡すまいと信長が自害をする時間を稼ぎ、奥書院に入った信長は火をかけるよう蘭丸らに命じて、一人最期の時を迎えました。信長も光秀も互いに、出会った頃からこれまでのことを互いに思い起こしながら、そしてなぜこうなってしまったのかを思いながらの、永遠の別れとなりました。鎮火した後、明智軍は信長の遺骸を探して検分に入りましたがそれらしいものは見当たらず、光秀ももう十分だと黙とうを捧げて引き上げました。少し前に別の歴史番組で見たのですが、本能寺の建物の構造がたまたまだけど、火の回りが早くて高温になるもので、遺骸を焼き尽くしたということです。本能寺の変の後、明智光秀は天下を取ったものの、有力な味方と思われた細川藤孝や高山右近らは動かないままでした。光秀が平らかな世をと後を託した徳川家康は、側近や菊丸らとともに命がけで伊賀を越えて三河に戻っていきました。しかし光秀の天下はここまでで、6月13日に思いがけない早さで西国から戻ってきた羽柴秀吉に敗れ、天下の流れが再び一気に変わりました。天正13年(1585)7月、秀吉は関白になり、そのころ巷の間では光秀が生きているかもという噂が流れていました。『麒麟がくる』はオープニングの曲が本当に素晴らしい音楽でした。来週からは時代を戦国から幕末に切り替えて、また楽しむことにします。
February 10, 2021
今日は久しぶりに快晴の青空でした。12月の冬至から約1カ月半が過ぎているので、太陽のパワーも少しずつ上がってきています。この1週間はいろいろあってバタバタしていました。髪の毛もボサボサでいいかげん美容院に行かなくちゃと思いつつ、疲れてたり眠かったりでまだ行ってません。明日あたり行こうかな。今日の快晴の青空を見て、そういえば昨年末は本格的に寒くなるまでは、快晴で暖かい日が続いていたんだなと思い出しました。晴れた日は景色が綺麗だから、仕事のないときに近場の寺社や公園で紅葉を見てくればよかったのに、それに気が付いたのは紅葉も終わりに近づいた12月になってからというおマヌケぶりでした。で、今日は 定光寺 をご紹介します。去年の12月の初めに行ったので、春を前にした今だと紅葉がいささか季節外れな画像ではありますがご容赦を。優しいお顔のお地蔵様に新しい花が供えられて、お寺は癒しスポットです。青空と紅葉の彩りがお堂をより明るくしてくれています。本堂と手前にある池です。山の上の駐車場から入るとこの景色になります。お手水に綺麗な水が流れています。昨今は諸事情でお手水の水を止めている寺社も多いので、水があると安心します。大木をふと見上げたら、紅葉と銀杏と山門の屋根が入るアングルが。山門から出て、下の駐車場(県道205号側)に向かう石段を下りてみました。石段沿いには自然のままの木々があり、こちら側の景色は季節を感じます。下の駐車場に向かう石段と、その横には側溝で水が流れています。下からお寺に上がってくるには少々気合が要ると思われます。この石段の曲がり具合もなかなかいい感じだと思います。定光寺の山の上の駐車場は、お手洗い前の場所だけでなく、その上にも広い駐車場が整備されていて、そこに向かう途中で見た紅葉です。上の駐車場からは、名古屋市内が展望できます。画面中央の高層ビル群があるところが名古屋駅前です。上の駐車場のさらに上は休憩所があって、展望の説明もあります。紅葉の景色もここ何年かで十分に見たかなと思ったけど、やはり年に一度は見たいものだと思いました。青空と陽光のもと、綺麗な紅葉が見られて良かったです。
February 7, 2021
2020年NHK大河ドラマ 『麒麟がくる』 の感想です。今回のは本当に、社会の中でふつうに生きている人にとって、いつかどこかで遭遇するような場面だなと思って見ていました。ある組織でリーダーとなった人がいて、組織が小さいうちは皆の意見に耳を傾けていたけど、組織が大きくなって強権となっていったら同時に自信過剰にもなり、自分の考えは何でも通る(通してやる)と思うようになり、いつしか誰もその人に反論しなくなる。たとえ正論であっても自分に逆らう者は疎ましい。さらにそれが、かつては自分と意気投合し、どんな時でも自分を支えてくれた相手だと思うと、情が深い分、自分から離れたときは疑い憎む存在となる。妻の帰蝶が離れたこともあって、不安が先立つ信長は早く自分の思い通りに事を決めたがり、それを光秀はいちいち正論で反論して信長の怒りの火に油を注ぐ。全体的にそんな場面が続いたように感じました。感想欄の中には「今回のは昼ドラか?」なんてあったけど、後半の、自分と距離を置こうとしている光秀が家康と親しげにしているのに嫉妬して怒りが爆発する信長は、まさにそんな感じだったかも、ですね。あと、これだけ信長と朝廷の関わりが出てくるなら、天正9年(1581)春の「京都御馬揃え」のシーンが見たかったなあと思いました。各地の大河ドラマ館もオープンしています。(それぞれにコロナ拡散防止のための注意事項はあります)期間は2月14日(日)まで延長になっています。 ↓ ↓ ↓ 岐阜 大河ドラマ館 ぎふ恵那 大河ドラマ館 可児 大河ドラマ館 京都亀岡 大河ドラマ館 ※こちらも盛り上がっています。 ⇒ #麒麟がくる 天正7年(1579)夏、丹波の八上城と黒井城が落城し、これによって明智十兵衛光秀(長谷川博己さん)は丹波全域を平定できました。そして降伏してきた波多野秀治らは助命するよう織田信長(染谷将太さん)に頼んでありましたが、信長がそんな話を認めず波多野らを磔に。そして後日、光秀と細川藤孝(眞島秀和さん)が登城したときに二人の労をねぎらって褒める一方で、処刑した波多野らの首を塩漬けにして皆に見せる異様性を見せました。帝が春宮(誠仁親王;加藤清史郎さん)に譲位すれば自分の思い通りに事を進めやすくなると考える信長は、その手始めとして春宮を二条の御所に移して新たな朝廷としようと考え、光秀と藤孝が登城した際に二人に、春宮の説得を命じました。信長の唐突な申し出に、信長を気に入っていた春宮でしたが不快感を隠せませんでした。春宮との話の後で光秀は、信長のやり方はおかしい、これは行き過ぎで誤りであると強く感じた光秀でしたが、藤孝は事を荒立てぬほうが良いと光秀を制しました。信長は帝の譲位のために次々と手を打つだろう、帝がそれをどう思うかを知ることが先、信長の行き過ぎをいさめるときは自分も共に、というのが藤孝の考えでした。その年の11月に春宮は二条の新しい御所に移り、伊呂波太夫(尾野真千子さん)はこのことを三条西の爺様が生きていればと悔しそうにぼやいていました。近衛前久(本郷奏多さん)は、今の朝廷は信長の金に頼らなければ何もできないから仕方がないとあきらめています。そして藤孝は、追放された将軍・足利義昭といまだに密かに会う光秀に対し羽柴秀吉は不満に思っている、武家の棟梁は足利将軍という気持ちは百姓の出の秀吉にはない、と考え、伊呂波太夫は、秀吉は本音は武士が嫌いで公家贔屓だと言葉を添えました。天正8年(1580)4月、本願寺宗主の顕如(武田幸三さん)は5年にわたる籠城の末、ついに力尽いて大坂の地を信長に明け渡しました。そしてその直後、信長は若い頃から30年間自分に仕えてきた佐久間信盛を追放しました。近ごろ光秀は、不思議な夢をよく見るようになりました。月にまで届く大きな木があり、その木に登って月に行こうとする者がいてそれはどうやら主君・信長らしいが、月に行こうとした者はだれも帰ってこない。だから自分がそれを止めようと夜の闇の中で月明かりの下、必死に木を切り倒そうとするけど木を切れば信長の命はない、でもそれをわかっていて木を切り続けるという夢でした。安土城を去り美濃に戻った帰蝶(川口春奈さん)が今、京に来ているときいた光秀は、亡き斎藤道三の気性を誰よりも受け継いでいるという帰蝶を訪ね、道三なら近ごろの信長をどう思うのか聞きたくて相談をしました。帰蝶は、近ごろは夫・信長が権力が増すごとに周囲に横暴になっていく様を聞いていて、父・道三なら「毒を盛る、それが十兵衛のためなら」と言います。夫・信長を殺すのは胸が痛むが、父は自分に信長に嫁げと言い、十兵衛も賛同し、結果それが今の信長をつくった、万つくった者がその始末をする他ない、これが父の答えだ、と帰蝶は言います。庭から差し込む西日のまぶしさを手で覆いつつ、夜(=余生?)を静かに迎えたいけどままならぬと帰蝶はつぶやきました。(ただ私が思うに、帰蝶が信長から離れたことも信長の横暴が加速すした一因かと)天正10年(1582)3月、織田・徳川の連合軍は甲斐の武田勝頼を討ち取り、信玄の死から9年、武田家は滅亡しました。両軍が信濃の諏訪で休息しているとき徳川家康(風間俊介さん)は光秀に、新たな領地をうまく治める秘訣を教えてほしいと頼み、光秀は答えます。「己の国が豊かで人並に暮らせるところであれば他国に目を向けることはない。己の国の作物の収穫を調べるために正しい検地をし、それに見合った人の使い方をし、無理のない年貢をとる。百姓たちが健やかに穏やかに暮らしーー」光秀と家康がそんな話をしているところを、信長の小姓の森 蘭丸(板垣瑞生さん)は二人を見張っていて、その様子を信長に報告しました。そして信長が主催する家康の祝いの宴の饗応役を、家康が是非光秀に頼みたいという話をすると丹羽長秀(松田賢二さん)は、家康は毒を盛られると疑っていると口を挟みます。丹羽の発言を聞いて信長は、家康が自分に信康切腹のことをまだ根に持っているのかと疑心暗鬼になり、一方家康は、根に持ってはいないけど信長を警戒はしていました。そして迎えた安土城での家康接待の日(天正10年5月)、光秀は精魂込めた馳走を用意し、信長もはじめは十分に満足していました。しかし信長が、これから毛利攻めをしている秀吉の加勢に行けと光秀に命じても、家康との約束がある光秀はガンとして聞き入れず、またその直後に光秀と家康が親しげにしているのを見た信長は、光秀に対する怒りが頂点に達しました。宴が始まってすぐ光秀にケチをつけ、それに光秀が正論だけど反論し、さらに光秀が信長の着物に汁をこぼすという粗相があったので、信長は怒りが収まらず宴の席で光秀を足蹴にし、光秀もこれは我慢がならぬと信長を恐ろしい形相で睨み返しました。
February 2, 2021
昨日の金曜日は全国的に大荒れの天気でした。全国的に強風が吹き荒れ、気温もぐんと下がりました。この地方はまだ小雪でしたが、北国のほうでは大雪が真横になって吹雪いていました。ただ次の日の予定とかいろいろあって、私はこんな日に洗濯をして、しかも外に干していました。午後からは雪が強まるけど、午前中は小雪の予報で空もまだ薄雲の状態だったので。大丈夫です。ちゃんと私なりに計算していました。この強風です。気温が低いから雨雲は雪になるので、これだけ強風なら小雪程度なら吹き飛ばしてくれると予想しました。結果、3時間外に出した洗濯物は風でかなり乾きました。強風で洗濯物に着雪もほとんどなく、少し着雪した雪も溶けて水になって濡れることもなく、バッ、バッ、と払えば雪はすぐに落ちました。戦国モノのドラマなんかで戦を仕掛けるタイミングを計る武将や軍師が「この風を待っていたのだ」なんてセリフもありますが、まあそんな感じでしょうか。もちろんこれで完璧には乾きませんから、その後でコインランドリーに行き、100円分回して綺麗に乾きました。ただこんな日に外干ししている家はどこにもありません。ご近所さんから「あそこの家の人、アタマ大丈夫か?」なんて思われたか・・・。ま、気にしないことにして。画像は、愛知県犬山市にある明治村の 帝国ホテル 中央玄関 昨年の10月にこの場所で、陸上自衛隊 第10師団(名古屋市守山区)に所属する第10音楽隊の演奏会があり( こちら )、そのときに撮ってきたものです。旧暦9月9日(今年は10月25日)は『重陽の節句』ということで、このような飾りが帝国ホテルの中にありました。訪れる人は皆デジカメやスマホで、いろいろなアングルからこれを撮っていました。全体像はこんなふうになっています。玄関側を建物内から見る、帝国ホテルで私のいちばん好きなアングルです。説明によると、重陽の節句の頃は菊が美しく咲く時期で、菊の香りや気品が邪気を払い、寿命が延びると信じられていたので、無病息災を願う行事になったそうです。思いがけず珍しいものを見ることができました。せっかく明治村の年間パスポートがあるから、また時折は覗こうかな。
January 30, 2021
2020年NHK大河ドラマ 『麒麟がくる』 の感想です。今回はラストで、明智十兵衛光秀@長谷川博己さんと織田信長@染谷将太さんの、お二人の白熱した演技に見入りました。信長が自分に逆らう光秀に怒り狂い、光秀を扇子で打ちすえる場面があるのですが、その前のやりとりから信長@染谷さんがずっと涙目なのですよね。怒りとともに寂しさや悲しみや不安定を表すような。そして同時に光秀の愚直なまでの不器用さ。これが貧しい百姓の出で、おそらく生きるためになんでもしてきたであろう秀吉ならサラリと嘘を言うでしょう。でも越前で貧乏暮らしをしたとはいえ武士としての誇りを失うことなくきた光秀だから、その場を切り抜けるための必死の嘘が言えないのです。まあカンが鋭い信長にはすぐ見破られるかもですが。そして今回ドラマ全体にあったのが、信長に関わる人たち(羽柴秀吉、宣教師)は信長を絶対的な存在に置こうとし、光秀に関わる人たちで帝と徳川家康は信長に警戒心を抱き、将軍・足利義昭は信長がいなければと、それぞれが光秀に心の内を語っているのだけど、それが光秀の信長に対する違和感と一致していきます。まあ人は同じ話を聞いても、自分の心の中のフィルターを通して自分の聞きたいように聞くものです。でもドラマのこの流れでは、光秀が自分が感じる違和感が周りの皆が言うことと合致する、自分の考えは正しい、そう思っても仕方がない、そんな印象でした。(かく言う私も自分のフィルターを通して見てますから)各地の大河ドラマ館もオープンしています。(それぞれにコロナ拡散防止のための注意事項はあります)期間は2月14日(日)まで延長になっています。 ↓ ↓ ↓ 岐阜 大河ドラマ館 ぎふ恵那 大河ドラマ館 可児 大河ドラマ館 京都亀岡 大河ドラマ館 ※こちらも盛り上がっています。 ⇒ #麒麟がくる 天正6年(1578)秋、摂津の有岡城城主の荒木村重(松角洋平さん)が織田信長を裏切って城に立てこもり、荒木を説得するために明智十兵衛光秀(長谷川博己さん)と羽柴秀吉(佐々木蔵之介さん)が有岡城に赴きました。秀吉の恫喝的な言い方にもひるまない荒木に、光秀は何が不満なのかを尋ねました。荒木には、信長が摂津の国に過酷な税を課すので国衆や寺社が自分を恨んでいる、恩のある将軍・足利義昭をみじめな形で京から追い出したのは許せない、毛利は将軍・義昭を再び京に戻して政を行うというので自分もそれに従いたい、という思いがありました。全ての争いが将軍・足利義昭(滝藤賢一さん)につながっているのをなんとかしたいと思う光秀は、陣に秀吉がいない間にと備後の鞆にいのところにやってきました。義昭に従う渡辺民部に釣竿を渡された光秀は海にいる義昭のもとへ行き、一緒に釣竿を海にたらしながら荒木のことや毛利の動きを義昭に語りますが、義昭は毛利が自分を都合よく使っていることをちゃんとわかっていて、この鞆の地に留まっていたのでした。義昭に将軍として京にもどらないかと光秀が尋ねると義昭は、以前兄・義輝が三好一党の誘いで京に戻ったが政治の実権もなくしまいには殺された、信長がいる京には戻らない、光秀一人の京なら考えると答えました。そんな話をしていたら光秀の竿に鯛がかかり、二人は夢中で大鯛を引き上げていました。光秀の顔を見て久しぶりに胸の内を語れた義昭には、大和で政とは無縁の僧として民衆に施しをしていた時のあの優しい笑顔が戻っていました。数日後に光秀が摂津の陣に戻ると秀吉が先に戻っていて、光秀を問い詰めました。荒木をどうしたらいいか信長に判断を仰ぎに行っていて正当性のある秀吉に対し、鞆に行ったとしか言えない光秀は分が悪いので、このときはこれから荒木の説得に一人で行くと言って勢いで秀吉を黙らせて立ち去りました。ただ鞆と言えば秀吉もすぐピンとくるし、この口喧嘩に勝った状態は、出世して光秀とほぼ対等の立場となった秀吉に禍根を残すことになったでしょうね。光秀の説得は荒木には通じず荒木は籠城を続け、荒木の嫡男・村次に嫁いでいた光秀の長女の岸(天野菜月さん)は離縁され、父・光秀の元に戻ってきていました。自分の至らなさを父娘は互いに詫び合います。明智左馬助(間宮祥太朗さん)は岸が生まれたときからずっと傍で成長を見守ってきた分、岸が不憫でなりませんでした。(この後、有岡城にいた者たちは全て悲惨な最期となるので離縁されて追い出されてまだよかったし、後に岸はこの左馬助と再縁して山崎の戦いの後に結局は死ぬことになりますが、自分を大事にしてくれる夫・左馬助の手で最期を遂げることができてよかったと思います)寝返った荒木にもう容赦はしないと織田信長(染谷将太さん)は家臣たちに非情な命令を下しますが、光秀の表情に何か言いたげなのを見て信長は問いました。光秀は、織田は今、毛利、本願寺、赤井、波多野、東に武田勝頼と一つの輪になった敵に囲まれているから荒木とは争うべきでないと主張します。しかし信長は、毛利と本願寺は朝廷を通じて和議を結ぶ、東は徳川家康が始末をつけると強気で、毛利と本願寺の和議は確かではないと佐久間信盛が進言しても信長は聞き入れず、逆に佐久間の働きの悪さを万座の中で叱り飛ばすだけでした。天正6年(1578)末、織田信長は荒木村重のこもる有岡城を力攻めにしましたが、城の守りは堅くて1年にわたる持久戦となりました。そんな頃(1579)、忍びの菊丸を通じて密かに徳川家康(風間俊介さん)と会うことになった光秀は、摂津沖に浮かぶ家康の船の中にいました。家康は正妻の築山殿と嫡男の信康を斬れと信長から命令される難題を抱えていて、その相談に幼い頃から知っていて和歌の師匠・三条西もよく知る光秀を頼ってきたのです。家康は、たとえ信長の命であってもあまりに理不尽なことには従わないと決めています。後日、光秀が京の二条の館にいる信長の元に行くと、信長が庇護する宣教師(マンスル・ファーケルさん)たちがいて、信長に西洋の話をしていました。宣教師が「我らをここに遣わしたのは逆らえぬ力、我らの神の力です」と語る話を信長は気に入っていたようでした。織田方の九鬼水軍が毛利水軍を破り、毛利の援護がなくなって本願寺がやっと弱ってきたので信長は上機嫌でした。そこへ光秀が徳川家のことを出して徳川家への対応を考えるよう進言しますが、自信にあふれる信長は白黒はっきりさせたいのだと聞く耳を持ちません。家康は、もし我が息子に不始末があれば自分が処断する、他家から指図はされない、三河にも誇りがあるという自負心がありました。そして信長の徳川との同盟に疑念を抱く家臣の中には、信長がわずかな供周りのときなら「今なら討てる」と考える者もいると光秀に話していました。光秀にとっては信長を思えばこその進言でしたが、今や自分を讃える者ばかりに囲まれ自分を否定する者などいない信長なので、光秀の反論は煩わしいものでした。しかも光秀は自分に内緒で帝と会っていて、そのときにどんな話があったのかをいくら訊いても光秀は一切言わないので、強い腹立ちのあまり光秀を扇子で打ちすえました。信長は親の愛が薄く、妻の帰蝶を心の支えにしてきたのに帰蝶は自分から去っていき、表向きは順風満帆でも精神的に不安定だったでのしょうか。信長は光秀が自分から離れるのが恐かったのか、怒りながらもずっと涙目でした。信長は怒りを爆発させた後で少し落ち着いたかと思ったら、今度は「帝を変えよう」と言いだし、光秀には1年以内に丹波を平定せよと命じて退出していきました。信長の変貌ぶりに悔しさや怒りを抱えながら光秀が京の館に戻ると、細川家に嫁いだ次女たまとの約束で薬湯を作って駒(門脇 麦さん)が待っていました。将軍・足利義昭の思い人である駒は義昭から文を受け取っていて、文には鯛釣りのことを、そして十兵衛(光秀)となら麒麟が呼んでこれるやも、とあったと語りました。
January 26, 2021
今週のはじめでしたが、私にとって本当にびっくりするニュースが飛び込んできました。2年後の2023年のNHK大河ドラマが『どうする家康』というドラマで、その主役がナント!!松本 潤さん(嵐)だというのです。私は最初にこの報道をネットで見たとき、「えっ、えっ?」というつぶやきとともに、記事の題をマジ二度見しました。大野君が休養に入って、相葉君と櫻井君とニノはそれぞれバラエティー番組や映画で活躍を見ることができます。でも松潤は今どうしているのか・・。松潤担当のファンを中心に嵐ファンがそんな心配をしていた矢先、いきなり、大河ドラマの主役にドーン!でした。1年間のドラマで彼を見ていられるのです。そしてこの衝撃は嵐ファンだけでなく、この発表があった瞬間から、もうあちらこちらで話題がもちきりとなってます。SNSでは、徳川四天王を嵐のメンバーでやってほしいとか、いや、嵐のメンバーは他の武将で、とか。また家康の生誕地である愛知県岡崎市では、となると松潤が岡崎に来るのか?とか、岡崎が全国から注目されると嬉しい、といった期待の声が上がっています。まだ2020年の『麒麟がくる』も終わっていないのに・・今年の大河ドラマもまだ始まっていないのに・・。2年先の話に飛んでしまっているのです。私としては、まず『麒麟がくる』の結末を見届け、歴史の中でも好きな近現代史の 『青天を衝け』 を楽しむつもりです。主役の渋沢栄一を演じる吉沢亮さん、朝ドラの『なつぞら』で見ていたときは、それほど印象はありませんでした。でも『青天を衝け』の公式サイトを見たら、世の中で大きな仕事をした人にふさわしい、実に男っぽい顔ではないですか。そして2022年の 『鎌倉殿の13人』 。こちらはもう『真田丸』でさらに名を挙げた三谷幸喜さんが脚本だから、『真田丸』クラスタがうずうずしています。三谷さんのドラマでおなじみの役者さんたちが勢ぞろいで、これまた楽しみです。まあ今年の『晴天を衝け』は少しインパクトが弱いから仕方ないとして、ついこの前までは『鎌倉殿の13人』のほうが話題が先行していました。それが今や、2年後の『どうする家康』で話題ばかりです。うーん。。スゴイぞ、松潤、やっぱスゴイよ、嵐。1983年生まれの彼は、2023年にはちょうど40歳。家康を演ずるには良い年齢だと思います。ただ・・こんなにも素敵な家康がいていいのだろうか。松潤に見惚れてストーリーが頭に入らないのでは・・私としては『どうする家康』で草刈正雄さんに何か重要な役でご登場いただきたいですね。松潤との年代を超えたイケメン対決 とかあったら、・・なーんて勝手に想像していますが。さすがにこちらはまだ公式のサイトができていないので、記事のご紹介となります。 ⇒ こちら美しさやカッコ良さは、やはり価値がありますね。フィギュアスケートの羽生君でもそうなのですが、美しき男たちのファンになったお婆ちゃんたちが情報を得ようとパソコンの使い方を覚え、毎日イキイキしていて見た目も脳内も急に若返ったという話はいくらでも聞きます。だから松潤が見たくて、あと3年は絶対に元気に生きる!と心に決めた女性は老若問わずいっぱいいるかと。松潤のイメージカラーは紫なので、紫の和風の画像があったらよかったのですが、和の紫が手持ちになかったので、これをUPしました。
January 23, 2021
2020年NHK大河ドラマ 『麒麟がくる』 の感想です。今回、印象に残った場面は、前半では菊丸でした。明智光秀の館にいるとき羽柴秀吉に姿を見られ、菊丸が危ない感じた光秀が菊丸を訪ね早く逃げよと言いますが、そこで菊丸が心情を語ります。三河の家族は戦乱で死に絶え自分は独りである。今は忍びとして殿の徳川家康に仕えているけど、役目のために駿府の頃から見知っている駒のところに来て、駒の傍で生きる楽しさを知った。もう忍びの御役目は返上して、一人の男として駒を生き甲斐にしてここで暮らしたい、と。そう恋心を光秀に語りつつも、だからこそ自分がここにいてはいけないと我に返り、菊丸が刺客に追われながら京を出ていく場面は心に残りました。そして後半、帝(正親町天皇)が美しい月を眺めながら光秀に桂男の話を絡めて織田信長を批判し、それが近頃感じていた光秀の思いと一致していきます。強大な力を持った信長には、今や誰も本当のことが言えないし、ましてや諫言なんてできないのです。天下人としての信長の在り方を憂う帝に「信長をしかと見届けよ」と命じられた光秀は、自分は帝の代弁者であるという思いから、この信長には自分しか諫言できないと強い行動に出ていくのでしょうか。 「朕は数多の武士たちがあの月へのぼるのを見てきたが」まさに戦国の世の真っ只中に生まれて世の中を見てきた正親町天皇(1517~1593)の言葉ですね。各地の大河ドラマ館もオープンしています。(それぞれにコロナ拡散防止のための注意事項はあります)期間は2月14日(日)まで延長になっています。 ↓ ↓ ↓ 岐阜 大河ドラマ館 ぎふ恵那 大河ドラマ館 可児 大河ドラマ館 京都亀岡 大河ドラマ館 ※こちらも盛り上がっています。 ⇒ #麒麟がくる 天正5年(1577)10月、松永久秀が信貴山城で自刃した後、織田信長についたものの信長から離反する者も出始めていました。そして京を追われ備後(広島県福山市)の鞆に下っていた足利義昭(滝藤賢一さん)は、諸国の大名に向け「信長を倒すべし」と文を送り続けていました。信長から丹波攻略を命じられていた明智十兵衛光秀(長谷川博己さん)でしたが、丹波の土豪や国衆は反信長の勢力が強く光秀は苦戦を強いられ、ようやく勝利しました。捕らえた国衆たちを前にした光秀は「二度と城を築かぬこと、戦で荒れた領地を急ぎ回復させること」と約束させ、国衆たちに力を貸してほしいと頼み、彼らを国に返しました。そしてこの時、ここの国衆たちは足利将軍から恩顧を受けていて、将軍が助けを求めているから抵抗するという話を荒木(菅原永二さん)から聞きました。光秀の館で薬のことで菊丸(岡村隆史さん)が庭で侍女と話をしていたら、羽柴秀吉(佐々木蔵之介さん)が播磨に出陣する前に挨拶をと明智家に来ました。秀吉は明智家家臣の案内を振り切って勝手に館内をズカズカと歩き回ります。おそらく秀吉は、どこでもこうやって内部の情報をさりげなく探っているのでしょうね。そして出世した秀吉は菊丸に対する態度も、駿府の頃とは全く違っていました。秀吉は光秀に平身低頭で挨拶をし、二人ははじめは世辞を言い合っていました。しかし光秀が平蜘蛛の釜の件で、秀吉が信長に悪意のある伝え方をしたことを光秀から追及され、探りを入れていた弟・辰吾郎の名まで言われて秀吉は言い逃れができなくなり、秀吉は土下座して光秀に詫びを入れました。(このドラマでは、秀吉のおっ母があまりにも軽い人の設定で、ちょっと複雑な思いが)そして辰吾郎はこの後、秀吉の命を受けた家臣によって闇に葬られました。秀吉が光秀の館から帰るときに菊丸のことを言いだしたのが気になった光秀は、東庵のところにいる菊丸に会いに行きました。二人ははじめは最近の信長の京での評判が市中でも公家衆の中でも良くないこと、果ては信長が帝に譲位を勧めようとしていることも、世間話的に互いに情報交換をしました。しかし光秀が、菊丸が三河の徳川家康の忍びであることを知っている、秀吉に命を狙われているから早く帰郷せよと言うと菊丸は、密かに駒を慕いながらここに居たいといいます。とはいえ自分が早く出ないと駒や東庵を巻き込むからと、菊丸は戻る決心をしました。そしてこの後すぐ、案の定でしたが菊丸は刺客に襲われかろうじて逃げ切りました。そのころ完成間近の安土城には近衛前久(本郷奏多さん)が織田信長(染谷将太さん)に招かれて登城していて、信長と共に鼓に興じていました。その前久は信長の頼みで、本願寺を裏から支える毛利を抑えるために九州の大名たちと和議を図るのを目的に九州に下っていて、この春に京に戻ってきていました。しかし前久が京にいない間に関白・二条晴良がさらに勢力を強めていて前久はいまだに京に入れず、信長も二条には強く言えないと前久は不満をもらしていました。信長は前久を天守を案内させる形で体よく追い払い、光秀との話に入りました。信長は帝の譲位の件など口先ばかりで役に立たない二条を見限っていて代わりに前久を関白にするつもりだとか、二条は都での評判が悪いと光秀に言います。しかし信長が「政を行う者は世間の聞こえが大事だと思う」と言うのを聞いたとき光秀は今の信長には誰も真実を伝えていないのだと感じて控えめに諫言しますが、自分の考えはなんでも通す自信のある信長には、光秀の物言いが癇に障るだけでした。そんなやり取りの後で光秀は、持参した平蜘蛛の釜を信長に差し出します。しかし信長にしたら、自分が欲したときにすぐに手に入らず、さらに光秀が釜を持つ者の心得などあれこれ注釈をつけ、安土城を絡めて自分を批判し説教していることがたまらなく不快になり、この釜をいずれ売り払うと言って退室していきました。(信長自身もこれまで、相手に喜んでもらおうと母・父・帝と送りものをして、そのたびにかえって悲しい思いをしてきた人ですから、力を持った今はこうなるでしょうね)世を平らかにするという志よりも己の権力欲や支配欲が勝ってしまっている今の信長に光秀は深く失望しつつ、戦が終わったら帝に密かに拝謁する約束もあって、光秀は三条西実澄(石橋蓮司さん)のところに来ていました。光秀が「王維」の漢詩を手にとって見ていたので、三条西は光秀の気持ちを推測して語りつつ、実は帝も近頃の信長の不遜な態度に気分を害している、信長は自分の権力で朝廷を変えようとしているようだと不安を伝えました。夜の闇に紛れて光秀は帝(正親町天皇;坂東玉三郎さん)の元に参内します。帝は光秀に、月に住むという桂男の話を知っているかと問い、光秀が不老不死の花を独り占めしようとして神の怒りに触れたと聞いていると答えます。帝は、先帝から月は遠くから眺めるのがよいと教わったけど力ある者は皆あの月に駆け上がろうとする、と物憂げに語ります。帝は、自分は数多の武士たちがあの月へのぼるのを見てきたが誰も下界に帰ってこなかったと光秀に言い、さらに「信長はどうか」と問います。そして「この後、信長が道を間違えぬよう、しかと見届けよ」と光秀に命じます。光秀は、近頃の信長に対して感じていた違和感を帝も同じように感じていた、そして帝から信長のことを看過してはいけないと命じられ、自分の感覚は間違っていなかったのだという自信になって、この先のことにつながっていくのでしょうか。
January 19, 2021
先週末から臨時の仕事が短期間だけどいただけて、今週はなにかとバタバタしておりました。このご時世、風邪をひいただけでも仕事先から嫌がられるので、週に1度はスーパー銭湯で疲れをとって体調を整え、風邪をひかぬよう細心の注意を払っていました。忙しくなっても収入があるというのは有難いことです。とはいえ、ひと段落着いた今日の午後、気が張ってたのが緩んで疲れが一気にでたのでしょう。別の用事で出かけた先で待ち合わせまで時間があり、数年ぶりにコメダ珈琲店に入りました。そしてあの店特有の大き目の椅子に座ってたら、食後にウトウトと20分ほど寝てしまってました。お水の追加でテーブルを廻ってた店員さんは、私を起こさないでいてくれたのね。ありがとうこんなときはやはり、我が家のペット連が癒し担当です。先日ですが、今1歳半のスモモちゃんが退屈を我慢できず、15歳半の小太郎兄さんに可愛い闘いを挑んでいきました。久々に『親ばか御免!』シリーズでUPです小太郎(茶トラ)は優しい子なので、喧嘩を売ってこなければ犬でも猫でも、ほとんどの四つ足組は受け入れます。スモモちゃんも小太郎兄ちゃんが大好きです。とはいえスモモちゃんは人間でいうなら、まだ20歳くらいで元気いっぱいです。時には暴れたいので、小太郎兄ちゃんに挑んでいきました。スモモちゃん、興奮してきてやることがだんだん大きくなってきました。とはいえ小太郎は人間でいうなら、もう70代のおじいちゃんです。スモモに「うるさい!」ってパンチを入れました。(優しくだけど)しかしスモモちゃんは気が強い子なので、小太郎兄ちゃんに反撃にでました。スモモちゃん、なんか凄いことになっちゃってます(笑)小太郎は世間知らずのお坊ちゃんだけど、本気で喧嘩すればもっとやると思います。でも面倒くさいのか、もうやめてしまいました。スモモちゃん、最後にガブンチョしていきました。優しい小太郎兄ちゃんが手加減してくれていること、ちゃんとわかっているよね。ひとしきり暴れて気が済んだスモモちゃん、日向ぼっこしてお昼寝になりました。可愛いみんにゃを見ていると嫌なことも疲れも忘れます。嗚呼、親ばか也
January 16, 2021
2020年NHK大河ドラマ 『麒麟がくる』 の感想です。今回の前半は、松永久秀を演じた吉田鋼太郎さんが存分に見せ場を作ってくれました。今までの戦国ドラマでは、松永久秀という人物にはさほど出番はなく、意地で爆死してインパクト!ぐらいでした。しかしこのドラマでは、吉田鋼太郎さんが見る側にどこか親しみやすい、いなくなると寂しさを感じさせる松永を演じていて、最後もふつうの武将らしい最期でした。そしてその松永が遺した平蜘蛛の釜は、近頃の信長に対し徐々に違和感が高じていた明智十兵衛光秀と、一番身近で心のよりどころだった妻・帰蝶が自分から離れて精神的に不安定になっていた織田信長との間に、本人たちもまだ気が付かない亀裂を生むくさびになっていました。明智十兵衛光秀@長谷川博己さんのラストで平蜘蛛の釜を前にした、何かにとりつかれたような表情は、歴史を知る後世の者からしたら、狂気が高じていく信長を止めるには同等の狂気がいる、そんなことを感じる演技でした。各地の大河ドラマ館もオープンしています。(それぞれにコロナ拡散防止のための注意事項はあります)期間は2月14日(日)まで延長になっています。 ↓ ↓ ↓ 岐阜 大河ドラマ館 ぎふ恵那 大河ドラマ館 可児 大河ドラマ館 京都亀岡 大河ドラマ館 ※こちらも盛り上がっています。 ⇒ #麒麟がくる 天正5年(1577)夏、織田信長は7年余りも本願寺を中心とする毛利・上杉などの反信長勢力と戦っていましたが、その戦いのさなかに織田方の武将である松永久秀(吉田鋼太郎さん)が突如、陣を離脱して信貴山城に立てこもってしまいました。内密の話があるということで明智十兵衛光秀(長谷川博己さん)が伊呂波太夫の指定した場所に行ってみると、そこには先客で三条西実澄(石橋蓮司さん)がいました。挨拶の後で実澄は、帝が信長のことで十兵衛と話をしたがっている、と密かに伝言を残し去っていきました。建物の中には伊呂波太夫(尾野真千子さん)と松永久秀がいました。勝手に戦線離脱をすれば切腹になる重罪、しかし松永は近頃の信長のやり方が不満で我慢できなくなり、寝返って本願寺につくことを決めたのでした。そして松永はこの後は敵となる十兵衛に、若い頃から可愛がってきた十兵衛とは敵対したくないが自分にも意地がある、この平蜘蛛の茶釜は信長に渡したくない、だから一旦は太夫に渡して戦いの後に自分か十兵衛がこれを持とう、と言って互いに涙の別盃を交わしました。そして松永は本願寺や越後の上杉と呼応して信貴山城で秋に挙兵しました。これに対して信長は嫡男の信忠を総大将にして大軍を大和に送りこみ、佐久間信盛(金子ノブアキさん)には、松永が持つ茶道具一切を無傷で回収するよう命じていました。佐久間よりの伝言を聞いた後、細川藤孝(眞島秀和さん)と忠興(望月 歩さん)父子が十兵衛のところに挨拶にきました。先日の片岡城(信貴山城より南南西に約10km)での戦いを十兵衛に褒めてもらえて嬉しい忠興は、次の信貴山城攻めの先陣を願い出ました。天正5年(1577)10月10日、信貴山城攻めが開始され、織田の大軍に勝ち目がないと悟った松永は信長が欲しがっている茶道具全てに油をかけて火を放ち、「げに何事も一炊の夢、南無三宝!」と言葉を残し自刃して果てました。松永との戦いの後、十兵衛は信長の新しい城である安土城に登城しました。久々に顔を見た帰蝶(川口春奈さん)から出た言葉は「この頃は殿(信長)の気持ちがよくわからない、殿は大きくなり過ぎた、戦のたびに親しい者が消えていく、私は少々疲れた、この城を下りて美濃に帰る」と。十兵衛と帰蝶がそんな話をしていたら、奥から織田信長(染谷将太さん)が出てきて、「帰蝶が鷺山に帰ると昨日突然言い出した(=自分は心の準備がまだできていない)、何かあったとき今後は十兵衛に相談をと言われた」と信長は寂しそうに語ります。そして十兵衛は「弱りましたな、殿も私も」と返しましたが、これは十兵衛と信長の間を取り持つ最後の切り札がなくなる、という意味でしょうか。そして信長はご執心だった平蜘蛛の茶釜のことを十兵衛に問いました。平蜘蛛の釜の行方は知らないと十兵衛は嘘を言いますが、さらに信長は、十兵衛が松永と会っていたことも忍びから聞いていると言います。それに対して十兵衛は「上杉に寝返るなと松永に話した、あとは・・」と一瞬言葉が詰まった後に「昔話をした」と答えました。信長は「松永も帰蝶も帝も皆自分を裏切る」と怒りと悲しみの混じった愚痴を言いつつ、十兵衛の表情と言葉の迷いを見逃さず、十兵衛も自分から離れたと怒りに変わりました。十兵衛は信長からは丹波攻略の続きと共に、次女のたま(芦田愛菜さん)を細川忠興に嫁がせるよう命じられ、坂本城に戻っても複雑な思いでした。まだ何も知らないたまは駒から教わったという薬湯作りの稽古に夢中で、そんなたまを見ていると妻・熙子は亡き今は十兵衛にとってひとときのやすらぎでした。そして松永との約束どおり、伊呂波太夫が平蜘蛛の釜を持ってきました。松永が平蜘蛛の釜に込めた意味。それは単に敵となった信長に渡したくないということだけでなく、後でこの釜のありかを信長が必ず十兵衛に訊いてくるから、そのとき自分はどう動くのかという謎かけでした。そしてあのとき信長にとっさに嘘をついた十兵衛は、自分はまだ気が付いていないけど、違和感を感じつつ仕えていた信長から本能的に離れた瞬間でした。そう、この茶釜は信長と十兵衛の間に松永が仕込んでいったくさびだったのでした。
January 12, 2021
一昨日あたりから予報が出ていた強烈な寒波は本当に、昨日・今日と全国に強烈な寒さをもたらしています。昨日は秋田県が、今日は北陸地方の降雪が酷いです。山間部の一般道がそこらじゅうで通行止めだし、高速道路も北陸自動車道が、福井・石川・新潟は断続的に、富山県内全域で通行止めになっています。SNSには大雪によるいろんな画像が上がってきます。駐車場に停めてあった車が雪にすっぽりとまぁるく覆われている画像とか、富山県内のコンビニに荷物が届かなくて商品の棚が空っぽの画像とか、屋根に高く積もった雪がドサドサッと一気になだれ落ちてくる動画などなど。「#大雪」で調べたら、さらにいろいろありました。 ⇒ ⇒ #大雪 太平洋側の都市部に住んでいると、雪の苦労や恐さが感覚的にわかりません。それを気象庁気象研究家の荒木健太郎さんが、雪の重みによる恐ろしさを解説されてます。 ⇒ ⇒ こちら 他には、家の1階が雪で埋まっている状態を室内から撮ったツイートでは、「かまくら状態になって、すきま風がなくてかえってあたたかい」というコメントも。ふむふむ、そうなのですね。ちなみにこちら濃尾平野では、平野の北部と西部にある山々に雪が当たって、今回は山(主に伊吹山)を越えてこちらまで来ないので、昨日も今日も晴れていました。また温暖でふだん雪がめったに降らない、福岡、佐賀、長崎、鹿児島、愛媛、高知などの県からは、珍しいという思いで次々と雪の便りがUPされてました。さらに沖縄にいたっては、さすがに雪は降らないけど【海で寒過ぎて仮死状態になって浮いた魚が拾える】という話もありました。 ⇒ ⇒ こちら そうですか、沖縄の海の魚は10℃で。これは島の皆さんがやっているようで、島民の方にとって寒すぎる日の魚は「拾うもの」のようです。ただやはり、大雪は難儀なものであります。今この瞬間も、車が立ち往生して困っている方々や、雪で寸断されたライフラインの復旧のために零下の寒い戸外で働いている方々もあります。ご苦労様です。早く元通りになって業務が終わって、ご自宅に戻って休息できますように。こんな寒い日はモフモフ組に癒してもらうのがいいですね。我が家のモフモフたちです昨年の晩秋の頃のフクちゃん。一時期ですが、この小さな箱に入るのが好きでした。昨年の暮れ、いよいよ寒くなってきてホットカーペットが気持ちよくてウトウト。フクちゃんは両手をクロスするクセがあります。末っ子のスモモちゃん(1歳半)。小太郎兄ちゃんは優しいので、よく傍にいます。(部屋が散らかっているのはご容赦を)でもまだ1歳半だから、とにかくじっとしていられません。お兄ちゃんにちょっかいを出します。スモモがあんまりしつこいと、小太郎も反撃します。小太郎ももう15歳半だから、スモモがうるさいんでしょうね。ただ反撃といっても小太郎は優しいので、本気では怒りません。仲の悪いリリーさん(左)とスモモ(右)だけど、小太郎を間に挟めばOKです。今はいちばん寒い時期なので、みんなホットカーペットやオイルヒーターなど暖房器具にへばりついています。
January 9, 2021
2020年NHK大河ドラマ 『麒麟がくる』 の感想です。今回は内容的には信長と本願寺との戦いがメインだったかもしれませんが、印象としては木村文乃さん演じる十兵衛の妻・熙子のシーンがとても素敵でした。お百度のときやラストの十兵衛と二人で庭にいるときに挟まれた回想シーンは、思い起こせばいいシーンでした。特に温石は、そういえばこれがあったか、十兵衛はまだこれを持っていたのかと、感動のアイテムでした。妻木の館で出会ったときに花びらと共に現れ、ラストは十兵衛の腕の中で花びらと共にこの世を去る。熙子という人物への美しい演出でした。各地の大河ドラマ館もオープンしています。(それぞれにコロナ拡散防止のための注意事項はあります)期間は2月14日(日)まで延長になっています。 ↓ ↓ ↓ 岐阜 大河ドラマ館 ぎふ恵那 大河ドラマ館 可児 大河ドラマ館 京都亀岡 大河ドラマ館 ※こちらも盛り上がっています。 ⇒ #麒麟がくる 天正3年(1575)、織田信長は反信長勢力との戦いに明け暮れていました。浄土真宗本願寺の宗主・顕如は宗徒に呼びかけ宗徒は激しく抵抗し、この戦いは反信長勢力が本願寺を裏から援護していることもあり、5年にわたって続いていました。一方で朝廷は織田信長(染谷将太さん)に対して、権大納言右大将と異例とも言える高い官職を授けたものの信長は任官の挨拶もせず京を離れ岐阜に戻っていました。三条西実澄(石橋蓮司さん)はそのことで苦情を言うためにわざわざ岐阜まで来たけど、信長は自分は戦に忙しい、今後は京のことは家督を譲った嫡子・信忠(井上瑞稀さん)に任せると言い、さらに帝に差し上げた蘭奢待を帝が敵方の毛利に譲ったことで帝への思いが遠くなったと信長は反論し、三条西は何も言えなくなりました。天正4年(1576)、石山本願寺の南に位置する天王寺で激戦となり山城と大和の守護である原田直政が討ち死に、兵力の差で織田軍が身動きがとれなくなっているところに信長が到着しました。信長は攻めるのに気合が足りないと原田の家臣たちを激しく罵倒するので明智十兵衛光秀(長谷川博己さん)ら家臣が信長を制しますが、攻撃に動かぬ家臣らに腹を立てた信長は甲冑もつけずに敵の銃口の前に出ていきました。ひるむ家臣をよそ目に敵前に飛び出していった信長でしたがやはり銃で撃たれ、十兵衛が「殿の命は殿お一人のものではない」と中に戻るよう説得しました。絶え間なく銃弾が飛んでくる中、十兵衛の家臣の斎藤利三(須賀貴匡さん)が盾で弾を防ぎながら藤田伝吾(徳重 聡 さん)が信長を担いで退却していきました。信長を安全な場所に移した後、今度は十兵衛が戦の傷と疲労から倒れてしまいました。大坂では医者たちが仏罰だと手当てを拒むので、やむなく京の十兵衛の館まで家臣たちが搬送してきました。(板の上の身体をちゃんと布で固定してあります)瀕死の夫の身を案ずる煕子(木村文乃さん)は望月東庵(堺 正章さん)のところに自ら駆け込み、必死に頼み込んで東庵を連れてきました。ただこのシーンだけは、個人的に突っ込ませていただきます。1、明智家の奥方が夜着のまま一人で屋敷を飛び出すなんて夜盗の格好の餌食になる(=当主が死にそうなときに奥方でもめごとが増える)2、無理やり手を引いて年寄を走らせるのは危ない(堺さん、今74歳)3、なのでここは体格のいい家臣2人を行かせ東庵を負ぶってくるほうが自然だと思う熙子の祈りが天に通じて十兵衛は回復し、そこに主君の信長が見舞いに訪れました。明智家=他人の家の中で勝手に先立って案内してくる羽柴秀吉(佐々木蔵之介さん)笑信長が来た目的は、本願寺に補給を続ける毛利を攻撃するために九鬼水軍を使うことと、戦死した原田の代わりに大和の守護を筒井順慶にすることの相談でした。十兵衛が筒井を守護にすると松永と戦になると進言すると、横から秀吉が「お二人以外の他の方に大和を・・例えばこの秀吉を」と立候補?。しかし信長からは出自を理由にあっさりと否定されました。(秀吉はこういうことの積み重ねで、後に天下人になったときに関白の位に執着したのでしょうね)そんな話の最中に十兵衛の次女たま(芦田愛菜さん)がお茶と菓子を運んできました。信長はたまがとても気に入った様子で、たまに嫁入り先を自分が探してやるとか、安土に城ができたら見せてやると言い、たまの対応も良かったので上機嫌でした。(十兵衛さんは愛娘の結婚話で複雑な表情)しかし信長は帰り際、大和はやはり筒井に任せると言い、反論で信長に食い下がろうとする十兵衛を秀吉が制します。秀吉はうまく二人の調整役をやっているようです。天正4年(1576)秋、三河では徳川家康(風間俊介さん) の嫡男・信康に姫が誕生し、城内は築山殿(小野ゆり子さん)を除いてめでたい空気に包まれていました。しかし家康は、前年に長篠で戦った武田勝頼のその後のことや信長の様子が気にかかり、忍びを放って情報を得ていました。そして京の様子を探っていた忍びの菊丸からは、松永の動きが気になる、織田家の中も古参の家臣と新参の家臣でまとまっていない、信長は今造っている安土城のことで頭がいっぱいで徳川家のことは頭にない、信ずるに足るは十兵衛、という報告を受けました。秋も深まり十兵衛の病が全快した頃、今度は妻の熙子が病に伏せるようになりました。そんな熙子に明智左馬助(間宮祥太朗さん)と駒(門脇 麦さん)が闘病平癒の祈願のために一座の者を呼んでくれて、庭で鬼やらいがありました。ここで左馬助に踊りの手ほどきをしている岸(天野菜月さん)ですが、岸は今は荒木家に嫁いでいるけど、離縁された後はこの左馬助と一緒になるのですね。(そういえば少し前に、岸が左馬助から書を教わっているシーンが)宴がお開きになった夜、久々に楽しむことができた熙子はまだ余韻にひたっていたくて、床から起きて一人で庭を眺めていました。熙子を案じる十兵衛が傍に寄ると、二人には温石のこと、越前での暮らし、坂本城のことなど出会ってからの様々なことが思い起こされました。そして熙子は、いつになれば戦が終わるのか、麒麟を呼ぶ人が十兵衛であったなら・・、そう語っているうちに眠くなり、十兵衛の腕の中でそのまま最期の時を迎えました。
January 5, 2021
2021年になりました。皆様、本年もどうぞよろしくお願いいたします。新年を迎えた昨日の朝、私はコンビニに走りました目的は、一昨日の大晦日で活動を一旦休止することにした “ 嵐 ” のことが載った新聞を買うためです。12月終わりのフィギュアスケートの後でも特に買わなかったスポーツ紙を、嵐のために買いに走りました。私と同じ考えの人が多かったのでしょうか。いつもなら午後でもたくさん残っているスポーツ紙が、あと1・2部しかない状態でした。コンビニを2箇所廻って3紙を手に入れました。日刊スポーツ(上)とスポーツ報知(下)の、1面見開き状態です。日刊スポーツ(上)とスポーツ報知(下)の見開きを裏返した状態です。日刊スポーツの中央の「感激カンゲキ愛嵐」文字は、嵐のアルバムや曲目等で文字をつくるという気合の入れようです。こちらはスポーツニッポンの28・29面(上)と、1面の見開き(下)です。28・29面が1枚の見開きになっていないのがちょっと残念です。スポーツニッポンの1面見開きの裏側も、嵐の軌跡を載せています。でも何より「嵐にまた会える!!」のメッセージが嬉しいですね。今SNSの中で、街中で、ありとあらゆるところで嵐活動休止の影響が出ています。熱烈ファンの嘆きもそうだし、街中のいたるところにあった嵐がCMででていた看板が、メンバー個人のものでもすでに外されてしまっているようです。そういえば、毎年お正月にくる年賀状についてきた日本郵便からのハガキも、今年は嵐5人が入っていない味気ないものでした。毎年あれを楽しみにしていた私もガッカリです。でも、これも仕方がないことでしょう。昨年の1月に嵐が活動休止を発表したとき、私は「えーっ!そんなぁ・・」と思いつつも、まあそれも有りうるかなと思っていました。誰でも、入社した若い頃は何もわからず周りの人たちから教えてもらいながら、ひたすら言うことを聞いて無我夢中で働いてきます。でも組織の中でのキャリアが上がって仕事もできるようになってくれば、自分の考えが強く出てきてそれを実現させたいと思うこともあるでしょう。30代後半の男が、自分はこの先どうやって生きるのか、何をしたいのかを考えるのはふつうのことですよ。昨年1月に嵐が活動休止の会見を行ったとき、この彼らは本当にすごい人たちだなあと私は思いました。どんな質問にも丁寧に真摯に答える。どの質問だったか、大野君が思わず答えにつまったとき、櫻井君かニノが出て滑らかにそつなく答えました。答えにくい質問には、言葉選びに頭の回転が速い櫻井君とニノが言質を取られることなく答えるのです。今までどんなことでも、誰かが苦手なことは「ここは俺が受け持つ」と誰かが出る、おそらくこんな時間をずっと過ごしてきたであろう、見事なチームワークを見ました。嵐はこの休止のままもう終わってしまうのか?私は全くそうは思ってません。たぶん2年くらいは大野君も精神的に充電したいだろうし、逆に他の4人は30代後半の男として、“嵐”という母体を離れた自分がソロの力でどこまでできるのかを試したいであろうと想像しています。でも2年くらいたったら、また5人でやりたい、5人でなければできない世界を作りたい、そんな思いに駆られるのではないかと思います。だから今は離れて、それぞれの道を歩いていればいいと。そして再び “嵐” になったときは、離れていた時間が糧となって、よりパワーアップして深みを増した5人の世界がそこにある、と私は信じています。ところで嵐の公式サイトが5人からの素敵なメッセージをUPしてくれてます。英訳付きです。 ⇒ こちら 嵐の熱狂的なファンではない私だけど、嵐の曲は好きなのがたくさんあります。好きな曲は車の中でホント何度も何度も聴いてます。音楽性が合うのかな?我が家のペット連のリーダーである茶トラの小太郎は皆に優しい子です。今は若いスモモが小太郎にくっついてるけど、この白猫リリーちゃんも仔猫でここに来たときは小太郎にべったりで、今でもスモモがいないと小太郎に甘えてます。
January 2, 2021
今日はもう12月の31日で、大晦日です。私はたいしたことやってないのに、またもやあっという間に1年が過ぎてしまいました。この1年はコロナウイルスのために、世界中で本当に大変なことになってしまいました。日本では特に医療関係者や配達業者がありえないほど多忙を極めました。特に宅配の方は、コロナのためにネット買いが増えて荷物を積み込むのにも時間がかかり、やっと配達先の家に着いたと思ったら理不尽に怒られたり汚い者扱いされたり、時間通りに行っても不在で出直しとか、話を聞くと本当に気の毒でした。他にも特にサービス業で、コロナのために生活や人生がおかしくなってしまった方も数多あると思います。来年はコロナが収束して、いや、せめてマスクとか距離とかの衛生に気を付ければこれまでの暮らしができることを、ひたすら願っています。この1年も、当ブログにお越しくださった皆様、本当にありがとうございます。来年も、どうぞよろしくお願いいたします。m(_ _)mでは、私の心にひたすら癒しと安らぎを提供してくれる我が家のペット連で、今年を締めくくりたいと思います。秋も深まり足元が寒くなってきたので、ホットカーペットを出しました。基本、寒いのが苦手なニャンズは皆、ホットカーペットに集まってます。ある日のこと、ホームセンターに猫草を買いに行ったら「猫が酔う草」というのがあってちょっと高かったけど試しに買ってみました。小太郎とリリーちゃんは全く興味を示さず、フクちゃんとスモモが寄ってきました。しかしフクちゃんとスモモにも結局は不評で、この草はベランダの飾りとなりました。ちなみに今日は大寒波がきているため、この地方でも午後から雪が降り続いています。といっても積雪は夕方でまだこれぐらいですが。我が家のニャンズは、小太郎が15歳、フクちゃんが11歳、リリーちゃんが10歳でスモモが1歳半です。スモモは人間でいうなら10代の女の子。育ち盛りでおなかが空いてしかたがない世代です。みんにゃ、お腹が空いているときは機嫌が悪くて軽くケンカもしちゃうけど、ゴハンがでたらこの通り、取り合うこともなくニャカ良く食べてます。みんなそのときの気分で、好きな場所に陣取ってます。11月の終わり頃、太陽高度が下がって、部屋の奥まで陽が差し込むようになりました。寒い時期の日向ぼっこは動物さんたちの楽しみの一つです。小太郎は赤ニャンのときからこの寝方をします。みんなそれぞれにクセがあるのかな。来年も皆がふつうに暮らせますように。
December 31, 2020
2020年NHK大河ドラマ 『麒麟がくる』 の感想です。気がつけば38回で大河ドラマもいよいよ終盤に入ってきて、十兵衛の娘の岸とたまは10代の少女に、そして後に明智十兵衛光秀の重臣となる斎藤利三が登場しました。山崎の合戦後に秀吉(木下藤吉郎)によって処刑されてしまう斎藤利三ですが、その娘の福は後に徳川3代将軍となる家光の乳母となります。その利三が十兵衛の元にやってきた理由が、主君の稲葉一鉄に我慢できなくなったからということなのだけど、改めて見る稲葉の鞍替えぶりはなかなかのものでした。この先、明智光秀として歴史に名を遺す大きな出来事が丹波平定、本能寺の変、山崎の戦いとあり、その間に娘たちの輿入れや母・牧のことなど、戦国の世のならいとなる出来事があるでしょう。終盤の盛り上がりがどうなるか、楽しみです。各地の大河ドラマ館もオープンしています。(それぞれにコロナ拡散防止のための注意事項はあります) ↓ ↓ ↓ 岐阜 大河ドラマ館 ぎふ恵那 大河ドラマ館 可児 大河ドラマ館 京都亀岡 大河ドラマ館 ※こちらも盛り上がっています。 ⇒ #麒麟がくる 天正2年(1574)夏、明智十兵衛光秀(長谷川博己さん)の居城の坂本城に預けられる身となった三淵藤英(谷原章介さん)の元に、織田信長より切腹の命が届きました。三淵は追放の身となった将軍・足利義昭といまだに通じていて、信長を倒そうと計画していた証拠が信長の手に渡ったからでした。助命嘆願をするという十兵衛に三淵は「捨てられる花にも一度は咲いてみせたという誇りがある」と十兵衛の申し出を断り、坂本城で切腹して果てました。その年の秋、十兵衛は佐久間信盛と細川藤孝の軍勢とともに、三好の一党と一向一揆の連合軍を畿内から駆逐するために河内に出陣しました。ひと段落ついて坂本城に戻ると稲葉一鉄の家臣の斎藤利三が来ていて、稲葉から受けた恥辱で我慢の限界にきた、十兵衛が主君ならいかなる戦にも身を投じることができる、家臣にしてほしいと懇願してきました。後日、十兵衛は織田信長(染谷将太さん)から京の妙覚寺に呼び出されました。バテレンから珍しい土産をもらって上機嫌の信長でしたが、斎藤利三が坂本城にいることはすでに知っていて、美濃を無事に治めるためにも斎藤を稲葉に返せと言います。しかし十兵衛は思うところあって信長の考えに断固反対で強く進言し、それに怒った信長は十兵衛に「帰れ!」と、そして十兵衛も「帰りまする」と退出していきました。でもその直後に信長は「ぐずぐずするな、呼び戻せ!」と命令撤回を。(ここは笑った)十兵衛からずけずけ言われて一時はカッとなった信長でしたがすぐに怒りは収まり、十兵衛には以前バテレンからもらったという南蛮の衣装をあげました。その後が大事な話で信長は、河内の三好や伊勢の一向一揆は押さえ込んだから摂津を除いて京の南側の脅威はない、あとは西隣の丹波を攻略せよ、与力として細川藤孝をつける、難しい国だから何年かかってもよい、と十兵衛に命じました。その代わり利三のことは自分が稲葉に話をつけると言って退出していきました。さて坂本城に戻った十兵衛はさっそく信長からもらった南蛮の衣装を着てみるのですが、娘2人(岸;天野菜月さん・たま;芦田愛菜さん)や明智左馬助(間宮祥太朗さん)や侍女たちは、十兵衛のいでたちが笑えて仕方がないようです。まあ今のようにいろんな価値観OKな時代じゃなかったから、傍にいる人の見慣れぬ姿には、つい笑えてくるのでしょうか。唯一、妻の煕子(木村文乃さん)だけは「お似合いです」と褒めてくれました。(長身でスタイルのいいハセヒロさんなら贔屓目抜きで似合うと思います)一方、信長は京の若宮御殿に参内して春宮の誠仁親王が蹴鞠に興じるのを見ていました。春宮は信長に蹴鞠を一緒にやろうとか瓜が美味であったとか、何かと声をかけます。その途中で二条晴良(小藪千豊さん)の声掛けで信長は三条西実澄(石橋蓮司さん)とともに奥に入って、正親町天皇の譲位(=上皇に)と春宮の即位について密談でした。譲位を急ごうとする二条と、急がずともよいという三条西で意見が対立しています。春宮即位のことを三条西は帝(正親町天皇;坂東玉三郎さん)に報告します。二条は将軍・足利義昭の失墜により自分が不利な立場になったため、帝の譲位を利用して再び優位に立とうと信長に近づき、信長も何かと二条に相談しているようです。帝は信長の朝廷への働きを嬉しく思いつつも二条に近づきすぎるのは良くないと憂慮し、そしてふと信長のことで十兵衛と話がしてみたいと思い三条西に語りました。十兵衛は信長に丹波攻略を命じられたものの、信長と敵対する丹波にどうやって入っていったらいいのかわからず、伊呂波太夫(尾野真千子さん)に相談して丹波に逃れている前関白の近衛前久に会わせてほしいと頼みこみました。逆に太夫は、かつて世話になった近衛家の当主である前久が京に戻れず苦労しているのを見るのは忍びない、前久を京に戻してほしいと十兵衛に頼みました。三河の忍びの菊丸(岡村隆史さん)は京の望月東庵(堺 正章さん)のところで手伝いをしながら情報収集に励んでいました。東庵のところによく来る なか(銀粉蝶さん)という老女は木下藤吉郎の母だと見抜いている菊丸は、なかに気に入ってもらおうと上手に取り入っています。丹波への道案内を頼みたい菊丸が駒(門脇 麦さん)のところにいると聞いた十兵衛は駒を訪ね、駒は将軍・義昭の思い人でもあるので義昭の近況を語りました。そして菊丸が用があって中にきたとき、菊丸の筆跡を見た十兵衛は、三河に侵攻した武田信玄が死んだことをあのとき知らせてくれた文は菊丸だったと気が付きました。菊丸の案内で、丹波の中でも反信長勢力の中心である園部に入った十兵衛は近衛前久(本郷奏多さん)と会って、これからどう動いたらいいのかを打ちあわせします。十兵衛は近衛に、丹波の民が何を望むか、幕府への年貢や川の治水はどうなっているのかなどを聞き、どうしたら自分が丹波で受け入れてもらえるかを探ります。しかし近衛は、この地は利害が複雑に絡んでいて話し合いなどでは何も解決しない、戦で片を付けるしかないと言い、果たしてその通りでした。天正3年(1575)夏、信長には従わない丹波の国衆と明智軍との間で戦が始まりました。(ドラマでは話はありませんでしたが、この年の5月に長篠の戦いがありました)
December 28, 2020
フィギュアスケート全日本選手権の男子シングルのフリーが昨日の夜行われ、SPトップ通過の羽生君が圧巻の演技で優勝でした。羽生君の演技を見ている間の私はTVにかじりついて「うわっ…」「すごーい…」「綺麗~っ…」これの繰り返しで情けないくらい語彙が飛んでました。私はフィギュアスケートは長年見てきているものの、技の判別やスピン・ステップの難易度(今どれぐらい高度なことをやっているか)は正直よくわかりません。でも選手の雰囲気や身体の締めなどから、その日の調子はなんとなくわかります。羽生君の演技中の身体のキレはすごかったですね。今回はコーチも同行していなくて、一昨日のSPでの大ミスもあったのに、一人で士気を上げて精神を集中して、よくぞあれだけの演技をやってのけました。その演技はFNNの公式サイトでUPされています。羽生君が自分自身の演技を解説しているのが面白いし、コメント欄の海外からの反響もすごいです。さて女子シングルのほうはどうなったのでしょう。一昨日のSPの録画はまだ一部しか見ていないのですが、紀平梨花さんがダントツの1位通過、2位が先日あったNHK杯で優勝した坂本花織さん、そして3位に復活の三原舞依さんがつけています。FNNの公式サイトでニュースのものがUPされてます。気になったのは三原舞依さん。体調不良から復帰して、まだちょっと痩せ過ぎな感じで、まあジャンプが軽々決まるのはいいのだけどね。紀平梨花さんが演技の半ばで入れた片手側転。バク転は禁止だけど片手側転ならOKなのですね。(あれは地面の上でやってもけっこう難しいです)中継のアナウンサーやニュースでは「インパクト抜群」とかなんか強調していましたが、流れの中で技の一つになっていたので、私はさほど気になりませんでした。その女子のフリーはどうなったのかは、録画を明日またゆっくり見ることにして話を男子に戻します。2位はSP同様、宇野昌磨選手でした。昨年はシーズンの半ばまで精神的に安定せず不調だったけど、現コーチのステファン・ランビエル氏に師事してからは自信をもつことができてみるみる復調し、そして全日本選手権優勝でした。その昌磨君は今大会でもランビエール先生の元、精神的にも落ち着いて緊張の中にも笑顔でいられて、精一杯の攻めの演技ができて2位でした。そしてコメントでは「ユヅ君が優勝して嬉しい」と。久しぶりに憧れのユヅ君と一緒の試合に出て、ユヅ君との差を実感して、自分の目標がここにあったんだなと感じられて、また頑張ろうと思った、ということでした。そんな昌磨君も羽生君と同様に世界中にファンがいるのですが、中でもロシアに熱烈な応援団がいます。ロシアの昌磨ファンの方が作った動画が こちら です。もう愛が満ち溢れています。さて日本の男子シングルですが、次の時代を担う期待の若手も出てきました。今年からシニア参戦の鍵山優真選手は、憧れは昌磨君。私は優真君の、軽やかにふわっと飛んでスッと着氷するジャンプがすごく好きです。音楽のつかみ方もすごくいいです。ただ今大会では、さすがにトップ2のお兄さんたちには技も表現も到底及びませんでした。それと筋力やスタミナがまだ足りない感じでしょうか。その優真君と同学年でライバルの佐藤駿選手。憧れは同じ仙台の羽生君です。佐藤君の余裕をもって着氷する4回転ジャンプは頼もしいものであり、彼は力強い男らしい演技が似合うと思います。ただ今期は怪我の影響なのか、上半身が少し痩せた感じで筋力不足なのか、優真君と争う位置にはいませんでした。憧れの羽生君に少しでも近づくよう鍛えてほしいです。男子シングルのレジェンドである高橋大輔選手は今季からアイスダンスに転向です。その影響でアイスダンスの注目度もグッとUPです。楽しみがまた増えました優勝=金メダルで、綺麗な金色のものが見たくなりました。(画像は2015年の、名古屋高島屋のクリスマスディスプレーより)羽生君も昌磨君も、昨年と比べて顔つきが大人っぽくなりました。海外で武者修行して、自身の精神的な苦悩を乗り越えながら、日本では学べないいろんなことを得ているのでしょうね。(画像は2014年の、名古屋高島屋のクリスマスディスプレーより)
December 27, 2020
今年のフィギュアスケート全日本選手権が昨日から長野県のビッグハットで始まりました。今年はコロナのせいで世界中の大会がほとんど中止となった中での、全日本選手権の開催です。海外に練習拠点を置く羽生結弦選手、宇野昌磨選手、紀平梨花選手らは先日のNKH杯も出ていないので、この全日本選手権が今季初めての試合となりました。日本の男子シングルと女子シングルは、今や国内のみならず世界にファンがいる選手が何人かいます。その方たちもきっと、この試合を何らかの形で見たい、選手たちの情報を知りたいと、何か出ていないかなど、ネットでいろいろ探しておられることでしょう。今日の夜は男子シングルのフリーが行われています。昨日のSPが終わった時点で、羽生君がトップ、2位が先日のNHK杯で優勝した鍵山君、3位が昌磨君です。この結果のすごいところは、羽生君と昌磨君は2人とも大きなミスをやって、羽生君はスピンで0点、昌磨君は連続ジャンプで0点なのに、ノーミスの鍵山君を挟んだ位置にいるのです。今年シニアに転向したばかりの鍵山君がSP2位通過というのも、もちろん素晴らしいですが。羽生君も昌磨君も顔つきがすっかり大人になりました。特に昌磨君はこの1年、海外で武者修行して精神的にも強くなっているのをひしひしと感じます。というか、昌磨君の場合はランビエール先生と出会って本当にノビノビと、でも自信をもって楽しく滑っている姿がいいのです。ランビ先生も昌磨君の滑りを、リンクサイドから同じ気持ちになって見守ってくれているし。(私はランビ先生が来日しているのを見て思わず)この全日本選手権が海外からどれだけ注目されているか。それがこちらのサイトに「演技動画」としてUPされているのを見ると、コメントが外国語ばかりです。 ↓ ↓ ↓フィギュアスケート速報 全日本選手権 2020 またこの試合の注目の高さがこちらでも表れています。二人の試合の様子や画像を、メディア各社がこぞってUPしています。 #羽生結弦 #宇野昌磨 今回の男子シングルの解説をしている無良崇人さんによると、昌磨君が調子を上げてきているのでフリーでどうなるかわからない、とのことでした。さて、どんな結果になるでしょうか。クリスマスが終わってしまったので、フィギュアスケートをイメージした画像で。昨日のSPでは、20歳以上の上位選手のほとんどに大人の男の風格を感じました。(画像は2013年の、名古屋高島屋のクリスマスディスプレーより)氷の上で華やかな衣装と、衣装に負けないカッコイイ演技が繰り広げられています。(画像は2015年の、名古屋高島屋のクリスマスディスプレーより)
December 26, 2020
2020年NHK大河ドラマ 『麒麟がくる』 の感想です。この回は、将軍・足利義昭が織田信長に戦を仕掛けて敗れてそれが室町幕府の滅亡になり、幕府側についた三淵藤英がいったんは弟・細川藤孝と明智十兵衛光秀のとりなしで助かったものの、徐々に落ちていく運命に。谷原章介さんが演じた三淵藤英の悲哀が印象的でした。そして朝倉と浅井の滅亡。三河の忍びの菊丸が、三河を守るためには織田信長に朝倉と浅井を潰してもらわなければと諜報活動に励むさまは面白い流れでした。その信長が朝倉・浅井攻めに出陣して怒涛の進撃に。いとこであり主君の朝倉義景を裏切った朝倉景鏡は最後の別れにあっかんべー😜。景鏡(手塚とおるさん)がそんなことをやったのかどうかはわからないけど(笑)、景鏡は以前から義景を苦々しく思っていたから、それぐらいの思いはあったかもしれないですね。そして後半の蘭奢待。あれだけ有名な戦のパートやその流れがナレーションを含めてあまりにもあっさりと終わったけど、まあそれは今まで他で何度も見てきたので、たまには珍しい話でドラマが進むのもいいかな、とも思いました。各地の大河ドラマ館もオープンしています。(それぞれにコロナ拡散防止のための注意事項はあります) ↓ ↓ ↓ 岐阜 大河ドラマ館 ぎふ恵那 大河ドラマ館 可児 大河ドラマ館 京都亀岡 大河ドラマ館 ※こちらも盛り上がっています。 ⇒ #麒麟がくる元亀4年(1573)3月、将軍・足利義昭は織田信長に対し討伐の挙兵をしました。しかしその前年の秋に義昭に呼応して挙兵して三河侵攻を進めていた武田信玄が野田城(愛知県新城市)から急に兵を退いて甲府に戻る方向に道を変えたため、その様子を町衆(中野順一朗さん)たちに混じって見ていた三河の忍びの菊丸(岡村隆史さん)は信玄の異変を感じていました。足利義昭(滝藤賢一さん)は宇治の槙島城に陣を構えていましたが、信長を討つために共に呼応しているはずの朝倉・浅井・武田が姿を見せないことに苛立っていました。そこへ織田信長の命を受けた木下藤吉郎(佐々木蔵之介さん)と配下が攻め寄せ、義昭を召しとり連行していきます。これからは我らの世と意気揚々とする藤吉郎ですが、履物もなく連行されていくかつての主君・義昭を明智十兵衛光秀(長谷川博己さん)は下座をして見送りました。義昭と共に戦った三淵藤英(谷原章介さん)でしたが、弟の細川藤孝(眞島秀和さん)が信長についていたため戦いをやめて投降、藤孝と十兵衛から義昭が宇治の南の枇杷庄に移って身は安全である、と聞きましたが弟の寝返りは悲しいものでした。藤英は自分は負けたと十兵衛に語りますが、十兵衛は「互いに勝った負けたではなく立場は紙一重の差」と言って、藤英にこれからも続く戦の助力を頼みました。武田信玄の異変を確かなものとした菊丸は、三河の安泰のためにも織田に朝倉・浅井を討ってほしく、このことを十兵衛に知らせるべく京に入っていました。菊丸の命を受けた町衆姿の男(千葉清次郎さん)は菊丸の伝言を十兵衛に渡すことに成功、十兵衛は信玄の去就を察知しました。将軍・義昭は宇治の枇杷庄に軟禁状態であっても、各地の大名に手紙を送っていました。一方、義昭を京から追放した織田信長(染谷将太さん)は後のことは十兵衛たち家臣に命じていて、自分は将軍の代わりに行う改元の言上ことで上機嫌でした。ただ気がかりなのは武田のことで、信玄が死んだという噂があると十兵衛が伝えると、背後を突かれる心配のなくなった信長は元号が改まった天正元年(1573)8月、朝倉の重臣が寝返った報を聞くや、信長は近江へと出陣していきました。朝倉もすぐさま近江へ出陣しましたが、織田軍との戦いで重臣の山崎吉家は討ち死に。居城の一乗谷が焼き払われ賢松寺(福井県大野市)に落ち延びた朝倉義景(ユースケ・サンタマリアさん)でしたが、いとこの朝倉景鏡(手塚とおるさん)の寝返りによってもう逃れられないと悟り、自刃して果てました。そして同盟を結んでいた浅井久政・長政親子も織田軍に攻められて浅井家も滅びました。240年続いた室町幕府はついに倒れ、戦乱の世は信長によって新しい時代に。京の妙覚寺で信長は朝倉家の戦利品を今井宗久(陣内孝則さん)に鑑定させていました。信長は十兵衛に松永久秀の処遇をどうするか相談、十兵衛は松永は欲しい人材と信長に伝え、信長はならばと多聞山城を明け渡すことで松永を許しました。信長は宗久から天下を取ったも同然と言われましたが、それでは物足りないものでした。信長は東大寺が所有する伽羅の香木で、世の中で大きなことを成し遂げた者しか見ることが叶わぬという「蘭奢待」を見たいと思っていました。十兵衛は信長のこの考えをどう思うか、平和な世をつくるためのまだ道半ばなのに、と宗久に尋ねると「あのお方は今、何か見える形で自分の値打ちを知りたがっている。見る景色が変われば人もまた変わる」と宗久は答えました。翌、天正2年(1574)3月28日、従五位下に叙された信長は、蘭奢待を見るだけでなく切り取ることも帝に申し出ていて、帝は不本意ながら認めました。東大寺正倉院から110年ぶりに蘭奢待が運び出され、信長は多聞山城にて高僧・浄実(たかお鷹さん)の元、蘭奢待の一部を切り取り手にしました。2つに割れた蘭奢待の木片を帝(正親町天皇)に差し上げて喜んでもらおうと思った信長でしたが、取り次いだ三条西実澄(石橋蓮司さん)は恐れ多いこととおののき、当の帝はまったく喜んでいませんでした。それどころか帝は、ちょうど毛利輝元がこの木片を欲しがっているから贈ってやればいい、信長と毛利が敵対していても自分は関係ないと冷たく言うだけでした。そのころ信長に加勢して働いていたはずの三淵藤英でしたが、なぜか居城を取壊され十兵衛の居城の坂本城に急遽預けられる身となりました。信長の考えが時に計りかねると言う十兵衛に、「そのときにどう付き従うかが家臣の器」と藤英は優しく諭し、己の先は長くないと悟ったかのように琵琶の湖を眺めていました。
December 22, 2020
毎年11月の終わり頃から、冬の夜空を華やかに彩るイルミネーションが各地で見られるようになります。美しい光を見ると私はテンションが上がります。綺麗な風景と我がペット連をはじめとする動物さんたちは私の癒しとエネルギー源であります。今年も名古屋市天白区の植田公園にある “もみ太” がイルミネーションの輝きに包まれました。毎年なんやかんやで見に行けないときもあります。思い立ったが吉日で、先日ちょっと行ってきました。植田公園に着きました。このイルミネーションは1月4日までやっているとのことです。 “もみ太” は何年か前にデビューしたときは「ピンクのツリー」でした。今年の “もみ太” はやけに白っぽいなあと思ったら、たくさんの色が使われていました。 “もみ太” の内部はこうなっています。ピンクの光はどこへ行ったのかーー公園の周囲の木に飾られていました。この日の思いがけない出会いが紅葉のライトアップです。名古屋に住んでいれば街灯の光でささやかなライトアップはいくらでも見られますが、私の家のほうではそういうわけにもいかずーーこれが今年初めての紅葉のライトアップでした。「犬も歩けば棒に当たる」ではないですが、出かければ何か予想外のことがありますね。11カ月前に買ったミラーレス一眼のカメラは軽くて撮りやすくて楽です。でもなにか足りないと思ったら、光がキラキラするクロスフィルターを忘れてました。ちなみにこちらが、2014年のときの「ピンクのツリー」です。クロスフィルターを使っています。時代と共に変わっていくのもいいけど、やっぱり私はこのピンクが好きだなあ。そしてこちらが、2015年の “もみ太” です。全年のピンクと白の光から、ピンクにグリーンが混ざって、全体が少し白くなりました。
December 18, 2020
2020年NHK大河ドラマ 『麒麟がくる』 の感想です。今回はドラマの中でちょっとした教養講座がありました。セリフに出てきた詩の言葉をちょっと検索すれば、何のことなのかすぐにわかるので、便利な時代になりました。最初に内裏で詠まれたのは漢詩の『胡隠君を尋ぬ』で、これはタイトルすら知らないものでしたが、中ほどの坂本城の天守から琵琶湖を眺めながら明智十兵衛光秀(長谷川博己さん)と煕子(木村文乃さん)が詠んでいたあれは、『梁塵秘抄』でした。文学史でタイトルだけは覚えたので、これがあの本の内容だったのか、という思いでした。そしてドラマに盛り込まれていたのが「育ちの良さ」で、木下藤吉郎が柴田勝家と佐久間信盛に意見したときと、終盤で織田信長が十兵衛に感じたであろう部分です。将軍・足利義昭が朝倉・浅井と裏で結んでいる、それを自分は間者から確認していると藤吉郎が柴田と佐久間に言ったとき、二人はまさかという反応でした。貧しい家の出で生きるためになんでもやってきて、人の裏の部分を嫌というほど味わってきた藤吉郎ならではの読みと情報力であり、育ちのいい人には見えない部分です。そして信長が十兵衛に、将軍・義昭が武田・朝倉・浅井を動かして自分を追い落とそうとしていると言うと、義昭がそこまでするとはと思う十兵衛。財力のある織田家の嫡男として生まれても、幼い頃より幾度も母に気持ちを踏みにじられ傷つき、両親の愛情に飢えている信長です。そこそこの家柄でも幼い頃より周囲の期待を一身に受け、両親の愛情豊かに育った十兵衛にはわからない、人の裏というものが見えるのでしょう。その人がどうやって育ったかを感じる興味深い部分です。各地の大河ドラマ館もオープンしています。(それぞれにコロナ拡散防止のための注意事項はあります) ↓ ↓ ↓ 岐阜 大河ドラマ館 ぎふ恵那 大河ドラマ館 可児 大河ドラマ館 京都亀岡 大河ドラマ館 ※こちらも盛り上がっています。 ⇒ #麒麟がくる ※感想絵も素晴らしいです。⇒ #麒麟絵 元亀3年(1572)冬、帝がどのようなお方か知りたい明智十兵衛光秀(長谷川博己さん)は三条西実澄の従者という形で御所に参内することができました。帝に直接会うことは叶わぬけどお声ぐらいは聞けるかもしれないということで、十兵衛は実澄に言われたように少し離れた場所で控えていました。廊下には明(中国)の詩人の高啓が作った『胡隠君を尋ぬ』を詠む声が響いていました。帝(正親町天皇;坂東玉三郎さん)はこの詩に思いを馳せ、自分もこの詩の世界のように生きたいと願うと三条西実澄(石橋蓮司さん)に語ります。それを受けた実澄は、今日は庭に万葉の歌を好む珍しき鳥が舞い降りていると十兵衛が来ていることを匂わせ、それに気づいた帝は自分もこの詩のように生きたいと思いを紙に書いて、蔵人を十兵衛の元に使わしました。帝からの言葉に感極まった十兵衛は思わず帝に「私もそのように生きたく存じます。さりながら迷いながらの道でございます」と返してしまいました。それに帝は「目指すはいずこぞ」と言葉をくれたので、「穏やかな世でございます」と十兵衛は返し、「その道は遠いのう…。朕も迷う。なれど迷わずに歩もうではないか」と帝は思いを共にしてくれ、十兵衛はただただ感激し、実澄も帝に一礼しました。帝から言葉を賜り、感激で半ば放心状態で帰宅した十兵衛でしたが、家には近江から柴田勝家(安藤政信さん)と佐久間右衛門尉信盛(金子ノブアキさん)と木下藤吉郎(佐々木蔵之介さん)が来ていて、十兵衛を待っていました。将軍・足利義昭が松永久秀を討つために織田に出陣せよと言っているが、それは朝倉・浅井と裏で手を結んでいる将軍が織田を討つための策略だ、と藤吉郎は見抜いています。しかし柴田と佐久間はそれがわからず、藤吉郎は思わず「育ちの良い方は甘い」と皮肉を言い、明日は浅井を討つ算段を考えると言って退席していきました。十兵衛が二条城に行くと、将軍・足利義昭(滝藤賢一さん)は庭で剣術の稽古をしていました。剣術の達人だった兄・義輝に倣って急に始めたらしく、側近の三淵藤英(谷原章介さん)は義昭を好意的に見ていましたが、十兵衛は義昭の行動にどこか違和感を感じていました。十兵衛は義昭から手合わせを所望されて相手をしましたが、しゃにむに向かってくるだけの義昭を見たとき十兵衛の脳裏にはなぜか義昭と初めて出会ってからのことが次々と浮かび、今の義昭は何か違うと強く感じ始めていました。その夜、十兵衛は妻の煕子(木村文乃さん)に、御所に参内して帝のお声を聞いて、そして今織田信長は、将軍・義昭は、と思ったことを語りました。そんな十兵衛に熙子は、坂本城がだいぶ出来上がったと左馬助からの報告を伝え、それを聞いた十兵衛は、新しい城を一番に見せたい熙子に一緒に城を見に行こうと誘いました。完成間近の坂本城に入った熙子は、初めて見る天守に感激していました。16年前の長良川の戦い(1556)で美濃の地を追われ、越前でかくまってもらったものの最初の数年間はボロ小屋での生活で、少しずつ生活は向上してきたけどあのときのことを思うと、夫が自分の新しい城を造っているというのは夢のようなことでしょうね。水際に建つ坂本城はまるで湖に浮かんでいるような城で、十兵衛は妻と子たちを舟に乗せて月見に漕ぎ出し、そこで古き歌を子たちに教えている姿を思い浮かべていました。「月は舟 星は白波」と十兵衛と熙子は『梁塵秘抄』を詠み合って笑い合いました。そんな熙子の姿を見て十兵衛は、必ず皆をここへ呼び寄せる、京に残して人質などにはしないと固く誓いました。(明智家のシーンは美しく、眼福であります)元亀3年(1572)4月、幕府と織田の連合軍が松永を討つために河内に向けて出陣、しかし織田信長(染谷将太さん)自身はこの戦には加わらず、松永も逃げのびました。そして半年後、信長は将軍・義昭の近頃の在り方に苦言を呈する書状を送ったものの少々厳し過ぎたかと思い、義昭の機嫌を直してもらおうと白鳥を贈ると言いました。信長が将軍に気を遣うのを見て十兵衛は、ならば親しき大名にも気を遣ってほしいと進言します。(十兵衛にとっても家康は親しみを感じる大名ですからね)将軍・義昭は甲斐の武田信玄に早く上洛せよと幾度も催促していて、信玄は大軍を率いてその年の10月に上洛を開始、その途中にある浜松城の徳川家康を攻めていました。徳川勢だけでは武田に対抗できない、織田から3千の援軍ではとても足りないと十兵衛は訴えますが、信長は自分も四方に敵を抱えているから援軍はできないと言います。さらに信長は、今自分が敵対している相手は全て将軍・義昭が動かしていることを知っている、十兵衛も義昭の手先か?と十兵衛を揺さぶりました。信長の命で白鳥を義昭に届けた十兵衛でしたが、時すでに遅し。義昭は信長からの書状で怒り心頭ですでに信長との戦を決めていて、三淵からも義昭側につくよう十兵衛は強く言われました。信長を討つなんてとてもできない十兵衛は義昭に再考を願いますが義昭の考えは変わらず、共に自分を譲れない十兵衛と義昭は、涙ながらにこの場で訣別をしました。御免!と立ち去った十兵衛でしたが義昭は「十兵衛は籠から出た鳥じゃ。また戻ってくるやもしれぬ」と十兵衛の選択を認めました。
December 16, 2020
10月の末ですが、愛知県春日井市にある公共施設の西部ふれあいセンターの花壇の花がとても綺麗だという評判をSNSで見ました。どんなものか気になったので、ちょっと行ってきました。10月の末だったので、綺麗なコスモスをなんとか見ることができました。建物の前にあるスペースのかなり広い部分が花壇になっています。ボランティアさんたちが手入れして、四季折々に花が咲く花壇にしてくれています。花たちはちゃんと陽射しの方向に茎を向けています。ホントに見事なまでに、どっさりと咲いていました。空いているスペースになにかの柑橘類の木もあり、ちょうど実りの時期でした。逆光のときは花びらの裏から見て透けるのが好きです。足元にも可愛い綺麗な花がありました。咲いたばかりみたいでまだ無傷でした。計算して植えたのか、たまたまなのか、木を取り囲むように花がある構図がいいです。柵の向こうに根っこがある花が、こちらに顔を出して咲いていました。綺麗に咲く花をたくさん見られて眼福でした。お天道様、ボランティアさん、ありがとうございます。
December 13, 2020
2つ前の日記で、全国にある自衛隊の地方協力本部や駐屯地でプレゼント企画をやっていることをご紹介しましたが、もう少し追加が出たのでご紹介します。(3つ前の日記でご紹介した中で期限がまだのものも再度UPしました) 自衛隊福岡地方協力本部 応募期間:12月14日(月)まで 自衛隊愛知地方協力本部(公式) 応募期間:12月14日(月)午前9時まで 自衛隊愛媛地方協力本部《公式》 応募期間:12月14日(月)まで 自衛隊@青森地方協力本部♪公式♪ 応募期間:12月14日(月)まで 自衛隊神奈川地方協力本部 応募期間:12月16日(水)まで 自衛隊山形地方協力本部(公式) 応募期間:12月17日(木)24時まで 自衛隊栃木地方協力本部 応募期間:12月18日(金)0時まで(17日中?) 自衛隊兵庫地方協力本部@公式 ※応募のページは こちら 応募期間:12月31日(木)まで※プレゼントを待っているよりも自分で買っちゃう! という方は こちら をどうぞ♪ところで、この地方では11月の後半から昨日までの約3週間、ホントに連日、雨はどうなったのかと思うほど、快晴の青空で暖かい日が続きました。こんなにいい天気なら、仕事に出る前の2~3時間でどこか近場の紅葉でも見てくればよかったのですが、こういうときに限って行く先を思いつかないものです。11月終わりの土曜日、名古屋での仕事の帰りに愛知県日進市にある 五色園 に寄ってきました。ここは浄土真宗のお寺と墓地なのですが、広~い園内には開祖である親鸞聖人の一生を物語る場面が塑像によって表現されています。そしてこの広~い園内は、桜や紅葉の名所でもあります。天気が良いときなら、自然に近い状態の草木がキラキラ輝いて本当に綺麗です。こんな感じにコンクリート人形によって親鸞聖人の生涯を物語っています。紅葉や桜の季節には、人形が彩り鮮やかになります。私がここに行ったとき、この日のこの時間に限って急に雲が出てきて、陽光がさした明るい画像が撮れませんでした。(これは瞬間的に陽光がさしたとき)この場面は『鹿ケ谷鈴虫松虫の剃髪得度』です。現在、五色園では園内の人形を修復中のためか、あちらこちらが通行止めになっています。なので今回は、紅葉があるところを2・3か所だけ見て帰ってきました。この場面は『六角堂御参籠 雲母坂お通い』です。仏の道に迷いが生じた親鸞は救いを求め、昼間でも通るのをためらう雲母坂を越えて比叡山から六角堂までの三里十八丁もの距離を、真冬の百日間往復していました。親鸞聖人が寒風吹きすさぶ中毎夜毎夜どこへ行かれるのかと弟子が後をつけていました。雪道を血に染めながら必死に進む聖人の姿に、弟子は涙せずにはいられませんでした。これは2011年の、快晴で紅葉がいちばんきれいだったときに撮ったものです。上の画像も明るさ調整をしましたが、自然の陽光にはとてもかないません。ホントはこれがあるところにも行きたかったのですが、工事で通行止めでした。まあ天気が良くなかったからあきらめがついたけど、工事が終わって自由に見られるようになったら、またこの景色を見たいものです。
December 12, 2020
2020年NHK大河ドラマ 『麒麟がくる』 の感想です。自分が非力な故にいやいやながら摂津晴門に従っていた将軍・足利義昭でしたが、明智十兵衛光秀(長谷川博己さん)の言葉を信じて摂津から離れる決意をしました。しかし同時に、義昭は織田信長に対しても不信感が増していて、信長からも離れると義昭は言い出しました。そんな物語の中で、藤吉郎(後の秀吉)の母親・なかを演ずる銀粉蝶さんの、突然けたたましく登場して噂でもなんでもペラペラと、相手の気持ちなんてお構いなしに喋って動く演技には笑わせてもらいました。秀吉の母・なかというと、これまでの戦国ドラマではほとんど地味な感じの演技が多いものでした。個人的には『真田丸』でなかを演じた山田昌さんが、秀吉のおっかあらしくていいなあと思っていました。だから『麒麟がくる』では、銀粉蝶さんが思いっきりイメージを変えてきたのだなあと。そして三条西実澄を演じる石橋蓮司さん。石橋さんは『西郷どん』では西郷家の食客(居候)の川口雪蓬役で出演されていて、それまで見たドラマでの石橋さんの悪役のイメージが一転した演技の面白さについつい魅入ったものでした。なのでこの『麒麟がくる』でも、いい見どころを作ってくれると期待しています。各地の大河ドラマ館もオープンしています。(それぞれにコロナ拡散防止のための注意事項はあります) ↓ ↓ ↓ 岐阜 大河ドラマ館 ぎふ恵那 大河ドラマ館 可児 大河ドラマ館 京都亀岡 大河ドラマ館 ※こちらも盛り上がっています。 ⇒ #麒麟がくる 元亀2年(1571)秋、比叡山での戦いで一番の手柄をあげた明智十兵衛光秀(長谷川博己さん)は織田信長から近江の国の志賀の地を与えられ、琵琶湖のほとりの坂本に新たな城を築く計画をたてていて、図面をみながら思案中でした。十兵衛の娘の岸(平尾菜々花さん)とたま(竹野谷 咲ちゃん)も、言葉遣いや振る舞いがすっかり姫様らしくなり、明智家の家族の風景は見ていてホッとします。その後で木下藤吉郎が信長の命令を持って十兵衛を訪問、信長が公家衆を助けるために出した触れは摂津晴門らが牛耳る室町幕府には都合の悪いことばかりで、十兵衛はこの先の幕府との対立が気になりました。藤吉郎のように貧しい百姓の出身で、平和でない世の理不尽さを嫌というほど味わってきた者にとって、将軍とか幕府とかの存在はさほど意味のないものでした。一方、摂津晴門(片岡鶴太郎さん)は、 幕臣でありながら信長の意に沿って行動する十兵衛に怒りの矛先が向いていました。摂津は4日後に将軍・足利義昭が本国寺で開く茶会で十兵衛を亡き者にしようと画策、さらに摂津は甲斐の武田や越前の朝倉・近江の浅井らと手を結び、信長を討つための戦の手筈を整えていました。煕子(木村文乃さん)がたまの治療のために東庵のところに行ったら、突然けたたましい老女が勢いよく部屋の中に入ってきました。この老女は藤吉郎の母である なか(銀粉蝶さん)で、息子の出世が嬉しくてたまらないなかは自慢話をしつつも、熙子が明智光秀の妻と知らなかったのか「明智様はもっと大変、幕府ににらまれて奥方やお子を~~」とペラペラとしゃべりまくっていきました。東庵のところでなかの世間話から将軍・足利義昭(滝藤賢一さん)の明智家に対する仕打ちを聞いていた駒(門脇 麦さん)は、義昭に不満と怒りをぶつけました。義昭は、十兵衛は信用できても今や一体となっている織田信長が信用できない、幕府を動かしているのは摂津たちで、自分は将軍であっても摂津たちのいうことを聞くしかない、坂本に城を造り始めた十兵衛は自分から離れようとしていると、駒に胸の内を語りました。摂津が十兵衛を襲撃するかもしれないと知った駒は伊呂波太夫に頼み込み、太夫は十兵衛と昵懇の間柄の細川藤孝(眞島秀和さん)にこの危機を知らせるよう頼みました。馬を飛ばして駆け付けた藤孝は摂津の策略を十兵衛に伝え、この茶会には出ないほうがよいと忠告しましたが、十兵衛は藤孝に礼を言って奥にいる将軍・義昭の元に向かいました。藤孝の忠告どおり、奥の間に向かう途中で摂津の家臣たちが刀や槍を構えて潜んでいました。襲撃で十兵衛は脚に傷を受けたもののなんとか将軍・義昭の部屋にたどり着き、義昭も最初は驚いたものの家臣たちに下がるよう命じ、摂津の家臣たちも引き払いました。義昭が人払いをした後、十兵衛はふと3年前にこの本国寺で義昭が三好三人衆に襲撃されたときのことを思い出し、あのときは美しき都を取り戻そうと二人で理想に燃えていた、しかし3年たった今はとりまく状況が変わった、3年は古いもの(幕府を陰で操る摂津たち)を捨て去るよい区切りだと思う、と十兵衛は脚の痛みに耐えながら義昭に進言しました。そんな話の後で三淵藤英(谷原章介さん)が来て、弟・藤孝の家来たちが門前に控えている、下知があれば摂津たちを捕らえると三淵が言うと、ーー摂津から離れる決心がついた義昭は下知を出し、摂津らは捕らえられました。政所頭人として室町幕府を意のままに動かしてきた摂津晴門の終わりでした。摂津が捕らえられた後で映ったこの仏像にドッキリ。20分22秒のとき(上)と31分39秒のとき(下)では、能面みたいにあまりにも見え方が違うので、一瞬違う仏像かと思いました。摂津が仏像を変えた?とか、摂津の部屋が違う?とか思ったけど、たぶん撮るアングルの違いだけですよね。茶会から数日後、茶会での礼を言いに十兵衛が伊呂波太夫(尾野真千子さん)を訪ねたとき、今や信長がすっかり心酔している帝とはどのような方なのかが気になる十兵衛は太夫にそれを尋ねますが、太夫も実はよくわからないと。そこで帝の信頼が厚い三条西実澄(石橋蓮司さん)に太夫がこれから会う用事があるというので、十兵衛も同行して三条西に挨拶をしました。十兵衛が家に来たとき、初めはそっけない態度の実澄でしたが、部屋にあった万葉集の書物を見た後の十兵衛とのやりとりは、時がたつのを忘れるほど興味深い時間だったようでした。後日、帝(正親町天皇)の元に実澄は参内しましたが、実澄が楽しそうに十兵衛のことを語る様子を見た帝は実澄が十兵衛を気に入ったのだとわかり、自分もその明智とやらに会ってみようと思い、折を見てここに連れてくるよう実澄に命じました。
December 9, 2020
前回の日記で、全国にある自衛隊の地方協力本部や駐屯地でプレゼント企画をやっていることをご紹介しましたが、もう少し追加が出たのでご紹介します。 自衛隊山形地方協力本部(公式) 応募期間:12月17日(木)24時までまた前回UPした中の、陸上自衛隊第19普通科連隊の「1万フォロワー達成で応募〆切」とあった企画が、こちらの連隊長さんのお力添えで(こちら)、〆切が少し伸びて、プレゼント数も増えました。応募期間:12月7日(月)17時までただ応募するページは こちら なのでご注意を。UPした画像は、先月の後半の天気のよい日に、家の近くをカメラを持って散歩してきたときのものです。名所の風景はもちろん心躍る素晴らしいものですが、すぐ近くにあって変わりゆく季節をさりげなく教えてくれる景色も、これまた心和むものです。今年は秋の冷え込みが緩いせいか葉の色づきが遅いのか、と思ったけど別の木は赤い葉がすっかり落葉していました。同じ神社の敷地内でも日当たり等の条件で、紅葉の状態がまったく違うようです。秋のもう一つの色である、銀杏の黄色です。逆光で葉の黄色が透けて綺麗でした。銀杏の落葉がつくる、黄色のじゅうたんです。名称はわからないけど祠があります。祠の両わきにはたくさんの碑があります。花の名前はわからないけど、足元に綺麗に咲いていました。全体が真っ赤になった紅葉も好きだけど、葉の色がだんだん変化しているMixの状態もなんかいいなと、この季節になると毎年思っています。
December 5, 2020
先日、 “岩手ぴこ”自衛隊岩手地方協力本部(公式) のプレゼント企画に応募したら、当選しました。公式キャラクター「陸葉」「海波」「空羽」が入った岩手地本のオリジナルエコバッグです。岩手地本さんから当選メッセージをもらって \(@^0^@)/やったぁ♪、発送のメッセージをもらって o(*^▽^*)o~♪ワクワク、3日後に届きました。こういったプレゼント企画も自衛隊のPR活動の一つでしょうが、応募して当選すると嬉しいものであります。私は一昔前は自衛隊というと、街中で時おり見かける「縦長の板に黒字で “自衛官募集” とだけ書かれた看板」に象徴されるように、ただお固くて厳しくてハード、というイメージしかありませんでした。しかしITがどんどん進化していく現代では、各基地や駐屯地にそれぞれ可愛いキャラクターがいて、各種の案内も見やすく分かりやすくきれいで、ネットを通じてすぐ知ることができます。自衛隊のグッズもネットを通じて(こちら) 買うこともできますが、各基地でのオリジナルグッズをこの機会に手に入れるのも楽しいかと思います。 防衛日報デジタル さんが出している資料に、本日追加された分も含めて、まだ応募できるプレゼント企画をご紹介します。プレゼントの中には、今や生活に必須となったマスクや、この時期なら手に入れたい来年のカレンダーがあります。自衛隊のマスクやカレンダーはカッコイイので、人気が高そうですね。 陸上自衛隊第19普通科連隊 応募期間:フォロワーが1万人に達成するまで (12月3日現在で約 9,800フォロワー) 自衛隊鹿児島地方協力本部@公式ごわす 応募期間:12月7日(月)17時まで 自衛隊福井地方協力本部@公式 応募期間:12月7日(月)午前8時まで 自衛隊秋田地方協力本部@公式 応募期間:第1弾は12月7日(月)23:59まで、 第2弾は12月8日~ 陸上自衛隊那覇駐屯地 応募期間:12月9日(水)23:59まで 自衛隊徳島地方協力本部【公式】 応募期間:12月10日(木)まで 自衛隊熊本地方協力本部【公式】 応募期間:12月11日(金)まで 自衛隊福岡地方協力本部 応募期間:12月14日(月)まで 自衛隊愛知地方協力本部(公式) 応募期間:12月14日(月)午前9時まで 自衛隊兵庫地方協力本部@公式 ※応募のページは こちら 応募期間:12月31日(木)まで先ほど追加がありましたのでご紹介します。ただこちらは、島根県在住の方のみの応募になっています。 自衛隊しまね地方協力本部【公式】 応募期間:12月14日(月)12時まで自衛隊をはじめ、警察・消防・海上保安庁など私たちの安全を守ってくださる皆様、世の中で働いてこの国の繁栄を支えてくださる皆様、ありがとうございます。オリジナルキャラクター「陸葉」「海波」「空羽」が可愛いです。コロナが収束して自衛隊のイベントがあったら持っていきます。本物のニャンであるフクちゃんも、気になったのか覗いてくれました。
December 3, 2020
2020年NHK大河ドラマ 『麒麟がくる』 の感想です。京の都がだんだんややこしくなってきました。対立が深まる将軍・足利義昭と織田信長、二人の対立を陰で煽る摂津、その信長は将軍のお守りに疲れたようで帝ファーストに心変わり、でも帝は信長を利用するだけ。登場人物の内面を考えると思わず緊張しそうな場面が多々ある中で、なぜか松永久秀を演じる吉田鋼太郎さんが出てくると、妙にホッといたします。よく演劇界では、同じ人物の役でも、脚本や役の解釈や演じる人が違うと、見る側の印象がまるで違うと言われますが、このドラマでの松永久秀はまさにそれでしょう。これまでの戦国ドラマでは信長が中心となって、たまに出てくる松永久秀なんて本当にラストの爆死ぐらいしかインパクトがなかったけど、今回は違います。松永久秀は奈良で戦を起こして東大寺や興福寺を焼いてしまっているのに、このドラマの中では「そんなこともあったけどね」って感じで、なんか憎めないのです。逆に、だから比叡山の焼き討ち後に精神的に苦しむ明智十兵衛光秀(長谷川博己さん)も、松永の話で気持ちが救われてしまうのでしょうか。この先、松永と信長の関係も複雑になっていきますが、どういうやり取りが起こるか、楽しみであります。各地の大河ドラマ館もオープンしています。(それぞれにコロナ拡散防止のための注意事項はあります) ↓ ↓ ↓ 岐阜 大河ドラマ館 ぎふ恵那 大河ドラマ館 可児 大河ドラマ館 京都亀岡 大河ドラマ館 ※こちらも盛り上がっています。⇒ #麒麟がくる 元亀2年(1571)9月、織田信長(染谷将太さん)は比叡山延暦寺を攻撃し、そこにいる者は僧兵だけでなく女・子どもも含めて全て討てと家臣たちに命じました。僧侶たちの首を検分して悦に入る信長に明智十兵衛光秀(長谷川博己さん)は、自分の一存で明智の家臣には女・子どもは討たせなかったと報告します。信長は光秀に、比叡山の・子どもは心に刃を持っている、他の者なら軍律違反で打ち首と忠告しつつ、今回は光秀の働きに免じて許すと言って去っていきました。信長の比叡山焼き討ちのことを将軍・足利義昭は激しく怒っていました。義昭の怒りと、筒井順慶(駿河太郎さん)と松永久秀の争いを利用して側近の摂津晴門は、筒井と松永のそれぞれの背後となる将軍家と織田家を戦わせようと画策していました。そして二条城には比叡山から逃れてきた人たちが傷の手当てを受けていて、それを見た順慶は自分の育った大和も松永に荒らされ東大寺や興福寺が焼かれたと怒りがよみがえり、将軍の力を借りて松永と戦をすると将軍の思い人の駒(門脇 麦さん)に語りました。うたた寝の中で娘たちが戦に巻き込まれる夢を見た十兵衛は不安になり娘たちを探すと、長女の岸は明智左馬助に手習いを教わっていましたが、次女のたま(竹野谷 咲ちゃん)は藤田伝吾(徳重 聡 さん)に頼んで鳥を見に市場に出かけていました。しかしそこでたまは、明智を恨む者たちから投石され流血の怪我をしました。(姫様の外出らしく、ちゃんと供の者を数人連れてました)伝吾はたまの怪我の手当てのために望月東庵(堺 正章さん)のところに駆け込み、知らせを聞いた十兵衛は東庵のところに駆けつけました。たまは父・十兵衛に鳥が大層きれいだったと嬉しそうに話した後で真顔になって、市場に行きたいと自分がせがんだせいだから伝吾を叱らないでほしいと父に訴えました。さらにたまは、父上はやむを得ず戦をしていると母上から聞いた、と十兵衛に伝えました。たまは物事の道理をわきまえた家臣にも思いやりのある聡明な姫様です。東庵のところで駒から、将軍・義昭が信長から離れようとしている、近いうちに順慶と松永が戦をするからそのとき義昭は筒井の後ろ盾になる、と聞いた十兵衛は戦を止めるために下京の筒井順慶の宿所に行って話をしました。順慶は十兵衛に、義昭から聞いた話と違う、自分は信長と敵対するつもりはないと説明しつつ、しかし大和に踏み込んでくる松永を許せないと言います。そこで十兵衛は、大和に戻る前に堺に寄って、松永と話をしたらどうかと提案します。堺の今井宗久の館に着いた十兵衛と順慶は、茶会の前に松永と会うことにしました。階下の気配で順慶が来ていることを知っている松永久秀(吉田鋼太郎さん)ですが、振り返ることもなく自分に道を教えてくれるという易を続けています。互いに敵対している松永と順慶は茶入れの値踏みで軽く攻防。その後で松永は内密の話をするために十兵衛を部屋の外に連れ出しました。順慶との戦をやめてほしいと十兵衛は松永に言いますが、美しい大和の国を我がものにしたいと松永が言うので、十兵衛は松永に自分の志賀の領地をやるから、とまで言います。停戦のためにそこまで言う十兵衛に松永は半ば呆れつつ、古いものを守ろうとする将軍と古いものを壊そうとする信長はいずれ袂を分かつ、自分は(東大寺や興福寺は焼いたけど)比叡山の焼き討ちまではできない、と十兵衛に語りました。比叡山の焼き討ちの後に苦しみが続く十兵衛に松永は、信長を尾張から京に連れてきたのはそなただ、比叡山のことで苦しんでいるがあれをやらねばならぬと自分でもわかっているはずだ、そなたと信長は根が同じでいずれ将軍と対立する、と言いました。ただ志賀の領地をくれるとまでいう十兵衛の心意気を諒とし一旦は筒井との戦を止める、順慶と一緒に茶でも飲もう、と言って松永は茶室に向かっていきました。十兵衛は美濃の岐阜城に行き、松永が和議に応じたことを信長に報告しました。畿内で戦になれば帝の御心を悩ませる、停戦で助かったと信長の心の中では自分の尽くすべき存在がいつのまにか将軍から帝に変わっていました。驚く十兵衛に信長が、将軍・義昭の言う事はいちいち的外れ、だが帝の言葉は万事重く胸に届く、比叡山のことはやむを得ないと帝は自分を褒めてくれた、と信長は上機嫌でした。一方、京の御所では正親町天皇(坂東玉三郎さん)は東庵と囲碁をしながら話をしていました。帝は、昨日関白が来て世間話をしていった、帝が信長を使って弟の覚恕を叡山から追い払ったと世間は言っている、信長とは距離を置いたほうがいいと言った、と。しかし帝は、覚恕は僧侶でありながら都を我がものにしようとした、信長でなければ覚恕を追い払えない、信長が褒めてほしそうだったから褒めてやったと語りました。叡山から逃げ出した覚恕(春風亭小朝さん)は、遠く甲斐の国まで落ち延び、領主の武田信玄(石橋 凌 さん)の庇護を受けていました。信長に対して恨み骨髄の覚恕に信玄は、信長を討ち滅ぼすと決意を語りました。
December 1, 2020
約1カ月前の10月末に、名古屋の 東山動物園 に行ったときの画像のご紹介です。この日は植物園側のコスモスが見たかったので、まずそちらに行ってきました。 ⇒ こちら 東山動植物園は、1回の入場料500円で、動物園と植物園の両方が見られます。なかなかお得です♪ただし、どちらも敷地がけっこう広いし、植物園側は特に園内のアップダウンがかなりあります。私も正直、このとき植物園側を1周してきただけで、久しぶりに歩いたせいか足が痛くなりました。動物園側に移動する際、こっちはまた今度にしようか、なんてふと思ったりもしました。でもお天気が良かったので、少しだけ見ようと思って動物園側に入りました。うん、動物を見るとテンションが上がります。結局この日は人気ゴリラのシャバーニたちがいる北園側は行かずに、本園の動物だけを見てきました。東山スカイタワーと動物園内を走るモノレールで、動物園の正門側から植物園の入り口付近までを往復しています。動物園と植物園は両方見ることができますが、どちらも門から出たら無効になるので、移動の際には少々遠回りをしなければいけません。なので植物園側で歩き疲れたら、これを利用するのもいいかもしれません。大人気のコアラ舎です。東山動物園によく来る人は動物たちの名前が全部わかるみたいですが、私はそこまでの域に達してはいません。こちらも人気のキリン舎です。広々した場所で見ることができます。フラミンゴ舎です。飛んでいってしまうので網が張ってあります。天気が快晴だったので、淡い朱色の羽が水面に映りこんでとても綺麗でした。フラミンゴ舎を別のアングルから。家で画像をサムネイルで確認したとき、フラミンゴの後ろにずいぶんと大きなサイがいたんだなあと思ったら、恐竜でした。フラミンゴと恐竜のコラボです。恐竜も、うん、動物ですよね。飛行機が県営名古屋空港を目指して飛んできたので、東山スカイタワーと恐竜とでコラボしてみたのですが、・・・恐竜の圧が強すぎました。アカカンガルー舎です。カメラのレンズが柵の幅より大きいので、スマホで撮りました。お昼過ぎの時間だったから?、みんなで集まってお昼寝タイムでした。どこの動物園にもいると思いますが、リラックス全開のカンガルーがいました。駐車場が植物園側からさらに歩いた場所だったので、Uターンして戻ることにしました。カリフォルニアアシカ舎です。ここでもお昼寝組と活動組が。天気のいい日はあらゆるものが綺麗に撮れるので嬉しくなります。また次のお出かけも、よいお天気になりますように。
November 28, 2020
2020年NHK大河ドラマ 『麒麟がくる』 の感想です。しばらく登場がなかった三河出身の農民(実は忍び)の菊丸(岡村隆史さん)が、この回からやっと登場でした。ただ今回はセリフは無しで忍びをしている姿だけでした。それでも物語をつなぐいい場面でした。そして今回は、時の帝と天台座主というそれぞれの世界で最高位にある二人が実の兄弟で、その兄弟の確執が争いの背景にあったという展開がありました。幼い頃より美醜で兄の正親町帝に対して激しい劣等感を抱いていた弟の天台座主・覚恕は、自分の不遇は全てこの醜さにある、金と権力を持てば人から蔑まれることはないと強く思い込み、手段を選ばずそれを手中にしました。春風亭小朝さん演じる覚恕が明智十兵衛光秀(長谷川博己さん)に思いを語るシーンは強烈でした。今の時代でも程よいコンプレックスなら自分を向上させて力を持たせる材料になるけど、あそこまで拗らせ、尚かつ力を持ってしまったら、誰も手がつけられなくなるという姿を見た感じです。頭の中は常にだれかとの勝ち負けがあり、どんなことでも自分が勝てば、自分が優位に立てば嬉しい、それが物事を判断する基準になっている弟の覚恕。対して、国の父という最高位にありながらも財力はなく、でも心映え美しく、人々が自然と頭を垂れ、武将たちに停戦命令を出せる力を持つ兄の正親町帝。正親町帝を演じる坂東玉三郎さんは、長年歌舞伎で芸を磨いてこられたお方で、美しい帝という役にふさわしい、品のある美しい所作を自然となさっていました。各地の大河ドラマ館もオープンしています。(それぞれにコロナ拡散防止のための注意事項はあります) ↓ ↓ ↓ 岐阜 大河ドラマ館 ぎふ恵那 大河ドラマ館 可児 大河ドラマ館 京都亀岡 大河ドラマ館 ※こちらも盛り上がっています。 ⇒ #麒麟がくる 元亀元年(1570)11月、織田信長(染谷将太さん)が近江の宇佐山城に陣を敷くと、朝倉義景と浅井長政は延暦寺の助けを受けて比叡山に陣を敷き、西からは三好と本願寺一向宗に、南からは六角と長島一向宗と、四方を敵に囲まれていました。進むことも退くこともできないままのとき、叡山にいる朝倉義景の重臣である山崎吉家と密かに会う手筈をつけていた明智十兵衛光秀(長谷川博己さん)は、信長にその旨を伝え叡山に向かいました。山崎吉家(榎木孝明さん)を通じて朝倉義景(ユースケ・サンタマリアさん)と会えた十兵衛は、越前は間もなく雪が降る、雪が降れば山越えして越前に帰るのも、2万の兵を抱えての長滞在も難儀になる、このあたりで戦をやめれば織田と朝倉の双方にとっての上策、と義景に進言しました。そのとき外からにょうばちの音が聞こえ、天台座主の覚恕が横川から戻ってきたので、義景は十兵衛を促して遠目から覚恕の姿を見せました。義景は十兵衛に、叡山は長年かけて領地や寺社や商いを手に入れた、それを成り上がり者の信長が上洛して次々と奪い取っていった、許せぬと覚恕は思っていると語りました。十兵衛が義景に、なぜ覚恕の下座につくのかを問うと義景は、自分は長年一向宗と戦ってお経を唱える者との戦いには勝てないとわかった、この戦を止めたくば覚恕にひざまずくよう信長に伝えよ、と十兵衛に告げました。十兵衛は義景に頼み込み覚恕(春風亭小朝さん)と会うことができました。私室にいる覚恕は女性をはべらせながら十兵衛に、兄である正親町帝と自分との美醜を比べ、自分は醜いから幼い頃より辛い目に遭ってきた、醜い自分は金と権力を持てば皆が頭を下げると言い聞かせてきて果たしてその通りになった、今は兄の帝でさえ金がなくて自分に頭を下げると愉快そうに語っていました。しかし信長が自分の力を奪っていくと思った瞬間、「返せ!」と怒りで震えていました。信長と朝倉・浅井の戦が比叡山で膠着状態にあるのを見た伊勢長島一向宗徒は、信長の弟の信興が守る尾張の小木江城を攻撃し、信興を自害に追い込みました。その報を聞いて喜ぶ覚恕の元には摂津晴門(片岡鶴太郎さん)がいて、覚恕は公方・足利義昭から何度も文がきた和睦の仲介も無視し、摂津とともに織田勢を京から追い出して寺院勢力と幕府が結託する以前のような体制をつくろうと算段していました。しかしその話は、床下に潜んでいた忍びの菊丸(徳川家康の家臣)が全て聞いていました。覚恕と摂津との密談を家康はすぐに十兵衛を通じて信長に知らせました。これでは和睦が進まないのも道理と見た信長は、京を捨てていったん美濃に戻るかと考えましたが、それでは美濃の衆や正室・帰蝶が笑うと十兵衛は信長を説得します。信長は、たとえ美濃に戻ってもこれまでの働きを皆が褒めてくれる!と言いつつも、帰蝶だけは自分を笑うかと思ったら冷静になりました。そして、ならばどうしたらと思ったときに、和睦の仲介を帝に頼もうと思いつきました。信長からの文を受け取った正親町帝(坂東玉三郎さん)は医師・望月東庵(堺 正章さん)と囲碁をしながら、これをどうしたものかと考えていました。帝は実の弟である覚恕の考えを見抜いていて、叡山で有り余る富を持ちながらこの御所の屋根板一枚すら直そうとしなかったことや、寺では酒色と賭け事に溺れる自堕落なこと、そして信長が御所を修繕してくれたことや、覚恕が貧しい公家たちを苦しめてきたことを考え、帝は信長を助けてやることに決めました。翌12月、近江の三井寺で織田・朝倉・浅井・延暦寺の和睦が成されました。そしてこの機に乗じて甲斐の武田信玄を上洛させて信長を京から追い払おうと摂津が言うと、信玄と文をやり取りしている覚恕は喜んで賛同しました。戦が鎮まり京の都にはつかの間の平安が訪れ、将軍・足利義昭(滝藤賢一さん)は近しい者たちを招いて二条城で能見物を楽しんでいました。義昭の隣の席には筒井順慶(駿河太郎さん)がいて、義昭の養女となった姫をめとることになった順慶の前祝いの宴でもありました。しかしこの宴には、筒井順慶と長年争ってきた松永久秀(吉田鋼太郎さん)も招かれていて、宿敵の順慶が優遇されて同席していることに松永は酷く腹を立てていました。十兵衛は事の仔細を何も知りませんでしたが、松永の将軍・義昭への怒りはすさまじく、松永は幕府を離れ大和に戻って順慶と戦うことを十兵衛に告げて去りました。その後で何食わぬ顔で十兵衛のところにやってきた摂津に十兵衛は、摂津がこの宴で松永を怒らせるよう仕組んだことや叡山での覚恕との密会を知っていること、そして信長が新しき世をつくる戦いは終わっていないことを強く言い、その場を立ち去りました。そして元亀2年(1571)秋、信長は近江と伊勢の一向一揆軍と戦った後、比叡山の麓に兵を集結させ、山にいる者全てを討ち果たすよう命じました。十兵衛は信長に、武器を持たぬ者には情けをと訴えましたが、信長はこれまで何度も山を下りるよう警告してきたと言い、十兵衛の願いを聞き入れませんでした。親に売られた妹を助ける金を稼ごうと比叡山に入っていた平吉(入江大牙くん)もこの戦の巻き添えとなり命を落としました。(ちなみにこの入江くん、朝ドラ『エール』では村野鉄男(中村蒼さん)の幼少期を演じていて、子供ながら引き締まったいい表情をしています)
November 24, 2020
この1週間、暖か過ぎる日が続きました。今日は久しぶりに雨が降ったけど気温は高いままでした。特に朝なんて起きてもちっとも寒くなく、気温を見たら最低気温が16℃。昨夜から雲が垂れ込めていたため放射冷却が起こらず、11月半ばとは思えない気候でした。さて、昨日ですが愛知県犬山市にある 博物館明治村 に行って、年間パスポートを更新してきました。ここ数年、明治村に行く頻度が減って、年間パスポートをギリギリ消化している感じですが、また何かあって急に行きたくなることもあるので、更新してきました。年パスがあると、平日は駐車場が無料になります。明治村の紅葉の状況を考えて、ホントは来週の晴天の日に行くつもりでした。でも来週は気がつけば何かと予定が入っていたため、曇りだけど雨が降る前にと、昨日大急ぎで行ってきました。(後で知ったのだけど、今年に限ってはコロナの影響で、パスポートの更新は来月でもよかったのでした)明治村はいい感じに紅葉していました。昨日は他の用事もあったので、歴史的建造物は見ることはなく、北側の5丁目の駐車場から南側の1丁目(正門側)にある近衛局本部付属舎(住民登録:年パス受付)まで往復約2.5kmを撮りながら歩いただけでした。5丁目の『金沢監獄正門』を抜けて『聖ザビエル天主堂』に向かう坂道のところです。ずっと曇っていた空が、この瞬間は陽がさしてきました。いいタイミングで村内バスが通ってくれました。4丁目の『第四高等学校武術道場 無声堂 』の前です。昨日は気温が高かったので、アップダウンを繰り返す明治村を歩いて移動したら、1丁目に着いたときには汗だくになっていました。これから年パスの顔写真を撮るというのに、トホホ・・でした。年パス更新の用事を終えて、1丁目から5丁目まで戻ってきました。『金沢監獄正門』を抜けて『天童眼鏡橋』に来たとき、陽がさしてきました。5丁目の『金沢監獄中央看守所・監房』前にある紅葉がいい感じでした。昔の時代のこげ茶色の建物と葉の赤がマッチしています。看守所の建物をぐるりと回って『宮津裁判所法廷』側から見たところです。この日はこれで帰りました。昨日の明治村は曇りで、補正したけど写真全体がぼやけていて残念なので、昔の画像を引っ張り出しました。2009年(11年前)に行ったとき、快晴だったので色が綺麗にでました。これは1丁目の『西郷従道邸』前の風景です。1丁目の『西郷従道邸』と『森鴎外・夏目漱石住宅』前は紅葉がいっぱいあって、建物プラスでおすすめのスポットです。
November 20, 2020
2020年NHK大河ドラマ 『麒麟がくる』 の感想です。織田信長が姉川の戦いで勝利するも、その直後の三好一族との戦いに苦戦するのを見て、滝藤賢一さん演じる足利義昭が、少しずつ信長から離れはじめました。僧侶から将軍となった義昭は自身は戦に出たことがないが故に、戦とはどういうものかを知らない。刻々と状況が変化する現場では初めに考えていた通りにいかないことも多く、場合によっては方針転換せざるを得ないこともあることとか何も知らない。そして反・信長の側近の言葉に乗せられていく。現場を知らないお偉い様あるあるでした。そして佐々木蔵之介さん演じる木下藤吉郎。鉄砲を買うときの交渉の仕方、探りの入れ方、動かない相手に対して恫喝に近い忠告、将軍・足利義昭の身辺もしっかりつかんでいる諜報活動、etc・・。佐々木さんの藤吉郎は回を追うごとに、後に天下統一を成す秀吉の人物像が浮かびあがってくる感じです。各地の大河ドラマ館もオープンしています。(それぞれにコロナ拡散防止のための注意事項はあります) ↓ ↓ ↓ 岐阜 大河ドラマ館 ぎふ恵那 大河ドラマ館 可児 大河ドラマ館 京都亀岡 大河ドラマ館 ※今週も鋭い感想がいっぱいです。 ⇒ #麒麟がくる (信長さまがファッション誌の表紙を飾る画像はサイコーです!)元亀元年(1570)4月、織田信長は越前の金ヶ崎から無事に京に逃げ帰り、戦の結果を明智十兵衛光秀(長谷川博己さん)は将軍・足利義昭(滝藤賢一さん)に報告します。十兵衛がこの戦は引き分けであったと言ったことに摂津晴門(片岡鶴太郎さん)がそれはおかしいと食って掛かりますが、摂津が知るはずもないことを知っていて十兵衛はそれを厳しく追及、言い逃れできなくなった摂津は仕事があると退出していきました。そして十兵衛は将軍・義昭には、戦で感じた恐怖と、世を平らかにするための戦だから次の戦では是非出陣を、と思いを強く訴えました。十兵衛が京の館に戻ると、そこには美濃から上京した家族たちが待っていました。煕子(木村文乃さん)は夫・十兵衛の帰還を出迎えられる喜びを語り、十兵衛は家族や家人たちを警護して京まで連れてきた藤田伝吾(徳重 聡 さん)をねぎらいました。母・牧は美濃に残りましたが、十兵衛は熙子に家族の皆を守る決意を伝えました。織田軍は越前からの撤退で鉄砲を数多失い、木下藤吉郎(佐々木蔵之介さん)は信長に命じられて堺の今井宗久(陣内孝則さん)のところに鉄砲を買い付けに来ていました。藤吉郎に同行した十兵衛は、信長は300挺の鉄砲を求めると伝えますが、宗久は今朝250挺の先約が入ったから無理と言います。そこで藤吉郎は、相手の名を教えてくれ、譲ってもらうよう交渉すると言いますが、それも宗久に断られると今度は、信長様を怒らせるなと宗久に忠告しました。藤吉郎と宗久の間に緊張が走りましたが、十兵衛が茶の話をしてとりなし、二人は宗久に顕本寺で開かれる茶会に招かれました。(藤吉郎さん、必死で茶の稽古をしてました)茶会が始まる前に招待客の筒井順慶と駒と歓談していると、藤吉郎はしばし座を外して外に出るよう十兵衛を促し、駒は今は将軍・義昭の寵愛を受けている、ここでの話は全て義昭に伝わるだろうと十兵衛に注意を促しました。鉄砲を先約した相手が筒井順慶(駿河太郎さん)であり、順慶が信長を敬っていると確認できた十兵衛は順慶に、鉄砲を譲ってほしい、160挺なら即答頂けるかと交渉すると、今や将軍の思い人になった駒(門脇 麦さん)が、信長の戦は将軍の戦、自分からも頼みたいと助け舟を出し、順慶は迷いながらも承諾しました。ただ順慶は交換条件として近々自分を、駒には将軍に、十兵衛には信長に引き合わせてほしいと頼み、十兵衛はそれを承諾するのでと結果200挺の銃を譲ってもらいました。元亀元年(1570)6月、織田・徳川の連合軍2万5千は近江に出撃し、浅井・朝倉の連合軍1万3千と姉川で激突しました。(姉川の戦い・滋賀県長浜市)このとき徳川軍が朝倉軍の脇をついて朝倉軍は大混乱となり、戦局は織田・徳川軍に優勢となって浅井・朝倉軍は敗退して自分たちの城に逃げ帰りました。浅井の出城だった横山城に入った織田軍は、戦勝祝いをしてしばしの間休息していました。そんな中、徳川家康(風間俊介さん) は十兵衛を呼んで、これから織田と徳川は甲斐の武田信玄と戦うことになるだろう、将軍・義昭は信玄に文を送って上洛を促しているのが気になる、将軍には油断しないように、と密かに伝えました。幼き頃より人質生活をして苦労してきた家康の直感が動きました。信長は姉川の戦いでは勝利したものの朝倉も浅井もまだ健在なのを見て、翌月、三好一族が1万3千の兵で挙兵して四国から畿内を目指して押し寄せてきました。望月東庵(堺 正章さん)は、本願寺の何万もの門徒が鉄砲を持って三好方につき、それを見て越前の朝倉がまた動きだした、まだ動乱は収まっていないと世の情勢を駒に説きました。摂津に出陣した信長は正面に三好と本願寺、背後に朝倉・浅井の攻勢で窮地に陥ったので、敵を越前の朝倉義景に定め、摂津から兵を退いて近江へ向かいました。その報を聞いた将軍・足利義昭は信長が不甲斐ないと腹を立て、摂津はこれ幸いと信長の悪口を並べ、信長への不信感を植え付けて朝倉・浅井側に義昭を誘導します。さらに越後の上杉のことを義昭にたきつけ、信長を追い落とそうとしていました。近江の坂本に陣を張った織田信長(染谷将太さん)は、あと一息のところまで追いつめた朝倉義景を、叡山の僧侶たちがかくまうことに苛立っていました。交渉に来た僧兵たちが信長に「延暦寺の僧兵は一人一人が仏を(精神的に)背負って戦う故、負けない」と言うので信長は「自分も神仏を尊ぶ、叡山へ踏み込む折にはこうして仏を(物理的に)背負って」と言い返し、僧兵たちはびっくりして帰っていきました。(部屋で暴れていた信長の背中がアップになったとき、爆笑した視聴者が多数)なぜ叡山は朝倉をかくまうのか、という疑問に十兵衛は、朝倉・浅井は叡山に金を与えているからだと答えましたが、果たしてその通りでした。朝倉義景(ユースケ・サンタマリアさん)は叡山の高僧(原川浩明さん)に会って黄金を渡し、信長を討つのに協力してほしい、自分が天下を平定したら畿内に領地を差し上げる、この叡山には莫大な金を出す、と約束していました。
November 17, 2020
今日は快晴の真っ青な空に加え、ぽかぽか陽気で気温も上がったので、やや冬用の長袖を着ている今は車内は暑くてたまりませんでした。(車内で音楽を大きめの音でかけているので窓を閉めているのです)午前中は仕事で、帰宅してからは換気も兼ねて家中の窓を開け放ち、心地良い風と陽気を感じていました。今日みたいな日にお出かけした人は、どこに行ってもいい景色が見られただろうな~と思いつつ、このPCの中にもそれなりにネタ画像がたまっているので、そちらをご紹介いたいたします。先月の終わりに用事があって名古屋駅に行ったときに、天気が良かったのでカメラも持っていきました。私が生まれ育った名古屋の街。そこにいるときは気がつかなかったけど、離れていると、なんだかんだ言っても名古屋はいいなあ、私は名古屋が好きだなあ、と思ってしまいます。駅前から少し離れた料金の安い駐車場に車を入れて名古屋駅前へ。午後4時半頃、まだ十分に明るくて青空が綺麗でした。名古屋駅の東口にあたる、JRタワーズの中2階にあるタワーズガーデンからです。JRタワーズ2階の外になるタワーズテラスから。南の方角を眺めました。17番線まである名古屋駅のコンコースを抜けて、西口に出ました。日没直後ぐらいの名古屋駅です。ちなみにこちらは別の日でしたが、雨が強く降っていて、ビルに霧がかかっていました。残照がなかなか引かず、午後5時半過ぎくらいにやっと暗くなりました。名古屋駅の西口川にある、控えめな噴水です。西口側の交番の前にある時計です。スマホが普及してからというもの外では時計というものをホントに見なくなりました。長針と短針があるアナログ時計は時間が感覚的にわかるので私は好きです。コンコースを戻って再び東口のほうに出ました。東口側にある金時計で、待ち合わせでよく使われます。(西口側は銀時計です)JRタワーズ2階の外のタワーズテラスから東(名古屋の中心地の栄方面)を見ています。昭和の時代のビルが建て替えられて、名古屋駅前が華やかになりました。名古屋駅に向かってくる車のライトが綺麗でした。この光はJRタワーズの12階の展望室から見ると、これまた違った美しさがあります。
November 14, 2020
2020年NHK大河ドラマ 『麒麟がくる』 の感想です。織田信長の永禄13年(1570)4月の朝倉攻めと言えば、やはり小谷城内での浅井長政と妻・市のやりとりと、信長の命からがらの撤退でしょう。(ちなみにこの2か月後の元亀元年(1570)6月が、織田・徳川連合軍と朝倉・浅井連合軍による姉川の戦い)各戦国ドラマでの長政と市のやりとりと、信長が挟み撃ちされたことに気づくことには様々なパターンがあって、今回こういう解釈もあるのだなと思いました。そして明智十兵衛光秀(長谷川博己さん)に殿(しんがり)を申し出る木下藤吉郎(佐々木蔵之介さん)。各人が一刻も早く撤退の戦場に出なければというときに、なんとまあ長々と過去の話を。(しかもそれを十兵衛がじっと聞いている)しかしそう思いつつも、だからこそ藤吉郎(秀吉)は身内思いになったのかとか、序盤の接待に励んだり終盤の侮辱されて悔し泣きする佐々木さんの、全体の演技が調和しているのを感じました。ただ織田軍の撤退のときに有名な朽木越え。現在の滋賀県高島市の朽木を通る際に、松永久秀が領主の朽木元綱を説得して信長を通したという話をドラマの中で盛り込んで、松永久秀を演じる吉田鋼太郎さんが活躍する場面がほしかったですね。各地の大河ドラマ館もオープンしています。(それぞれにコロナ拡散防止のための注意事項はあります) ↓ ↓ ↓ 岐阜 大河ドラマ館 ぎふ恵那 大河ドラマ館 可児 大河ドラマ館 京都亀岡 大河ドラマ館 ※こちらも盛り上がっています ⇒ #麒麟がくる 永禄13年(1570)4月、織田信長(染谷将太さん)は諸国の兵を従え、琵琶湖の西岸を北上して若狭の国吉城に入城しました。この戦には三河の徳川家康、摂津の池田勝正、大和の松永久秀などが集結、そして道中の国衆たちも若狭の国衆たちも、兵を率いて続々と信長の元に馳せ参じました。軍議の席で信長は、これより越前に向かい朝倉を討つと言明しました。信長が国吉城より東に兵を向け、朝倉が守る敦賀の手筒山城と金ヶ崎城を攻めてわずか2日で城を落とし、朝倉領である敦賀郡全域を占領しました。そして勢いに乗った信長は一気に一乗谷の朝倉義景を討つ策をたて、その背後となる小谷の浅井は妹・市の嫁ぎ先であり、自分の守りを固めてくれると信じていました。(小谷と一乗谷は南北の位置関係なので、この図は90度左に回転しています)出陣を明日に控え、織田家の重臣や諸将たちは酒宴に興じていて、明智十兵衛光秀(長谷川博己さん)が中座して中庭に出ると徳川家康(風間俊介さん)がいました。家康は十兵衛の顔を見ると、織田家の人質だった幼い頃に薬草売りからもらった干柿の味を今も覚えている(その薬草売りが十兵衛だとわかっている)、あのとき待つことや耐え忍ぶことを教わった、と語りました。さらに家康は、我々武士が戦うのは争いのない世を作るためだ、しかしそのためにいつまで戦いを続けなければいけないのかと考えている、と語りました。十兵衛と家康が語り合っているところに松永久秀も来ましたが、松永はこの織田の快進撃に何か違和感を感じる、朝倉が撤退時にこの金ヶ崎城を焼くこともなくすんなりと我らに渡したのは解せぬ、何かおかしいと言いました。そして案の定、近江の浅井長政(金井浩人さん)は妻の市(井本彩花さん)に、自分は義兄・信長に槍を向けることは本意ではないが朝倉に付くと言って出陣していきました。出陣前の軍議では、柴田勝家ら好戦的な織田家の重臣に対し、何かおかしいと思う松永と家康は、この勢いでそのまま出陣することに慎重でした。浅井長政が大軍を率いて出陣したことを明智左馬助はすぐに十兵衛に知らせ、知らせを受け取った十兵衛は軍議中の信長を別室に呼び出しました。十兵衛は、長政が挙兵した狙いが信長にあること、そしてこのまま戦うと南北を朝倉と浅井の挟み撃ちにされ勝ち目がない、一刻も早くここを退くべき、と説きました。しかし帝に当代随一の武将と褒めてもらったことが励みになっている信長にとって、退くことは自尊心が許さず、退くことを受け入れませんでした。しかし十兵衛は、天下静謐を託されたなら命を大事にしなければいけない、織田信長は死んではならない!と床に額をつけて土下座して必死に説きました。十兵衛の必死の説得で信長は、しばらく一人にしてほしいと言いました。一人になって怒りと悔しさを涙と声で発散した後、軍議の場に戻って皆に告げます。「浅井長政が挙兵した。狙いはこの信長。退き戦は皆に任せる。わしは、逃げる。」ーーそういったかと思ったら信長は一人小走りでさっさと退出していきました。十兵衛は信長の先導を松永に、本軍の指揮を柴田勝家に頼み、自分は殿(しんがり)で金ヶ崎に残り時をかせいで後から追う、と皆に告げました。殿には家康も加わり、いざ出陣となったとき、中庭に木下藤吉郎(佐々木蔵之介さん)が控えていて、今や千人の足軽を預かる身となったけど誰も自分を認めてくれない、是非自分に殿をやらせて欲しい、と十兵衛に懇願しました。十兵衛は「殿はわずかな手勢で敵と対峙する、味方の助けはない、命と引き換えになる」と藤吉郎に念を押すと「死んで名が残るなら本望」と藤吉郎はきっぱりと言いました。殿を共に務める十兵衛と藤吉郎は、追撃してくる朝倉と浅井の軍を必死に打ち払いました。そしてこのとき十兵衛は「高い志があっても世を動かす力が伴わなければ世は変えられない、今までの考えは甘かった、戦の無い世をつくるために今は戦をせねばならぬ時なのだ」と悟り、一緒にいた明智左馬助(間宮祥太朗さん)にこれからの決意を語りました。信長は2日2晩、琵琶湖の西岸を駆け続け、京の妙覚寺にたどり着いたときにはわずか10騎ほどで、信長を憎む摂津晴門は喜々として信長の批判をばら撒いていました。やがて十兵衛も無事に妙覚寺に着き、一足先に戻れた藤吉郎と再会しました。しかし藤吉郎は諸将たちから「お前は殿なんかしていなくて、どうせずるいことをして」と馬鹿にされて笑われていて、悔し泣きしていました。共に命がけで働いた戦友を否定され侮辱されて腹が立った十兵衛は、怒りの勢いで思わず諸将たちを怒鳴り飛ばしてしまいました。そして信長は、戦場から命からがらで逃げ帰った結果に自尊心が傷つき、戦の結果を一番に知らせてほしいという帰蝶からの文に、どう返事をしようか悩んでいました。そして十兵衛は答えます。「この戦は負けではない、信長様が生きているなら次がある、浅井の裏切りにあっても3万の大軍をほぼ無傷で退いてみせた、この結束の強さは誰も真似できない、帰蝶や将軍や帝にそう報告すればよい」と。自分とは全く異なるものの見方をして励ましてくれる十兵衛の言葉に、信長は見る見るうちに気力を取り戻し、大きな国づくりへの力が再びわいてきました。
November 10, 2020
今日はちょっと用事があって、名古屋の南に隣接する東海市にいる姉のところに行ってきました。そして東海市から帰るときは、名古屋南JCTがある周辺の一般道はよく混雑or渋滞するため、私はいつも伊勢湾岸道の大府ICから140円(ETC・休日・軽)払って、名二環(名古屋市をぐるりと囲む感じの高速道路で、下は国道302号)に入って戻ってきます。ところが今日は、大府ICのゲートを通ってから少しぼんやりしていたようで、いつもはちゃんと進入路を「上社(かみやしろ)」の文字を確認してから進むのに、何も考えず左側の道を進んで、名古屋高速に入ってしまいました。名古屋の南側から北側に行くのだから、別に名二環でも名古屋高速でもどちらでもかまいません。ただ、、、名古屋高速は料金が高いのです(涙)。料金改定前の今なら、名二環なら290円(ETC・休日・軽)で名古屋の北部に抜けられるのに、名古屋高速だとまったく割引無しの通常料金の780円なのです。はい、自分のミスとはいえ490円の損です。ちなみに大府ICから名古屋高速と名二環と伊勢湾岸道の分岐点までは、わずか400mです。車で高速だとあっという間に通過する距離です。さらに今、名古屋高速は大規模な道路工事中で、途中の「高辻」でいったん一般道に出ることになります。(もちろんその後で別のICから名古屋高速に再び入るときは、3時間以内なら料金はかからない)まあ私の場合、名古屋市内なら、どこにいてもそれほど不安なく走れるし、今日は時間の制約がなかったので、途中で高速を降りることになっても問題はなかったです。(これが知らない土地で突然高速降りることになって、一般道が渋滞してたら、目的地までの距離や時間がつかめなくて、たぶんパニックです)ただ分岐点で間違えずに名二環に入っていれば30分後には名古屋の北部に着いていたのが1時間以上かかり、なにより地元の道なのに約500円損したと思うと・・悔しい限りです。愚痴をあれこれ、失礼いたしました。心を清めるために神社の画像をUPしました。愛知県春日井市のJR中央線の勝川駅から800mぐらいのところにある 柏井八幡社 です。この神社の周りの道は月に何度か通るのに、中に入ったのは初めてでした。かなり敷地が広いです。駐車場は国道19号側から一方通行の道です。この通路の先に駐車場と、毎年7月の大相撲名古屋場所のときに、春日野部屋の稽古場になる土俵があります。こちらの道は県道側の入り口になります。鳥居と狛犬があり、国旗などを掲揚するポールがあるので、こちらが表でしょうか。正面が神殿で、右手の鳥居の奥には津島社・秋葉社・神明社があります。神様にはカメラを向けられないので、扉のガラスに映りこむ風景を。青空と陽光で映りこみも綺麗になります。
November 7, 2020
2020年NHK大河ドラマ 『麒麟がくる』 の感想です。今回は2つの場面で心が動くときがありました。1つは、木村文乃さん演じる熙子が夫の明智十兵衛光秀(長谷川博己さん)に、自分たちも京で一緒に暮らしたいと訴えた二人のシーンです。熙子や娘たちは、十兵衛と離れていて単に寂しいからとか不安だからという理由ではなく、傍にいて十兵衛の苦労を目の当たりにしたい、出陣するときには見送りをしたい、そんな思いから一緒に暮らしたいと懇願しました。たしかに、いつ今生の別れになるかわからない戦国の世であるからこそ、どんな一瞬でも惜しいですよね。そして十兵衛は、まだ平穏ではない京に妻子が来ることを、最初は首を小さく横に振って返答に迷ったけど、しばらく考えて、優しい表情になって、伝吾を守りにつければ京に来られるかと熙子に問い、熙子が力強く「はい!」と返事。短いシーンだったけど、本当に感動でした。そして32分頃からの、帝に拝謁した後の織田信長(染谷将太さん)が十兵衛に帝との話を語るシーン。帝が自分のことをよく知っていて、当代一の武将と褒めてくれた、御所の修復の礼も言ってくれ、天下静謐のための戦ならやむなしと言ってくれたことなどを、帝からじかに言葉を賜った全ての瞬間を思い出しつつ喜びに浸りながら十兵衛に語っていた、約2分間の染谷さんの表情の変化は、これまた見事な演技でした。木村文乃さん、長谷川さん、染谷さん。感情移入して感動できる演技を、ありがとうございます。各地の大河ドラマ館もオープンしています。(それぞれにコロナ拡散防止のための注意事項はあります) ↓ ↓ ↓ 岐阜 大河ドラマ館 ぎふ恵那 大河ドラマ館 可児 大河ドラマ館 京都亀岡 大河ドラマ館 ※こちらも盛り上がっています。 ⇒ #麒麟がくる 永禄12年(1569)夏、京から数日間だけ美濃に帰ることになった明智十兵衛光秀(長谷川博己さん)が旅支度を整えていると、木下藤吉郎(佐々木蔵之介さん)が道中の弁当を持って挨拶にきました。しかし目的は十兵衛の岐阜行きの行動に探りを入れることと、越前の朝倉と戦をすることに十兵衛はどう思うかを聞くことでした。十兵衛が岐阜城に入ると、先に来ていた松永久秀(吉田鋼太郎さん)が織田信長が上洛した折に豪商たちから召し上げた品々を値踏みしていました。そして松永は、朝倉は上洛を果たした信長を憎んでいると言い、信長と話をしてきた三淵藤英(谷原章介さん)は、朝倉と一戦交えるとしても朝倉に世話になった将軍・足利義昭は動かない、大義名分のない戦なので織田だけの戦になると信長に伝えた、と言いました。十兵衛が若侍に呼ばれて部屋に行くと、そこには信長の嫡男・奇妙丸(後の織田信忠)がいて、養母となる帰蝶(川口春奈さん)から主の座にいることをたしなめられていました。十兵衛に会えて嬉しかったと言う奇妙丸は、9年前の桶狭間の戦いの折から帰蝶が育てることになった子で、帰蝶は「天から降ってきた大事な預かりものだったけど、もはや実の我が子だ」と愛おしんでいます。そして帰蝶は、斎藤龍興が朝倉をそそのかして美濃を取り返そうと狙っている、美濃が取られたら全て振り出しに戻る、朝倉を討つよう夫・信長に進言した、と言いました。庭にいる織田信長(染谷将太さん)のところに十兵衛が行くと信長は、崩れていた御所の塀を帝を大切にしていた父・信秀の供養と思って修繕した話をし、また十兵衛は、自分が進むべき道に迷ったときは空から降ってきた者に尋ねる、と語りました。そんな話から信長は、朝倉との戦をどう思われるか帝にお聞きしたい、拝謁を許されるかと十兵衛に問い、十兵衛は御所を修繕した功で拝謁できるかも、と答えました。話の途中だったけど裏門に妻子が来ているから先に行けと言われ、十兵衛は嬉しくて廊下を小走りにして煕子(木村文乃さん)や娘たちの元に向かいました。妻子たちは変わらず元気でいて、明智の里では藤田伝吾が守ってくれていました。そして熙子は十兵衛に訴えます。「自分たちも京に行って一緒に暮らしたい」と。まだ京は平穏ではなく、はじめ十兵衛は返答に迷いましたが「伝吾を守りにつければ、来られるか。来るか、京へ」と、そして熙子は力強く「はい!」と。二条城にいる足利義昭(滝藤賢一さん)は駒(門脇 麦さん)を連れてこっそりと城を抜け出し、蛍狩りに出かけました。駒が捕まえた蛍を蚊帳の中で放して楽しみながら、義昭は駒への思いを伝えました。(出かけるときは虫籠を持ってなかったとか思いつつ、シルエットが綺麗なシーンでした。あと、義昭には出自不詳の側室がいるようなので、もしかしたら駒はその役なのかも、と)永禄13年(1570)2月、信長は上洛、帝に拝謁を許される身分ではなかったものの帝の破格の扱いをし、帝に拝謁が叶いました。帝とのやりとりを信長は、その喜びをかみしめるように十兵衛に語ります。帝は自分のことをよくご存じで、武勇の誉れ、見事であったと褒めてくれた、御所の修復の礼もあった、さらに天下静謐のために一層励むように、そのための戦(=朝倉との戦)ならやむなしと勅命をいただいた、と。しかし信長が越前への出陣準備を進めていることは、幕府の政所頭人の摂津晴門から朝倉義景(ユースケ・サンタマリアさん)にすぐに伝えられていました。信長のことを成り上がり者と蔑む義景は摂津からの文で戦を決心し、重臣の山崎吉家(榎木孝明さん)に、いとこの朝倉景鏡には美濃を攻める時期が早まったことを伝えよ、そしてこちらも戦の準備をせよと命じました。一方、京に戻った十兵衛は二条城に登城し、将軍・義昭に現状を報告しました。十兵衛は信長は具合が良くないがと前置きしつつ、信長から幕府のご一同への伝言がある、幕府総出で若狭の武藤を討つ勅命を帝より賜った、と。それに対し将軍・義昭は、戦があれば和議の仲立ちをするのが将軍である自分の務めだから自分は出陣しない、あとは皆に任せる、と言って退出しました。将軍が朝倉を討つ気がないのを見て十兵衛が、将軍が上洛できたのは信長のおかげであり朝倉はあのとき邪魔をしたと発言すると、摂津晴門(片岡鶴太郎さん)が、あれは三淵があのとき英断したから越前を脱出できた、信長に上洛の手柄が転がり込んだと言います。その意味は、朝倉の嫡男が毒殺されたのは三淵の計略、そして毒を京から越前に運んだのはかつての自分の家臣だった。つまり大事は皆の力で成すもの、信長一人の力で将軍を支えているのではない、と。事の真相を暴露された三淵は気まずく思いつつ、自分もあの件があるから出陣しないと十兵衛に言って詫び、結局幕府の重臣たちは京にいることになりました。それでも信長は出陣の準備を整え、永禄13年(1570)4月、京の妙覚寺で出陣式を行い、家臣たちとともに士気を鼓舞して越前を目指して出陣していきました。
November 3, 2020
ネットを適当に見てたら、 東山植物園 のコスモスが綺麗だと情報がありました。お天気が快晴だった先日の火曜日、ちょうど仕事が休みになったこともあり、ちょっと行ってきました。東山というと私は動物園のほうばかり行ってましたが、半年ほど前に植物園に行ったらなかなかのものでした。東山植物園は中に入るとかなり広いのですが、最近は極端に運動不足なので、歩きも兼ねて行ってきました。駐車場に車を停めてまずは植物園側の入り口へ。入園料を払って中に入ると、さっそくコスモスが出迎えてくれました。上の画像にある違和感は、実はコレであります。園内地図を見て、コスモスが咲いている「お花畑」に向かいます。途中、見事な竹林がありました。このあたりは丘陵地であり、お花畑までは上り坂なので、ちょっと体力が要ります。お花畑に着きました。コスモスがいっぱい咲いています。東山動物園側にある東山タワーを背景に。たぶんこの1週間前がピークだったのか、半分くらいは残念な状態でしたが、それでもまだまだ鑑賞には十分でした。他の木々を背景にしても、満開のコスモスはいい感じです。コスモスの茎は細長いので、自重で地面に垂れ下がっているのもありました。コスモス畑の中に、なぜかススキがどっさりと。展望台の上から眺めたお花畑の全景です。10月の終わりはコスモスが咲くことをすっかり忘れていました。快晴の日のお花は本当に綺麗です。東山に来てよかったです。
November 1, 2020
この地方は今週は水曜日だけが曇りで、他は本当に心地良い青空の日でした。外にいてもお日様が当たれば上着のいらない半袖でいいくらい、暖かい日が続きました。今日も一日、雲一つない快晴の青空でした。秋の景色を求めてお出かけになった方々は、最高の風景を目にされたことと思います。さて10月の上旬でしたが、ツイッターの陸上自衛隊 第14旅団のサイトで、フォロワー5000人突破を記念したプレゼント企画がありました。 こちら 自衛隊ファンには嬉しい企画なので、すぐに応募です。そしたら後日、第14旅団さんから当選のダイレクトメッセージが届きました。\(*^▽^*)/やったー!つい先日、自衛隊熊本地方協力本部(熊本地本)のフォロワー1万人達成プレゼント企画で当選してたのでなんかラッキー続きでした当選のお知らせがあって、こうして届くと、嬉しさ倍増です。私は四国にはまだ行ったことがないので、いつか本州四国連絡橋のどれかを渡って、どこかの県に行ってみたいです。この10月には、 防衛省 海上自衛隊 がフォロワー80万人達成で、 防衛省 航空自衛隊 はフォロワー50万人達成で、そちらでもプレゼント企画がありました。さすがにそちらは応募数がケタ違いなので当たりませんでしたが、SNSのおかげで数年前までほとんど未知の世界だった自衛隊が身近になった感じがしています。ちなみにこちらが陸上自衛隊 第14旅団 のHPです。トップに出る瀬戸大橋を機動戦闘車が車列をなして渡る画像をはじめ、ヘッダーの画像がどれもカッコイイこれがカッコイイと思うのは隊員の皆様が日々、国防のために厳しい訓練を積んで、私たちの知らないところで緊張の任務にあたっていらっしゃるからなのです。チャラ男がコスプレしているのではないのです。女性自衛官の方も最近よく登場しますが、男性と同じ現場で任務にあたる姿は凛としてやはり素敵です。心身を鍛え、特技を持って、勉強して階級を上げて、という姿を見ていると、同じ女として私も若いときからもっとやっておくべきだったと痛感いたします。第14旅団の名前の入ったオリジナルタオルです。いい記念になりました。コロナが収束して自衛隊イベントが再開したら、これはモチロン持っていきます。
October 31, 2020
2020年NHK大河ドラマ 『麒麟がくる』 の感想です。今回はお二人のベテランの役者さんが、出番は短くともその存在感を見せつけてくれた回でした。一人は、寺の調度品を信長に持っていかれたと窮状を訴える僧正を演じた緒方賢一さん。私はこの方の名前を出演者のクレジットで見たとき、「あれ? 緒方賢一さんって、『宇宙戦艦ヤマト』のアナライザーの方?」と思い後で調べたらそうでした。しかしこれがSNSの中では「お坊さん、聞き覚えのある声!」「阿笠博士の声だ!」と。私は『名探偵コナン』は見てないのでわからなかったのですが、皆さんは阿笠博士のほうで馴染んでいらして、「声の存在感すごい!」と大反響だったそうです。私にしたら、あのときのアナライザーの声は緒方さんのふつうの声ではなかったのか、とも思いつつ、リアルの役者としても自然に存在感を感じる方でした。そしてもう一人、摂津晴門を演じる片岡鶴太郎さん。前回に続き今回も、本音と建て前、表と裏で顔の表情も声の表情も次々と変化し、悪役全開でした。そして悪役なんだけど、表情や態度の変化が面白くて、私はそちらに興味がいってしまい、憎たらしいとかの感情移入を忘れていました。大河ドラマは、画面に映るのはほんのわずかであっても、自然に役になりきる違和感の全くない、真に実力のあるバイプレーヤーさんを次々と出してくれます。だから何気ないシーンが面白い、そんな気がします。各地の大河ドラマ館もオープンしています。(それぞれにコロナ拡散防止のための注意事項はあります) ↓ ↓ ↓ 岐阜 大河ドラマ館 ぎふ恵那 大河ドラマ館 可児 大河ドラマ館 京都亀岡 大河ドラマ館 ※こちらも盛り上がってます。 ⇒ #麒麟がくる 永禄12年(1569)、将軍・足利義昭の御座所となる二条城の築城が突貫工事で進められ、織田信長(染谷将太さん)も普請場に来て工事の陣頭に立っていました。大急ぎでの工事のため信長は近隣の国々から人夫や建築資材をかき集めるだけでなく、京のめぼしい屋敷や寺社などからも庭石や庭木や調度品などを提供させていました。集められた調度品を見て細川藤孝(眞島秀和さん)は、これではかえって信長の評判が悪くなると気にかけていましたが、明智十兵衛光秀(長谷川博己さん)は品々を帳面につけながら「将軍を守る城を造らない者たちの陰口は気にする必要はない、幕府の中には寺社と結びついて利を得ている者もいる、政所がどう裁くか見ものだ」と強気でした。そのころ本国寺には、信長に調度品を持っていかれた僧正(緒方賢一さん)らが将軍・足利義昭(滝藤賢一さん)に窮状を訴えつつも金を差し出していました。政所頭人の摂津晴門(片岡鶴太郎さん)は、このままでは京中の寺社が結果的に将軍を恨むことになると義昭に進言し、結果、義昭は集められた調度品は信長が岐阜に帰った後で目立たぬように少しずつ元に返すと約束しました。そして僧正が差し出した金は摂津が懐にいれて持っていきました。伊呂波太夫(尾野真千子さん)から密かに呼び出しを受けた十兵衛が向かった先には旅芸人に身をやつした関白の近衛前久(本郷奏多さん)がいました。将軍の代替わりで摂津らによって都を追われていた近衛は、上杉輝虎が「今の幕府には天下のために働く者がいないから世が収まらない」と語ったと十兵衛に話し、今の幕府を変えて世を治めることができるのは織田信長だと思う、と十兵衛に伝えました。近衛が退出した後で太夫は、帝(正親町天皇)も御料地を奪われて大層困っていると、帝の曾祖父(後土御門天皇)の崩御時を例にだして天皇家の窮状を訴えました。十兵衛が信長のいる妙覚寺に入ると木下藤吉郎(佐々木蔵之介さん)が寄ってきました。藤吉郎は、京を治めるには公家衆の動きをつかんでおかなければと、十兵衛が密かに近衛に会ったことも知っていました。逆に十兵衛は、将軍の側近たちが信長を裏切らぬよう見張るために藤吉郎が京の奉行になる、自分も見張られる対象か?と藤吉郎に問いました。藤吉郎は十兵衛のことは否定しましたが、公家衆には気を付けるよう促しました。信長と話ができたとき、今の腐りきった幕府を変えるのは十兵衛の役目と言われました。そして信長は、越前の朝倉義景の動きが怪しい、自分が美濃を失えばこの京も危ない、自分はこれから戦支度をするから京には奉行として十兵衛と藤吉郎と権六(柴田勝家)を残すようにした、と十兵衛に説明しました。そして去り際に、以前父(織田信秀)が御所の塀を修繕するために4千貫もの大金を帝に送った話を思い出し、しかし自分はまだその塀を見ていない、気になる、と言いました。数日後、本国寺にいる十兵衛の元に細川藤孝がきて、十兵衛に横領の疑いがかかっていることを知らせてくれ、十兵衛は急ぎ政所頭人の摂津に問いただしました。自分が将軍から授かったと思っていた領地は政所がどうやって手に入れたかと訊いても、摂津は「山城の国は広いし人も多いからわからない」とはぐらかします。さらに摂津が「政所には同様の訴えが山ほどある、一つの訴状の吟味には5年10年かかる」と言うのを逃さず、十兵衛は「そうやって帝の丹波の御料地も手にいれ、お仲間の武家に与えたのか」と追及しました。しかし摂津は「寺社の領地は武士が長年守っている、謝礼代わりに少し預かってもいいではないか、気に入らないならこれは返してもらう」と十兵衛に反論しました。十兵衛は「幕府内の不正を正すのが自分の役目、早々にこれを調べるように」と摂津に命じましたが、摂津は嫌味ったらしく返答し、後で十兵衛の書状を破り捨てました。信長も気にしている御所の塀を見るために、十兵衛は伊呂波太夫を訪ねました。太夫は十兵衛を壊れた塀に案内し、不遇であった少女時代のことを語り始めました。そして涙に暮れたあの冬の寒い日に出会った若い公家(実は方仁親王、今の正親町天皇)が自分に優しくしてくれたことは忘れられない、その後は泥にまみれて生きている自分だけどこの塀は直したい、という心の奥の思いを十兵衛に語ってくれました。そして永禄12年(1569)4月、信長が総力を挙げた二条城がわずか2カ月で完成し、京の町の人々はその美しさと堅固さに目を見張りました。これは織田信長の底力を周囲に知らしめるものであり、新しい城に入った将軍・足利義昭は大満足の大喜びでした。信長は十兵衛と藤孝の両名の苦労をねぎらい、妹・市の夫であり近江の小谷城城主である浅井長政(金井浩人さん)を紹介しました。そして長政と藤孝が天守内の見物で座をはずしたとき、すでに越前の朝倉を討つことを決意していた信長は十兵衛に、数日間でいいから早めに美濃に戻るよう言いました。
October 27, 2020
この前の日曜日の10月18日、愛知県犬山市にある 博物館明治村 で 陸上自衛隊 第10師団 に所属する第10音楽隊の演奏があると聞き、久しぶりに明治村に行ってきました。十数年前から明治村の年間パスポートを持つようになり、以前は年に何度も通っていた明治村。でもここ数年は年パスの元がなんとかとれるぐらいしか行ってなくて、ちょっともったいない部分もありました。だからこうして「行きたい!」と思うイベントがあると、私には助かるものであります。明治村は今年に入ってから料金も上がったし、そんなに混まないかなと思ったら、朝10時の開村時には駐車場にかなり車が入っていました。関東や関西からもたくさん来ていました。なんでこんなに人が?と思ったら、イベントでアニメの「ゴールデンカムイ」とのコラボ企画をやっていました。謎解き用の冊子を買う人が窓口に50人くらい並んでいたので、なかなかの人気のようです。さて、私の目的である「明治村音楽祭」の今回の演奏の陸上自衛隊 第10音楽隊の皆様の姿が見えました。今日はどんな曲をやってくれるのか、ワクワクでした。その明治村での画像をご紹介する前に、これから年末に向けて開催される自衛隊コンサートのご案内です。12月16日(水)18:30~福井市のハーモニーホールふくい で、陸上自衛隊の中部方面音楽隊によるクリスマスコンサートがあります。応募は往復ハガキにて、11月25日必着、コロナの状況によっては中止の場合もあるとのことです。 ⇒ ⇒ こちら また東京の世田谷区にある 昭和女子大学 のホールで、11月28日(土)と11月29日(日)の2日間、両日とも2回ずつの計4回、「青少年のための3自衛隊合同コンサート」が開催されます。こちらは中学生から32歳までの年齢制限付きです。応募はインターネットにて、11月1日(日)24:00 が締切となっています。 ⇒ ⇒ こちら 12時からコンサートが始まるので、11時半に会場の帝国ホテルに行きました。けっこう人が集まっていたけど、最前線が十分空いていたのでそこに入りました。リハーサルの途中、明治村内を走るSLが通っていきました。(赤いアーチ橋の上)開演前に時間があったので、展示してあった自衛隊の車両を見てきました。ハロウィン仕様になっています。たくさんの方が車両の前で、あるいは運転席に座ったりして記念撮影をしていました。12時、いよいよコンサートが始まりました。思ったよりもたくさんの聴衆がいて、隊員の皆様を拍手でお迎えしていました。曲の合間の紹介、その1。ラッパ隊の今と昔で、女性隊員が今の自衛隊の食事ラッパを、男性隊員が旧陸軍の食事ラッパを演奏しました。男性が吹いた曲はTVのCMでよく聞く「正露●」の曲でした。●●●曲の合間の紹介、その2。陸上自衛隊は2年前から制服が変更になりました。以前のものと比較で、冬服は以前は緑色だったのが紫紺色を基調に(海上自衛隊は黒、航空自衛隊は濃紺)、幹部自衛官は袖口とスラックスに金の線が入りました。女性用ネクタイはクロスタイになり、女性らしくなったそうです。ミニコンサートで曲は、「陸軍分列行進曲」、「日本の情景・秋」、「夜に駆ける」、「平成大ヒットメドレー」+アンコール曲が演奏されました。帝国ホテル前での演奏会は大盛況でした。私も「陸軍分列行進曲」が生演奏で目の前で聴けて、大満足です。
October 23, 2020
2020年NHK大河ドラマ 『麒麟がくる』 の感想です。今回から登場した政所頭人の摂津晴門。室町幕府の中で財政と政治を担い、大きな権力を持っていた政所の頭人を片岡鶴太郎さんが演じていますが、片岡鶴太郎さん、すごくインパクトがある怪演ですね。本国寺の事変の後で織田信長に激しく叱責されて、どう答えていいのかわからないほど怯えた素振りを見せつつも、新しい城を二月で造れという信長の厳命に対し、恐る恐るできないと一応反論もしています。そしてラストの人目のない書庫で、側近たちだけに見せる信長への激しい怒りと復讐を誓う表情など、出演の時間は短くともクセ者感が漂う怪演でした。また、将軍・足利義昭を「将軍の名があると違う」と一目おく織田信長と、その信長を兄とも父ともとすっかり頼りきっている義昭の、今は蜜月の関係。これが後年、二人がどのように離れて敵対していくのか、興味深いところであります。各地の大河ドラマ館もオープンしています。(それぞれにコロナ拡散防止のための注意事項はあります) ↓ ↓ ↓ 岐阜 大河ドラマ館 ぎふ恵那 大河ドラマ館 可児 大河ドラマ館 京都亀岡 大河ドラマ館 ※こちらも盛り上がっています ⇒ ⇒ #麒麟がくる 永禄11年(1568)9月、織田信長(染谷将太さん)は足利義昭(滝藤賢一さん)を奉じて上洛し、京を支配していた三好勢を京から追い出し、さらに摂津まで攻め入りました。摂津の芥川城に入った義昭と信長の元には多くの武将から献上品が届けられました。そして戦後処理の評定が行われ、この戦から織田方についた松永久秀の処遇をどうするか織田方と三淵藤英(谷原章介さん)で意見が激しく対立し、全くまとまりませんでした。結局は義昭が、自分を奉じて上洛を果たしてくれた信長の考えに沿って松永久秀を受け入れ、三淵らを説得しましたが、同時に足利義輝が将軍だったときに幕府の政所頭人をしていた摂津晴門にそのまま政務を任せることを信長に認めさせました。そして無事に信長に挨拶を果たせた松永久秀(吉田鋼太郎さん)は、九十九茄子の茶入れを箔をつけて渡してきたと上機嫌でしたが、同時に明智十兵衛光秀(長谷川博己さん)には越前の朝倉義景の動きが怪しい、信長を狙っていると教えてくれました。足利義昭が上洛した頃に14代将軍だった義栄が病死したこともあり、上洛してほどなく足利義昭は朝廷より正式に第15代将軍に任ぜられました。義昭の将軍就任を見届けた信長は一部の家臣を残し、慌ただしく岐阜に戻っていきました。しかしその3カ月後の永禄12年(1569)正月、将軍の御座所となっていた京の本国寺に三好の軍勢が突如攻撃を仕掛けてきました。義昭は十兵衛らに守られて無事でしたが、将軍とはいえ武士になりきれていない義昭は戦のさなかはただ気弱にうろたえるばかりでした。幕府方の守りは堅く三好勢が攻めあぐねていると、足利方の大軍が畿内各地より京に入り、形勢不利と見た三好方勢は2日間の攻防の後、退却していきました。(本国寺の事変)援軍に駆け付けた細川藤孝(眞島秀和さん)は、三好の大軍が突如ここに現れたのはおかしい、十兵衛は幕府内の者の中に三好と通じている者がいる、と考えていました。事変から数日後、信長はわずか数名の家臣を連れて岐阜から慌ただしく上洛、そして政所頭人の摂津晴門(片岡鶴太郎さん)を自分への知らせが遅れたことで激しく叱責しました。さらに信長は摂津に対し、この寺を公方様の御座所としていた自分が愚かであった、今後は京に自分の信用できる家臣を置き、将軍にふさわしい新しい城を造って公方様をお守りする、幕府の命で近隣諸国から人材・資材をあつめ2カ月で城を造れ!と摂津に厳命しました。(このシーン、染谷さんが投げた扇子の秒速が知りたいです)将軍の新しい御座所として二条城の築城が始まり、幕府と信長の呼びかけに応じた近隣の諸国から大工や鍛冶などの職人たちが集まりました。そして木材や石材などの資材が一斉に集められ、十兵衛も建築現場で皆と共に働きました。そこへ山寺にあったという大きな石仏を運んできた人夫たちがいて、話によると、使える物は何でも使えという下知が出ているからこれを割って石垣にするとのことでした。人々が祈りを捧げてきたであろう仏をただの石と見ることに十兵衛は戸惑いを感じました。(この転用石は私は安土城ぐらいしか覚えがないのですが、細川藤孝が改修した勝竜寺城や後に明智光秀自身が築く福知山城にもあるそうですね)そこへ現場を見に来た信長が現れ、信長はこの築城に際して伊勢・三河・丹後・播磨など14の国が人と物をよこしてきたと上機嫌で、自分一人の力ではここまでできないが将軍の名があると違う、大きな世を作るのに欠かせぬお方だ、と感心していました。ただ摂津たちの動きには気をつけよと、そして越前の朝倉の動きが怪しいから先制して討つ、とも十兵衛に言いました。十兵衛と信長がそんな話をしていると将軍・足利義昭も築城現場に現れ、信長の姿を見ると義昭は嬉しそうに駆け寄っていきました。自分のための立派な城を造っている信長に深く礼を言い、信長を頼りきっている義昭は信長の手をとり、もう岐阜へは戻るな、この手を離さぬ、と思いを伝え二人で笑い合っていました。しかし一方で摂津晴門は、成り上がり者とさげすむ信長に満座の中で叱責されて恥をかかされた恨みもあり、三好が朝倉義景と接触している話を聞いて策略をし始めました。
October 20, 2020
今月の初めですが、ちょっと用があって愛知県の東部にある西尾市に行ってきました。西尾市は我が家から60kmほどあり、私の感覚では少々遠いところです。帰りにそのまま帰宅するのもちょっともったいない気もしたので、その帰り道に半田市に寄ってきました。半田市には私の大好きな 新美南吉記念館 があり、寄り道の目的地はそこでした。その後で、記念館の向かいにある矢勝川の堤防に行き、少々時期は過ぎていたけど彼岸花の群生を見てきました。ここに来たのは5年ぶり?10年ぶり?でした。彼岸花のピークは過ぎていて半分くらい枯れていたけど、まだなんとか見れました。秋なので、田んぼにはお米も実っていました。ここの堤防の約2kmにわたって300万本もの彼岸花が植えられています。30年前から地元の皆さんが球根を植えていきました。ピーク時に見られる一面真っ赤な風景はもうありませんでしたが、中にはまだまだ元気な子たちもいました。赤の他に、黄色・クリーム色・白色の彼岸花がありました。どんな花も人の心を優しくしてくれます。花のある風景、いいですね。半田市も我が家から遠いけど、こうやって見ていると盛りのときに行くべきだったとつくづく思いました。晴れて青空だったらもっと色鮮やかに撮れましたが、この日は曇りでした。来年また花のピーク時の晴れた日に出かけて、撮り直しをしたいです。
October 17, 2020
2020年NHK大河ドラマ 『麒麟がくる』 の感想です。今回の前半は、木下藤吉郎が主君・織田信長に仕えるのが嬉しくてたまらないという話の中に、藤吉郎と信長がもつ暗く悲しい過去を見ました。信長と藤吉郎はどちらも、親のふつう愛と親に自分の働きを認めてほしい、喜んでほしい思いに飢えた者同士です。出自よりも実力第一の信長にとって、少々の難題を与えてもやり遂げてしまう知恵と行動力を持ち、褒めて褒美を与えれば素直に誰よりも喜ぶ藤吉郎は、可愛い家臣でしょう。そして褒美を喜べば、また次に難題ではあっても褒美を約束した課題を与えてくれ、認めてほしいという自分の心の奥のものをおそらく感じとってくれているであろう主君・信長は、藤吉郎にとって敬愛の対象だと思います。それは両親に愛情深く育てられ、生まれたときから将来の明智家の当主であった光秀にはわからない思いであるとも。そして後半は、今井宗久@陣内孝則さんの魅せ場でした。陣内さんはコロナで撮影が中断した間、お茶とセリフの稽古を家で幾度も重ねたそうです。ご本人が「僕の俳優人生の中では最高のシーン」と取材で語ったように、滑らかなお茶の作法と共にあったセリフと演技は、静かにTVに魅入った場面でした。各地の大河ドラマ館もオープンしています。(それぞれにコロナ拡散防止のための注意事項はあります) ↓ ↓ ↓ 岐阜 大河ドラマ館 ぎふ恵那 大河ドラマ館 可児 大河ドラマ館 京都亀岡 大河ドラマ館 こちらも今週も参考になる意見がいっぱいです。衣装とか茶器とか一目でわかるなんて凄いなあ。 ⇒ ⇒ #麒麟がくる 永禄11年(1568)7月、越前を出た足利義昭(滝藤賢一さん)の一行は美濃の立政寺に到着し、織田信長(染谷将太さん)は義昭を「公方様」と呼んで歓待します。しかし義昭が武家の棟梁としてふさわしいよう信長が金銀や名刀を用意したものの、義昭はまだ将軍たる自覚には程遠く、信長は「あの銭は貧しい者に施すための銭ではない。戦の準備として差し上げたのだ」と失望の色を隠せませんでした。しかし信長には、都に出て幕府を立て直して将軍の元で諸国をまとめるという大きな目標があるため、上洛のために京の三好一族と六角承禎と一戦交えることを考えていました。信長は、自分は明日から妹・お市が嫁いだ浅井の城に行くので、明智十兵衛光秀には京で三好一族の兵数と、朝廷が三好たちをどう見ているかを調べるよう頼みました。京に入った明智十兵衛光秀(長谷川博己さん)は木下藤吉郎(佐々木蔵之介さん)と合流、藤吉郎は信長から乱波を使って「織田が大軍を擁して京に攻めてくる」という噂を広めるよう命じられていて、これがうまくいけば大きな出世を約束してもらってました。親に幾度も裏切られて育った藤吉郎にとって、どんな難題でもやり遂げれば、成り上がり者の自分でも褒めてくれて褒美をくれる、約束を守ってくれる信長は敬愛の対象でした。そのころ京の町は、間もなく三好軍と足利義昭の上洛軍で戦になると噂が持ち切りになり(実は藤吉郎たちの流布)、町から逃げ出す者もたくさんいました。京の町ではそこらじゅうで三好勢の目が光っていて、十兵衛が望月東庵(堺 正章さん)を訪ねた折も、藤吉郎が今は織田の家来になっていると大きな声で話をしたら、奥の部屋では三好の身内が療治をしていて、さらに外にも三好の配下の者が東庵の周辺を見張っていました。伊呂波太夫(尾野真千子さん)と会えた十兵衛は、太夫から朝廷の動向を聞きました。三好か織田かどちらが勝つか朝廷はじっと見ている、ただ三好は数多の鉄砲を持っていて強い、その資金源は堺の会合衆、今井宗久もその一人だと太夫は情報をくれました。十兵衛は駒(門脇 麦さん)の伝手で今井宗久(陣内孝則さん)と会いました。宗久は、堺の商人たちは異国との商いで生きている、三好が掲げた旗印(足利義栄)は摂津で倒れ自分は織田が有利と見ている、商人は融通した金が戻らぬ者に金は出さない、自分は三好から離れてもよい、ただこの京の町を戦で焼き払うことはしないと織田に約束してほしいと、駒の強い願いを受け入れた話を十兵衛にしました。京の町を戦火で焼かない証に上洛の折には甲冑を付けないこと、その約束ができるなら堺の会合衆と話をすると宗久は言い、そのことを美濃に戻った十兵衛は信長に伝えました。しかし家臣団はそれを納得するはずもなく、十兵衛が京の人心を鎮め新たな将軍に期待させるためにも必要なことと訴えるも、反対する家臣の声で合議の場は騒然となりました。信長は足利義昭の意向を確認してくると言って激高する家臣団を鎮めました。そして戦を知らぬ義昭は甲冑無しで入京することに大賛成で、信長は義昭の考えに従うと。義昭の前から退室した後で信長は十兵衛に、家臣団の言い分が是であり義昭の言い分には不承知であることを腹に収めておけと言いました。そして信長は再び十兵衛に自分の家臣になるよう尋ねましたが、十兵衛は将軍に仕えると。永禄11年(1568)9月、信長は上洛を阻む近江の六角承禎を攻め、三好が加勢できねば六角は雑作もないと言っていた通り、あっという間に撃破しました。(六角氏が持つ大小合わせて18の城を織田軍がどうやって落としたかとか、ドラマの中でもっと時間を割いてほしかったですねー。)9月末、近江の六角を打ち破った織田軍が入京したと聞き、京の町の人々は騒然となりました。しかし織田軍は武装することなく、足利義昭を奉じて入京。三好勢はすでに京から去り、京の町が戦火に焼かれることはありませんでした。(このシーンも、入京に際して信長が家臣たちに「民衆に乱暴狼藉をしたら厳罰」という触れを出していたことも、盛り込んでほしかったです。)
October 13, 2020
台風の影響で水曜日から4日間続いた大雨が、こちらの地方では今日の午後過ぎからやっと雨が上がりました。ただ東京駅より約200km南にある三宅村や御蔵島村などの島には、大雨特別警報が出ています。警報のエリアにある皆様、どうぞ御身をお守りください。さて、ネットからいろいろな情報がとれる今の時代を、私はとてもありがたく思っています。特に興味深いのは、Twitter での自衛隊の情報です。ほんの数年前まで、自衛隊の名前を聞くのは大災害時における救助活動や被災者支援をTVや新聞で見るくらいで、ふだんのことはまるで知りませんでした。しかし一昨年あたりからTwitterで自衛隊の各駐屯地から訓練風景や災害派遣の様子、あるいはお昼のメニューとか様々な情報や画像がUPされるようになりました。例えば災害派遣では、大災害が起こった後の、現地にいる各駐屯地の支援活動の様子だけでなく、今日のような大雨特別警報のときに、即応するべく万全の態勢を整えているという心強いツイートもあります。とはいえ今時の自衛隊。訓練や即応といった緊張する話だけでなく、SNSを見ている人にサービスするソフトな話もあります。先月の終わりに、自衛隊熊本地方協力本部(熊本地本)がフォロワー1万人達成ということでプレゼント企画をしてくださり、当たればいいなと思って私も応募しました。そしたら後日、熊本地本さんから私に、当選のダイレクトメッセージが届きました。\(*^▽^*)/やったー!#熊本地本 フォロワー10000人達成記念 #プレゼント企画 に沢山のフォロワーの方にご応募いただきました。ありがとうございました! ⇒ ⇒ こちら 私、こういう倍率の高い応募とかには当たらない人なので、抽選で当たったときには単純に喜びましたよ。そして今日の午前、熊本から郵送が届きました。私の家の近くには陸上自衛隊(守山駐屯地と春日井駐屯地)と、航空自衛隊(小牧)があるので、応募にはなかなか空気に触れることもない海上自衛隊のキャップにしました。紙製のキャップを送るにあたり、クリアファイルもつけてくださいました。海自キャップを広げるためにスマホを重しにしています。上記リンクの45秒のところから女性自衛官の方がキャップをかぶってモデルになっています。熊本地本の広報さま、イベント企画して送ってくださり、ありがとうございました。私の記念とさせていただきます。おまけ画像です。今年の春に植えてみたミニトマト。一応トマトとして実ったけど、育て方が悪くて満足のいくトマトにはなりませんでした。いつの間にかもう3歳になっていたマロン君。相変わらず車に弱い子(乗って1分で酔う)なので、どこにも同伴できません。先代のワンコたちはみんな一緒にお出かけできたのにな~と思いつつ、仕方がないですね。マロにはマロの犬生を歩んでもらいましょう。
October 10, 2020
2020年NHK大河ドラマ 『麒麟がくる』 の感想です。戦国モノのドラマの見どころと言えば、合戦シーンやそこに至るまでの政治的駆け引きや人の心の動き、といったものが面白いかと思っていました。でも今回は、上洛とはどういうことか、という説明がドラマの中でさりげなくなされ、興味深いものでした。 上洛は国を挙げての一大事である。 それには 強大な軍事力と物資、そして金銭が必要であった。たしかにそうですね。それを見た者たちに、軍事力、財力、一度に動かせる兵の数など、この軍勢には絶対に対抗できない、戦を仕掛けてはならないと思わせる力を見せつける。ましてや将軍を伴うとなれば華やかさも要る。主君が領国を出ていても領国を守ってくれる留守居の指揮官と軍勢が要る。これは本当に、軍事力と金とモノが要りますわ。そして今回、もう一つの見どころが「毒」でした。このドラマはちょくちょく毒が出てきて、茶、鷹(爪)、霊験の水ときて、今回は毒汁でした。でもこれも、命じられた家臣たちは命がけですよね。主君の嫡子が急死したとなると、暗殺が発覚した場合、関係した者は全て恐ろしい処罰を受けるし、さらに一族郎党にも類が及ぶでしょうから。これがもし豊臣秀吉ならば、たぶん厨房の者全員が磔になっていたような気がします。しかしユースケ義景さんは、我が子がなぜ死んだのかを追及することもなく、嘆き悲しみ無気力になるだけで、そこまでしなかった(できなかった?)人でした。このあたりが伊呂波太夫の言う「あのお方はこの一乗谷でのほほんと和歌などを詠んでお暮しになるのはお似合い」というところでしょうか。今回のタイトルは「三淵の奸計」ですが、しかしこれはどう考えても、三淵藤英・山崎吉家・朝倉景鏡の「三人の謀略」だと思いました。そして細川藤孝は事件の真相を知ってた、という感じで。各地の大河ドラマ館もオープンしています。(それぞれにコロナ拡散防止のための注意事項はあります) ↓ ↓ ↓ 岐阜 大河ドラマ館 ぎふ恵那 大河ドラマ館 可児 大河ドラマ館 京都亀岡 大河ドラマ館 こちらも今週も盛り上がっています。 ⇒ #麒麟がくる 永禄11年(1568)2月、三好一族と関白・近衛前久(本郷奏多さん)が推挙する足利義栄が第14代室町幕府将軍に就任したものの、義栄は諸事情で上洛しないままでした。宮中で近衛と敵対する二条晴良(小藪千豊さん)は、義栄が将軍就任の折に起こした数々の不始末の責任で、近衛に関白辞任を迫りました。さらに帝が越前にいる足利義昭に元服を許し、近衛はさらに不利な状況になっていきました。永禄11年(1568)4月、足利義昭は一乗谷に招かれ、朝倉義景が烏帽子親となって元服。義昭は武士となり、京から下ってきた二条晴良がそれを見届けました。そのころ明智左馬助(間宮祥太朗さん)は諸国を廻って情報収集に努め、京の三好勢と戦い義昭を上洛させられる力がある大名を調べていて、今は朝倉と織田のみであると。明智十兵衛光秀(長谷川博己さん)は、朝倉か織田かと考えあぐねていました。朝倉家の家老の山崎吉家が十兵衛を訪ねてきて、当主・義景が義昭の元服を祝う宴を開くので十兵衛も来るよう申し伝え、また内々の話として、朝倉家の一門は皆が義昭の上洛を喜んでいるわけではないことを十兵衛に伝えていきました。山崎の話を聞いた十兵衛は、上洛に伴う軍事力や金銭や物資はどうなっているのか気になり市を廻ってみたものの、朝倉家全体に上洛への緊張感がまるでありませんでした。宴が開かれ、先だって十兵衛からの進言で上洛する気満々でご機嫌になっていた朝倉義景(ユースケ・サンタマリアさん)は、上洛についての意見を十兵衛に求めました。あのときは義景に上洛を勧めたものの、市を見て考えが変わった十兵衛は、酔った勢いと義景の無礼講の言葉で気を大きくし、今の朝倉家全体には上洛する気配がなく論外であるとあけすけに言い放ち、義景はみるみる不機嫌になっていきました。それを見かねた三淵藤英(谷原章介さん)が義景の機嫌をとりなし、場を収めました。宴の合間で十兵衛が休息をしていると伊呂波太夫(尾野真千子さん)が傍にきました。太夫は十兵衛に、この一乗谷に来て早10年、そろそろ船出の潮時では?と水を向けました。そして船出の船は織田信長、帰蝶もそう思っている、上杉も朝倉も不要で十兵衛が信長と共に上洛すればよい、と太夫は十兵衛に語りました。太夫の言葉に決心がついた十兵衛は美濃に走り、織田信長に京の守りが手薄な今が好機、単独での上洛をと進言、信長も亡き舅の斎藤道三の言葉を思い出してその気になりました。そして十兵衛に足利義昭をこの美濃に連れてくるよう命じました。しかし足利義昭(滝藤賢一さん)が美濃へ行くというのは、これまで義昭の世話をしてきて今や上洛する気満々の朝倉義景の顔を潰すこと。三淵藤英は朝倉か織田かと迷いますが、十兵衛は信長は腹をくくれば動きが早いと進言し、義昭は美濃に行く決心をしました。義昭が一乗谷を出て美濃に行くとなると、朝倉義景が激怒して十兵衛や妻子たちにも類が及ぶ可能性があり、十兵衛は密かに妻の熙子にそのことを話しておきました。そして我が身の危険を顧みず夫・十兵衛の立身出世を喜ぶ熙子に十兵衛は「まことに良き嫁御料だの」と信頼と感謝の言葉を伝えました。ただ案の定、義景は激怒し、国境を兵で固めて義昭一行を絶対に外に出さぬよう、家老の山崎吉家(榎木孝明さん)にきつく命じました。義昭をどうやって美濃に連れていこうかと、三淵は一族の朝倉景鏡(手塚とおるさん)や家老の山崎と秘密裡に打ち合わせを重ねました。義景の従兄弟の景鏡は領内での一向一揆の平定に疲れているし、上洛には大金も兵糧米も要る、殿一人の手柄のために家臣が重荷を背負いたくないと考えていました。(というか、義景が溺愛する嫡子・阿君丸のことしか見ていなくて、家臣の苦労を考えていないから、家臣たちが義景のための苦労を厭うのかと)三淵は景鏡や山崎に「互いの行く末に悔いを残さぬよう知恵を出し合いたい」と。そして後日、朝倉家の厨房にて、阿君丸に出す汁を毒見侍女(村中玲子さん)が確認したら自分の容態が急変し、毒があることに気づいてすぐに配膳侍女を呼び止めようとします。しかし朝倉家侍女(嘉門洋子さん)が毒見侍女の口ふさいで周囲に気づかれぬようにし、配膳侍女を阿君丸の元に行かせます。毒見侍女のうめき声は厨房の中に聞こえているけど誰も動かず、全員が共犯者でした。毒の入った汁を飲んで阿君丸は急死し、阿君丸を溺愛していた義景の落胆ぶりは半端ではなく、約1カ月の間何もできないままでした。頃合いを見計らった義昭一行はそろそろ美濃に行こうとなり、義景に挨拶にきました。以前は一乗谷を出ようとする義昭に対して怒り心頭だった義景でしたが、阿君丸の葬儀で義昭が礼をつくしたことで義景の怒りは解けていました。そして信長への皮肉を言いつつ、義昭が美濃に出立することを認めました。いよいよ義昭一行が出立となり、十兵衛は義昭に同行していきます。後から出ることになった熙子と娘たちは、家老の山崎が家臣に国境まで送らせると、前の話のときとは違って身の安全まで保証してくれていました。十兵衛は出立前に義景に挨拶をと思っていましたが、山崎は義景には会わないようにと。妻子のことは左馬助に護衛を頼み、十兵衛は義昭を連れて信長の待つ美濃に向かいました。
October 6, 2020
もう10月になりました。2020年がもう9か月過ぎた、今年の残りがあと90日だなんて、信じがたい思いです。さて9月1日の防災の日(関東大震災発生の日)を前にした8月末に、 警視庁警備部災害対策課 がとても役に立つツイートをUPしてくれました。それは乗用車のタイヤを交換するときに使うジャッキが、通常のタイヤ交換時だけでなく、実はいろいろな場面で使える、というアイデアのご紹介でした。 様々な場面で重宝するタイヤ交換用車載ジャッキの 収納場所と使い方を確認しておきましょう。 車載ジャッキは、簡単に手に入るパワー系アイテムです。 ①持ち上げる ②広げる ③割る ④移動する ⑤支える ⑥緩める ⑦支点の台 ⑧押し潰す 等困った時の強い味方です。この文章だけ読んでも、何のことかわからないでしょう。元のツイートでイラストを見て是非ご確認ください。 ⇒ ⇒ こちらジャッキは上下に使うことしか知らなかったけど、左右に使って押し広げる、支点として使う、もできますよね。素晴らしいアイデアを、ありがとうございます。さて今年はコロナのせいですっかり遠出がなくなり、その代わりに実家の用事やその他、なにかと名古屋市内に出る用事が増えました。名古屋に出るのは好きなのですが、駐車料金がかかるのが少々痛いところであります。そのときに、今年の1月に買ったカメラ(ILCE-6100)をできるだけ忘れないよう持っていってます。前のデジイチに比べたらうんと軽いので荷物がラクです。名古屋の中心の栄の三越前から東を向いて撮った風景です。画面中ほどの水色の高いビルは、名古屋の中区役所です。実家が名古屋駅と栄にわりと近いので、中学生以降はバスでも自転車でも用事があればすぐ来ていました。ここは数年前まで名古屋市バスの栄ターミナルだったところです。別の日に、栄の南にある松坂屋から北にむかって、中央にある広場を歩きました。エンゼル広場だと思いますが、地面に噴水ができていました。まだ暑さが残る時期だったので、子供たちが靴を脱いで裸足になって水で遊んでいました。時間と位置によって、噴水の虹が見えます。今の栄は昔と何が違うのか。それは中日ビルがないことです。建て替えのために完全に取り壊されて、ずいぶんと見通しが良くなってます。ちなみに中日ビルがあった時代の風景はこのサイトでご覧になれます。 こちら 工事中の前に壁に何があるのかと思ったら、中日ドラゴンズの選手の画像でした。中日ドラゴンズの主力選手たちです。カレンダーになっています。こちらは龍を背景にしたデザインです。ドラゴンズブルーが綺麗だなー。
October 2, 2020
2020年NHK大河ドラマ 『麒麟がくる』 の感想です。今回の全体を通して感じたのは、いろんな人が自分を取り巻く状況が変わる中で、それぞれに考えを変えていったなあ、ということです。斎藤竜興が大将の器ではないと見限って織田信長に仕えることにした稲葉良通。将軍にはなりたくないと思っていたけど、将軍になるのも悪くないと思えるようになった足利義昭。その義昭を将軍としては頼りないと思っていたけど、下々への慈愛に満ちた将軍もいいと思うようになった明智十兵衛光秀。その十兵衛の考えを聞いて、美しいけど軽い神輿である義昭を支えてもいいと思った朝倉義景、などなど。たしかに、明日は自分の命がどうなるかわからない戦国乱世だから、状況に応じて臨機応変に考えを変えていくことは重要ですよね。そしてもう一つ、急成長して勢力をつけている信長を足利義昭を将軍とした幕府の後ろ盾にして世を平らかにしたい、そのためになんとしても上洛させたい十兵衛は、「皆が喜ぶ」とか「道三様が」信長を動かすツボをつく言葉をいっぱい並べていました。そして信長も、壮大な未来を想像してご機嫌でしたが。各地の大河ドラマ館もオープンしています。(それぞれにコロナ拡散防止のための注意事項はあります) ↓ ↓ ↓ 岐阜 大河ドラマ館 ぎふ恵那 大河ドラマ館 可児 大河ドラマ館 京都亀岡 大河ドラマ館 こちらも楽しく盛り上がっています。⇒ #麒麟がくる 永禄9年(1566)、覚慶は還俗して足利義昭(滝藤賢一さん)を名乗り、朝倉義景を頼りに越前に向かったものの、一行は一乗谷に程遠い敦賀の地に留め置かれたままでした。そのころ四国にいた足利義栄は摂津で足止めをされているものの、左馬頭に任命されて次期将軍の地位にさらに近づいていました。一方、織田信長(染谷将太さん)は永禄10年(1567)、稲葉良通ら美濃三人衆を味方につけて稲葉山城から斎藤竜興を追放し美濃を平定。そして信長は小牧山城から家臣を引き連れて岐阜城(稲葉山城・改)に入りました。美濃が信長に平定され斎藤家がいなくなったことにより、長良川の戦い(1556)の後に美濃を追われた明智家の者たちは戻りやすくなっていました。明智十兵衛光秀(長谷川博己さん)の母・牧(石川さゆりさん)は再び美濃の地で暮らしたい思いが強くなり、里を守ってくれていた皆のところに帰ってきました。11年前の戦で半壊した家は藤田伝吾(徳重 聡 さん)たちが修理し、牧たちがいつ帰ってきてもいいように手入れしてくれていました。牧を大方様と慕う村人たちは牧の帰還を喜び、皆で宴を開きました。牧が宴を楽しんでいる間、十兵衛は伝吾から美濃の情勢を聞いていました。夜になり皆が気分良く酔いつぶれている姿を見て、牧は十兵衛が生まれたときも村人がこのように祝ってくれたことを思いだしました。そして十兵衛に「そなたは明智家の当主。その身には土岐源氏の血が流れております。誇りを持って、思うがままに生きなさい」と改めて伝えました。翌日、信長に挨拶するために岐阜城に登城した十兵衛は、かつて斎藤家の重臣だった稲葉良通(村田雄浩さん)に声をかけられました。稲葉は竜興を見限って信長に仕えることにしたと言い、これまでのことは水に流して共に織田家を支えていこうと十兵衛に言い、立ち去っていきました。十兵衛は信長に、美濃平定の祝いと、母・牧が戻ることができたお礼を述べました。いろいろ話をする中で信長は、桶狭間の戦の後で皆が喜んでくれた、戦に勝つと皆が喜ぶからそのための戦なら厭わぬ、ただこの先どこへ向かって戦をしてゆけばよいのか、織田領の周りは敵だらけで戦もきりがないと悩んでいました。そんな信長に・・・十兵衛は「新たな将軍に力を貸して上洛し、無駄な戦を終わらせるためにも幕府を再興しては。武士が誇りを持てる世になれば皆が喜ぶ」と進言しました。そして信長の舅で信長を高く評価していた亡き斎藤道三が遺した「誰も手出しのできぬ大きな国をつくれ」という言葉を信長に伝えると、道三を思い出した信長は喜びました。そして大きな国というのは日の本すべてのことだと知ると、日の本を治めた日のことを想像したのか、信長と十兵衛は愉快になりました。美濃まで母を送った十兵衛が越前に戻ると、足利義昭が十兵衛の家を訪ねていました。義昭は、敦賀にずっといるだけで息が詰まると言いながら、蟻の話をしました。蟻は今の自分の姿だ、助けがないと将軍という大きな仕事はできない、将軍職に就くのも迷いはある、しかし将軍になれば大勢の貧しい人たちを救える、と。後日、朝倉義景(ユースケ・サンタマリアさん)に挨拶に出向いた折に十兵衛は、義昭と話をして義昭は将軍の器であると思うようになった、強い大名が支えれば大丈夫、義昭も義景を頼っている、と義昭に対して思うことを述べました。その報告を聞いた義景は、実は松永久秀から信長と共に上洛せよと文をもらっている、自分も考えが変わった、義昭という神輿を担ぐのは我々だ、と述べました。そしてさらに「神輿は軽いほうがよい」と。側近の山崎吉家(榎木孝明さん)は上洛に反対でしたが、義景の意思は固まりました。そんな話をしていたときに義景の嫡男・阿君丸(森 優理斗くん)が飼っていたネズミ(忠太郎)がどこかへ逃げたと父・義景のところに飛びこんできました。そのため、側近一同がネズミ探しで大騒ぎになり、我が子を異様に甘やかすその光景を十兵衛は複雑な思いで見ていました。永禄11年(1568)2月、摂津の富田では、三好勢が担ぐ足利義栄(一ノ瀬 颯さん)が朝廷より将軍宣下を受け、第14代将軍に就任しました。
September 29, 2020
昨日の朝、何気にNHK-BSをつけたら『アナザーストーリーズ』という番組をやっていて、以前あった石器の捏造事件でちょっと興味がわいたのでそのまま見ていました。(通常は毎週火曜日の午後10時放送) 「偽りの“神の手” 旧石器発掘ねつ造事件」私は歴史は好きだけど考古学にはあまり興味がないのでこの事件の当時もさほど気にしていませんでした。ただこの歳になると以前とは考えも感じ方も変わります。番組に登場した方たちの様々な思いを「なるほどね~」とか、一人の人間のほんの出来心から始まったあまりの展開に「あーあ…」と思いながら見ていました。番組の前半は、事件の概要と捏造を見破った検証チームの行動、どんどん行動がエスカレートしていくF氏とそれを認めてしまっていた考古学者たちが抱える事情を。そして後半は、この事件に関わってしまった人々があの時どんな思いだったかを改めて振り返り、また事件を教訓として現在を生きている人々の話を。そして最後に、考古学を研究する人々がこの20年築いてきた努力が現在どのように実り、研究がどの方向に進んでいるかといった、未来に向けての内容でした。以下、番組のまとめで、登場する方の敬称は略してます。1990年頃から日本では佐賀県の吉野ヶ里遺跡や青森県の三内丸山遺跡などの発掘で古代史が人々の間でブームになっていました。(遺跡見学に1時間待ちのところも)そんな頃に遺跡調査で必ず石器を掘り当てる男・Fがいて、人々は「神の手」と称賛でしたが、2000年8月、これは偽りではないかというメールが毎日新聞社に入りました。そこで新聞社では検証チームを結成し、メンバーの高橋も「世界的発見が毎年のように起こる、しかも同じ人の手で」というのは普通に考えたらありえないと思っていました。Fの世紀の大発見により古代史がどんどん遡っていく中、高橋が資料を調べまくっていたら、前期旧石器の研究者である竹岡の論文が目にとまりました。竹岡は、Fの発見した石器が数十万年前の遺跡から出てくるのはおかしいと考えていて、高橋の「Fは自分で石器を埋めているのでは」という疑念がますます深まりました。そこで検証チームはFが捏造をする瞬間を押さえようと考え、メンバー各自がビデオカメラを持ち、数日間夜明け前から遺跡で張り込みを続けました。しかし1回目はメンバー全員がカメラ操作を知らなくて手ブレやら容量不足で大失敗、2回目は事前にカメラの練習をして三脚でセットし、張り込んで3日目の早朝、ついにFが捏造をする現場をとらえました。捏造を世間に公表する前に検証チームがFに確認したら、Fは捏造を認めました。スクープ発表前に、Fのことを何度も記事にしてきた同社の内藤に捏造のことを伝えたら、内藤は自分がFを信じて嘘の記事を書き続けてきたことに愕然としました。また考古学者で文化庁の主任調査官だった岡村は、Fが発見した石器を各地の講演会で紹介していて、結果的にFの業績にお墨付きを与えてしまっていました。そのため事件発覚後、岡村は世間から激しい非難を浴びることになりました。Fのすぐそばにいながら考古学者たちはなぜFの捏造を見抜けなかったのか。それは例えば岡村の場合、自分の恩師である芹沢のためにより古い石器を見つけたい、そう思っていたときにFが座散乱木遺跡で約4万年前の地層から自分が欲しかった石器を掘り当て、長年の苦労が報われた思いからFを妄信するようになりました。その後Fは毎年のように日本最古の石器を発見するようになり、ついには北京原人より古い「日本原人」がいた、とまで言われるようになりました。この事件を振り返って岡村は、Fを妄信したのは自分のもろさ・甘さだった、責任を感じると反省していますが、当時は大勢の考古学者がFを称賛していました。Fの捏造発覚後、考古学会は特別委員会を発足、Fが関与した遺跡186箇所、3千点を超える石器一つ一つを点検、その結果多くの石器に鉄分の付着や傷などがあり、地面深く埋まっていたものではないとされました。2年に及ぶ調査の結果、Fが関わった発掘は全て学術的資料として無効とされました。2003年、日本旧石器学会が設立され、今後このような事件が起こらないよう、発掘現場の出土状況は画像等で詳細に残す、若手の学者は英語で論文を書いて国際的な会議の場に持っていくなどの、捏造を防ぐための努力がなされています。Fの捏造をなぜこんなにも長い期間、誰も見破ることがなかったのかということを、岡村が再度述べていました。俺にとって、全ての研究者にとって都合が良かった。夢に向かって皆もたれ合っていき、社会的役割とか生きていくうえでの役割につながっていく。競争社会の中で皆の思惑が一つのベクトルの方向に並んでしまった、ということだと思う。ところでこの事件は、考古学の関係者だけでなく、遺跡のあった地元では商品開発や遺跡関連のイベントなど様々な地域おこしが行われていて、事件後は大混乱となりました。その一つの上高森遺跡がある宮城県の旧築館町では、90年代は折しも高齢化と少子化に悩んでいて、遺跡が地域活性化のきっかけになればと、大勢の人が集まることを見越して菓子製造の機械を買ったり総合施設を作ったりなど巨額の設備投資をしていました。また博物館では展示物やパンフレットの大々的な見直し作業に追われました。2000年11月に捏造が発覚して日本人の歴史は3万年前までで止まってしまったものの、その後の20年の研究者たちの努力で3万8千年前までは確かな歴史が確認されました。人類のルーツを研究する海部は日本人がどこから来たのかを明らかにしようとしています。2019年には3万8千年前にあった技術で丸木を削って丸木舟を作り、台湾から沖縄まで渡る実験に成功しました。これは当時の人類がどのように日本にやってきたのかの、再現の試みでした。(ちなみにこの実験、何年か前からやっているのをどこかのニュースで見たことがあり、ずっと失敗だったと記憶しています)
September 26, 2020
2020年NHK大河ドラマ 『麒麟がくる』 の感想です。1年間かける大河ドラマも中盤になりました。初めの頃は、今は戦国乱世の世だけど穏やかな世の中になれば"麒麟"という不思議な生き物が現れる、という言い伝えを信じてはいるものの、主人公の明智十兵衛光秀(長谷川博己さん)は東奔西走するだけでした。しかし桶狭間の戦い以降は、十兵衛は自分の働きに意味があるのかと悩んだり、今回は将軍・義輝の暗殺で怒りの勢いで松永久秀に直談判しに大和まで来るものの、先が見えなくなって動きが止まりかけます。でもそんなとき、前回は妻の熙子が「長らく家を空けても世のために働けばいい」と背中を押してくれ、今回は吉田鋼太郎さん演ずる松永が、 このまま越前で世が変わるのを座して待つのか。 今、武士の世は大きな曲がり角にきている。 それをどう拓いていくのか、お主もわしも正念場じゃ。と十兵衛の気持ちを奮い立たせ、この戦国乱世の収束を願い、麒麟を求める日々へといざなっていきます。この先、織田信長、朝倉義景、足利義昭、松永久秀、・・etc 、と史実上で十兵衛を取り巻く人々の間でホントにいろんなことが次々と起こるから、麒麟をテーマにどう描かれるのか、興味深いところです。各地の大河ドラマ館もオープンしています。(それぞれにコロナ拡散防止のための注意事項はあります) ↓ ↓ ↓ 岐阜 大河ドラマ館 ぎふ恵那 大河ドラマ館 可児 大河ドラマ館 京都亀岡 大河ドラマ館 ※こちらも楽しく盛り上がっています ⇒ #麒麟がくる 永禄8年(1565)5月、きょうの二条御所にいた室町幕府13代将軍・足利義輝は三好義継の軍勢の襲撃を受けました。(永禄の変)襲い掛かる軍勢に足利義輝(向井 理さん)は孤軍奮闘しましたが所詮は多勢に無勢。奮戦虚しくあえなく最期を遂げました。義輝が唱えていた「敢えて暴虎せず 敢えて馮河せず」を調べたら、古代中国の思想家である孔子が唱えた詩経の一節で、「暴虎馮河」という四字熟語になっていました。足利義輝が暗殺されて将軍の座は空位となり、義輝を暗殺した三好義継らは義輝のいとこにあたる義栄を時期将軍に擁立しようとし、今は僧侶となって仏門に入っている義輝の弟の覚慶を興福寺の一乗院に幽閉していました。覚慶の身を案ずるものの義輝の御側衆だった細川藤孝(眞島秀和さん)らは一乗院には近寄れず、松永久秀(吉田鋼太郎さん)の元に駆け付けました。三好長慶の重臣だった松永は一乗院の警護の者を一喝して覚慶(滝藤賢一さん)の部屋の前まで行き、障子越しに覚慶に呼びかけ、このまま座して死を待つかと問いました。すると障子が開き、覚慶は「私は悟りには程遠いゆえ死にとうはない」と応えました。それを聞き松永は、細川藤孝も覚慶のことを深く案じていると言い残して去りました。松永の意を受けた細川藤孝は覚慶を一乗院から脱出させようとしました。後日、一乗院から大きな仏壇が運び出され、覚慶は無事に脱出できました。(このシーンを見たとき、昨年末の "楽器ケース" のことを思い出して、私もだけど「仏壇!!」と思った方は多いと想像いたします。)覚慶を無事に脱出させた藤孝らは、覚慶を三好一派の手の届かない甲賀の地に移しました。そして義輝暗殺のことはすぐさま各地に広まり、越前で暮らす明智十兵衛光秀は朝倉家重臣の山崎吉家(榎木孝明さん)に、大和に行きたいと懇願していました。山崎の報告を聞いた当主の朝倉義景(ユースケ・サンタマリアさん)は、牢人の身ではあるものの京を頻繁に行き来して将軍・義輝の覚えもめでたかった十兵衛の器量を知るためにも、大和行きをあっさりと許しました。松永久秀(吉田鋼太郎さん)は、将軍・義輝は京から追放するだけだと言っていたはずなのに、結局は義輝を死なせてしまった。明智十兵衛光秀(長谷川博己さん)は急ぎ大和の多聞山城に行き、強い腹立ちを松永にぶつけ、松永も息子たちを制止できなかった非は自分にあると言いました。そしてあとは引き金を引くだけの鉄砲を十兵衛に持たせ、自分を撃てと言いました。自分を撃てと言われても撃てるはずのない十兵衛に松永は話を続けました。将軍が空位のままでは幕府は滅ぶ、幕府あっての我ら、幕府として将軍としての威光が我ら武士を動かす、と半分は思うが、あとの半分はまことにそうなのかとも思う、と。松永はさらに十兵衛に「このまま越前で世が変わるのを座して待つのか。今、武士の世は大きな曲がり角にきている、それをどう拓いていくのか、お主もわしも正念場じゃ」と。十兵衛は覚慶がどのような人物か知りたくもあり、また朝倉義景は覚慶が次の将軍にふさわしい人物なら越前で引き受けると言っていて、十兵衛は甲賀に向かいました。甲賀の和田惟政の館で十兵衛は三淵藤英(谷原章介さん)と細川藤孝と再会し、そして三淵に紹介してもらって覚慶ともつながりました。ただそのときの覚慶は十兵衛の目には、次の将軍にふさわしい人物には映りませんでした。覚慶は将軍の器ではないと三淵も藤孝もわかっていましたが、それでも自分たちが支えれば覚慶が将軍として天下が動く、しかしそれだけでは不足で、上杉・武田・朝倉など諸国の大名の後押しがいる、と考えていました。十兵衛は越前に帰国しましたが、三淵と藤孝からは朝倉様にくれぐれもよしなに、機が熟せば共に上洛を、と伝言を頼まれていて、朝倉義景も同じ考えでした。しかし十兵衛は、自分の見た限りでは覚慶には将軍の器量はないと述べ、予想外の返答に義景は戸惑っていました。そのころ京の内裏では関白の近衛前久(本郷奏多さん)が正親町天皇に、空位となった征夷大将軍職に(三好一派が推す)足利義栄を推挙したい、と奏上していました。
September 22, 2020
今日は昼間は気持ちのよい青空で、夕方以降は気温がぐっと下がって、心地良い一日でした。でも考えたら、もう9月の後半なんですよね。今年はコロナの影響と自分の怠惰で(←こちらのほうが大)近場でもお出かけとかほとんどしていなくて、お出かけ画像がめっきり減っています。でも撮りっぱなしでまだUPしていないものもあるので、そういったものでネタにしていこうと思ってます。昨年の10月の初めに京都府の日本海側の舞鶴市にある 海上自衛隊 舞鶴地方隊 の見学に行ってきました。そのときの日記は ⇒ 舞鶴に行ってきました(1) ※この(1)の後、2019年の10月と11月にかけて飛び飛びに 日記をUPしました。その帰り道、行きは舞鶴まで高速を使ったけど帰りは国道27号線をのんびりと走っていました。そして途中から急に海の景色が見え、ホント久しぶりに見る海に歓喜しながら走っていたら、今度は「城山」という看板が目に入りました。どこかの史跡でもあるのかとそちらに方向を変え、でもいったいどこに史跡があるのかわからないまま細い道を進んでいくと、海岸の近くの公園に出ました。見渡すとサーファーらしき人がたくさんいて、どうやら海岸に出られそうです。ちょうど1台分車を停めるスペースがあったのでそこに車を停め、休憩がてら外に出ました。砂浜のある海岸に出るなんて何年ぶりかなぁ。なんて思いながら、しばし海の景色を堪能していました。で、このときの思い出を春頃にUPするつもりでした。でも今年の春はコロナで緊急事態宣言が出されて学校でさえ休校になり、そんなときにレジャーの風景はとてもUPできませんでした。現在はおそらく様々な制約や注意事項の中でアウトドアレジャーも解禁になっていると思われます。なので海とサーフィンの画像をUPすることにしました。ただ、この場所がどこなのか。約1年前の自分の記憶を頼りにPCで地図を拡大して調べて、たぶん福井県大飯郡高浜町の事代の海岸だろうと思っています。(違ってたらすみません)何年かぶりに見る海の風景に、足元に感じる砂の感触に、テンションUPです。青い海に青い空に、波の音に心が癒されます。日本は島国で、このあたりは海岸線も複雑で、海に小高い山にいろいろな地形があります。波が押し寄せては引いていく、砂浜の模様はその証です。靴が濡れない程度に、波打ち際まで行ってみました。波が引いた直後の海水に濡れた砂浜、次の波とぶつかって泡立つ波。船が着く港では見られない風景です。このときは10月だったからサーファーしかいなかったけど、真夏は海水浴もあるのかな?波に乗って遊んで、皆さん楽しそうです。ここは関西のサーファーの方には人気スポットだそうですが・・ここはやはりお年寄りが多い地域で、コロナ感染拡大がより心配されていました。そのため緊急事態宣言が出されていた春の頃は駐車場を閉鎖してレジャー自粛でした。今は制約付きで解禁だと思いますが、コロナが早く収束して、前のように自由に気楽に生活できるようになるといいですね。
September 19, 2020
2020年NHK大河ドラマ 『麒麟がくる』 の感想です。今回から佐々木蔵之介さん演じる木下藤吉郎が百姓から侍となって登場でしたが、もう最高です。いささか大袈裟な素振りとか『超高速!参勤交代』を思い出す部分があって気になるものの、佐々木さんの藤吉郎はすごく魅力的です。侍として出世という目標をきっちりと掲げ、字を読める、歌を詠めるなど、そのために必要なことを人から聞けば、忙しく働く合間をぬって即、学びはじめます。わからないことは近くにいる誰かに教えてもらい自分の中にとりいれる素直さがあり、行商時代の苦労で情報を収集することや人間関係の大切さも知っています。相手の言葉や表情から思惑を読み取るカンの良さとか、苦労人らしい抜け目のなさが随所に出ていて、これから織田信長のもとでどんどん出世して、やがて明智十兵衛光秀(長谷川博己さん)の前に出てくるであろうと、ドラマへの期待が高まります。各地の大河ドラマ館もオープンしています。(それぞれにコロナ拡散防止のための注意事項はあります) ↓ ↓ ↓ 岐阜 大河ドラマ館 ぎふ恵那 大河ドラマ館 可児 大河ドラマ館 京都亀岡 大河ドラマ館 こちらも鋭い意見や素晴らしい絵がたくさん出ています。 ⇒ ⇒ #麒麟がくる 永禄7年(1564)9月、室町幕府13代将軍の足利義輝に、自分が織田信長を説得して京に連れてくると約束した明智十兵衛光秀(長谷川博己さん)は、張りきって尾張の小牧山城に行って信長と会い、上洛の話を進めようとしていました。しかし美濃攻めの真っ最中で、それも思うように事が進まず忙しい日々を送っていた織田信長(染谷将太さん)は、明日の出陣のことで頭がいっぱいです。十兵衛の話を聞くだけでも時間が惜しく面倒くさいことでした。信長は十兵衛の接待役を木下藤吉郎(後の豊臣秀吉;佐々木蔵之介さん)に命じました。尾張の百姓から百人組の頭まで出世してきた藤吉郎を信長は評価していて、十兵衛への接待にも余念がありません。信長は京に上洛する話の続きを十兵衛とするよう、藤吉郎に命じていました。十兵衛が上洛の話をしようとすると藤吉郎はいきなり和歌に話題を変え、自分が信長の奥方の帰蝶にも目をかけてもらっていることをさりげなく語ったり、帰蝶から十兵衛の話をよく聞いているとか、自分のペースに引き込んであれやこれやと喋ります。そして最後に、京で将軍・義輝を闇討ちする計画がある、これは確かな情報、闇討ちを裏で糸を引いているのは松永久秀、という話を十兵衛に伝えました。そのころ京の二条御所では、将軍・足利義輝(向井 理さん)は自分の宿直をする近習もいなくなってしまった、孤高の日々を送っていました。かつて征夷大将軍として世を平らかにしようと誓ったのは遠い昔で、今では自分の傍に誰もいない、自分を支える強い大名もいない、虚しいときが流れていました。松永久秀(吉田鋼太郎さん)が将軍・義輝を闇討ちしようとしていると聞いた十兵衛は、急ぎ大和の多聞山城に向かい、松永に会って話をしました。松永は義輝を茶器になぞらえ、「物の値打ちは人が作るもの。将軍の値打ちも人が決め、人が作っていく。将軍も同様(意訳)。値打ちが下がれば壊したくなる。」と。さらに十兵衛に「義輝を討ちはしない、都から追い払うだけだ」と説明しました。それでも松永に食い下がる十兵衛に松永は「義輝様を支える大名は誰もいない。幕府の身内の者でさえ義輝様から離れた。長慶様が亡くなった今このままでは世は治まらん。これまで自分が長慶様の代わりに義輝様を支えてきたが、もう疲れた。」と。そして松永は「三好一族の皆が義輝様を除こうと動き出している。それを止める力は自分にはない」と言い、十兵衛が「我ら武士の棟梁たる将軍はどうすれば」と問うと、松永は細川藤孝(眞島秀和さん)を呼びました。自分と志が同じだと思っていた藤孝は「都の人心は義輝様から離れてしまった。私も都を離れ次の将軍をお助けせねば・・やむなく。」と本心を語りました。京の二条御所に戻った十兵衛は将軍・義輝に謁見しました。義輝は信長が上洛しないことも、自分が大名たちに戦をやめよと命じても誰も従わないこともわかっていて、もはや側近も離れてしまい寂しさを隠せませんでした。義輝は十兵衛に、これまで仕えてくれたことの礼を言い、そしてもっと早く十兵衛に会いたかったと自分の心の内を語り、十兵衛を越前に返しました。このドラマはときどきハッとするような美しい映像を魅せてくれます。烏帽子が透ける向こうに見える紅葉の赤と風ではらはらと舞う紅葉は、本当に綺麗です。十兵衛は越前で待つ家族の元に半年ぶりに帰りました。朝倉家に来たときに十兵衛が当主・義景からの援助を断ったため、明智家はずっと耐乏生活を送っていましたが、この半年間は義景が約束通り明智家の面倒をみてくれていて、十兵衛の家族は落ち着いた暮らしをしていました。十兵衛は帰宅の前に義景と会って京での仔細を報告していました。その折に義景から「国の外のことはもう考えるな。この地で家族と共に暮らしてじっとしておれ。」と言われていて、十兵衛もふとそう思いました。しかしそう聞いた妻の煕子(木村文乃さん)は「そうしてくれれば嬉しいけど、今こうしていてもどこかで戦が起こって誰かが命を落としているのが辛い。どの国からも戦が無くなり、子たちが大きくなったときに穏やかな世であってほしい。」と述べました。自分が東奔西走しても何も変わらぬ現実に疲れ果てていた十兵衛でしたが、妻・熙子の言葉で志への気力が少しよみがえりました。
September 16, 2020
昨日、日テレで午後から夜にかけて8時間生放送された歌番組の『THE MUSIC DAY』。嵐の櫻井くんが総合司会で、番組の中で嵐とジャニーズの人たちがなんかスゴイことをやってくれると前評判だったので、私も録画の準備をして待っていました。実は私、昨日の番組の大半は見ていないのですが、途中でパッとTVをつけたら『カイト』の曲が始まるところで(この曲は録画OK)、その後「午後9時頃に嵐が~~」と案内を聞いたので、9時少し前からTV前にいました。そして待望のジャニーズのスペシャルメドレーが始まり、この部分だけ録画してたのですが、これがもう・・・最高に幸せな時間となりました。2曲めにV6の坂本昌行さんと嵐の大野くんが登場して、二人で歌う『愛のかたまり』を聴いたとき、私はTVの前で言葉を失ってただただ二人の声に聴き入っていました。ああ、これがジャニーズ軍団の中でも歌唱力ランキングで必ずトップになる坂本さんと大野くんがコラボした歌で、番組側が自信をもって前評判していた歌だったのか、と。ぱっと見ずいぶんと年齢を感じた坂本さんは49歳で、大野くんは11月に誕生日がきたら40歳です。二人の歌う声と表情は、若い子には絶対に表現できない、大人の男の優しさと色気がありました。そして私なんかよりも、もっともっと熱烈に嵐のファンである皆さんの感想は、あの楽しい幸せな時間を共有できてよかったと思えるものばかりでした。 ⇒ ⇒ #愛のかたまり スレにあった感想のほんの一部ですが、 ↓ ↓・KinKi Kidsの曲×坂本昌行×大野智のコラボは “愛のかたまり”じゃなくて “神のかたまり”だった・愛のかたまりは美声のかたまりで、 耳も心も幸せのかたまりだった・リピが止まらない・余韻から抜け出せない・生きてて良かった(号泣)・『愛のかたまり』本当に最高… 2人とも超絶うまいのにサラッと歌うじゃん。 2人が前に歩き出しながら歌うとこ、穏やかなWリーダーの 大人の貫禄と歌の巧さに圧倒されてリピ止まらん。 大野くんの上ハモが突き抜けて聴こえる… やっぱ凄いね、もっと聴きたいよ。・大人の色気と、2人の美声と、選曲…全てが神がかってた…・永久保存版です(号泣) ありがとうございます私もウンウンとうなずきながらイイネを連打してました。KinKi Kids のお二人が元歌のこの曲は、作詞が堂本剛さんで 作曲が堂本光一さんと、なんと自分たちで作った曲でした。KinKi Kids のファンの人にとっては本家の歌がもちろん一番!でしょうが、そうでない私の場合、坂本さんと大野くんのコラボが最高でした。編曲のピアノの音がぐっときます。そして本当に歌が上手いお二人だから、振り付けとか余計な感情を込めなくても、歌の世界に引き込まれていきます。嵐の中では大野くんはほとんど主旋律で大野くんの声が一番耳の残るけど、坂本さんとの『愛のかたまり』では主旋律は坂本さんで、大野くんは上のハーモニーをとっていました。ホントに優しい綺麗なハーモニーで何度聴いても飽きなくて、私も昨日から何度もリピしまくっています。ファンの間では、この『愛のかたまり』が1番しかないのは物足りない、二人の声でCD化のを希望!が続出しています。ええ、ホントそう思います。あと3カ月半で大野くんが活動休止になる前に是非!是非!CD化されたら私もすぐに予約しますよ。音楽業界の皆さま、どうかお願いいたします!!あー、こうして心から願えることがあるのって幸せですね。昨日の番組では、櫻井くんは総合司会で存在感を示し、相葉くんがニッコリ笑えば幸せな気持ちになり、松潤はついカッコ良さに目がいくけど低音のハーモニーがいつも自然で綺麗で、ニノは大野くんとは違った歌唱力があって。(チャンカパーナの高音ロングトーン、ぶったまげた)8時間もTVの前にいられないからジャニーズメドレーの一部しか見てないけど、それでも幸せな時間でした。昨年の暮れに虹の橋に行った、茶トラ兄弟の片方の康太郎くんです。我が家の四つ足組はどの子もみんな、「愛のかたまり」です。
September 13, 2020
9月も半ばになり、最近は日没がだんだん早くなっていることを実感します。日没が早くなって太陽高度が下がってくれば、昼間は真夏の暑さでも夕方以降の熱の引きが早くなります。7月や8月のような暑さはありません。暑いのがどうにも苦手な私です。毎年GWを過ぎると暑さへの緊張が高まっているので、涼しくなるのを実感できるこれからはいちばん好きな時期であります。さて前回の日記の続きですが、 名古屋市役所本庁舎 を見学したときの画像をご紹介します。市役所の建物をSNSにUPしていいか確認するために、3階に上がってきました。中央階段を上がって西を向いたところに、戦国時代の3英傑でこの地方出身の、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康をモチーフにした装飾幕がありました。こちらは名古屋の名物や名所をモチーフにした装飾幕です。名古屋の河村市長が記者会見をするときに使う背景でしょうか。3階の総務課の前からちょっと下の中庭を覗いてみました。建物の外観や壁面にも時代を感じます。よく晴れた日だったので、陽光が差し込んでいました。2階の中央階段から続く壁面は黒っぽいタイルだったけど、3階の北側の廊下はふつうの白っぽい壁でした。上記リンク(名古屋市役所)によると、「庁舎北側の廊下は非常に長く、全長が約100mもあります。このように長い廊下は珍しく、映画やドラマの撮影でも使われる人気スポットとなっています。」 とあります。3階の北側廊下から見上げる時計塔です。今は誰もがスマホや腕時計で時間を知ることができるけど、昔の人たちが遠くからこれを見て時を知ったのだと思うと、ちょっと感慨深いです。総務課でSNSにUPする許可をもらい、1階に下りてきました。1階の玄関を入ってまっすぐ進むと、奥に公衆電話と休憩室があります。長年、名古屋で暮らしてきて、今回初めて中に入った名古屋市役所でした。外観と同様に歴史を感じる建物の内部を見学できて、今回とても満足でした。名古屋市役所の北側の外観です。この画像の左手には桜並木があり、春になると美しい風景を魅せてくれます。いつもは車で通りすがりだけだったので、来年の春は桜と市役所を見にこようかな。信号を渡って北側の道路から名古屋市役所を再度眺めました。ちなみにこのあたりの道路は片道5車線で、道路の中央部にバス停と基幹バスのレーンがあり、時間帯によってはバス専用のレーンになっています。今回は名古屋城の東側の駐車場に車を入れたので、金シャチ横丁を通って往復でした。金シャチ横丁に何か新しい物ができたと思って見てみたら、『名城金鯱水(めいじょうきんこすい)』とあって、名古屋のおいしい水道水を飲んでちょ、というものでした。金シャチのお口の中にレバーがあって、ここから水がとれます。水道水でも安心して飲める日本、水道水でもおいしい名古屋。有難いものです。
September 12, 2020
全4809件 (4809件中 251-300件目)